2018年12月30日日曜日

【第917回】『ハイデガー=存在神秘の哲学』(古東哲明、講談社、2002年)


 哲学書は難しい。とにかく読み解くのに時間が掛かるし、おおよそ理解できない。ハイデガーの著作も同様である。解説書でさえ、難渋する。『ニーチェが京都に~』で興味を持って本書を読んでみたが、面白く読めるところもあれば、理解できない箇所もあった。

 哲学書はなぜ難しいのか。正確に言えば、哲学者はなぜ難しく語るのか。その理由は、端的に以下の箇所に表れている。

 ハイデガーはひたすら道を開き、その新しい道をたどるよう、ぼくたち読者を喚起した。(中略)道を開き、歩くようほどこすのが哲学の仕事。だが、道は自分で歩め。まっ暗なトンネルをぬけると、そこは雪国。一面の銀世界がまっている。道をたどりトンネルをぬければ、どなたもそこへゆきつく。だから、ほこらしげに雪国のすばらしさを語る必要もない。そんなことより、まっ暗なトンネルをぬける勇気をあたえ、むこうへわたる道をつくり、道標を立て、そこへいざなうこと。それが、ハイデガーの執筆や講義のスタイルなのである。根っからの教師、あるいは導師だといえよう。(65~66頁)

 おそらく、私たちは、簡単なことや易しいものを求めすぎているのかもしれない。理解できないもの、解釈が難解なものは、時間やコストが掛かるものであり良い存在ではないと看做してしまう。

 しかし、果たしてこうしたマインドセットで臨むことが望ましいのか、と著者はハイデガーに引きつけて警句を述べている。この箇所を読み、私は考え込んでしまった。分からないことは気持ち悪い、しかし結果的に分からなかったとしても分かろうと努める営為の中にこそ、学びはあるのではないか。哲学書をはじめとした「難しい」書籍の存在価値は、読むという過程の中にあるのかもしれない。

【第908回】『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』(原田まりる、ダイヤモンド社、2016年)
【第891回】『誰にもわかるハイデガー』(筒井康隆、河出書房新社、2018年)
【第419回】『今こそアーレントを読み直す』(仲正昌樹、講談社、2009年)

2018年12月29日土曜日

【第916回】『花神(下)』(司馬遼太郎、新潮社、1976年)


 大村益次郎という人物は、教科書にも出てこないし、幕末を描く歴史ドラマでも端役に近い描かれ方をする。戊辰戦争で東進して江戸城無血開城を成し遂げたのは西郷隆盛であり、その後はなし崩し的に官軍が勝利したかのように私たちは理解してしまう。NHK大河ドラマ「西郷どん」でも、益次郎は無血開城後のワンシーンで数秒後に登場しただけである。

 しかし、倒幕軍の総司令官としての益次郎が存在しなかったらどうなっていたのであろうか、と本書を読むと思わざるを得ない。よく言われているように、鳥羽・伏見においても幕府軍の勢力は官軍より大きく優位であったし、無血開城がなければ江戸における勢力図も怪しかった。

 したがって、無血開城以後においても幕府軍が盛り返す可能性は潜在的に高く、徳川幕府に近かった会津や奥羽の諸藩との闘いは予断を許さなかったのである。そうした状態の中で、江戸と離れた官軍の本拠地である京都とも連携を取りながら戦略を練った益次郎の力量に拠るところは大きい。

 それほどの人物がなぜ目立つことなく人生を終えたのか。暗殺による突然の死もその原因の一つであろうが、仕事への取り組み姿勢にあったようだ。

 ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀歓など結果からみれば無きにひとしく、つまり自分自身を機能化して自分がどこかへ失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。その仕事というのも芸術家の場合ならまだカタチとして残る可能性が多少あるが、蔵六のように時間的に持続している組織のなかに存在した人間というのは、その仕事を巨細にふりかえってもどこに蔵六が存在したかということの見分けがつきにくい。(542頁)

 著者が「あとがき」で述べているこの箇所を読むと、仕事への取り組みとはどのようにあるべきかを考えさせられる。適切なマインドセットで、目の前の仕事に取り組み続けること。大村益次郎という人物から、現代を生きる私たちが学ぶことは多いのではないだろうか。

【第320回】『世に棲む日日(一)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
【第321回】『世に棲む日日(二)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
【第322回】『世に棲む日日(三)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
【第323回】『世に棲む日日(四)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)

