2011年12月25日日曜日

【第59回】『雇用社会の法と経済』(荒木尚志・大内伸哉・大竹文雄・神林龍編、有斐閣、2006年)

 ビジネスパーソンの市場価値が強調され始めた2000年前後から、問題解決の手法を論じるビジネス書が流行しているように思う。軸で切ってポートフォリオで分析を試みたり、モレなくダブりなく論理を積み上げたりすることで、解決策を導き出すことはたしかに有用であろう。しかし、こうした手法は、問題を正しく定義できてはじめて効果が生まれるものである。 誤った問題に対して、フレームワークを用いた分析やロジカル・シンキングを試みたところで、誤った解答を正しく導き出す、という笑えない結果を生み出しかねない。

 問題をどのように捉えるかは、観察者がある事象をどのように認識するか、という観察者の視座に依存する。労働に関する分野においても例外ではない。本書では、労働分野における諸問題に対して、法学者と経済学者がそれぞれの観点を披瀝した上でどのように問題解決を行うかを述べるという学際的なアプローチで展開される意欲作である。


 では、労働問題に対して、労働法学者と労働経済学者がそれぞれどのようなアプローチで問題を捉え、解決策を導き出すのか。


 まず、何を問題として捉えるか。著者によれば、労働法学者は、現実に起きている事象のうち、正規分布から外れるような大問題となっているものを対象とすることが多い。世間の目を引くような過労死の問題であったり、名ばかり管理職の問題といったものがピックアップされることは容易に想像できるであろう。それに対して労働経済学者は、正規分布の平均的な範囲に入る企業や個人を対象とする傾向がある。個別の企業や個人といった顔の見えるミクロなものを対象とするのではなく、統計的なデータから見えるマクロなものを対象とする、ということである。


 このように、問題として捉える観察対象が異なれば、解決策は自ずと異なることとなる。労働法学者は、具体的に困っているある労働者を助けるために、様々な規制や政策を行う必要があると主張する。その結果、国家の積極的な介入を是とするようなパターナリズム的な発想を取りがちであろう。他方、労働経済学者は、現に困っている労働者を助けることの必要性は認めつつも、規制や政策を進めるとかえって他の労働者に悪い作用を及ぼすことを危惧する。この結果、ある種のリバータニズム的な発想を取ることが多く、国家の積極的な介入に対して疑問を持ち、市場の自律的な問題解決を肯定する。


 こうした視点の違いが最も先鋭化するテーマとして本書で指摘されているものが解雇規制である。


 日本における法的な運用としては、解雇権濫用法理や整理解雇法理といった諸外国と比べて労働者を保護する傾向が強い。労働法学者がこうした論理構成を為す論拠とするものは主に二つあるそうだ。一つめは生存権や勤労権といった憲法上の権利や人格権であり、二つめは労働契約における実質的な労使の対等性の欠如への対処という考え方である。憲法が保護する基本的人権の尊重という崇高な理念と、使用者側に対して比較劣位にある労働者を保護するパターナリズムが労働法学者の拠って立つものと言えるだろう。


 企業から排除される特定の個人への手厚い保護を行おうとする労働法の考え方に対して、労働経済学者は、解雇規制によって生じる社会的な損失に警戒感を示す。つまり、国家による規制によって企業が外部環境に合わせて柔軟な対応を行うことが難しくなり、企業の経済活動が停滞しかねないというのである。その結果、企業における労働需要が低下し、労働市場の需給バランスが低位均衡し、翻って労働者側にデメリットをもたらす、という論法である。


 観点の提示や問題提起で留まる書物に対しては「ではどうすればいいのか」という不満の声が出るらしい。しかし、表面的な解決策が適用できる状況というのは極めて個別具体的な状況に限られる。そうしたものを無理に職場に適用してもどれだけ意味があるだろうか。個別具体的な事象に対するためには、それを問題として捉えるためにいったん抽象化し、抽象化して捉えた問題に対する解決の枠組みの方向性を抽象的に捉え、抽象的な解決策を個別具体的に落とし込む、というプロセスが必要であろう。具体的な事象を抽象化するためには、学術的な知見が役に立つ。このように考えれば、本書のような観点の提示を行う学術書は、遠回りのように見えてビジネスに使える優れた教材であると言えるだろう。




2011年12月19日月曜日

【第58回】『諸外国の労働契約法制』(荒木尚志・山川隆一編、労働政策研究・研修機構、2006年)

 本書は、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカの労働契約法を比較することで、日本における労働契約法の特徴を明らかにするものである。企業のグローバリゼーションへの対応は画一的なものと捉えられがちであり、法務面でも同じ誤解があろうが、労働契約法の分野においては、二つの大きな違いがある。

 一つめは、大陸法とコモン・ローとの違い、すなわち制定法を重視するドイツとフランスと、コモン・ローに立脚するイギリスとアメリカの労働契約の考え方の違いである。大陸法は伝統的に制定法により積極的に規制してきたのに対して、コモン・ローにおいては制定法による規制に消極的であり、労働市場の自律的な調整機能に委ねる傾向が強い。大陸法においては制定法によって統一的な解釈が行われるのに対して、英米法においては、制定法が存在しない場合、コモン・ローにより個別の解釈の問題となるのである。

 二つめは、EU圏に属するドイツ、フランスおよびイギリスと、アメリカとの違いである。この両者においては、とりわけ解雇規制に関する違いが顕著である。アメリカにおいては一部の州を除いて解雇に正当事由を要求する立法はなく、差別規制等に反しない限り解雇を原則的に自由としている。これを随意雇用原則と呼ぶ。それに対して、ドイツ、フランス、イギリスにおいては制定法によって解雇を行う上での制限が課されている。具体的な要件としては、ドイツにおいては社会的に不当でないこと、フランスにおいては真実かつ重大な理由、イギリスにおいては公正さが、求められるのである。

 上記のような二つの異なる点があるわけであるが、いずれの国においても解雇を制限する潮流が見られることが興味深い。EU圏においては制定法によってそうした流れが創り出され、アメリカにおいては州単位ではあるが判例によって推進されている。では、各国において解雇法理が今後も厳格化するかと言えばそのようなわけではないだろう。グローバル展開を行う企業が各国において柔軟な人事施策を展開し易いように、中庸を目指して法が修正されていると見るべきではなかろうか。このように考えれば、日本のように解雇法理が厳格な国家においては、それが緩和する方向に向かうことが充分に予見されると言えるだろう。




2011年12月17日土曜日

【第57回】『渋沢栄一 Ⅰ算盤篇』『渋沢栄一 Ⅱ論語篇』(鹿島茂、文藝春秋、2011年)

 近代日本の資本主義の父とも称される渋沢栄一。前近代的な社会であった当時の日本にあって、なぜ渋沢が資本主義国家を形づくることができたのか。また、なぜ岩崎弥太郎のように近代的な企業をつくることだけに注力するのではなく、産業をかたちづくることに注力したのか。その答えは、武士の流れを汲む「官」の金銭蔑視と民業軽視への反発であり、またその裏返しである「民」の没理念と没倫理への批判、という二つの想いにあったようだ。

 まず、武士はなぜ金銭蔑視の差別感情を抱いたのか。その理由として著者は朱子学がもたらした江戸時代の武士社会におけるエートスを挙げる。林羅山らが説いた朱子学では、武士階級は金銭に関わらないが故に尊いものとし、朱子学をはじめとした学問を学ぶ武士階級は自ずと実業と無縁になった。それゆえに、支配階級としての武士階級は、実業つまり金銭に携わる農工商の階級を蔑視することになった。その結果、学問を学ぶのは武士階級、実業に従事するのは農工商階級といった具合に、学問と実業とが分離することとなり、武士階級による金銭蔑視感情が定着したのである。

 こうした階級間における学問と実業との分断状況が民の没理念と没倫理への批判に繋がる。すなわち、民間は実業と金銭とを直接的に結びつける思考回路しか持たず、教養を学ぶことで得られる広く社会に対する視点を持てない。したがって、渋沢は官だけではなく、民に対する批判的精神を持ち、官と民とで学問と実業とが分断されている当時の日本の状況に危機感を持ったのであろう。


 こうした官と民との対立構造を打破するために、民の立場にこだわって、企業家を支援し、自らも数社を起業し日本の産業を立ち上げた。それと同時に商業を推進する人材の育成にも力を注いだ。民の没理念と没倫理を批判する渋沢であるため、民間教育においては実業の教育といっても単に商業にとって必要な専門知識を与えるためのものではない。民間で商業を担う人材であるからこそ、全人格的な教養の修得を重視し、商人が官に対して卑屈な感情を持たず、また私利私欲に走ることがないようにと考えたのである。こうした渋沢の努力の結晶が東京高等商業学校の大学への昇格であり、これは現在の一橋大学である。
 
 コリンズとポラスは名著『ビジョナリーカンパニー』において、偉大な企業は「時を告げるのではなく、時計をつくる」として、永続的に発展するしくみをつくることの重要性を調査で明らかにした。企業が「ビジョナリーカンパニー」を目指すことは素晴らしいことであるが、企業は産業構造の中に存在するものである。時計をつくるためには、部品を調達する企業、それを商流に乗せる企業とが必要であり、そうした一連のしくみが産業である。 重大なコンプライアンス違反が起き、実務とかけ離れた浅薄な知識の詰め込みが「教育」と呼ばれる現状が、渋沢が志向した理想の状態に今の日本の産業があるとは思えない。今こそ、渋沢という日本の近代産業の創始者の考え方を噛み締めることが大事な時期なのかもしれない。




2011年12月10日土曜日

【第56回】『アメリカ労働法[第2版]』(中窪裕也、弘文堂、2010年)

 二年半前、修士論文を書くための研究調査として事業会社のサラリーマンにインタビューをして驚いたことがある。それは、彼(女)らが異口同音に明日以降も今と同じ仕事が今の会社にあることを当たり前のように前提として捉えていたことである。当時私が個人事業主として働いていたために、彼我の契約形態の差異からこうした違和感を抱いたのかもしれない。問題は、明日も同じ仕事ができることをありがたく思って中長期的にチャレンジして職務を深化させるタイプと、それに安住して惰性で職務をこなすタイプがいることである。分析の結果、前者のモティベーションは高く、後者は低いという相関関係がくっきりと出た。調査を行う前に想定していた仮説どおりであったのであるが、あまりに仮説と合致したため後者に該当する方々の将来を心配に思ったものである。

 この調査結果を踏まえて、キャリア理論を説明変数に、コンテンツ系のモティベーション理論を被説明変数として理論化を試みた。実務に即して端的に記せば、社員を取り巻く外的環境や職務特性が近似している条件下であっても、職務の捉え方がモティベーションに影響を与える、ということである。換言すれば、職務に意味付けができる人ほどモティベーションを高められるということであり、逆もまた然りであった。これが企業による社員に対する評価と相関することは容易に想像できるだろう。

 従来、ハックマン&オルダムの職務特性理論をはじめとしたモティベーション理論を理論的背景にして、職務拡大や職務充実を管理者が図ることが王道のモティベーション施策であった。日本においては小池和男さんの「労働の人間化」に関する職務設計の理論が代表的であろう。このアプローチは理に適ったものであり、異議を挟むつもりは毛頭ない。しかし、私の問題意識は、昨今の企業においてすべての管理者が部下の職務を拡大したり充実させたりすることができないのではないか、という点にあった。職務の変化が激しく、また中間管理層の多忙さが増すばかりの現状において、管理者が部下の職務拡充を行うことは想像できなかったし、今では確信的にそう思う。管理者による職務拡充だけに頼っていては、企業において人材を成長に向けて動機付けることは難しくなるだろう。人材育成に携わる身として、コンサルタントであった当時も、事業会社で働く現在も、若手社員が多様に職務を捉えられるようになることに微力ながら注力している背景にはこういった理由がある。

 しかし最近、こうした人的アプローチだけでは不十分なのではないか、と考えるようになった。冒頭で述べた二つのタイプの人材のうち前者には私のアプローチで寄与できることはあるだろう。しかし後者に対しては、人が介在することだけで解決するものではなく、システム、すなわち企業においては人事制度が強く影響を与えるのではないか。さらに遡れば、人事制度に影響を与えるのは労働法であり、現行の法制度やその運用のあり方に問題があるのではないか。平たく言えば、判例法理やそれに伴う人事制度が、後者のような存在を生み出すことを助長しているのではないか、ということである。今後もこうした人たちが企業の中で働き続けられれば良いのであるが、昨今の経済情勢や労働経済学の基礎的な知見から考えれば、まず間違いなく無理である。そうであれば、彼らのためにも、企業のためにも、労働法というシステム自体を改善するべきではなかろうか。

