私が生まれる前に書かれた著者の『マネジャーの仕事』も興味深かったが、本書もまた興味深い内容であった。読後の所感としては、前作と今作とでの主要な主張点には近しいものがあると私には思える。
おそらく、その背景にはマネジャーの役割が以前と今とで変わらないという現実があるからだろう。著者は「私たちは、変化しているものしか目に入らない。しかしほとんどのものは、昔と変わっていない」と指摘し、「マネジャーの仕事はずっと変わっていないのだ」と断言している。
そうであればこそ、新たにマネジャーになる方々が苦労をするということに今昔の差はない。コミュニケーションツールが整備され、研修が用意されていても、新たな役割を担う際の大変さは変わらないということである。
この指摘は、数年前まで「新任管理職研修」を開発したり売っていた身として、身につまされる思いがする。むろん、その手の管理職研修が全く役に立たないとは思わない。しかし、管理職研修で扱うフレームワークは、それを仮説的に用いて自身の経験を整理する上では有効であるが、経験がない中でフレームワークをインプットしてもそれほど助けにはならないのかもしれない。少なくとも、同じフレームワークを他のマネジャーにもインプットして、新任のマネジャーがそれを使えるように継続的に学び合えるしくみを同時に整備する必要はあるだろう。
また同様に、目標管理制度の導入・浸透のコンサルテーションを行っていた身として、マネジャーが業務目標を立てることの難しさに関する指摘も自身を省みて感ずることが多かった。とりわけ、「ビジョンなき目標設定は、組織の能力をおとしめかねない」との指摘には恐れ入る。また、ビジョンとの整合性があり、つまり経営からのカスケーディングがしっかりしていたとしても、それを部下にそのまま落とすことは自分の責任を部下に転嫁する行為に他ならないという。
マネジャーの身になって考えみよう。上からは戦略や理念との整合性を求められ、下へは難しすぎず容易すぎない納得感のある目標を設定しろ、と突き上げられる。マネジャーという役割における目標管理制度の運用の難しさは、私のような部下側の人間が想像する以上の高いプレッシャーが掛かっている重大事であるに違いない。
マネジャーは、こうした目標設定を足がかりに、部下の行動を観察し、指導し、評価し、育成を支援するというマネジメントサイクルを回すべし、と研修では言われる。その通りではある。しかし、上記のサイクルを想起するとスタティックなものが想像されるが、現場ではマネジャーは行動が求められる。しかも、変化に富み、同じ仕事に長い時間をかけられず、差し込みが多い、という極めてダイナミックな現場である。そうした状況であるために、著者もマネジャーの行動志向の強さを指摘している。実際、マネジャー自身も「動きと変化と流れのある活動、目に見えて、最新で、定型業務でない活動をしがたる」という傾向を持っているそうだ。私自身、修士課程論文を執筆する際に、数社の管理職・中堅層・ジュニア層という三つの類別の方々に対してインタビュー調査を行ったが、この傾向には同感である。
ではこのようなマネジャーという役割に適した人物はどのような人間なのだろうか。やや長い引用となるが、著者によれば「マネジャーとして最も成功を収めるのは、環境に合わせてスタイルを変えたり、自分のスタイルに合わせて環境を変えようとしたりする人物ではなく、ましてや、あらゆる環境で通用するスタイルをもっていると自負する「プロの」マネジャーでもなく、それぞれの環境に適したスタイルを元々もっている人物なのかもしれない」そうだ。つまりは、小手先の対人対応力や環境適応力といったスキルに関するものではなく、人格レベルの適性が求められるということであろう。
そうであるならば、私たちには、自社において求められるマネジャーの人材要件をしっかりと定義し、それに合致した人材を早期に選別し、長い年月をかけて育成する、という壮大なしくみを構築することが求められているのかもしれない。著者の主張を私なりに斟酌すれば、既存のありものの人材要件をそのまま適用したり、画一的なシステム構築を行ったり、浅薄なスキルトレーニングを行うといった類いの無意味さは言うまでもないだろう。
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