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2015年5月6日水曜日

【第441回】改めて、キャリアについて考える。

 仕事自体が「良いもの」であれば、人々は働きがいを感じながら働くことができる。仕事の特性を捉えるモティベーション理論であるハックマン=オルダムの職務特性理論を用いれば、モティベーションを高く保ちづらい職務というものはたしかに存在する。しかし、そうした特性をもった職務であっても、たとえば、たのしみながら顧客に貢献して働く方も実際には存在する。つまり、どのような職務であっても、自分自身で働きがいを創りながら働くことはできるのではないか。こうした問題意識を持って、キャリア意識を説明変数に、モティベーションを従属変数として設定した半構造化インタビューとアンケート調査による質的研究を行った。その結果、仕事をどのように意味付けているかが仕事に対するモティベーションに影響を与えることを明らかにした。仕事の意味付けとは、過去の経験をどのように意味付けているか、成長感や達成感をどのように仕事の中で意味付けているか、将来のキャリア展望をどのように現在の仕事に意味付けているか、という時間軸から構成される。これが、2009年の7月に前期博士課程論文として上梓した学位論文の要約である。


 当時は、修士課程の学生でありながら、新卒で入社したコンサルティングファームでの業務と大学の研究員とを兼務していた。その半年後にキャリアチェンジをしてIT系のベンチャーで教育担当を約三年間、次に製薬企業での教育担当を二年半経験し、本年一月からHRBP(HR Business Partner)へと異動した。

 新しい役割を担う中で、以前の私の研究内容であるキャリアについて意識が向かっている。過去の自分自身の研究内容は今でも納得的であり、実際に、前職から現在の企業における教育担当として拠り所となるものであった。そういった意味では学位論文における実践的含意で述べたように、企業実務においても役に立つ研究内容であったと自負している。しかし、それとともに物足りない部分が大きくなってきたことも事実である。具体的に言えば、行動変容までを射程範囲に置いていない部分である。企業実務に携わると、意識が一時的に変わってもそれが定着することなく行動変容まで至らないケースを目の当たりにすることが多い。それを「スタッフ部門としてはやることをやった、あとはライン部門の仕事である」ということは容易いが、それは果して誠実な態度と言えるのであろうか。私自身はもっとできると考えるため、改めて、キャリアを考え、行動変容をどのように捉えるかを、いくつかの書籍を紐解きながら仮説構築を行なおうと考えたのである。

 現代は、変化の激しい時代であるとよく言われる。そうした時代におけるキャリア理論においては、以前の時代における予定調和的で静的なキャリアゴールからアクションプランを落とし込むというアプローチは適していない。むしろ、自分自身が大事にする価値観を重視しながら、それに囚われず、自身の新たな気づきを促していくということが強調される。こうした考え方は、安冨(2014)が指摘する論語における学習回路を開くという考え方と近しく、旧くて新しいパラダイムであると言えるのではないか。この着想を具体的に肉付けしていくために、三つの主要な著作を見ていく。



 まずクランボルツ+レヴィン(2005)のハプンスタンス・アプローチの特徴は、従来のキャリア理論が前提にしていたあるべき将来像からのカスケーディング・ダウンを否定している点にある。計画を立てることを否定するのではなく、「計画に固執するべきではない」(2頁)という考え方だ。計画に固執せず、外部の変化に対応するためには、自分自身が現時点で想定する「夢を実際に試」すという発想が大事になる(54頁)。つまり、自分の思い描く夢に自分自身を全て委ねるのではなく、少し試してみて、その上で違えば修正を行う。こうした試行錯誤の繰り返しが、思いがけない幸運を招いたり、仕事や生活をよりゆたかにするきっかけになる。

 この夢を試すという発想はイバーラ(2003)とも通底するものである。キャリアをすすめるということは、仕事や経験の連なりをデザインするのみならず、自身の「キャリアアイデンティティーを修正すること」(20頁)である。キャリアアイデンティティーを構成するものは、むろん自分自身の過去の経験や現在の価値観であるが、それと共に「将来にも存在する」(64頁)ことに着目するべきである。したがって、未知のものへの気づきや自己変容を促すためには、「さまざまなことを試み」、「人間関係を変え」、自分自身の大きな変化を「深く理解し納得」することが重要だ(40頁)。とりわけ、いきなり職務や職場を変えるということではなく「試す期間の行動を通じて、漠然とした可能性が具体的な選択肢へ変わり、それを評価できるようになる」(35頁)ことに留意するべきだろう。

