2012年9月30日日曜日

【第113回】『経営学習論』(中原淳、東京大学出版会、2012年)


 企業における人材育成とはなにか。本書ではダグラス・ホールの定義を援用し「企業が戦略目的達成のために必要なスキル、能力、コンピテンシーを同定し、これらの獲得のために従業員が学習するプロセスを促進・支援することで、人材を経営に計画的に供給するための活動と仕組み」としている。

 経営の文脈における人材育成の取り組みとして、組織社会化、経験学習、職場学習、組織再社会化、越境学習という五つの観点から示唆が述べられている。それぞれ、著者が単独もしくは共同で研究した知見に基づいて記述が為されている学術書である。

 組織社会化については、日本では新卒入社社員の組織社会化が主な研究となるのが特徴的である。OJT指導員がどのように関与すると新卒入社社員の能力向上が促されるのか。著者の共同研究によれば、指導員が自身だけではなく周囲の協力を得ながらOJTを進めることが重要性だそうだ。これは興味深い事実である。その理由として、新卒入社社員が疑問に思ったり不安に思ったりしたらすぐに質問をできること、指導員以外の多様な先輩社員の多様な働き方から学ぶ機会が増えること、が挙げられている。指導員は、自身が教育担当ということでプレッシャーを過度に感じて後輩指導に自信をなくしてしまうことがある。このリスクを軽減するためにも、指導員が周囲を巻き込みながら新卒入社社員の教育を担うことができるようにすることが必要であろう。

 次に、経験学習のプロセスとして、具体的経験、内省的観察、抽象的概念化、能動的実験の四つがサイクルとして挙げられている。著者の共同研究によれば、年次によって、それぞれのプロセスと能力向上との関係性に差異が見られたという。すなわち、社会人経験が浅い時点においては、具体的経験を積むことが能力向上に有意な影響をもたらすのに対して、経験がある程度の段階に進むと四つのプロセスをバランスよく担うことが能力向上に影響を及ぼすそうだ。職務の経験から学ぶと一言で言っても、経験の程度によって何が大事かという観点が異なることは留意しておくべきである。

 続けて職場学習について。現場のマネジャーは部下育成に取り組むというよりも、職場における互酬性規範をいかに高め、育成されることが特に必要な層を多様な先輩によって育成するという風土を築くことの重要性が指摘されている。これは組織社会化において上述したことと関連することであり、納得的である。さらには、業績達成に対するプレッシャーが大きい現代の職場環境であるからこそ、パフォーマンスレベルの低い人材に対してもチャレンジさせて育成を行うことが指摘されていることも見逃せない。部下育成と部門の目標達成とはどちらも両立させるべきものなのである。

 組織再社会化においては、中途入社者に対する体系的かつ戦略的な支援の必要性が述べられている。中途入社者は特定の職務のパフォーマンスが認められたために入社することになることがほとんどであろうが、企業独特の職務の遂行方法や、仕事を前に進めるために協働する他者との人脈がない中では、自身のパフォーマンスを存分に発揮することは難しい。当たり前のこととはいえ、新卒入社がメインで中途入社がサブとして機能してきた日本企業の採用活動においては、中途入社社員への教育という観点が抜けがちではなかろうか。企業にとっても中途入社社員にとっても、改めて、すぐに戦力化するための教育施策を検討することが重要である。

 最後に越境学習という新しいテーマにおいても重要な示唆が述べられている。これまでの日本企業におけるマジョリティーから、社外の勉強会や情報交換会に赴く人材は冷たい目で見られがちであった。しかし、本書では、越境学習を行う動機を因子分析した上で、そこで見出された四つの因子をクラスター分析し、四つのクラスターを抽出した上でそれぞれの比較を行っている。その結果として、キャリアや成長志向を持つクラスターが能力向上に有意な影響を持っているそうだ。さらには、このクラスターにおける組織コミットメントが最も高いという点も注目である。特に目的意識もなく他者に言われて「お勉強」するクラスターの能力向上がなされないことは自明であるが、勉強会に行かずにひたすら仕事に取り組むクラスターよりも、上記のクラスターの能力向上や組織コミットメントが高い事実はよく頭に入れておくべきであろう。

2012年9月29日土曜日

【第112回】『「しがらみ」を科学する』(山岸俊男、筑摩書房、2011年)


 「頭でっかち」という言葉はあまり良くない意味合いとして使われる。なんに対しても理論や論理性のみで事象を理解しようとして、現実にそぐわない結論を導き出すというようなことであろう。

 そうであるからといって、「頭」と対比的に用いられる「心」を重視することは望ましいのだろうか。

 著者は「頭でっかち」に対して「心でっかち」という言葉を用いて、その危険性を指摘している。つまり、どのような事象に対しても心的な背景があると解釈しすぎてしまうことによるリスクである。

