ラベル 経営(その他) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 経営(その他) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年11月17日土曜日

【第903回】『バリアバリュー』(垣内俊哉、新潮社、2016年)


 著者は、平成生まれの、先天的な障がいを持つ、創業社長である。事実を淡々と記すだけでこれほど目立つ形容になるということは、著者本人が好むと好まざると、周囲の注目を常に受けて生きていることは、想像に難くない。

 それを好機と捉えればもちろん良いのであろうが、それほど人間というものはよくできたものではないものであろう。注目されるということは、言われのないバッシングを受けることと表裏一体である。

 こうした環境にも関わらず、三十路にも至らない著者の、いい意味で老成した生き様が本書では描かれている。理念を狂信的に唱えるのでもなく、先天的な障がいを持つ運命を呪うでもなく、飾らない自然体のあり方が随所に現れている。

 たとえば、自分自身の障がいを形容した冒頭の文章を読んでほしい。

 私は、骨が弱くて折れやすいという魔法にかけられて生きてきました。(2頁)

 この文を最初に読み、安心感をおぼえた。肩に力が入るのではなく、スポ根のような根性物語でもなく、自然体としてのリーダーである。その行動原理として、いかに障がいと向き合い、活用するかについて、著者の葛藤を消化した考え方が端的に述べられている。

 障害を無理に克服しようと思うだけではなく、そこに「価値」や「強み」が隠れていると信じて、向き合ってみてはいかがでしょうか。(4頁)

 五木寛之さんの『他力』にもあるように、仏教では、「諦める」の元々の意味を「明らかに究める」として肯定的に捉える。この著者の言葉にも、仏教の「諦める」のような人生に新たな価値を見出そうとするような強い意志を感じる。実際、諦めるという言葉を積極的に見出そうとする文章が後で現れる。

 長年の夢を諦めるというのに、さほど挫折感はありませんでした。自分でも不思議でしたが、リハビリを最後の最後までやり切ったという想いがあったからではないかと思います。(54頁)

 海老原嗣生さんがクランボルツのキャリア論を解説する『クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方』で提唱する「夢の代謝」を彷彿とさせる。海老原さんの言葉を借りれば、好奇心→冒険→楽観→持続→柔軟のステップのうち、特に納得するまで持続し続けて、結果を踏まえて柔軟に対応するということが著者の明らかな究めなのではないか。

【第605回】『人生の折り返し地点で、僕は少しだけ世界を変えたいと思った。』(水野達男、英治出版、2016年)
【第19回】『ザッポス伝説』(トニー・シェイ著、ダイヤモンド社、2010年)

2018年8月26日日曜日

【第872回】『現場主義の競争戦略』(藤本隆宏、新潮社、2013年)


 日本の製造現場を観察し、そこで得られた知見を基に研究を進めてきた著者の講演集である。講演というテーストで述べられた文言であるために、著者が語りかけているようで読みやすく、また著者の日本の製造業に対する想いが伝わってくるようだ。

 長年あちこちの工場を見ていますと、危機における優良企業の優良現場というのは、大抵こうしたもので、挽回、改善、生き残りのための組織的な気力や実力に衰えが見られない。あわてず騒がず、淡々と日々の能力構築を続け、会社は赤字でも現場力の向上は続けています。(16頁)

 日本のものづくり現場における強みを端的に表現した箇所であり、なんとなく感じ入ってしまった。もちろん、日本の工場が全てこうした美質を持っているのではなく、「優良企業の優良現場」という限定が示すように、むしろマジョリティはそうではないのであろう。トヨタでさえ、工場によって差があると本書でも指摘がなされているのであるから、ほかは言わずもがなである。

 では、どのような状況でも改善を続けるというマインドセットの強みは、今後どのような分野で成果を出せるのか。

 「きりがない」形でお客さんの機能要求がどんどん厳しくなる、あるいは社会的な規制が厳しくなる製品でこそ、日本の産業現場に生き残りのチャンスがあるのです。なぜなら、そういう製品は設計が複雑な「擦り合わせ型」になりやすく、「多能的な技術者によるチーム設計」という組織能力が活きる世界だからです。(39頁)

 社会的な規制が厳しく、顧客の要求水準が高いという状況で「擦り合わせ型」の製造プロセスが求められる領域でこそ、日本の改善は活きる。反対にいえば、ディジタル製品をはじめとしたモジュラー型の生産方式や、製造時の規制で複数ライン間での多能工が禁じられるものづくり現場では、擦り合わせ型の改善は機能しづらいのであろう。

 こうした擦り合わせ型の改善行動を京都の花街をアナロジーとして述べている以下の箇所が面白い。

 不断に異常対応しつつ「流れ」を管理するという基本は、京都の御座敷も同じです。接客サービス業の場合は「お客の経験の流れ」に対して直接、付加価値(設計情報)を転写します。しかし、酔ったお客は挙動が乱れますから、花街の芸舞妓チームは、鉄板や部品の流れが相手のトヨタの現場以上に、異常対応の連続になります。(55頁)

 花街における多様な協働や関わり合いながら人財を育成する様子は西尾久美子さんの『京都花街の経営学』に詳しいが、たしかにトヨタと花街の強みは符合するのではないかと納得した。

 現場における付加価値は、製品やサービスの流れを重視した設計情報によって生み出される。流れは変化するものであり、顧客もしくは次の工程の変化を機敏に察知して自身のプロセスを変化させ続ける。こうした自律的行動によって価値が生み出されるのである。

【第573回】『経営戦略を問いなおす』(三品和広、筑摩書房、2006年)

2018年7月29日日曜日

【第859回】『ブラックスワンの経営学』(井上龍彦、日経BP社、2014年)


 最近は、ビジネス書でも、単にハウツーを教えるのではなく、方法論の背景や当てはめに関する方法論について触れる書籍が増えてきているように思う。本書も、そうした書籍の一冊であり、ビジネスにおける考え方を養うことに踏み込んだビジネス書と言えそうだ。

 文字情報に概念を割り当てる作業のことをコード化といいます。ブルーマンたちの研究チームでは、2人1組で1つのインタビューについて責任をもち、それぞれの発言に概念を割り当てることにしました。この方法は、「デュアルコーディング」と呼ばれ、最初にコード化する者と次にコード化する者をあらかじめ定めて作業を行うのです。(81~82頁)

