2018年1月7日日曜日

【第796回】『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹、文藝春秋、2013年)

 すっかり著者の著作にはまってしまっている。日本語を読みやすいのは以前からであるが、ストーリーにも魅了されて一気に読んでしまう。

 自身の過去の傷に向き合うことを決め、過去の親友たちに会いに行き、話をする。親友たちと話すことを通じて、過去の自分を理解し、過去の連続によって築かれた今の自分を理解する。自分を理解することで、パートナーと真剣に向き合おうとする。

 「限定された目的は人生を簡潔にする」と沙羅は言った。(23頁)

 パートナーから言われる台詞は、どれもシンプルでグサグサと来る。この台詞も考えさせられる。目的を限定することが良いの悪いのかを彼女は言っているわけではない。人生を簡潔にすることが自身にとってどのような意味を持つのかを、読者に考えさせるのである。

 人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。(307頁)


 この部分には考えさせられた。長所や美点によって人と人とは繋がっているものであるとずっと思っていた。そうしたことももちろんあるのであろうが、むしろ中長期的に関係性を持続・発展させるためには、弱い部分を共有することで結びつきが強まるのではないか。ビジネスにおいても長所に過剰な焦点が当てられることは多い。しかし、弱い部分や脆い部分を、問題としてではなく、大事なものとして捉え直しても良いのかもしれない。


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