 いやしくも研究者を自認する人間が、これまでの専門である組織行動論で解決できないと言って問題を放棄することは逃げである。人事・人材育成の分野において、問題発見の起点は実務の中に存在する。仮説として見出した問題を解決するための起点は理論の中にある。組織行動論とそれに基づく人事・人材育成の実務で得られた知見をもとにして、労働法での知見を組み合わせることで、問題解決の道を探りたいと私は考えている。

 日本企業における労働法のあり方を考えるためには、日本の法制度や判例を研究することが必要であることは自明であろう。しかし、日本に住み、日本で働く人間が、日本の労働法や判例だけを研究していては、そこにあるパラダイムに捉われてしまい客観視することはできない。地があるからこそ図はくっきりと形を表すのであり、研究においては、対象を明確に捉えるためには比較対象を用いることが必要である。そこで、日本の労働法を考えるために、アメリカの労働法を学ぼうと思い、先行研究の一環として本書を読んだ。

 やや長い前置きはここで終え、以降は本書について述べる。

 法の背景にはその国の文化や社会的土壌がある。筆者によれば、アメリカ社会には労働者を手厚く保護するという労働法的な土壌がもともと存在しないことに特徴がある。アメリカ社会は個人の自由と市場原理を重視し、公的な政策や階級連帯の意識に乏しく、契約をなによりも尊重するのである。

 こうした建国の精神とも言える社会的土壌の結果として、19世紀末から20世紀初頭にかけて確立されたのが随意的雇用の原則である。期間の定めのない雇用契約において随意的に雇用契約を変更できるということであり、すなわち、使用者も労働者も原則的にいつでも自由に契約を終了させることができる。日本では民法が保証する契約の自由に対して、労働者を保護するために下位法として労働法が制定されているわけであるが、アメリカでは日本の労働法的な考え方が元々ないということであろう。解約にあたり特別の理由や予告期間が要求されないことを考えれば、日本の民法よりもさらに厳格な内容であると言えるだろう。

 こうした厳格な運用は、時代を経て次第に労働者を保護するような判例が出され、随意的雇用原則は修正をなされている。

 まず、ニューディール以降に二つの外在的な制限が発展した、と著者は指摘する。一つめは労働協約による正当事由条項である。つまり、不当解雇に対して救済を求めて異議申し立てをする根拠が形成されたのである。二つめは制定法によって一定の理由による解雇を禁止することができるようになった。もともとは合衆国憲法によって、随意的雇用原則に抵触するものとして州法が解雇を禁止する規定を設けることが禁止されていた。しかし、1930年代後半には連邦最高裁が態度を変更してこうした法の制定が可能となったのである。

 さらに、1970年代後半になるとパブリック・ポリシー法理が形成され、現在では40を超える州で採用されるまでに至っている。パブリック・ポリシー法理とは、法制度が体現している一定の明確な規範に反して労働者を解雇することに制約をかける判例法理である。著者は、被用者が違法行為を拒否したことを理由とする解雇、被用者が労災補償の申請など自らの法律上の権利を行使したことを理由とする解雇、被用者が裁判所の陪審員など重要な公的義務を履行したことを理由とする解雇、などをその例として挙げている。日本の労働法と比較すると、私たち日本人にとって当たり前に思える権利がつい最近まで保証されていなかったことに驚く。

 さらに、パブリック・ポリシーと並行して契約法理による解雇制限が行われるようになった。違う側面から述べれば、従来は労働者と使用者とで解雇をしない旨の約定を結んでいたとしてもその効力は随意的雇用原則によって認められなかった、ということである。雇用契約を自由に結ぶことを、雇用契約を制限する契約を結ぶことよりも上位に置いていたのである。つまり、契約の自由じたいを保証するために、自由に制約を掛けることを禁じていたのである。

 このように随意的雇用原則に対する修正の動きを見てきたが、アメリカは州法と連邦法の二元的法体系の国家である。日本のように、地裁、高裁、最高裁といった一元的な法体系から成る国家と異なることは充分に意識すべきである。したがって、すべての州において随意的雇用原則の修正に関する進展の度合いが異なることに注意が必要であろう。しかし、大きな流れとして、パブリック・ポリシー法理や契約法理によって、硬直的な随意的雇用原則に修正がなされていることには着目すべきである。

 グローバリゼーションはアメリカナイゼーションではない。アメリカにおける労働法理も他国の労働法理の影響を受けてここまで述べたような変更が為されている。翻って日本の労働法理に目を向けてみよう。アメリカの労働法を模倣すべしということではないが、他国における労働法とそれに伴う働き方を意識した上でグローバル展開をすることが必要なのではないか。それに加えて、グローバリゼーションへの対応のためにも労働法理を修正することもまた必要になるだろう。

2011年12月3日土曜日

【第55回】Number792「ホークス 最強の証明。」(文藝春秋社、2011年)

 アスリートの言葉が私たちを魅了するのは、彼ら・彼女らの姿を私たちが見ることができ、いろいろと想像することが可能だからであろう。私たちは、アスリートの栄光のシーンという結果を眺めることで、その過程としての努力の様を想起し、それに対して賞賛をするのである。

 今期のソフトバンクホークスの成績は図抜けている。パリーグでは2位に17.5ゲームもの大差をつけて優勝、交流戦では史上初の他球団すべてに勝ち越しを決めた。ホークスの躍進の理由にはいくつもの要素があるのだろうが、その一つにはパリーグMVPに輝いた内川選手の加入が挙げられることには異論がないだろう。

 素人なりに考えても、移籍一年目で首位打者を獲得するというのは難しいはずだ。これまで対戦することが少なかった投手の投球に適応するには時間が掛かるだろうからだ。その不利な点を克服し、ベイスターズ時代のセリーグでの首位打者と併せて、両リーグでの首位打者獲得という史上二人めの偉業を成し遂げたのである。

 私が本誌で特に印象に残ったのは、内川選手のインタビュー記事である。彼の発言を引用しながら、考えたことを書いてみたい。

 「僕は、バッティングのヒントというものは常に転がっていると思っています。よく“打席で神が舞い降りてきた”なんて言いますが、常にアンテナを張り続けていないと、ヒントは拾えないんです」(64頁)

 まず着目したのが「常にアンテナを張り続けてい」る点である。アンテナを張るとは仮説を持って行動しているということではなかろうか。何かを考えるという行為は簡単なようで難しい。ただぼんやりと頭で考えても無為に時間が過ぎるだけであることが多い。そうではなく、投手、捕手、投球カウント、走者の状況、試合の展開、こういった様々なものに対して仮説を持って臨むこと。そうすれば、自身にとって有用なヒントを拾えているのだろう。

 もう一つは貪欲に努力をし続けている点だ。努力量が少なければヒントは「時に転がっている」という表現になるだろう。しかし、内川選手は「常に転がっている」と発言している。これは仮説を持つこと、それを修正すること、こういった一連の流れを愚直に続けていることの何よりの証左と言えるのではないだろうか。

 こうした基本姿勢が整っていても、長いシーズンの中ではうまくいかないことがある。とりわけ、野球における打者という十回打席に立って三回安打を打てば成功したと言われる特性を持つ役割である。失敗することがなかば当たり前であり、失敗が続く中でどのように安定した精神面を持つか、が鍵となるはずだ。このことについて、印象深いことを内川選手は述べている。

 「第1打席から第4打席まで、同じようにフラットな状態でバッターボックスに立つのはすごく難しいことだと思うんです。そんなことにエネルギーを使うよりも、自分の感情を理解した上で投手に向き合い、どのように打ってやろうかなと考えた方が効率いいのではないかと考えるようにしました。」(同上)

 昨今では、常にポジティヴでなければならない、常に成長しなければならない、といったポジティヴ心理学を曲解したビジネス書が散見される。しかし、そうした有り様は現実的ではないし、むしろそれを信じることで、そうなれない自分に苛立ち、追い込んでしまいがちだ。

 こうした好ましくないトレンドの中で、内川選手の発言は心強い。感情が揺れ動くことは自ずから然りである。それをコントロールしようとする考え方では息苦しいのは当然である。そうではなく、内川選手が言うように、自身の感情をメタ認知すること。これは長谷部選手が自著の中で述べている「心を整える」作法に近いように思え、私にはとても共感できる考え方である。

 常に仮説を持って現実に対処し、一喜一憂せずに自身の状態を見据え、愚直に努力し続ける。これはプロフェッショナルと呼ばれるあらゆる職種に適用できる考え方ではなかろうか。

2011年11月27日日曜日

【第54回】“FREE AGENT NATION”, D H. Pink, BUSINESS PLUS, 2002

Before a few decades ago, in USA, each job was majored by employees. But nowadays, the arthor says that job diversity became essential. Why has the style of jobs changed ? The arthor implied that the reason is job security has evaporated.


The style of job has changed. And it has also changed surrounding it,  including loyalty. We tend to think that the power of loyalty became weak. But the arthor does emphasis on the suggestion that the loyalty is still alive and well in Free Agent Nation. However, the feature of it has changed, from vertical loyalty to horizontal one. In this book, one of the independent contractors says that “Working solo” is not “working alone”.


The second change is the strength of relationships. The arthor compares the traditional organization and free agent organization. In traditional organizations, there were many strong ties between employees in one company. But in free agent organizations, there are weak ties. So now we have to make our weak ties stronger than before. If we do so, the chances of our career will become larger. If we don’t do, the future will be dark.


The third change is related to adult learning. The arthor cites the article of Wall Street Journal. It says “the number of students age 35 and older will exceed those 18 and 19 within a few years”. So we are facing so called “life long learning”. 


The change of our learning style will change our life career. This is the fourth change. The arthor call this new life career “Lego career”. To adjust this new situation, we wil build and rebuild our own experiences and knowledges.


This book was written in 2002, the speed of change became higher I think. And though this book was written in USA, the movement also changed our Japanese society. There are many ICs in our country, and the number of IC will increase. So the impact of this book still strong, and it might be stronger than 2002 in Japan.

2011年11月17日木曜日

【第53回】『裁判と社会 司法の「常識」再考』(D.H.フット、NTT出版、2006年)

 法社会学の本を読むのは今回が初めてだ。しかし、歴史社会学、組織社会学、社会心理学、といったように社会学は比較に基づいて考察を行う学問領域であり、これまで好んで読んできた書籍との親和性が高く違和感がなかった。法を比較によって学ぶ際に、何と何を比較するかがキーとなるが、本書では、日本とアメリカの法制度を比較している。

 まず、比較を行う際の留意点を著者は冒頭で述べている。ある国の法体系における理想像と、他国の法運用における現状とを比較するミスを犯さないこと、である。つまり、理想は理想とで比較し、現状は現状と比較するということである。研究においては、説明変数と被説明変数とのレベル感を合わせることに研究者は注意をするものであるが、それと同じことであり、当たり前である。しかし、当たり前であるからと言って、それをつい忘れてしまうことが多いこともまた事実であり、充分に留意する必要があると言えるだろう。

 その上で、日米における法制度の比較を著者は行っている。よく、日本とアメリカとの文化の相違によって法制度が異なっていると言われるが、そうした要因は小さいと著者は述べる。たとえば、日本人は裁判が嫌いで、アメリカ人はなんでもすぐ裁判に持ち込む、というのは思い過ごしに過ぎないそうだ。

 では何が異なっているのか。三つの観点から著者は述べている。

 まず第一に法制度の適用範囲の違いである。日本では、全国統一の法制度を持っており、全国で統一的な法規範が適用されている。他方、アメリカでは法制度は連邦と州のレベルで分けられている。したがって、州が異なれば適用される法制度は異なる。たとえば、連邦法で21歳未満の飲酒は禁止されているが、どのように禁じているのかという方法については州によって異なり、禁じる法がない州もある。