 修士論文を執筆する際の研究活動において、インタビュー内容をコーディングすることで概念化した身で申し上げるのはやや恥ずかしいが、デュアルコーディングという方法論を初めて知った。一人でコーディングする際には、M-GTAを用いて研究上の正当性はあったと思うが、どこかに恣意的な思いが介在しているようで不安な心持ちがあったものである。

 わざわざ複数の調査者によってコード化するのには理由があります。誰が概念を割り当てても安定的に同じ結果が導かれるべきなのですが、1人でコード化するとどうしても不安定になります。この研究では、この問題を回避するために2人でコード化するという方法がとられました。(82頁)

 デュアルコーディングの素晴らしさは、こうした恣意性が入る要素を極小化することができることであろう。二人でコーディングを行うことによって、客観性を担保できる度合いが格段に上がる。もちろん、工数という煩わしさはあるが、興味深い研究の方法論であると思う。

【第244回】『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一ら、ダイヤモンド社、1984年)

2018年1月6日土曜日

【第795回】『「できません」と云うなーオムロン創業者 立石一真』(湯谷昇羊、ダイヤモンド社、2008年)

 オムロンの創業者である故立石一真氏の人生を綴った本書。京都は、起業家およびベンチャーが生まれる地として有名であり、日本電産の永守氏も立石氏の薫陶を受けた存在だという。また、ドラッカーが巻頭の案内文を書くなど、立石氏のビジネスパーソンとしての凄さや人格の素晴らしさを感じさせる。

「しがないナイフ・グラインダーの商売に比べれば、本職の技術で生み出した商売はまったくありがたい。お得意先も、まるで別世界である。昔住んでいた故郷の国、そこは友情もあれば、知性もあり、趣味もあれば、情操も満ち満ちている。木々は豊かに実り、鳥は楽しく歌っている。『青い鳥』を求めて遍歴の幾星霜、その青い鳥は、私の最も身近なところにいたのであった」(22頁)

 生活をするために事業を立ち上げようと様々な領域にチャレンジする中で、最終的には自身の拠り所である技術に至る。しかし、寄り道とも思える様々な試行錯誤を経たからこそ、自分自身が何を大事にし、何によってビジネスを継続できるかに気づいた、というようにも考えられるのではないか。

「もっと商いの大切さを知らんとなぁ、商いいうもんは相手さんがあってこそできるもんや。その相手さんが何を望んではるかわかってんのに、物理的にどうやからとか、いまの技術ではどうやとか、努力も工夫もせずに『今回はこれで勘弁してください』などと断るなんぞは、もったいなくて罰が当たるで」(144~145頁)


 顧客志向と要約してしまうと溢れ出てしまうものが、ここにはあるように思える。顧客のことを考え、ひいては社会のことを考える。「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」という社憲を制定した立石氏の想いに満ちた箇所である。月並みだが、真剣に働かないとと自ずと思う。


2017年5月6日土曜日

【第706回】『How Google Works』(エリック・シュミットら、土方奈美訳、日本経済新聞出版社、2014年)

 Googleから学べるのは何もIT関連企業ではなく、普通の企業でも学べる。加えて、テクノロジーから学べるだけではなく、組織マネジメントや人事管理からも学ぶことはできる。イノベーションをすすめ、戦略を実現していく企業における、人事マネジメントは、やはり興味深いものだ。

 スマート・クリエイティブは、自分の”商売道具”を使いこなすための高度な専門知識を持っており、経験値も高い。(中略)実行力に優れ、単にコンセプトを考えるだけでなく、プロトタイプをつくる人間だ。(35頁)

 Googleにおける採用基準の高さはあまりにも有名だ。そうした彼らが採用する人材は、スマート・クリエイティブと呼ばれているそうだ。その定義が、上述した内容である。ここで面白いのは、専門知識や経験値が高いだけではなく、実行力に優れていてプロトタイプをつくる人材であると定義づけられている点である。Executionの重要性は、ベンチャー気質を失わないイノベーションカンパニーにおいても言語化されて、重視されているのである。

 スマート・クリエイティブをつなぎとめる一番の方法は、弛緩させないことだ。彼らの仕事をおもしろくする新たな方法を常にひねり出そう。(180頁)

 優秀なスマート・クリエイティブに新しい挑戦をさせるべきタイミング、あるいは本人がそうした希望を口にしたときには、グーグルはそれを叶える方法を見いだしてきた。大切な人物にとって最適な処遇を考え、組織のほうがそれに合わせればいい。(181頁)

 組織ではなく、個人を大事にする考え方が端的に提示されている。優秀な個人を組織の中にリテインし活躍し続けてもらうためには、刺激を与え続ける。そのためには、組織を動かすことも厭わない。もちろん、多くの企業でこうしたアプローチが通用するとは思えないが、こうした発想を持つことは大事なのではないか。

 ここまでの論調とはそれてしまうが、組織マネジメントにおいて意外であり面白いのが以下である。

 グーグルでは、マネジャーは最低七人の直属の部下を持つこと、とされていた(中略)。(中略)ほとんどのマネジャーの部下は七人よりずっと多かったので、これほど直属の部下が多いと、それぞれをマイクロマネジメントしている時間はないのだ。(69頁)


 マイクロマネジメントを避けるための工夫として、留意したいポイントである。管理対象の部下が多ければ、マイクロマネジメントしている余裕がなくなる。シンプルだが、至言であろう。


2017年2月26日日曜日

【第683回】『フェイスブック 若き天才の野望』(デビッド・カークパトリック、滑川海彦・高橋信夫訳、日経BP社、2011年)

 Facebookを日常的にたのしみ、同社のNo.2であるサンドバーグの『LEAN IN』を読んで感銘を受けたのに、ザッカーバーグに関する書籍を読んでいないのは盲点だった。ジョブズやベゾスの伝記を読んだ時に感じたのと同じような躍動感をおぼえながら読み進めた。自分自身がなろうとは思わないし、なれるとも到底思えないが、スタートアップの経営者というものは面白い。

