2018年9月30日日曜日

【第889回】『村上海賊の娘(三)』(和田竜、新潮社、2016年)


 戦働きという偶像に憧れていた主人公が、第二巻における自家の存続を賭けて争う戦場での命のやり取りを目の当たりにして自身の甘さに気づかされ、思い悩む。それまでの冒険活劇やリーダーシップの物語から一転して落ち着いたトーンで展開される。

 姉は自分と違い、戦に出たがっていた。それがいまや、「戦船に女を乗る事堅く可禁」という軍書の条文ではなく、自らに資質がないと思い知らされることで道が閉ざされた。だとするならば、その失望は深いものにならざるを得ない。(83頁)

 弟から見た姉の様子がもの哀しさがよく表れていて、読んでいていたたまれない気持ちに吊り込まれる。

 しかし束の間の平穏な生活を送る中で、再び戦場に向かうことを決意する主人公。一向宗徒の老爺を助けられなかった過去の自身への失望から、将来において救いたい存在へと焦点を変えることで自身の想念に静かに気づく。

「瀬戸内を出たとき、あいつらは極楽往生がすでに決まっていると信じていた。それでも、弥陀の御恩に報いるために、行かぬでもいい戦に行って命を捧げたんだ。戦場では退けば地獄だと脅され、話が違うと知っても、あいつらは仏の恩義を忘れようとはしなかった。オレは見事だと思った。立派だと思った。オレはそういう立派な奴らを助けてやりたい。オレはあいつらのために戦ってやりたい」(243頁)

 主人公による、死と再生の物語となり、最終の第四巻へと物語は続く。

【第384回】『国盗り物語(一)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)
【第385回】『国盗り物語(二)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)
【第386回】『国盗り物語(三)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)
【第387回】『国盗り物語(四)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)

2018年9月29日土曜日

【第888回】『日本のいちばん長い日 決定版』(半藤一利、文藝春秋社、2006年)


 1945年8月14日から15日にかけての、終戦をめぐる日本の権力中枢機構における意思決定過程に焦点を当てたノンフィクション。著者が丹念に調べた事実を基にして、迫真のドラマが紙上に展開される。とりわけ、陸軍の近衛師団の一部によるクーデター未遂の場面は、息が詰まるような思いで、読んでいるこちらにも緊張感が伝わるようだ。

 重大問題には閣僚に飽きるほど機会をあたえ思いのこりのないまでに発言させ、自分は意見をいわず聞えるのか聞えないのか耳を傾けている。そうやって最後のときと感じられるまでじっと堪えている。疾風怒濤の分秒にあって、春風駘蕩の、別の眼でみれば一本土性骨のとおった首相のあり方こそ、よく大任をはたすに最適であったのです。(136~137頁)

 本書を通じて、鈴木貫太郎の春風駘蕩型のリーダーシップとでも言えそうな首相のありようには感服させられる。あの戦争を終えるという意思決定には、生命のリスクがあり、実際に鈴木の暗殺を画策するテロ未遂の様子も描かれている。

 自らイニシアティヴをとって大きな決断をするためには独断専行型のリーダーシップが想起されやすい。政治の世界で言えば、田中角栄や小泉純一郎のようなリーダーが典型的な例であろう。しかし、本書で描かれる鈴木のリーダーシップから私たちが学ばぶものは多いのではないだろうか。

 日本中に待つだけの時間がおとずれた。児玉、厚木の両基地でも、搭乗員、整備員らがすべて集められ、正午の放送を待っていた。滑走路のコンクリートが照りつける陽光を反射して、むれかえるようである。児玉基地の野中少将は熊谷市が劫火につつまれるのを眼のあたりにして、自分たちの努力のなお足らざるに歯ぎしりし、それゆえに、今日の放送はいっそうの奮励努力を天皇がいわれるのであろうと考えていた。(332頁)

 玉音放送直前の静謐な様子が端的に表されている。読んでいるこちらも襟を正し、固唾を吞むような気持ちになってくる。

 このような瞬間が、今後、私たちの身の回りに起こらないように、努力し続ける必要があるだろう。それこそが、歴史を学ぶ意義の大きな一つではないだろうか。

【第866回】『ノモンハンの夏』(半藤一利、文藝春秋社、2001年)
【第46回】『昭和史1926−1945』(半藤一利、平凡社、2009年)
【第47回】『昭和史1945−1989』(半藤一利、平凡社、2009年)

