言わずと知れた古典的名著。いちおうは心理学を学んだ身として、修士に入る前、修士の学生をしている間には読んだが、それ以降は読めずにいた。
十年ぶりに読むと、以前とは違うところに引かれることはよくある。しかし、今回の場合は、以前と同じ箇所に印象を受けた。
生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。(130頁)
この一節に改めて出会えただけでも、再読した意味があったと強く思う。私たちは何らかの意味があるからある行動をとるという順番で捉える。しかし、極限の状態を生き抜いた著者によれば、その順番は逆であるという。つまり、そのタイミングで求められる行動を選んでいく中で、意味が紡ぎ出されていくということなのであろう。
目標からの逆算で合理的な現在の行動を導くという発想は、近代以降の私たちの思考パターンである。もちろん、こうした考え方も有効であろうが、それは予定調和性の高い条件下における合理的選択とも言える。予定調和性が低い状況下においては、著者の述べるアプローチが有効であり、併せて捉えたいものである。
【第500回】『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』(エドワード・L・デシ+リチャード・フロスト、桜井茂男監訳、新曜社、1999年)
【第747回】『フロー体験 喜びの現象学』(M.チクセントミハイ、今村浩明訳、世界思想社、1996年)
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