 第二に法規範の違いである。日本は制定法によるものが主体であり、解釈の一貫性を重視する単一の裁判所制度によって解釈・運用が行われる。あくまで判例は制定法を補足するものにすぎないのである。それに対して、アメリカでの法規制の多くは判例法によるものであり、裁判所の解釈も必ずしも一貫していない。したがって、日本においては裁判を起こす主体からするとどのような判決が下されるかの予見性が高いが、アメリカにおいては予見性が低い。だからこそ、弁護士の力量によって判決が変わり得る余地が大きい。

 第三に一般人がどれほど法律を知悉しているかの違いである。「アメリカ人は裁判好き」という偏見を持っている方は意外に思われるかもしれないが、アメリカの一般的な人は法律について詳しくない。これは、法律は法科大学院で学ぶものであり、大学の学部レベルでは法律はほとんど学ばない。それに対して、日本では学部レベルで法学部があり、また他の学部であっても多くの大学生は教養課程において何らかの法律に触れることが多い。したがって、業務において法律を扱わない人であっても、ある程度、法律についての知識があると言えるだろう。


 法制度の比較を行うためには、こうした社会学的な比較を行うことで、法を取り巻く背景の相違について把握することが重要と言えるだろう。今後の自分自身への戒めとして、心に刻んでおきたい。

2011年11月13日日曜日

【第52回】『FCバルセロナの人材育成術』(A.P.オルトネーダ、アチーブメント出版、2011年)

 バルサのトップチームにカンテラ上がりの選手が多いことは有名だ。メッシ、シャビ、プジョル、イニエスタ、と挙げれば切りがない。名実ともに世界一と称されるバルサのトップチームにおいて、カンテラから上がってきた若手がなぜ活躍できるのか。その一つの大きな理由は、トップチームからカンテラの最年少カテゴリーに至るまで同じシステムを利用しているからである。同じシステムの中での動きに慣れているからこそ、上位のチームに上がったときに自分のパフォーマンスを遺憾なく発揮しやすくなっているのである。

 たしかに、こうした外的なシステムによる育成が奏功していることもあろう。しかし、これが本書の、そしてバルサの人材育成の要諦ではない。客観的な理論やシステム論ではなく、選手の態度の有り様が今のバルサの強さを支えている、と著者は結論づけている。

 人材を育成するためには、そもそもどういった人材にバルサに入ってもらうか、つまり採用が重要になる。興味深いのは、バルサの選手が異口同音に義務感でボールに触っていたのではなく、遊びの感覚を持ちながらボールに触れていた、ということである。クラブの練習の後に行う自発的な練習を日本ではよく「自主練」と呼ぶが、こういう感覚ではなく、ボールと「戯れる」という感覚だそうだ。ボールと自然に「戯れる」ことのできる人材を採用しているのであろう。好きこそものの上手なれ、という諺があるが、「戯れる」ことができることは一つの才能であり、自発的に成長する素地のある子どもたちである。某有名サッカー漫画で「ボールは友だち」を信条としてボールと「戯れる」主人公が、作中でバルサに在籍していることも興味深いシンクロ現象と言えよう。

 ではこういった子どもたちにバルサは何を教えているか。
 
 謙虚さである。自信を持つことは悪いことではないが、自分のことに価値を見出すのであれば、他者の行動に対して感謝し、謙虚さを持つ、という考え方である。もちろん、勝負に対する徹底した意識が彼らには前提として求められているそうだ。しかし、勝負に対する強いこだわりを持ちつつ、それと同時にそしてより強く、対戦相手に対して謙虚さを持つことをバルサでは徹底して教育している。

 このように、サッカーに対して「遊び」の感覚を持ちつつ向上に励み、他者に謙虚に接するという個人としての日々の修練が基礎を為す。しかし、プロのチームである以上、選手起用の権限を担う監督との関係性が必要不可欠であることは言うまでもないだろう。

 選手にとってのチャンスは突然やって来る。分かり易い例を挙げれば主力選手の怪我である。チームに穴が空いた時にどのような選手にチャンスが与えられるか。著者は、監督が必要とする人材像に当てはまっていなくてはチャンスが回ってこない、という。つまり、監督から信頼されていることが必要である、ということであろう。

 これは仕事においても類推し易いことであり、少し飛躍して書いてみたい。

 信頼されるには、まず努力し続けていることが大事である。何が他者から求められているかは常に変わる。したがって、関心領域を少しずつ拡げながら常に学び続ける必要がある。本書でも、幾人もの選手が学び続けることの重要性、とりわけ教養を深めることを指摘している。次に、学んでいることを目の前の与えられた役割の中に活かす工夫をすることが必要であろう。学んでいることをすぐに成果に結びつけることは難しいが、それでも適用を試み続けて少しずつアジャストすることが大事なのではないか。さらに、それを自身の中に閉じてしまうのではなく、他者に対してオープンにすることが大事であろう。自分なりの工夫を他者から批判されることは精神的にきついこともあるだろうが、他者にそのチャレンジが見えなければ評価されることはできない。他者からの評価に対して、バルサのカンテラの子どもたちのように謙虚に接することが大事なのではないか。

2011年11月5日土曜日

【第51回】『日本はなぜ敗れるのかー敗因21カ条』(山本七平、角川書店、2004年)

 まず興味を抱いたのは著者と少し後の世代にあたる人々との戦争に対する感覚の違いである。ある日本の取材者がベトナム戦争から帰還した米国兵へ行ったインタビュー記事に対する著者の批判がその典型的なものであろう。やや長くなるが引用する。

 「一体この取材者は、どういう前提で兵士に質問を発しているのであろう。「殺しの手応え」などというものが戦場にあるはずはないではないか。ない、ないから戦争が恐ろしいのだ、なぜ、そんなことがわからないのか。これはおそらく、戦争中から積み重ねられた虚報の山が、全く実態とは違う「虚構の戦場」を構成し、それが抜き難い先入感となっているからであろう。」

 筆者が批判している「この取材者」とは若き日の田原総一朗さんである。2011年の現在から考えると、戦争を体験している世代と把握される田原さんの戦争観に対して、著者は強い違和感をおぼえるのである。 現代の日本に生きる戦後世代の私からすると、戦前や戦中に生きた人々が同じ経験をし、同じような戦争観を持っているように錯覚してしまうが、そのようなことは決してない。詳しくは小熊英二さんの『<民主>と<愛国>』をお読みいただきたいが、戦地に行かずに学校で教科書を黒塗りした世代、二十歳前後で従軍を経験した世代、戦場でマネジメントの立場に立った世代、これらの世代間で戦争を取り巻く言説構造は大きく異なる。いま声の大きい田原さんや石原慎太郎さんといった教科書を黒塗りした世代が仰ることが、日本の戦争のすべてとは程遠いことは私たちは強く認識しなければならないだろう。これが歴史に学ぶということである。

 では、私たちは歴史に学ぶことができているのだろうか。この問いに対する著者の回答は手厳しく、身につまされる部分が多いと言わざるを得ないだろう。

 日本人は術や芸を「極める」ことに固執しすぎると著者は指摘する。「良い」大学に受かるために受験勉強を極めようとし、「良い」企業に入社するために就職活動を極めようとし、「良い」給与を得るために語学をはじめとした資格試験勉強を極めようとする。なにもそれぞれが悪い行為だとは思わない。しかし、「良い」大学を卒業し、「良い」企業で働き、「良い」資格を持つ人で、仕事ができない人は、私の知り得る限りでも少なくない。

 こうした「極める」ことを重視し、現実適用性を考えられないといういわば日本的な病理は、今に始まったことではない。太平洋戦争で用いられた三八式歩兵銃はたしかに優れた性能を有していた。しかし、それはソ連を仮想敵として陸軍が用意したもの、つまりは広い荒野で戦う際には有用であっても、ジャングルでゲリラを相手にアジアの島々で戦うには不向きであった。想定した前提が異なれば、どれほど性能が優れても意味はない。これは野中郁次郎さんらの『失敗の本質』でも述べられていることと同じである。

 著者はさらに歴史をさかのぼってこの日本的病理を説明してみせる。日本人は今も昔も宮本武蔵を好む人が多い。私も実際、好きである。吉岡一門との戦いで見せた武蔵の百人斬りはあまりに有名であり、また心躍らされるシーンである。しかし、冷めた見方をすれば、剣術を極めて百人斬りができる条件は、相手も剣術で対応する場合に限られる。鉄砲はおろか、弓矢での攻撃があれば、百人斬りなどできるはずがないのは自明であろう。こうして俯瞰した考えに対して私たちはときに「卑怯」と感じる。この卑怯を感じる私たちの心象が、著者の言う日本的病理を端的に表しているのである。百人斬りを行った宮本武蔵が、もはや白刃戦が時代遅れになりつつあった大阪の陣で活躍できなかった史実を、私たちは心に留める必要がある。

 著者は典型的な受験勉強において顕在化される「極める」行為を現代の病理であると述べているが、その指摘は「極める」のみでは宜しくないということであろう。すなわち、「極める」こと自体が拙いのではない。著者の考えを私なりに進めると、「極める」一方で俯瞰して眺める、ということがおそらく大事なのではないだろうか。

 極めつつ俯瞰することは一見すると相矛盾する行為のように思えるが、それを高い次元で実現しているのが棋士の羽生善治さんではなかろうか。将棋という「極める」ことが求められる分野で前人未到の大記録を次々と成し遂げつつ、脳科学者や情報工学者といった学者からラグビー、サッカー、野球といったスポーツ選手など幅広い分野の人々との共著がある。将棋界でのパフォーマンスを二十年以上に渡って高いレベルで発展的に維持し続け、また異分野の方々との対談は示唆に富んでいる。羽生さんが十代で棋界の新進気鋭の若手として台頭した際の風当たりは強かったと言われる。芸を極める方法のみを用いる日本伝統の技能向上を行ってきた人たちからすれば、羽生さんのような芸を極めつつ俯瞰する作法は理解されなかったのだろう。しかし、だからこそ、著者の指摘する日本的病理への一つの解答が、羽生さんのあり方にあるのではないか、と私には思えるのである。

 ただ単に既成概念に反発するというのは、テーゼに対するアンチテーゼであり、結局は同じ穴の狢に陥る。そうではなく、極めつつ俯瞰することはジンテーゼであり、次元の異なる話なのではないだろうか。著者の手厳しい指摘に対する、今を生きる人間としての回答として、極めつつ俯瞰するという作法を提示して筆を置くこととしたい。




2011年10月30日日曜日

【第50回】『フーコー・コレクション1 狂気・理性』(M.フーコー、筑摩書房、2006年)

 フーコーは、理性を明らかにするために狂気を研究した。本書のタイトルにもある狂気と理性とは、一見して単なる反対概念のように思えるが、反対概念とはすなわち相補関係である。
 
 いわば狂気の誕生とも言える現象は、精神疾患を狂気と認定した事実に拠るところが大きいようだ。精神疾患を狂気と認定する主体は医師であり、医師とはすなわち理性的な人間の代表的な存在である。理性的な存在が狂気を抽象化し、理性的な秩序の一部に嵌め込むことで、狂気を理性の支配下に置こうと試みたのである。その結果、狂気を対話不可能な存在として位置づけることで、非理性的な存在である狂気を持つ人間は理性的な人間から隔離される論理が構築されたのである。

 フーコーによれば、狂気を理性的に位置づけることは、教会が医学の力証言を求めて行ったものである。ここで注目すべきは、もともと教会と医学とは円満な関係ではなかったということである。いわば狂気を位置づけるために、キリスト教会は医学の力に助けを求めざるを得なかったのである。こうして教会と医学との歩み寄りが実現し、狂気を医学的にも宗教学的にも同定し「異端」とすることに成功したのである。

 こうした狂気の歴史を紐解くことは、狂気とそれを包摂する社会との関係性を明らかにすることになる。それはすなわち、人為的な制度、法律、警察、科学的概念、といった様々なものの構造的な研究を行うことに他ならない、とフーコーは述べる。このように考えれば、狂気とは理性的な社会の中にしか存在しないということが分かる。つまり、野生の状態において狂気とは存在しないのである。そこに存在し得るのは名状しがたい現象であり、狂気ではないのである。
 
 狂気という言葉を発する時に内包する意識について自覚的である必要がある。なぜなら、この言葉を使ってしまう以上、そうした対象との分断が行われ、分断された対象とは対話の可能性がなくなってしまうからである。主体が国家であれ個人であれ、理性によって啓蒙するという「上から目線」の危険性をフーコーは示唆しているように私には思える。