2018年9月24日月曜日

【第887回】『村上海賊の娘(二)』(和田竜、新潮社、2016年)


 一巻ではコメディに近い作品かと思っていたが、二巻に入ると、大坂本願寺と織田軍との手に汗握る戦闘へと場面が展開される。闘いの中で描かれるのは、闘いの前日までは酒宴などで明るく快活な描写の多かった海賊の頭領たちのリーダーシップである。

 同じ泉州の者が窮地に陥れば、形振り構わず加勢に向かうのが、触頭たる者の第一の心得である。この心意気があってこそ、目下の者は頼もしく思い、守り立ててもくれるのだ。(226頁)

 泉州地域における覇権争いをしている家同士であっても、同じ織田軍の中で何れかが劣勢に立つと自ずとサポートをし合っている。飾らない自然体でリーダーシップを発揮していることが、部下たちのフォロワーシップを強化している様がきれいに描かれている。

 酒宴で泉州侍を思いのままに引き回し、木津砦では巨大な銛で我を救い、一万余の軍勢に敢然と立ち向かっては、同じ泉州侍の卑劣なやり口をも笑い飛ばす。
 そんな泉州侍の粋を集めたかのような男が自分を認めた。泉州侍の全部がそっぽを向こうとも、この大男だけは自分を知っている。(267頁)

 さらには頭領同士が、最初は反目し合っていたにも関わらず、闘いの中でお互いを認め合う様もまたいい。リーダーはリーダーを知り、お互いのリーダーシップの発揮に良い影響を与え合うものなのであろう。

【第384回】『国盗り物語(一)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)
【第385回】『国盗り物語(二)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)
【第386回】『国盗り物語(三)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)
【第387回】『国盗り物語(四)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)

2018年9月23日日曜日

【第886回】『村上海賊の娘(一)』(和田竜、新潮社、2016年)


 スピーディーな展開で一気に引き込まれる。歴史小説でありながら、現代小説を読むようなイキイキとした感じがする。カラフルな情景が思い浮かび、登場人物の息遣いが聞こえてきそうな作品である。

 小説でありながらも、歴史に関する洞察にハッとさせられる部分もある。たとえば、当時の百姓たちがなぜ一向宗を拠り所とするようになったのか。

 源爺は百姓である。
 戦時には兵として徴発され、平時には年貢と労役を強要された。留吉の父母である息子夫婦もその過酷な生活の中で死んだ。源爺にとって、活きるとは望みを捨てることであった。この爺が望みを後生に託すべく一向宗に傾いたのも無理からぬことである。(273頁)

 月並みな表現となるが、自力で人生を豊かにし生きていける力がないと思った時に、人は、宗教へと誘われるであろう。そうした人々を断罪するのではなく、そのような人々を多く生み出している社会の側の責務に、私たちは目を向けるべきなのかもしれない。

 海賊衆は陸の武士とは異なるしきたりの中で生きている。それは織田家が勃興する遥か以前からの習わし出会った。その前では、天下を窺う信長でさえ無力と言えた。(331頁

 海賊にはなんとなく野蛮なイメージがつきまとう。しかし、仁義を大事にし、新しい文化に柔軟で、粋な生き方を好む人々であった。現代のダイバーシティーを先んじて実践していたかのような存在にも思えてくる。続巻が楽しみな第一巻であった。

【第384回】『国盗り物語(一)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)
【第385回】『国盗り物語(二)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)
【第386回】『国盗り物語(三)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)
【第387回】『国盗り物語(四)』(司馬遼太郎、新潮社、1971年)

2018年9月22日土曜日

【第885回】『漱石先生ぞな、もし』(半藤一利、文藝春秋社、1996年)


 夏目漱石の義孫であり近現代史を扱った評論の多い著者が、漱石の作品やその背景について「歴史探偵」として迫った作品。著者の歴史評論の鋭さを基にして、漱石好きには堪らない細かな推理が展開される。

 著者がなぜ漱石を改めて紐解こうとしたのか。それは単に漱石について調べるというよりも、漱石が生きた時代考察を進める過程で半ば副産物として出てきたようだ。

 漱石の作家としての出発となった『我輩は猫である』の一章が発表されたのは、旅順陥落と前後する明治三十八年一月、そしてその死は大正五年十二月九日である。漱石は、わたくしのいう「転回点」の時期をそっくり小説家として生きた人であった。時代とのかかわりにおいて、これ以上に恰好の明治人はいないではないか、とばかりに、ほんとうに久しぶりに「漱石」のページをつぎつぎにくることとなった。(296頁)

