2017年4月1日土曜日

【第693回】『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)【4回目】

 読むたびに、気づきを得る内容が面白いほどに異なる。これまで意識していなかった箇所が、何かを訴えかけてくるかのようだ。特定の宗教を持たない身としては、「バイブル」とも呼べる書籍があるというのはうれしいものである。何かを考えたい時、自分自身をリセットしたい時、折に触れて読むことで自分の心と頭を整えられる。

 子の曰わく、弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹しみて信あり、汎く衆を愛して仁に親しみ、行ないて余力あれば、則ち以て文を学ぶ。(巻第一・學而第一・六)

 学ぶという行為は人から否定されることが少ない、好ましい行為であると思われがちだ。だから、学んでさえいれば他者から認められるし、努力家であるといった印象をもらうことは容易である。しかし、学ぶことは、孝行、悌順、誠実、愛といった仁としてのあるべき行為を行った後に余力があれば行うものであると孔子は述べている。学習の大事さが減衰するわけでは全くもってないが、それ以前のマインドセットとして仁としての態様を意識したいものである。自戒を込めて。

 子の曰わく、速かならんと欲すること毋かれ。小利を見ること毋かれ。速かならんと欲すれば則ち達せず。小利をみれば則ち大事成らず。(巻第七・子路第十三・一七)

 この言葉もいまあらためて読むととても痛みを感じる。どうも焦ることが多い時期であるが、長い期間を捉え、視野を広く持って、目先に捉われず行動したいものである。

 子の曰わく、工、其の事を善くせんと欲すれば、必らず先ず其の器を利くす。是の邦に居りては、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。(巻第八・衛霊公第十五・一一)


 人を選ぶことの重要性に触れている箇所であり、人事として肝に銘じたい部分である。まず適切な人材を選ぶ、そのためには基準を明確にして公正性を担保する必要があるだろう。その上で、そうした優秀な人材から自分自身が信頼される人物として見做されるように、自信を磨くことが必要だ。読んでいて、襟を正される。


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