 心という狭い概念でものごとを理解しようとしすぎると、結果的に視野が狭くなってしまい全体が見えなくなる。また、全てにおいてポジティヴ・シンキングを強調しすぎると、心の持ち方さえ変えればあらゆる問題が解決するという精神主義が助長される。この結果として、竹槍で戦車に立ち向かうなどとする発想が生まれ得ると著者はその危険性を指摘している。

 「心でっかち」が恐ろしいのは、「心」を水戸黄門の印籠のように出されると、反論しづらくなるということである。すなわち、思考が停止される状態である。たとえば、若者による凶悪犯罪をマスメディアが取り上げ、その中で凶悪な犯罪が増えていることを若者の精神状態の荒廃と結びつけられることがよくある。しかし、社会学では使い古されている事例であるが、戦前からの統計で表すと犯罪数はかつてより激減している。

 「心でっかち」になって何に対しても心的な現象を要因として持ち出すことで私たちは問題の本質を考えることを放棄していないか。この問いを己に問いかけることが、「心でっかち」から抜け打すヒントの一つになると考える。自戒を込めて。

2012年9月23日日曜日

【第111回】『大学・中庸』(金谷治訳注、岩波書店、1998年)


 儒教の根幹を為すと言われる「四書」に数えられる『大学』と『中庸』である。

『大学』

「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しましむるに在り、至善に止まるに在り。」(第一章・一)
【メモ】現代の日本における大学教育の眼目は徳育に置くべきであり、カリキュラムがそうならない以上は、個人で学ぶしかないだろう。

「切るが如く磋くが如しとは、学ぶを道うなり。琢つが如く磨るが如しとは、自ら脩むるなり。瑟たり僴たりとは、恂慄なるなり。赫たり喧たりとは、威儀あるなり。」(第二章・二)
【メモ】切磋琢磨。学ぶこと、修養すること、内省すること、礼儀正しくあること。

「謂わゆる身を脩むるはその心を正すに在りとは、身に忿懥するところ有るときは、則ちその正を得ず、恐懼するところ有るときは、即ちその正を得ず、好楽するところ有るときは、則ちその正を得ず、憂患するところ有るときは、則ちその正を得ず。」(第三章)
【メモ】自分の心を正すこと。自分の心を正さないと正しいことができない。

「是を以て大学の始めの教えは、必ず学者をして、凡そ天下の物に即きて、その已に知るの理に因りて益々これを窮め、以てその極に至ることを求めざること莫からしむ。」(大学章句 本文 伝 第五章補伝)
【メモ】理を以て探求することが大学教育のはじまり。

『中庸』

「道なる者は、須臾も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり。是の故に君子はその睹ざる所に戒慎し、その聞かざる所に恐懼す。」(第一章・一)
【メモ】常に正しい道を考えること。片時もそれないこと。

「道の行なわれざるや、我れこれを知れり。知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。」(第二章・一)
【メモ】理性に頼りすぎると出過てしまい、理性を軽視しすぎると実行できない。

「故に君子は和して流れず、強なるかな矯たり。中立して倚らず、強なるかな矯たり。」(第二章・四)
【メモ】柔軟に対応しつつも流されないこと。

2012年9月22日土曜日

【第110回】『パフォーマンス・コンサルティングⅡ』(デイナ・ゲイン・ロビンソン&ジェームス・C・ロビンソン、ヒューマンバリュー、2010年)


 本書は、『パフォーマンス・コンサルティング』の原著が改訂されたのに伴い、その改訂版を翻訳したものである。しかし、「Ⅱ」と銘打たれているように、中身の分かり易さや扱われている事例がふんだんである点を考えれば、似て非なるものと言えよう。したがって、これから買われる方はぜひこちらの改訂版を購入することをお勧めしたい。

 パフォーマンス・コンサルティングの最終ゴールとは何か。

 著者は端的に、パフォーマンスに影響する要因間の整合性を取ることとしている。すなわち、事業の目指す姿と現状との差分に現れる事業ニーズ、目指すべき姿を具現化するための行動と現状とのギャップに現れるパフォーマンスニーズ、それらを阻害したり促進したりする要因に現れる職場環境ニーズ、個人が持つスキル・知識・特性といったものに現れる能力ニーズ、の四つのニーズの整合性を取ることである。

 人材育成担当者が解決すべき問題は四つのニーズによって現れるが、そのままではクライエントを動かすことは難しい。クライエントがそれを取り組むべき問題として認識し、解決しようとやる気になってもらうためには、ストーリーとして束ねることが求められる。それはいわば、散らばった点と点を繋げ、星座を描くような作業であるとも形容できるであろう。

