2017年6月10日土曜日

【第716回】『誰にでも碁は打てる』(李仁煥、 洪敏和訳、東京創元社、2012年)

 9路盤を卒業し、13路盤になってから伸び悩みを感じている今日この頃。成長を実感できないと、対局に向かうことにもつながり、遠ざかり始めていた。せっかく始めたものだから続けたいがと思っていたところ、図書館で出会ったのが本書である。

 まず、気楽に読めるのがいい。伸び悩んでいる時は、始めるまでに腰が重くなってしまう。そうした状況で、本格的な書籍は少し重すぎる。本書のような入門書がちょうど良い。


 加えて、あまりに簡単すぎると途中で飽きてしまうが、にわかに分からない部分もあるので、少し考えさせられる。こういった書籍はありがたい。改めて、13路盤に臨もうと、思った。


2017年6月4日日曜日

【第715回】『吾輩は猫である(2回目)』(夏目漱石、青空文庫、1905年)

 読み進めていて、ずっと読める感じがする。「吾輩」が酩酊して溺死することがなければ、ずっと物語が続くのではないかと思わさせられる。決して短い作品ではないが、小気味良いテンポで、小さな話題が散りばめられているために、読んでいて飽きがない。

 元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。少し人間より強いものが出て来て窘めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。(Kindle No. 161)


 こうした風刺が小気味いい。人間というように一般化せずに、自分に置き換えてみることで、自らを省みることができる。


2017年6月3日土曜日

【第714回】『明暗(2回目)』(夏目漱石、青空文庫、1917年)

 最初に読んだ際は、興味をそそられながらもよく分からず、掴み所がないという印象であった。今回、改めて読み直して、漱石が主人公夫妻の両者の側から交互に描写するということの面白さを感じられた。主語が入れ替わることで、主観と客観、多様な人間関係の織りなす物語の深みが、明瞭に現れている。漱石がどのような結末を想定していたのか、とても気になる。

 津田は振り向かないで夕方の冷たい空気の中に出た。(Kindle No. 7285)

 情景が変わる際に、「〇〇に出た」という表現は漱石に特徴的なものなのだろうか。以前、『行人』でも同じような表現に出会い、いたく印象に残っており、本作で目にしてもやはり良い表現であると感じた。それまでのシーンでの心情を人物が保持しながら、次のシーンへと移行する感じが想像できるだろう。

 彼はどこかでおやと思った。今まで前の方ばかり眺めて、ここに世の中があるのだときめてかかった彼は、急に後をふり返らせられた。そうして自分と反対な存在を注視すべく立ちどまった。するとああああこれも人間だという心持が、今日までまだ会った事もない幽霊のようなものを見つめているうちに起った。極めて縁の遠いものはかえって縁の近いものだったという事実が彼の眼前に現われた。(Kindle No. 7849)

 小説を読む醍醐味を、稀代の小説家が書いているように私には思えるのだが、いかがだろうか。自分とは程遠い人物だと思って客観的に読んでいると、ふとある場面で共感できる行動や発言をしている箇所に遭遇し、意外な感をおぼえる。そこでの意外性とは、他者とのつながりへの気づきであると共に、未知なる自分への気づきでもあるのではないか。こうした他者性や未知なる自分との邂逅が、小説を読むことの醍醐味の一つであると私には思える。

 先刻まで疎らに眺められた雨の糸が急に数を揃えて、見渡す限の空間を一度に充たして来る様子が、比較的展望に便利な汽車の窓から見ると、一層凄まじく感ぜられた。(Kindle No. 8000)


 この情景の描写も美しいなと思う。俗っぽい解説になってしまうが、外の天候やその変化の激しさを端的に示すことで、その後の主人公への変化や暗雲の可能性を示唆していると言えるだろう。それをあからさまに書くのではなく、簡潔かつ美しく描写している箇所を読むのは、心地よい。


2017年5月28日日曜日

【第713回】『ワーク・ルールズ!(2回目)』(ラズロ・ボック、鬼澤忍・矢羽野薫訳、東洋経済新報社、2015年)

 Googleが目標管理の仕組みを変えた、という話は有名だが、それは下手をするとGEやマイクロソフトと同様に年次評価を廃止したというように早合点される。しかし、実際にはそうではなく、その内容と方法をビジネスの変化に合わせて対応したということである。ではなぜ廃止していないのか。