 MacBook AirでBloggerをつけてTwitterやFacebookで発信し、AmazonのiPhoneアプリで買い物を済ませて、FacebookやLinkedInで「ともだち」と情報共有する。このような生活が日常になった現代において、アメリカのITベンチャーや企業を論じた書籍に多くの人が興味を持つのは当たり前なのかもしれない。情報「技術」を論じられるだけではなく、情報「社会」という私たちの近い将来のありようを想像できるのだから。

「われわれの会社はガスや水道と同様の公益事業です」
と彼は慎重に言葉を選びながらこの上なく真剣な口調で言った。
「われわれは人々が世界を理解する方法をより効果的なものにしようと試みています。われわれの目的はサイトの滞留時間を最大にすることではない。われわれのサイトを訪問している時間を最大限に有意義なものにしようと努力しているんです」(1頁)

 2006年の夏、つまりFacebookが前途有望なITベンチャー程度の存在であった時代に、ザッカーバーグが著者に語った言葉だそうだ。Facebookが人々の生活のインフラになるというミッションに向けて、彼はビジネスを進めていたのである。では、学部生の時からFacebookの事業を始めた彼が、理念に向けてどのように事業を継続して組織をマネジメントするところにまで至ったのか。

 彼はこうして大勢の企業トップに会うことを自分の学習の一部だと考えており、スタッフにいちいち意図を説明する必要を認めていなかった。(236頁)

 謙虚に先達から学んだのである。トップとして、ビジネスをどのように考えるか、社会に対する貢献をどのように定義するか。こうしたことを学ぶためには、近しい経験を積んでいたり、同じような立ち位置にいる人物に聴くことが有効であろうが、「学習」と割り切ってできるものではなかなかないだろう。他方で、こうした学習行動が、大手IT企業や投資家に自社を身売りしようとしているのではないかと社員から疑念の目を向けられることになってしまったという。それに対するザッカーバーグのバックアップ行動が素晴らしい。

 その後数週間の間に、リードはザッカーバーグがはっきりと変わったのに気づいた。ザッカーバーグは、事実、効果的な企業リーダーとなる術を教えるコーチに付いて、レッスンを受け始めた。さらに幹部たちと一対一で話し合う時間をつくるようになった。リードにどやしつけられた翌週、ザッカーバーグはフェイスブックで初めての全社員ミーティングを招集した。(240頁)

 急速に事業が成長して多忙な中でかつ高揚している状況の中で、周囲の人物からの箴言を聞き入れた点がまずすごい。そして、箴言の理を理解してからすぐに愚直に行動している点も驚くべきだ。リーダーには、こうした素直さが大事なのかもしれないと改めて感じた。

 「こんなことを言うと心配するかもしれないが」と彼は言った。
「ぼくは、仕事を通じて学んでいるんだ」(288頁)

 生涯学習というきれいな言葉しか思いつかないが、彼の謙虚さや素直さは、仕事を通じて学ぶという姿勢が根本にあるようだ。学習と仕事とを結びつけること。これが、ゆたかに働くとともに、信念を持ってゆたかに生きるということなのかもしれない。

 聞いて聞いて聞きまくって、ある段階まで来ると、これで行くしかないと自分で結論をだす(454頁)


 初期のFacebookの盟友であり現在でもザッカーバーグと親交を持ち続けるショーン・パーカーが彼を評した言葉である。とにかく聴くが最後に自分で決断を下すというところが、沈思黙考タイプのリーダーのあるべき姿の一つのように思える。


2017年2月5日日曜日

【第676回】『経営の精神』(加護野忠男、生産性出版、2010年)

 経営学の碩学による、マネジメントに興味関心の強い日本の読者への書籍。「我々が捨ててしまったものは何か」という副題が重く私たちにのしかかる。

 コミットメントをまったく無視しているのは、「同一労働、同一賃金」という考え方である。同じ仕事をしていてもコミットメントの高い人は企業にとってより大きな価値がある。企業が正規社員により高い給与を支払うのは、彼らがコミットメントを持ってくれているからである。(165頁)

 時代の潮流は同一労働・同一賃金である。しかし著者は、コミットメントの観点からそれを否定する。職務の中で工夫をし、そこでストレッチをしていくことを評価することで、社員の企業へのコミットメントを担保することができるのではないか。


 また、そうした考え方を持たないと、労働から人間的な要素が抜け落ちてしまうことになるのではないだろうか。働く私たちにとって、働くことによって人間的な成熟を深めることができるのではないか。


2017年1月21日土曜日

【第671回】『経営戦略全史』(三谷宏治、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2013年)

 経営戦略を歴史として学ぶ意義は何か。著者は端的に「似たような状況でもいろいろなことが起こりうるし、いろいろな戦略が有効である得る」(11頁)ことを学ぶことにあるとしている。

 こうした著者の考え方には共感できるし、それに基づいた本書の編集のあり方にも好感が持てた。それぞれの経営戦略論どうしの関係性が簡潔かつ丁寧に書かれており、それぞれの論が生じてきた背景とその射程を理解することができる。

 特に興味深く感じたのは、ゴビンダラジャンのリバース・イノベーションに関する以下の記述である。

 リバース・イノベーションを盛んにするためには、ローカル(新興国・途上国側)に経営資源を投入し、権限を与えなくてはいけません。またそのローカル・イノベーションが先進国に逆流してきたときに発生するであろう、自社高級品との共食いも、甘受しなくてはなりません。
 そのためにゴビンダラジャン(VG)は「現地に小さな機能横断型の起業組織をつくろう」と言います。そこに機能と権限と責任を与えようと。(294頁)


 ここでは経営という領域を想定しているが、人事などのスタッフ部門においてもこの考え方を援用できるのではないかと邪推した。つまり、中央の本社人事が機能ごとに分かれることによって効率化が実現できる一方で、現場における新たな変化に流動的かつ柔軟に対応することが難しくなることが多い。そうした弊害を軽減するためには、部門人事において機能横断的に対応することが、直接部門への価値貢献に繋がるのではないか。ビジネスを取り巻く環境変化が激しくなればなるほど、そのようになると考えるのは考えすぎではないと思う。


2017年1月15日日曜日

【第670回】『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(入山章栄、日経BP社、2015年)

