2014年4月29日火曜日

【第278回】『アルケミスト 夢を旅した少年』(パウロ・コエーリョ、山川紘矢+山川亜希子訳、角川書店、1997年)

 2004年頃に、職場の先輩方が本書を推奨していたので読んだ。その際にはあまり面白く読めなかったのが正直な感想であった。しかし、数週間前に本書を強く推奨される方と話す機会があり、改めて読んでみようと思った。前回と異なる読後感を抱いたのは、約十年の歳月の為せるものであろうか。

 羊飼いは旅が好きになってもよいが、決して羊のことを忘れてはならないのだ。(40頁)

 過去にこだわらずに今を選択することは大事だ。しかし同時に、過去にお世話になった存在への感謝を忘れてはならない。過去を抱きながら、そこにこだわり過ぎずに自由に選択することが重要なのだろう。

 「僕は他の人と同じなんだ。本当に起こっていることではなく、自分が見たいように世の中を見ていたのだ」(49頁)

 主人公が有り金すべてをだまし取られた後に感じたことである。旅立ちの決意をして異国に趣いた後に、言語が通じるために助けてくれるに違いないと思った相手から騙された。事実を客観的に観察することが重要である、ということは容易だ。しかし、観察する事実を選択するのが自分であるかぎり、どうしても自分が見たいように世の中を見てしまいがちだ。こうした見方を私たちが持っていることを自覚することが重要なのだろう。

 彼は新しいことをたくさん学んでいた。そのいくつかはすでに体験していたことで、本当は新しいことでも何でもなかった。ただ、今まではそれに気がついていなかっただけだった。なぜ気がつかなかったかというと、それにあまりにも慣れてしまっていたからだった。もし、僕がこのことばを、言葉を用いずに理解できるようになったら、僕は世界を理解することができるだろう、と少年は思った。(53頁)

 傍目八目を彷彿とさせる部分である。当事者として文脈の中に入り込んでしまっていると、そこで起きていることは自分たちにとって空気のようなものになってしまう。自分たちが日常的に吸っている空気について自覚できるのは、海や川の中で呼吸が苦しい状況を経た後に、日常の空気のありがたさを把握できるものだ。私たちは異世界を経験することで、自分の世界を自覚し、自分を自覚することができるのである。

 自分のらくだをもっとよく知るためにはどうすればいいか学び、らくだとの友情をきずくやいなや、彼は本を投げすててしまった。少年はそれまで、本を開けるたびに何か大切なことを学べるという迷信を持っていたが、ここでは本は不必要な荷物だと決めたのだった。(89頁)

 私たちは外的な知識の習得に汲々としてしまう。なにか新しい知識を手に入れたり、覚えたりすることで満足感をおぼえてしまうものだ。しかし、自分の中に意識を傾けて、そこから学びを得ること。同じような考え方は、古くは禅の考え方であり、臨済録(『臨済録』(入矢義高訳注、岩波文庫、1989年))等を参照されたい。

2014年4月27日日曜日

【第277回】『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(平野啓一郎、講談社、2012年)

 本書は学術書でも専門書でもなく、一人の作家としての著者が自身の考え方や意見を開陳する新書というスタンスで書かれたものである。学術的な分野で言えば、ジンメルをはじめとした社会学の考え方を下敷きにしているように思える。そうした知見を踏まえながら、現代の日本を生きる私たちが共感できるように、噛み砕いて、かつ適用範囲を拡げようと努めながら書かれているようだ。そこには、以下のようなただ一つの「本当の自分」なる考え方を持つことに対する警鐘が根本の想いとして存在する。

 「分人」という造語について、別に、従来のキャラとか仮面といった言葉で十分なんじゃないかという指摘を何度か受けた。しかし、キャラを演じる、仮面をかぶる、という発想は、どうしても、「本当の自分」が、表面的に仮の人格を纏ったり、操作したりしているというイメージになる。問題は、その二重性であり、価値の序列である。(25~26頁)

 自分の性格や人格というものを突き詰めて考えれば一つしか存在せず、それ以外の性格や人格は作られた嘘のものである、という考え方をする人も多いのではないか。しかし、このような「本当の自分」という考え方は、それ以外の多様な「自分」を「かりそめの自分」として、一段下のものとして捉えてしまう。そうすると、ありもしない唯一の「本当の自分」を生涯かけて追い続け、今の自分を否定し続ける、という不毛な青い鳥症候群になりかねない。

 では、唯一の「本当の自分」が存在しないのであれば、私とはいったい何なのであろうか。

 たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。(7頁)

 「本当の自分」はただ一つのものとして規定されるものではなく、複数の「本当の自分」が存在するということ。さらに、こうした「本当の自分」とは独立的に存在するものではなく、他者との関係性の中で構成されるものである。では、こうした複数の「本当の自分」はどのようにして一人の人間の人格として統合されるのか。

 私という人間は、対人関係ごとのいくつかの分人によって構成されている。そして、その人らしさ(個性)というものは、その複数の分人の構成比率によって決定される。 分人の構成比率が変われば、当然、個性も変わる。個性とは、決して唯一不変のものではない。そして、他者の存在なしには、決して生じないものである。(8頁)

 一人の人間としての私とは、分人ごとの構成比率から自ずと生じてくるものである。そうであるならば、多様な他者との関係性は常に変化し続けるものであるのだから、私の人格や個性もそれに応じて変化するものとなる。唯一の「本当の自分」という考え方がイデアのような固定的な自分像を想定しているのに対して、分人の構成比率によって創り上げられる自分像は可塑的でゆたかな存在だ。

 こうした分人という考え方をもとにして、実践的に応用可能なものを著者はいくつか挙げている。まずは職業について。

 職業の多様性は、個性の多様性と比べて遥かに限定的であり、量的にも限界がある。(41頁)

 「自分探し」と呼ばれる現代の現象は、「本当の自分」探しであるとともに、天職探しという意味合いをも包摂している。難しいのは、分人という考え方で分かるように、私たちは多様な個性を持つ統合体であるにも関わらず、職業は限定的で数が少ないという点である。したがって、私たち一人ひとりが、有限の職業の中で、いかにして多様な個性を発揮するか、という工夫と努力が求められる。こうした工夫と努力といった調整作業を行わずに、あたかも自分に適した職業があるかのようにマッチングを試みたところで、うまく機能しないことは自明だろう。

