2016年8月28日日曜日

【第613回】『日本の美を求めて』(東山魁夷、講談社、1976年)

 著者の作品が好きで、何度か美術館を訪れたことがある。その世界観を好きな方であれば、著者の絵画の世界観の奥深さを垣間見ることができる本書は興味深く読めるだろう。

 風景とは何であろうか。私達が風景を認識するのは、個々の眼を通して心に感知することであるから、厳密な意味では、誰にも同じ風景は存在しないとも言える。ただ、人間同士の心は互いに通じ合えるものである以上、私の風景は私達の風景となり得る。私は画家であり、風景を心に深く感得するのには、どこ迄も私自身の風景観を掘り下げるより道は無いのである。しかし、画家の特殊な風景観が在るのだろうか。私は画家である前に人間である。(15~16頁)

 なぜ風景を描くのか。写真とは異なり、風景を絵画作品として描く理由が、端的に示されている。自然の中に入り、その中から自分自身というフィルターを通じて世界を描き出す。そこには、画家という特殊・個別的なものの見方から、一人の人間としての他者と共感可能なものの見方によって風景を描くという態度が現れる。

 私はずっと以前から、自分は生きているのではなくて、生かされていると感じる、また、人生の歩みも、歩んでいるのではなくて、歩まされていると感じる、そういう考えのもとに今日まで、自分の道をたどってきたような気がするのです。
 私は宗教心の薄いものでありますから、私がなにによって生かされ、なにによって歩かされているかは、わからないのであります。しかしそう感じることによって、地上に存在するすべてのものと自己とが同じ宿命につながる、同じ根をもつ、同梱の存在であると感じたのです。
 それ以来、私の見る風景、私の相対する風景の中に、私の心につながる大自然の息づかい、鼓動、そういうものがきこえるようになってきたと思われるのです。(59頁)

 著者の自然に対する姿勢は、人生に対する姿勢へとつながるものであるということがここで明らかにされている。生きるのではなく生かされる、歩むのではなく歩まされるという感覚。一見すると受身な態度にも捉えられるが、むしろ自然という大きな存在への謙虚な姿勢によって、自然を感じ取るという積極的な態度と言えるのではないだろうか。


2016年8月27日土曜日

【第612回】『人間に格はない』(玄田有史、ミネルヴァ、2010年)

 労働経済学という観点から日本の現代の雇用について示唆的な論考を世に出し続ける著者による大部。「格差」という概念定義から丹念に探究する意欲作である。

 以下では労働時間を扱った第7章を取り上げる。

 本章の重要な発見として、2000年代初頭には、勤続10年未満の就業者ほど長時間労働化する傾向が、以前に比べて強まっていたことがあげられる。1990年代から2000年代初めに正社員の採用条件として、一部の企業のあいだで広まった「即戦力」志向という風潮は、長時間労働を厭わない人々を企業が求める傾向の強まりを意味していたことを、その結果は示唆している。(228頁)

 日本企業における長時間労働は以前から指摘されてきた。しかし、2000年代初頭からの傾向として、そうした長時間労働の担い手の若手化が進んできたという。この若手社員の長時間労働の背景には、企業側からの早期戦力化が求められてきたという要因が影響している。

 さらに入社2年以上5年未満といった短期勤続層では、長時間労働に直面した場合に離転職を希望しやすいことも確認された。短期勤続層への週60時間以上労働の広がりは、入社後まもない人々の離転職希望の増加につながった。なかでも1990年代後半以降、転職希望の理由として、時間的・肉体的負担の大きさを挙げる傾向が、勤続年数2年未満の長時間労働者の間で強まった。長時間労働に伴う業務負担の高まりが、短期勤続層の離転職の背景にあったことを、そこからはうかがえる。(228頁)

 さらに、入社2~5年の社員に限定すれば、週60時間以上の労働が離転職を希望する傾向を強めたようだ。入社から年が経たない若手社員にとっての長時間労働に、企業は十分にケアする必要があることは間違いがない。もっと言えば、2010年代以降の入社者は、長時間労働どころか残業自体を嫌う傾向が強い。それを念頭に置けば、より長時間労働へ留意する必要があるだろう。


2016年8月21日日曜日

【第611回】『昭和陸軍全史1 満州事変』(川田稔、講談社、2014年)

 戦前における陸軍将校の暴走、それを追随する陸軍中枢と、陸軍の協力が必要なために否定できない内閣による後追い対応。その結果として日中戦争から太平洋戦争へと泥沼の戦争へと日本人は進んでいった。本書を読む前、何が日本人をあの戦争へと誘ったのかの理由を、私はこうしたステレオタイプな内容で理解していた。

