2016年11月3日木曜日

【第639回】『ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか』(山崎繭加、ダイヤモンド社、2016年)

 3・11以降の東北が、リーダーシップやイノベーションといった文脈でなぜ注目され続けているのか。HBSという世界標準で分かり易い存在が東北で活動してきた様子が描かれることでその理由の一端がつまびらかにされている。

 そもそもなぜHBSは東北で活動を始めたのか。その背景には、HBSが従来行ってきた教育に対する自戒の精神で、教育方針を変えたという文脈に東北というフィールドが合致したようだ。

 これまでの教育は、事実、フレームワーク、理論を教えて「知識を増やす(knowing)」ことに重点を置き過ぎていた。よりスキルや能力の開発につながるような「実践(doing)の場」を増やし、またすべての行動のベースとなる自身の価値観・信念の認識を深める「自分が何者であるかを知る(being)教育」を行っていかなければいけない、という結論である。つまり、これまでは頭ばかり動かしていたが、これからは実際に体も動かし、そして心を豊かにしていく。頭と体と心のバランスをとる教育をしていかなければいけない、問いう決意表明だ。(27頁)

 何をいまさらとバカにしてはいけない。数年前に注目されたサンデル教授の授業はハーバードで行われていたものであり、ハーバードは、実務能力を高める教育ばかりに傾注してきた大学ではない。時代や環境に合わせて自らを否定しながら、教育を変えていく姿勢は素晴らしいものであり、こうした態度自体から私たちが学べることは多いだろう。

 HBSの崇高な自戒の精神から生み出されたものの一つがMBA2年生向けのフィールドプログラム「Immersion Experience Program」(以下「IXP」)である。世界各地でIXPに適したフィールドを選定し実施している中で、東北でのIXPは五年連続の開催、加えて定員枠を上回る参加にまで至ったという。IXPとしていくつか訪れている町の中でも、参加者の関心が高い地域の一つが女川だ。

 ジャパンIXPが開講されて以来、HBSが毎年訪問している宮城県女川町。最も被災率が高かったにもかかわらず、復興のスピードは早い。その背景には、官・民・NPOという分野のそれぞれに変革のリーダーがいたことや、彼らが協同して町づくりを行ったこと、そして主婦から中学生、女川の外からやってきた人までみな新たなチャレンジをする気概や実行力を持ち各分野でリーダーになっていたことなど複数の要素がそろったことがある。(196頁)

 リーダーシップは一人の突出したリーダーが発揮することで力を出せるものではない。各人のそれぞれの役割の中でのリーダーシップ行動が影響を与え合って、一つの組織なり地域なりで傑出した成果を出せるものであろう。とりわけ、女川ではいわゆるよそ者を受容し、オープンな変革のうねりを作り出してきたという側面も強いようだ。そうしたリーダーの一人である元リクルート社員で震災後に地元・宮城に復興支援のために戻り、女川に留まることになった小松洋介氏の言葉が興味深い。

 自分のミッションは、町の再生を通じて日本を変えること。女川での経験は、ほかの地域でも必ず生きる。この数年は自分への投資だと思っています。だから給料のことはまったく気にしていません。(203頁)

 きれいごとのようにある地域へのコミットメントを言うことは容易い。しかし、より広い地域・社会へ関与しようとするコミットメント、自分自身の価値観へのコミットメントといった複数の軸と地域へのコミットメントが合わさることが原動力の重要な要素になっているのではないだろうか。


2016年10月30日日曜日

【第638回】『会社の中はジレンマだらけ』(本間浩輔・中原淳、光文社、2016年)

 ヤフーの上級執行役員と東大の准教授との対談。両者のセッションは数年前に伺ったことがあり、ヤフーの人事のしくみに感銘を受けていたので、本書もたのしみにしていたところ、期待に応える良書であった。

 まずはヤフーにおいてフィードバック文化を醸成した1on1ミーティングについて。

 社内で、部下と上司の関係性について調査したことがあるんですが、社員に「どんなときに一番モチベーションが上がりましたか」と尋ねたところ、「上司が黙って話を聞いてくれたとき」という答えが上位に入りました。上司の側には、1on1の場で部下に何かとんでもないことを言われるんじゃないかという恐怖もあるんですが、実際には、部下はいつも上司に解決策を求めているのではなく、話を聞いてほしいだけというケースが多いんです。(34頁)

