2012年11月24日土曜日

【第125回】『インテグラル理論入門Ⅰ』(青木聡ら、春秋社、2011年)


 これまで何人かの方からケン・ウィルバーを勧められてきた。そのたびに彼の著作に挑んでは理解できずに落胆する、という繰り返しであった。先日、組織開発の専門家の方と話していて再びウィルバーの話題になった。私がこれまで理解できずにいたことを告げると、ウィルバーを理解しようとするのではなく、インテグラル理論を理解しようというスタンスで読んでみてはと勧められた。ありがたいアドバイスに従い、今回は入門書を読んで彼の理論を理解するよう試みたところ、今の私にとっては適切な方論であったようだ。

 ではインテグラル理論とは何か。著者が端的に記している四つの特徴が分かり易い。一つめは多様性の尊重であり、共感的な理解に基づいて多様な存在や世界観の価値と限界を認識する、ということである。第二に、歴史的・人類史的な視野が挙げられている。これは人間存在を普遍的に規定する諸条件(実存的条件)を認識する、という意味合いだ。三番めの現代的・惑星的な視野という独特な言い回しのものは、同時代を集合的に規定する生存条件を認識する、ということである。最後の構造的な視野は、衝突し合う存在と存在の間に構造的・深層的な相互関係を認識する、という内容である。

 こうした包括的・統合的な理論は、何もそれ自体を理解することにのみ意味があるということではない。むしろ、そうした視座を大枠として把握することで、いまこの瞬間に自身が所有している能力や視野に気づくことが大事であろう。自身の思考や認知の枠組みを全体像の中で位置づけた上で、どのような状況のときにどういった枠組みを利用するべきかを自覚して行えるようになることに意義がある。いわばメタレベルにおける認知の枠組みとしてインテグラル理論は有効なのではなかろうか。

 自身の枠組みを理解し、それを常に更新するという作業は発達心理学との親和性が高い。本書でもアイデンティティの否定と成長の重要性として指摘されている。血液型診断や適職診断といった一つの正解を探す傾向が強い文化圏においては、アイデンティティは唯一固定の先天的なものであるという誤った捉われ方をされがちだ。しかし、発達心理学においては、これまで自覚していた自身のアイデンティティを否定していくことで初めて次のレベルへと発達するという考え方をとる。すなわち、複数のアイデンティティを持ち、自身の人生のプロセスに従ってその中身の入れ替え作業をすることで、翻って中長期的に安定したアイデンティティを維持できる。

 こうした動的な発達のプロセスの中における自身の現状を把握するという文脈の中で、タイポロジーが活きてくる。つまり、静的な意味での自身を知るためではなく、変わり続ける自身の定点観測としてタイポロジーが有効となるという点に注目したい。実際、ユング心理学者として有名な故河合隼雄氏は、タイプを分類することについて、「ある個人の人格に接近するための方向付けを与える座標軸の設定」であって、それは「個人を分類するための分類軸を設定するものではない」と強調している。

 発達し続けるということは、自身が拡散していくということでもある。しかし、際限なく拡散し続けることは統合失調症をはじめとしたパーソナリティの分裂に至りかねない。そこでどのように統合するか、という視点が同時に求められる。

 インテグラル理論の字義的な概念自体にも関わる統合について、著者は、価値観が相対的であるという前提のもとに、異なる価値観に対してオープンになることが重要であるという。これは、なにも外の世界における価値観の多様性だけではなく自身の内なる多様な価値観に対する開いた態度ということであろう。その結果として、自己の深層的・実存的な多様な基盤を確立し、そうした多様な視点をもとに動的な共感能力を他者や社会に対して発揮する、ということが統合のあり様とされている。

 このような統合を志向することは、世の中に敷衍する玉石混淆の理論や主張を仕分けする能力を身に付けることに繋がるという著者の主張は重たい。情報が多いことは良いことであろうが、その中で溺れないためには自分自身が情報を仕分ることができるメタな認知能力を持つことが求められる。良くも悪くも、私たちはそうした社会に生きているということを自覚しておきたい。

2012年11月18日日曜日

【第124回】『街場のメディア論』(内田樹、光文社、2010年)


