2011年8月28日日曜日

【第40回】『GIANT KILLING』

大学院の授業には面白いものが少なかったのですが(研究活動がメインなのでしかたありません)、その中で興味深かったのがFC東京の村林社長(当時)の授業でした。授業の中で、村林さんが「これはいいよ!」と強く勧めていたのが本書で、私も強く関心を持って数週間立ち読みをしたものです。しかし、連載を途中から読むとその魅力は充分には分からないものなのでしょうか、いつしか読むのをやめてしまいました。
 
あれから三年。ひょんなきっかけから同僚から本書を貸してもらい、読み始めることになりましたが、これが面白いのです。心から感謝です。
 
ジョゼ・モウリーニョが好きな私が、達海猛のファンになるのは当たり前なのかもしれません。相手に勝つための戦術や相手監督との駆け引きにももちろん魅かれますが、選手一人ひとりの個性を把握した上での緻密なチームづくり、長期的な育成戦略などといった点にワクワクしてしまいます。
 
監督として達海がとりわけスゴイと思うのは、選手の可能性を無条件に信じている点です。いろいろと選手に注文をつけたり、発破をかけたりしていますが、その根底には潜在的な可能性に対する信頼感があるのではないでしょうか。そうした達海のあり様によって、選手個々が成長していく様も読んでいて爽快です。
 
中でも僕が好きなのは世良です。好きというか、共感してしまうキャラなのですね。ネタバレにならないように書くと、大阪戦(9巻)での「才能」に対する彼の考え方は、読んでいて思わず首肯してしまいます。才能に溢れて器用に生きられることを許されない人間は、自分の数少ない才能に絞り込んで勝負する。私の感覚で言えば、才能が少ないという劣等感を糧にして、限られた才能に愚直に賭ける、ということなのではないのかなぁと。
 
ただ、この限られた才能を自分の中に見出し開発していくというのは簡単なことのようで難しいわけです。気力を振り絞ったチャレンジの結果として、一つの才能を見出して自分のものにしていく、というのは生易しいものではありませんよね。また、才能に乏しい人間としては、数少ない才能同士を掛け合わせることでパフォーマンスにレバレッジを掛けることも考えていかなければなりません。そうしなければ生き残れませんから。

しかし、恐らく、ポジティヴ・シンキングとは、全能感から生まれるものではなく、こうしたゼロから紡ぎ上げていく、という考え方もありなのではないでしょうか。限られた才能にレバレッジを掛ける世良君を見習って、私自身もチャレンジしていきたいです。

2011年8月20日土曜日

【第39回】【番外編】無敗三冠馬誕生の“衝撃”(2005年11月)



1.プロローグ

十年間、競馬を観てきた。最初に馬券を勝った時、600円の投資にも関わらず、それまで感じたことのない気分の高揚を経験した。その二ヶ月後、初めて馬券を当てた時、当時の小遣いの四倍もの金を一瞬にして得て、自分は馬で生きていけると本気で思った。一年後、小遣い二ヶ月分を一瞬にして失い、思い描いていたキャリアイメージは完全に崩れた。更に一年後、最愛の馬がレース中に夭折し、受験勉強が半日、手につかなかった。競馬を通して、私は悲喜交々、いろいろな感動を得てきた。そして、20051023日の京都。初めて立ち会う三冠馬誕生の瞬間。私は違う感動を得た。

あの日、京都競馬場に流れていた空気は何だったのだろうか。場内に充満する異様なまでの一体感。ゴール前の400mの直線では、あろうことか、ある一頭の名前を呼ぶ大合唱まで行なわれる始末。通常、普通のレースであれば、各々が自分の購入した馬券に関連する馬の名前を、勝手に連呼する。しかし、それが、ない。そういう行為をさせない雰囲気が、そこにはあった。