 ヤフーでは毎週1on1ミーティングを行っている。そんなに何を上司は話すことができるのかという異論が出そうであるが、本間氏は端的に話したり解決策を示すのではなく話を聴くことが重要であると指摘している。同意である。聴くことで、部下が何に関心を持って働いているのか、何に困っているのか、どういう優先順位付けをしているのか、いろいろと分かることはある。一通り聴き終わった後にはフィードバックをすると良い。

 フィードバックも同じで、上司が部下の鏡になって「こう見えているよ」と教えてあげればいいんです。「見える」という言い方が大事で、そこに「なんでできないんだ」とか「あんなことやってどうするんだ」という評価を加える必要はない。(49頁)

 上述した通り、解決策を示す必要はなく、加えて部下の話に価値判断を示す必要もない。シンプルに、どのように客観的に見えるのかについて示してあげれば良い。そうすることによって、部下側としては自分の言っていることがどのように他者に映るのかを把握することができ、自分で自分の抱える課題に気づくことができる。

 本間さんは面白いですね。ある仕組みをつくったら、必ずそのカウンターとなる仕組みも併せてつくりますよね。そういう思考の人なんだろうけど、人を信じている一方で、過剰に信頼しすぎてもいない。人を信じて、人を信じすぎず。これもマネジメントの妙味ですね。(136頁)

 1on1ミーティングという上司から部下への施策に加えて、部下側からのフィードバックを仕組みとして設けようとしている旨を本間氏は述べている。それに対する中原氏の発言が上記引用箇所であり、なるほど、妙味のある考え方であると唸らさせられる。


2016年10月29日土曜日

【第637回】『ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則』(J・C・コリンズ、山岡洋一訳、日経BP社、2001年)

 あの『ビジョナリーカンパニー』の続編ではあるが、著者によれば内容としては前編である。「良い企業」と「偉大な企業」との違いが、また「良い」状況が「偉大な」状況へと発展することをいかに阻害するかが描かれた、前作と並び賞させる古典と言えるだろう。

 規律ある人材が、規律ある考えに基づいて、規律ある行動を取り続けることによって「偉大な企業」を創り上げていくことを描写した本作。こうした三つのステップの最初である「規律ある人材」について考えさせられる部分が多かった。

 第五水準の指導者は成功を収めたときは窓の外を見て、成功をもたらした要因を見つけ出す(具体的な人物や出来事が見つからない場合には、幸運をもちだす)。結果が悪かったときは鏡を見て、自分に責任があると考える(運が悪かったからだとは考えない)。(56頁)

 規律ある人材の第一の要素である「第五水準のリーダーシップ」では、旧来のリーダーとは異なる人材像が提示されている。出版当時は、GEのジャック=ウェルチやIBMのルイス=ガースナーがいて、スティーヴ=ジョブズがアップルのトップとして復帰するなどカリスマ型のリーダーが持て囃されていた時代だ。そうした時代に謙虚なリーダーシップ像を提示し、それ以降の趨勢を考えれば、第五水準のリーダーシップの正当性がわかるものであり、著者の示唆の素晴らしさに脱帽する。

 第五水準のリーダーシップでリーダー像が提示された後は、その鏡となるフォロワーシップとしての人材について述べられている。

 偉大な企業への飛躍に際して、人材は最重要の資産ではない。適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。(81頁)

 人材が大事と言葉で言うことは易しい。しかし、人材が大事なのではなく、適切な人材が大事であるという著者の指摘は重たい。ではなぜ人材一般ではなく、適切な人材こそが大事であるという指摘を著者は行ったのか。

 不適切な人物が職にしがみついているのを許していては、周囲の適切な人たちに対して不当な行動をとることになる。不適切な人物がしっかりした仕事をしないので、適切な人たちが尻ぬぐいや穴埋めをするしかなくなるからだ。それ以上に問題なのは、最高の人材が辞めていく原因になりかねないことだ。すぐれた業績をあげる人たちは業績向上を強く願っていて、これを仕事の原動力にしている。自分が努力しても不適切な人たちに足を引っ張られると考えるようになれば、いずれ苛立ちが嵩じてくる。(90頁)

 理由はシンプルである。適切でない人材は、仕事を適切にしないというよりも、その存在によって適切な人材を含めた周囲の人材の負担になるからである。そうした人材が多ければ、適切な人材が活躍の場を他に求めることは自明であろう。人事として、いかに適切な人材を処遇するかということとともに、いかに不適切な人材に毅然とした行動をとるかを検討することが必要不可欠である。


