2015年8月16日日曜日

【第474回】『パイドロス』(プラトン、藤沢令夫訳、岩波書店、1967年)

 プラトンの書籍は、「水戸黄門」を観るかのように、パターンは決まっているがオチに至るプロセスをたのしむことができる。本書も同様に、ソクラテスが登場し、最初は相手が威勢良くリードするかたちで対話が進み、後半からはソクラテスの独壇場で有無を言わせぬロジックが展開される。

 ひとは、この自己自身によって動かされるということこそまさに、魂のもつ本来のあり方であり、その本質を喝破したものだと言うことに、なんのためらいも感じないであろう。なぜならば、すべて外から動かされる物体は、魂のない無生物であり、内から自己自身の力で動くものは、魂を持っている生物なのであって、この事実は、魂の本性がちょうどこのようなものであることを意味するからである。しかるに、もしこれがこのとおりのものであって、自分で自分を動かすものというのが、すなわち魂のほかならないとすれば、魂は必然的に、不生不死のものということになるであろう。(57頁)

 魂という概念がやや抽象的にも感じられるが、外なる声によって他律的に動かされるのではなく、内なる声を聴いて自律的に動くことが重要なのであろう。こうした内なる声の重要性と、そうした存在を大事にするということが指摘されている。

 話や書きものの中で取り上げるひとつひとつの事柄について、その真実を知ること。あらゆるものを本質それ自体に即して定義しうるようになること。定義によってまとめた上で、こんごは逆に、それ以上分割できないところまで、種類ごとにこれを分割する方法を知ること。さらには魂の本性について同じやり方で洞察して、どういうものがそれぞれの性質に適しているかを見出し、その成果にもとづいて、複雑な性質の魂にはあらゆる調子を含むような複雑な話をあたえ、単純な魂には単純な話を適用するというように、話し方を排列し整理すること。ーー以上挙げただけのことをしないうちは、言論というものを、その技術的な取りあつかいが本来可能な範囲で、技術にかなった仕方で取りあつかうということは、けっしてできないであろう。これは、その目的とするところが教えることであれ、人を説得することであれ、同様である。(141頁)

 これが本書のメッセージの要約であろう。十全に理解できているとはまだ思えないが、繰り返し噛み締めたい部分である。

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