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2018年3月25日日曜日

【第821回】『ファスト&スロー(下)』(ダニエル・カーネマン、村井章子訳、早川書房、2012年)


 上巻に続き、私たちの<当たり前>が揺さぶられる、刺激的で示唆に富んだ内容である。判断や評価に日常的に接する機会の多い身として、身につまされる思いがすると共に襟を正される思いもする。著者が長年の研究で明らかにしてきたエッセンシャルな内容を、私たち一般の読者がわかるように噛み砕いて説明してくれる贅沢な書籍である。

 個人的に興味深かった点を中心に内容を見てみたい。まずは、プロフェッショナルの直感について。

 専門的スキルの限界を認識していないことが、エキスパートがしばしば自信過剰になる一因だと考えられる。(20頁)
 直感が十分に規則性の備わった環境に関するものであって、判断をする人自身にその規則性を学習する機会があったのなら、連想マシンがすばやく状況を認識して正確な予想と意思決定を用意してくれるだろう。この条件が満たされているなら、あなたはその人の直感を信用してよい。(21頁)

 著者が明確に述べているのは、プロフェッショナルによる正しい直感と、そうでない直感とを峻別せよ、ということである。プロフェッショナルの卓越したスキルを重視する研究者との共同研究の結果として、直感が正しく機能する条件を明らかにした上記の引用箇所は非常に示唆的である。

 判断の根拠となる状況を認識・予想できる条件下での直感的な判断であれば正しく機能する可能性がある一方で、そうでない場合には留意が求められる。プロフェッショナルと呼ばれる人々の意見を私たちは盲信するのではなく、どのような条件で提示された意見であるかを検討することが有効なのである。

 次に興味深いのは、参照点、感応度逓減性、損失回避性という私たちの意思決定時の三つの基準に基づいていること(76頁)を明確にしたプロスペクト理論である。この理論を用いた現実的な意思決定の基準を噛み砕いて書いてくれているのがありがたいものである。以下の図13(126頁)のまとめが非常にわかりやすい。


利得 損失
高い確率
確実性の効果
95%の確率で1万ドルもらえる
万一の落胆を恐れる
リスク回避
不利な調停案も受け入れる
95%の確率で1万ドル失う
なんとか損を防ぎたい
リスク追求
有利な調停案も却下する
低い確率
可能性の効果
5%の確率で1万ドルもらえる
大きな利得を夢見る
リスク追求
有利な調停案も却下する
5%の確率で1万ドル失う
大きな損を恐れる
リスク回避
不利な調停案も受け入れる

 パフォーマンス・マネジメントにおいて目標をいかに設定し合意を得るかということは肝であるとともに難しい点である。その際に、被評価者側と評価者側がお互いにどのように目標を検討するか、ということは上記のマトリクスに現れているように思える。

【第819回】『ファスト&スロー(上)』(ダニエル・カーネマン、村井章子訳、早川書房、2012年)
【第729回】『人材開発研究大全』<第3部 管理職育成の人材開発>(中原淳編著、東京大学出版会、2017年)
【第701回】『人事評価の総合科学【2回目】』(高橋潔、白桃書房、2010年)
【第425回】『人事評価の「曖昧」と「納得」』(江夏幾多郎、NHK出版、2014年)

2018年3月21日水曜日

【第819回】『ファスト&スロー(上)』(ダニエル・カーネマン、村井章子訳、早川書房、2012年)


 本書で対比的に述べられている私たちの二つの思考は、本書の原題「Thinking, Fast and Slow」に端的に現れている。つまり、瞬間的に意思決定を下す迅速な思考と、時間をかけて考えた上で意思決定を下すゆっくりとした思考とである。

 本書では、前者がシステム1として、後者がシステム2と呼称されている。いかに私たちの日々の思考がシステム1によって為されているか、またシステム2と思っている判断がシステム1に影響を受けているかが詳らかにされ様は見事だ。

 私たちは、情報を取捨選択し、多様な選択肢を見据え、よく考えた上で意思決定を下すことが多いと思いがちだ。しかし、このようなシステム2よりもシステム1の影響が大きいという本書の指摘は新鮮であり面白い。単に興味深いだけではなく、人事に携わる身として、身につまされる箇所が随所にある。