2016年10月24日月曜日

【第636回】『日本社会の歴史(下)』(網野善彦、岩波書店、1997年)

 シリーズ三部作の完結編。鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代から安土桃山時代および江戸幕府が開かれる頃までを中心に論じられている。

 六〇年間の動乱の中で、王権、政治権力はまさしく四分五裂の状況にあったが、そのなかで諸地域の独自な動きはむしろ活性化し、社会全体の転換はこの間、さらに大きく進行した。
 十三世紀後半以後、前述したように、貨幣経済は軌道に乗っていたが、銭貨はさらにいっそう広く深く社会に浸透し、各地の荘園・公領の年貢が市場で売却され、公事、夫役などの負担を含めて、すべてが銭に換算されて支配者のもとに送られるようになった。地頭・御家人の所領からの得分を銭に換算し、貫高で表示するようになるのは、前述したように十三世紀後半までさかのぼりうるが、この時期になると、そうした貫高表示は一般的に行われるようになっている。(35頁)

 十四世紀頃からの社会の描写である。貨幣経済が広く浸透したことにより、地域をまたいだ交易が盛んになった様子がわかる。

 安定した自治組織を確立しはじめた村落や都市は、依然として遍歴・漂泊を続ける自立的な宗教民、芸能民、商工民に対し、警戒心を強め、それが差別の生ずるひとつの理由になっている。(中略)
 さらにこのころの社会の文明化の進展、人間と自然との関係の新たな変化にともない、穢れに対する社会の対処の仕方にも大きな変化がおこってきた。かつて人の力を超えた畏怖すべき事態であった穢れは、この時期になると、むしろ汚穢として忌避されるようになってくる。(46~47頁)

 中世において村組織が安定してからは、地域に安定しない人々に対する差別が生じたという。日本企業において、転職というものがイレギュラーであり、転職者に対する穿った見方が生じた背景には、こうした「村社会」文化があると考えるのは行き過ぎであろうか。

 また、現代にまで続く差別ー被差別の関係性もこのころから生じたとする。差別される対象というのは、私たちの<普通>の社会から離れた存在である。

 戦国大名は、職人、商人、廻船人によって形成された自治的な都市における市場での自由な取引を公認し、楽市、「十楽之津」であることを認めつつ、調停者、支配者としての自らの立場を固めようとしていた。おのずと戦国大名は商工業者や貿易商人に与えられた宗教勢力に対しても、無縁所の特権を安堵するなど、その自立的な活動を積極的に認める保護者としての立場に立つことによってその立場を強化しようとした。
 こうした戦国大名の姿勢は、村を支配している国人、地侍などの領主に対しても同様で、その所領を安堵してその独自な支配を公認し、領主や国人の一揆とそれを背景にした合議体による領主間の盟約を調停者として保障する立場に立ち、政治的な共同体となった「国家」を構成する人民ー「国民」を保護する義務を負うことによって、大名は地域の支配者としての立場を保っていた。(86~87頁)

 日本における国家とは明治から始まるものであると考えられがちであるが、小さい単位での国家は戦国時代に原型があるのだろう。少なくとも、私たちの意識に潜在的に存在している可能性があることを意識するべきだろう。


2016年10月23日日曜日

【第635回】『日本社会の歴史(中)』(網野善彦、岩波書店、1997年)

 シリーズ第二作。本作では、十~十四世紀前半、つまり摂関政治から鎌倉幕府の崩壊までの時代における社会の変遷が扱われている。

 行事が自然の運行と関連させて考えられていただけに、自然と社会との均衡を一時的に崩す死、出産、火事などによって生ずる穢れ、しかも垣根や門によって仕切られた空間では伝染すると考えられていた穢れが、天皇や朝廷、あるいは神社に及ぶことは非常に強く忌避され、それを清めるための忌籠りの期間などの細かい手続も定められた。これも平安京の都市化にともなう現象ということができる。(24頁)

 自然によって生じるアクシデントのような出来事における細かな手続には辟易とさせられることも多い。当事者の想いや意志を発揮できる部分が限られており、ルールを墨守することが目的となっているように感じられるからだ。しかし、そうした細かな手続きができあがる背景には理由がある。ここでは、権力主体や神仏が、穢れと意識的に切り離されるためのものとして忌籠りなどの細かなルールができあがったと描出されている。

