2018年6月2日土曜日

【第841回】『求めない』【2回目】(加島祥造、小学館、2007年)


 今回読み直して、心にしみてきた。最初に読んだ二十代半ばでは、さっと読んでしまうだけになってしまい、三年前でもまだそれほど切実には入ってこなかった。

 人並みに人生経験を積んでくるとじわじわとしみてくる書籍というものがある。本書は、私にとって、まさにそうした一冊である。

「自分全体」の求めることは
とても大切だ。ところが
「頭」だけで求めると、求めすぎる。
「体」が求めることを「頭」は押しのけて
別のものを求めるんだ。
しまいに余計なものまで求めるんだ。(4頁)

 タイトルにある「求めない」は、すべてを求めないということではないと著者はいう。では、何を「求めない」のか。端的にいえば、頭で考えて求めてしまう内容や姿勢がもたらす弊害を指摘し、頭で考えて求めすぎないことを主張しているのである。

 頭は自分自身にとって部分にすぎない。しかし、その部分が占める比率が上がりすぎ、その結果、自分自身を生きづらくするという疎外が生じているのではないか。そう考えてみればバカバカしいことであり、頭で考えて求めることを手放してみるという著者の提案を受け入れてみることのも良いのではないか。

求めないーー
すると
自分の好きなことができるようになる(23頁)

 ここでの「自分」は頭で考える「自分」ではなく「自分全体」を指している。したがって、自分自身の身体・感情・精神といった自然に即したものと捉えるべきであろう。頭で考えすぎずに本性に従って行動してみること。そうした瞬間を後から振り返ってみると、無理がなく自分自身が潜在的に欲していることと整合していることもあるだろう。

求めないーー
すると
自分が貴いものと分かる
だって
求めない自分は
誰にも属さないから(76頁)

 無理がない自然な言動は、自分自身に属するものである。すなわち、他者から評価されたいという承認欲求に基づく自己効力感ではなく、自己肯定感を涵養できるのであろう。求める自分とは、自由な言動に見えて、他者の視線を耐えず気にし、他者に従属するマインドセットに基づく存在なのである。

 とはいえ、私たちは求めてしまう。「求めない」を実践することは難しい。しかし著者は、そうした弱い私のような読者に対して、極めて現実的な救いの一言を述べてくれる。

一切なにも求めるな、
と言うんじゃあないんだ
どうしようか、
と迷ったとき
求めないーーと
言ってみるといい。
すると
気が楽になるのさ。(144頁)

【第98回】『タオ 老子』(加島祥造、筑摩書房、2006年)
【第540回】『老子【3回目】』(金谷治訳、講談社、1997年)

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