 カジュアルに読めて、それでいて知的刺激を得られるという書籍もいいものだ。日頃、ビジネス書は好んで読まないが、本書は面白く読めた。読み易い簡潔な文章でありながら、考えさせられる示唆に富んだ箇所がいくつもあった。

 ドミナント・デザインを確立した組織は、部門間のコミュニケーションの大胆な変更・調整が難しくなっていきます。したがって既存の大企業ほど、その後出てくる「新しい組み合わせ」によるイノベーションに対応できないのです。すなわち、革新的イノベーションに対応できないのは、技術問題以上に、ドミナント・デザインに端を発する組織問題なのです。ドミナント・デザインはある程度の規模以上であれば、どの企業も抱える本質的な問題といえます。(87~88頁)

 クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』を想起してほしい。破壊的イノベーションになぜ大企業は対応できないのか。イノベーションの本質は組み合わせによって為せる技であり、組み合わせを促す組織には冗長性が求められる。そうなると、既存のビジネスモデルを追求するために組織を効率化させることを目指していると、そうしたイノベーションを生み出す環境から離れていくことを意味する。そうであるから、イノベーションを阻害するのは、勝ちパターンのビジネスモデルに組織を最適化することなのである。

 ではどのように留意することができるのか。本書では、そのヒントとなる考え方も提示されているからありがたい。

 医薬品産業における「アーキテクチュラルな知を高める組織特性」は二つです。それは、(1)研究者が会社の枠を超えた広範な「研究コミュニティー」で知識交換することが評価される組織であること、そして(2)社内でも分野の垣根を幅広く越えて情報を交換することです。(90頁)

 成功している大企業であっても、組織内外における情報交換の場を支援する組織であれば、イノベーションを起こすために必要な知の交流が実現できるとしている。本書はアメリカのビジネススクールにおける最新の知見を紹介すると謳っているが、ここでの実戦的示唆は、石山先生が『組織内専門人材のキャリアと学習ー組織を越境する新しい人材像ー』で明らかにした点と符合するから面白い。

 このようにして胚胎されるイノベーションの萌芽は、すべてが芽を出すのではなく、むしろ少数である。では芽を出すまでに必要なステップには何があるのか。

 予想通り「従業員の創造性の高さ」→「アイデアの実現」の関係は、その人が(1)実現へのインセンティブを強く持ち、(2)社内に強い人間関係を多く持っている場合にのみ、大きく高まる、という結果を得たのです。(102頁)

 創造性を持つ社員がいることは想像しやすいが、そうした人物が企業のビジネスの文脈に合わせて他者と協働できることが必要とされる。もちろん、一人の人物が二つの要素を兼ね備えればいうことはないが、それはジョブズなど一部のスーパーパーソンに限られるだろう。この現実に照らせば、(1)の人物と(2)の人物とを組み合わせて組織の中でイノベーションを進める組織デザインと人材配置を工夫することが私たちが取り組むべき課題なのではないだろうか。



2016年11月3日木曜日

【第639回】『ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか』(山崎繭加、ダイヤモンド社、2016年)

 3・11以降の東北が、リーダーシップやイノベーションといった文脈でなぜ注目され続けているのか。HBSという世界標準で分かり易い存在が東北で活動してきた様子が描かれることでその理由の一端がつまびらかにされている。

 そもそもなぜHBSは東北で活動を始めたのか。その背景には、HBSが従来行ってきた教育に対する自戒の精神で、教育方針を変えたという文脈に東北というフィールドが合致したようだ。

 これまでの教育は、事実、フレームワーク、理論を教えて「知識を増やす(knowing)」ことに重点を置き過ぎていた。よりスキルや能力の開発につながるような「実践(doing)の場」を増やし、またすべての行動のベースとなる自身の価値観・信念の認識を深める「自分が何者であるかを知る(being)教育」を行っていかなければいけない、という結論である。つまり、これまでは頭ばかり動かしていたが、これからは実際に体も動かし、そして心を豊かにしていく。頭と体と心のバランスをとる教育をしていかなければいけない、問いう決意表明だ。(27頁)

 何をいまさらとバカにしてはいけない。数年前に注目されたサンデル教授の授業はハーバードで行われていたものであり、ハーバードは、実務能力を高める教育ばかりに傾注してきた大学ではない。時代や環境に合わせて自らを否定しながら、教育を変えていく姿勢は素晴らしいものであり、こうした態度自体から私たちが学べることは多いだろう。

 HBSの崇高な自戒の精神から生み出されたものの一つがMBA2年生向けのフィールドプログラム「Immersion Experience Program」(以下「IXP」)である。世界各地でIXPに適したフィールドを選定し実施している中で、東北でのIXPは五年連続の開催、加えて定員枠を上回る参加にまで至ったという。IXPとしていくつか訪れている町の中でも、参加者の関心が高い地域の一つが女川だ。

 ジャパンIXPが開講されて以来、HBSが毎年訪問している宮城県女川町。最も被災率が高かったにもかかわらず、復興のスピードは早い。その背景には、官・民・NPOという分野のそれぞれに変革のリーダーがいたことや、彼らが協同して町づくりを行ったこと、そして主婦から中学生、女川の外からやってきた人までみな新たなチャレンジをする気概や実行力を持ち各分野でリーダーになっていたことなど複数の要素がそろったことがある。(196頁)

 リーダーシップは一人の突出したリーダーが発揮することで力を出せるものではない。各人のそれぞれの役割の中でのリーダーシップ行動が影響を与え合って、一つの組織なり地域なりで傑出した成果を出せるものであろう。とりわけ、女川ではいわゆるよそ者を受容し、オープンな変革のうねりを作り出してきたという側面も強いようだ。そうしたリーダーの一人である元リクルート社員で震災後に地元・宮城に復興支援のために戻り、女川に留まることになった小松洋介氏の言葉が興味深い。

 自分のミッションは、町の再生を通じて日本を変えること。女川での経験は、ほかの地域でも必ず生きる。この数年は自分への投資だと思っています。だから給料のことはまったく気にしていません。(203頁)

 きれいごとのようにある地域へのコミットメントを言うことは容易い。しかし、より広い地域・社会へ関与しようとするコミットメント、自分自身の価値観へのコミットメントといった複数の軸と地域へのコミットメントが合わさることが原動力の重要な要素になっているのではないだろうか。


