2018年11月23日金曜日

【第905回】『空飛ぶタイヤ』(池井戸潤、講談社、2009年)


 本作がノンフィクションでないことを頭では理解している。しかし、どうしても2000年代前半に起きた三菱自動車・三菱ふそうのリコール隠しおよび事故を想起してしまう。(三菱関連のみなさま、ごめんなさい)

 硬直化した組織(組織は本来的にいくらか硬直したものである)で生きる人々にとって、時に反発をおぼえながらも概ね共感しながら読み進めてしまう。その度合いが激しい企業組織において、救いがなく腐敗するマリオネットのような人々を描く著者の筆致の巧みさにはいつもながら感心する。

 たとえば、主人公である運送会社社長が自動車メーカーに事故原因再調査を試みたシーンの描写がその典型例であろう。

「財閥ってのは、不思議な響きだよな。なんだかそれだけで偉いような気がしちまう。貴族っぽく聞こえるわけだ。それに引き替え、こっちは町人だ。町人が貴族に意見するというのも何だが、そういうイメージにとらわれて、相手の実態がどうかなんてことはお留守になってた気がする」(上・86~87頁)

 反対に、そうした組織の中で意志を持って抵抗しようとする人々も描かれるのが著者の作品の救いのある特徴と言えよう。出る杭が打たれる組織の中で、彼(女)らが意志を貫くかどうか、周囲からのプレッシャーや甘言に揺らぎながら、人生をすすめていく様の描写にはリアリティを感じる。

 意志ある人々が不遇を囲い、苦しい展開が続くのは池井戸作品のお家芸だと認識している。最後に「倍返し」があることを予測しながらも、読んでいて苦しくなってくる。だからこそ「倍返し」以降の爽快感は増すのであろう

 なだらかな海面がぐんとせり上がってくる、そんな感情の高ぶりが赤松を包み込んだ。その波は現実世界から精神的な高みにまで盛り上がってなだれ落ち、赤松を歓喜の底へと沈める。(下・370頁)

 大団円へと向かう怒涛のような最後の展開に、きれいな直喩の存在することで文章が立体的になっている。こうしたスパイスを味わえるのが、小説を読むことの効用の一つなのかもしれない。

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