 あるタスクに習熟するにつれて、必要とするエネルギーは減っていく。脳に関する多くの研究から、何らかの行動に伴う脳の活動パターンは、スキルの向上とともに変化し、活性化される脳の領域が減っていくことがわかっている。(54頁)

 この点は、業務への習熟とそれに伴う成長の鈍化として読み解けるだろう。当初はシステム2が作動していた業務であっても、時間の経過とともに習熟すればシステム1が作動する業務へと変容する。特定の業務に習熟すると、仕事が迅速かつ正確に進み、達成感や心地よさを感じるものだ。しかし、それが自身の成長や、可能性の開発に繋がるわけではない。いかにして、業務の効率性の追求と新しいチャレンジの付与とのバランスを取るか、が職務のアサインメントおよび個人のディベロップメント上の課題である。

 バイアスを自分の力でコントロールする可能性に関して、私はおおむね悲観的なのだが、この利用可能性バイアスは例外である。というのも、バイアスを排除する機会が存在するからだ。たとえば報酬を分け合う場合などは、露骨にちがいが出るため、複数の人が「自分の貢献は適切に評価されていない」と感じると、チーム内で軋轢が起きやすい。そんなときには、各自の自己評価に従ったら貢献度の合計が一〇〇%以上になってしまうことを示すだけで、問題が解消することがよくある。あなたはもしかすると、自分に配分された報酬以上の貢献をしたのかもしれない。だがあなたがそう感じているときは、チームのメンバー全員も同じ思いをしている可能性が高い。(194~195頁)

 マネジメント研修でぜひ伝えたい考え方である。メンバーは不満を抱くことが多いし、それはメンバーとしての自身の経験からもそう思える。自分自身の貢献を個人の視点から高く捉えるということは、相対的に他者の貢献度合いを低く見積もっているということである。となると、モティベーション理論の公平理論に照らせば、自身の貢献に対して報酬が不当に低いという不満を抱くことになるのではないか。引用箇所で述べられている通り、メンバー全員に特定のプロジェクトの貢献度合いを評価してもらい、その結果を匿名で全員にシェアして納得してもらう、ということを行うのが効果的なのでは思うが、いかがだろうか。

 代表性は、システム1による日常モニタリングの結果と密接に関連づけられている。最も代表的に見える結果と人物描写が結びつくと、文句なしにつじつまの合ったストーリーができ上がる。つじつまの合うストーリーの大半は、必ずしも最も起こりやすいわけではないが、もっともらしくは見える。そしてよく注意していないと、一貫性、もっともらしさ、起こりやすさ(確率)の概念は簡単に混同してしまう。(234頁)

 いやはや、採用、昇進・昇格、異動、といった場面で留意しなければならないポイントである。人事的な意味合いで、特定の社員を評価しなければならない情況は時にある。限られた情報の中でいかに評価内容を形成するか。非常に重たいテーマであるが、謙虚に自分の意見を創り上げる必要があるのではないか、と思った。

【第821回】『ファスト&スロー(下)』(ダニエル・カーネマン、村井章子訳、早川書房、2012年)
【第701回】『人事評価の総合科学【2回目】』(高橋潔、白桃書房、2010年)
【第425回】『人事評価の「曖昧」と「納得」』(江夏幾多郎、NHK出版、2014年)
【第729回】『人材開発研究大全』<第3部 管理職育成の人材開発>(中原淳編著、東京大学出版会、2017年)
【第713回】『ワーク・ルールズ!(2回目)』(ラズロ・ボック、鬼澤忍・矢羽野薫訳、東洋経済新報社、2015年)

2015年8月14日金曜日

【第472回】『日本人のためのピケティ入門』(池田信夫、東洋経済新報社、2014年)

 トマ・ピケティを読まねばと思いながらも、その厚さに恐れをなして避け続けてきた。Twitterでも興味深く拝読させていただいている著者が書かれた入門書を思い出し、今回、まずは手軽に勉強するために読んだ次第である。学部時代の初期は、経済学、特にマクロ経済学を好んで学んだものであるが、月日が経つのは恐ろしいもので、概念的な整理の部分から失念している。そうした初学者として臨んだ状態で学んだものを記していく。

 資本主義では歴史的に所得分配の格差が拡大する傾向があり、それは今後も続くだろうということです。(12頁)