2018年12月23日日曜日

【第915回】『老子の教え』(安冨歩、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017年)


 著者といえば論語だと勝手に思っていた。『超訳論語』は面白かったし、『ドラッカーと論語』も卓抜で何度も読み直している。そんな著者が老子を扱うというのは意外な感があったが、『超訳論語』のようなテーストの書籍である。大胆な意訳や編集がありながら、本筋を押さえて著者の考えを押し出している意欲作である。

あなたが何かにおびえているとしたら、
それはただ、ものごとの名におびえているだけではないだろうか。
あなた自身が作り出した名に、おびえているだけではないだろうか。
そのことを理解すれば、
あなたは、意味のわからぬ不安から解放されるはずだ。(21頁)

 現象を名付けることでこぼれ落ちる何かがある。老子は名前をつけ、言葉で表現することの限界を繰り返し述べているが、その内容を踏まえているのがこの引用部分である。さらに、ここでの不安は、安定思考を否定する以下の引用箇所にもつながる。

確かなものにしがみつこうとするから、
確かなものに頼ろうとするから、
あなたは不安になってしまう。

あなたには、そのあやうさを生きる力が、与えられているというのに。(23頁)

 私たちは安定を求め、「確かなもの」を見出そうとするために不安を抱く。ある程度の安定はたしかに重要であろうが、それを過度に求め、安定に依存することは、翻って私たちを縛ってしまう。それはあたかも疎外状況である。

 では私たちに求められる態度はどのようなものか。著者は「世界をありのままに見る」ことを指摘する。

冷静さとは、根源に帰るものとして世界を見ることである。
根源に帰るとは、世界をありのままに見ることである。
ありのままの世界を知ることを、「明晰」という。
ありのままの世界を知らぬことを、「迷妄」という。
迷妄は凶悪な事態に帰結する。

ありのままの世界を知れば、寛容になる。
寛容であれば、公平になる。
公平であれば、王たるにふさわしい。(71頁)

 最後の王云々というくだりは、老子の中で時折現れる唐突感のある言葉であるが、ここでは気にしないこととする。ただただありのままに世界を眺めるという態度はすごい。ありのままに見るということは価値判断を下さないということであるから、他者に対して社会に対して寛容でいられるのであろう。


2018年12月22日土曜日

【第914回】『アンダーグラウンド』(村上春樹、講談社、1999年)


 1995年の地下鉄サリン事件で被害に遭われた方々およびその遺族の方々に著者が丹念にインタビューを重ねたノンフィクション。小説とも、随筆とも異なる、著者の筆致に惹きつけられる。

 1995年3月20日は、多くの人々にとって「見分けのつかない、人生の中のただの一日だった」(32頁)はずの一日であり、それは被害者や遺族の方々にとっても同様である。連休の狭間の通勤時に、都内の「アンダーグラウンド」で何が起きたのか。インタビューを通じて著者が紡いだ仮説は、発生して二十年以上が経つ現代社会においても、重くのしかかるものである。

 私たちがこの不幸な事件から真に何かを学びとろうとするなら、そこで起こったことをもう一度別の角度から、別のやり方で、しっかりと洗いなおさなくてはいけない時期にきているのではないのだろうか。「オウムは悪だ」というのはた易いだろう。また「悪と正気とは別だ」というのも論理自体としてはた易いだろう。しかしどれだけそれらの論が正面からぶつかりあっても、それによって<乗合馬車的コンセンサス>の呪縛を解くのはおそらくむずかしいのではないか。(739頁)

 オウム=悪をあちら側に置き、一般市民=善をこちら側とを対比的に論じようとしたメディアの構図を著者は否定的に捉える。正しいか誤っているかの話ではなく、こうした構図で描くことによってこぼれ落ちるものを危惧しているのである。こうした二項対立によって何を私たちは見落としてしまうのか。

 ひとつの鏡の中の像は、もうひとつのそれに比べて暗く、ひどく歪んでいる。凸と凹が入れ替わり、正と負が入れ替わり、光と影が入れ替わっている。しかしその暗さと歪みをいったん取り去ってしまえば、そこに映し出されている二つの像は不思議に相似したところがあり、いくつかの部分では呼応しあっているようにさえ見える。それはある意味では、我々が直視することを避け、意識的に、あるいは無意識的に現実というフェイズから排除し続けている、自分自身のうちなる影の部分(アンダーグラウンド)ではないか。私たちがこの地下鉄サリン事件に関して心のどこかで味わい続けている「後味の悪さ」は、実はそこから音もなく湧き出ているものではないのだろうか?(744頁)