 そうした具体的なストーリーを描くためには、まずはクライエントから話を聴き出す必要がある。

 その際の留意点としては、特定のパフォーマンス成果や特定の事業成果について話してもらうように促すことが重要である。抽象的な概念では相手の話しの焦点がぼやけてしまうリスクがある。そうしたリスクが生じることを避けるためにも、個別具体的な特定のものについて聴き出すのである。特定の問題を把握すれば、おのずと特定の解決策が見えてくるものである。

 しかし、相手が最初から本音を語ってくれるということは稀であろう。その前に、相手の信頼を勝ち取ることがパフォーマンス・コンサルティングの実現のためには不可欠である。そのためにどうするか。

 著者は、人材育成担当者は、人事や人材育成に専門的な知識・スキルを持っていることは大前提とした上で、自社のビジネスモデルを理解することの重要性を掲げる。つまり、クライエントが日常的に悩んでいるビジネス上の課題を正しく把握するためには、自社に固有のビジネスモデルを理解しておく必要があるだろう。

 しかし、最初から人材育成担当者が現場のビジネスを精緻に理解しておく必要はない、と著者は救いの手をさしのべている。まずは、クライエントに尋ねれば良いのである。現場における事業運営そのものに対して真摯に理解しようとする態度を持ち続ければ、必要な情報を把握できるだけの信頼性を勝ち取ることができるのである。もちろん、そのためには知識がゼロの状態でインタビューに赴くのではなく、事前に調べられたり確認できたりする情報を把握しておくことは最低限のエチケットであろう。

 人材育成担当者にとって、知恵と勇気を授けてくれる心強い一冊と言えるだろう。

2012年9月17日月曜日

【第109回】『U理論』(C・オットー・シャーマー、英治出版、2010年)


 U理論とはイノベーションを促すプロセスを理論化したものである。細かなプロセスを知りたい方には本書の膨大な著述(本書は約600頁の大部である)をお読みいただくとして、Uプロセスの大きな動きである観察、内省、行動、に絞って述べる。

 観察については、アップルにおけるジョブズと、彼が復帰する前の混迷の時期におけるCEOとを対比する、というイメージし易い例示がなされている。イノベーションを促すU理論における観察とは、ジョブズ以前のCEOが行ったような表面的な現象を認知してコスト削減や品質改善を行うことではない。ジョブズが行ったように、現象を徹底的に観察した上でそこから距離を置いて新たな着想を得ることでiPod、iPhone、iPadを創造したのである。

 このように考えれば、観察のプロセスにおいて過度に外部の機関に委ねることのリスクが見えてくる。企業の内部および取り巻く外部環境が複雑であればあるほど、状況の文脈に直接触れ続けるためには外部に委託せず、インハウスでイノベーションを促進することが求められる。プロであるコンサルティングファームであれども、社内の状況の文脈までを把握することには限界があるために、外部の知恵を活用する場合においてはいかに協働するかが鍵となる。

 そのためには、社内におけるリーダーのありようもこれまでと異なることになる。従来のリーダーの役割として、ビジョンや方向性を示すことが挙げられてきた。その重要性はこれからも変わらないであろうが、著者によれば、それと同等かそれ以上に個人の組織の「観る」能力を高めることがこれからのリーダーには求められる。つまり、企業における個々の社員が、自分自身が直面している現状を深く観察し、自らがその文脈においてどのよな役割を演じているのかを理解できるようにすることがリーダーシップには求められるのである。

 深い観察の結果としてなにが起こるのか。U理論ではプレゼンシングという、presenceとsensingとを合わせた著者の造語で形容される。著者が述べるように、川には単一の起点があるわけではないが、多様な源がやがて川として出現する。この様からプレゼンシングをイメージできるであろうし、イノベーションもまた同じであるとされる。多様な源を把握し、それぞれがどのように作用して一つのアイディアになるかを感じ取り、それをぼんやりとした形へと結実させることがプレゼンシングの能力なのである。

 深い内省の結果としてプレゼンシングしたものをどのように行動に繋げるか。本書では個人レベルのものとグループレベルのものとが挙げられている。

 まず個人としては、新たに出現したものを受け容れるためには、古いものを捨てる必要性が主張されている。従来の製品やサービスには、それに合わせて従来の波長の合わせ方がある。従来の波長の合わせ方を持ち続けていると、出現しつつある新しいイノベーションをセンスし続けることができずに、最終的な製品やサービスへと結実できない。したがって、古いものの見方や行動をいったん捨てて、新たなイノベーションに対してアジャストすることが必要なのである。

 グループのレベルでは、個人の着想をグループに提示する際に、あえて不完全な絵姿を示すことが有用である。つまり、空白部分を多く設けたものをグループに示すことで、他のメンバーがその空白を埋めるように新たなアイディアを出すことになる。その過程で、一人のアイディアから全体としてのアイディアになり、一人のリーダーが引っ張る状態から自身の役割を主体的に意識する複数のリーダーが協働する状態へと変容する。