 オープンな態度の重要性は花田(2013)にも共通する考え方であり、過度に現在の自分に囚われない姿勢を「オープンマインド・アンラーニング」(109頁)という言葉で端的に示す。オープンマインド・アンラーニングとは、自分自身を開きながら、自分自身で意識を持って学習し続けるということである。したがって、人材マーケットやスキル・スタンダードに即した標準化を目指すのではなく、「個性化」(50頁)こそが現代を生きる私たちに必要な考え方である。具体的には、「標準、決められた役割発揮、基礎の状態、自分の中にある標準の発揮という視点からの脱皮・脱却」(50頁)が求められている。そのためには、開かれた態度を持ちながら現時点で「自分の興味ある関心事項を日常業務に反映・発揮してみる」(177頁)という職務におけるストレッチングが重視される。



 こうした「学習回路を開く」タイプのキャリア理論は、私の2009年当時の問題意識とどのように対応するのか。今・現在における仕事を意味付けることの重要性は変わらないであろう。しかし、一度意味付けたものに拘らず、関わる他者やコミュニティに対してオープンであり、仕事の意味付けを更新し続けることが求められると言えるのではないか。そのための行動の有り様としては、自分自身で学んだり、上司から学ぶといった従来の職場での学びを開くことが必要だ。具体的には、職場の多様な他者から学ぶ、コミュニティを構築しながら学ぶ、他者からの支援を自分から取りに行って学ぶ、という三つが仮説として考えられる。

 第一の職場の多様な他者からの学びについては、中原(2010)に詳しい。同書の中では、「若手の成長を考える上で重要なことは、職場の上司や上位者だけが単独でそれを担えるわけではない」(105頁)とされる。つまり、OJTにより上司から、OFF-JTにより教育担当者から、といった特定の役割を担う他者が教育を担当するという従来の職場での学びからの視座の転換が指摘される。それと共に、他者からの支援行動として「業務支援」「内省支援」「精神支援」(47頁)の三つが明らかにされ、各ステイクホルダーにより異なる支援の種類によって若手社員が能力向上することを明らかにしている。したがって、育成責任を上司に委ねるのではなく、職場全体として、若手社員の育成を多様な主体が担うことが有効であるとともに、現実的でもあろう。

 こうした職場における学びには、職場の風土も影響する。中原(2012)が指摘するように「変化に対して柔軟にかつオープンに対応し、革新が公式に奨励・承認されるような場所」であると「他者から様々な支援を受けるニーズが生まれやすい」状況となり、社員一人ひとりの「能力向上につながりやすい」だろう(151頁)。

 第二のコミュニティを構築しながら学ぶという観点は、石山(2013)が先行研究を踏まえながら「実践共同体への越境」(82頁)と名付ける行動に端的に現れる。越境学習と呼ばれる領域においては、学習行動は、決められたものを決められた方法で学ぶというようには捉えられない。そうではなく、「相互作用として常に変化する、個人と共同体の社会的実践のあり方」(85頁)というダイナミックな学習観を取ることに着目すべきであろう。このような動的な学習パラダイムに基づけば、ビジネス書を読んで粛々と努力したり、上司からのOJTを待ってから仕事に取りかかる、といったものが機能しなくなっていることは自明であろう。閉じられた環境の中で学びの機会が訪れるのを待つのではなく、「社会的実践の中で、仕事自体が不確定に揺れ動き変化していくもの」である現実を鑑みると、「水平的に多様なメンバーと交流していくこと、すなわち越境が避けられない行為」となる(95頁)。越境学習とは、単なる名刺交換会のようなものでは実現しない。コミュニティにおける気づきを自分自身への学びへと繋げるためには「往還と内省」(99頁)という主体的な意味付けのプロセスが必要不可欠なのである。

 第三の仮説として示した他者からの支援を自分から取りに行って学ぶという観点については、研究の蓄積がそれほど為されていないようだ。クランボルツ+レヴィン(2005)が「励ましを与えたり受け取ったりする」(113頁)方法として挙げている以下の三点が参考となるだろう。

(1)あなたを助ける立場にある人々の目に止まるようなやり方で仕事をやる。
(2)自分の恐れや希望、夢について他の人に話す。
(3)他の人の希望や恐れに耳を傾け、必要とされるときにはーー場合によっては頼まれなくてもーー積極的に支援することで、他者の人生に対する興味や関心を示す。


 キャリア意識を開かれた状態にしながらキャリア自律をすすめることが、他者や組織に対する行動変容に繋がる。鈴木(2013)も示唆するように「「私」を活かすことによって、そこに自己と他者のコミュニケーションが生まれ、それにより他者への関心が増す」ことが職場という「公共の領域を広げることにつながる」のである(57頁)。それと同時に、キャリア自律とオープンな行動には「逆転共生」(215頁)関係が生じるとも考えられるのではないか。つまり、キャリア自律とオープンな行動とは、それぞれが機能する程度が存在する一方で、一方が強すぎると他方が疎外される可能性が存在するのである。こうした点に留意しながら、実務において、「学習回路を開く」オープンマインドに基づくキャリア意識と、日常における行動、とりわけ先行研究の蓄積が少ない他者からの支援を引き出す行動との関係性に焦点を当てて、実務に携わりながら考えをすすめていきたい。