 私たちは、あちら側とこちら側に分けることで、その構造を創り出しているものを包み隠そうと無意識にしているのかもしれない。反対にいえば、包み隠そうとして隠せなかったものを暴き出したオウム真理教、および彼らが起こした事件に対して、「後味の悪さ」を感じるのであろう。オウムを排除してこちら側を守ろうとするのは、「私たちの属する「こちら側」のシステムの構造的な敗退」(766頁)を見えないようにするためだったのであろうか。

 では「「こちら側」のシステム」が守ろうとしていたものは何か。

 私が深く危機感を感じるのは、当日に発生した数多くの過失の原因や責任や、それに至った経緯や、またそれらの過失によって引き起こされた結果の実態が、いまだに情報として一般に向けて充分に公開されていないという事実である。言い換えれば「過失を外に向かって明確にしたがらない」日本の組織の体質である。「身内の恥はさらさない」というわけだ。その結果、そこにあるはずの情報の多くは「裁判中だから」とか、「公務中のできごとなので」というわかったようなわからないような理由で、取材を大幅に制限される。(769頁)

 まず社会システムについては、『ねじまき鳥クロニクル』を書く際にノモンハンを調べた著者ならではの、旧日本陸軍に典型的に現れた「閉塞的、責任回避型の社会体質」(770頁)が挙げられる。

 たしかに、戦争が終わって半世紀以上が優に経ち、技術も考えられないほどに進展した。環境の変化に合わせて日本人も、日本の組織も変わった…はずである。しかし、日本人も、日本の組織も、必ずしも変わらない側面を持ち続けているのかもしれない。それは否定するものでも肯定するものでもないが、私たちが見たくない「不都合な真実」とでも呼べるものなのかもしれない。そうした「不都合な真実」が地下鉄サリン事件で顕在化したため、私たちは「後味の悪さ」を感じながら、あちら側を否定しこちら側を肯定しようと躍起になったのだろう。

 組織レベルだけではなく、個人レベルでも私たちが隠そうとしたものがあるとして、著者は以下のように述べる。

 私が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の中で「やみくろ」たちを描くことによって、小説的に表出したかったのは、おそらくは私たちの内にある根源的な「恐怖」のひとつのかたちなのだと思う。私たちの意識のアンダーグラウンドが、あるいは集団記憶としてのシンボリックに記憶しているかもしれない、純粋に危険なものたちの姿なのだ。そしてその闇の奥に潜んだ「歪められた」ものたちが、その姿のかりそめの実現を通して、生身の私たちに及ぼすかもしれない意識の波動なのだ。(774頁)

 集団記憶として持っている恐怖というのが著者の仮説的な結論であるが、いかがであろうか。

【第896回】『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』(村上春樹、新潮社、2017年)
【第897回】『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』(村上春樹、新潮社、2017年)
【第802回】『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(村上春樹、新潮社、2005年)
【第791回】『1Q84 BOOK1』(村上春樹、新潮社、2009年)
【第792回】『1Q84 BOOK2』(村上春樹、新潮社、2009年)
【第793回】『1Q84 BOOK3』(村上春樹、新潮社、2010年)

2018年12月16日日曜日

【第913回】『花神(中)』(司馬遼太郎、新潮社、1976年)


 中巻では、攘夷を至上命題とする革命勢力と化した長州藩の藩士として活動を本格化させ、反幕戦争に至るまでが描かれる。攘夷という思想が持つ排外的な側面を現代において理解することは極めて難しいが、なぜ天皇という存在を中心として社会への変革を目指したのかは興味深い。

 反幕攘夷家たちは、日本の中心を天皇という、単に神聖なだけの無権力の存在に置こうとした。天皇を中心におきたいというこの一大幻想によってのみ幕藩体制を一瞬に否定し去る論理が成立しえたし、それによってさらには一君万民という四民平等の思想も、エネルギーとして成立することができた。(15~16頁)

 権力の主体を替えることにより身分制度の一新を狙う。国民皆兵を先取りするかのように、武士階級以外の戦闘能力化を先んじて行った長州藩の発想の基底には、身分制度の打破があったという著者の捉え方は納得的である。