 U理論は、それを経験しなければ実感することは難しいが、未経験であってもUのプロセスを経る際のありように関する著者の示唆が参考になる。Uの字の左側を降りるときには、オープンになり、これまでの自身の思考と感情と意志の抵抗に取り組むことが大事である。他方で、右側のUの字を昇る際には、頭と心と手からなる知性を、実践的な状況の中で意識的に再統合することが重要である。

2012年9月15日土曜日

【第108回】『指導者の条件』(松下幸之助、PHP研究所、1975年)


 松下幸之助を語るときに小学校中退という部分がフォーカスされることがある。その含意の一つとして学歴には意味がないというものがあり、それはその通りだと思う。しかし、もう一つの含意として、学ぶことに意味がないということもあるとしたら、それは大いなる誤解だ。本書を読めば分かる通り、彼は非常に勉強家であり、むしろ学校を出た後の生涯に渡る継続的な学習の必要性を彼は身をもって示していると言えるだろう。

 日本や中国や西洋の偉人の言葉を交えながら彼が述べる指導者の条件について、とりわけ感銘を受けた点を記していきたい。

<いうべきをいう>
他者に厳しいことを言うと関係性が崩れてしまうと思うことがある。しかし、いたずらに迎合して言うべきことを言わないことは、当座をしのぐことにはなれども、中長期的には望ましくない。本当にやるべきことを実現したく、相手に対して本気であるのであれば、言うべきことは言うべきである。

<きびしさ>
他者や仕事に対して厳しく当たるということは、私情のなせるものではない。相手に対してかわいそうと思ったり嫌われるのではないかと思うのは私情である。指導者が事を為すのは、指事ではなく公事なのであるから、時に厳しく接することを厭ってはならない。

<決意をつよめる>
ある時点において決意をすることは、実はそれほど難しいことではない。SNSが盛んな現代においては、決意を明らかにすることによって周囲から賞賛を得たり評価されたりすることが多いために、安易に決意をする傾向があるのではないか。決意をするということではなく、むしろ大事なのは決意を持続させるということである。

<心を遊ばせない>
睡眠を取らなければ良い仕事ができないのと同じように、ときに身体を休息させることはビジネスにおいても必要である。しかし、休息しているときに心まで休ませてはならないと著者は言う。つまり、自分にとって大事なことは常に心に留めておき、すぐにセンスできるように準備しておくことが重要である。

<小事を大切に>
大きな失敗をしたら、そのインパクトの大きさにより人は反省する。しかし、小さな失敗をしてもあまり反省しないものだろう。したがって、メンバーの小さな失敗ほど指導者はきちんと拾い、フィードバックをすることが重要である。

<世論をこえる>
通常の状態であれば、大多数が何を欲し何を重視しているのかという世論を尊重することが大事である。しかし、変事ではそうはいかない。劇的な変化の中においては、ときに世論や身近な人の意見に流されず、自分自身が必要だと思うことに殉じることも必要である。

<大事と小事>
業務において、指導者がマイクロ・マネジメントをしすぎるとメンバーは業務を行うことが窮屈になり、せっかくの創意工夫も発揮できなくなる。大事なポイントを絞り込み、其れ以外の点については大胆に権限委譲してメンバーの自主性にかけることも中長期的には重要であろう。

2012年9月9日日曜日

【第107回】『リーダーシップ・チャレンジ』(J・M・クーゼス B・Z・ポズナー、海と月社、2010年)


 リーダーシップは一部の特殊な人に関係する現象であると思われることが多いが、リーダーシップと無縁でいられる人はいない、と著者は述べる。なぜなら、リーダーシップは複数の人物の間における影響を表すものであり、社会的な存在としてのヒト(つまりは人「間」)である限り、私たちは身の周りの人々に対して影響を与える。したがって、私たちは自分が意識せずに発揮しているリーダーシップの質や結果に対してもっと自覚を持つ必要があるとも言えるだろう。

 本書ではこうした著者の考え方により、リーダーシップを発揮している人物として「普通の人」が多く取り挙げられている。部門の組織風土を変えようとしている人、新しいプロジェクトを立ち上げようとしている人、顧客への提供価値を改革しようとしている人、などである。むろん、企業組織を経営する立場にあるCEOも登場しているが、各々の立ち位置は異なれども、模範的なリーダーの行動パターンは五つに収斂するそうだ。

 第一の行動パターンは「模範となる」である。肩書きではなく実態によって影響を与えるのがリーダーの要件であるからには、行動や態度を伴わなければメンバーの敬意は得られない。メンバーに進んで望ましい行動を取ってもらうためには、行動の指針となる価値観を明確にしなければならないだろう。ここで留意すべきは、リーダー個人の価値観を語ることではない、という点だ。リーダーは自分の意見をそのまま述べるのではなく、組織のために語り、組織のために行動する、ということが重要なのである。そのためには、リーダー自身が日常的に自覚的にも無自覚的にも発しているシグナルについて鋭敏でなければならないだろう。そうしたシグナルが模範的な行動と合っていなければ、メンバーからは言行不一致とみなされ模範的な行動が望ましいものであると思われなくなってしまう。