2016年10月29日土曜日

【第637回】『ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則』(J・C・コリンズ、山岡洋一訳、日経BP社、2001年)

 あの『ビジョナリーカンパニー』の続編ではあるが、著者によれば内容としては前編である。「良い企業」と「偉大な企業」との違いが、また「良い」状況が「偉大な」状況へと発展することをいかに阻害するかが描かれた、前作と並び賞させる古典と言えるだろう。

 規律ある人材が、規律ある考えに基づいて、規律ある行動を取り続けることによって「偉大な企業」を創り上げていくことを描写した本作。こうした三つのステップの最初である「規律ある人材」について考えさせられる部分が多かった。

 第五水準の指導者は成功を収めたときは窓の外を見て、成功をもたらした要因を見つけ出す(具体的な人物や出来事が見つからない場合には、幸運をもちだす)。結果が悪かったときは鏡を見て、自分に責任があると考える(運が悪かったからだとは考えない)。(56頁)

 規律ある人材の第一の要素である「第五水準のリーダーシップ」では、旧来のリーダーとは異なる人材像が提示されている。出版当時は、GEのジャック=ウェルチやIBMのルイス=ガースナーがいて、スティーヴ=ジョブズがアップルのトップとして復帰するなどカリスマ型のリーダーが持て囃されていた時代だ。そうした時代に謙虚なリーダーシップ像を提示し、それ以降の趨勢を考えれば、第五水準のリーダーシップの正当性がわかるものであり、著者の示唆の素晴らしさに脱帽する。

 第五水準のリーダーシップでリーダー像が提示された後は、その鏡となるフォロワーシップとしての人材について述べられている。

 偉大な企業への飛躍に際して、人材は最重要の資産ではない。適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。(81頁)

 人材が大事と言葉で言うことは易しい。しかし、人材が大事なのではなく、適切な人材が大事であるという著者の指摘は重たい。ではなぜ人材一般ではなく、適切な人材こそが大事であるという指摘を著者は行ったのか。

 不適切な人物が職にしがみついているのを許していては、周囲の適切な人たちに対して不当な行動をとることになる。不適切な人物がしっかりした仕事をしないので、適切な人たちが尻ぬぐいや穴埋めをするしかなくなるからだ。それ以上に問題なのは、最高の人材が辞めていく原因になりかねないことだ。すぐれた業績をあげる人たちは業績向上を強く願っていて、これを仕事の原動力にしている。自分が努力しても不適切な人たちに足を引っ張られると考えるようになれば、いずれ苛立ちが嵩じてくる。(90頁)

 理由はシンプルである。適切でない人材は、仕事を適切にしないというよりも、その存在によって適切な人材を含めた周囲の人材の負担になるからである。そうした人材が多ければ、適切な人材が活躍の場を他に求めることは自明であろう。人事として、いかに適切な人材を処遇するかということとともに、いかに不適切な人材に毅然とした行動をとるかを検討することが必要不可欠である。


2016年10月17日月曜日

【第633回】『50円のコスト削減と100円の値上げでは、どちらが儲かるのか?』(林總、ダイヤモンド社、2012年)

 『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』シリーズの著者が、安曇教授以外の登場人物を変えて送る新たなストーリー。

 売上高ー材料費(変動費)=限界利益
 限界利益ー固定費=利益

 76頁にある上記の基礎的な知識を踏まえながら、「限界利益とは、会社が生み出した付加価値そのものなのだ」(67頁)と限界利益の本質を端的に表すのはさすがである。

 『餃子屋~』も面白かったが、本書が私には最も興味深く、かつ何度も読みたいと思える一冊であった。というのも、会計の基礎知識を学べることは同シリーズと同じであるが、会計、つまりは財務の視点を取っ掛かりとしてBSCの他の三つの視点とを結びつけながら学ぶことができるからだ。とりわけ143頁でまとめられている業務プロセスの視点についてのポイントが秀逸である。

 ①商品とサービスを顧客満足につなげる
 ②生産性を向上させる
  (1)コストの削減
   ・歩留まり率を高めて材料費率(変動費率)を減らす
     食材のムダ使いをやめて歩留まり率を高める
   ・固定費の増加を抑える
     贅肉(ムダな費用)はそぎ落とす。
     だが筋肉(会社にとって不可欠な費用)は減らさない。
  (2)資産の活用 
   ・設備の稼働率を高める
   ・在庫(棚卸資産)の回転速度を速める

 こうして、限界利益と業務プロセスの視点にある在庫との関係から、「現金を稼ぎ出す力」(150頁)として定義される利益ポテンシャルの説明に移る流れは見事だ。

 利益ポテンシャル=限界利益÷在庫金額(150頁)

2016年10月16日日曜日

【第632回】『コハダは大トロよりなぜ儲かるのか?』(林總、ダイヤモンド社、2009年)

 『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』『美容院と1,000円カットでは、どちらが儲かるか?』に続くシリーズ第三弾。ビジネスフィクションものの宿命ではあるが、立て続けに困難な出来事が訪れ、それに立ち向かう主人公たちがかわいそうにも思える。

 しかし、その戦いの様を読み込むことで、私たちが仮想的に主人公たちが直面している環境を追体験し、そこから学べるのだからありがたいものだ。

 いいかな。君がこれまでに学んだ知識は、会計の先人たちが長い歳月をかけて考えたもので、君が努力して考え出したものではない。借り物に過ぎないのだよ。大切なのは、管理会計理論を、君の経験を通して理解することだ。その過程で、いろんなことが見えてくる。管理会計がいかに素晴らしいか。そして、いかに欠陥だらけか、ということもね。経験を積むことで、先人の知識は君の血肉になる。君の価値観になるのだ(31頁)

 論語の「学んで思わざれば即ち罔し。思うて学ばざれば即ち殆うし。」(為政第二・一五)を彷彿とさせられる。何かを学ぶということは、考えることとセットであり、それは体験をしてそこから内省して腹に落とすことを含むのである。

 利益と営業キャッシュフローのねじれの原因は「運転資本の増加」です。(165頁)