 本書は、著者の大学での講義をもとに編まれたものだという。著者の専門領域や書名から、第一講の「キャリアは他人のためのもの」を目にした時はいささか驚いた。しかしその内容はすばらしく、社会人になる前に講義を聴いた学生は幸運だ。入社前の学生はもちろんのこと、入社して数年までの社会人にとって、キャリアについて考えたい方は、この第一講をまず読んでみてほしい。書かれているエッセンスは、現在のキャリア理論と符号するものであり、換言すれば、現在および数年後までを射程とした職務や職場環境に適した考え方である。いたずらにスキルアップや思考法を売り込むだけの自己啓発本にはない地に足のついた論調が、本書にはある。

 特筆したいポイントを三つ挙げながら、それについて考察していく。

 第一に、自分にとっての天職や目指すべきキャリアから演繹的に今の仕事を選び取るのではなく、まずは手と足を使って仕事をしてみることが大事である、という点だ。その結果として、自分がどのようなことに意義を感じて、自分の強みを活かせるのかが腹落ちする。そうして工夫をし続けることで、ふと振り返ってみると自分のキャリアのパターンが見えてくる。そうした帰納的なアプローチが重要なのである。

 こうしたキャリアの考え方を結婚をアナロジーとして用いているところも分かり易い。すなわち、結婚というものをベスト・マッチングで捉えてもいたしかたがない。結婚相手に求める条件をスペックで書き出してみたところで、結婚生活を送ったことがない状態で、結婚後の状況を鑑みてよい結婚相手を選ぶことなどできない。むしろ、結婚を直感的に決断し、結婚生活を送る中で自分自身を知り、相手を知り、その関係性をどのように良くしていくかを常に考えて実践していく。こうした、自身の価値観をも柔軟にストレッチさせることにフォーカスする方が生産的であるだろう。

 第二の点は、与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するという考え方である。人生やキャリアというものは、ロールプレイングゲームのように真っ白なゼロの状態から自分のあるべき姿を創り上げられるものではない。良くも悪くもこれまでの自分の蓄積の延長線上に描き出すのが現実である。したがって、所与の条件をありきで、いかに自分自身の中にある多様な可能性を開発していくか、というところの勝負になる。

 この時に、自分の適性から職業をマッチングするのではなく、いかにいま自分が置かれた環境に適応させるか、という視点が求められる。むしろ、そうした自分をストレッチさせる機会をいかに創り込むかということが鍵になるだろう。受身で待っていてもそうした機会は多く訪れるわけではないのだから、そうした機会が訪れた時にそれをセンスしキャッチできるように常にアンテナを高く張っておくことが肝要だろう。

 第三に、まずは遠大な目標に向けて取り組むのではなく、目の前の他者からの期待に答えるというシンプルな目標に集中するということである。他者から見て、こういう仕事をきちんとしてくれたらありがたいという期待に一つひとつ答えていく。こうしたことが翻って結果的に第二の点である良質な機会を生み出すことに繋がる。

 著者によれば、こうした他者の期待に答えることによって自身の潜在的な能力が開発されるもので、反対に自己利益を追求しようとすると、自身の分かりきった顕在的な能力にばかり注力してしまう。その結果、当座のマーケット・バリューの上下に一喜一憂することになり、継続的な自己開発には繋がらないのである。本来は多様な可能性のある自己を発掘し続けることが、自身の豊かなありようを開発することになるのではないか。


2012年11月17日土曜日

【第123回】『老人と海』(ヘミングウェイ、福田恆存訳、新潮社、1966年)


 大学生の時に「For whom the bell tolls」を読み終えるのを挫折して以来、恥ずかしながらヘミングウェイを読んだことはなかった。人物の心象風景の描写が巧みで、引き込まれる。老いによる衰えを自覚しながらも大海原へ漁に一人で向かう老人を中心に話は進む。彼を取り巻く存在として、対峙する巨大な獲物、獲物を横取りしようとする鮫、そして老人を慕う若者、が登場し、そのやり取りのほとんどは老人の内省である。この内省が読み手の文脈に即して考えさせられる。

 「あらゆるものが、それぞれに、自分以外のあらゆるものを殺して生きているじゃないか。魚をとるってことは、おれを生かしてくれることだが、同時におれを殺しもするんだ。」

 大魚との三日三晩にわたる闘い。その果てに得た獲物を自宅まで運ぶ際の鮫との闘い。老人が力任せということではなく、自然に身を任せつつ、同時に自然の猛威に敢然とあらがいながら苦闘するシーンは読み応えがある。その果てに、大魚を狙う鮫を殺すことに対して疑問を抱いて自身を省みているのがこの場面である。