 次に、コミュニケーションについて扱っている部分を見てみよう。

 八方美人とは、分人化の巧みな人ではない。むしろ、誰に対しても、同じ調子のイイ態度で通じると高を括って、相手ごとに分人化しようとしない人である。(81頁)

 分人化とは、一人ひとりの他者との関係性を大事にして多様な「本当の自分」を創り出すことが眼目である。したがって、多様な「本当の自分」によって、多様な他者との関係性をゆたかにすることである。私たちが八方美人と感じる関係性とは、一見して他者との関係性を大事にしているように見えながらも、常に「本当の自分」ではない同じキャラを演じて短期的に乗り切ろうとするものであろう。だからこそ、そうした八方美人的な態度を取られると私たちは、自分が軽んじられているように感じるのである。

 最後に、愛について。

 愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。その人と一緒にいる時の分人が好きで、もっとその分人を生きたいと思う。コミュニケーションの中で、そういう分人が発生し、日々新鮮に更新されてゆく。だからこそ、互いにかけがえのない存在であり、だからこそ、より一層、相手を愛する。相手に感謝する。(138頁)

 その人と一緒にいる時の自分の分人が好きという状況が愛である、という考え方は非常に新鮮であるとともに納得的である。このように考えると他者を愛するということは自分をも愛するということであろう。著者が述べるように、愛とは長期的な関係性を保有しようとするものであり、なにも夫や妻といった異性間だけではなく、親子、子弟、友人関係といったものも射程範囲である。そうであるからこそ、著者の以下の指摘は納得せざるを得ず、大変興味深いので引用して本論考を終えたい。

 「わたしと仕事、どっちが大事なの?」という詰問は、文字通りに取ると、比較しようのないものを比べている、バカげた発想のように思われる。しかし、「どっちの分人が大事なの?」となると、話は違う。(143頁)


2014年4月26日土曜日

【第276回】『老荘と仏教』(森三樹三郎、講談社、2003年)

 老子を語る上では孔子を語る必要がある。そこで著者は、長谷川如是閑をもとにしながら、老子と儒教の違いを簡潔に述べる。

 春秋戦国の乱世になり、従来の国家秩序がくずれ始めたとき「儒教は、そのステートすなわち国家形態のほうに理想的社会形態を認めたのであるが、老子教のほうは、コミュニティすなわち村落自治体のほうに理想的社会形態を認めたのである。」(14頁)

 秩序が乱れた状態において、何を理想として社会を標榜したのか。儒教が規範に基づく国家形態に理想を置いたのに対して、老子はコミュニティを理想的な形態として置いたと端的に違いを鮮明にしている。さらに如是閑を引きながら、両者の対比構造に解説を試みている。

 儒家の道は仁義忠孝といった一定の内容をもつ道であった。つまり有の道である。このような有の道を進めば、結局は文化の建設というプラスの方向をとり、老子の最も憎む不自然な社会をつくることになる。自然の社会をつくるためには、無為・無知・無欲というように、マイナスの方向をとる必要がある。とすれば、道の内容は無でなければならない。無こそ万物の根源であり、あらゆる有はそこから生ずる。これが老子の無の哲学である。(23~24頁)

 あるべき道を進むというプラスの方向性を儒教が取るのを踏まえて、老子は、そうした道が不自然で独尊的な社会を生み出すとする。そこで、あるべき道という発想自体を取り払い、無を万物の根源とみなし、有をも生む存在としての無を老子は重視したのである。こうした万物の根源を無とみた老子を受け継ぎながら発展させたのが荘子である。

 万物斉同とは、相対差別という限定を離れて、みずからを無限者の立場におくことにほかならない。無限者の立場に身をおくとき、あらゆる有限なるもの、対立矛盾するすべてのものを、そのままに肯定し、あたたかく包みこむことができよう。(31頁)

 有を生み出すものを無と置く考え方では、その無をも生み出す主体を想定せざるを得なくなる。しかし、万物を生み出す主体を無限とすれば、すべての始原としての主体というものを想定する必要はなくなる。荘子は、こうした万物斉同の考え方をもとにして、多様で自然な状態を肯定する発想を創り出したのである。

 禅と浄土が解決しようとしたのは、荘子が言い忘れた「いかにして万物斉同の境地を実現することができるか」という、方法論の問題であり、実践の問題であった。 禅宗の場合は、自然になるためには無数の不自然を積み重ねなければならないことに気づいた。つまり自然の境地に達するためには、精進努力という不自然が必要だというのである。(37頁)

 老子・荘子ではともすれば観念的であった思想体系が、禅宗や浄土教といった宗教の枠組みを得ることで実践的なものへと変容した。いわば、老荘を日々実践するための作用を宗教が担ったのである。ではなぜ他の仏教ではなく、禅がフィットしたのであろうか。

 禅宗は不立文字というように理論を重んじない。真理を把握するのは、論理ではなくて、体験的直観である。この認識論は、中国の知識人にとって、まさに打ってつけのものであった。中国人はもともとインド人とは異なり、精密で煩瑣な論理が得意でもなく、好きでもない。(中略)禅宗は中国人の体質に最も適合した仏教であって、これが宗元明清の一千年間にわたり、禅宗の独走を許した根本的な理由である。(153頁)

 この辺りの「中国」という国家や「中国人」に関する議論は、『おどろきの中国』(橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司、講談社、2013年)にも詳しいので、興味のある方は併せて読まれるのも良いだろう。

2014年4月20日日曜日

【第275回】『自由からの逃走』(E・フロム、日高六郎訳、東京創元社、1951年)

 人々が自由という概念に包摂させる意味内容は、前近代から近代へと時代が移る中で変化を遂げた。近代的な意味での自由な社会において、当初は起こりえないと考えられたファシズムによる政権奪取と第二次世界大戦への道程を、フロムはどのように考えたのか。まず、フロムが捉えた近代的な意味での自由とは何かを見ていく。

