空海の人生の足跡を、著者が史実を基にしながら想像し、紡ぎ上げた歴史小説である。思想家がどのようにして思想家になるのかを辿る足跡は、人のキャリアを辿ることと同じような趣深さがある。
空海の思想家としての性格は、むしろあざといばかりに煩瑣な美を愛する傾向があり、のちにかれが展開する密教とも、このことは濃厚につながりがあるであろう。(上巻・272頁)
思想というものは、論理の積み上げと予期できない跳躍との組み合わせから成り立っているという印象を持っている。空海におけるそれは、唐での留学によって学んだものが礎となりながら、彼独自の美意識によって創り上げられたのであろう。
かれはこの時代にあっては稀れといえるかもしれない比較哲学の徒である一面をもっていた。好みとしても能力としても、かれが思想の比較に関心をもち、そのことに卓れてもいたことは(中略)想像しうる。祆教の教義を聴きつつ、かれはその脳裏においてつねに何ごとかとの比較をしきりにおこない、検すがようにしてきいていたであろう。繰りかえすようだが、比較は空海のもっとも好むところであり、しばしば、かれの知的作業の方法でもあった。(上巻・337頁)
比較とは学問における作用であり、思想や宗教において比較がされるものとは意外な感もある。しかし、何かを生み出すという知的作用においては、比較という態度は自ずとされるものであり、空海の場合にはそれが顕著であったということであろうか。
『世に棲む日日(一)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
『世に棲む日日(二)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
『世に棲む日日(三)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
『世に棲む日日(四)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
『世に棲む日日(二)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
『世に棲む日日(三)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
『世に棲む日日(四)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
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