 第二のポイントは「共通のビジョンで鼓舞する」である。ビジョンとは将来という時間軸の絵姿である。しかし著者は、過去を省みることで自分の人生にあらわれるテーマを明らかにし、ビジョンを描くというパターンが本質的であるとしている。実際、南カリフォルニア大学のオマル・A・エル・サウイ教授の実験によれば、未来の自分に起きることのリストを挙げるというテーマにおいて、いきなりそれをリストアップしたグループよりも、過去に実際に起きたことのリストを挙げた後にリストアップしたグループの方が、約二倍の遠い未来の出来事を挙げたという。リーダー自身のビジョンを描くことは大前提であるが、それをもとにチームとしてのビジョンを描くためには、メンバー個々のビジョンを熟知した上で共に創り上げそれぞれに合った言葉遣いで鼓舞することが重要だ。

 第三は「現状を改革する」である。私たちが思い描くリーダーシップ行動とは、大きな変化を起こしたファクターのみに注視しがちである。しかし、改革とはこれまでの延長線上にない小さな変化を積み上げていく中で実現するものである。小さな変化を積み上げることで、チームとして大きな改革を実現させる自信を高めていくのである。そのためには、リーダーは各メンバーが起こそうとする小さな変化の価値をいち早く認め、その行動に伴うリスクや失敗を許容することが求められるだろう。

 第四は「行動できる環境をつくる」である。現在のビジネス環境においては、リーダー自身の行動だけで大きな変化を起こすことはできない。したがって、すべてのメンバーが自分の行動に自信を持って熱意を持って仕事に取り組めるような環境を整える必要がある。そのためには、リーダーとメンバーとが同じ目線と温度感で取り組めるようなマインドセットが求められる。事実、著者がインタビューしたリーダーは、「私」という言葉よりも「われわれ」という言葉を約三倍も多く使っていた、というのは興味深い。たしかに、チームとして成し遂げた成果をあたかも自分一人のものとして上司に報告するリーダーにメンバーはついていこうとしないだろう。

 第五に「心から励ます」というポイントが挙げられている。「心から励ます」のであるから、それは真剣な行為である。うわべだけの、抽象的な賞賛では、メンバーにとってむしろ逆効果となるだろう。まずメンバーの具体的な仕事に対して真剣に感謝を述べること。次にそのメンバーの仕事が組織の価値観とどう結びついているかを納得的に説明すること。最後にそうした素晴らしい行動をチームとして祝う文化を根付かせること。こうしたことを通じて「心から励ます」チームを創り上げることがリーダーには求められていると言えよう。

2012年9月8日土曜日

【第106回】『CEOを育てる』(ラム・チャラン、ダイヤモンド社、2009年)


 かつて読んだ時と印象が全く異なり、今回、必要性のある中で改めて読んだところ示唆に富んだ良書であった。自分の興味関心に応じて書物へのアプローチは変わるものであるが、見切りをつけるという態度は改めようと思う。

 本書におけるリーダーシップ開発の根幹を為す考え方は徒弟制度モデルである。これは、リーダーシップ開発をスタッフ部門が定期的に行うものではなく、ラインのマネジャーを中心にして業務活動に織り込まれた日常的に行うもの、とする考え方だ。著者がこうした考え方に至った背景には、リーダーは訓練を通じてしか育たないという見方がある。「しか」という言葉にはやや違和感もあるが、決まりきった研修やツールを粛々とこなすことでリーダーが育成されるとする従来型の企業内大学や自社内MBAへのアンチテーゼとしては納得的である。徒弟制度モデルが必要とされる背景には、ビジネス環境変化のスピードの速さ、業務に求められる知識・スキル・態度のセットの更新スピードの速さ、といった外的環境がある。現在のこうした状況を鑑みれば、徒弟制度モデルが求められていることはよく分かる。

 ではなぜラインのマネジャーが中心的な役割を担う必要があるのか。端的に言えば、育成対象者を身近で見ているマネジャーが業務の中で日常的にフィードバックを行うことでリーダー候補は育成されるからである。忙しいラインマネジャーが育成に時間をかけられないという予想される反論に対して、著者は普段の業務の中におけるやり取りの中でフィードバックを行えば良いとしている。つまり、育成と業務マネジメントとは同じ時間軸の中で並行して行えるものであり、むしろ行うべきなのである。こうしたラインマネジャーの行動は、特定のスキルを発揮するというよりは当たり前のこととして慣れるという態度によるところが大きい。月次や四半期のレビューを行う際にフィードバックを与えるようにすれば、お互いにフィードバックに慣れると考えられよう。