 個性化の過程は、個人のパースナリティがますます力を獲得し完成していく過程であるが、同時に他者と一体になっていた原初的な同一性が失われ、子どもが他者からますます分離していく過程でもある。この分離が進む結果は、淋しい孤独となり、はげしい不安と動揺とを生みだす。もし子どもが、内面的強さと生産性とをもっているならば、他者との新しい親密性と連帯性が生まれるであろう。この内面的強さと生産性とは、外界との新しい関係が成りたつための前提である。(40~41頁)

 近代的な意味での自由とは、人々が個性化する中で生じるものであり、その結果として原初的な他者との同一性が喪失される。そうした社会において個人に求められるものは、本来的に個性化されながらも、失われた同一性や連帯性を自らの力で取り戻すという内面的強さと生産性である。経済学や経営学で前提とされる、自由と自己責任という現代的な考え方の萌芽がここで述べられている点に注目するべきであろう。

 本能によって決定される行動が、ある程度までなくなるとき、すなわち、自然への適応がその強制的な性格を失うとき、また行動様式がもはや遺伝的なメカニズムによって固定されなくなるとき、人間存在ははじまる。いいかえれば、人間存在と自由とは、その発端から離すことはできない。ここでいう自由とは「……への自由」という積極的な意味ではなく、「……からの自由」という消極的な意味のものである。すなわち、行為が本能的に決定されることからの自由である。(42頁)

 ここでフロムは近代的な自由について、端的に「行為が本能的に決定されることからの自由」という定義を行なっている。原初的な関係性や同一性によって、生まれや育ちによってなかばアプリオリに行動が規定される前近代からの脱却が、本能から隔離された自由を私たちにもたらしたのである。先に引用したように、薔薇色の人生が私たちに約束されているということではなく、膨大な可能性とともに、一人で他者との関係性を構築していく強さとが求められる社会である。

 こうした近代の自由に至るまでの経緯についても、フロムは触れている。まずは、宗教改革の時代における自由に関する考察を見てみよう。

 ルッターの人間像はまさにこのディレンマをうつしている。人間はかれを精神的な権威にしばりつけているあらゆる絆から自由になるが、しかしまさにこの自由が、孤独と不安感とをのこし、無意味と無力感とで人間を圧倒するのである。自由で孤独な個人は、自己の無意味さの経験におしつぶされる。ルッターの神学はこの頼りなさと疑いの感情とを表現している。(中略) しかしルッターは、かれが説教していた社会階級のなかに広まっていた無意味感をとりあげたばかりではなく、かれらに一つの解決を提供した。自分の無意味さを認めるだけでなく、自分を徹底的にないものにし、個人的意志を完全にすてさり、個人的力を徹底的に拒絶し告発することによって、かれは神に受けいれられることを希望できるのである。(89頁)

 宗教改革の主要な人物の一人であるルッターは、このように個々人の持つ自由を放棄して神に絶対服従することを述べたとフロムはしている。意志や目的を持っていると、それが実現しなかったり、その実現に向けた過程の中で苦しみを経験することになる。それは自由が故の苦しみとも言えるだろう。そうした自由を手放して、神に全面的に委ねることで、こうした苦しさからの解放をルッターは提唱したのである。ここで「神」を「政府」に置き換えれば、ドイツ人がファシズムへと傾倒した心象を解説するものにもなることに留意したい。

 カルヴァンの予定説には、ここではっきりと指摘しておくべき一つの意味が含まれている。というのは、予定説はもっともいきいきとした形で、ナチのイデオロギーのうちに復活したからである。すなわちそれは人間の根本的な不平等という原理である。カルヴァンにとっては二種類の人間が存在する。ーーすなわち救われる人間と永劫の罰にさだめられている人間とである。この運命はかれらの生まれてくる以前に決定され、この世におけるどのような行為によっても、それを変化させることはできないというのであるから、人間の平等は原則的に否定される。人間は不平等に作られている。この原理はまた、人間のあいだにどのような連帯性もないことを意味している。というのは、人間の連帯性にとって、もっとも強力な基盤となる一つの要素が否定されているからである。すなわち人間の運命の平等である。カルヴィニストはまったく素朴に、自分たちは選ばれたものであり、他のものはすべて神によって罰に決定された人間であると考えた。この信仰が心理的には、他の人間にたいする深い軽蔑と憎悪とをあらわすことは明らかである。(97頁)

 ここでフロムは、ルッターとともに宗教改革の主要な担い手であったカルヴァンを持ち出す。カルヴィニストに選民主義の萌芽を見出し、アーリア人種の優越性によってファシズムを推進したナチズムとの連動性を指摘する。宗教改革については、腐敗したローマ教会への反対行動ということばかりが強調されることが多いように思える。しかし、こうした自由からの逃避行動という後のファシズムの思想的背景を為している点を見逃すわけにはいかない。

 経済的な関係ばかりでなく、人間的な関係もまた、この疎外された性格をおびている。それは人間的存在の関係ではなく、物と物との関係である。(中略)商品と同じように、これらの人間の性質の価値をきめるものは、いや、まさに人間存在そのものをきめるものは、市場である。もしある人間のもっている性質が役に立たなければ、その人間は無価値である。ちょうど、売れない商品が、たとえ使用価値はあっても、なんの価値もないのと同じである。(136頁)

 フロムによれば、自由を基底とした近代的な人間は疎外されることになるという。関係性が固定されていないということは、その場その場において求められる関係性が変化し、それに応じていわば各人の価値が変容する事態を招く。人間の価値が変容するという発想は、人間を物と同視することと相違ない。

 神、摂理、運命よりもおそらくヒットラーを感銘させる力は自然である。人間にたいする支配を自然にたいする支配で置きかえることが、最近四〇〇年間の歴史的発展の動向であったのに、ヒットラーは、ひとは人間を支配でき、また支配しなければならないが、自然を支配することはできないと主張する。(中略)かれは人間は「自然を支配しているのではなく、自然の法則と秘密を少しばかり知ることによって、この知識をもたない他の生物の主人としての地位に上ったのである」という。ここでもまた、自然はわれわれが服従しなければならない偉大な力であるが、生物はわれわれが支配すべきものであるという同じ考えがみられる。(257~258頁)