<参考文献>
ハーミニア・イバーラ(2003)『ハーバード流 キャリア・チェンジ術』翔泳社
J・D・クランボルツ+A・S・レヴィン(2005)『その幸運は偶然ではないんです!』ダイヤモンド社
中原淳(2010)『職場学習論』東京大学出版会
鈴木竜太(2013)『関わりあう職場のマネジメント』有斐閣

2015年5月2日土曜日

【第437回】『ゆるすということ』(G・G・ジャンポルスキー、大内博訳、サンマーク出版、2000年)

 その本を読んだという事実が、自分自身のその後の行動を律することができる、ということが時にある。むろん、全てを制御して行動することは難しいが、その規律をもとにズレた行動を後から振り返ることができる書籍である。本書は、そうした書籍の一冊ではないだろうか。

 裁きの思いとは、自分自身に対する裁きであることがわかりました。空き缶を捨てた人をゆるすプロセスによって、私自身、過去の行動について引きずっていた感情から解放されたのです。
 その瞬間、ゆるしが癒しになるのだと、私はつくづく実感しました。ゆるすことで過去から解放され、いまこの瞬間を百パーセント生きる喜びを味わえるのです。(20頁)

 本書のエッセンスはここで引用した箇所に凝縮されていると言えよう。ゆるすという行為は、過去の他者を対象とした行為のように一見して思えるが、そうではなく、現在以降の自分自身のための行為である。反対に、過去における他者の行動をゆるさないと、現在以降の自分自身にとって不具合が生じる。たとえば、他者の行動を断罪しようとする気持ちを持つことによって、自分自身の今の自分に集中できなくなるということは、私たちの多くが日常的に経験していることだろう。自分自身のためにゆるすというと功利的な要素が強くなってしまうが、自他ともに健全な状態になるという観点で、ゆるすということを心がけたいものだ。

 そうは頭で分かっていても、他者の行動や自分自身の現状をゆるすということは、なかなかできるものではないと思うかもしれない。また、ある部分まではゆるせても全てをゆるすことはできない、と考えることもあるだろう。しかし、著者は、全てをゆるさなければ、ゆるしにはならないと断言する。その上で、何か行動を変えるということではなく、まずはマインドセットが肝要であるとして、以下の言葉を述べている。

 「ゆるそう」という心が、ゆるしへの鍵。(54頁)

 折に触れて思い出したい言葉である。

2012年5月13日日曜日

【第83回】【番外編】転機に響いた7冊


昨年、「2006年のベスト10冊」を何人かの方にお送りしたところ、ある方から、決しててらうことのない表現で「自分は200冊以上の本を読んだ」とのご返信をいただきました。私が2006年に読破した数は100冊強です。このような単純な比較をし終えると、私も200をターゲットにせねば、という思いに強くとらわれました。私よりも優秀で尊敬してやまない方にこれ以上離されないためにはせめて同じくらいの数は読まなければ、と。

結果、2007年には205冊を読み終え、無事に目標を達成できました。どんなささやかなことであれ、自分で目標を設定して自分の力で達成することは清々しいものです。

さて、2007年も年末を迎える頃、今年もベスト10冊を選ぼう、と思い立ちました。当初は、2006年の倍近い本の中からたった十冊を選び出すのは難儀になるのではと感じていました。実際、感銘を受ける本をたくさん読みましたし。しかし、懸念は杞憂に終わりました。むしろ数が増したことで、突き抜けて素晴らしく大事な方々に推奨したい本が出てきました。これまで導入してきた「ベスト10」というような客観的な基準を設定して選び出すというよりは、主観が反応して自ずと出てくるというイメージでしょうか。

そこで今年は7冊の本を皆さまにご紹介いたします。それぞれに素晴らしいため、優劣や好悪の順番は付けられませんでした(※Ⅱの丸内の数字は主観的な順番を表すものではなく、読んだ時期が早いものからという客観的な順番を振っています)。

①『自分の小さな「箱」から脱出する方法』
(アービンジャー・インスティチュート著/金森重樹監修/富永星訳、大和書房、2006年)
【コメント】
・ジャンルとしては対人コミュニケーション。
・相手が悪いと考えず、また自分が悪いとも考えない、という甘え対ストイックというありがちな二分法を脱却した枠組みを提唱している点がすごい。




②『不動心』(松井秀喜、新潮社、2007年)
【コメント】
・飄々とした松井の言動の背景にある、深いものの見方が惜しみなく表れていて感銘を受ける。
・イチローの思考・行動・意識と対比しながら読むと大変面白い(イチローに対するある種の“ファッショ”を相対化できる)。