 蔵六のいう、
「正義をあまねく及ぼす戦いである」
 ということが、兵士たちにも徹底していた。長州藩でいう正義とは、革命と同義語である。長州藩はすでに藩内においても庶民軍をもって上士軍を圧倒し、藩内革命を遂げたが、その成果を他藩に及ぼそうという意識がつよかった。(508頁)

 他藩からすれば余計なお世話と思えるような発想ではある。しかし、こうした思想のレベルで熱狂している集団の持つエネルギーの強さとも言えるのかもしれない。

【第320回】『世に棲む日日(一)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
【第321回】『世に棲む日日(二)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
【第322回】『世に棲む日日(三)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
【第323回】『世に棲む日日(四)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)

2018年12月15日土曜日

【第912回】『武田信玄 山の巻』(新田次郎、文藝春秋、2005年)


 最終巻では、京都への上洛への意志と、労咳による自らの生命の限界への諦念という、信玄の内なる闘いが展開される。多くの方がご存知の通り、上洛の途上で再び労咳が悪化し、信玄の悲願は叶わず生涯を終えることとなる。

 本書の最終盤を読むと、病気に勝てず信玄は天下を取れなかった、という以前の認識を改めさせられた。もちろん、小説である以上、著者の自由な発想による仮説に基づいた主張ではあるだろうが、納得感のある論旨ではある。

 信長が金を武器として使ったことによって、朝倉義景は変節し、そのために武田信玄の西上作戦は頓挫した。(498頁)

 信玄との直接対決を遅らせるために、信玄の背後をつき得る勢力を懐柔する。この時間を買う戦略が、信玄の病気とも相まって奏功し、信玄の野望は潰えた。

 たしかに信玄は天下を取れなかったが、その最後の戦で大敗を与えた徳川家康が、信玄の治世を学び、江戸幕府の長きに渡る政治に活かしたと言われる。天下に覇を唱えられたなかったが、信玄の遺したものは大きかったのであろう。

【第906回】『武田信玄 風の巻』(新田次郎、文藝春秋、2005年)
【第907回】『武田信玄 林の巻』(新田次郎、文藝春秋、2005年)

【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)
【第814回】『孤高の人(上)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第816回】『孤高の人(下)』(新田次郎、新潮社、1973年)

2018年12月9日日曜日

【第911回】『花神(上)』(司馬遼太郎、新潮社、1976年)


 幕末の長州に生まれ稀代の軍略家と言われた大村益次郎。一介の村医者が、人との出会いを通じて場所や役割を変化し続け自身の本分を見出していく様は、天職を創り込んでいくような過程のように受け取れる。

 益次郎の医者として、とりわけ蘭医としての師匠は適塾の緒方洪庵である。勉学に励み、適塾の塾頭にまでなった益次郎にとって、緒方洪庵から受けた影響は大きいのだろう。となれば、緒方洪庵がどのような人物であったかが、益次郎の人間性の主要な一部を形成したと考えられる。

 なぜ洪庵が医者を志したかというと、その動機はかれの十二歳のとき、備中の地にコレラがすさまじい勢いで流行し、人がうそのようにころころと死んだ。(中略)洪庵はこの惨状をみてぜひ医者になって人をすくおうと志したという。その動機が栄達志願ではなく、人間愛によるものであった点、この当時の日本の精神風土から考えると、ちょっとめずらしい。(24~25頁)

 自身の立身出世のためではなく、他者を救うために医者を志した緒方洪庵の志は、益次郎にも影響を与えたのだろう。のちに宇和島藩から長州藩へと藩替えをする際には、現代でいうところの役職や給与の大幅なダウンであったが、信頼する桂小五郎を信じて不平も言わずに受け入れている。

 こうした他者のためという意識は、目的のためには手段を変えることを厭わない益次郎のマインドセットにも繋がっているようだ。著者自身が、「筆者は、村田蔵六をとおして日本人を考えようとしているのかもしれない」(405頁)と述べているように、そのような精神性は<日本人>という大きなものにも繋がる可能性がある。技術を手段として捉える考え方について、やや長いが以下に引用する。