ディープインパクト。その場にいる全ての人間が、彼の一挙手一投足に注視していた。人は、他者の才能に嫉妬する。しかし、圧倒的な才能には、魅了されるのではないか。レースが終わった後、そんなことを考えていた。

2.京都へ

京都競馬場へ行くのは今回が初めてである。京都じたい、私が競馬を始める一年前に、横浜市立並木中学校の修学旅行で行って以来、十年ぶりに訪れた。もちろん、ディープの無敗三冠達成の瞬間を体感するためである。

ナリタブライアンが三冠を達成した二年後に競馬を始めた私は、三冠馬の誕生の瞬間をこれまで観たことが、ない。翻ってみれば、三冠レースに対する愛着というのはそれほど強くはなく、現役最強を決める古馬も含めたGⅠレースの方により興味があった。しかし、今年は違う。今年2月の『Number』紙において、その時点でGⅠ未勝利、ましてや重賞未勝利の三歳馬が巻頭記事を飾ったのである。競馬専門紙以外のその扱いを見て、私はディープという馬の社会的な印象の強さを意識した。と同時に、とうとう三冠馬の誕生をリアルタイムに経験できるかもしれないと、期待した。

ディープはニ冠を危なげなく制した。そして、夏場を無事に過ごし、最後の三冠レースである菊花賞へ向けたステップレースを何なくクリアした。その瞬間に私は京都行きを決意し、翌日、会社に1024日の代休申請を提出した。

3.レース当日(かえで賞まで)

レース当日、京阪線の始発で京都競馬場へ。到着時刻は午前五時半。しかし、である。既にそこには大行列ができている。前日に事前チェックのために競馬場に来た時にも、既に寝袋を持った人たちがかなりいたが、それと比しても倍以上に増えていた。お笑い番組でしかほとんど聴いたことのない言語を発する人々が大挙し、列をなしている。些か聴き取りづらいが、どうやらいつもの菊花賞とは比べものにならない人の量だと言っているようである。きっとそうなのだろう。これが21年ぶりの無敗の三冠馬誕生に対する人々の期待の表れなのだ。

二時間、待ち続けた後、ようやく開門。自分より前にいる人の多さに、椅子席を確保することを半ば諦めていたのだが、何とか確保できた。しかし、寒い。この時期の京都を侮っていた。10℃前後しかない中で、しかも雨まで降る始末。しかし、そんな悪天候の中であっても、私は幸せであった。やはり、マズローの欲求五段階説には少し理論的な瑕疵があるようである。

私は通常、メインの前に行なわれるレースもほとんど買う。そうしないと間が持たないのである。しかし、今回は違った。異様な昂奮をおぼえ、予想する気にならない。何かを考えようとすると、ディープのことで頭がいっぱいになり、充分に考えられない。私は、充分に考えた上で馬券は買いたい性質の人間である。ために、結局、開門前のニ時間の暇つぶしに予想していた最初のレースと、直観的に面白そうだと思った第8レースという二つのレースのみ購入することになった。

直観が良かったのか、熟慮したことが幸いしたのか、第8レースを当てた。これまで当てた馬券の中で最も倍率の高い77.7倍という高配当。たしかに、嬉しくはあった。しかし、ゴール直前にも昂奮はおぼえなかったし、確定の赤ランプがついた後も気持ち悪いほどに淡々としていた。落ち着いていた。目の前の配当金の高さよりも、ディープの偉業達成の方に気持ちが行ってしまうところを見ると、高校二年の時に馬券師への道を諦めておいて正解だった。そんなことを考えながら、じゃっかんの面倒さをおぼえながら、払い戻しへと急いだ。

4.パドック

急いだのは他でもない。2レース後に控えた菊花賞を観られなくなるリスクを恐れたのだ。もう午後2時を回った時点で、場内は人で埋め尽くされている。私のいる椅子席から払い戻しに行くのにもなかなか厄介な状態になっている。これがもう少し遅くなったら、払い戻しから帰ってこられなくなるかもしれない。このようなリスクをおぼえていた。だから、急いだ。