③『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』
(エドワード・L・デシ+リチャード・フラスト/桜井茂男訳、新曜社、1999年)
【コメント】
・動機付け/モティベーションに興味がある人には特にお勧めである。
・(給与・出世といった外的キャリアに興味がない私をしても)ふとしたときに外発的動機付けに強く意識が向かっていることが分かり、自分を動機付けることについて深く考えさせられた。




④『フロー体験 喜びの現象学』
(M.チクセントミハイ著/今村浩明訳、世界思想社、1996年)
【コメント】
・ジャンルは心理学。
・「フロー=何かに没頭すること」という単純な理解で済ませていたことがいかにもったいない理解だったかが分かり、大きな気づきを得た。




⑤『企業内人材育成入門』(中原淳編著、ダイヤモンド社、2006年)
【コメント】
・特に企業で研修/人材開発・人事に携わる人にお勧めである。
・研修準備や論文執筆に使えるので、手元に置いて辞書のように使用している。




⑥『リーダーシップの旅 見えないものを見る』(野田智義・金井壽宏、光文社、2007年)
【コメント】
・リーダーシップ論の本である。
・これまで読んだ全てのリーダーシップの本の中で最もインパクトがあり、特に「リーダーになりたいからなるのではなく、やるべきことがあるからリーダーになる」という部分が目から鱗であった。




⑦『MAJOR』(満田拓也、小学館、1994年~)
【コメント】
・野球漫画だが、野球を知らない人でも容易に読める。
・ストイックに自分で頑張るだけではなく、仲間と一緒に頑張ることの素晴らしさを改めて感じた。
・特に気に入っているのは、「自分には才能がないから」という理由で野球部を辞めようとする同級生に対して発する主人公の以下の台詞。「本当に才能がないと言い切れるだけの努力はしたのか?他人にやらされてた練習を努力とは言わねえだろ。好きな野球して将来飯食おうなんて図々しい特権、与えられた宿題こなした程度で手に入るわけねえじゃん」

2011年8月20日土曜日

【第39回】【番外編】無敗三冠馬誕生の“衝撃”(2005年11月)



1.プロローグ

十年間、競馬を観てきた。最初に馬券を勝った時、600円の投資にも関わらず、それまで感じたことのない気分の高揚を経験した。その二ヶ月後、初めて馬券を当てた時、当時の小遣いの四倍もの金を一瞬にして得て、自分は馬で生きていけると本気で思った。一年後、小遣い二ヶ月分を一瞬にして失い、思い描いていたキャリアイメージは完全に崩れた。更に一年後、最愛の馬がレース中に夭折し、受験勉強が半日、手につかなかった。競馬を通して、私は悲喜交々、いろいろな感動を得てきた。そして、20051023日の京都。初めて立ち会う三冠馬誕生の瞬間。私は違う感動を得た。

あの日、京都競馬場に流れていた空気は何だったのだろうか。場内に充満する異様なまでの一体感。ゴール前の400mの直線では、あろうことか、ある一頭の名前を呼ぶ大合唱まで行なわれる始末。通常、普通のレースであれば、各々が自分の購入した馬券に関連する馬の名前を、勝手に連呼する。しかし、それが、ない。そういう行為をさせない雰囲気が、そこにはあった。

ディープインパクト。その場にいる全ての人間が、彼の一挙手一投足に注視していた。人は、他者の才能に嫉妬する。しかし、圧倒的な才能には、魅了されるのではないか。レースが終わった後、そんなことを考えていた。

2.京都へ

京都競馬場へ行くのは今回が初めてである。京都じたい、私が競馬を始める一年前に、横浜市立並木中学校の修学旅行で行って以来、十年ぶりに訪れた。もちろん、ディープの無敗三冠達成の瞬間を体感するためである。

ナリタブライアンが三冠を達成した二年後に競馬を始めた私は、三冠馬の誕生の瞬間をこれまで観たことが、ない。翻ってみれば、三冠レースに対する愛着というのはそれほど強くはなく、現役最強を決める古馬も含めたGⅠレースの方により興味があった。しかし、今年は違う。今年2月の『Number』紙において、その時点でGⅠ未勝利、ましてや重賞未勝利の三歳馬が巻頭記事を飾ったのである。競馬専門紙以外のその扱いを見て、私はディープという馬の社会的な印象の強さを意識した。と同時に、とうとう三冠馬の誕生をリアルタイムに経験できるかもしれないと、期待した。

ディープはニ冠を危なげなく制した。そして、夏場を無事に過ごし、最後の三冠レースである菊花賞へ向けたステップレースを何なくクリアした。その瞬間に私は京都行きを決意し、翌日、会社に1024日の代休申請を提出した。

3.レース当日(かえで賞まで)