2011年10月22日土曜日

【第49回】『日本の雇用と労働法』(濱口桂一郎、日本経済新聞出版社、2011年)

 経営学、とりわけ組織行動論や人事システム論において、職務を中心にする諸外国の人事制度と異なり、日本の人事制度は職能を中心にするものであると言われる。職務等級制度の延長として華々しく導入された評価制度としてのコンピテンシーは、多くの日本企業でその風土と合わずに運用が停滞している。組織行動論の分野における研究を学部の頃から続ける中で、なぜ日本の多くの企業で職務を評価する人事制度の運用がうまくいかないのか、常に疑問に思ってきた。その大きな一つの理由は、本書が示唆するように日本の労働法にある。

 日本における雇用システムの本質は「職務の定めのない雇用契約」にある、という著者の主張はその通りであろう。契約を取り交わす時点において職務が明確でないのだから、職務等級制度を用いる人事制度との整合性がうまく取れないことは当たり前なのかもしれない。職務の代わりに職能、すなわち職務遂行能力によって評価する、というのが経営学の教えるところであるが、職務遂行能力とは人じたいを評価する、ということに他ならない。

 職務遂行能力は個々の企業に特有な職務を遂行する能力であり、それを身に付けるには時間がかかる。そうした能力を評価し、高い能力を有する人材に働いてもらうために、長期雇用慣行が日本企業で形成された。その過程で、著者の言葉で言えばメンバーシップ型の契約が企業と労働者との間で結ばれることになる。メンバーシップ型の契約が、三種の神器と言われた長期雇用慣行、年功賃金制度、企業別組合を保証するものとして機能したのである。

 このようなメンバーシップ型の契約が分かりやすい形で顕在化するのが、企業による労働者の解雇である。著者によれば、正当な理由のない解雇も許容するという最もラディカルな運用をしているのはアメリカくらいであるが、それ以外の国でも景気変動における解雇は許容されている。つまり、外部環境に呼応して経営がスピーディーに人材施策を打ち出すことが法的にできるのである。それに対して、日本の場合には整理解雇四要件が判例によって形成され、景気や業績といった経営目線に立った整理解雇に強い制約が掛かっている。これが、雇用調整に対する彼我のスピード感の違いの原因であると言えるだろう。

 企業の理由による整理解雇ができづらいというメンバーシップ型契約は労働者側にとってメリットがあると思うかもしれないが、事実はそれほど単純ではない。メンバーシップ型契約の典型的な問題は、日本でのみクローズアップされる過労死に表れている、と著者は述べる。メンバーシップ型契約は、特定の企業に固着した知識やスキルばかり習得することを促してしまう。そうした企業の戦略にのみ対応してきた人材は、残念ながら市場で価値を出しづらい。その結果、企業内で給与をもらわざるを得ないため、メンバーシップ型の出世競争の中で半ば自発的に長時間労働に駆り立てられてしまう。これが日本に固有と言われる過労死問題を生み出す構造である。

 では、私たち労働者はどうすれば良いのか。企業でのメンバーシップ型の成長を目指すと同時に、市場での職務型の価値を創り出すことが鍵であろう。職務型の価値を向上することに慣れていない日本人は、それが見えやすいものにすがりつきがちである。しかし、名前のある資格取得に走り、語学の勉強にいそしむことは、偏差値の高い学校に入ることを目指すことと同じ心理に他ならない。学ぶこと自体は大事であるが、職務に結びつかなければ市場価値には結びつかない。考えてみれば当たり前であるが、知識やスキルを持っていることと、それを職務に応用できることには大きな差がある。したがって、社外で学んでいることを職務の中で小さな工夫に結びつけることが、メンバーシップ型契約に依存せずに生き抜く戦略の一つになるのではないだろうか。

2011年10月16日日曜日

【第48回】『新版 富田の英文読解100の原則(上)(下)』(富田一彦、大和書房、2009年)

 大学受験の時に何度も読み直し、お世話になった参考書の改訂版が本書である。浪人を覚悟し、その承認を親から得るまでしていた私が、第一志望と第二志望の大学に合格したのは本書のおかげである、といっても過言ではない。
 
 英語を学ぶこと、とりわけ英文読解の力を向上させることは、論理的思考力を用いることである。この物言いに反論を持たれる方もいるだろうが、私は大学受験を経てそう確信し、また四カ国語を操る同僚の某ポーリッシュなナイスガイも、語学を学ぶ要諦は論理的思考にあると言っていた。当時、数学しか能のなかった私が、数学的思考を論理的思考に敷衍し、それを英文読解に応用できるようになったのは本書に依るところが大きい。

 本書中で筆者が何度も述べていることは「暗記やフィーリングに依存して回答を出すな」ということである。たとえば、有名な熟語に一致する単語がそのままの順番で並んでいても、それだけでその熟語の訳を当てはめてはいけない。そうではなく、その一文の構造を把握し、その上で文の要素を当てはめて読解する必要があるのである。さらにいえば、試験問題の作問者は意地が悪い方が多いから、もとい受験者の論理的思考力を問おうとする方が多いだろうから、そうした引っ掛け問題が用意されるのである。

 では文の構造を把握するためにはどうすれば良いのか。詳しくは本書で述べられている100個の原則を熟読いただきたいが、一言で言えば動詞に注目することが肝要である。英文を読む際に、動詞の何に注意するかについて筆者が述べているのは、大まかに次の二つである。

 第一に、文に含まれる動詞の数を数えること。これによって、その文にいくつの節があるのかが判定できる。節の数と範囲が分かれば、その文のどこが主節で、従属節なのかが分かる。そうすれば文全体の意味を導出することができるのである。また、従属説の意味が分からなくても、主節の意味が分かれば大まかな意味を取れる、というように読み方に濃淡を付けることもできる。

 第二に、動詞がどのような文型を取るかを意識することである。その動詞が導く文法構造、いわゆる五文型を把握していれば、動詞以外の文の要素を判断することができる。したがって、英文読解のためには、最低限、動詞だけは暗記をする必要があると言えるだろう。それぞれの動詞がどのような文型を導出し、それぞれに応じてどういった意味を持ち得るのか、を知悉していれば、関係詞や同一構造の省略や倒置法を見抜くことは決して難しくない。違う側面から言えば、動詞さえきちんと覚えていれば、名詞や形容詞のうちの7~8割は推測できるし、副詞は文の要素にならないのだから覚える必要はないとも言えるだろう。

 こうした参考書を推奨する際には、どういった対象にとって有用であるかを述べることも大事であろう。まず前提となる英語のレベルについて。あくまで目安になるが、中学卒業までの、すなわち義務教育レベルの英文法が「なんとなく」頭に入っていれば問題なく読めるのではないだろうか。したがって、たとえば、五文型とはSV、SVC、SVO、SVOO、SVOCの五つであることを忘れている方にとっては、本書を読み進めるのは苦行であろう。本書を読む前に「中学英語を学び直す」といった類いの本を読むことをお勧めしたい。

 また、文章を読む際の態度の嗜好によっても、本書をお勧めできる方とできない方があるように思う。冒頭でも述べたように、数学が好きな方には本書を強く推奨できる。また、私は大学受験の際に数学的な論理思考を用いて現代文や古文を論理構造で把握でき、得意科目にできたので、数学と現代文や古文とは親和性があると考えている。したがって、私と同様の試みをされて現代文や古文が得意だった方にもお勧めできるだろう。違う言い方をすれば、文章とは感受するものであると考え、論と理を用いて冷静に読み解くことに窮屈さを感じる方には、本書はお勧めできないのかもしれない。これは、そうした読み方を否定するものではなく、あくまで態度の違いによるものであることは、誤解なきようにご理解いただきたい。






2011年10月10日月曜日

【第47回】『昭和史1945−1989』(半藤一利、平凡社、2009年)

 「1980年以降生まれの世代は日本の右肩上がりの景気とそれに伴う高揚感を知らない」という趣旨のことを堺屋太一さんが以前述べられていたと記憶している。そうであるからこそ、この世代は生きることや成長することに対する切迫感が強い、と続く堺屋さんの主張に首肯しつつ、1980年より前の世代に対する羨望を抱いたものだ。1980年より前の世代が体感し、1981年生まれの私がリアリティを持って経験していないものはなにか。それは「昭和」という時代である。

 朝鮮戦争特需と高度経済成長によって世界の経済大国の仲間入りをし、バブル景気で景気が最高潮に達し、同時に終焉を迎えた、という経済上の流れは有名であろう。しかし、本書を読んで興味深かったのは、そうした経済上の成功を実現するための土台は、戦後の混乱期の政治史にあったのではないか、ということである。とりわけ東京裁判である。

 国内政治は国際政治に規定されるという点から考えれば、東京裁判が行われた1946年5月3日から1948年11月12日までの日本を取り巻く世界の情勢を見る必要がある。この時期には、チャーチルによる「鉄のカーテン演説」、ベルリン封鎖、イスラエルの建国といった東西冷戦の開始時期と符合する。つまり、大きな流れの中で緩やかに変化したというよりは、大戦争への緊張感が一気に高まった状況と言えるだろう。

 こうした状況を踏まえて、GHQの日本政府に対する姿勢の変化があったという著者の指摘はその通りだろう。すなわち、戦後直後のようにGHQが強気一辺倒で日本政府に対して政策の押しつけを続ければ、日本国内に革命機運が高まる懸念がある。革命機運が高まれば、同じ時代に共産主義化した諸外国を手本にした共産・社会革命を着想することは自然であろう。日本がソ連を首領とする共産圏に走ることは、GHQおよびアメリカ政府にとって最悪のシナリオであったに違いない。したがって、あるべき論ですべての戦犯に対して厳罰をもって裁くことはできなかったし、昭和天皇に対する処遇についても大きな影響を与えたことは間違いないだろう。

 このようにセンシティヴな背景で行われた東京裁判において、昭和天皇の戦争責任を問わないことはGHQやアメリカ政府にとって規定路線であったらしい。他方で、東京裁判に検事を派遣しているソ連や中国といった国々は天皇の戦争責任を明らかにしたかったようである。このような入り組んだ状況であるからこそ、裁判中のアメリカ側の検事は大変な気苦労があったようだ。たとえば、戦争犯罪を追求する側のアメリカのキーナン検事は、A級戦犯の罪を暴くために質問を行うのだが、それが天皇が主催した御前会議については触れないようにしていた。御前会議が戦争の意思決定の場でありそこでの天皇の発言が意思決定であったと断定されれば、ソ連や中国の検事に追及されて天皇の戦争責任を認めざるを得なくなる。東条の一言でアメリカ側の思惑が崩れそうになった時には、被告人、その弁護団、そしてアメリカの検事団までもがなかば「協力」して既定路線にあったかたちに修正する一幕もあったようだ。

 では、出来レースと言われてもしかたがないような東京裁判にはどのような意味があったのだろうか。
 
 著者によれば三つの特徴が挙げられる。一点目は日本の現代史を裁く、という意味があったとされている。戦勝国が行ったことにはすべて正当性があり、つまりアメリカの二度に渡る原爆投下やソ連による満州侵攻に対してお墨付きを与えたのである。二点目は戦勝国側による復讐の儀式である。これは国内政治が国際政治を規定する、という点で考えれば分かりやすい。日本との戦争における戦勝国でも多大な犠牲が出た。したがって、亡くなってしまった自国民の同胞に報いるためにも、日本に対して犠牲を強いらなければ治まりがつかなかった、ということであろう。三点目として日本国民への啓蒙強化の目的、ということが指摘されている。これは、軍部や政府による情報統制の結果として多くの日本国民が知らなかった日本軍による虐殺の数々を知らしめて戦争の悲惨さを理解させること。それに加え、戦争の責任は善意であった日本国民にはなく、悪意であった犯罪的軍閥にあった、ということを示し、平和を愛する民主主義国家の人民になるよう導く、という教条的なものであった、と言えるだろう。

 東京裁判に対する「法の適正な手続き」をはじめとした批判があることはよく分かる。しかし、そこから学べる点を探し、また東京裁判が今の日本に影響を与えている点を自覚することが「歴史を学ぶ」ことになるのではないだろうか。

2011年10月2日日曜日

【第46回】『昭和史1926−1945』(半藤一利、平凡社、2009年)