 しかし、極端な政治思想による人物が、合理的でない思考によって当時の日本の世論を形成したのではなかった。本書を読んで、空恐ろしい感覚をおぼえた。なぜなら、当時の日本陸軍を満州事変へと誘導した一夕会の中心人物である永田鉄山や石原莞爾の思想には、通常の理解能力を持つ人間を納得させる論理を持っているように私には思えたからである。戦争へ導く考え方は、極端な思想の持ち主によって提示されるのではないのではないか。むしろ、良識的に思える人による、合理思考が合わさったものが、私たちを破滅的な事象に追いやることがあり、あの戦争の背景にもそうしたものがあったのだろう。私たちが歴史から学ぶべきことは、単純化した分かりやすい構図による結果としての歴史ではなく、謙虚にプロセスから学び取ろうとする姿勢ではないだろうか。

 本シリーズの第一巻では、満州事変へ至る過程について述べられている。

 一般に、統帥権の独立が、昭和期陸軍の暴走の原因となったとされている。だが、彼らは統帥権の独立ではむしろ消極的だとし、陸軍が組織として国政に積極的に介入していく必要があると考えていたのである。(73~74頁)

 まず、統帥権の独立を陸軍が強く主張して戦争へと至ったとする一般的な説を著者は否定する。むしろ、当時の陸軍は、組織として国政に入り込むことを戦略的に推し進めていたのではないか、としているのである。そのために、まずは陸軍の組織内において、一夕会は自派の勢力を浸透させようとした。

 陸軍中央の主要実務ポストを一夕会会員がほぼ掌握することとなった。一夕会が岡村補任課長就任を契機に急速に人事配置を推し進めていることが分かる。彼等の任期は通常一~二年で、それほど遠くない時期での武力行使が想定されていたといえよう。
 また、一九二八年(昭和三年)一〇月に、石原莞爾が関東軍作戦参謀に、翌年五月には、板垣征四郎が関東軍最高級参謀となっている。これは岡村の補任課長就任以前だが、その頃には一夕会会員となる加藤守雄が補任課員で、その働きかけもあったものとみられている。(85~86頁)

 一夕会は、中央のポストとともに満州における実務ポストをも掌握することに成功する。しかし、人事異動における組織の論理が示す通り、一つの状態が恒常的に続くわけにはいかない。したがって、一夕会が主要ポストを占めたタイミングは、大きなチャンスであるとともにそれを逃すと次のチャンスまで時を待つ必要があることを意味する。こうした微妙なバランスのもと、満州事変へと駆り立てられるように進むこととなる。

 永田・石原らによって、満州事変が推し進められ、それを契機に、陸軍での権力転換が実現し、さらに政党政治が崩壊することとなった。そして、満州事変は、その後の軍部(陸軍)支配、日中戦争、そして太平洋戦争への起点となる。(359頁)

 国家総動員論により持久戦争が求められるとした永田と、アメリカとの世界最終戦論をかざして資源供給地としての中国を活用した戦争によって国家総動員による消耗戦を避けようとした石原。一夕会の中心人物である両名の戦争に対する考え方は異なっていたが、満州事変という途中段階においては同じ思いであったようだ。満州事変後の陸軍内の政治抗争により永田は暗殺され、その後に石原もまた失脚することとなる。しかし、永田の思想は統制派に、石原の思想も田中新一へとそれぞれ受け継がれ、日中戦争から太平洋戦争へと歴史は動いていく。


2016年8月20日土曜日

【第610回】『マネジメント【エッセンシャル版】基本と原則』(P.F.ドラッカー、上田惇生編訳、ダイヤモンド社、2001年)

 著者の書籍については、もったいぶったような文章のせいか、もしくは翻訳との相性のせいか、これまで苦手意識を持っていた。『ドラッカーと論語』あたりから読み直したいと思い始め、本書を改めて読み直したところ、興味深い点がいくつも出てきた。

 マネジメントとは一つの仕事である。しかしそれは、マネジャーが専念しなければならないほど時間を要する仕事ではない。マネジャーに十分な仕事がない場合、マネジャーは部下の仕事をとってしまうものである。権限を委譲してくれないとの苦情のほとんどは、マネジャーが自らの仕事を十分持たず、部下の仕事をとるために生じる。仕事を持たないことは耐えがたい。特に働くことが習慣となっている者はそうである。
 十分な仕事を持たないことは、本人のためによくないだけでない。やがて働くことの感覚を忘れ、尊さを忘れる。働くことの尊さを忘れたマネジャーは、組織に害をなす。かくしてマネジャーは、単なる調整者ではなく、自らも仕事をするプレーイング・マネジャーでなければならない。(132頁)

