2018年12月2日日曜日

【第909回】『武田信玄 火の巻』(新田次郎、文藝春秋、2005年)


 信玄を支え続けた弟・信繁と山本勘助とを川中島の大合戦で同時の失った信玄が、どのように甲斐・信濃を守りながら上洛へ進もうとするのか。重要な戦力を失いながらも新たに台頭する若者たちの活躍に信玄の領土経営の素晴らしさをみるとともに、暗愚な嫡男を取り巻く泥々としたドラマにもリアリティがある。

 信玄は、かねてから大隈朝秀が有能なる人物だと見込んで登用する機会を待っていたのである。信玄は、機会をたくみに利用した。越後の住人であれ、信濃の住人であれ、上州の住人であれ、手柄さえ立てれば取り立てるということを家臣たちに示したのである。(158頁)

 抜擢人事のアナロジーとして興味深い。どのような背景の人物でも評価され得るということは正論ではあるが、いつ・どのように抜擢するかは難しい。ともすると公正な人事ではなく依怙贔屓のように捉えられ、抜擢された側も力を発揮しづらくなり、組織マネジメントも機能しなくなりかねない。

 抜擢しようとする人物を見定めておき、適切なタイミングで昇進・昇格させること。人事マネジメントとして意識したいものである。

「あきらめるというのは捨てることではない。どうでもいいと投げ出してしまうことでは決してない。俗体の世をあきらめるということは、俗体の世に起きたことに、こだわっていてはならないということである。俗体の世から離れるときには、俗体の世のことは考えずに、新しい世界のことだけを考えていればよいのである。俗体のよは俗体にまかせてやろう、いっさいはもう自分とはかかわりのないことだと思うようになったときが悟りである……」(194~195頁)

 嫡男・武田義信の最期のシーンで、上のような法話を受けて亡くなっている。義信が招く武田家の内紛や、戦いにおける戦略眼のなさは読んでいると辟易としてくる。しかし、最期にこのような法話をさし挟むことで、著者の義信に対する優しさが、ひいてはその父・信玄の子に対する優しさが出てくるようで面白い。

【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)
【第814回】『孤高の人(上)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第816回】『孤高の人(下)』(新田次郎、新潮社、1973年)

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