2014年8月14日木曜日

【第323回】『世に棲む日日(四)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)

 狂の精神を現実的に体現する高杉晋作のドラマが完結する本巻。当時においても早世と呼ばれる部類に入る年齢での死を迎える彼が、生きるということをどのように捉えていたのか。伊藤俊輔(後の博文)との問答の中に彼の死生観が垣間見える。

 「伊藤、生とは何か」
 と、このとき晋作はひどく哲学的なことをいっている。かれはかつて萩の政府員だった毛利登人にあてた手紙にも、同然のことを書いているが、その晋作自身の文章を借りると、
 生とは天の我れを労するなり。死とは天の乃ち我れを安んずるなり。
 ということになる。晋作にとっての生とは、天がその生に目的をあたえ、その目的のために労せしめるという過程であるにすぎず、死とは、天が彼に休息をあたえるというにすぎない、ということであった。(151頁)

 大戦略を描き、革命のためのステップを入念に描き出す彼をして、こうした言葉を言わしめる。自力と他力の高位均衡こそが、高杉晋作という日本における稀代の革命家を革命家たらしめたのであろう。続けて、創設して間もない奇兵隊のトップの座を後進に引き継ごうとする彼の発言に驚嘆する。

 「天は、人に役割をあたえている。わしの役割は、たとえば数カ月前、長府功山寺前の雪を蹴って下関に進撃し、藩役所を襲撃して長州の正気をふるいたたせた。ただあの一事で御役が御免になっている。そのあと絵堂・大田で快勝したのは、わしではない。わしに続いた者たちの役割であり、功績である。つまり一人の名をあげれば、山県狂介の功だ」(151~152頁)

 創業者としての天命を持っている自分への自負とともに、組織を持続させる者としての天命を持っていないという潔い感覚を併せ持っている。自分の才能と、自分の限界とを見極めることができるからこそ、自分自身としてのベストを尽くし、藩や新しい日本というかたちに貢献できるのであろう。尚、ここで挙げられている山県狂介とは日本陸軍の礎を築いた後の山県有朋であり、組織マネジメントに長けた人物であったことは間違いないだろう。

 おもしろき こともなき世を おもしろく(306頁)

 あまりにも有名な、高杉晋作の辞世である。上の句で終わっているところが、彼の志半ばでの早世を表しているようにも思える。若干、二十七歳と八ヶ月という生涯。彼の人生よりも数年長く生きている自分が何をできているのか、何に貢献ができているのか。日本は、彼が思い描いた状態とどの程度ギャップがあるのか。いろいろなことを考えさせられる作品である。


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