 まことに不勉強ながら、著者がプレイング・マネジャーを必要不可欠なものとして重視していたとは知らなかった。「プレイング」の比重が増すことが、マネジメント不在の一つの原因として否定的に捉えられることもあるが、「プレイング」の要素は、著者が指摘するように必要である。部下の業務を管理するだけでは手応えが少なく、結果としてマイクロマネジメントによって、部下の業務を自分のものにしてしまうことになりかねない。

 成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。優れているほど新しいことを試みる。(145~146頁)

 成果主義という考え方が、2000年代前半から否定的に扱われてきて久しく、現在では既に定着しつつある。私自身は、成果主義を短期的な業績や過度な客観志向を伴うものに限定した場合には否定的に捉えているが、その本来有する可能性を否定しない。なぜなら、ここで著者が述べるように、本来は、成果という言葉は長期的に成し遂げることをも意味し得るはずだからである。長期的な観点から、様々な試行錯誤を主体的に取り組み、そこで得られたフィードバックをもとに工夫を凝らして成果を生み出すことは、仕事をする上で望ましいものではないだろうか。成果主義が本来持つポジティヴな側面に改めて光をあてる上記の引用箇所は、目から鱗が落ちるような部分であった。

 目標管理の最大の目的は、上司と部下の知覚の仕方の違いを明らかにすることにある。もちろん、上司と部下の知覚が違っていたとしても、それぞれにとっては、それが現実である。
 実は、こうして同じ事実を違ったように見ていることを互いに知ること自体が、コミュニケーションである。コミュニケーションの受け手たる部下は、目標管理によって、他の方法ではできない経験を持つ。この経験から上司を理解する。意思決定というものの実体、優先順位の問題、なしたいこととなすべきこととの間の選択、そして何よりも意思決定の責任など、上司の抱える問題に接することができる。(163頁)

 Googleに端を発してGEまでもが厳格な業績管理の運用を中止した現在において、目標管理に対して向けられる視線はネガティヴになりつつある。年次評価と対比する形で『アライアンス』で取り上げられている「コミットメント期間」には興味深い部分が強く、私も後者の意義に賛同する一人ではある。しかし、著者が述べるように、期間がどうであれば、目標管理には、上司と部下との双方向のコミュニケーションにより認識合わせができるという意義があることに変わりはないだろう。評価のあり方を捉え直すとしても、改めて、目標管理の意義を考えた上で、対応したいものである。


2016年8月15日月曜日

【第609回】『夏目漱石を江戸から読む』(小谷野敦、中央公論社、1995年)

 「もともと漱石がそれほど好きだったわけではない」という著者による漱石の解説本。江戸時代からの流れから読み解く興味深い設定もあり面白く読めた。私も好きな『行人』と『坊っちゃん』に関して記してみたい。

 まずは『坊っちゃん』から。

 『坊っちゃん』という作品が、「公平原型」ともいうべき伝統、ないしは荒事の伝統に新たな命を吹き込み、それ相応の完成度をもって登場しえたのには、時代背景との関連を考えねばならない。幕末から明治初期にかけて秩序は再び揺らぎ始め、そこに「野暮な正義漢」の活躍する余地、武士の精神に文学的表現を与えうる素地が生まれたのだ。もちろんそれは第一に、徳川家の崩壊であり、秩序の護持者としての源氏神話の敗北である。「教育の精神は単に学問を授ける許りではない、高尚な、正直な武士的な元気を鼓吹すると同時に、野卑な、軽躁な、暴慢な悪風を掃蕩するにある」(六)と山嵐は言う。ここから考えれば、坊っちゃんをこうした源氏神話を支える英雄像と見なすのも、かれらを佐幕として捉える見方を裏づけることになるだろう。(29~30頁)

 坊っちゃんを江戸時代における古き良き武士像として描いていたという大胆な仮説は面白い。理念型としての公平概念を重んじるという意味では坊っちゃんのイメージに合うようにも思える。