 なぜ日本という国家は軍部の暴走を許すこととなってしまったのか。

 戦争に至る前までの昭和史は日本にとって厳しいものであった。その時代にある悲惨さや暗さや諸外国への申し訳なさから、私たちは時に目を背けてしまう。しかし、それがいかに苦しくとも、いや苦しい歴史であるからこそ、私たちはそこから学ぶ必要がある。

 本書は抑制の利いた文体でありながら、一つのストーリーとしてまとまっており、示唆に富んだ指摘が随所に見られる好著である。その中でも特に興味深かった点をいくつか挙げてみたい。


 まずは、統帥権干犯という概念の「発明」である。統帥権干犯とは、軍の問題が統帥権、つまり天皇の国事行為に繋がる問題であり、それは他の主体が関与できるものではない、という考え方である。これは明治の初期に法制度が整った時期からあった考え方であったと私は勘違いしていたのであるが、統帥権干犯が主張されるようになったのはロンドン軍縮会議以降だそうだ。この概念は北一輝が発明し、野党がロンドン軍縮会議への政府の態度を攻撃するための一つの手段として授けられた。そして、その野党による政府への攻勢に海軍の強硬派が飛びついた、という構図であったようだ。外交が国内政治を規定する、という国際政治の一つのセオリーが、日本を戦争へと導く大きな第一歩となってしまったことを、私たちはよく認識しておく必要があるだろう。


 次にメディアとの関係性である。政府からメディアへの統制だけではなく、メディアの中でも特に当時の主流である新聞社が積極的に戦争礼賛へと動いた点に注目したい。新聞社が戦争を肯定したのは、戦争に関する記事を出すと売れる部数が増えたから、という企業としての経済的利害があった。戦争を煽ることで発行部数を増やしていこうとする新聞社と、それを活用して戦争を肯定する世論を喚起したい政府との相補関係があったことはしっかりと記憶しなければならないだろう。


 第三の点は、正義という美名によるテロリズムの脅威である。五・一五事件は当時の首相をはじめとした主要な政治家を殺したテロリズムである。一国の首相をテロリズムによって殺害したのであるから無期刑や極刑がなされたかと思うものであるが、その判決は極めて軽く、実行犯は遅くとも数年後には釈放されている。さらに、その処置を、当時の日本国民は大歓迎したのである。この事件を契機に、戦争反対という国民の声と合わない政策を唱える政治家は、自身がテロの対象となることを恐れてまっとうな自説を声高に主張できない暗黙の空気が形成された。この結果、経済情勢の悪い状況を打開するための覇権主義というポピュリズムが蔓延したのである。


 第四に、理想主義の危険性である。国家総動員法の制定を巡って政友会や民政党が軍部に対して最後の抵抗を試みている中で、この法案に大賛成したのが社会大衆党、すなわちいわゆる「左翼」勢力であった。共産党や社民党がこうした法案に賛成することは、現在からはとても考えられないことであるが、これが現実である。マルクスの言うところの階級闘争による理想社会の実現という、当時の現実からはほど遠い革新的な考え方を実行するために安易で危険な政策を支持することがあることは銘記しておきたい。


 最後に、歴史一般に関する認識に対する著者の指摘である。私たちが日々接している情報の質や量は高まる一方である。そして、知悉する情報が積み重なる結果として、時に私たちは現実のすべてを認識しているという錯覚に陥ってしまう。現代から考えれば、太平洋戦争の直前の時期において人々が得られていた情報量は圧倒的に少ない。しかし、果たして当時の人々の認識としてはどうであろうか。新聞報道が盛んになり、ラジオ放送も始まる中で、大正の時分と比較すれば格段に情報量が増し、すべてを知っているという感覚に浸ってしまっていたかもしれない。先の時代と比較して情報量が増していると考える点では、当時と現代とでは何も変わらない。筆者が述べる通り、私たちは皮相な現実のみに目を向けるのではなく、現実の内奥にある歴史という不気味で得体の知れない大いなる動きに注視する必要がある。そのためには、すべてを認識できていると考えることは誇大妄想に過ぎないという自覚を持つことが最初の発想転換として必要であろう。

2011年9月25日日曜日

【第45回】『心を整える。』(長谷部誠、幻冬社、2011年)

 二十代半ばにして自己管理の術(すべ)を深く会得し、他者が読んで分かるレベルにまで言語化していることに脱帽する。以前、著者と同じくサッカー日本代表の本田選手がメディアで注目され始めた頃に彼の記事を読んだ時にも同じような感覚を抱いたものである。若い時分からプロフェッショナルとしてスポーツに対峙し、厳しい環境を自ら求めて挑戦し、成功と失敗を繰り返す中で己と向き合い続けた結果として得られるものなのかもしれない。

 状況を前向きに捉える考え方にポジティヴ・シンキングというものがある。私もその考え方じたいを否定するつもりはない。しかし、いわゆるネアカな性質を持つ人間がポジティヴ・シンキングの重要性を他者に説いたところで、ネアカでない人間がポジティヴ・シンキングに変えることはできないだろう。また、ネアカな人ほど失敗して落ち込んだ際に、そうした経験が少ないために回復できないというリスクもあるかもしれない。したがって、無理にポジティヴ・シンキングを身に付けるという必要性はないだろう。

 それではどうするか。著者が述べる自己管理の考え方の要諦は「常に最悪を想定する」という言葉にまとめられていると言えるのではないだろうか。つまり、無理に現状や未来についてポジティヴに捉える必要性はないのである。私は、ポジティヴ・シンキングよりも著者のこのような考え方の方が多くの人々に受け容れられ易いものだと考える。

 「最悪を想定する」ということは、「弱気になる」というネガティヴ・シンキングの発想と誤解を受けやすいが、そうではないと著者は言う。そうではなくて、「何が起きてもそれを受け止める覚悟があるという「決心を固める」作業」という意味合いである。単に事態を前向きに捉えるというだけではともすると状況を受動的に捉え、挑戦の少ない成り行き任せな行動へと繋がってしまう。しかし、著者のような考え方であれば、物事を主体的に捉え、挑戦の過程で得られる人間的な深みを感じる。

 このような著者の考え方は五木寛之さんが『他力』の中で引用しているブッダの考え方に近いと言えるだろう。ブッダは究極のネガティヴ・シンキングから出発して、人間存在を積極的に肯定する境地に至った。つまり、ネガティヴ・シンキングでもがき苦しむ過程を経てこその受容が重要であり、ただ単に考え方をポジティヴにするということにあまり意味はないのだろう。

 孔子やニーチェを読んでいる著者であるから、ブッダも読んでいるのだろう。いずれにしろ、挑戦しながら深く考える著者であるからこそ、教養あふれる言葉の数々を咀嚼して分かりやすく言葉として紡ぐことができるのであろう。

2011年9月17日土曜日

【第44回】『マネジャーの実像』(H・ミンツバーグ著、日経BP、2011年)

 私が生まれる前に書かれた著者の『マネジャーの仕事』も興味深かったが、本書もまた興味深い内容であった。読後の所感としては、前作と今作とでの主要な主張点には近しいものがあると私には思える。

 おそらく、その背景にはマネジャーの役割が以前と今とで変わらないという現実があるからだろう。著者は「私たちは、変化しているものしか目に入らない。しかしほとんどのものは、昔と変わっていない」と指摘し、「マネジャーの仕事はずっと変わっていないのだ」と断言している。

 そうであればこそ、新たにマネジャーになる方々が苦労をするということに今昔の差はない。コミュニケーションツールが整備され、研修が用意されていても、新たな役割を担う際の大変さは変わらないということである。

 この指摘は、数年前まで「新任管理職研修」を開発したり売っていた身として、身につまされる思いがする。むろん、その手の管理職研修が全く役に立たないとは思わない。しかし、管理職研修で扱うフレームワークは、それを仮説的に用いて自身の経験を整理する上では有効であるが、経験がない中でフレームワークをインプットしてもそれほど助けにはならないのかもしれない。少なくとも、同じフレームワークを他のマネジャーにもインプットして、新任のマネジャーがそれを使えるように継続的に学び合えるしくみを同時に整備する必要はあるだろう。

 また同様に、目標管理制度の導入・浸透のコンサルテーションを行っていた身として、マネジャーが業務目標を立てることの難しさに関する指摘も自身を省みて感ずることが多かった。とりわけ、「ビジョンなき目標設定は、組織の能力をおとしめかねない」との指摘には恐れ入る。また、ビジョンとの整合性があり、つまり経営からのカスケーディングがしっかりしていたとしても、それを部下にそのまま落とすことは自分の責任を部下に転嫁する行為に他ならないという。

 マネジャーの身になって考えみよう。上からは戦略や理念との整合性を求められ、下へは難しすぎず容易すぎない納得感のある目標を設定しろ、と突き上げられる。マネジャーという役割における目標管理制度の運用の難しさは、私のような部下側の人間が想像する以上の高いプレッシャーが掛かっている重大事であるに違いない。

 マネジャーは、こうした目標設定を足がかりに、部下の行動を観察し、指導し、評価し、育成を支援するというマネジメントサイクルを回すべし、と研修では言われる。その通りではある。しかし、上記のサイクルを想起するとスタティックなものが想像されるが、現場ではマネジャーは行動が求められる。しかも、変化に富み、同じ仕事に長い時間をかけられず、差し込みが多い、という極めてダイナミックな現場である。そうした状況であるために、著者もマネジャーの行動志向の強さを指摘している。実際、マネジャー自身も「動きと変化と流れのある活動、目に見えて、最新で、定型業務でない活動をしがたる」という傾向を持っているそうだ。私自身、修士課程論文を執筆する際に、数社の管理職・中堅層・ジュニア層という三つの類別の方々に対してインタビュー調査を行ったが、この傾向には同感である。

 ではこのようなマネジャーという役割に適した人物はどのような人間なのだろうか。やや長い引用となるが、著者によれば「マネジャーとして最も成功を収めるのは、環境に合わせてスタイルを変えたり、自分のスタイルに合わせて環境を変えようとしたりする人物ではなく、ましてや、あらゆる環境で通用するスタイルをもっていると自負する「プロの」マネジャーでもなく、それぞれの環境に適したスタイルを元々もっている人物なのかもしれない」そうだ。つまりは、小手先の対人対応力や環境適応力といったスキルに関するものではなく、人格レベルの適性が求められるということであろう。

 そうであるならば、私たちには、自社において求められるマネジャーの人材要件をしっかりと定義し、それに合致した人材を早期に選別し、長い年月をかけて育成する、という壮大なしくみを構築することが求められているのかもしれない。著者の主張を私なりに斟酌すれば、既存のありものの人材要件をそのまま適用したり、画一的なシステム構築を行ったり、浅薄なスキルトレーニングを行うといった類いの無意味さは言うまでもないだろう。

2011年9月11日日曜日

【第43回】『日本の歴史をよみかえす(全)』(網野善彦著、筑摩書房、2005年)

 歴史に関する網野さんの一連の著作は、歴史を歴史として学ぶということではなく、現代社会に歴史がどのような影響を与えているのか、という深い視座を与えてくれる。いわば、歴史を透徹して現代を明かす、ということであろうか。

 まず興味深い点は、畏怖の対象としての存在が、時を経るにしたがって賎視の対象となっている点である。歴史の物語で「太郎丸」などというような幼名が出てくるだろう。こうした名前に「丸」をつける風習は、世俗の境界にいる存在にも行われていたらしい。たとえば、現代でも残っている風習であるが、船に「〇〇丸」という名前を付けることが挙げられる。船には、人知の及ばない危険な世界である海へと旅立つ際に人間が命を託すものであり、そのために呪的な力を与えるために「丸」という名前を付けたのであろう。

 しかし、時代が下る過程で畏怖は賤視へと変わる。鎌倉新仏教が世俗の境界にあり救いの対象としていた遊女や博奕打、また現代で言うところの非差別部落に対する畏怖の視線は十六・七世紀頃から蔑視の視線へと変わったのである。たしかに、これは当時の政権が社会政策の一環として差別対象を設けた、という初等中等教育課程で私たちが学んだ背景があることも事実であろう。しかし、畏怖の対象とは社会と自然との関係性からくるものである。したがって、社会と自然との関係性の大きな転換が、畏怖の対象が賤視の対象へと転換したという著者の指摘は首肯するところが多いと言えるだろう。