 昭和史を研究していくと明治維新にまで遡行すると著者は述べ、明治を生きた夏目漱石の作品に着目したという。その上で漱石の講演を基に歴史を学ぶ者が陥りやすい過ちを279頁で以下の四点に集約した。

(一)現在をすべての基準にして、歴史的価値を裁断してしまうこと。
(二)現在の必然ばかりを強調し、偶然性や想像性を捨て、複雑なことを一筋化してしまうこと。
(三)主義の名に固執し、異なった事象や変化を同一視してしまうこと。
(四)形式的な分類によってすべてを律してしまうこと。

 謙虚に歴史を学び、謙虚に歴史に学ぶことの重要性が指摘されている。耳が痛い部分もあるが、心して読みたい箇所だ。

 上に引用した歴史に関する考察の要諦は、漱石作品に関する考察にも反映されている。とりわけ『三四郎』に関する以下の分析が興味深い。

 はたして野々宮さんが真に恋のライバルなのかどうか、分明でないところに『三四郎』の面白さがある。それをはっきり示さずに、「野々宮」と呼び捨てにすることで三四郎の一方的な心理の焦りをだす。そんなところに、漱石の見事な小説作法があるように思うのであるが、どうであろう。まるっきりの誤診かな。(164頁)

 美禰子を巡り三四郎といわば三角関係にあった野々宮。著者のつぶさな分析によれば、野々宮宗八どの、野々宮宗八さん、野々宮さん、野々宮君、野々宮、という異なる呼称が、三四郎の気持ちの現れとして使い分けられているという仮説を立てている。

 三四郎の美禰子に対する気持ちを直接的に表現せず、呼称によって読者に無意識に想像させる。明治の文豪・夏目漱石の凄みに迫る、著者の考察の凄みも感じさせる箇所ではないだろうか。

【第866回】『ノモンハンの夏』(半藤一利、文藝春秋社、2001年)
【第46回】『昭和史1926−1945』(半藤一利、平凡社、2009年)

2018年9月17日月曜日

【第884回】『クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方』(海老原嗣生、星海社、2017年)


 クランボルツ自体の著作は決して読みづらいものではない。しかし、旧来のジョブマッチング的なキャリア論と異なるために理解が難しく、また誤解しやすい部分もあるようだ。本書は、例示が豊富でかつ考え方のエッセンスに焦点を絞って解説しているため入門書として最適だ。

 クランボルツは、提唱するPlanned Happenstance Theoryのポイントを、好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心の五つにまとめている。この五つを順序立てて、好奇心(面白い)→冒険(やってみよう)→楽観(大丈夫)→持続(納得いくまで)→柔軟(テングにならない)という流れに仕立て直している点(46頁)は興味深い。

 では、タイトルにも謳われている「夢のあきらめ方」とは何か。

 「あきらめる」をgive upとして否定的に捉えるとクランボルツの理論を誤解することにつながる。クランボルツのいう「あきらめる」は、よく言われるように、仏教用語の「明らかに見極める」として捉えるべきであろう。

 この表現をさらに咀嚼して、夢はしっかりと代謝するべきであると述べ、その要諦を、上述した五つのポイントと絡めて以下の三つにまとめている。

①まず踏み出すこと。踏み出すというのは、冒険心や好奇心や楽観性が必要です。
②そして一から始める。これは柔軟性が必要です。
③そして、続けること。これは持続性ですね。あっちこっちつまみ食いしたら、夢は葬れません。(92~93頁)

 この箇所は、クランボルツの理論を理解していると思っている方々にも響くのではないだろうか。なかなか言い得て妙なアナロジーであり、考えさせられるものである。
 
【第172回】『「働く居場所」の作り方』(花田光世、日本経済新聞出版社、2013年)
【第441回】改めて、キャリアについて考える。

2018年9月16日日曜日

【第883回】『あの戦争と日本人』(半藤一利、文藝春秋社、2013年)


 唯一の「正しい」事実が積み重なって「正しい」歴史が創られるという考え方は虚構に過ぎない。

 卑近な例ではあるが、私の小学生時代には、源頼朝が征夷大将軍に任じられた1192年に鎌倉幕府が開かれたと教科書で学んだ。「いい国作ろう鎌倉幕府」という語呂合わせを覚えている方も多いだろう。しかし、現在では諸国に守護・地頭の設置を後白河法皇から認められた1185年が鎌倉幕府成立年としてほとんどの教科書で記述されていると聞く。