 この図式を推し進めると、あたかも作品の空白地帯のように、ひとりの登場人物が浮かび上がってくる。『坊つちやん』のなかで、重要な位置を占めながら極めて淡い印象しか与えず、その主体がどこにあるのかも詳らかでないままに、結果として「聖人」うらなりを裏切って、赤シャツになびいたらしい「マドンナ」とは、この図式に従うと、勤皇の志士たちによって思い描かれたユートピアの中心を占めるものとなるはずでありながら、洋行帰りの大久保・岩倉らによって建設されていった中央集権国家に取り込まれ、結果として江藤新平・西郷らを見殺しにすることになった天皇その人が姿を変えたものではないか。「聖人」は朱子学的文脈において、治者としての将軍をさす。この場合、マドンナの裏切りは、「朝敵」とされた徳川将軍の怨念とも言えようが、同時に、「武士」を滅ぼし、「攘夷」すら放擲した新政府への、勤皇の志士たちのルサンチマンも籠められていると見るべきではないか。(32~33頁)

 ともすると暴論ともされそうであるが、佐幕から奪われ、薩長の武士を重んじる側からも離れて政権に取り込まれた天皇をして、マドンナであると著者はしている。ご存知の通り、マドンナ自体は作品の中に実態としてほとんど出てこないが、その存在をめぐって坊っちゃん・山嵐が職を賭してまで行動に移させる。それはたしかにルサンチマンとでも形容できる得も言われぬエネルギーの放出と言えるのかもしれない。

 次に『行人』に移る。

 『行人』が奇妙なのは、そこに出てくる男たちが一様に「女がどの男を愛しているか」を問題にしながら、自分自身が女をどう思っているのかを語ろうとせず、語る必要があるとも思っていないことなのだ。(155頁)

 前期三部作からの系譜を踏まえて、行人において、漱石が描く男性が、女性からどう思われているかに異常に固執していることを著者は指摘する。漱石の描く主人公がどうにも煮え切らない理由がよくわからなかったが、こうして解説されると理解の第一歩になりそうだ。

 一郎もまた、精神病の娘は三沢に惚れていたという解釈に固執している。そう、彼らは皆、三四郎や与次郎の立派な後裔だったのだ。彼らの頭のなかに、「西洋の文芸」から学んだ恋愛という言葉が住み着いているとしても、それは江戸的伝統のなかで、ある本質的な変容を被ってしまっている。江戸的な「恋愛」とは、女が男に惚れることによって男の栄光を増す類のものなのである。(157頁)
 西洋の恋愛は、まず男が女性に全面的な誠実と忠誠を誓い、女性が自分を選びとってくれるのを待つものだとすれば、江戸的なそれは、女性が身を投げ出して男への「誠」を証明し、しかるのちに男はおもむろにこれを受け入れる、というものなのだ。(158頁)

 江戸時代における恋愛と、西洋における恋愛。前者から後者への移行の時代において、両者の間で悩み苦しむ男性の苦悩を漱石は描いていたのである。

 意図的かどうかは知らないが、漱石によるメレディスの誤読は、「西洋的恋愛」は精神的なものだ、という近代日本知識人の典型的な誤解、あるいは単純化を示している。実際の差異は、すでに述べたように、男が献身するか、女が献身するか、というところにあるのに、一郎といい、『こゝろ』の先生といい、それを「肉体ー霊魂」といった差異に求めてしまっている。(161頁)

 恋愛は一つの事象に過ぎず、漱石は、よく言われるように、近代における個を描き出したのである。その近代的個人の本質が、心身二元論の極端な対照として表されている。



2016年8月14日日曜日

【第608回】『老荘思想がよくわかる本』(金谷治、講談社、2012年)

 原本にあたりながら、時に解説本を読むのもいいものだ。独力では読み取れないものを、その領域の碩学がわかりやすく解説してくれる。解説本ばかりを読むのは避けたいが、原本と併せて読むのと、ゆたかな読書経験になるようだ。

 儒家のほうは、あるべき人間の姿、人間はどうあるのがいいか、つまり当為性といいますが、こうあるべきだという理想的人間というものを表立てていると思います。(15頁)

 それに対して、道家のほうは、あるがままの人間、つまり、社会人としてどうあるべきかというより、人間の本質、あるがままの人間、裸の人間というものを考える、というように分けることもできるかと思います。(16頁)

 中国古典の碩学による儒家と道家とを対比させた簡潔な要約である。どこか官僚的な印象のある儒家に対して、道家では、人間本来の可能性や全存在を肯定する思想である。しかし、ここで私たちがあるがまま=人間の欲望に基づいた生活という誤解を起こさないように釘をさすことも著者は忘れていない。

 老子にしても、荘子にしても、道家の人々は、あるがままと言いながら、欲望というものを否定するのです。これはどういうことか。つまり彼らがあるがままの人間と言っているのは、人間だけで考えていないのです。(17頁)

