2015年11月16日月曜日

【第516回】『百代の過客』(ドナルド・キーン、金関寿夫訳、講談社、2011年)

 日本文化を論じる碩学が、数十に及ぶ日本文学における日記を読み解き、日本人の有り様を提示した本作。他者から秘したものでありながら、読者という存在を前提にし、客観的事実よりも自身の内面を重視して内省的に述べるというスタイルは、日本人の書く日記に特有の特徴であると喝破する。以下では、本書で取り上げられている数十の日記文学の中から、書名にもなっている『奥の細道』について取り上げる。

 なるほどこの日記といえども、全篇を通じて、いつまでも記憶に残るような、まぶしいばかりの名文の連続とは言いがたい。といって芭蕉が、そのような中だるみのない日記を書く能力がなかった、と考える理由もないのである。芸術的緊張度が最も高い章句の間に、いわば「息抜きの場」を意識的に与えるという、あの形式感覚に、彼も従っていたのにちがいない。(492頁)

 私たち一般人の感覚からすると、文章のきれいな作家の書く文章は、最初から最後まできれいであると思いがちだ。しかし、名文ではない「息抜き」のような文章を意識的に間に挟むことによって、作品の素晴らしさを上げるという芸術的な有り様が日本文学にはあるのだと著者はする。芭蕉が『奥の細道』を書き上げる際にも、そうした作用が施されているのである。

 芭蕉の作り話や事実からの乖離は、作品のさらに永続的な全体的真実感を、かえって高めている。彼は、印象主義的な意味においてのみ「事実」に基づくフィクションを書いたのだ。旅の間につけていた覚書や俳句の初稿が、「事実」にさらに近いこと、これは疑いを容れない。だが芭蕉にとって「事実」は、芸術となるにはやはり不十分だったのである。(494頁)

 「息抜き」の箇所を入れるのに加え、フィクションを入れることによってより真実感を高めるという技巧を芭蕉は凝らしていたと著者はする。そうした全体的真実感を持たせることで、『奥の細道』の芸術性を高めていたというのだから、そのパラドキシカルな発想に驚くしかない。

 月日はまことに「百代の過客」である。しかしそれもひとえに、この永遠の、だが天文学的には意味をなさぬ事実に人が心を向け、言葉の美によって、その深長な意味を保ち続けてきたからにほかならない。何百霜も隔てたその昔に書かれた日記が、今ここにある。文学という芸術への、これ以上に壮麗な捧げ物が、他になにかあるだろうか?(500頁)

 究極の称揚と言えるのではないだろうか。日本文学の古典を、改めて紐解きたくなる。


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