 マネジャーとその部下という関係性であるため、育成計画が個別具体的なものとなることは自明であろう。かつ徒弟という言葉のイメージの通り、リーダー候補にとってチャレンジを与えることになるのであるから、失敗する権利を残すことが大事であると著者は述べる。具体的には、自分なりに職務を再定義して高い目標を設定する自由、与えられたメンバーを自分のやり方で率いる自由、事業の短期的ニーズと長期的ニーズとのバランスを決める自由、の三つである。試練という名の責任を与えるのであるから、自由を保証することは必要不可欠である。

 徒弟制度モデルではラインマネジャーを「中心にして」育成すると述べた。つまり、リーダー育成をラインマネジャーのみに押し付けるということではないのである。ラインマネジャーは対象となるリーダー候補に関する育成計画を、彼(女)の業務を知る社内のステイクホルダーを集めて育成計画について適宜話し合うことが必要である。リーダー候補の評価を是か非かで決めるのではなく、ステイクホルダー同士の対話により多様なアセスメントを行い、その後の育成計画の更新へと繋げることが有用である。

 こうしたリーダーシップ開発のあり方の中では、人事部門の役割もまた変化するべきである。ともすれば研修やツールを用意するのみで結果にはコミットしない従来の役割とは異なり、ラインマネジャーが行うリーダー育成をデザインしたりサポートするという役割を担うことになる。これはなにもリーダーシップ開発における人事部門の重要性が減衰しているわけではないことには留意したい。自社にとってあるべきリーダーシップ開発について、最新の知見を集めて分析し、ラインマネジャーやCEOによる徒弟制度のより効果的な運用の改善を行うことが人事の役割である。

 ここまでは会社のしくみとしての徒弟制度モデルについて触れてきた。企業の中でこうしたしくみがあることは望ましいが、なければリーダーを育てられないというわけではない。「おわりに」で著者が述べているように、能力開発は自分自身の問題であり、個々のリーダーが徒弟制度モデルを取り入れることは自由である。さらに著者の考え方を進めれば、リーダーシップを発揮したい部下の側が、上司や斜め上の上司に対して徒弟制度モデルを用いてもらうように依頼する、ということも考えられる。リーダーシップが他者との相互作用である以上、部下側のこうしたプロアクティヴな行動こそ自身でリーダーシップを発揮する第一歩となるのではなかろうか。

【第105回】『リーダーシップ入門』(金井壽宏、日本経済新聞出版社、2005年)


 リーダーシップとは、実務家による実践と、理論家による研究の両者がないまぜとなって言語化される現象である。本書では、実践から生まれ、実践を導いている理論のことを持論と呼び、研究者が調査研究や実験・観察から生み出すものを理論と定義されている。こうした定義じたいが大事であるのではなく、理論と持論とを同時に扱うことがリーダーシップ開発においては重要なのである。

 持論が自覚されていない状況であれば、希有な経験をしたところで経験の結果としての現実と自分の考えとの擦り合わせが充分に為されない。その結果、せっかくの経験がリーダーシップをより深めることに繋がらなくなってしまう。したがって、持論を持った上でアクションをすること、またアクションをしながら持論に基づいて内省することがリーダーシップ開発には必要なのである。

 こうした自分自身の持論はなにも一つの固定的なものではない。様々な場面において、それまでの自分の持論を試してチャレンジする中で、その持論が通用しない場面や、複数の持論が矛盾してしまうこともあるだろう。そうした一見して矛盾が生じる場面をいくつも経験し、持論が試されることによって、選択が自分にとってしっくりくる持論へと深化していくのである。これはいわば、どのような場面においてどの持論が適切であるかというように、持論がメタレベルへと至る。

 このように持論を持ち、リーダーシップを開発していくためには、自分自身の内省とともに、他者からのフィードバックが重要な要素となる。本書では、ペプシコでの事例を紐解きながら、CEO自らによる一対一でのフィードバックの重要性が指摘されている。ここで誤解してはいけないことは、CEOが自分自身のクローンを養成するためにフィードバックをすることではない、という点である。あくまで多様な個人と多様なリーダーシップのあり方を前提とした上で、ペプシコならではのペプシコに求められるリーダーシップという観点でフィードバックが為される。

 フィードバックは、フィードバックをされる側にとってのリーダーシップ開発にとって有用なことは言うまでもない。しかし同時に、フィードバックをする側にとっても、貴重な学習機会となる点も見逃せないだろう。自分が話すことではじめて、自分が何を大事にしているのかということが導き出させるのである。この結果、フィードバックは両者にとっての学習機会となり、さらには、企業であれば方向性を共有することでサクセッションプランを進めるというメリットもあるだろう。