 欲望というものはある主体個人に関するものであり、その集合としての組織に関するものである。その結果、欲望は、個人だけがよければ、もしくは国家も含めて自分が帰属する組織だけがよければ、という行動原理に私たちを促しかねない。しかし、道家では、人間個人、その集合体である組織や人類、といった枠にとらわれず、世界全体を念頭に置いた概念として「あるがまま」を定義付けているのである。このスケール感で「あるがまま」を捉えることが、老子・荘子を理解する第一歩として重要である。

 こうした「あるがまま」をもとにした考え方に基づき、調和を重んじた行動原理が生まれる。

 対立は、相手を徹底的にやっつけなければ此方が生きていけないというような矛盾対立ではなくて、逆にとことんまでやっつけてしまうと自分のほうも存在できない、つまり相手とは反対だけれども、相手がいてこそ自分も存在するといった関係です。(116頁)

 ある他者との関係とは、一様なものではなく多様な利害が絡み合うものである。したがって、何らかの対立関係は、多くの場合に生じていると言えよう。こうした意味合いでの対立は決して悪いものではない。非Aが存在することによって、Aを自覚的に意識できるものであり、相反するものがあるからこそ、お互いが存在することができる。このように考えれば、全く一緒という同質的な連携ではなく、違いを踏まえた上での異質的な協調の有効性を考えることができるのではないだろうか。

 内にかえって自分を見るというのは、同時にそこに反映されている外の世界をも見ることで、つまりは全体を総体的に把握することです。(126頁)

 次に、自分自身との調和についてである。内省とは、自分の内面を省みることであり、必ずしも自分に閉じた行為ではない。むしろ、内側を見ることによって、翻って、他者や世界との関係性をも見ることに繋がる、と著者は読み解く。実際に内省してみれば分かるように、振り返って思い起こす場面には、たいていの場合に他者、それは実在するものでも書籍のように実在しないものであっても、が存在するものだ。したがって、自分を見ることは、広く外の世界を見ることに繋がるのであろう。

 真実のものを見抜くというのは、外からたくさんの知識を集めるということではない。たくさん得たからわかるというものではない。そういうことよりも、本当は何が大事かということを見きわめる、そして選び分けていく力を持つ、そういうことだと思うのです。(142頁)

 内省によって、内側を見ることのもう一つの大事な側面であろう。知識を得ることに汲々としがちな身としては身につまされる思いがする至言である。


2016年8月13日土曜日

【第607回】『バカボンのパパと読む「老子」』(ドリアン助川、KADOKAWA、2011年)

 私と同世代の方であれば、九〇年代中盤に日本放送でのラジオ番組で著者の名前を耳にしていた方もいるのではないだろうか。番組の内容は詳らかに思い出せないが、なんとなく印象が残っていて聴いていたものだ。

 ここ数年来、中国の古典に興味を持って渉猟的な読書をする中で、本書もまた、気になる存在であった。老子を「バカボンのパパ」が語るように訳すとどうなるか。著者が述べるように、私たちがバカボンのパパで想起する印象と、老子の言説には、たしかに親和性があるように思えた。大胆な意訳も味わい深く、老子をもとに考えを深める上で、興味深く読めた一冊である。一点だけ留保条件をつけるとしたら、バカボンを知らない方には、この面白さが伝わるかどうかは、なんとも言えない。

 世の中の人がみんな、美しいものを美しいものだとしてしまうこと。ここから逆に、汚いなあと思うことが出てくるのだ。同じように、世の中の人がみんな、あれは良いのだと決めつけてしまうと、逆にこれは良くないのだと思うことが出てくるのだ。
 デカパンがそこにいるとかデカパンがそこにいないとか、その有るとか無いとかもすべて相対する概念というものなのだ。難しいのと易しいのも互いがあって成り立ち、長さと短さも対比の関係、高さと低さも相手があって決まり、楽器と声はともに響き合い、前と後ろは順番なのだ。それでいいのだ。(第二章 19~20頁)

 多くの人が同じ方向を向き、そちらが正しいという言説に違和感を覚えるのは、老子のこうした考え方によるものだろう。多様な価値観を認めるということは、どれが正しいということではなく、エッジの利いた考え方がお互いに異論を受け容れながら影響を与え合うということであろう。だからこそ、他者や他者の考え方への尊敬と理解が、社会において求めらえるのではないだろうか。