 極めて個別具体的な内容であるが、現在興味があるテーマに直結するものであるため、備忘録的に引用しておいた。
【第170回】『戦略不全の論理』(三品和広、東洋経済新報社、2004年)
【第248回】『経営戦略の論理(第4版)』(伊丹敬之、日本経済新聞社、2012年)
【第573回】『経営戦略を問いなおす』(三品和広、筑摩書房、2006年)

2016年10月15日土曜日

【第631回】『美容院と1,000円カットでは、どちらが儲かるか?』(林總、ダイヤモンド社、2008年)

 『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』に続くシリーズ第二弾。本作では、前作で学んだ会計の知識をどのようにビジネスの中で活かすかという観点から、管理会計を経営リテラシーとして用いる視点がストーリー仕立てで展開される。

 出てくるキーワードはどれも基礎的なものではある。しかし、それらを現実のビジネスにおいてどのように活用するのか、またそれぞれの概念の繋がりは何かをおさらいしながら学べるのがこのシリーズの良いところであろう。ストーリーが面白いためにあっという間に読めるが、学びは思いのほか多いものとなるだろう。

 コンピュータシステムが成功するかどうかの鍵は、ERPパッケージでもなければ、SI会社でもない。大切なことは、経営者が、経営に必要な情報を明確に定義できるかどうかだ。(39頁)

 細かな概念については本書を読んで学んでほしい。しかし、管理会計をなぜ行う必要があるのかという総論に関しては、上述したメッセージに集約されていると私には思える。システム化をすれば何かが解決されると私たちは時に思ってしまうが、そうではない。そもそも何をシステム化してそれをどのように扱うのかを定義しなければ、経営上のインパクトは弱く、下手をすればネガティヴなものとなる。システム化は、他者に委ねて利益が出る魔法の杖ではなく、当事者意識を持って構築するべきものなのだ。

2016年10月8日土曜日

【第628回】『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』(林總、ダイヤモンド社、2006年)

 学びたいと思った時こそが学び時とはよく言ったものである。企業全体に関わる会計数字をもとに自社のビジネスを本気で考えたいと思う方にとって適した書である。ストーリーの面白さとともに、たのしく会計の基礎を学ぶことができるだろう。

 会計はだまし絵であるというメイン・メッセージを提示し続けながら、決算書とは、データに基づきながら主観的な解釈によってルールに則って作成されていることが解説される。決算書の背景やそこに込められた経営者の考え方を、基礎的な会計の知識をもとに読み解かれている。

 PDCAサイクルが有効に機能するには、予算と実績の背後にある現場レベルでの「計画した作業」と「実際の作業」を比較することが肝心なのだ。(88頁)

 繰り返しとなるが、決算書は、事実とルールに基づきながら経営者の主観によって作成されたものである。しかし、そうであるからこそ、書かれた内容をもとに分析と解釈をすることが可能だ。決算書という結果としての数字から、意味を見出そうと分析することで、現場で起きている事象の背景を理解できる。


2016年9月25日日曜日

【第624回】『ざっくり分かるファイナンス』(石野雄一、光文社、2007年)

 経営層に近い人々と仕事で一緒になるケースが増えてきたからか、企業を数値で表す話題が増えてきた。学部でも大学院でも会計やファイナンスを学んできたため、どこかで「数字を扱うのは得意」という意識があった。

 しかし、そうした意識が、会計や財務を学び直す必要はないという頑なな態度につながってしまっていたことに、遅ればせながら気づいた。なんのことはない、パッと数字を見てみても、その含意が分からないのである。これはまずいと思い、しばらくは改めて初歩から学び直す機会にしようと思った。

 その第一弾が本書である。基本に忠実に、薄い新書から選んでみた。基礎から学ぶという観点ではベストな一冊であった。

 会計とファイナンスとの違いについて、端的に二つを挙げている。一つ目は、会計は「利益」を扱い、ファイナンスは「キャッシュ」を扱う(14頁)という対象の相違である。二つ目は、会計が企業の過去の業績を扱うのに対して、ファイナンスは企業が将来において生み出すキャッシュフローという未来の数字を扱う(17頁)という時間軸の相違である。細かな内容について学ぶ前に、こうした大枠での内容を説明してくれる書籍というものは、入門書として大変ありがたい。

 貸借対照表における借方と貸方を整理した図3(22頁)も、極めて初歩的な内容ではあるが、だからこそ改めて質問しづらい部分であり、重宝しそうだ。

資金の運用

【資産】
流動資産
固定資産
【負債】
流動負債
固定負債

資金の調達
【資本】
資本金
剰余金


2016年9月24日土曜日

【第623回】『ビジョナリーカンパニー』(J・C・コリンズ J・I・ポラス、山岡洋一訳、日経BP出版センター、1995年)

 学生時代、企業組織に興味を持った理由にはいくつかあるが、本書を読んだこともその一つの重要なものであった。その後も何度か読み、久しぶりに読み直してみて、改めてそこに書かれているメッセージに呻らさせられた。

 重要な問題は、企業が「正しい」基本理念や「好ましい」基本理念を持っているかどうかではなく、企業が、好ましいにせよ、好ましくないにせよ、基本理念を持っており、社員の指針となり、活力を与えているかどうかである。(115頁)

 多くの日本企業において理念浸透が課題となってから約十年は経過している。そうした取り組みの中では、正しい企業理念や価値観といった観点で参加者から疑問や質問が出ることが多いようだ。しかし、「正しい」や「好ましい」といった発想ではなく、なんであれそれが実際的に働く上での指針となっているかどうか、という軸こそが重要なのであろう。多少の自己流の解釈やアレンジを許容しながら、社員が理念や価値観に親近感がわき、自分事として捉えて日常の仕事の中に活かしている、という状態をいかに創り出すか。ゼロから何かを生み出すというよりも、日常業務をデザインするという発想が私たちに求められているのであろう。

 企業が意図を持つのは、とてもよいことだ。しかし、その意図を具体的な行動に移せるかどうか、アメとムチを組み合わせた仕組みをつくれるかどうかが、ビジョナリー・カンパニーになれるか、永遠になれないままで終わるのかの分かれ道になる。(143頁)