 こうした統治主体を考える際には天皇制とを不可分に捉えるわけにはいかないだろう。近代化の果てに形成された国民国家としての日本という概念ではなく、より広い概念としての「日本」の形成過程で天皇という称号が定着したわけであるが、著者によれば、その時期は天武・持統朝の頃からであると言う。さらに言えば、「日本」という国号も、その頃に「発明」されたものであるそうだ。すなわち、縄文人や弥生人はもとより、卑弥呼や聖徳太子は「日本人」ではないのである。アンダーソン流に言えば、卑弥呼や聖徳太子を「日本人」として概念規定することは、「国民教育」の結果として私たちに想像的な共同体観念を植え付けられただけなのだろう。

 こうした天皇制を職の体系の一つの重要な要素として著者は位置づける。つまり、摂政や関白をはじめとした官職のトップに位置するものとして、いわば「天皇職」が創造、定着したというのである。さらに、天皇が世襲制になったことはすなわち、他の官職をはじめとした職業が世襲制になったことにも大きな影響を与えている。その結果として、静的な職業体系が成立したわけであろう。

 この結果として生じた興味深い点は、天皇の地位の安定的な世襲と、実質的に天皇の実務的な職能を行う権力主体との分離現象である。河合隼雄さんの、アメリカをはじめとした権力主体の集中で国家を形成する中心社会と、権力主体の周囲が実質的な権力を握る中空社会との対比で言えば、日本は後者として機能しているのである。であるからこそ、古くは天皇の周囲にいる摂政や関白が権力を掌握し、天皇が任命する征夷大将軍が幕府を開いて統治を行い、天皇を輔弼する軍部が実権を握ることが可能であったのである。

 穿った見方をすれば、世襲制である以上、パフォーマンスの低い存在が生じる事態を想定し、それを補佐する存在を選別する制度を作り上げてきた歴史であるとも読み取れよう。ポジティヴに捉えれば、絶対的な権力主体を設けないことは、物事に対して柔軟に対応し、しなやかな変化を受け容れられる国家形態を構築してきたとも考えられるかもしれない。

2011年9月10日土曜日

【第42回】自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート著)

最近、ある方に本書をお勧めする機会があったので改めて読みたくなりました。

本を読む際にいつ読んだのかを記録する癖が私にはあります。本書の背表紙を見ると、2007年1月を皮切りに、同年11月、2008年9月、2009年7月、2010年7月に読んでおり、今日(2011年9月)は6回目のようです。再読が好きな人間ではありますが、これほど繰り返して読んだ本はこれ以外にはないでしょう(もちろん、修士論文を書く際に何度となく熟読した学術書は除きますが...)。

自己啓発やコミュニケーションに関する本は、ある時期を境にどうも浅薄に感じるものが多く、書店でパラパラと目を通すだけで全く買わなくなりました。そんな状況でこれだけ再読してもまだ気づかされる本があるというのは、ありがたいことです。

今回も読んでいていろいろと考えさせられました。しきりと反省することばかりですが、不思議と読み終えての読後感は爽快です。

2011年9月3日土曜日

【第41回】『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎×大澤真幸著、講談社、2011年)

 特定の宗教を持たない身としては、宗教に対しては「信じる」というよりも「学ぶ」という態度で臨むこととなる。本書は、こうした態度を取る私のようなタイプの人間には向いているだろう。「はじめに」で大澤さんが書かれているが、橋爪さんはキリスト教をはじめとした諸宗教について造詣の深い比較宗教学者であるため、一歩引いた視点で述べているからである。

 学問として捉えたときに、宗教という対象は興味深い。宗教は人の考え方、態度、生活その他様々なものに影響を与える究極的なパラダイムであるとも言えるだろう。本書ではキリスト教について、ユダヤ教やイスラム教、また「日本」という国民国家を形成する思考形態とを比較しながら、多様な視点で書かれている点が面白い。


 まず、多神教と比較した一神教という観点である。


 橋爪さんの言葉をそのまま引用すれば、多神教における神(神様)とは人間の仲間である。日本における八百万の神様をイメージすれば想像することは容易いであろう。したがって、多神教の社会においては、神からの視点で物事を捉えるというよりは、あくまで人間を中心とした視点で物事を捉えることになる。


 他方、一神教における神(God)は人間ではない。Godは人間の仲間ではなくまったくのアカの他人にすぎない。そうであるからこそ、一神教ではアカの他人であるGodは人間を「創造する」ということになる。一人しかいないGodの視点から世界を視ることになる。人間を、そして世界を創造するGodという全知全能の存在であるからこそ、一神教の社会ではGodとの対話が成り立つ。これが祈りである。しかし、全知全能のGodが創り出す世界を全知全能でない人間が理解しきることは不可能である。したがって、Godとの対話には終わりがなく、不断の対話という試練を通じて、将来の理想的な状態へと至る道程を受容して人間は生きることになる。


 一神教であるキリスト教の大本となっているものは、同じく一神教であるユダヤ教である。では、ユダヤ教とキリスト教の違いは何であろうか。


 両者を分つ最も大きな存在がイエス・キリストである。ノアの箱船というGodの直接介入によって多大な処罰を受けた人類が改善せずにいる中で、Godの描くルール通りに行動しない人類の罪を究極的に解消するための装置としてイエスは存在した。


 ここには契約の概念が活きている。契約とはこうだ。冤罪に近い罪によって磔刑にあったイエスには人類に対する復讐の資格がある。しかし、その復讐の資格をイエスが放棄するというキリスト教の論理は、人類全体を赦されるという契約の更新の意味合いを持たせているのである。したがって、人類にはGodと元々結んだ契約を充分に遂行していないという原罪があるが、イエスの磔刑と復活による契約の更新によって、人類全体が赦されるということになるのである。


 こうした宗教観による世界観は、法制度にも影響を与えている。本書では、イスラム教とキリスト教とを比較している。


 イスラム教には宗教法がある。宗教法とはすなわち、世界にいる人間への神の配慮を言語化したものである。したがって、イスラム社会における優れた知識人は、宗教法の解明と発展を行おうと考えるし、新たに法律を制定するということは考えない。


 それに対して、キリスト教には宗教法は存在しない。宗教法がないために、なにをすべきかどうかについての自動的な解答は存在しない。したがって、人々は途方に暮れ、いわばやむなく創意工夫を行って、神学や哲学、自然科学を用いてGodの創出した世界の論理を解明しようとする。


 その結果として、現実世界に合致させるかたちで法律を新たに創ることができる。これは宗教法のない日本も同様の状況であるが、経済成長を為すためには大きなポイントである。すなわち、変化する経済にあわせるためには、イスラム社会のように新たな法律を制定できないことは極めて不利である。それに対し、宗教法がなく新たな法律を創り出すことに抵抗感がない、キリスト教圏や日本が有利になることは、宗教と法律の観点からも説明できるだろう。


 宗教観が世界観を創り、それが日々の生活や経済社会システムへと影響を与える。その概況を、対談を通じて読ませる本書はキリスト教をはじめとした宗教一般を理解するために優れたテクストの一つであると言えるだろう。


2011年8月28日日曜日

【第40回】『GIANT KILLING』

大学院の授業には面白いものが少なかったのですが(研究活動がメインなのでしかたありません)、その中で興味深かったのがFC東京の村林社長(当時)の授業でした。授業の中で、村林さんが「これはいいよ!」と強く勧めていたのが本書で、私も強く関心を持って数週間立ち読みをしたものです。しかし、連載を途中から読むとその魅力は充分には分からないものなのでしょうか、いつしか読むのをやめてしまいました。
 
あれから三年。ひょんなきっかけから同僚から本書を貸してもらい、読み始めることになりましたが、これが面白いのです。心から感謝です。
 
ジョゼ・モウリーニョが好きな私が、達海猛のファンになるのは当たり前なのかもしれません。相手に勝つための戦術や相手監督との駆け引きにももちろん魅かれますが、選手一人ひとりの個性を把握した上での緻密なチームづくり、長期的な育成戦略などといった点にワクワクしてしまいます。
 
監督として達海がとりわけスゴイと思うのは、選手の可能性を無条件に信じている点です。いろいろと選手に注文をつけたり、発破をかけたりしていますが、その根底には潜在的な可能性に対する信頼感があるのではないでしょうか。そうした達海のあり様によって、選手個々が成長していく様も読んでいて爽快です。
 
中でも僕が好きなのは世良です。好きというか、共感してしまうキャラなのですね。ネタバレにならないように書くと、大阪戦(9巻)での「才能」に対する彼の考え方は、読んでいて思わず首肯してしまいます。才能に溢れて器用に生きられることを許されない人間は、自分の数少ない才能に絞り込んで勝負する。私の感覚で言えば、才能が少ないという劣等感を糧にして、限られた才能に愚直に賭ける、ということなのではないのかなぁと。
 
ただ、この限られた才能を自分の中に見出し開発していくというのは簡単なことのようで難しいわけです。気力を振り絞ったチャレンジの結果として、一つの才能を見出して自分のものにしていく、というのは生易しいものではありませんよね。また、才能に乏しい人間としては、数少ない才能同士を掛け合わせることでパフォーマンスにレバレッジを掛けることも考えていかなければなりません。そうしなければ生き残れませんから。

しかし、恐らく、ポジティヴ・シンキングとは、全能感から生まれるものではなく、こうしたゼロから紡ぎ上げていく、という考え方もありなのではないでしょうか。限られた才能にレバレッジを掛ける世良君を見習って、私自身もチャレンジしていきたいです。

2011年8月20日土曜日

【第39回】【番外編】無敗三冠馬誕生の“衝撃”(2005年11月)



1.プロローグ

十年間、競馬を観てきた。最初に馬券を勝った時、600円の投資にも関わらず、それまで感じたことのない気分の高揚を経験した。その二ヶ月後、初めて馬券を当てた時、当時の小遣いの四倍もの金を一瞬にして得て、自分は馬で生きていけると本気で思った。一年後、小遣い二ヶ月分を一瞬にして失い、思い描いていたキャリアイメージは完全に崩れた。更に一年後、最愛の馬がレース中に夭折し、受験勉強が半日、手につかなかった。競馬を通して、私は悲喜交々、いろいろな感動を得てきた。そして、20051023日の京都。初めて立ち会う三冠馬誕生の瞬間。私は違う感動を得た。

あの日、京都競馬場に流れていた空気は何だったのだろうか。場内に充満する異様なまでの一体感。ゴール前の400mの直線では、あろうことか、ある一頭の名前を呼ぶ大合唱まで行なわれる始末。通常、普通のレースであれば、各々が自分の購入した馬券に関連する馬の名前を、勝手に連呼する。しかし、それが、ない。そういう行為をさせない雰囲気が、そこにはあった。

ディープインパクト。その場にいる全ての人間が、彼の一挙手一投足に注視していた。人は、他者の才能に嫉妬する。しかし、圧倒的な才能には、魅了されるのではないか。レースが終わった後、そんなことを考えていた。

2.京都へ

京都競馬場へ行くのは今回が初めてである。京都じたい、私が競馬を始める一年前に、横浜市立並木中学校の修学旅行で行って以来、十年ぶりに訪れた。もちろん、ディープの無敗三冠達成の瞬間を体感するためである。

ナリタブライアンが三冠を達成した二年後に競馬を始めた私は、三冠馬の誕生の瞬間をこれまで観たことが、ない。翻ってみれば、三冠レースに対する愛着というのはそれほど強くはなく、現役最強を決める古馬も含めたGⅠレースの方により興味があった。しかし、今年は違う。今年2月の『Number』紙において、その時点でGⅠ未勝利、ましてや重賞未勝利の三歳馬が巻頭記事を飾ったのである。競馬専門紙以外のその扱いを見て、私はディープという馬の社会的な印象の強さを意識した。と同時に、とうとう三冠馬の誕生をリアルタイムに経験できるかもしれないと、期待した。

ディープはニ冠を危なげなく制した。そして、夏場を無事に過ごし、最後の三冠レースである菊花賞へ向けたステップレースを何なくクリアした。その瞬間に私は京都行きを決意し、翌日、会社に1024日の代休申請を提出した。

3.レース当日(かえで賞まで)