 近代的人間が自由を委ねる存在が求められる一方で、そうした存在には自由を委ねられる理由が必要である。そうしたロジックを、ヒットラーはアーリア人種による支配という形式で提供した。自由から逃走したい人々は、その自由を包摂してくれる主体に喜んで自由を提供した。大いなる誤解に基づく疎外関係がこうして完成し、私たちを戦争の惨禍へと招いた歴史的な事実から私たちは学ぶべきであろう。


2014年4月19日土曜日

【第274回】Eric Schmidt and Jared Cohen, “The new digital age”

What are Google ‘guys’ thinking about their technology and future? This is why I wanted to read this book. One of the most amazing things is that they do care for not only information technology but also social issues, for example, communication, terrorism, politics, way of life, and so on.

This is not a book about gadgets, smart-phone apps or artificial intelligence, though each of these subjects will be discussed. This is a book about technology, but even more, it’s a book about humans, and how humans interact with, implement, adapt to and exploit technologies in their environment, now and in the future, throughout the world. Most of all, this is a book about the importance of a guiding human hand in the new digital age. (Kindle ver No. 239)

Their strong will and social concerns are also written about the risk of information technology as below.

This trend will certainly affect how technology companies form, grow and navigate in what will certainly be a tumultuous period. Certain subsections of the technology industry that receive particularly negative  attention will have trouble recruiting engineers or attracting users to and monetizing their products, despite the fact that such atrophying will not solve the problem (and will only hurt the community of users in the end, by denying them the full benefits of innovation). Thick skin will be a necessary for technology companies in the coming years of the digital age, because they will find themselves beset by public concerns over privacy, security and user protections. It simply won’t be possible to avoid these discussions, nor will companies be able to avoid taking a position on the issues. (Kindle ver No. 1153)

Then, what is the most biggest impact to our lives through a big change by technologies?

For citizens, coming online means coming into possession of multiple identities in the physical and virtual worlds. (Kindle ver No. 175)

Especially online technology is going to make us have two worlds, physical one and virtual one. Living in these two worlds at once, we’re faced on having two different identities.

For those who are already connected, living in both the physical and the virtual worlds has become part of who we are and what we do. As we grow accustomed to this change, we also learn that the two worlds are not mutually exclusive, and what happens in one has consequences in the other. (Kindle ver No. 1420)

According to authors, though we tend to have two different identities in both virtual and physical world, they are influencing each other. Two worlds are not separated, but connected. Based on the estimated near future, what should we change to adjust to two parallel worlds? Authors suggest there are four implicating points.

First, it’s clear that technology alone is no panacea for the world’s ills, yet smart uses of technology can make a world of differences. (Kindle ver No. 4391)

Because most of us have fair chance to use technologies, technology itself causes us same benefit. If we want to make us different and competitive to others, we have to become smart users of technologies.

Second, the virtual world will not overtake or overhaul the existing world order, but it will complicate almost every behavior. (Kindle ver No. 4391)

If the virtual world becomes progressed more and more, there will be the physical world for our lives. On the other hand, we have to be prepared for the future world which will be more integrated for two different worlds.

Third, states will have to practice two foreign policies and two domestic policies -- one for the virtual world and one for the physical world -- and these policies may appear contradictory. (Kindle ver No. 4391)

Though this message is sent for the government and politicians, we, as a citizen, have to care for the upcoming two different rules, because we will have to live in both worlds each of which will have own rule.

Finally, with the spread of connectivity and mobile phones around the world, citizens will have more power than at any other time in history, but it will come with costs, particularly to both privacy and security. (Kindle ver No. 4405)

We should consider about pros and cons about having information technologies. Then, it will be needed for us not only to enlarge possibilities and chances of using them, but also lessen risks and weakness of it.


2014年4月13日日曜日

【第273回】『おどろきの中国』(橋爪大三郎×大澤真幸×宮台真司、講談社、2013年)

 アメリカと中国とを比較した場合、次の行動が読みづらいのは中国である。国民感情が時に激しくなって日本と対峙するタイミングを考えても、私たち日本人には予見しづらい。中国という国家が分かりづらいのは、なにも日本人だけではないらしい。その理由を、橋爪さんは端的に以下のように述べる。

 ヨーロッパのものさしで、中国のことが測れるか、という疑問なわけです。 で、そのものさしの中身を見てみると、国家はまず、世俗のものである。教会じゃない。国家は宗教でなくて、政治だけを行なう。これはキリスト教文明の伝統のなかで、だんだんそうなってきたんですけど、このものさしは中国を測るのに適当ではないんです。(20頁)

 ウェストファリア条約後に形成されたいわゆる政教分離がヨーロッパの政治・宗教におけるテーゼである。宗教と一体化した存在として国家を見ていたこと、政治主体として国家を見ていること。こうしたヨーロッパの歴史は、ウェストファリア条約から起算したとしても500年弱の話である。日本という国民国家もその系譜の中に位置しているわけであり、私たちの思考様式も然りである。それに対して、中国という政治体制は三千年であり、西欧近代的な尺度で測ることができないのは自明なのかもしれない。では、中国とはどのような存在なのか。

 EUはまあ、中国みたいなもの。逆に、中国は、二千年以上も前にできたCU、中華連合なんです。「なんで、中国がそんなに昔に中国になったか」という質問は、「なんで、EUがこんなに遅くにやっとEUになったか」という質問と、裏腹なんです。(29頁)

 大変興味深いことに、橋爪さんはEUを比較に用いてこのように述べている。一つの国民国家ではなく、国民国家の集合体であるEUのようなものである、というのである。このように捉えると、中国という存在をイメージしやすい。ではそれぞれの社会を束ね、中国という一つのかたちを為しているものは何か。