 道長は、わずか一年ほどで摂政も太政大臣も辞職し、彼のあとをうけて摂政となった子息頼通の背後にあって、「大殿」として実質的に国政を指導し続けていくことになる。このように公的な地位と、実質上の権力者「大殿」とが分離したことは、摂関家という「家」が成立していたこと、また実質の権力を世襲する「摂関職」ともいうべき実態が形成されつつあったことを物語っている。(29頁)

 藤原摂関政治ができあがった前提条件として、イエという制度が確立していたからという指摘が示唆的である。現在ではイエという概念は当たり前のように捉えているが、平安期以前は、「万世一系」という物語によって創られた天皇だけがそうした概念で括られる唯一の存在であったのだろう。藤原氏という豪族の絶対的権力者による世襲体制が摂関政治の形成によって実現して初めて、イエによる権力継承のスタイルができあがったのである。

 奇蹟ともいうべき暴風による元軍の敗退を、大寺社は祈禱による効果とし、これを「神風」と強調して、祈禱に対する恩賞を王朝と幕府に強く求めた。そのなかで神明の加護する「神国日本」という見方が広く流布されるようになったが、それが一方では、関東の王権を中心に「日本国」の全力をあげ、法華経の力によって外敵から守ろうと主張した日蓮とその信徒たちに対するきびしい弾圧をともなっていたことに注意する必要がある。「日本国」意識は、たしかに元との戦争によって以前よりも列島社会に浸透するが、そこでは呪術的色彩を強くもつ神仏の力に自らの利益を見出そうとする寺社の主導した見方が優位を占めていたのである。(167~168頁)

 著者によれば、元寇以前においても「日本国」という意識は存在したが、そこには神仏による呪術的色彩が強かったとしている。それが、元寇以降においては、呪術的色彩が薄れ、いわば空気としての「神国日本」という意識が流布されたという。「神国」という本来的に宗教色のある言葉でありながらも、権力主体としての国家と結びつく過程の描写は、示唆的でありながら、恐ろしさも感じるのは言い過ぎであろうか。

 十三世紀後半に入ると、文字の社会への浸透が著しくなり、読み、そして書く文字として発達してきた平仮名を漢字に混じえた文書を、侍クラスの人はもとより主だった平民百姓も書き、同様のクラスの女性たちもまた平仮名の書状を書くようになってきた。(中略)
 この時期になると、主だった百姓が、たとえば新次郎、又四郎などの同じ仮名を代々名乗る傾向がみえるので、家産と結びついたイエが平民百姓のなかにも形成されてきたと考えられるが、荘園・公領の諸単位には、そうしたイエの集団としての安定した村落がしだいに形成されつつあった。(170~171頁)

 平安中期における摂関政治に見たイエ制度の浸透は、十三世紀後半に一般的な百姓の単位にまで定着したようだ。その定着の背景には、文字の浸透という土台があったことにも留意すべきだろう。イエという概念を理解し人々の間で共有するためには、公共語としての日本語という言語の敷衍が必要不可欠なのである。

【第580回】『東大のディープな日本史』(相澤理、中経出版、2012年)
【第333回】『山本七平の日本の歴史<上>』(山本七平、ビジネス社、2005年)

2016年10月22日土曜日

【第634回】『日本社会の歴史(上)』(網野善彦、岩波書店、1997年)

 本書は、日本の歴史ではなく日本「社会」の歴史について述べられたものである。誰が何を行ったかではなく、それをもとに権力間の関係性や権力と人民との関係性がどのように変化してきたのかが丹念に述べられている。私たちの社会がどのような変遷を経て形成してきたのかを学ぶことができる。

 水田などの耕地の開発は、自然との格闘を通じて進められるが、その際、自然と人間の世界の境、あるいはそれぞれの集団の居住地域の境に、石や木などの標を立てて神を祭るとともに、山や川、巨石、巨木などに神を見て、それを祖先の神々の宿る聖地・聖域として祭ることも広く行われ、このころになれば、人里近くに社のような施設をつくることも行われるようになってきた。もとより農耕民だけではなく、海民、山民も海の神、山の神に対する独自な祭祀・儀礼を行っていたが、首長たちの服属を推し進める過程で、大王と近畿の首長たちはこれらの祭りをみずからの祭祀体系のなかにとり込み、首長たちの祭る神々と大王の祖先神とを結びつけてそれを「神話」=政治的な物語のなかに位置づけ、自らの支配の正当化をはかったのである。大王自身の祖先神の祭りを太陽信仰の聖地、伊勢において行うようになるのがいつからかについてはさまざまな考え方があるが、それをこのころとする見方も有力である。(73~74頁)