「才」
 とは、日本にあってはあくまでも右の意味での道具であった。儒教を「才」とした千数百年のあいだも、べつに冠婚葬祭という生活思想や習慣までシナ式になったわけではなく、シナ人そのものになったわけではない。単に道具であったために、
「漢才はもう古い」
 ということになったとき、古いスキでもすてるような愛着のなさで捨ててしまったのである。
「これからは蘭才の時代である」
 というようになって、蔵六らは大いに時代の需要のなかでときめいたが、しかしそのときめきのなかで、
「そろそろ蘭才は古道具になってしまったのではないか、これからは英才ではないか」
 ということが、蔵六ら蘭学者自身、みずからの持ち学問の時代における鋭利さにうたがいを感ずるところから、早くもささやかれはじめた。道具の新旧感覚であった。(405~406頁)

 さらに意識を新たにしたのは攘夷という当時の思想についてである。生まれ故郷であり、最終的にその藩士として活動する益次郎も攘夷主義を抱いている。蘭医であり、外国人との交流も行なっていた益次郎のこうした主義思想には意外な思いを持っていたが、以下のような攘夷主義の捉え方であれば頭では理解可能な部分もある。

 人の主義は気質によるものだが、蔵六にとってもこの攘夷という気分は生来のものであった。その固有の気分の上に、かれは自分の理論をうちたてた。攘夷という非合理行動によって、日本人の士魂の所在を世界に示しておく必要がある、というものであった。(466頁)

 自身の生来の心情がベースとなっていながら、欧米列強の植民地として国を分割させられた清国の例から学び、このような考え方をするのは、益次郎の軍略家のなせる思考方法なのかもしれない。

【第320回】『世に棲む日日(一)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
【第321回】『世に棲む日日(二)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
【第322回】『世に棲む日日(三)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)
【第323回】『世に棲む日日(四)』(司馬遼太郎、文藝春秋、2003年)

2018年12月8日土曜日

【第910回】『チーム・ダーウィン』(熊平美香、英治出版、2008年)


 ピーター・センゲが提唱した学習する組織は、決して難しい考え方ではない。しかし、平易すぎてSo what?という印象にもなりかねない。本書では、簡潔な理論を、ストーリーを通じて、噛み砕いて理解させてくれる。

 学習する組織の五つの段階をおさらいしてみよう。本書の113頁で、ポイントを具体的に「学び・進化する組織の5つの原則」として挙げている。

1)俺たちは、何を実現したいのか【個人ビジョン・いきがい】
2)俺たちは、誰と実現するのか【共有ビジョン・仲間】
3)俺たちは、どう学ぶのか【チーム学習・問題解決】
4)俺たちは、世界をどう理解しているのか【メンタルモデル・世界観】
5)俺たちは、何を解決したいのか【システム思考・複雑な世界の仕組みを解明する】

 主人公のコーチ役が書いたメモは、リアリティのある言葉でいいなと感じる。

 物語の展開は全体的には面白い。ただ、少しもったいないのは、合宿というオフサイトでの成果があまりに過大に描かれているところである。

 もちろん、オフサイトの意義を否定するわけではない。サードプレイスでのオープンな学びは重要であり、日常とは異なる気づきを他者と共創・共有することができる。しかし、学習する組織や組織開発といったアプローチを好む一部の人々は合宿を万能なものとして過大評価しすぎのようにも思えるのだがいかがだろうか。

 こうした懸念を払拭してくれているのが、主人公がモノローグとして学びを最後にまとめている箇所である。リーダーの心得の一つとして「他者から学び、自らの考えを変えていく」(285頁)としている点は抑制が効いている。

 一つの理論や考え方を絶対的なものとして捉えるのではなくオープンであること。これが「学習する組織」をファシリテートするリーダーに求められる態度なのであろう。

【第109回】『U理論』(C・オットー・シャーマー、英治出版、2010年)


2018年12月2日日曜日

【第909回】『武田信玄 火の巻』(新田次郎、文藝春秋、2005年)


 信玄を支え続けた弟・信繁と山本勘助とを川中島の大合戦で同時の失った信玄が、どのように甲斐・信濃を守りながら上洛へ進もうとするのか。重要な戦力を失いながらも新たに台頭する若者たちの活躍に信玄の領土経営の素晴らしさをみるとともに、暗愚な嫡男を取り巻く泥々としたドラマにもリアリティがある。

 信玄は、かねてから大隈朝秀が有能なる人物だと見込んで登用する機会を待っていたのである。信玄は、機会をたくみに利用した。越後の住人であれ、信濃の住人であれ、上州の住人であれ、手柄さえ立てれば取り立てるということを家臣たちに示したのである。(158頁)