 これが著者による『21世紀の資本』の要約である。続けて、あまりに有名な「r>g」という不等式についても簡潔明瞭にポイントを述べてくれている。

 「資本家のもうけが一般国民の伸びより大きく増えるので格差が拡大する」という意味です。おまけに資本ストックは蓄積されて相続されるので、資産の格差はますます広がります。(15頁)

 では、こうした資本主義が抱える根本的な構造に因る事象をどのように解決することが私たちに可能なのか。

 ピケティが提案するのは、グローバルな累進資本課税と、世界の政府による金融情報の共有です。しかしそれを実施するには、世界の主要国がきわめて高いレベルの国際協調を実現し、税率やその分配方法などについて合意する必要があり、今のところそれが実現する見通しはまったくありません。(75頁)

 ここで述べられている累進資本課税とは何か。最後に著者は、その意義を述べて本書を締め括っている。

 資本課税は、それに比べるとずっと控えめな改革です。それは資本主義と所有権を守りながら、r>gの生み出す危険な結果を防ごうとするものです。それは21世紀のグローバル資本主義をコントロールするための新しい制度です。その目的は所有権を尊重して個人の権利を守ることであって、所得の再分配ではないのです。(77頁)

2011年3月6日日曜日

【第15回】『超マクロ展望 世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人著、集英社、2010年)

いざなぎ超えと言われた20021月~200710月までの69ヶ月に渡る経済成長。この未曾有の好景気を肌感覚として実感できなかった最大の理由は所得が増えなかったからである。では好景気がなぜ国民の所得増をもたらさなかったのか。

本書ではその根本原因を諸外国との交易条件の悪化に見ており、その最も大きなインパクトを与えているものは石油をはじめとした天然資源であるとしている。つまり、好景気によって主に海外への売上が上昇した一方で、生産過程で使われる天然資源の価格高騰により支出が増えたために効果が相殺。その結果として、利益が逼迫して所得の上昇に蓋をした、という構図である。

と、ここまでは普通の議論であるが、本書では天然資源の交易条件が悪化した歴史的な背景を経済および国家という二つのファクターで丹念に議論されているのが特徴的である。

歴史を遡れば、1960年代までは石油メジャーと呼ばれる大手数社が油田の採掘や石油価格を実質的に支配していた。これは、西欧の中心的国家が周辺部に植民地を設け、土地を囲い込むことで資源や市場、労働力を安価に手に入れて経済発展を遂げる、という帝国主義的なアプローチと言えるだろう。しかし、脱植民地化運動や資源ナショナリズムの高揚で中東の資源国が発言力を高めたためにOPECの価格決定力が増した。中東諸国と石油メジャーとの勢力が逆転した事実を端的に表したのが1973年に起きたいわゆるオイルショックである。

中東の石油産出国が影響力の源泉としていたのは、石油の採掘に伴う労働力や土地という実態経済であった。それ以前の石油メジャーも同じ権益により支配力を維持していたのであり、同一のルールに則って勢力の交代が行なわれたと言える。

しかしその後、ルールが変わる。OPECの価格支配に対抗するために、石油を金融商品化して国際石油市場を整備し、金融商品の売買によって利潤を得ようという動きが1990年前後からアメリカを中心に起きたのである。つまり、実体経済に影響を与える地政学的な枠組みが取り払われ新しい経済の流れが生まれたのである。

このような大きな流れで捉えれば、イラク戦争は石油利権という実態経済上の利益を得るための戦争ではない。そうではなくて、ドルを基軸通貨とする国際石油の金融市場のルールを守るためのアメリカによる戦争である、と本書は指摘する。当時を思い起こせば、ユーロが基軸通貨として台頭していた時期であり、基軸通貨競争でドルがユーロに敗れる事態になれば、アメリカが金融取引を通じて内外で得ている利潤が一気に消滅する危険性があったわけである。そのような時代背景の中でイラクは石油をユーロによる取引にすると発表した。したがって、アメリカとしては、他のあり得る理由を根拠にして、自国通貨を守るために戦争を行なったのではないか、という主張である。

この主張の合理性の判断は読者諸氏に任せるとしても、領土を経由せずに、金融取引をもとにして他国の経済を支配するというのが現在のグローバル化であるという論点は充分に首肯できるものと言えるのではないか。そして、その流れに乗り遅れているのが日本経済であるということも言えるだろう。