 さらには、1185年を鎌倉幕府の成立年としているのは現時点での最有力説にすぎず、他にも諸説ある。誤解を恐れずに言えば、歴史的事実とは複数存在するものであり、その時代における権力機構が正史として同定したものが、もっともらしい「歴史」として存在するにすぎない。

 では、歴史家の人々は何を持って歴史を語っているのか。どのようなスタンスで歴史を論じているのか。さらには、私たちはそうした歴史の著作から何をどのように学べるのか。

 わたくしが安吾さんから教わったのは、歴史はどういうふうに読めばいいのかということ。ある一つの事実があっても、その事実がすべてではないんですね。必ずそれに反対するような史実が出てくるに違いない。史料が隠されているに違いない。出てきたときには両方を並べてみて、その間はどうやったらつながるのか、よおく考えてみろ……。まずは常識的な、合理的なものの見方を中心として考え、そしてあとは推理を働かせるんだ……。要するに探偵をしろというんです。歴史探偵はここから始まりました(笑)。(20~21頁)

 歴史とは、反証可能性に開かれた仮説に基づいて述べられるべきものなのではないか。徒に凝り固まった捉え方で歴史を述べようとすることは、その基づく内容がどのようなものであれ、独善的なものになりがちだ。歯切れがよく、思想傾向の近い人々には受け入れられても、開かれた対話には繋がらず、考えを深めたり、他者の気づきを促すきっかけにはならない。

 そうではなく、謙虚に事実と向き合い、対立する事象をじっくりと観察し、耳を傾けること。そうすることで、仮説を紡ぎ出し、対話によって理解を深めたり、対立する考え方を持つ人々同士とがすり合わせる機会を見出すことができるのではないだろうか。

【第866回】『ノモンハンの夏』(半藤一利、文藝春秋社、2001年)
【第46回】『昭和史1926−1945』(半藤一利、平凡社、2009年)
【第47回】『昭和史1945−1989』(半藤一利、平凡社、2009年)
【第163回】『幕末史』(半藤一利、新潮社、2012年)

2018年9月15日土曜日

【第882回】『桜田門外ノ変(下)』(吉村昭、新潮社、1995年)


 桜田門外ノ変を現場で指揮した関鉄之介に焦点を当てて描かれた本作。変事に至るまでの緊張感の高まる描写も凄いが、暗殺を完遂したのちの行動に多くのページが割かれている。

 本書を読むまでは、桜田門外ノ変は、井伊直弼を殺害するという水戸浪士の怨恨的な目的による事変であったと認識していた。しかし本書によれば、大老を除いた後に朝廷を擁護して官軍として倒幕活動を行うことが大目的であったという。桜田門外ノ変において薩摩藩士が参加していたことからも納得的である。

 しかしながら、事前の計画通りにいかないのが世の常なのであろうか、はたまた計画が杜撰だったからであろうか。井伊直弼の暗殺とともに朝廷を守護するべく兵を上京させると約していた諸藩は動かなかった。鉄之介が事変後に訪れた諸藩での対応にはもの哀しさすら感じられる。

 さらには、脱藩したとはいえ心の拠り所である水戸藩の、事変の関与者に対する対応もまた、凄まじい。

 水戸では、斉昭が藩士に軽はずみな行動に出ることをきびしく禁じたが、会沢正志斎は、大老暗殺を決行した水戸脱藩士たちの行為に激怒していた。
 ことに、総指揮をとった高橋と金子への怒りはきびしく、斉昭に上書して、藩政改革に反対した門閥派の谷田部藤七郎兄弟よりもその害は百倍も重い、と記した。(154頁)

 桜田門外ノ変を起こした水戸藩の改革派にとって、尊崇の対象は藩主斉昭であり、思想的なバックボーンは藩校の教授頭取であった会沢正志斎であった。その両者から、この事変が否定されたのである。改革派にとっては織り込み済みなのかもしれないが、心情的にはどうだったのだろうか。