 中国にはこういう意味での神(God)はいない。そのかわりに「天」がある。天も永遠普遍なんです。(76頁) 中国はこうした、多民族・多文化の社会なので、すぐ「民族」の観念に訴えることができない。そこで、まず政治的統一をつくり出し、つぎに民族をつくり出す、という順番になる。政治的統一をつくり出すには、なにか、抽象的な理念が必要になる。(136頁)

 国民国家が民族もしくはナショナリティーに訴えて一つの主体を為せるのに対して、中国では民族以外の理念が必要になると橋爪さんはいう。その最も根源的な存在は、前段で引用した「天」という概念であり、それは『論語』(『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年))で何度も述べられているところからも明らかであろう。さらに興味深いのは、政治的統一をつくり出すために抽象的な理念が必要になるというプロセスである。このプロセスは、崇高な理念をもとにして国家を作り上げたアメリカとは真逆である。現代における中国の政治主体である中国共産党に関する橋爪さんの説明を引いてみよう。

 共産党とはどういう装置かというと、人びとが同じことを考える装置。そして権力を伝達する装置です。人びとが同じことを考えるのは教会もそうなんですけど、教会の場合、人びとがドグマに縛られ、リーダーもドグマに縛られる。ドグマに違反するリーダーは打倒されたり、交替させられたりして、運動が持続する。これが教会の論理です。こういうことが中国共産党にあってはならないわけだから、中国共産党には本当の意味でのドグマは存在しない。指導部が正しいと考えることが正しいのであって、ほかの人たちはそれを学習しなければいけない。「指導部が正しい」という前提が、ドグマなんです。それ以上踏みこんで、具体的なドグマを信奉する人間は、かえって粛清されてしまう。(147頁)

 橋爪さんによれば、ドグマがリーダーを規定するのではなく、リーダーがドグマとなるというのが中国共産党であり、中国の歴代の政治主体の根本的な理念となるそうだ。宗教や法ではなく、リーダー自体がドグマになるという発想を私たちは持つことが難しい。しかし、それが中国という国家を為す要諦となっていることを意識する必要があるだろう。

 最後に、やや長い引用となるが、大澤さんが指摘する、日中における歴史問題への指摘は非常に示唆に富んでいる。これを結びとしたい。

 日中戦争というのは、壮大な「意図せざる結果」のように思います。もともと、それほどの喧嘩をするつもりでもない相手と、めちゃめちゃな喧嘩をしてしまったようなものです。前線では、ひどい殺戮までしているのに、軍人が我に返って、そもそも「オレは何のためにこれをやっているのか」と問うと、それに対する明確な答えがない。ただ成り行きの中で、巻き込まれてしまっている。中国の内陸に攻め入った日本軍は、戦争の意味に関して、自覚が乏しかったと思う。 そう考えると、日中の歴史問題がなぜ何度でも再燃するのか、わかるような気がします。たとえば、南京事件のことは大きな問題になるけど、ぼくらはしばしば、そうしたいさかいが起きる原因は、単純な事実認識のちがいだと思っている。でも、事実認識の以前に、これは事実を解釈するためのフレームワークの問題ではないか。 謝罪をしたり、責任をとったりするには、大前提として、「こういう意図のもとで行なった。しかしこういう結果になった」という認識が不可欠です。しかし、そうした認識が日本側であやふやだ。南京で何人の犠牲者が出たかということの前に、そもそも、南京での戦いが「何であるか」を意味づけるフレームワークがない。だから、どう責任をとったらよいのかはっきりしない。中国からすると、これほどのことがなされているのだから、日本側によほどの意図があったはずだ、と見なされるわけですが、日本の方からすると、その肝心な部分が空虚なままなので、応答しようがない。(264~265頁)


2014年4月12日土曜日

【第272回】『レイヤー化する世界』(佐々木俊尚、NHK出版、2013年)

 本書は、帝国時代から近代へ、近代から現代へと時間軸を推移させながら、現代という時代の特徴を浮かび上がらせるものである。時代の特徴とともに、それぞれの時代を支配するパラダイムを明らかにすることで、私たちの生活や生き方について考察をしようとする意欲作と言えるだろう。

 まず、複数の帝国から成る世界から眺めていこう。その特徴として、著者は二つの点に要約している。

 第一には、帝国は多民族国家だったということ。 第二には、帝国と帝国を結ぶゆるやかな世界の交易ネットワークがあったということ。(63頁)

 多民族から成る国家であったということは、近代における共同幻想としての一つの<国民>から成る国民国家と比較することでイメージを持ちやすいだろう。つまり、現代における私たちが思い描く国家像と、当時の国家とは全く異なるものであり、帝国間の境界が曖昧としたゆるやかなものであったということである。境界がゆるやかであるということから、第二の点が導き出される。すなわち、帝国同士が緊張関係を維持するというよりも、お互いが安定的に共存できるような交易が行なわれていたのである。

 こうした安定的で相互依存的な帝国の時代を終わらせたのが、帝国時代においては辺境にすぎなかったヨーロッパである。国民による国家というシステムを生み出した西欧近代の登場により、帝国は終焉したのである。では西欧近代を構成する近代の世界システムとはどのような要素から成り立っていたのであろうか。著者は四つのポイントに絞って説明を試みている。

 国民国家であること。 国民国家のウチの結束を固め、強い軍隊を持つこと。 国民国家のソトを利用し、経済を成長させること。 そして国のウチでは、民主主義で皆で国を支えていくこと。(142頁)

 共同幻想としての一つの国民という物語を中心に置くことで、ウチとソトという概念を生み出したのが近代である。近代では、帝国時代における傭兵による戦争から、国民の国民による国民のための戦争を可能とするためにウチの結束を固め、ソトとの緊張関係に備えることが常態であった。ソトとの緊張関係とは、戦争という暴力だけではなく、ウチの経済成長を実現するためにソトにある資源を活用するという戦略も該当する。

 さらには、国民国家のウチにもまた、ウチとソトの原理が成り立っていた。つまり、民主主義を構成する経済活動を活性化するために、業界間における絶え間ざるポジショニング争いが展開されたのである。売り手側と買い手側、上流と下流、といった対称関係において、有意なポジションを得ようとするダイナミックな競争が展開されたのである。こうした原理は際限なく細かい単位に分解されて展開される。つまり、業界における競合他社間の競争、企業の中における社員間の出世競争、といった具合である。いずれにしろ、ウチとソトとを切り分けることが、西欧近代が生み出した国民国家のパラダイムの要諦と言えるだろう。