 自分の獲物を他者が狙うことに憤りをおぼえて、それに対抗することを正当化しながら、獲物を殺した時点で、他者と同じなのではないか、という疑いの目を自分に向ける。つまり、生命の連鎖というシステムの中に存在している以上、誰が食べ物を殺したのかということではなく、全てが全てに責任を持つということなのではないか。生命システムと一見して断絶した世の中に住むわたしたちにとって、そうしたシステムの一部を担う私たち人類という視点を思い返させられハッとさせられる。

 さらに、海における長い日中夜の闘いの中で、老人は自らを鼓舞するためになかば自覚的に独り言を言う。しかし、闘いに疲れて帰宅して憔悴しきって熟睡した後に目を覚ました時に、かつての弟子である少年がそばにいて話すことのたのしさにふと気づく。それが次の描写である。

 「だれか話し相手がいるというのはどんなに楽しいことかが、はじめてわかった。自分自身や海に向っておしゃべりするよりはずっといい。」

 一見して当たり前のことが書かれている。むろん、他者と話すことは楽しいことである。一人で話すよりも楽しいに決まっている。しかし、ここには上記のような深い内省における独り言をも超越するなにかがあるという対比軸があることに注目したい。その超越するなにかとはなにか。

 それは他者目線を持つことによる、一段深いレベルへの内省へと至ることではないか。他者や自然に対して拓くことによって自分自身の可能性が高まるということなのではないだろうか。

2012年11月11日日曜日

【第122回】Number816「日本最強のベストナイン」(講談社、2012年)


 最近はあまり野球を見なくなったが、日本シリーズだけは毎年見ている。クライマックスシリーズあたりからそわそわして日本シリーズを見るという流れがここ数年で定着しつつあるようだ。そして日本シリーズが終わるとNumberが特集号を必ず出すものだから、どうしても買ってしまう。日本シリーズの各試合の分析がいつも面白く、今回も期待を裏切らない出来であった。

 今年の日本シリーズ特集号の中で興味深く読んだのが杉内俊哉投手へのインタビュー記事である。

 彼をはじめて認識したのは、鹿児島実業のエースとして松坂大輔投手を擁する横浜高校と対峙した夏の甲子園の時である。横浜高校を応援していた身としては、その前の試合でノーヒットノーランを達成した杉内投手は脅威であったが、興奮しながら試合をテレビ観戦したように記憶している。

 その彼が今号のインタビューで述べていることがメンタル面での自己管理についてである。若い頃には「マウンドで自分と戦っていた」と振り返りながら、ピッチングで一番大切なこととして「逃げ道を作る」という独特な表現を用いている。

 ここでの逃げ道とは、他者からの逃げ道ということではないことに注目したい。したがって、打たれたときの言い訳として逃げ道を用意するということではないのである。そうではなく、マウンド上でいたずらにもう一人の自分という幻想と戦わないための工夫であり、気持ちの整理をつける場所を作っておくということなのである。

 その効用として「開き直れれば、気持ちを切り替えることができる」ために「一年を通じて、コンスタントに勝つ」ことに繋がるのである。ただ単に意識を前向きに持つのではなく、一見して後ろ向きに見える意識変容を通じて前向きな行動に着実に結びつけること。こうした高いプロフェッショナル意識に基づいた自己管理術は、ぜひ取り入れたいポイントだ。

2012年11月10日土曜日

【第121回】“Inside Apple”, Adam Lashinsky, BUSINESS PLUS, 2012


Just before new product is launched by Apple, there are many rumors about it, whether they are right or not. In other words, there are few facts from inside Apple. This book revealed what we didn’t know precisely, so it will be excited for most Apple fans to read.

In this book, there are a lot of unique ideas and actions by Apple and former CEO Steve Jobs. I’m going to write about three topics which I was totally interested in as below.

(1) how to work

According to this book, Apple employees come to work only to work. They like to do hard work every minutes for achieving their tough target. They can’t separate their works into their lives. So, even when they have vacation and go to resort with their family, emergency call from the company sometimes make them go back to their office.

And it is very interesting for me that Jobs let people’s talent define their jobs, not the jobs define the people. It is totally different from other US companies, and is similar to the old style Japanese companies. Considering about what Jobs once loved old Sony, he might learn from it about designing work at Apple.