 大いなるTAO、つまり大自然の摂理というものをみんなが考えないようになってくると、どういうわけか人間愛とか同義とか小賢しいことを言う人が出てくるようになるのだ。
 みんなが自分の利益のためにあれこれ知恵を働かすようになってから、人をだますようなことが行われるようになったのだ。家族の仲が悪くなったことで、孝行する息子とか優しいパパとかが言われるようになったのだ。国がボロボロになってくると、王様に忠実に従う家来の話なんかがささやかれるようになるのだ。これでいいのかどうかわからないが、そういうものなのだ。(第十八章 51頁)

 道徳教育を重視しようという主張に対して、どこか居心地の悪さを感じることの理由が、ここに表れているようだ。現代社会に関しても、いろいろと考えさせられる至言である。

 揚子江のような大きな河や海が、あらゆる川や谷の王様である理由は、大きな河や海は川や谷よりもずっと下にあるからなのだ。へりくだっているのだ。イルカも泳ぐのだ。だから王様なのだ。
 そういうわけだから、どえらい人がみんなの上に立とうと思ったら、必ずへりくだった言葉を話して、みんなよりもえらくない立場でいることが大事なのだ。みんなの先頭に立とうとするなら、自分のことは後回しにするのだ。
 そういうことなので、どえらい人はみんなの上にいても重いとは思われないし、みんなの前にいても目障りだとは思われないのだ。そうなれば、みんなはどえらい人を喜んで後押ししようと思うし、嫌だなこの人コンコンチキとは思わないのだ。それに、どえらい人は誰ともけんかをしようとしないから、みんながどえらい人とけんかをすることもないのだ。これでいいのだ。(第六十六章 165~166頁)

 老子では水の重要性が述べられていることが印象的であると以前のエントリーでも書いた。昨今では、サーバントリーダーシップや自然体でのリーダーシップといった概念が述べられることがよくあるが、老子の考え方とよく符合するように私には思える。偉い人=リーダーという古典的な捉え方ではなく、他者に影響を与える=リーダーシップと捉えれば、私たちの身近な事象として捉えることが可能である。そうした際に、ここで述べられているような考え方は、私たちに多くの気づきを与えるのではないか。


2016年8月12日金曜日

【第606回】『高校生が感動した「論語」』(佐久協、祥伝社、2006年)

 高校で教鞭をとられていた著者は、国語の授業で論語を取り上げていたという。本来的には論語に興味を持つのが難しい生徒を相手にした試行錯誤の結果、大胆な意訳に至った。その内容を披瀝したのが本書であり、原書からの意図的な飛躍が興味深い一冊である。

 人間にとって最も大切な誠実さを持ち合わせていない者は、シャフトやアクセルのない車と同じで、いくら教育や指導をして先へ進めたくたって進めようがないやね。(為政第二・二十二)

 教育や指導に携わっている方には実感を持てることであろう。何をやるか、何を学んでもらうかは、相手が誠実であり、謙虚な気持ちを持っているかどうか、というマインドセットに依存する。こうしたマインドセットをどう涵養できるかが、教育や指導以前の段階において必要なのであろう。

 他人が自分を認めてくれないと嘆く者は多いが、自分が周りにいる他人の才能や長所に気づかないことを嘆くのが先だろう。他人の才能に気づく能力を身につけてみなよ、そんな人物を世間が放っておくと思うかね。(学而第一・十六)

 頑張ってもそれを認めてくれないと、他者が認めてくれるようにアピールすると良いように思える。しかし、そうした行為は、利己的な意図が見え透いて逆効果に陥ることも多い。特に「出る杭は打たれる」と言われる日本における社会や組織において、その傾向は顕著であろう。ではどうすれば他者が認めてくれるか。まず先に、他者を認めることであるとここで述べられている。そうすれば、結果的に、他者や社会が自分を認めてくれるとここに書かれているように捉えることもできる。また、もっと飛躍すれば、他者の素晴らしい部分に気づくことで、その点を盗んだり、自分自身の開発につなげる契機にすることもできるのではないか。

 弟子の子貢が、「貧乏でもへつらわない、金持ちになっても高ぶらないというのはどうです。なかなか立派でしょう」と言うから、「まあな。でも、貧乏でいながら学問を楽しみ、金持ちになっても礼儀にいそしむ者にはおよばないな」と答えてやったんだ。どういう意味か分かるかね。「へつらわない」、「高ぶらない」というように何かを否定しているうちはマダマダだ、もっと積極的に自分を磨かなければダメだよと言うつもりだったんだ。そうしたら、そう説明する前に子貢がこう言ったのさ。「詩経に『磨きに磨きをかける』という句がありますが、磨くというのは、欠点などを削り落とすという意味でなく、自分の中にあって、埃をかぶっている長所を積極的に外にあらわすという意味なんですね」とな。あの素早い反応には正直いって驚いた。そこで、「いやあ、でかした、でかした。お前も大した詩の理解者じゃないか。お前とならば一緒に詩を語り合えるよ。ツーッと言えばカーッだもの」と誉めてやったよ。(学而第一・十五)