 抜擢人事のアナロジーとして興味深い。どのような背景の人物でも評価され得るということは正論ではあるが、いつ・どのように抜擢するかは難しい。ともすると公正な人事ではなく依怙贔屓のように捉えられ、抜擢された側も力を発揮しづらくなり、組織マネジメントも機能しなくなりかねない。

 抜擢しようとする人物を見定めておき、適切なタイミングで昇進・昇格させること。人事マネジメントとして意識したいものである。

「あきらめるというのは捨てることではない。どうでもいいと投げ出してしまうことでは決してない。俗体の世をあきらめるということは、俗体の世に起きたことに、こだわっていてはならないということである。俗体の世から離れるときには、俗体の世のことは考えずに、新しい世界のことだけを考えていればよいのである。俗体のよは俗体にまかせてやろう、いっさいはもう自分とはかかわりのないことだと思うようになったときが悟りである……」(194~195頁)

 嫡男・武田義信の最期のシーンで、上のような法話を受けて亡くなっている。義信が招く武田家の内紛や、戦いにおける戦略眼のなさは読んでいると辟易としてくる。しかし、最期にこのような法話をさし挟むことで、著者の義信に対する優しさが、ひいてはその父・信玄の子に対する優しさが出てくるようで面白い。

【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)
【第814回】『孤高の人(上)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第816回】『孤高の人(下)』(新田次郎、新潮社、1973年)

2018年12月1日土曜日

【第908回】『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』(原田まりる、ダイヤモンド社、2016年)


 ニーチェが現世の日本人青年に乗り移り、17歳の女子高生アリサと交流し、ニーチェを取り巻く様々な哲学者も登場してアリサが哲学を通じて学ぶ様が描かれる。と書いてもなかなかイメージしづらいかもしれないが、ニーチェ、キルケゴール、ショーペンハウアー、サルトル、ハイデガー、ヤスパース、といった哲学者のガイドブックと捉えていただければ良いだろう。

 哲学は好きで学びたいが、原著およびその翻訳書を読むと眠気を催す、という私のような方には適した入門書である。大胆に意訳しているようではあるが、違う言い方をすれば、現代に生きる当て嵌め方の仮説を著者は提示してくれている。それをどのように解釈し、現実に活かそうとするかは私たち読者の真摯な対応次第であろう。

 そのために、哲学するとは何かという大事な条件を先に引用した上で、各人の考え方を記していく。

「すでにあるものを鵜呑みにするのではなく、疑いを持ち、自分なりに考えてみる。
 それが哲学するということだ」(189頁)

<ニーチェ>

 まずはニーチェの言葉から。ニーチェと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、超人というやや大げさな訳で膾炙している概念であろう。著者は、超人を「永劫回帰を受け入れ、新しい価値を創造出来る者」(69頁)と端的に解説している。未来は蓋然性の中にあるものに過ぎず、超長期的なスパンで捉えれば繰り返しにすぎない。しかし、何が起きたとしてもその過程と結果を受容し、自分自身で価値を創造することをニーチェは主張しているようだ。

 超人という概念を生み出した背景には、人生をどのように捉え、いかに生きるかというニーチェの考え方がある。大前提として彼は、「ニヒルになりすぎると、自分の人生にもかかわらず、自分の人生を軽んじて生きてしまうことになる」(66頁)として、現状をいたずらに否定してポジショニングしようとする安易な生き方を否定する。

 このように、自分自身を卑下して納得しようとしたり、他者と比較して自身を良く見せようとすることに私たちは汲々としがちだ。両者の主張内容は反対でも、ゴールに固執しているという点では同じだとして、ニーチェは以下のような警句を述べている。

 ゴールや、理想だけを追い求めることはない。いま自分がいる場所、そして自分のスタートライン。それらをひっくるめて愛すのだ。それが運命愛だ。運命を持たなければ、損得に縛られ、自分が得をしていないような人生を否定することになってしまう(71頁)

 では、客観的なゴールに固執せず、他者とも比較せず、プラスでもマイナスでもない人生へとるべき態度はどのようにあるべきなのか。ニーチェの答えはシンプルだ。つまり、「人生に意味などない。意味がないことを嘆くのではなく、意味がないからこそ、自由に生きるのだ。」(105頁)という、諦念と可能性との合わせ鏡のような態様だ。