 多くの企業が業績評価を完全に放棄しつつあるのに、グーグルが評価システムにこだわるのはなぜか?
 それは公正さのためだと私は思う。
 業績評価はツールであり、マネジャーが給与や昇進について決定を下す過程を簡素化するデバイスだ。ひとりの社員として、私は公正に処遇されたい。(Kindle No. 3852)

 人事として公正さをいかに担保するかは最も重要な観点の一つである。この公正さを担保し、それに基づいて様々な人事的なアクションを行うために、業績評価は必要であると著者は力説する。フィードバックが定着していない日本の多くの企業においては、評価面談や中間評価といったタイミングでフィードバックできる機会は貴重である。これをきっかけに上司と部下とでその部下の開発に向き合うことができる。

 社員の業績評価におけるキャリブレーションの効果は、採用面接のあとに意見を交換することの効果と似ている。その目的は同じ、つまり、個人のバイアスの源を取り除くことだ。(Kindle No. 3824)

 業績評価がしっかりしていれば、社内の異動もしやすくなる。(Kindle No. 3852)
 

 キャリブレーションの重要性は引き続き存在するし、評価によって異動が円滑に進むということもある。官僚的なプロセスになってしまうのは本末転倒であるが、公正さを担保し、フィードバックを文化として定着させるために、目標管理を有効に活用したいものだ。


2017年5月27日土曜日

【第712回】『戦略的人的資源管理論(2回目)』(松山一紀、白桃書房、2015年)

 学術書を読むたびに思うが、読めば読むほど面白い。面白いというよりも、読み応えがあり、気づきを得られるポイントが多様にある。問題意識を練磨しながら現象を把握し、そこで得られた知見を抽象化することによって、噛めば噛むほど味が出てくるエッセンスを凝縮しているからであろう。

 人事という事象に考えさせられ、思考を深めたいと思っている時に、本書を読み直したからか、興味深く読めた。前回、読んだ時にも勉強にはなった印象であるが、興味を強く持ちながら読み進めたという意味では、今回の方が印象的である。

 パナソニックを事例にしながら人事部門の企業内でになってきた役割の変遷が読み応えがあった。かつて、1980年代半ばまでは「お世話人事」と形容され、「従業員第一をモットーに人事管理活動を実践」(64頁)することが人事部門には求められたという。そのため、「人事部門は他の職能部門の背景に退き、背後から組織の従業員を支えるというスタッフ機能」(64頁)という受身的な対応であったようだ。

 しかし、米国追随型のビジネスから脱却し、自分たちで戦略を立案することが求められるようになった1980年代後半から「経営人事」を目指し始めることとなる。その結果、本社人事部が全社員に公平・公正な運用を行うことを主眼とするのではなく、各事業部ごとのビジネスの変化に合わせた支援を行う個別の人事企画が行われるように権限委譲された。

 抽象化と具体化とを往還する論理展開を読み解くことで、自分自身が直面している人事イシューのヒントとなる。さらには、現時点で顕在化せずとも、時間が経つとひらめきに近い感覚として思いつくことができることがある。だからこそ、学術書を読み解こうと努力する営為が重要なのではないだろうか。


2017年5月21日日曜日

【第711回】『「仕事を通じた学び方」を学ぶ本』(田村圭、ロークワットパブリッシング、2017年)

 仕事を通じて学ぶ。

 おそらく、何らかの形で働いている全ての人が、仕事から学んでいる。その学び方は多様であり、学ぶ深さも人によって様々である。企業でサラリーマンとして働いている場合、週に40時間程度を仕事に費やすのだから、その働き方の質によって、学びの深さと幅が異なってくる。

 本書でも指摘されている通り、同じ業務でも、学びの蓄積によって中長期的なスパンで差が大きくなるのは自明であり、入社三年程度で先輩と後輩の逆転が生じるのも納得だ。だからこそ、「仕事を通じた学び方」を学ぶことの意義は大きい。

 本書は誠実な書籍だ。なぜなら、ビッグワードでお茶を濁そうとすることなく、一つ一つの言葉や考え方を、言葉を尽くして説明している。頭で考えながらというよりも、著者のインストラクションを受けているような感覚で読み進めていくことができる。

