2011年9月11日日曜日

【第43回】『日本の歴史をよみかえす(全)』(網野善彦著、筑摩書房、2005年)

 歴史に関する網野さんの一連の著作は、歴史を歴史として学ぶということではなく、現代社会に歴史がどのような影響を与えているのか、という深い視座を与えてくれる。いわば、歴史を透徹して現代を明かす、ということであろうか。

 まず興味深い点は、畏怖の対象としての存在が、時を経るにしたがって賎視の対象となっている点である。歴史の物語で「太郎丸」などというような幼名が出てくるだろう。こうした名前に「丸」をつける風習は、世俗の境界にいる存在にも行われていたらしい。たとえば、現代でも残っている風習であるが、船に「〇〇丸」という名前を付けることが挙げられる。船には、人知の及ばない危険な世界である海へと旅立つ際に人間が命を託すものであり、そのために呪的な力を与えるために「丸」という名前を付けたのであろう。

 しかし、時代が下る過程で畏怖は賤視へと変わる。鎌倉新仏教が世俗の境界にあり救いの対象としていた遊女や博奕打、また現代で言うところの非差別部落に対する畏怖の視線は十六・七世紀頃から蔑視の視線へと変わったのである。たしかに、これは当時の政権が社会政策の一環として差別対象を設けた、という初等中等教育課程で私たちが学んだ背景があることも事実であろう。しかし、畏怖の対象とは社会と自然との関係性からくるものである。したがって、社会と自然との関係性の大きな転換が、畏怖の対象が賤視の対象へと転換したという著者の指摘は首肯するところが多いと言えるだろう。

 こうした統治主体を考える際には天皇制とを不可分に捉えるわけにはいかないだろう。近代化の果てに形成された国民国家としての日本という概念ではなく、より広い概念としての「日本」の形成過程で天皇という称号が定着したわけであるが、著者によれば、その時期は天武・持統朝の頃からであると言う。さらに言えば、「日本」という国号も、その頃に「発明」されたものであるそうだ。すなわち、縄文人や弥生人はもとより、卑弥呼や聖徳太子は「日本人」ではないのである。アンダーソン流に言えば、卑弥呼や聖徳太子を「日本人」として概念規定することは、「国民教育」の結果として私たちに想像的な共同体観念を植え付けられただけなのだろう。

 こうした天皇制を職の体系の一つの重要な要素として著者は位置づける。つまり、摂政や関白をはじめとした官職のトップに位置するものとして、いわば「天皇職」が創造、定着したというのである。さらに、天皇が世襲制になったことはすなわち、他の官職をはじめとした職業が世襲制になったことにも大きな影響を与えている。その結果として、静的な職業体系が成立したわけであろう。

 この結果として生じた興味深い点は、天皇の地位の安定的な世襲と、実質的に天皇の実務的な職能を行う権力主体との分離現象である。河合隼雄さんの、アメリカをはじめとした権力主体の集中で国家を形成する中心社会と、権力主体の周囲が実質的な権力を握る中空社会との対比で言えば、日本は後者として機能しているのである。であるからこそ、古くは天皇の周囲にいる摂政や関白が権力を掌握し、天皇が任命する征夷大将軍が幕府を開いて統治を行い、天皇を輔弼する軍部が実権を握ることが可能であったのである。

 穿った見方をすれば、世襲制である以上、パフォーマンスの低い存在が生じる事態を想定し、それを補佐する存在を選別する制度を作り上げてきた歴史であるとも読み取れよう。ポジティヴに捉えれば、絶対的な権力主体を設けないことは、物事に対して柔軟に対応し、しなやかな変化を受け容れられる国家形態を構築してきたとも考えられるかもしれない。

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