 磨きを掛けるという言葉から私たちは、すでに現れている長所をより伸ばすという発想をしがちだ。もちそんそうした作用も重要であろうが、ここで書かれているように、まだ顕在化していない内なる長所を磨くことによって外にあらわすという考え方はより重要であろう。なぜなら、潜在的な長所に気づき、それを外にあらわすことによって、既存の長所との兼ね合いで人間的なゆたかさが生まれるとも考えられるからである。


2016年8月11日木曜日

【第605回】『人生の折り返し地点で、僕は少しだけ世界を変えたいと思った。』(水野達男、英治出版、2016年)

 リーダーシップというと敷居が高く思えるが、それは、これまで積み上げてきたものをもとにしながら、大事にしている価値観に基づいて一歩を踏み出すことなのではないか。著者の言葉を噛み締めながら、一気に読み上げた。

 「社会貢献」なんて大げさなことではない。自分の仕事を通じて、困っている人の役に立つ。それ以上でもそれ以下でもない。
 もし、本当に人の役に立つ製品なのであれば、きっと売上や利益も後からついてくるはずだ。そうシンプルに考えると、腹にストンと落ちた。(9頁)

 マラリアを撲滅するための蚊帳をアフリカで提供するために、事業を立ち上げるための激務の結果、著者はうつ病と診断されて四十日間の自宅待機を命じられた。その働けない期間に自然と浮かんだのが上記の考え方であったという。社会貢献という言葉には崇高なイメージがつくし、事業の立ち上げというと利益を上げなければとプレッシャーが掛かる。しかし、目の前の顧客や患者さんといった人たちの役に立つという地に足のついた考え方の積み重ねによって、結果として社会貢献も利益創造もできるのではないか。私たちの多くの仕事は、著者のチャレンジに比べればもっとスコープが小さく社会的なインパクトも小さいものかもしれない。そうであっても、目の前の人に対して貢献していくことを意識することを繰り返していけば、目的意識を持ち納得しながら働くことができるのではないだろうか。

 タンザニアで合弁がうまくいった要因のひとつは、お互いの信頼関係のもと、50%ずつの出資でリスクを折半し、かつ役割分担がきちんとしていたからだ。
 住友化学は製品の核となる原材料や製造技術と品質管理のノウハウを担当し、AtoZ社は従業員の雇用と製造、東アフリカを中心とした販売を担当する。
 従業員の教育は両者でノウハウを持ち寄り、お互いがそれぞれ自社の役割については責任をもって遂行し、コストと利益についてもきちんと分け合うことを徹底していた。(92頁)

 当たり前のことかもしれないが、ビジネスにおける信頼関係とRole&Responsibility(R&R)の重要性を改めて考えさせられた。信頼関係がなくR&Rがしっかりしていると、他の部門や人の仕事に意識が向かずにセクショナリズムが発生してしまう。反対に、R&Rがなく信頼関係だけで仕事を進めると、できる人に業務が集中し、スキルが属人化し、できる人の疲弊によって組織の力も弱体化してしまう。信頼関係とR&Rとをいかに両立させるかは、異なる文化における企業同士の合弁という観点に限らず、多様な人材間の協働を考える上でもとても参考になる考え方だ。

 特にマラリアのような公衆衛生に関わる分野で、アフリカのような異文化に入っていって、何かを成し遂げるとなればなおさらだ。だから、「焦らず、諦めず、放っておかない」という姿勢が欠かせない。最初からある程度、時間がかかることを前提に物事を進めるのだ。その分、できるだけ早く取り組み始めることも重要だ。(127頁)

 尊敬できるリーダーが「焦らず、諦めず、放っておかない」という言葉を述べているところが示唆的である。特に、興味深いと思ったのは「放っておかない」という部分だ。自分事として当事者意識をもって常に考えているからこそ、何らかの着想が思いつくものであり、そうした着想によって前に進むことができるのではないか。


2016年8月7日日曜日

【第604回】『大学・中庸【2回目】』(金谷治、岩波書店、1998年)

 論語が好きで、ともすると論語ばかりを読んでしまう。今回は、「四書」の論語以外の二つの作品を再読してみた。

 切るが如く磋くが如しとは、学ぶを道うなり。琢つが如く磨るが如しとは、自ら脩むるなり。瑟たり僴たりとは、恂慄なるなり。赫たり喧たりとは、威儀あるなり。(大学 第二章・二)