レース当日、京阪線の始発で京都競馬場へ。到着時刻は午前五時半。しかし、である。既にそこには大行列ができている。前日に事前チェックのために競馬場に来た時にも、既に寝袋を持った人たちがかなりいたが、それと比しても倍以上に増えていた。お笑い番組でしかほとんど聴いたことのない言語を発する人々が大挙し、列をなしている。些か聴き取りづらいが、どうやらいつもの菊花賞とは比べものにならない人の量だと言っているようである。きっとそうなのだろう。これが21年ぶりの無敗の三冠馬誕生に対する人々の期待の表れなのだ。

二時間、待ち続けた後、ようやく開門。自分より前にいる人の多さに、椅子席を確保することを半ば諦めていたのだが、何とか確保できた。しかし、寒い。この時期の京都を侮っていた。10℃前後しかない中で、しかも雨まで降る始末。しかし、そんな悪天候の中であっても、私は幸せであった。やはり、マズローの欲求五段階説には少し理論的な瑕疵があるようである。

私は通常、メインの前に行なわれるレースもほとんど買う。そうしないと間が持たないのである。しかし、今回は違った。異様な昂奮をおぼえ、予想する気にならない。何かを考えようとすると、ディープのことで頭がいっぱいになり、充分に考えられない。私は、充分に考えた上で馬券は買いたい性質の人間である。ために、結局、開門前のニ時間の暇つぶしに予想していた最初のレースと、直観的に面白そうだと思った第8レースという二つのレースのみ購入することになった。

直観が良かったのか、熟慮したことが幸いしたのか、第8レースを当てた。これまで当てた馬券の中で最も倍率の高い77.7倍という高配当。たしかに、嬉しくはあった。しかし、ゴール直前にも昂奮はおぼえなかったし、確定の赤ランプがついた後も気持ち悪いほどに淡々としていた。落ち着いていた。目の前の配当金の高さよりも、ディープの偉業達成の方に気持ちが行ってしまうところを見ると、高校二年の時に馬券師への道を諦めておいて正解だった。そんなことを考えながら、じゃっかんの面倒さをおぼえながら、払い戻しへと急いだ。

4.パドック

急いだのは他でもない。2レース後に控えた菊花賞を観られなくなるリスクを恐れたのだ。もう午後2時を回った時点で、場内は人で埋め尽くされている。私のいる椅子席から払い戻しに行くのにもなかなか厄介な状態になっている。これがもう少し遅くなったら、払い戻しから帰ってこられなくなるかもしれない。このようなリスクをおぼえていた。だから、急いだ。

払い戻しに行ったら、やはり混んでいる。無事に払い戻しを終えたのだが、レース後にいつトイレに行けるか分からなかったので、トイレにも行っておこうと思った。しかし、私の席にいちばん近いトイレは混んでいた。空いていそうなところを探していると、パドックが目に入ってきた。

このパドック場に一時間後、ディープが姿を表す。私は、GⅠレースのパドックを生で観たことが、ない。パドックを観た後では、椅子席に戻れないのではと強く危惧しているからである。ましてやこの大観衆。少し躊躇したが、観ることを決意した。きわめて近い距離でディープを観たかったというその場での自分の強い欲求に抗し難かった。また、たとえ満員で人ひとりでも動きにくい状態であっても、きちんと一人ひとりに誠実に説明すれば戻れるのではないか、という計算も働いた。意図を本心から伝えれば、お客さんはきちんと対応してくれる。「今日この場で、意図を伝えて椅子席に戻れないほど、俺は営業として駄目なのだろうか。」私は、この質問に否と内心で答え、その場に残ることを決意した。

午後三時。ディープが私の数m前を闊歩している。レース前に一足早く訪れる、至福の瞬間。自然とディープの手綱を引く市川厩務員の方にも目が向いた。稀代のスターホースを管理する人間として、どれだけの気苦労をしてきたのだろうか。この一週間はどれだけ寝られたのだろうか。少し前に『ジョッキー』という競馬小説を読んで以来、競走馬を取り巻く人間の裏にあるドラマを読み取ろうとしてしまう。しかし、至福の時間はあまり長くは続かない。時間が経てば経つほど、椅子席に戻れるリスクは少しずつであるが、確実に増大する。懸念が私の意識を現実へと戻した。武豊がディープの背中に乗って周回するまで待とうかとも少し思ったが、やはり断念。後ろ髪を引かれる想いではあったが、足は速く動かして椅子席へ戻る。

5.無敗三冠馬、誕生の瞬間

何とか席へ戻った。ターフビジョンには武豊が跨ったディープが大写しになっている。レース直前、ディープの単勝倍率が1.0倍と表示され、場内が大いにどよめく。私はそれまで、GⅠでの単勝が1.0倍となるのは観たことがない。ナリタブライアンも届かず、無敗三冠の偉大なる先輩であるシンボリルドルフもやったことがない偉業。どよめくのも無理はない。戦後のクラシックレースでは、1957年の桜花賞以来、48年ぶり二度目の事態である(20051024日付け日本経済新聞朝刊)。

レース直前。もっと静かになるとイメージしていた。なぜなら、ダービーのときは圧倒的な静寂が支配していたので、そうなるとばかり思っていたのだ。想像していた静けさとは打って変わった騒がしさ。しかし、そこを支配する一体感はダービーの時と微塵も変わらない。

私の心境とは異なり、スタートに至るまでのプロセスは通常のレースと変わらず、拍子抜けなまでに、淡々と進んだ。スターターが台に登る。ファンファーレが鳴る。十数万の観衆の手拍子。枠入りが完了する。ゲートが開く。

ディープは七戦目にして初めてまともにスタートを切れた。スタートが良すぎたのか、一週目のスタンド前まで掛かり気味に走っている。少し焦る。しかし、ダービーの時も掛かっていた。そんな状態でも圧勝した存在なのである。その事実を思い出し、安心してレースにもう一度集中した。最終コーナーで前に進出し、ニ馬身差の圧勝劇。思ったよりも着差は少ない。しかし、堂々とした横綱相撲での勝利であることは間違いなく、道中で掛かったことを考えれば、これくらいの着差でしかたがないであろう。

最後の直線で珍事が起きた。「ディープ!ディープ!」の大合唱が自然に発生したのである。念のために書くが、この大合唱が発生したのは最後の直線であり、つまり、結果が出る前の出来事である。こんな場面を見たのは初めてである。ダービーの時も異様な空気が充満していたが、こんな現象は発生しなかった。

レースが終了し、ディープがメインスタンド前にもう一度帰って来る。歴史的瞬間に湧き上がるスタンド。ディープに対する大合唱に加え、豊コール。武も笑顔である。ディープという圧倒的な存在は、この天才ジョッキーをして、どれだけプレッシャーを与えしめたのだろうか。

表彰式。武が高々と三本指を掲げる。皐月賞では一本指。ダービーでは二本指。三冠を意識した上での、観衆へのアピール。21年前、無敗の三冠馬シンボリルドルフの按上に跨っていた岡部が行なったのと同じ仕草。そのアクションに、酔いしれる。後日の記事によると、武は、もし負けていたら、向こう正面からそのまま帰るつもりだった、と言ったようである。やはり、天才・武豊をして、常人の考えつかない巨大なプレッシャーを与えしめていたのである。しかし、表彰式で井上和香がプレゼンターとして花束渡す際に戸惑っている時には、微笑に満ち溢れていて、その場を楽しんでいるようであった。天才のリカバリーの速さは凄い。

続いて花束を貰う池江調教師。表情がぎこちない。しかし、嬉しさを隠せない気配を感じる。破顔一笑の市川厩務員。ディープを毎日支えてくれる人がいるからこそ、このようなドラマは生じるのである。

調教師、厩務員、ジョッキー、京都競馬場に詰め掛けた十数万人、そしてテレビの前で固唾を飲んで見守った競馬ファン、競馬を取り巻く人々にとって熱い一日が、終わった。

6.始まりの終わり

今回の菊花賞を観るのは、実は少し怖かった。これまで好きであった競馬というものの一つの圧倒的なピークを経験することによって、競馬をもう観たくなくなるのではないか。このような懸念があったのである。しかし、それは杞憂であった。競馬の奥の深さを、改めて知った。人は、感動を求めるために生き続けるのではないだろうか。

ディープも、これで終わりではない。無敗三冠は一つの中間目標に過ぎないはずである。この後は、現役最強古馬陣との有馬記念での対決、そして、来年は海外へ。夢は続く。

 20051025日。それは、終わりの始まりを意味する日にはならなかった。始まりの終わりであった。私にとっても、ディープにとっても。

2011年8月14日日曜日

【第38回】『こんな上司が部下を追いつめる-産業医のファイルから』(荒井千暁著、文藝春秋、2008年)


まず本書を読むタイミングの注意点を述べる。気持ちが落ち込んでいる時には読まない方が良いだろう。なにしろ、本書の冒頭に出てくる事例で何人もの方が亡くなる。ハラスメントについて学ぶ上では大事な事例ではあるが、物語としてとても重たく、気持ちが思わず滅入ってしまう。したがって、メンタルが元気なときに本書を読むことをお勧めしたい。
 
先述したとおり、最初の数件の事例が極めて重たい。読んでいて感情移入してしまい、こちらがもの悲しくなってしまう。と同時に、ここまで激しいパワーハラスメントやセクシャルハラスメントを目の当たりにしたことがない我が身はなんと幸運な人間なのだろうかと期せずして感謝したくらいである。このような私の境遇に近い方、つまり幸運にもハラスメントに遭遇していない方、には、本書のような生々しいケースを読むこと自体にも意義があるのかもしれない。
 
では、こうした苛烈な労働環境に対して、どのような打ち手があるのか、というのが本書の問いである。それに対して、産業医である著者のアプローチが示されている。
 
まず、昨今の労働の変化の激しさと雇用関係の複雑化とが絡み合う中で、ハラスメントが置き易い環境が出現している、という著者の指摘はその通りであろう。つまり、基本的な大前提として、職場におけるコミュニケーションの難易度が、以前に比べて高くなってしまっているのである。その結果として、以前であれば些細なこととして看過されていたようなことまでが、「ハラスメント」として認定され、実際に働く社員の人々にとって悪い影響を与え得る状況になってしまっているのである。これはなにも、「最近の若者は我慢が足りない」とか「世代が違うと価値観が異なってやりづらい」といった言説とは異なる問題であることを付記しておく。
 
では、どうするのか。おそらく、全ての企業に適合するような解決策は存在しない。前述したとおり、コミュニケーションが複雑化しているということは、個別化している、ということに近いわけである。したがって、マニュアルに基づいて対応することは厳しいといわざるを得ないだろう。むろん、必要最低限のことをマニュアルによって対応することに意義はある。しかし、文脈を過度に排除してやってはいけないことをリスト化することは、適切な言動をも排除してしまう可能性がある。
 
したがって、現場としてまず押えるべきは判例であろう。どういう状況で、どのような言動を取ったら、どういった事態が生じ、その結果としてどのような訴えを起こされて、どのようなペナルティが生じるのか、というやや抽象化した理解をすることが必要であると考える。こうしたことを理解するきっかけとしての入門書として、本書は適した良書であろう。

2011年8月7日日曜日

【第37回】『かかわり方のまなび方』(西村佳哲著、筑摩書房、2011年)

 ワークショップと称するものの中には、参加者の発言や話し合いをプロセスに置きつつ、最終的に特定の考え方や価値観を主催者側が押し付けるものや単なる商品紹介になるものが時折見られる。それはワークショップが有する可能性を減衰させ、偽りの「ワークショップ」に参加した人がワークショップに参加しようとする意欲をなくすリスクがある。こうした残念な出来事は、ワークショップという抽象的な概念を問うことなく、混在した意味合いを持たせていることが原因の一つと言えるだろう。
 
それではワークショップとは何か。「双方向で複数人が話し合う」というような漠然としたイメージを私は持っていたが、著者はファクトリーを対概念としてワークショップについて丹念な説明を試みている。規格品を効率的に大量生産で行なうファクトリーに対して、自由な発想で時間を掛けて個別的に創作するのがワークショップである。
 
こうした手作りと親和性のあるワークショップを促すものとしてファシリテーションがあるだろう。このファシリテーションというものも曲者である。著者によれば、ファシリテーションはよいものにも悪いものにもなり得る無色透明のものである。したがって、他者を促し(=ファシリテート)さえすればそれはファシリテーションと言える。
 