レース当日、京阪線の始発で京都競馬場へ。到着時刻は午前五時半。しかし、である。既にそこには大行列ができている。前日に事前チェックのために競馬場に来た時にも、既に寝袋を持った人たちがかなりいたが、それと比しても倍以上に増えていた。お笑い番組でしかほとんど聴いたことのない言語を発する人々が大挙し、列をなしている。些か聴き取りづらいが、どうやらいつもの菊花賞とは比べものにならない人の量だと言っているようである。きっとそうなのだろう。これが21年ぶりの無敗の三冠馬誕生に対する人々の期待の表れなのだ。

二時間、待ち続けた後、ようやく開門。自分より前にいる人の多さに、椅子席を確保することを半ば諦めていたのだが、何とか確保できた。しかし、寒い。この時期の京都を侮っていた。10℃前後しかない中で、しかも雨まで降る始末。しかし、そんな悪天候の中であっても、私は幸せであった。やはり、マズローの欲求五段階説には少し理論的な瑕疵があるようである。

私は通常、メインの前に行なわれるレースもほとんど買う。そうしないと間が持たないのである。しかし、今回は違った。異様な昂奮をおぼえ、予想する気にならない。何かを考えようとすると、ディープのことで頭がいっぱいになり、充分に考えられない。私は、充分に考えた上で馬券は買いたい性質の人間である。ために、結局、開門前のニ時間の暇つぶしに予想していた最初のレースと、直観的に面白そうだと思った第8レースという二つのレースのみ購入することになった。

直観が良かったのか、熟慮したことが幸いしたのか、第8レースを当てた。これまで当てた馬券の中で最も倍率の高い77.7倍という高配当。たしかに、嬉しくはあった。しかし、ゴール直前にも昂奮はおぼえなかったし、確定の赤ランプがついた後も気持ち悪いほどに淡々としていた。落ち着いていた。目の前の配当金の高さよりも、ディープの偉業達成の方に気持ちが行ってしまうところを見ると、高校二年の時に馬券師への道を諦めておいて正解だった。そんなことを考えながら、じゃっかんの面倒さをおぼえながら、払い戻しへと急いだ。

4.パドック

急いだのは他でもない。2レース後に控えた菊花賞を観られなくなるリスクを恐れたのだ。もう午後2時を回った時点で、場内は人で埋め尽くされている。私のいる椅子席から払い戻しに行くのにもなかなか厄介な状態になっている。これがもう少し遅くなったら、払い戻しから帰ってこられなくなるかもしれない。このようなリスクをおぼえていた。だから、急いだ。

払い戻しに行ったら、やはり混んでいる。無事に払い戻しを終えたのだが、レース後にいつトイレに行けるか分からなかったので、トイレにも行っておこうと思った。しかし、私の席にいちばん近いトイレは混んでいた。空いていそうなところを探していると、パドックが目に入ってきた。

このパドック場に一時間後、ディープが姿を表す。私は、GⅠレースのパドックを生で観たことが、ない。パドックを観た後では、椅子席に戻れないのではと強く危惧しているからである。ましてやこの大観衆。少し躊躇したが、観ることを決意した。きわめて近い距離でディープを観たかったというその場での自分の強い欲求に抗し難かった。また、たとえ満員で人ひとりでも動きにくい状態であっても、きちんと一人ひとりに誠実に説明すれば戻れるのではないか、という計算も働いた。意図を本心から伝えれば、お客さんはきちんと対応してくれる。「今日この場で、意図を伝えて椅子席に戻れないほど、俺は営業として駄目なのだろうか。」私は、この質問に否と内心で答え、その場に残ることを決意した。

午後三時。ディープが私の数m前を闊歩している。レース前に一足早く訪れる、至福の瞬間。自然とディープの手綱を引く市川厩務員の方にも目が向いた。稀代のスターホースを管理する人間として、どれだけの気苦労をしてきたのだろうか。この一週間はどれだけ寝られたのだろうか。少し前に『ジョッキー』という競馬小説を読んで以来、競走馬を取り巻く人間の裏にあるドラマを読み取ろうとしてしまう。しかし、至福の時間はあまり長くは続かない。時間が経てば経つほど、椅子席に戻れるリスクは少しずつであるが、確実に増大する。懸念が私の意識を現実へと戻した。武豊がディープの背中に乗って周回するまで待とうかとも少し思ったが、やはり断念。後ろ髪を引かれる想いではあったが、足は速く動かして椅子席へ戻る。

5.無敗三冠馬、誕生の瞬間

何とか席へ戻った。ターフビジョンには武豊が跨ったディープが大写しになっている。レース直前、ディープの単勝倍率が1.0倍と表示され、場内が大いにどよめく。私はそれまで、GⅠでの単勝が1.0倍となるのは観たことがない。ナリタブライアンも届かず、無敗三冠の偉大なる先輩であるシンボリルドルフもやったことがない偉業。どよめくのも無理はない。戦後のクラシックレースでは、1957年の桜花賞以来、48年ぶり二度目の事態である(20051024日付け日本経済新聞朝刊)。