 ではどのように日常の業務に落としこむかとなると、理念の唱和といったレベルの話では済まない。理念を活かすために、制度やガイドラインといったしくみをいかに創り込むことが重要である。さらには、そうしたしくみを華々しく導入するだけではなく、トップからいかなるレベルの社員に至るまで、日頃の地道な行動を促すものになっていることも必要だ。そのような地道な活動も含めたデザインとメンテナンスを担うのは企業におけるサポート部門の役割となるだろう。ただし、そうした役割を担うという自負とともに、自制心を持って部門の事象は部門で対応できるようにサポート役に徹することもまた求められる。

 管理職の仕事のなかでは、部下に配慮することがもっとも重要な部分だ。……人事部門はどんな理由があっても、各部門の人事上の問題を扱ってはならない。まともな管理職になるためには、人事に対する責任を受け入れ、人事の問題を自分で処理しなければならない。(358頁)

 HPの人事部門におけるポリシーについて述べた箇所である。各企業によって程度の差はあるだろうが、人時部門が全ての人事事象を担うべきではないのは間違いないし、だからといって部門に全てを委ねるということも現実的ではない。どのように部門のニーズを捉えて、どのように部門の管理者のサポートを行い、どのように経営に対してフィードバックするか。人事部門に求められる役割を今一度考えさせられる。


2016年8月11日木曜日

【第605回】『人生の折り返し地点で、僕は少しだけ世界を変えたいと思った。』(水野達男、英治出版、2016年)

 リーダーシップというと敷居が高く思えるが、それは、これまで積み上げてきたものをもとにしながら、大事にしている価値観に基づいて一歩を踏み出すことなのではないか。著者の言葉を噛み締めながら、一気に読み上げた。

 「社会貢献」なんて大げさなことではない。自分の仕事を通じて、困っている人の役に立つ。それ以上でもそれ以下でもない。
 もし、本当に人の役に立つ製品なのであれば、きっと売上や利益も後からついてくるはずだ。そうシンプルに考えると、腹にストンと落ちた。(9頁)

 マラリアを撲滅するための蚊帳をアフリカで提供するために、事業を立ち上げるための激務の結果、著者はうつ病と診断されて四十日間の自宅待機を命じられた。その働けない期間に自然と浮かんだのが上記の考え方であったという。社会貢献という言葉には崇高なイメージがつくし、事業の立ち上げというと利益を上げなければとプレッシャーが掛かる。しかし、目の前の顧客や患者さんといった人たちの役に立つという地に足のついた考え方の積み重ねによって、結果として社会貢献も利益創造もできるのではないか。私たちの多くの仕事は、著者のチャレンジに比べればもっとスコープが小さく社会的なインパクトも小さいものかもしれない。そうであっても、目の前の人に対して貢献していくことを意識することを繰り返していけば、目的意識を持ち納得しながら働くことができるのではないだろうか。

 タンザニアで合弁がうまくいった要因のひとつは、お互いの信頼関係のもと、50%ずつの出資でリスクを折半し、かつ役割分担がきちんとしていたからだ。
 住友化学は製品の核となる原材料や製造技術と品質管理のノウハウを担当し、AtoZ社は従業員の雇用と製造、東アフリカを中心とした販売を担当する。
 従業員の教育は両者でノウハウを持ち寄り、お互いがそれぞれ自社の役割については責任をもって遂行し、コストと利益についてもきちんと分け合うことを徹底していた。(92頁)

 当たり前のことかもしれないが、ビジネスにおける信頼関係とRole&Responsibility(R&R)の重要性を改めて考えさせられた。信頼関係がなくR&Rがしっかりしていると、他の部門や人の仕事に意識が向かずにセクショナリズムが発生してしまう。反対に、R&Rがなく信頼関係だけで仕事を進めると、できる人に業務が集中し、スキルが属人化し、できる人の疲弊によって組織の力も弱体化してしまう。信頼関係とR&Rとをいかに両立させるかは、異なる文化における企業同士の合弁という観点に限らず、多様な人材間の協働を考える上でもとても参考になる考え方だ。

 特にマラリアのような公衆衛生に関わる分野で、アフリカのような異文化に入っていって、何かを成し遂げるとなればなおさらだ。だから、「焦らず、諦めず、放っておかない」という姿勢が欠かせない。最初からある程度、時間がかかることを前提に物事を進めるのだ。その分、できるだけ早く取り組み始めることも重要だ。(127頁)

 尊敬できるリーダーが「焦らず、諦めず、放っておかない」という言葉を述べているところが示唆的である。特に、興味深いと思ったのは「放っておかない」という部分だ。自分事として当事者意識をもって常に考えているからこそ、何らかの着想が思いつくものであり、そうした着想によって前に進むことができるのではないか。


2016年7月30日土曜日

【第601回】『孫子に経営を読む』(伊丹敬之、日本経済新聞出版社、2014年)

 企業の戦略論で有名な著者が、孫子を紐解きながら経営戦略について解説を行う意欲的な一冊である。大家による解説はさすがであり、孫子との関連性に唸らさせられる。

 経営、戦略、戦い、スピードといったテーマがある中で、リーダーシップについて考えさせられるところが大きかった。リーダーシップという概念は、ビジョンを描き、周囲を巻き込むという意味合いが強い。しかし、孫子が述べるリーダーシップでは、視野が鍵概念として提示されている。

 視野狭窄になるからこそ、相手につけ込まれるポイントが視野の外にでてしまって、見えなくなるのである。とすると、現場の指揮官を視野狭窄に導いてしまう危険因子は他にないかを考えたくなる。たとえば、欲の深い人は、その欲に目がくらんで視野狭窄になりそうである。
 しかし、欲深の危険を考えると、孫子が廉潔でも視野狭窄になりやすいといっていることの深さが見えてくる。欲深の危険は、そこを敵につけ込まれようとつけ込まれまいと、危険因子である。(80~81頁)

 視野が狭くなることで、よくない結果を導くということは自明であろう。では、なぜ視野が狭くなってしまうのか、を考えることが大事である。孫子をもとに著者が述べているのは、欲深が原因であるとしているが、これも自明に思える。興味深いのは、欲深の理由として、清廉潔白という一見すると素晴らしいとされる性格を挙げている点であろう。つまりは、どのような内容であれ、固執しすぎてしまい、柔軟性に欠ける要素があれば、その善悪は問わず、欲深の原因となり、そこに視野が固定されてしまう。その結果として、周囲に目を向けることが難しくなり、視野狭窄を起こしてしまう。