払い戻しに行ったら、やはり混んでいる。無事に払い戻しを終えたのだが、レース後にいつトイレに行けるか分からなかったので、トイレにも行っておこうと思った。しかし、私の席にいちばん近いトイレは混んでいた。空いていそうなところを探していると、パドックが目に入ってきた。

このパドック場に一時間後、ディープが姿を表す。私は、GⅠレースのパドックを生で観たことが、ない。パドックを観た後では、椅子席に戻れないのではと強く危惧しているからである。ましてやこの大観衆。少し躊躇したが、観ることを決意した。きわめて近い距離でディープを観たかったというその場での自分の強い欲求に抗し難かった。また、たとえ満員で人ひとりでも動きにくい状態であっても、きちんと一人ひとりに誠実に説明すれば戻れるのではないか、という計算も働いた。意図を本心から伝えれば、お客さんはきちんと対応してくれる。「今日この場で、意図を伝えて椅子席に戻れないほど、俺は営業として駄目なのだろうか。」私は、この質問に否と内心で答え、その場に残ることを決意した。

午後三時。ディープが私の数m前を闊歩している。レース前に一足早く訪れる、至福の瞬間。自然とディープの手綱を引く市川厩務員の方にも目が向いた。稀代のスターホースを管理する人間として、どれだけの気苦労をしてきたのだろうか。この一週間はどれだけ寝られたのだろうか。少し前に『ジョッキー』という競馬小説を読んで以来、競走馬を取り巻く人間の裏にあるドラマを読み取ろうとしてしまう。しかし、至福の時間はあまり長くは続かない。時間が経てば経つほど、椅子席に戻れるリスクは少しずつであるが、確実に増大する。懸念が私の意識を現実へと戻した。武豊がディープの背中に乗って周回するまで待とうかとも少し思ったが、やはり断念。後ろ髪を引かれる想いではあったが、足は速く動かして椅子席へ戻る。

5.無敗三冠馬、誕生の瞬間

何とか席へ戻った。ターフビジョンには武豊が跨ったディープが大写しになっている。レース直前、ディープの単勝倍率が1.0倍と表示され、場内が大いにどよめく。私はそれまで、GⅠでの単勝が1.0倍となるのは観たことがない。ナリタブライアンも届かず、無敗三冠の偉大なる先輩であるシンボリルドルフもやったことがない偉業。どよめくのも無理はない。戦後のクラシックレースでは、1957年の桜花賞以来、48年ぶり二度目の事態である(20051024日付け日本経済新聞朝刊)。

レース直前。もっと静かになるとイメージしていた。なぜなら、ダービーのときは圧倒的な静寂が支配していたので、そうなるとばかり思っていたのだ。想像していた静けさとは打って変わった騒がしさ。しかし、そこを支配する一体感はダービーの時と微塵も変わらない。

私の心境とは異なり、スタートに至るまでのプロセスは通常のレースと変わらず、拍子抜けなまでに、淡々と進んだ。スターターが台に登る。ファンファーレが鳴る。十数万の観衆の手拍子。枠入りが完了する。ゲートが開く。

ディープは七戦目にして初めてまともにスタートを切れた。スタートが良すぎたのか、一週目のスタンド前まで掛かり気味に走っている。少し焦る。しかし、ダービーの時も掛かっていた。そんな状態でも圧勝した存在なのである。その事実を思い出し、安心してレースにもう一度集中した。最終コーナーで前に進出し、ニ馬身差の圧勝劇。思ったよりも着差は少ない。しかし、堂々とした横綱相撲での勝利であることは間違いなく、道中で掛かったことを考えれば、これくらいの着差でしかたがないであろう。