 それでも、斉昭の存在は鉄之介にとって大きかったようだ。

 かれは、自分の半生が斉昭のためにあったのだ、と常々思っていた。自分だけにとどまらず水戸藩の同志たちは、斉昭の栄誉を維持するために心身を捧げ、桜田事変も斉昭を執拗におとしめた井伊直弼に対する報復であった。そのため多くの同志が命を断ち、捕われ、自分も追われる身ににあっている。
 もしも、斉昭という存在がこの世になければ、自分は下級藩士として妻子とともに水戸城下で安穏にすごし、ささやかな出世を願って勤務にはげんでいただろう。
 斉昭は、自分が生きる意味そのものであり、その死によって心の支えが音を立ててくずれるのを感じた。(291頁)

 逃亡先で、斉昭の訃報に触れた際の鉄之介の述懐である。著者によるフィクションであるとはいえ、読んでいてもの悲しくなるシーンだ。

 ただ、怖いと感じるのは、あとがきで著者が触れているように、桜田門外ノ変は二・二六事件と近い点である。過剰な精神論、一方的な天皇への忠誠、それらを阻害していると認識する権力者の殺害計画、事後の計画の杜撰さ。物語を読み進めると鉄之介や改革派に同情してしまいがちだが、一歩引いて捉えることもまた、重要なのかもしれない。

【第881回】『桜田門外ノ変(上)』(吉村昭、新潮社、1995年)
【第871回】『漂流』(吉村昭、新潮社、1980年)

2018年9月9日日曜日

【第881回】『桜田門外ノ変(上)』(吉村昭、新潮社、1995年)


 江戸末期、なぜ、徳川御三家と呼ばれた水戸藩が幕府と対立することになったのか。尊王攘夷思想がその大きな思想的なバックボーンとしながら、本書ではそれに付随する要素が詳らかに解説されている。さながら、小説を読みながら、幕末史の一端を学べる一石二鳥の良書だ。

 まず水戸藩がいかにして急進的な尊王攘夷思想の運動に傾注していったのか。背景には、藩内で元々の家格の高かった門閥派と呼ばれる家臣団と、改革派との対立がある。両派の対立が本格的に生じたのは、第八代藩主斉脩の後継問題が起った時からはじまったとされている。思想的な対立が、後継者問題によって先鋭化するのは、後述する将軍継嗣問題と同じである。

 第九代藩主となった徳川斉昭は藩政改革を行い、藩を代表する学者であり尊王攘夷思想家であった藤田幽谷・東湖父子の教えを受けた門下生を中心とする改革派によって支持された。反対に言えば、斉昭は、門閥派が藩の要職を占めていた藩政を、改革派の支援によって改革しようとしたと言える。

 しかし、異国船の増加に頭を悩ませる幕府に対する斉昭の過度な藩政改革の一部が、幕府側の反発を招き、1844年に藩主退任と謹慎処分が下される。具体的には、改革の一つとして、増加する寺院と僧侶により領内の経済と領民の生活が重い負担を強いられる傾向にあったことが挙げられる。斉昭は、仏教を排除し、代わりに尊王の背景にある神道を重視した。この宗教改革が、幕府の許しも請わずに行われたことを門閥派が幕府に訴え、幕府の力を借りて門閥派が改革派の首謀である斉昭に一矢報いたのである。

 内政は外交に通じる。藩内政治は、幕府政治と影響するが、幕府政治は諸外国との外交に影響を受ける。斉昭の謹慎は、増加する異国船への対応という外交政策によって、解かれることになった。

 阿部は、早くから斉昭の国防論に共鳴していて、斉昭の力をかりて異国船対策に取りくもうとする気持が強かった。斉昭は、初めの頃は異国船を容赦なく打ちはらうべきだと主張していたが、日本の軍事力が外国とは比較にならぬほど劣弱であることから、軍備の強化を先決とし、それがととのってから決戦の覚悟をすべきであるという考えに変っていた。それは、かれが熱心に外国事情を研究した末の結論で、藤田東湖、会沢正志斎ら改革派のすぐれた学者の意見をいれたものでもあった。(32頁)

 老中阿部正弘の外交政策ブレインとして斉昭は幕政の中心に返り咲いた。しかし、ペリー来航ののちにハリスが来日し条約締結を迫るのと時を同じくして、阿部が病死した頃から、斉昭は幕府の権力中枢で孤立する。

 さらには水戸藩士によるハリス暗殺未遂事件が表面化したことで、幕府による水戸藩に対する警戒感は強まった。過激な攘夷思想による排外主義的な行動をとるというレッテルが貼られたのである。