 五世紀後半からの大王を中心とした権力主体による国家形成過程が明らかにされている。自然とそれに基づく自然信仰が各地で独自に存在していた状態から、それらを束ねる形で神話が創造され、それによって大王が<日本>を束ねるという構図が形作られた。自然と私たちとの生活に基づく信仰が権力主体に取り込まられる構図の萌芽と言える動きであろう。

 こうした、人の力の及ばぬ自然、神仏の世界と人間の世界との境界として、河原・中洲・浜や巨木の立つ場所に、人びとは市を立てた。そこは神の力の及ぶ場であり、世俗の人と人、人と物の結びつきが切れるとされており、人びとはそこに物を投げ入れることによって、これを商品として交換しうる物とした。共同体をこえて人びとは市庭に集まり、畿内周辺では銭貨も用いたが、米・布・絹などを主な交換手段として、交易を活発に行った。(162頁)

 八世紀前後の畿内の様子である。神仏と市場との関係性が現れている。神道や仏教において金銭が忌み嫌われる歴史と、しかしながら神仏と市場との密接な関係性において交易が発展してきた背景とが明らかにされている。

 この時期の政府は、全体として律令の建前をなおいちおうは保ちつつ、実際には現地の問題の処理を次第に国司に委ねるようになっていたが、神社や寺院の変動についても成り行きに任せる姿勢が目立つようになった。
 しかしこうした平民たちの神観念の動揺のなかにあって、各地域を遍歴遊行して教化を進める僧侶があらわれ、これらの僧侶たちは、神が苦悩しており、その苦悩を仏が救うという考え方に立って仏教の布教をすすめた。こうして「神仏習合」といわれる動きがここに一段と顕著になり、神社に結びついた神宮寺の建立の動きが各地でみられるようになったが、同時にまた、仏教と習合して人格神の性格を持つようになった神を、仏像にならって神像に彫刻して表現することがさかんに行われた。(205~206頁)

 八世紀後半において、中央における政府から派遣された国司による支配形態が浸透し始める。しかし、そうした政治的な権力主体は、地方においては単独で成り立つことは難しく、宗教組織との相互依存関係が必要であった。さらに言えば、神道と仏教との習合が当時から為されていたというところが、クリスマスを祝い、新年を神社で迎え、法事を寺院で行うという現代日本人の宗教に対する寛容さを現していると言えるのではないだろうか。

2016年10月17日月曜日

【第633回】『50円のコスト削減と100円の値上げでは、どちらが儲かるのか?』(林總、ダイヤモンド社、2012年)

 『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』シリーズの著者が、安曇教授以外の登場人物を変えて送る新たなストーリー。

 売上高ー材料費(変動費)=限界利益
 限界利益ー固定費=利益

 76頁にある上記の基礎的な知識を踏まえながら、「限界利益とは、会社が生み出した付加価値そのものなのだ」(67頁)と限界利益の本質を端的に表すのはさすがである。

 『餃子屋~』も面白かったが、本書が私には最も興味深く、かつ何度も読みたいと思える一冊であった。というのも、会計の基礎知識を学べることは同シリーズと同じであるが、会計、つまりは財務の視点を取っ掛かりとしてBSCの他の三つの視点とを結びつけながら学ぶことができるからだ。とりわけ143頁でまとめられている業務プロセスの視点についてのポイントが秀逸である。

 ①商品とサービスを顧客満足につなげる
 ②生産性を向上させる
  (1)コストの削減
   ・歩留まり率を高めて材料費率(変動費率)を減らす
     食材のムダ使いをやめて歩留まり率を高める
   ・固定費の増加を抑える
     贅肉(ムダな費用)はそぎ落とす。
     だが筋肉(会社にとって不可欠な費用)は減らさない。
  (2)資産の活用 
   ・設備の稼働率を高める
   ・在庫(棚卸資産)の回転速度を速める

 こうして、限界利益と業務プロセスの視点にある在庫との関係から、「現金を稼ぎ出す力」(150頁)として定義される利益ポテンシャルの説明に移る流れは見事だ。

 利益ポテンシャル=限界利益÷在庫金額(150頁)