 こうした一つの国民国家を前提としたウチとソトの関係性を崩壊させつつあるのが現代の情報技術であり、その変化こそがグローバリゼーションの本質であると著者はする。国民国家を支える企業から、グローバルに展開する企業、たとえばApple、Google、Facebook、Amazonを考えれば分かり易いだろう。その特徴について著者は以下のように述べる。

 さまざまなレイヤーのうち、その時どきでもっとも強いレイヤーが権力者になり、その<場>を支配するようになる。<場>とレイヤーは、そういう作用で動いているのです。 ここでは化粧箱のように人びとを束ね、上から見下ろして命令する権力はありません。そうではなく、下から人びとを支え、人びとを管理する。 それが新しい権力の形、新しい権力と人との関係なのです。(209頁)

 ウチとソトという静態的な切り分けから、レイヤーという動態的な切り分けによる分類が現代社会の新たなパラダイムとなりつつあるという指摘であろう。レイヤーは可変的であるために、一つの主体が指示・命令によって押さえつけるということではなく、下からじわじわと影響力を発揮するということが特徴であろう。スマートフォンのOSというレイヤーで考えればAppleとGoogleは競合するであろうが、Googleの検索システムはiPhoneを支え、MacBookが利用されるほどGoogleの検索システムの利用数は増大する。こうして、指示・命令関係が複雑に入り組み、レイヤーに応じてポジショニングが異なる関係性が構成されることとなる。

 こうした関係性はなにも企業や組織という単位だけではなく、個人にも影響を与え、個人においてもレイヤーによる分類がなされる。

 レイヤーにスライスされて自分という個人は切り分けられてしまっているけれども、切り分けられているからこそ、それぞれのレイヤーで他の人たちとはつながりやすくなるということなのです。(213頁)

 レイヤーによって切り分けられている状態とは、近代におけるような一つの<国民>という外的な統合体が存在し得ない状態である。したがって、近代の精神構造で考えてしまうと、あたかも自分自身が細かなレイヤーに分類されて統合されていない感覚を持ちやすい。そうした切り刻まれた感覚を無理に統合しようとソトに求めてしまうのが、ナショナリズムであるネオ・コンサヴァティズムという懐古的な思潮系統なのかもしれない。そうではなく、現代においては、ソトに統合体を求めるのではなく、ウチにある多様なレイヤーをもとに、それぞれのレイヤーの中で主体的に関係性を結びつける。しなやかで地道な営みが、現代に生きる私たちには求められていると言えるだろう。こうした現代において私たちに求められるマインドセットを著者はメッセージとして述べている。それを最後に引用して本稿を終わりにしたい。

 レイヤーでつながろう。 <場>と共犯し、<場>を利用し、<場>に利用されよう。 そして、<場>の上を流れていこう。 大地の上を、動き続けよう。(268~269頁)

2014年4月6日日曜日

【第271回】『中国思想を考える 未来を開く伝統』(金谷治、中央公論社、1993年)

 なぜ歴史を学ぶのか。歴史をどのように現代の私たちの考え方や生き方に活かすことができるのか。

 古い時代を研究していても、思想史学というものは、昔の人が考えたことをもう一度自分で考えて吟味するということをしますので、思想に関係する者として現代の問題を考えないわけにはいかないのです。(1~2頁)

 思想史を学ぶということは、その内容を吟味し、反芻することであり、その現代への含意を考えるということに繋がるものだと著者はしている。したがって、私たちはある思想の現代における意味合いを考える場合には、その思想が生み出された時代背景を前提条件として考える必要がある。

 「鬼神を遠ざける」のは合理主義にかなっているが、「鬼神を殺して」というのは鬼神の存在を容認するもので、むしろ合理主義に反するように見えると申しました。しかし、それは私たちの理性優位の立場で考えるからのことです。孔子の時代には神霊の存在を完全には抹殺できないような状況があって、孔子はその現実をふまえて「敬して」と言ったとすると、それはやはり現実を尊重する合理主義から出ていることになります。この場合、「敬して」は、尊敬の意味よりも、慎重につつしみ深く扱うという意味にとる方が、よりふさわしいでしょう。そして、そう解釈すると、下の「遠ざく」とも同じ合理主義のあらわれとしてよどみなく理解することができます。つまり、現実的な配慮を加えた特殊な合理主義として考えようというわけです。(75頁)

 ある時代における価値観や時代精神というものを括弧に入れて現代の意味合いとして解釈してしまうと、ある思想の持っている可能性を殺してしまいかねない。ここではその例として孔子の生きた時代における鬼神の存在が挙げられている。

 鬼神を信ずる人が一人でもいれば、それを無視して抹殺するのではなくて、それ相応の配慮を加えてゆくというのが、儒家的合理主義でした。これでは社会の進歩はあるいは遅いかも知れません。しかし、恐らく社会はひずみ少なく調和的に発展してゆくことでしょう。そして、これは今日の民主主義の発展にも役立つ考え方ではないかと思うのです。合理主義という名のもとに、少数者や弱者の人権が脅かされることの指摘は、このごろではよく見かけることです。単純な多数決は衆愚政治へと堕落します。少数の意見として疑わしい内容であっても、それをはっきり実証的に論破できないとすれば、それを「敬遠する」態度で保留しておくのが、現実的な正しい処置でしょう。保留という時間的推移のなかで、その疑わしいことが消滅するかそれとも真実性をあらわすかが、期待されているのだと言えます。(89~90頁)

 著者が指摘するような、前述した鬼神の捉え方があればこそ見出せられる現代的な意義である。民主主義の持つ限界性と、ダイバーシティの有する可能性、という二つのものを、鬼神を論じることで見出せるのである。