 他方で、自社におけるリーダーシップのあり方についてトップに任せるだけでは不十分であろう。むしろ、人事や人材育成を担うスタッフが、自社において理念を体現するハイパフォーマーたちへとインタビューをすることで、ボトムアップでリーダーシップのあり方を言語化する努力もまた必要である。そうしたボトムアップのアプローチと、トップによるトップダウンのアプローチとをすりあわせることで、自社にとって求められるリーダーシップの姿を明らかにするのである。これは、人事や人材育成のスタッフが、信念を持ってやり遂げるべきものであろう。

 ではリーダーシップ開発を継続した後になにがあるのか。それを上昇志向のように感じることは誤解であると著者は指摘する。そうではなく、人間力を深化させる方向へと自分自身を発達させることであるという。これはCCLが主張している「円熟したリーダーシップ」と親和性が近いと言えるだろう。多様なフォロワーの相矛盾する利害を人間力で止揚して見えないものをともに見ようとしつづける姿勢が、リーダーシップを持続的に開発するということなのかもしれない。

2012年9月2日日曜日

【第104回】『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009年)


 盧溝橋事件の約半年後に、当時の首相であった近衛文麿が蒋介石へ「爾後、国民政府を対手とせず」という声明を出したことは中学・高校の日本史でも有名な史実である。私も記憶にはあったが、その意味するところを正しく理解していなかった。著者によれば、これは盧溝橋事件以降の日中の戦闘状況を戦争とみなしていない、ということであったようだ。つまり、国家同士の戦争ではなく、不法行為を働く匪賊を討伐するという討匪戦として認識していたのである。

 戦争ではなく、相手を対等な関係性のものとはみない。これは2001年のテロ以降にアメリカが相手を対等な関係性を持つものとみなさず、当然のこととして武力行使に踏み切った考え方と同じである、とする著者の指摘は鋭い。こうした指摘から考えられるのは、歴史とはアナロジーであり、史実を丹念に調べて分析を行うことで、現在以降の見通しを立てるということが歴史学の本分なのであろう。

 ではどのようにすれば歴史から学べるのか。

 著者は「いかに広い範囲から、いかに真実に近い解釈で、過去の教訓を持ってこられるかが、歴史を正しい教訓として使えるかどうかの分かれ道になる」と指摘する。つまり、歴史を時間軸と空間軸の二つから幅広く理解しておくことが一つめの鍵となる。二つめとしては、それを自分自身にとって都合の良い形ではなく、できるだけ真実に近い客観的なものとして解釈するということである。むろん、歴史は語る主体によって意味合いが揺れるものであるから完全な客観性というものはないが、作為的な変更を避けるという態度は必要不可欠であろう。

 では1930年代の日本はなぜ歴史から学べずに戦争へと至ったのであろうか。

 著者の指摘によれば、その一つの理由として当時の日本がイギリスやアメリカ、ソ連(ロシア)といった先発的な帝国から見て後発的な帝国であったことが挙げられる。すなわち、先発的な帝国が自国の経済を発展させるという目的で植民地を拡大させていったのに対して、日本は安全保障上の考慮として植民地獲得に走ったという。つまり、当時の日本にとっては、中国や東南アジアはソ連やアメリカといった脅威からの防衛線として「守る」という意識であったのであろう。

 ここで述べたいのは自衛だから正当化されるということではない。むしろ、当時の日本が自衛という名目で戦争へと突き進んだ経緯から学ぶべきことがあるということである。日本の歴史では自衛を美化する傾向が強い。古くは鎌倉時代における「蒙古襲来」を神風によって自衛したという例がある。自衛による正当化を用いて野心的なことを述べる政治家や評論家の詭弁にだまされないことが、歴史から学ぶということなのではないだろうか。

2012年9月1日土曜日

【第103回】『リーダーシップ開発ハンドブック』(C.D.マッコーレイら、金井壽宏監訳、白桃書房、2011年)


 修士課程の学生だった頃、また大学の研究機関で研究員として働いていた頃、よく図書館の中の書架を無目的に渉猟していた。ITを駆使して先行文献をリサーチすることも大事であるが、その一方で実際に本の背表紙を見てピンと来る良い本に巡り合う機会は一度や二度ではなかった。本書は、私の興味関心や業務内容としても当然チェックしておくべき書籍であったが、なぜか検索の網の目をすり抜けていたようで、名古屋駅の丸善を渉猟していて偶然見つけたものである。やはり大学の図書館や大きな書店に足を運ぶことは、私にとって欠かせない活動なのだろう。

 CCL(The Center for Creative Leadership)の存在はずいぶん前から知っていた。しかし、CCLが具体的にどういった理論をもとにリーダーシップ開発に取り組んでいるのかについては恥ずかしながら無知であった。書名にもある通り、本書はCCLの考えるリーダーシップ開発のあり方やその具体的な実践の一部をコンパクト(とはいえ400頁超の分量はある)にまとめたものである。金井先生が最後に書かれている通り、研究者や人事・人材育成を担当する方はもとより、プロジェクトマネジャーやリーダーシップを発揮したい方にとって有益な示唆に満ちている。