最後の直線で珍事が起きた。「ディープ!ディープ!」の大合唱が自然に発生したのである。念のために書くが、この大合唱が発生したのは最後の直線であり、つまり、結果が出る前の出来事である。こんな場面を見たのは初めてである。ダービーの時も異様な空気が充満していたが、こんな現象は発生しなかった。

レースが終了し、ディープがメインスタンド前にもう一度帰って来る。歴史的瞬間に湧き上がるスタンド。ディープに対する大合唱に加え、豊コール。武も笑顔である。ディープという圧倒的な存在は、この天才ジョッキーをして、どれだけプレッシャーを与えしめたのだろうか。

表彰式。武が高々と三本指を掲げる。皐月賞では一本指。ダービーでは二本指。三冠を意識した上での、観衆へのアピール。21年前、無敗の三冠馬シンボリルドルフの按上に跨っていた岡部が行なったのと同じ仕草。そのアクションに、酔いしれる。後日の記事によると、武は、もし負けていたら、向こう正面からそのまま帰るつもりだった、と言ったようである。やはり、天才・武豊をして、常人の考えつかない巨大なプレッシャーを与えしめていたのである。しかし、表彰式で井上和香がプレゼンターとして花束渡す際に戸惑っている時には、微笑に満ち溢れていて、その場を楽しんでいるようであった。天才のリカバリーの速さは凄い。

続いて花束を貰う池江調教師。表情がぎこちない。しかし、嬉しさを隠せない気配を感じる。破顔一笑の市川厩務員。ディープを毎日支えてくれる人がいるからこそ、このようなドラマは生じるのである。

調教師、厩務員、ジョッキー、京都競馬場に詰め掛けた十数万人、そしてテレビの前で固唾を飲んで見守った競馬ファン、競馬を取り巻く人々にとって熱い一日が、終わった。

6.始まりの終わり

今回の菊花賞を観るのは、実は少し怖かった。これまで好きであった競馬というものの一つの圧倒的なピークを経験することによって、競馬をもう観たくなくなるのではないか。このような懸念があったのである。しかし、それは杞憂であった。競馬の奥の深さを、改めて知った。人は、感動を求めるために生き続けるのではないだろうか。

ディープも、これで終わりではない。無敗三冠は一つの中間目標に過ぎないはずである。この後は、現役最強古馬陣との有馬記念での対決、そして、来年は海外へ。夢は続く。

 20051025日。それは、終わりの始まりを意味する日にはならなかった。始まりの終わりであった。私にとっても、ディープにとっても。

2011年8月14日日曜日

【第38回】『こんな上司が部下を追いつめる-産業医のファイルから』(荒井千暁著、文藝春秋、2008年)


まず本書を読むタイミングの注意点を述べる。気持ちが落ち込んでいる時には読まない方が良いだろう。なにしろ、本書の冒頭に出てくる事例で何人もの方が亡くなる。ハラスメントについて学ぶ上では大事な事例ではあるが、物語としてとても重たく、気持ちが思わず滅入ってしまう。したがって、メンタルが元気なときに本書を読むことをお勧めしたい。
 
先述したとおり、最初の数件の事例が極めて重たい。読んでいて感情移入してしまい、こちらがもの悲しくなってしまう。と同時に、ここまで激しいパワーハラスメントやセクシャルハラスメントを目の当たりにしたことがない我が身はなんと幸運な人間なのだろうかと期せずして感謝したくらいである。このような私の境遇に近い方、つまり幸運にもハラスメントに遭遇していない方、には、本書のような生々しいケースを読むこと自体にも意義があるのかもしれない。
 
では、こうした苛烈な労働環境に対して、どのような打ち手があるのか、というのが本書の問いである。それに対して、産業医である著者のアプローチが示されている。
 
まず、昨今の労働の変化の激しさと雇用関係の複雑化とが絡み合う中で、ハラスメントが置き易い環境が出現している、という著者の指摘はその通りであろう。つまり、基本的な大前提として、職場におけるコミュニケーションの難易度が、以前に比べて高くなってしまっているのである。その結果として、以前であれば些細なこととして看過されていたようなことまでが、「ハラスメント」として認定され、実際に働く社員の人々にとって悪い影響を与え得る状況になってしまっているのである。これはなにも、「最近の若者は我慢が足りない」とか「世代が違うと価値観が異なってやりづらい」といった言説とは異なる問題であることを付記しておく。
 