 矛盾する二つは、絶対にあい容れない。相手を排斥しあって協調することはありません。しかし陰陽的な対立では、反対でありながら相手の存在を認める。相手があることによって自分の存在の意味がいっそう明確になる、ということをわきまえているのです。(中略) 『老子』の中では、「有と無とはあい生ずーー有ると無いとは互いに相手があって生まれる」と言って、「存在しない」ということがあるから、はじめて「存在する」ということもいえるのだ、と主張します。つまり、有ると無いとは相対的な概念だから、どちらもあってこそ成立するのであって、片方だけでは成立し得ないというわけです。(105~106頁)

 好きか嫌いか、賛成か反対か、白か黒か。現代の日本を生きる私たちは、とかく二元論的に物事を見てしまい、判断することで思い悩む必要がなくなることに安心を見出してしまいがちだ。しかし、どちらか一方だけが正しく、反対概念を認めずに排除するということは、もう一方の存在をも消すことに繋がるのではないか、というのが『老子』(『老子』(金谷治、講談社、1997年))の現代的な解釈である。現代の私たちを取り巻くパラダイムが一方的に間違っているということではないが、そこにある限界や危険性について自覚的になることは必要であろう。

 対立するものがその対抗性を失わないで「競い立ち」ながら、しかも相手を容認して譲るべきは譲るというあり方、個を貫きながら全体の調和の理想を追求する姿勢、絶えず変動する状態のなかで広く情報を集めて安定した中を求める態度、そうした複合的なあり方のなかに中庸の神髄はあるようです。(162頁)

 個を殺して全体に合わせるのではなく、また、全体に対する意識をなくして個を重視するのでもない。対立項目を両立させるということは、個と全体とをともに活かすという中庸の精神に結びつく。多様性と統合性とが同時に求められる現代社会において、こうした考え方は有意義であろう。

 生と死とは連続していて、死は生を断ち切る形であらわれるのですが、その死の意味は生の意味によって決定づけられるのです。人生に対する孔子の真剣な取り組み方、人生問題についての孔子の強い集中性こそは、それを証明して余りがあるように思います。(173頁)

 二項対立は、ここで生と死という究極の二つの反対概念へと至る。生と死とをいたずらに分けるのではなく、死を考えるためには今を生きるという感覚を持つこと。だからこそ、いま生かされている自分という意識を持つことが大事なのであろう。


2014年4月5日土曜日

【第270回】『世界史(下)』(ウィリアム・H・マクニール、中央公論新社、2008年)

上巻が前近代を扱っていたのに続いて、下巻では近代以降の世界の歴史が扱われている。最初に、近代と前近代とを分けるものとはいったい何なのか。

近代とそれ以前を分けるには、大概の歴史的指標よりは一五〇〇という年が便利である。これはまずヨーロッパ史についていえる。つまり地理上の大発見と、その後に速やかに続いておこった宗教改革は、中世ヨーロッパにとどめを刺し、とにもかくにも安定した新しいパターンの思想と行動を手に入れるための、一世紀半にわたる必死の努力が開始されたからである。この努力の結果として、一六四八年以後、ヨーロッパ文明の新しい均衡が、おぼろげながら形をなしはじめた。一五〇〇年という年は、世界史においてもまた、重要な転回点となっている。ヨーロッパ人による諸発見は、地球上の海を、彼らの通商や征服のための公道とした。このようにしてヨーロッパ人は、人間の住み得るあらゆる海岸地方において新しい文化的前線を作りあげたが、それは、過去何世紀にもわたってアジアの諸文明が、草原の遊牧民と対立しあった陸の境界線と肩を並べるほどの重要性をもち、やがてはそれをしのぐ意味をもつようになった。(35頁)

 西欧近代とも称されるヨーロッパにおける文化的・技術的・情報的な近代化を考える上でも、地球規模における通商や地理的な意味合いでも一五〇〇年という年が一つの分水嶺となるようだ。ヨーロッパ発の近代化は、西欧が地球規模において優勢な地位を占める過程を推し進めるという一つの推進力になった点であり、それまでは世界の中心ではなかった状態からの過程に着目する必要があるだろう。

 ルネサンスと宗教改革という、双子の、しかも競合し合う運動は、ヨーロッパの文化的遺産のふたつの異なった側面を強く表している。異教的な古代の知識と技法と優雅さを再生させようという理想を掲げて登場した人々は、ヨーロッパの過去のギリシャ=ローマ的構成要素を賛美したのに対して、聖書の線に沿って宗教改革を熱心に行おうとした信者たちは、西欧文明のユダヤ=キリスト教的な要素から主な霊感を得た。両陣営における少数のひたむきな主導者たちは、相手をまってく否定しようとした。しかしこれは異例であった。このふたつの運動の間には絶えず複雑な交流があったからである。最も偉大な宗教改革者のなかには、優れた手腕をもつ古典学者がおり、聖書の研究にも適応できるような、正しい異教のテキストを確立するために発達してきた技術を見出した。同様に、ルネサンスの芸術家と文人は、深く宗教と神学の問題に関心をもちつづけた。(66頁)

 文化的な側面における改革を担う人々と、宗教的な側面における改革を担う人々とがともに対立的な態度を取っていたという点は興味深い。というのも、後半で著者が述べるように、現代の感覚ではそうした動きは連動するのが自然であると考えられるからである。いずれにしろ、両者は表面的な対立と深い面での共鳴を経て、西欧の近代化を推し進めたのである。

 一五〇〇年と一六四八年の間の長期にわたって続いたヨーロッパの陣痛は、奇妙なことに、その時代のほとんどすべての偉大なる人々が望んだのとは反対の結果を生んだ。普遍的な真理を発見し、強制するのではなく、ヨーロッパの人々は、意見を異にするという点で意見を一致させることが可能だ、ということを発見した。知的な多元論が、ヨーロッパの土壌に、それ以前のいかなる時代と比べても強く根付いたのである。(中略)
 芸術と文学も、同じように高まりゆく多元性を示した。(78頁)

 近代化により西欧の優勢が進んだということは、西欧における一元的な世界観が拡がったということを意味しないという点に注目したい。西欧の内部における困難な対立関係と、その結果としての長期にわたる戦争という苦しみを経た結果、多元的な社会観が、知識・芸術・文化のそれぞれの領域で見出されることとなったのである。