 リーダーシップ開発というイシューを考える上で、それを単独のイシューとして捉えると機能しなくなる。すなわち、経営上のイシューの構成概念としてリーダーシップ開発の位置づけと役割を考える必要がある。企業の中長期的な成長に向けて、リーダーを継続的に能力開発する、という基本的なスタンスが企業には求められる。本書ではそうしたリーダーシップ開発のアプローチとして、成長を促すためにはアセスメント、チャレンジ、サポートという三つの要素が求められるとする。

 第一のアセスメントにおいては、360度フィードバックが主流となる。上司、部下、同僚、顧客といった自身を取り巻くステイクホルダーから多様なフィードバックを得ることで、他者から見た自分と自身が認識する自分との相違を把握することが気づきを与える。それに加えて本書が付け加えているポイントは、「究極のスキル群」という自社において求められるリーダーシップのコンピテンシーセットと、自身のコンピテンシーセットとを比較することである。これによって、求められるレベルと自身の現状のレベルとを明快に把握することができ、具体的な今後の自身の成長プランを策定することができる。アセスメント結果が継続的な育成や開発の指針となるわけである。

 ここで大事な点は、360度フィードバックを単発のイベントにしないということである。本書で述べられている研究成果によれば、三日間のフィードバックセッションという時間を掛けたFIP(Feedback Intensive Program)を半年に二回程度行うことが大きな効果をもたらすそうだ。

 もう一つ触れておくべきポイントは「究極のスキル群」の具体的なイメージである。私たちは通常、優れたリーダーの資質として、ビジョンを描く、戦略を策定する、人を巻き込む、といった厳しく仕事を行うイメージを持つが、著者によれば必ずしもそうではない。むしろ、リーダーシップ開発のゴールは円熟したリーダーを育成することであるとしている。つまり、厳しさと思いやり、自信と謙虚といった一見すると相反する要素を併せ持ち、物事に対して柔軟に行動できる存在が理想であるとしているのである。

 こうしたアセスメントの後には、具体的な業務上のチャレンジを設計することが第二の要素として必要となる。チャレンジにおいて最も大事な点は、それを集合研修やケースといった仮想の場で鍛えるのではなく、あくまで職場で行うことである。仮想の場はあくまで職場での経験を補うものにすぎない。したがって、パフォーマンス・コーチングを通じて内省を支援することがチャレンジでは必要になるだろう。

 ここで、誰がコーチするかという点に注目する必要があるだろう。つまり、人間関係を通じて成長が促進されるという側面である。著者はそうした人間関係を通じた成長のポイントとして二点を取り上げている。一つめは多くの役割を提供する人間関係が大事であり、換言すれば、指導する人と指導される人といった単一の役割ではなく、多様な役割の関係性を築き続けることが必要なのである。二つめは、その人がコーチングを必要としているまさにそのタイミングで的確な役割を提供できることである。的を得た支援の内容であっても、それがあまりに遅すぎれば気づきは大幅に減衰せざるを得ないのだ。

 第三のサポートという観点は、アセスメントとチャレンジをいかに持続させるかというものである。まずアセスメントの結果は、能力開発以外の目的に使用しないという点が重要である。これは人事情報をコーポレイトが集約する傾向が強い日本型企業においては困難な発想かもしれない。したがって、人事や経営サイドの欲望をいかに抑えるか、ということが鍵となるだろう。実際に、CCLは360度フィードバックを能力開発の目的でのみ利用しているという。というのも、アセスメントの結果が会社に公表されるということがわかっていると、評価者の反応が変わってしまうことが研究成果から明らかであるからだそうだ。

 さらに360度フィードバックでは企画主体にこまやかな心配りが求められる。たとえば、ある評価者区分では人数が著しく少なくなってしまって評価者が推察されてしまうことが起こりえる。そうした際には基本的にはその区分におけるスコアは書かないようにするのがセオリーである。しかし、上司だけは例外であると著者は述べる。すなわち、部長以上のアセスメントを行うと上司の数は限られることが通常であるが、上司からの評価は重要な気づきを促すことが多い。そこで著者は、上司に対して回答の匿名性が守られないことを事前にはっきりと伝えるべきであるとした上で、たとえ評価者が一人であってもフィードバックすべきであるとしている。

 さらには、リーダーシップ開発のプログラムの中では真摯に自分自身に向き合ってもらうことが必要である。それに伴う否定的な感情については根気よく支援する必要があるだろう。すなわち、コンテンツ自体では率直なフィードバックやチャレンジをしてもらう必要があるが、プロセスにおいては人事や人材育成担当者が継続的なケアを心がける必要がある。企画側として、大いに考えさせられる大事な視点であろう。