レース直前。もっと静かになるとイメージしていた。なぜなら、ダービーのときは圧倒的な静寂が支配していたので、そうなるとばかり思っていたのだ。想像していた静けさとは打って変わった騒がしさ。しかし、そこを支配する一体感はダービーの時と微塵も変わらない。

私の心境とは異なり、スタートに至るまでのプロセスは通常のレースと変わらず、拍子抜けなまでに、淡々と進んだ。スターターが台に登る。ファンファーレが鳴る。十数万の観衆の手拍子。枠入りが完了する。ゲートが開く。

ディープは七戦目にして初めてまともにスタートを切れた。スタートが良すぎたのか、一週目のスタンド前まで掛かり気味に走っている。少し焦る。しかし、ダービーの時も掛かっていた。そんな状態でも圧勝した存在なのである。その事実を思い出し、安心してレースにもう一度集中した。最終コーナーで前に進出し、ニ馬身差の圧勝劇。思ったよりも着差は少ない。しかし、堂々とした横綱相撲での勝利であることは間違いなく、道中で掛かったことを考えれば、これくらいの着差でしかたがないであろう。

最後の直線で珍事が起きた。「ディープ!ディープ!」の大合唱が自然に発生したのである。念のために書くが、この大合唱が発生したのは最後の直線であり、つまり、結果が出る前の出来事である。こんな場面を見たのは初めてである。ダービーの時も異様な空気が充満していたが、こんな現象は発生しなかった。

レースが終了し、ディープがメインスタンド前にもう一度帰って来る。歴史的瞬間に湧き上がるスタンド。ディープに対する大合唱に加え、豊コール。武も笑顔である。ディープという圧倒的な存在は、この天才ジョッキーをして、どれだけプレッシャーを与えしめたのだろうか。

表彰式。武が高々と三本指を掲げる。皐月賞では一本指。ダービーでは二本指。三冠を意識した上での、観衆へのアピール。21年前、無敗の三冠馬シンボリルドルフの按上に跨っていた岡部が行なったのと同じ仕草。そのアクションに、酔いしれる。後日の記事によると、武は、もし負けていたら、向こう正面からそのまま帰るつもりだった、と言ったようである。やはり、天才・武豊をして、常人の考えつかない巨大なプレッシャーを与えしめていたのである。しかし、表彰式で井上和香がプレゼンターとして花束渡す際に戸惑っている時には、微笑に満ち溢れていて、その場を楽しんでいるようであった。天才のリカバリーの速さは凄い。

続いて花束を貰う池江調教師。表情がぎこちない。しかし、嬉しさを隠せない気配を感じる。破顔一笑の市川厩務員。ディープを毎日支えてくれる人がいるからこそ、このようなドラマは生じるのである。

調教師、厩務員、ジョッキー、京都競馬場に詰め掛けた十数万人、そしてテレビの前で固唾を飲んで見守った競馬ファン、競馬を取り巻く人々にとって熱い一日が、終わった。

6.始まりの終わり

今回の菊花賞を観るのは、実は少し怖かった。これまで好きであった競馬というものの一つの圧倒的なピークを経験することによって、競馬をもう観たくなくなるのではないか。このような懸念があったのである。しかし、それは杞憂であった。競馬の奥の深さを、改めて知った。人は、感動を求めるために生き続けるのではないだろうか。

ディープも、これで終わりではない。無敗三冠は一つの中間目標に過ぎないはずである。この後は、現役最強古馬陣との有馬記念での対決、そして、来年は海外へ。夢は続く。

 20051025日。それは、終わりの始まりを意味する日にはならなかった。始まりの終わりであった。私にとっても、ディープにとっても。

2011年5月14日土曜日

【第25回】【番外編】余は如何にしてアパパネ信徒となりし乎


POGとは Paper Owner Game の略称であり、実在の競走馬を用いたゲームである。デビュー前の数千頭の競走馬の中でどの馬が活躍しそうかを予想し、その相馬眼を競い合うという馬好きの矜持を賭したものとも言えるだろう。以下は私が仲間内のPOGに参加していた200912月に書いたエッセーであるが、一部冗長に過ぎるので加筆・修正している。



「ダノンパッションが右前脚屈腱炎を発症。来春のクラシックは絶望。」
124日にインターネット上のスポーツ紙各誌でこの報道を目にしたときの落胆は酷かった。ダノンパッションは、「私の馬」たちの中でようやく頭角を現した、大きなレースを勝てそうな牡馬(オスの馬)であり、それだけ期待を掛けていた存在だったのである。その彼が故障とは…。屈腱炎であれば約半年前後はレースに出られないことを覚悟しなければならない。最初から期待していなければここまで落ち込むことはなかったに違いない。明るい将来を嘱望できる存在であったが故に、故障という現実に直面して私は酷く落ち込んだのである。