では、どうするのか。おそらく、全ての企業に適合するような解決策は存在しない。前述したとおり、コミュニケーションが複雑化しているということは、個別化している、ということに近いわけである。したがって、マニュアルに基づいて対応することは厳しいといわざるを得ないだろう。むろん、必要最低限のことをマニュアルによって対応することに意義はある。しかし、文脈を過度に排除してやってはいけないことをリスト化することは、適切な言動をも排除してしまう可能性がある。
 
したがって、現場としてまず押えるべきは判例であろう。どういう状況で、どのような言動を取ったら、どういった事態が生じ、その結果としてどのような訴えを起こされて、どのようなペナルティが生じるのか、というやや抽象化した理解をすることが必要であると考える。こうしたことを理解するきっかけとしての入門書として、本書は適した良書であろう。

2011年8月7日日曜日

【第37回】『かかわり方のまなび方』(西村佳哲著、筑摩書房、2011年)

 ワークショップと称するものの中には、参加者の発言や話し合いをプロセスに置きつつ、最終的に特定の考え方や価値観を主催者側が押し付けるものや単なる商品紹介になるものが時折見られる。それはワークショップが有する可能性を減衰させ、偽りの「ワークショップ」に参加した人がワークショップに参加しようとする意欲をなくすリスクがある。こうした残念な出来事は、ワークショップという抽象的な概念を問うことなく、混在した意味合いを持たせていることが原因の一つと言えるだろう。
 
それではワークショップとは何か。「双方向で複数人が話し合う」というような漠然としたイメージを私は持っていたが、著者はファクトリーを対概念としてワークショップについて丹念な説明を試みている。規格品を効率的に大量生産で行なうファクトリーに対して、自由な発想で時間を掛けて個別的に創作するのがワークショップである。
 
こうした手作りと親和性のあるワークショップを促すものとしてファシリテーションがあるだろう。このファシリテーションというものも曲者である。著者によれば、ファシリテーションはよいものにも悪いものにもなり得る無色透明のものである。したがって、他者を促し(=ファシリテート)さえすればそれはファシリテーションと言える。
 
この定義に従えば、極端な例ではあるが、ナチスでの洗脳的な宣伝を担当していたゲッペルスのファシリテーション能力は高いと言える。したがって、ファシリテーターに求められるのはファシリテーションのスキルだけではない。それに加えて、善なる意図や目的意識が必要であり、それは他者をどう見るかというファシリテーターの視座やあり方の話に繋がる。
 
このことは教育に携わるあらゆる立場の方々にとって重たい指摘であろう。少なくとも私はそう感じた。心理学の領域でピグマリオン効果というものがある。教師から「この子は優秀だ」と思われている子は成長し、「この子はいまひとつだ」と思われている子はあまり成長しない、という現象である。ピグマリオン効果における影響範囲はパフォーマンスに特化されているが、本書で指摘されているファシリテーターの与えるものはパフォーマンスだけに留まらない。教育に携わる身として、ファシリテーションの能力を磨くだけではなく、善なる意図を常に意識し、自己抑制的な振る舞いを心がけたいと強く感じた。
 
このように読み手に内省を自然と促すというのは書き手のファシリテーションの為せる業であろう。著者が数年前に出した『自分の仕事をつくる』もそうであったが、読み手との相互交渉を行なう書籍はなかなかお目にかかれない。おそらく、著者の態度やあり様が善なる意図に基づくものであり、書物を著すこと自体がワークショップになっているということなのかもしれない。