 こうした西欧における近代化の影響は、世界規模で影響を及ぼすこととなる。西欧から見て辺境にあたる、アメリカやロシア、そして日本にどのような影響を及ぼすこととなったのかをまとめてみよう。

 ロシアと両アメリカ大陸の社会を、西欧文明の中心部をなす諸国のそれから区別する基本的な条件に、土地が比較的豊富であることと、労働力(あるいは少なくとも訓練された熟練労働力)が不足していたことがあげられる。このような状況では、いかなる場合でも二種類の反応がおこり得る。すなわち、文明社会をまとめあげ、社会の諸階層と専門家集団とのあいだに機能的な関係を作りあげるのは、こまかく組み合わさったいくつもの要素――技能、地位、雇用、敬意の型など――なのであるが、それらがすべて解消して、無政府主義的平等、および文化的な新原始主義が生まれるのである。(中略)
 辺境社会でおこり得る状況としてはもうひとつ、主人と使用人という極端な分極化があげられる。外部から経済的、政治的、軍事的圧力がかかってくる場合、ときとして辺境の平等主義は相容れない複雑な社会制度が必要となることがあるからである。(154155頁)

 新しい政治形態やオリジナルな文化の創出という反応と、固定的な身分制度の創出という反応の二つが挙げられている。こうした二つの反応は時に激しい対立構造を持つこととなり、その最たる例はアメリカ合衆国における南北戦争であろう。

 次に、西欧から見て極東の辺境に位置する日本への影響はどのようなものであったか。

 ちょうどヨーロッパにおけるのと同じように、大砲や小銃が戦争における決定的な武器となったとき、軍備費が増大してその結果大領主しか軍備を調達して勝利をおさめることができなくなった。そこでおこったのが、急速な政治的統一である。最初のポルトガル船が日本に着いてから半世紀も経たないうちに、日本列島全体は、大将軍秀吉(中略)のもとに事実上統一された。(121頁)

 全国の武将が覇権を競う姿で描かれた日本史を学ぶ私たちにとってパラダイムシフトを伴う歴史の見方が提示されている。つまり、西欧からもたらされた新しい武器の導入を伴い軍備費が増加したために政治的統一が求められた、という視点である。火縄銃を用いて長篠の戦いに勝つという織田信長の戦術眼はほんの小さな歴史の断片に過ぎず、最先端技術のコスト負担を低くするために統合が促されたというマクロな視点で歴史を眺めること。歴史をロマンとして見ることが否定されているのではないだろうが、技術や政治という現実的な観点で歴史を見ることは、歴史を学ぶということなのであろう。

 一八六八年のクーデターによって幕府は倒れ、天皇制への復古がはたされた。だがまことに皮肉なことに、こうして天皇の名のもとに徳川幕府を転覆した人々は、いざ権力を握ったとたん、西欧の進出を食い止める唯一の方法は、その進んだ技術と政治の秘密を学ぶことだと考えたのである。少数の日本人はすでに、ペリー提督が一八五四年に日本を「開国」する前から、それに手をつけていた。そしていったん開国したあとは、ますます大勢の愛国的日本人たちが組織的に行動を開始し、西欧列強をこれほどまでに強力にした原因である技術と知識を習得しようとしたのである。西欧の侵入から国を守るために、彼らはこうして計画的に革命をおこしたのだった。(240頁)

 「毒をもって毒を制す」ともいえるような日本人の立ち振る舞いが、抑制の効いた筆致でよく描き出されている。日本人は外国の方々からこのように見られているということでもあるのだろう。良くも悪くも、認識しておく必要があるだろう。

 第一次世界大戦の勃発とともに、混乱はさらに増した。大戦中、日本はヨーロッパ列強が戦闘状態にあるのを利用して、中国における自国の利権拡大を画策した(二十一カ条の要求、一九一五年)。(中略)
 このようにして、中国に特別な利権を手に入れようとする日本の努力は、列強の外交的介入によって食い止められたものの、中国の国内は暴動によって混乱状態に陥っていた。(中略)
 一九三〇年代、日本が中国に対する侵略を再開したことによって、中国のかかえる問題はいっそう複雑なものとなった。(264267頁)

 一九〇〇年以降の中国における日本の政策に対する著者の記述である。一貫して、当時の日本政府の行動が中国への侵略という意味合いで論じられていることに着目するべきであろう。一九四五年に至るまでの一連の中国への日本軍の関与について、侵略戦争であったか否かが今でも論じられるが、西欧人の一人である著者の描き方を、私たちは意識する必要がある。

 最後に、著者の考える歴史と、現代という時代について触れておこう。

 自然の実相は、これまで天文学者や物理学者が信じていたように統一的で数学的に予見可能ではなく、その細部においては突発的で予言不可能なものだ、という物理化学の見方が有力になったのである。さらに、この新しい宇宙の歴史は、生物学者や社会学者がつねにとらえようと努力してきた、混乱してうつろいやすい世界と酷似している。人類史、生物進化、そして地球の地質的歴史などは、すべて宇宙全体の進化の新しい像と、ぴったり一致しはじめたのである。(398399頁)

 多様な学問分野における知見が、予測不可能性や変化を所与としたものの見方を提示するという方向性で統一されつつある、という指摘が興味深い。個々の異なるベクトルが、時間軸の中で収斂していく様は、時代という意志の存在を想起させられる。

 人間の行為(または行為の抑制)が、人間相互や人間を取りかこむ自然界にどのような影響を与えるかは、完全には予見できない。これは過去においても同じだった。しかし、人間の計画的な行動によって、変化への道が広く開かれている未来には、すばらしい可能性と、それと同じくらい恐ろしい破滅がひそんでいる、と結論しなければならない。したがって、世界史は、いままでつねにそうであったように、未知なるものへの栄光ある、挫折多き冒険でありつづけるのである。(401頁)

 歴史を学ぶということは未来を予見するためではない。予期できない状況の中において、未来を創り出そうとする意欲を育むことであり、挫折しても立ち直るための英知を涵養するためなのだろう。