将来といっても遠い話のことではない。ダノンパッションはその二週間後にG1レース「朝日杯フューチュリティーステークス」(以下、朝日杯)への出走が確定しており、上位人気が予想されていたのである。私はレースが行なわれる中山競馬場に彼を応援しに行こうと思い、期待に胸を膨らませていたのである。「私の馬」がG1で勝つシーンを目の前で見る機会が遠のく瞬間であった。

競馬において、G1レースはよくテレビ中継されているために頻繁に行なわれているイメージがあるかもしれない。しかしG1は年に十数回しか開催されないレースであり、またそうしたレースに出走できる競走馬は、ごく一部の競走馬だけである。実際、POGに参戦した初年度における「私の馬」は、G1で好勝負を演じるどころか、ただの一頭としてG1に出走することすら叶わなかったのである。

しかし暗澹とした心持ちの中で思い直した。二週間後の期待は潰えてしまったが、一週間後があるではないか。一週間後には、2歳牝馬(メスの馬)のG1レース「阪神ジュベナイルフィリーズ」(以下、阪神JF)があり、そこにも「私の馬」が出走することが確定していたのである。「私の馬」の出走が実質的に確定した11月の時点で、私は阪神JFがある阪神競馬場行きを心に決め、妻の了承を得、宿泊先も押さえ(正確には「お願い」をし)、準備を整えていたのである。POGに参戦して初めて迎える「私の馬」のG1レースへの出走は胸が躍るものであり、またもし勝つことになるようならば是が非でも現地で見たいと思っていたのである。

阪神JFに出走が確定していた「私の馬」は二頭いた(後述するように、その後タガノガルーダが出走のための抽選に通ったため、最終的には3頭が出走)。一頭目はステラリード。彼女は8月に開催されたG3・函館2歳ステークスを勝利した、私にとって恩人ならぬ「恩馬」である。というのも、POGとは獲得賞金の多寡を競うゲームであるため、賞金が高いレースでいかに勝つかというのがゲームの行方を左右する一つの大きなポイントとなる。二年目のシーズンが開始した直後に、ステラリードがG3というG1・G2に次ぐカテゴリーのレースを勝ったため、私はこれ以上ないほどのスタートダッシュを決めることができたのである。

8月のそのレースで走るステラリードを応援するために当初は函館まで見に行くことも検討したのであるが、さすがにそれは断念してテレビの前で応援することにした。競馬のテレビ中継を見て心から興奮したのはディープインパクトが走った凱旋門賞以来であっただろうか。普段、「私の馬」たちは民放各局が放送する競馬中継番組には出てこない。民放のテレビ中継の放送時間は午後3時頃から4時頃の間であるが、その時間は活躍している馬が走る時間であり、そのような馬は「私の馬」のうち数えるだけしかいないからである。特に私の場合は、POG参戦一年目に指名した馬たちがほとんど活躍しなかったので、テレビ中継で「私の馬」を見たことは一年半(私が参加しているPOGの一期間は一年半である)で数回を数えるのみであった。したがって、テレビで「私の馬」を見るだけでテンションは上がるものであり、特に函館2歳ステークスでステラリードは一番人気を背負っていた。「私の馬」がテレビで中継される大きなレースで一番人気になることなど、それまで経験したことがなかった。

その結果として、ディープインパクト以来の高揚感をおぼえることとなり、ゴール前での大接戦では興奮しすぎてしまった。ゴール直前で他の馬に交わされたようにも見えたので意気消沈していたのであるが、掲示板の一番上に「私の馬」の馬番が表示されたときの感動は今でも忘れられない。それだけ忘れられない存在である彼女が今度はG1に挑戦するのである。これは見なければならないだろう。

出走することが確定していたもう一頭の名前はアパパネという。11月に行なわれたレースでレコード勝ちをしており、VTRで見るかぎり(大きいレースではなかったのでテレビで中継されていなかったのである)では強そうに見えた。もちろん、勝つことを期待してはいるのであるが、牡馬を相手にして大きいレースで敢然と勝ったステラリードよりも強いとは思えない。

1210日、大阪に移動する前日である。アパパネへの競馬評論家の評価が存外に高い。コンビニで立ち読みした競馬雑誌「ギャロップ」では2番人気に推されている。これは嬉しい誤算であるのだが、他方で、複数のスポーツ紙の報道によれば、アパパネは食欲不振で調子がいまひとつ上がらないとの報道もある。なんとも悩ましい状況である。