では、巷間でよく言われるように、こうしたグローバル化の進展に伴って国家の存在意義はなくなるのであろうか。本書ではこのような考え方は否定されている。たしかに近代以降に支配的であった国民国家という形態に変化は起きているが、それは国家じたいがなくなるということではないというのである。というのも、市場と国家とはときに対立的に捉えられるが、それは誤った捉え方であり、市場経済と国家とは共犯関係にあるのである。

つまり、近代資本主義の進展は、暴力を扱う国家と、労働を管理する資本家とを分離する作用をもたらした。国家は暴力を背景として保有する領土内の人民から租税を徴収し、自国以外の存在からの略奪の危険性を排除する。そうした安全面での保障を背景に資本家は経済活動を行なうことで富を蓄積して労働者に配分し、また国家に対して租税を納めて国家の強化に繋げるという構図である。やや穏やかでない書き方になっているが、要は、市場と国家との相互依存関係がイメージしていただければありがたい。

こうした国民国家の形態が変わりつつある、ということはどういうことであろうか。本書によれば、実は、冒頭で記した金融化に向かう現象は現代のみに特有のものではない。つまり、実物経済の利潤低下、金融化の拡大、バブル発生、ヘゲモニーの終焉、という一連のプロセスは、スペインやポルトガル、オランダ、イギリス、といったかつてヘゲモニーを担った国々がかつて経験したプロセスと同じなのである。したがって、我々はこうした脱近代的な社会システムの構築が必要である、というのが本書の結論である。

では、どうすれば良いのか。交易条件を軸にして国家と資本市場との関係性を論理的に導き出す本書の視点は見事であるが、具体的なアプローチは強調されていない。したがって、他の書にその方向性を見てみたい。

私が参考になると思ったのは藻谷浩介さんの『デフレの正体』である。第一に、交易条件が優れた外国に学ぶ、という視点である。その最たる模範例がブランド化である。フランス、スイス、イタリアはITや金融で世界を席巻するということはないが、優れたブランド商品を売ることで莫大な貿易収支を国外から得ている。卑近な例であるが、自家用車は買わないがブランド商品は年に数十万円も消費する、という日本の家庭を思い浮かべれば、その戦略の有効性は自明であろう。したがって、とりわけ新興市場で売れるブランドを強化することが日本の交易条件を強化するために有効なのである。

これ以外にも、高齢富裕層から若者への所得移転を進める、女性労働力の活用、外国人観光客と短期定住者の積極的受け入れる、といった施策が展開されている。個別の議論は本を読んでいただくとして、ここで考えたいことは、こうした具体的で実効性がありそうに思える施策がなぜ現実の経済界や政治界で展開されてこなかったか、ということである。

藻谷さんの主張は、既存の経済「学」の射程にない発想に拠るものである、というのがその大きな理由であるのではないだろうか。つまり、藻谷さんが主張する上述の施策は、サプライ・サイドではなくてディマンド・サイドの施策であり、ディマンド・サイドの富の蓄積主体の移転を主張している。しかし、経済学において、ディマンド・サイドの中身を因数分解するという議論は正当な経済学の射程外なのではないだろうか。そうであるからこそ、藻谷さんや水野さんは「正当な経済学者」から異端として批判されているのであろう。

私はどちらが正しいということを申し上げたいわけではないし、経済学を専門に学んだ人間ではないので言える立場にもない。しかし、既存の経済学、とりわけケインジアンが主張してきたもので言えば、たとえばIS-LM曲線に基づく経済施策は日本経済に効果が薄かったと認識している。2000年代に行なわれた公共工事の増加、地域振興券の配付、高速道路料金の低減、といった財政政策(IS曲線を右側にシフトさせようとする施策)、ゼロ金利政策による金融政策(LM曲線を右側にシフトさせようとする施策)。こういった典型的な経済政策が所得向上に繋がらなかった事実を直視すれば、既存の経済学だけでは対処できないという現実を見つめなければならないだろう。だからこそ、水野さんや藻谷さんといった辺境の経済学者の意見に耳を傾けることは有益なのではないだろうか。

追記
本書は経済と国家に関する書籍であるので両者について書きたかったのであるが、今回は経済に関する記述に傾注しすぎてしまった。そこで、来週は、本書の共著者である萱野さんの『国家とはなにか』を参考にして国家に焦点を当てて書いてみたい。

<参考文献>
福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』有斐閣、1996
藻谷浩介『デフレの正体』角川書店、2010