 愚直に学び続け、自分自身を謙虚に省みること。あまりに厳しいと言えばそう言えなくもないが、襟を正されるこうした言葉も時にはいいものではないか。

 是を以て大学の始めの教えは、必ず学者をして、凡そ天下の物に即きて、その已に知るの理に因りて益々これを窮め、以てその極に至ることを求めざること莫からしむ。(大学章句 本文 伝 第五章補伝)

 高等教育においては、何かを新しくゼロから教えてもらうという態度ではもったいない。そうではなくて、それまでの学びで持ち得た仮説をもとに、考えを推し進めたり、反論を契機として新たな気づきを得る、という学習態度が求められるのではないか。これは苦しくて厳しいというよりも、生きることとも渾然一体として繋がる、ゆたかな学びと言えるのではないだろうか。

 道なる者は、須臾も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり。是の故に君子はその睹ざる所に戒慎し、その聞かざる所に恐懼す。(中庸 第一章・一)

 孔子は一貫して道を大事にした生き方を提唱する。その難しさを理解すればするほど、道とは私たちにとって容易に近づけない存在ではないかと考えてしまう。しかし、道は、私たちのすぐそばにあるものであり、遠くに見える道は道ではないとここで述べられている。では、なぜ道は私たちから遠いところにあると思ってしまうのであろうか。

 道の行なわれざるや、我れこれを知れり。知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。(中庸 第二章・一)

 私たちの多くにとって耳の痛い至言である。出過ぎた真似をしても道から遠ざかってしまうし、浅はかすぎても道を遠くに感じてしまう。そうであるからこそ、中庸という生き方が大事なのである。


2016年8月6日土曜日

【第603回】『無門関を読む』(秋月龍珉、講談社、2002年)

 明快にわかる爽快感も心地よいが、わからないことが多い中で、何か心に引っ掛かりを残す読書体験というものもいい。正直、半分程度しか理解できなかったが、深みに圧倒された一冊である。

 日常ふだんの何の問題もないようなところに、改めて問題意識を起こさせるところに、古人の「公案」の慈悲にもとづく(否定即肯定)の活手段が存することを忘れてはなりません。(101頁)

 叱られたら何か自分が悪かったと思うのが自然であり、一喝されると何か自身の言動に問題があったのではないかと思うものだろう。しかし、何も問題がない時に一喝されることによって、普通の状態に対して意識を向けさせることができる、という著者の解釈に唸らさせられる。普通や普段といった状態に対して自覚的になれるというのは、時に重要な気づきを促すものなのかもしれない。

 禅師は僧のかついでいる「無一物」という「空」の意識を否定されたのです。(108頁)

 貧しいことを自慢し、清貧であることを暗に主張する僧に対して鋭い批判を行った公案を解説した箇所である。私たちは、苦労したこと、貧しいこと、虐げられていること、といった否定的なことを誇らしげに語りたくなる時がある。そうした状態は「無」や「空」ではなく、邪な意識が「有」る状態にすぎないのではないか。いたずらに自分を低めようとするときに、そのような自分を認めてもらいたいという意図が内面にあるかどうかを冷静に内省してみたいものだ。

 趙州はそのとき、履をぬいで頭にのせて出て行きました。別に意味などありません。まったく「無心の妙用」です。ただとっさに、もはや再び死ぬことのない、斬っても斬れないあるもの(真実の自己)を、そうした仕方で表現しただけです。趙州の表面的な所作などに付いてまわっては、それこそ「野狐禅」もいいところでしょう。要は、一度徹底的に座布団の上で「自我」に死にきることです。そのとき、不思議にまったく思いがけなく、それこそもう、たくましい宇宙一杯の「無相の自己」に甦ります。それはまったくなんら予期しない偉大な「自己」の誕生の経験です。これを「見性」(自性を徹見する)と申します。(126~127頁)

 有名な南泉斬猫の公案を解説した箇所である。南泉斬猫の解説には、これまでも何度となく接してきたが、今ひとつ理解できていなかったのであるが、著者の解説で腑に落ちた。「履をぬいで頭にのせて出て行」くことが普遍的な正解ということではない。そうではなくて、何も考えずとっさに行った行動というものに意味がある、という点に注意が必要だろう。私たちは、ベストプラクティスと称して他の人や組織の素晴らしい行動だけに着目するが、その意図や文脈と切り離した行動には、他者にとってどれほどの意味があるのだろうか。