一方、ステラリードの評価は著しく低い。ギャロップでは△印(競馬新聞・雑誌における印の意味合いは◎⇒○⇒▲⇒△の順番で評価が高い)が二つ付いているのみである。私の事前の予想ではアパパネよりもステラリードの方が高い評価であろうと思っていたので、案外である。阪神JFの前哨戦とも言える11月のあるレースでたしかにステラリードは負けた。しかし力負けには思えなかったし、それほど悪い内容であったようには思えないため、私の中でステラリードの強さに対する確信は揺らいでいない。とはいえ、POGをやるようになってから競馬評論家の競走馬を見る目の凄さをまざまざと見せ付けられることが多いので、不安は募る。

期待と不安が交錯し、しかしややもすると不安な気持ちが大きくなる中、翌日、大阪へと移動。

1213日、阪神JFのレース当日。梅田を経由して、仁川へと向かう。一人で競馬場に行くことは久しく経験していない。十数年ぶりであろうか。新鮮な気持ちを抱きつつ、阪神競馬場には初めて訪れるため、漠然とした不安な気持ちもある。

しかし期待の方が大きいようだ。ステラリードとアパパネに続いて、抽選を潜り抜けてタガノガルーダが阪神JFへの出走を決めたため、まさかの「三頭出し」である。「私の馬」が出走する初めてのG1レースにしては、いささか威勢が良すぎる。繰り返しになるが、POG一年目に指名した「私の馬」たちはG1出走には一頭も縁がなかったのだから。

競馬場に辿り着いて阪神JFの単勝オッズを見ると、一桁倍率の馬が5頭もいる混戦模様である。2歳のレースのオッズのばらつきはこのようなものなのかもしれないが。その中でもアパパネは人気を集めており、2番人気である。どの「私の馬」にもがんばってほしいが、三頭出しともなると気持ちが図々しくなる。来年以降のレースへの出走を見据えると、ステラリードには3着に甘んじてもらって、アパパネとタガノガルーダで1・2着を独占してほしい、とまで大それた夢を見てしまうのである。

阪神競馬場は思いのほかきれいだ。大変失礼な先入見であるが、訪れる前までは「阪神」という言葉のイメージから、野次が多く雑然とした競馬場を思い描いていたのである。東京競馬場や中山競馬場よりもむしろ整然としていて好印象を持った。

レースが始まる時間まで余裕を持って訪れたのは一長一短であった。レースを見逃す恐れがないという意味では落ち着いて構えていられるのであるが、時間があるためにレースのことを考えすぎてしまい、心が落ち着かず、なんだかふわふわとした気分である。ディープインパクトを応援するために競馬場を訪れたときもそうであったが、他のレースの馬券を検討して気を紛らわすということもできないのである。かといって、阪神JFのレース展開を具体的に検討するというわけでもない。ひたすら、「私の馬」たちが勝ってくれるかどうか、またパドックで彼女たちの姿を見逃さないようにパドックが込み始めるタイミングを見計らうことに意識が向かってしまう。その結果、いたずらに場内を散策し、パドック場の下見と本馬場の下見とを何度となく繰り返すこととなる。

午後3時。パドック場に「私の馬」たちが現れる。テレビ局の人たちや競馬関係者で溢れた華やかなパドック場を「私の馬」たちが闊歩する姿を見られるなんて夢ではなかろうか。自分の興味がないレースにおけるパドックの周回時間はいたずらに長く感じるものだが、興味があるレースにおいてはとても短い。もっと見ていたいのに、あっという間にパドック場を出て出走馬は馬場へと向かう。私もそれに合わせて馬場が見えるところへといそいそと移動を開始する。

スタート直前、思わず目を覆いたくなることが現実となる。アパパネがゲート入りを嫌い、なかなかゲートに入らないのである。人間、ここまで最悪の状況というのはどうやら予想できないらしい。「私の馬」がこのようなことになってしまうなんて、全くもって想像できなかった。アパパネはもうダメだろう。暴れてしまって最悪の場合には出走すらかなわないかもしれないし、出走できたとしてもテンションが上がりすぎて暴走してしまうかもしれない。せっかく二番人気にまでなっているのに勝てないのか。アパパネへの期待の分を、ステラリードとタガノガルーダに期待を掛けよう。

その約1分半後。

ゴール手前の坂道を先頭で登りきり、ゴール板の前を真っ先に横切ったのはそのアパパネであった。腕が震えた。私の携帯電話にはアパパネが「私の馬」であることを知悉する知人・友人からメールが何通も届くのであるが、携帯電話を動かす手が心もとない。

レースが確定するのを待つことなく、競馬場の出口へと向かい、帰路に着いた。目の前の幸運をにわかに信じられず、晴れやかな舞台から逃亡するかのような不思議な感覚である。駅のホームに着き、電車に乗る。当たり前のルーティンをこなすことで、冷静さを取り戻す。冷静になるとともに、嬉しさがこみ上げる。「私の馬」がG1を獲ったのだ。と同時に、あろうことかレース直前に勝手に勝利を諦めたアパパネに対して心の中で何度も謝りながら、車窓からの大阪の景色を見るともなく眺めた。