 特に共感をおぼえたのは、既存の理論やビジネス書をいかに活用するかに言及している点である。私は学術書を好んで(しかし苦闘しながら)読むが、ビジネスパーソンの中には、学術書は具体的でないから日常業務に使えないという考えを持つ方も多いようだ。しかし、抽象化されたものだからこそ、現実に具体化しようと読み手が努力することで得られるものがある。抽象化と具体化を行き来することなく頭で理解するだけでは、自身のビジネスに応用することはできず、仮に応用できるようなものであったとしても状況が変われば適用できなくなる。

 パブリックセオリーはその通りやれば必ず成功するというものではなく、自分のマイセオリーを補強したり、マイセオリーに”改造”したりするための材料だと考えましょう。
 マイセオリーを作ったら、補強材料となるようなパブリックセオリーがあるかどうか探してみましょう。(132頁)

 マイセオリーとは、自分自身で経験した成功例を状況・言動・結果の枠組みで整理し、それを状況・目指す結果・役立つやり方という三点セットに一般化したものである。神戸大の金井先生の考え方を当て嵌めれば、学術的な知見という理論に対して、マイセオリーは持論と形容できるだろう。仕事を通じて持論を創り上げ、それをさらに改善するために理論によって補強する。また、理論をそのまま現実に適用するのではなく、自分も持っている持論を媒介して応用しようとする。こうした理論と持論の関係性がわかりやすく述べられている箇所である。


 このように、本書は個人の学びを整理する上でも活用できるだろう。しかし、私がもっとイメージしたのは、育成担当者と新入社員とが本書を読み、本書の考え方をもとにして先輩が後輩を育成するシーンである。共通言語によって後輩が育成担当者に対して報告し、育成担当者が後輩をコーチする。新入社員は仕事の意義を考えながら一つずつ成長することができ、育成担当者は育成のマインドセットを育んで、将来マネジメントになるための貴重な準備となるだろう。


2017年5月20日土曜日

【第710回】『サクセッションプランの基本』(C・アトウッド、石山恒貴訳、ヒューマンバリュー、2012年)

 本書によれば、サクセッションプランとは「継続的に組織の中の将来のリーダーを特定し、リーダーの役割を果たすことができるよう育成するプロセス」(15頁)である。このように捉えれば、企画関連を担う人事パースンの多くは、何らかの形でサクセッションプランに携わっていると言えるだろう。

 もっと言えば、サクセッションプランという枠組みで、人事という業務を捉え直すことによって、私たちが直接部門に対して貢献できる領域を広げることができるのではないだろうか。恥ずかしながら、これまであまり理解していなかったことを自覚させられる、学びの多い書籍であった。

 サクセッションプランを行う上での中核となるコンセプトが19~20頁にまとまっている。これは一つの理念型であるとは思うが、チェックリストとして参照する上でよくままっていて使い勝手がいい。七つの観点を意訳的に箇条書きで記すとしたら、以下のようになるだろう。

(1)組織のトップマネジメントから継続的な支援を受ける
(2)組織の戦略計画と整合させる
(3)多様なメンバーでプランを作成することで、特定のニーズに偏らず組織の真のニーズを織り込むようにする
(4)候補者を特定することだけに用いず、社員が目指すべき方向性を理解できるよう継続的なコミュニケーションを行う
(5)シンプルなプランにする
(6)オープンなコミュニケーションを担保し、社員からのインプットも求める
(7)フォローアップのための測定基準を設定する

 どれも重要な視点である。その上で、最初の二つは人事としてよく留意してきたが、(3)以降は欠落しがちなものであり、個人的には反省させられた。実施フェーズにおける留意点も記載されており、私は特に以下の部分が興味深かった。

 サクセッション・プランニングを天井と考えるのではなく、個人にとっての開発の機会と考えてもらうことにつながる(99頁)


 何らかの重要なポストのサクセッサーを潤沢にすることで、組織を変化に対応できる状態へと強化する。これが組織目線でのサクセッションプランの目的であろう。ここに過剰適応しすぎると、上述したような個人目線での観点が薄れてしまう。気をつけたい観点である。