(2) relation to customer

Jobs considered user interface (UI) as the most important factor to be successful of Apple business. So he wanted to control every interfaces to Apple users through the perfect vertical integration. He integrated laptop computer, music player, browsing service, online stores, and real store into one Apple business.

So why they made Apple Store is very interesting. The main purpose of Apple Store is not to sell their products, but to hear the customers’ voice. Hearing their voices, Apple can find out customers’ hidden needs and develop innovative and cool new products.

(3) management and leadership

Jobs did micromanage to high degree and to a low level in the organization. This Jobs’ attitude and action is far beyond the knowledge of today’s management and leadership. For most CEOs, drawing big picture and making big decisions are their jobs, and judging too many micro works are not. But Jobs did. This point made him far different with other CEOs, and gave him broader business knowledge and idea based on real works.

The most amazing thing is that Apple has succession plan. Tim Cook was chosen far before Jobs retired his CEO position. Based on Apple’s succession plan, Cook succeeded Jobs’ postion naturally. And also Jobs prepared many training courses to grow leadership in Apple. Considering about these strategies, Apple is not Jobs’ company.

2012年11月3日土曜日

【第120回】『ハイ・フライヤー 次世代リーダーの育成法』(M・マッコール、金井壽宏監訳、プレジデント社、2002年)


 後継者育成、次世代リーダー育成、ハイポテンシャル人材開発。様々な表現の違いはありながらも、企業の中長期的な成長を担うリーダーシップを開発することが必要であることに異議を挟む人は少ないだろう。ジャック=ウェルチの次を担うGEのCEO選抜プログラムが注目された2000年前後から、日本企業においても、リーダーシップ開発に対する機運が高まったように思える。企業の中で次世代リーダー育成の企画や運営を担う部門で働く方にとって、本書は理論的なバックボーンを提供する必読書である。

 優れた経営書とは、抽象度の高い理論化がなされながらも、現場への示唆に富んだもののことを指す。しかしそれは他方で、簡潔にまとめることが難しいということにも繋がりがちだ。ポイントを絞り込むことで大事な点が漏れてしまうことを恐れてしまうのである。本書の場合も、本文を読み終えた段階ではこうした不安が頭をよぎった。しかしありがたいことに、監訳者である金井先生が五つの意味合いというかたちであとがきにポイントをまとめてくださっている。私にとっては納得的であると思えるので、この五つのポイントを引用しながら述べていくこととしたい。

(1)人は経営幹部に至るまで、いくつになっても発達するという基本的発想

 次世代リーダー育成やハイポテンシャル人材育成というイシューにおいては、人材の選抜にフォーカスされることが多い。選抜が重要であることに異論を挟むつもりは毛頭ない。しかし、何を基準として選抜するかについての議論がなされなければ、選抜に工夫を凝らしても意味はない。

 選抜基準においては、どうしても過去の実績や職務経歴といった面が重視されてしまう。とりわけ、短期的な成長が求められている昨今においては、直近の実績が必要以上に評価されてしまうというハロー効果がともすれば生じがちだ。しかし、過去のスタティックな経験が将来の中長期的な成長を組織として実現できるかどうかということに合理的な理由はない。環境変化の激しい現代において、その傾向はより顕著になっている。したがって、将来において求められる能力をもとに選抜の基準を作成することが求められるが、将来のビジネスを現時点で透徹することはほぼ不可能だ。そこで、著者が述べている、リーダーシップに関する才能の必要条件は「経験から学ぶべきことを学ぶ能力」という点が鍵となる。経験から学ぶ能力をもとにリーダーシップ人材要件を定義することが、まず最初の一歩となる。

(2)リーダーシップという観点から人を育てるのは、経験だという視点

 リーダーシップ論は特性論、すなわち優れたリーダーが保有する生来の才能の研究から始まった。その結果、生まれついて保有している他者との違いがリーダーシップを形成しているという言説は今でも日本の企業現場では優勢な考えとなっているように思える。たしかに生まれついて持っている才能が有効な影響を与えることはある。しかし、そうした才能を持っているだけで果たしてリーダーシップを発揮できるのであろうか。類い稀な才能を持った方は、それを努力によって磨き続け、時に失敗を繰り返しながらも他者に働きかけ続けることでリーダーシップへと結晶化しているのが現実である。