 自由に生きることを提唱することで、私たちの努力や意志を否定しているわけではない。むしろ反対であり「自分のパワーをフルに最大化させていく”力の意志”」(102頁)を重視する。その上で、他者から与えられる創られた感動を否定し、「己の可能性が広がった時に感じる」主観的な感動(102頁)を重視しているのである。

<キルケゴール>

 次に登場するキルケゴールは「デンマークの尾崎豊」(125頁)と本作では揶揄と敬愛とが混ざった形容詞が付いており、実存主義の嚆矢としての彼のイメージを良くも悪くも持ちやすい。

 自分の人生ではなく、他人の人生を妬むことに時間を費やしてしまっている。情熱をもって生きないと、自分の人生は妬みに支配されてしまうーー。(128頁)

 実存、すなわち「主体的真理」(127頁)を重視するキルケゴールの上記のような主張は、私にはニーチェに近いように感じられる。そのベースがある一方で、ニーチェと比較するとやや不安や心配といった暗い側面により焦点を当てているように感じられる。それは、可能性に対する捉え方であろう。

「可能性は僕たちに夢を見させるぶん、不安にさせる。そして、不安だらけの人生の中で、自由から逃げ出すことなく誠実でいなければならないんですよ。
 不安から逃れたいという目的で、道を選んではいけません。不安と誠実に向き合う。不安に左右されて、自分を騙してはいけません」(147頁)

 まず、可能性が不安を生み出すという発想方法は、ニーチェにはない、キルケゴールの特徴のように思える。このいくぶん暗い前提にたった上で、可能性とその裏側にある不安とに満ちた日常の中で、私たちは誠実に生きることが求められるのである。この辺りの日常に対する捉え方は、ニーチェに近いものを感じる。

 何かを選ぶということは、選ばなかった可能性を生む。そして私たちは何かに行きづまった時に、選ばなかった可能性に苦しめられるかもしれない。(153頁)

 先に引用した箇所を踏まえたキルケゴールのこの警句にはハッとさせられた。というのも、キャリアチェンジの際に恩師から受けたアドバイスの主要な内容と全く同じだったからである。やや備忘録的に書き残しておきたい。

<ショーペンハウアー>

 ニーチェやキルケゴールが価値中立的な現実認識をした上で論旨を展開していたのに対して、現実認識の時点から悲観的な認識を持つのがショーペンハウアーだ。彼は「人間は、退屈をしのぐために欲望を持ち、欲望が満たされるとまた退屈になるという、いたちごっこから逃れられない」(169頁)としている。

 こうした認識であるにも関わらず、自分自身に対する態様はどこかニーチェやキルケゴールのように思えるから面白い。「他人からの評価に一喜一憂して振り回されるのではなく、まず自分の中に確固たる自信を持つことが第一条件だ」(182頁)としている箇所を読むと、そのように思えるのだがいかがだろうか。

<サルトル>

 キルケゴールが実存主義の嚆矢だとしたら、それを広く人口に膾炙し、1960年台の若者の反乱の時代における思想的バックボーンとなったのがサルトルである。作中で彼は、実存主義について、「いまここに存在する自分にスポットを当て”生きている意味・人生のあり方を追求する思想”」(213頁)と端的に解説してくれている。

 その上で以下のような例示を出して、人間観の説明を行ってくれている。

「ああそうだ。それが先ほど話した”実存は本質に先立つ”といった意味だ。
 道具は、理由あって、存在する。つまり、本質あって、実存するのだ。
 しかし人間は違う。
 理由があらかじめ用意されていて、存在しているのではない。まず、生きている、存在しているという事実があるのだ。
 つまり理由が用意されていなくても、存在しているのが人間なのだ」(211頁)

 キルケゴールに近い雰囲気がするのは、実存主義を継承しているというからであろうか。ただし、有神論者であったキルケゴールに対して、神に対する存在に対して力が抜けているためか、現実を起点としたよりリアリティのある考え方のように思える。それは、将来に対してキルケゴールが不安を意識していたのに対して、投企という概念を用いて淡々と述べている以下の箇所にも現れていそうだ。

「未来の可能性に向かって、自分を構築していく、といった意味だ。
 人は自分がつくりあげる以外の何ものでもなく、どのように自分をつくることも出来る。
 逆に言えば、人は何ものでもない状態で、この世に生をうける。
 そして生きていく中で自分が何ものになるかは、自分でつくり上げていくほかないのだ。
 自分がどのように生きてもいいし、何を選択してもいい。人間は基本的には自由だ」(220頁)

