フローという現象は、ビジネスの領域で使われることもあるが、一般的にはスポーツの領域で目にすることが多いのではないだろうか。ゾーンに入るという言葉もあるが、乱暴に言えば、そうしたものも含めて、本書で扱われるフローに該当するように思える。
フローとは何か。簡単に定義ができないと著者は予め断った上で、八つの構成要素を上げている。
第一に、通常その経験は、達成できる見通しのある課題と取り組んでいる時に生じる。第二に、自分のしていることに集中できていなければならない。第三、および第四として、その集中ができるのは一般に、行われている作業に明瞭な目標があり、直接的なフィードバックがあるからである。第五に、意識から日々の生活の気苦労や欲求不満を取り除く、深いけれども無理のない没入状態で行為している。第六に、楽しい経験は自分の行為を統制しているという感覚をともなう。第七に、自己についての意識は消失するが、これに反してフロー体験の後では自己感覚はより強く現れる。最後に、時間の経過の感覚が変わる。(62頁)
こうした要素を考えれば、スポーツや趣味の領域においてフローを体験することを想起しやすいだろう。何かに集中し、他の雑音が全く聞こえてこず、結果が即座にフィードバックされること。フローは大げさなものということではなく、私たちの日常においても為されることである。
スポーツやビジネスといった世界においてフローは肯定的に捉えられることがほとんどである。フローの状態は、私たちにとって望ましい結果をもたらすことが多いからである。
しかし、フローそれ自体は必ずしもポジティヴな意味を持つものとは限らないと著者は言う。本書で示されているケースは、日本における暴走族の事例である。彼(女)らは、走りに集中し仲間との一体感を得ているが、近隣住民や他の車にとって少なくとも望ましい存在ではなく。また、多くの賭博行為もフローを伴いやすく、だからこそフローが及ぼす常習性に著者は指摘しているのであろう。
留意すべき事項はありながら、私たちの生活の中でいかにフロー体験が生じることを促していけるのか。特に思考におけるフローという観点から、著者は以下のような示唆を提供している。
過去を記録することは、生活の質を高めるのに大きく貢献できる。それは我々を現在の抑圧から解放し、昔を意識にのぼらせることができる。それはとくに喜ばしく意味のあるできごとを選んで記憶に残すことを可能にし、そのことによって未来に対処するのに役立つ過去を「創造」する。(166頁)
著者が指摘しているのは、過去を記録することである。書くことによって、その対象となる過去の一時点に私たちの意識はフォーカスすることができる。そうして過去の一時点に意識を傾けて思考に没頭することが、過去を将来に役立たせる一つの準備となるのである。
このように考えると、フローという経験がキャリアという現象と近いもののように感じられた。キャリアのワークショップでも、ほぼ必ず過去の振り返りから行うことが多い。過去に一回焦点を当てることによって、現在から将来の時点において何を大事にし、どのような行動に重きを置くかが見えてくるのである。
【第500回】『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』(エドワード・L・デシ+リチャード・フロスト、桜井茂男監訳、新曜社、1999年)
【第172回】『「働く居場所」の作り方』(花田光世、日本経済新聞出版社、2013年)
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