 たとえば、第一回・第二回のWBCにおけるイチロー選手を思い起こしてほしい。彼のバッティングセンスはおそらくは生来の類い稀な才能に因るところもあろう。しかし、それをパフォーマンスへと結実させたのは、彼が小学生時代に書いたと言われる作文を読めば分かるように、常人から計り知れないほどの努力の量によって裏打ちされている。また、日本代表の他の選手への働きかけも、下手をすればピエロと見られかねないほどのパフォーマンスを、外からは躊躇していないように見えるほど大胆に行っている。そうしたリーダーシップ行動が奏功して戦う集団を創り上げ、見事に二連覇を成し遂げるという結果を出しているのである。労せずして優れたリーダーが生来保有する才能によって生み出されるということは非現実的であろう。

(3)だからといってラインに放置するのではなく、経験を系統立てる方策を追求

 これほどまでに経験が大事であれば、職場における日々の具体的な経験を積ませれば、リーダーシップが開発されるのかというと、そうしたことは起こらない。にも関わらず、経験の重要性を逆手に取って、何も指導せずに放置することを正当化する免罪符としてOJTという言葉がよく使われている。むろん、かつて放置型のOJTが一見して機能したこともたしかであろう。しかし、そうした時代においては、経済が右肩上がりで企業の成長スピードも早かったために、黙っていても手応えがあって挑戦しがいのある仕事が現場には溢れていた。同様にチャレンジングな仕事に燃える他の同僚と切磋琢磨する中であれば、成長しない方が難しかったであろう。

 しかし、時代は変わった。今後そうした状況が生じることを楽観的に想像することは、少なくとも日本社会では現実的ではないだろう。そこで、OJTを系統立てるという発想が必要となる。すなわち、職務設計の自由度を上げる、職務に対するリフレクションの時間を設ける、率直なフィードバックとコーチングをマネジャーが行えるようにする、といった工夫が求められるのである。

(4)ラインのマネジャー、人事部、経営者の役割を、人材開発という面から照射

 選抜された人材の経験をデザインすることの重要性は高い。しかし、それをいかに持続するかというのがこの四つめのポイントである。ここでの鍵は、責任主体はラインのマネジャー、人事部、経営者という三つが共同で担うという点である。

 経営者だけが次期CEOの選抜・育成にコミットしても、結局は掛け声倒れに終わってしまう。経営者が発破をかけて人事部が主導してプログラムを作成しても、現場がブラックボックスになってしまったら、選抜者がハシゴを外されてしまうのが関の山だ。三者が同じ方向性を持って取り組まない限り、貴重なリーダーシップ人材が脱線することを黙って座視することになりかねない。リーダーシップ人材の脱線とはすなわち、近い将来における企業の脱線を意味する。

(5)経験が大事というのを前提に研修の意味を再探索

 職場での経験を重視するこうした考え方を曲解すると、人材育成の場としての研修は無意味であると認識してしまいかねない。しかし、著者によればそれは大いなる誤解であり、著者自身が積極的にリーダーシップ開発の研修をCCL等で提供していた事実がそれを証明している。

 一つには360度フィードバックをはじめとした経験を内省してもらうツールと、それに基づくセッションの提供ということが挙げられるだろう。本書でも挙げられているように、フィードバックという言葉は本来は「出力の一部を入力に返す」という電磁気学の用語である。したがって、いかに他者の介在を少なくし、また余分な情報を削ぎ落して率直なフィードバックを行うか、ということは鍵であり、そうしたものを用いた研修やファシリテーションの有用性は極めて高い。「経験が大事だから」という言い訳をもとに研修を行わないことは、放置型のOJTと同じ穴の狢であることに人材育成を担う身としては肝に銘じたい。

 最後に余談を一つ。仕事において成長を促す経験を構成する主要な要素を著者が調査したところ、障害物という要素が抽出されたそうだ。困難があるほど成長が促進されるということはイメージし易い。この中で「頑固な上司」という点があることは意外であると同時に、理解できる方も多いだろう。上司が自分のやり方に固執して働きづらい、一方的な指示ばかりで分かりづらい、昔の自慢話ばかりする、といった上司にまつわる愚痴は尽きない。しかし著者によれば、こうした特徴を持つ上司は「頑固な上司」に該当することになり、そうした上司の下で働く部下にとっては成長の糧となるようだ。このように考えれば、「頑固な上司」の下で働くということにポジティヴに取り組めるようになる、という側面もあるのかもしれない。