 神ありきで発想したキルケゴールのような不安や、神を否定しようとしたニーチェのような力の入った議論ではないからか、すっと頭に入ってくるような感じがする。自分自身の実存を発想の起点にする以上、他人の捉え方も自身にフィードバックされるものとなる。

 自由な存在である他人に対して、私たちが出来ることはまなざしを向け返すこと、つまり他人を対象化することによって、主体性を、自分の世界を取り戻すことくらいしか出来ない。(242頁)

 人間という存在そのものを実在するものとして重視するサルトルの人間観はどこかサバサバとしているようだ。しかし、他者からのまなざしの影響を論じた見田宗介の『まなざしの地獄』に明らかなように、日本社会はとかく世間体や評判といった他社からのまなざしを気にする傾向がある。そうした社会においては特に、「まなざしを向け返す」という主体的な行為によって主体性を取り戻すことが求められるのかもしれない。

<ハイデガー>

 ハイデガーが提起する問題は、死という時間軸の設定であり、私たちの有限性に目が向けられる。「死をもって生を見つめた場合に、人は代わりがきかない存在」(277頁)であるとして、死という有限性によって私たちの個としての生に意味が見出される。具体的かつ丁寧に説明された以下の箇所を併せてお読みいただきたい。

 自分が死んでしまうと、周りのあらゆる人を含めた世界ごと消滅します。他人が亡くなると、それまでいた人が亡くなるという喪失感を味わいますよね。しかし自分に起こる死は、喪失感を味わうことも出来ないのです。いわば”喪失感を味わえない喪失”です(277頁)

 さらには、死によって私たちの生の可能性としての将来性に思い至ることができるとしている。月並みな例ではあるが、体調を崩して入院していると、当たり前のように生きていることに価値を見出したり、元気であれば本来は何がしたいかという潜在的な価値観への気づきことがあるだろう。

 目先のことや毎日に溺れてしまうのではなく、自分の命の有限性を自覚して、未来から逆算して、自分をつくっていくのです。死んでしまうという事実があるからこそ、いまを見つめ直すのです。(中略)
 死があるからこそ、私たちは本来性に気づくことが出来る(296頁)

<ヤスパース>

 物語の最後に少しだけ顔を出すのがヤスパースであり、あまり細かな考え方についてまでは理解できなかった。しかし、これまでに登場した哲学者たちが自分自身に焦点を起き、他者との関係性について述べていなかったのに対して、ヤスパースは他者との相互交渉に示唆を与えてくれる。

「他人については、自分の思いどおりにならないことも多いし、自分が求めている距離感と相手の求めている距離感が違うと、寂しくなったり、逆に面倒くさく思ったりすることもあるけれど、自己主義に考えるんじゃなくて、共存を前提に腹をわって自分を開示することが大切なんじゃないでしょうか。
 まさに”愛しながらの闘争”です。他人を拒絶して独りよがりの考えだけに目を向けるか、誰かと真理を探究し合うか」(330頁)

<その他> 

 本作の最後の言葉もまた、いい。様々な哲学者とのやりとりを通じて、現実で直面する課題に対して何を考え、どのように対処するかを考え続けた結果として至ったアリサの心境の独白である。

 未来はまだ決まっていない。
 人生の中で悲しみが何度も降りかかったとしても、それを受け入れて超えて行く。心からそう思えるようになるまでには時間がかかるかもしれないが、もう一度リピート再生したいと思えるような一生を送れるように、人生と誠実に向き合っていくためには、悲しみを悲しみのまま終わらすのではなく、乗り越えて生きていきたい。
 人生の意味は、自分にしか見つけることができない。私はいつもスタート地点に立っているのだ。それはいまも、そしてこれからも。(359頁)

【第367回】『超訳 ニーチェの言葉』(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ、白取春彦訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010年)
【第308回】『ツァラトゥストラはこう言った(上)』(ニーチェ、氷上英廣訳、岩波書店、1967年)
【第309回】『ツァラトゥストラはこう言った(下)』(ニーチェ、氷上英廣訳、岩波書店、1970年)
【第891回】『誰にもわかるハイデガー』(筒井康隆、河出書房新社、2018年)
【第525回】『嘔吐』(J・P・サルトル、鈴木道彦訳、人文書院、2010年)