 人間の長所のすぐ横に落とし穴が広がっている、あるいは短所が存在する、というのは、将に限らず、多くの事象で観察されることである。長所だと思うから、それを伸ばそうとする。それはそれでいいのだが、その行動の副作用に気がつかないのが人間の常なのである。(81頁)

 長所に焦点を当てるというのは、ドラッカーも述べていることであり、マネジメントの原則とも言える。もちろん現実のある側面を正しく描写しているのであろうが、その結果として生じる副作用を意識し、それをケアすること。自身が意識して行うことであるとともに、マネジャーが部下の強みとその周囲にある弱みを自覚することをサポートすることが重要であろう。


2016年6月25日土曜日

【第590回】『ハード・シングス』(ベン・ホロウィッツ、滑川海彦・高橋信夫訳、日経BP社、2015年)

 九〇年代後半にインターネットを初めて体感した時分、ブラウザといえば「ネスケ」、つまり、ネットスケープであった。そのネットスケープが、マイクロソフト擁するIEと市場でしのぎを削っていた時期に、著者は同社でウェブサーバーの開発を担っていたという。その後、同社の売却後にベンチャーを立ち上げ、様々な困難(ハード・シングス)に直面しながら苦闘を続けて得られた生きた教訓が惜しげもなく披瀝されている。たとえば以下のような言葉だ。

 ひとりで背負い込んではいけない。自分の困難は、仲間をもっと苦しめると思いがちだ。しかし、真実は逆だ。責任のもっともある人が、失うことをもっとも重く受け止めるものだ。重荷をすべて分かち合えないとしても、分けられる重荷はすべて分け合おう。最大数の頭脳を集めよ。(98頁)

 この言葉は、ベンチャーのトップとして発信されたものではあるが、担当者レベルでも噛み締められるものであろう。自分自身が責任者として担っているプロジェクトであれば、自身が最もそのプロジェクトに知悉しているために、困難に対しても自分自身で解決しなければならないと思いがちだ。しかし、傍目八目という言葉にもある通り、プロジェクトに近すぎるためにすぐ見えるはずの解決策が見えないということはよくある。現状を厳しく見ることは重要だが、その責を過度に背負い込むのではなく、周囲に共有したりエスカレーションすることが、自分にとっても、また組織にとっても望ましい。

 次に、人材開発と組織開発の観点から興味深かった点を取り上げる。まずは人材開発から。スタートアップにおける教育プログラムに求められる二つの方法として挙げられているが、人材開発に積極的ではない多くの企業にとって参考になるだろう。

  • 機能教育を新規採用の条件にする。アンディ・グローブ曰く、マネジャーが社員の生産性を改善する方法はふたつしかない。動機づけと教育だ。よって、教育は組織のマネジャー全員にとって、もっとも基本的な要件である。この要件を強制する効果的な方法のひとつは、採用予定者向け教育プログラムを開発するまで、その部署の新規雇用を保留することだ。
  • 自分自身が教えることで、マネジメント教育を強制する。会社のマネジメントはCEOの職務である。すべてのマネジメントコースをCEOが教える時間はないだろうが、経営陣に求める要件のコースは教えるべきだ。なぜなら、それはCEOの期待にほかならないからだ。ほかのコースは、CEOのチームでもっとも優秀なマネジャーたちを選んで教えさせることによって、教育活動への貢献を誇りに感じるように仕向ける。そして、これも強制にする。(160~161頁)

 現場の人事を担当していると、採用には熱心だが教育には熱心でないマネジャーがいかに多いかに直面する。現場のマネジャーが嘱望する知識と経験のある中途入社社員であっても、入社後の教育は必要不可欠だ。即戦力などというものは少なくとも企業組織ではほぼ幻想であり、持っている知識と経験と、現場で求められるものには差分があるものだ。どこに差があるかを明確にし、それを埋める方策を考え、遂行することが、現場で求められる教育である。そうであるからこそ、入社後の教育を採用の付帯条件にするという著者の指摘は、シンプルにして的確なものである。

 また、トップ自らが率先垂範して教育を行うという点も刮目すべきだ。ジャック・ウェルチの頃からトップによる教育の重要性が謳われてきたが、GEのような超大手企業でないスタートアップでも同様であるという指摘は重要だ。さらに言えば、トップ自らが教えることと、その下のマネジャーが教えることを、HRは支援する必要がある。マネジメントが動かないからといってHRが何もしないというのは、職務放棄でしかない。自戒を込めて、心に強く留意したい至言である。

 次に、人材開発とセットで取り組むべき組織開発についても引用してみたい。とりわけ、組織デザインに関する指摘が参考になる。

 組織デザインで第一に覚えておくべきルールは、すべての組織デザインは悪いということだ。あらゆる組織デザインは、会社のある部分のコミュニケーションを犠牲にすることによって、他部分のコミュニケーションを改善する(262頁)

 そう、すべての組織変更には、ProsとConsが生じる。言われてみれば当たり前だが、断言されると組織替えに伴うデメリットに対する心の余裕ができるから不思議だ。では、ProsとConsをどうバランスして組織デザインを行うべきなのか。ありがたいことに著者は、263~264頁で以下の六つを挙げている。

  1. どの部分にもっとも強いコミュニケーションが必要か。
  2. どんな意思決定が必要なのかを検討する。
  3. もっとも重要どの高い意思決定とコミュニケーションの経路を優先する。
  4. それぞれの部門を誰が管理するかを決める。
  5. 優先しなかったコミュニケーション経路を認識する。
  6. あるコミュニケーション経路を優先しなかったことから生じる問題を最小限とするよう手を打つ。

 それぞれの観点から検討する必要はあるが、私たちが腹を括らなければならないのは、メリットの背景にはデメリットがある、という点である。したがって万能な組織デザインは不可能であるのだから、どのメリットに重きを置き、必然的に生じるデメリットをどうケアするかを考える必要がある。加えて、組織を変えるタイミングだけではなく、その後の日常におけるコミュニケーションにおいて、ケアし続けることを留意しなければならない。