この定義に従えば、極端な例ではあるが、ナチスでの洗脳的な宣伝を担当していたゲッペルスのファシリテーション能力は高いと言える。したがって、ファシリテーターに求められるのはファシリテーションのスキルだけではない。それに加えて、善なる意図や目的意識が必要であり、それは他者をどう見るかというファシリテーターの視座やあり方の話に繋がる。
 
このことは教育に携わるあらゆる立場の方々にとって重たい指摘であろう。少なくとも私はそう感じた。心理学の領域でピグマリオン効果というものがある。教師から「この子は優秀だ」と思われている子は成長し、「この子はいまひとつだ」と思われている子はあまり成長しない、という現象である。ピグマリオン効果における影響範囲はパフォーマンスに特化されているが、本書で指摘されているファシリテーターの与えるものはパフォーマンスだけに留まらない。教育に携わる身として、ファシリテーションの能力を磨くだけではなく、善なる意図を常に意識し、自己抑制的な振る舞いを心がけたいと強く感じた。
 
このように読み手に内省を自然と促すというのは書き手のファシリテーションの為せる業であろう。著者が数年前に出した『自分の仕事をつくる』もそうであったが、読み手との相互交渉を行なう書籍はなかなかお目にかかれない。おそらく、著者の態度やあり様が善なる意図に基づくものであり、書物を著すこと自体がワークショップになっているということなのかもしれない。

2011年7月31日日曜日

【第36回】『デザイン思考が世界を変える』(T.ブラウン著、早川書房、2010年)

 よく多様な分野の専門家が一つの組織にいると強い、と言われる。しかし筆者によれば、それが機能するためには単なる複数分野の専門家であるだけでは足りないようだ。なぜなら、そうした専門家集団においては、それぞれが自身の専門分野の擁護者となり、潤滑なコミュニケーションが取れずに空中分解するか中途半端な妥協に落ち着いてしまいがちであるからだ。

 では、多様な分野の専門家が組織として機能するためには、よく言われるT字型人材であることが求められる。「T字型」であることは他者とアイディアや文脈を共有するために必要なのである。したがって、単なる複数分野の人材を集めることではなく、異分野での連携ができるT字型人材が集まることが大事なのであろう。

 こうした多様な人材が集まる組織がアイディアについて考え続ければ良いアイディアが出る、ということではない。頭で理想的なものを考えるのではなく、プロトタイプをすぐに製作し、カタチになったものに基づいてフィードバックを得ることが大事である。

 さらに言えば、頭の中で考えるものから得られるフィードバックと、実際にカタチにしてから得られるフィードバックとでは質的な違いがある。頭の中で考えるとアイディアにのめり込むことになる。アイディアに過剰にのめり込んでしまうと、問題があるものもポジティヴに解釈してしまいアイディアを守るための防衛的なフィードバックになってしまうことが多い。

 しかし、プロトタイプを創ると建設的なフィードバックを得られる。なぜなら、一度カタチにすると新たなアイディアを盛り込んで次々と改善するという方向に進むからである。プロトタイプを創って検証すること。仕事の中でも大事にしたい考え方である。

2011年7月24日日曜日

【第35回】『いつでもクビ切り社会』(森戸英幸著、文藝春秋社、2009年)

日本企業の伝統的な人事管理システムは、新卒一括採用、年功賃金、終身雇用などからなると言われる。このシステムの根幹を成すのが定年制度である。大学卒業とともに入社した新卒社員を、市場価値に比べて相対的に安い賃金で一律に働いてもらい、年功にあわせて給与を上げる。そして、市場価値に比べて相対的に高くなりすぎた状態の人材をポストオフするために必要な手段として定年が存在する。

しかし、この定年が年齢要件による差別として見られるようになってきている。最近の労働の政策としては、再雇用制度を設ける、定年の開始時期を65歳まで引き伸ばす、定年をなくす、のいずれかが企業に求められている。三つ目のものを導入する企業が少ないのが現状であるが、日本マクドナルド社が導入して話題となったことは記憶に新しい。

では、こうした定年制度をなくすいわばエイジフリーと呼ばれる施策に問題はないのだろうか。エイジフリーというと年齢に関わらず働けるというポジティヴな意味合いに聞こえるが、それは同時に年齢に関わらずクビになるということを意味する。これまでは定年がいわば公明正大なクビの宣言という機能をも果たしていたのであるが、定年がなくなれば、常にクビのリスクにさらされることになる。恐らく、こうした企業の現実に合わせるために、労働法規は解雇制限の緩和化へと軸足を移すのではないだろうか。

こうした問いに対する著者の結論はシンプルだ。日本がエイジフリー社会になる可能性は高い。したがって、それに備えることが必要だということである。

とりわけ、20代~30代はエイジフリーの波に臆することなく、むしろそれを追い風にすべし、という著者のアドバイスはその通りだろう。高度経済成長期のように景気上昇に合わせて企業業績が向上してポストが増える、という状況とは全く異なるが、何れにしてもポストが空くことは機会に違いないだろう。

2011年7月17日日曜日

【第34回】『教育研修ファシリテーター』(堀公俊+加留部貴行著、日本経済新聞社、2010年)

 職業柄、企業における教育研修をデザインし実行することが多い。しかし、そのポイントを言語化して他者に伝えるということは難しく、「自分でできる」と「他者ができるようにする」の間には大きなギャップがある。

 前職で研修スキルを強化するための研修も仕事にしていたわけで、誤解がないように言い訳がましく記すが、ある程度は伝えられると思うが、本当に相手が自信を持って研修できる、というレベルまで到達してもらうことは難しいと感じていた。

 こうした言語化することの難しいテーマに対して、正面から意欲的に立ち向かっているのが本書である。かゆいところに手が届くような言い回しや、図を用いての整理は分かり易い。特に、三つの主要な学習モデル(学習転移モデル、経験学習モデル、批判的学習モデル)をもとにして、集合研修の三つのスタイル(知識伝達型、問題解決型、省察型)を整理している点は、個人的に腑に落ちた。

 また、具体的なレベルにまで落とし込まれているのが実務者としてはうれしいところである。特に「話し合い」を展開させる手法の部分に感銘をおぼえた。私自身は本書でいうところの拡大型と呼ばれる、個人で考える⇒ペアで話し合う⇒グループで話し合う⇒全体で共有する、という基本の流ればかりを重視していたことに気づかされた。

 しかし、本書によればそれ以外にも縮小型(全体討議⇒グループ討議⇒個人検討)、内省型(個人検討⇒グループ/全体討議⇒個人再検討)、共有型(全体討議⇒グループ/個人検討⇒全体討議)、創発型(グループ討議⇒全体/個人検討⇒グループ討議)という合計5つのものが取り上げられている。全体像を把握し、それぞれの特徴を比較検討することで、研修の流れに応じてどれが適しているかを判断することができる。

 このように、自身の教育研修の考え方や手法を内省して気づきを与えてくれる、という意味で本書は活用できる。もちろん、教育研修にはじめた携わる方が読んで、一通りの基本型を理解するという読み方もあるだろう。



2011年7月10日日曜日

【第33回】DRIVE(Daniel H. Pink, Canongate Books Ltd, 2010)

In this book, Mr. Pink says there are three types of work motivation, Motivation 1.0, Motivation 2.0, and Motivation 3.0.

Motivation 1.0 is for our survival. When we want to have a meal, we will think about how to get some food and will do our best to attain it.

Motivation 2.0 is for response to our environment. This way of thinking is to seek reward and avoid punishment.

Motivation 1.0 and Motivation 2.0 are still important for us. But their importance is falling down. In the developed countries, there are so many foods. And if work is inherently enjoyable for someone, the external inducements at the heart of Motivation 2.0 become less necessary for him.

Then Motivation 3.0 becomes more important. Motivation 3.0 is not based on external motivator, and it is based on internal motivator. Mr. Pink suggests that we should focus on our internal motivator, and should make efforts to improve our work more interesting by ourselves.

And finally, Mr. Pink summarizes his suggestion. His way of summarizing is very unique, because he makes three summaries. First one is for tweet on twitter, second one is for cocktail party talk, and the last one is longer than other two versions, he summarize his suggestion chapter by chapter. Of course these three summaries help us to understand his suggestion, but they also make us to understand how to edit.

2011年7月3日日曜日

【第32回】『新しい労働社会』(濱口桂一郎著、岩波書店、2009年)

労働法とは、経営者が守りさえすれば良いという消極的な類のものではない。人事制度や人材マネジメントにプロアクティヴに取り入れるべきものなのではないか。

2005年から2006年に労務管理の分野で政労使を巻き込み話題となったホワイトカラーエグゼンプションに関する背景の説明が分かり易い。著者によれば、ホワイトカラーエグゼンプションには働き方を変える可能性があったと言う。たしかに社員の健康に関わる労働時間規制の一つの施策として、特定の要件に合致するホワイトカラーに残業代規制を掛ける制度とすれば有意味になり得たのであろう。

しかし政府は、ホワイトカラーエグゼンプションを残業代だけではなく、あらゆる労働時間規制からの適用除外とし、かつ仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方を支援するものとして捉えた。その無理な解釈がマスメディアの「残業代ゼロ法案」というキャンペーンを招き、結果としてホワイトカラーエグゼンプションを断念することとなった。残業代抑制という世論の批判を回避するために、月八〇時間超の残業の割増賃金率を五割に上げる(現在は月六〇時間超)という、長時間残業を奨励するかのような、労働時間規制の考え方に逆行する施策までが導入されたのである。

おそらくここには職務と報酬に対する誤解があったのではないか。その延長として、グローバルスタンダードに対応すると称して、現在は同一職務同一賃金が人事管理上の主流となりつつある。しかし、それが問題を解決するのであろうか。

古典派以来の経済学の基礎中の基礎である「一物一価の法則」の文脈として同一職務同一賃金を捉えることはもちろん正しい。しかしそれは企業内という閉じたネットワークで対応することではなく、人材市場という開かれたネットワークにおいて対応すべきことなのではないだろうか。この議論は、「同一職務」における「職務」を、それに必要な「スキル」として代替することもほぼ同意である。人材の流動性を支援するしくみを構築することには大きな意義があるが、企業内部で対応する必要はなく、むしろ問題があると考える。

では企業内部で同一職務同一賃金に対応することにどのような問題があるのか。

問題の所存は、なにを測るかという時間軸に対する部分にあると考える。変化の激しい現在の環境において、今の仕事に求められるスキルを測ることで、企業の中長期的な成長戦略と競争戦略を推進するための人材要件をスタティックに捉えることは、企業にとって得策であるとは思えない。

短期的なビジネスに勝つ人材要件の定義づけに違和感を提唱した高橋俊介氏(人材マネジメント論―儲かる仕組みの崩壊で変わる人材マネジメント (BEST SOLUTION))や、短期指向的な成果主義運営を痛烈に批判した高橋伸夫氏(虚妄の成果主義)。彼らが約十年も前に警鐘を鳴らしたことをどれだけの企業が精緻に理解し、制度設計および現場運用を創り込んでいるのだろうか。変化への対応が大事であると言いながら、中長期的な視点を欠いたスタティックな対応に汲々としているとしたら、将来にわたって変化を生み出す人材が育たないことは当然の帰結である。

こうした対応は企業にとって問題があるだけではない。企業で働く社員にとっても悪い影響があるだろう。つまり、現在のビジネスに必要なスペックのみを効率的に修得させることは個人の中長期的な成長を支援するのではない。ある時期に高く「売れる」スキルであっても、時代が変われば「売れなく」なる。時代の変化のスピードが上がっている中、そうした対応のみに注力することはリスクが高いだろう。

こうしたスタティックな能力を測ることの問題点をケアするためには、ダイナミックな能力をいかに測るか、が鍵である。保有能力としてのスキルではなく、健在能力としてのコンピテンシーを測るのである。さらに言えば、職務要件的なコンピテンシーではなく、人間力を測るコンピテンシーである。もちろん、こうしたものだけで企業活動に必要な人材要件を定義できるとは思えない。したがって、細かなメンテナンスにリソースが取られるとはいえ、職務に特化したコンピテンシーとのハイブリッドが現実的な対応になるのかもしれない。


人事上の対応を精緻に行なうためには、人材マネジメントの領域、組織行動論の領域とともに、労働法の領域を押えて学際的に対応することが必要である。こうした思いを改めて強くできる良書であった。