 水戸藩を幕府と対立させた決定打は、条約締結問題と絡んで生じた将軍継嗣問題だ。実の息子である一橋慶喜を推す斉昭は、越前・薩摩・宇和島・土佐の諸藩主と連携しながらも、徳川慶福を推す紀州派との暗闘に敗れる。その紀州派の中心にいた井伊直弼に、水戸藩が目をつけられたのは、政治に敗れ、かつ江戸から近い距離にあったことから致し方なかったのかもしれない。

 こうして、尊王攘夷思想と相容れない外交感を持ち、水戸を苦しめる安政の大獄の首謀者である井伊直弼に対して、水戸藩の藩士が恨みを抱く要素が十二分に用意される。憎い存在である井伊直弼の暗殺に向けた藩士たちの各藩への奔走が描かれ、下巻の桜田門外ノ変の実行へと続く。

【第871回】『漂流』(吉村昭、新潮社、1980年)

2018年9月8日土曜日

【第880回】『バッテリーⅥ』(あさのあつこ、角川書店、2007年)


 十数年前に初めて本シリーズを読んだ時、才能に溢れる天才投手・原田巧にとにかく魅了された。彼の人間的な成長のプロセスに興味を抱きながらも、脆さをもカバーして余りある圧倒的で傲慢な才能が好きだった。

 投手とは、孤高で絶対的な存在だ。相手に一点も与えなければ少なくとも引き分けられ、自身で本塁打を打てばその試合に勝てる。野球というゲームを自律的に支配し得る唯一無二の特権的な役割である。

 2016年7月3日に、大谷翔平投手がソフトバンク戦で一番打者として、初回の初球を本塁打し、投げては八回を零封した試合。投手を経験していればお分かりの通り、あの形は、少年時代に思い描く理想の一つであると首肯していただけると思う。

 しかし、である。

 今回読み直して驚いたのは、原田巧を取り巻く登場人物のバラエティの豊かさであり、それぞれの多様な魅力である。この最終巻では、多くの登場人物が一人称で物語り、その全てに感情移入させられた。

 その意味では、クライマックスの一歩手前で終える最後のシーンは、最初に読んだときは拍子抜けであったが、今回は余韻を残す素晴らしい終わり方であった。また読み直したい。

【第875回】『バッテリー』(あさのあつこ、角川書店、2003年)
【第876回】『バッテリーⅡ』(あさのあつこ、角川書店、2004年)
【第877回】『バッテリーⅢ』(あさのあつこ、角川書店、2004年)
【第878回】『バッテリーⅣ』(あさのあつこ、角川書店、2005年)
【第879回】『バッテリーⅤ』(あさのあつこ、角川書店、2006年)

2018年9月7日金曜日

【第879回】『バッテリーⅤ』(あさのあつこ、角川書店、2006年)


 出てくる登場人物が、いずれも葛藤を抱えている。中学生で葛藤を深刻に感じるものだろうかと当初は思っていたが、いわゆる反抗期と呼ばれる現象は、高まる葛藤をコントロールできないがゆえの事象であろう。

 さらに言えば、葛藤を抱えていない人間などいるのであろうか。誰もがなんらかの葛藤を抱いているために、「バッテリー」のシリーズで描かれる多種多様な登場人物がもがき苦しむ情況に共感できるのではないだろうか。

 何ができるのか、何ができないのか、それを知った上で、おまえは野球を選ぼうとしているのか。(153頁)

 野球に対してだけ、それも投手という存在にだけ集中してきた巧が、祖父から投げかけられた言葉を反芻するシーンである。最終的に選ぶものは変わらなくとも、選び取るプロセスの中で視野を拡げてみることで、選ぶ対象の捉え方は変わる。潜在的な自身の価値観への気づきにより、人間としての幅も拡がるのかもしれない。

 幻ではない。街も自分も確かにここにある。深々と空気を吸い込んで、巧は、再び走り出すために、街の風景に背を向けた。(226頁)

 「バッテリー」はモノローグがすごいなと感じてきた。しかし、三人称で書かれた五巻の最後の一文もまた、すごい。

【第420回】『一瞬の風になれ 第一部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第422回】『一瞬の風になれ 第二部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第423回】『一瞬の風になれ 第三部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)

2018年9月6日木曜日

【第878回】『バッテリーⅣ』(あさのあつこ、角川書店、2005年)


 四巻まで読み直して、ようやく気づいたことがある。

 一人称として描かれる主体が、主人公の巧や豪だけではなく、野球部の主将、対戦相手校の四番打者と五番打者までもが登場するのである。村上春樹が描くような、異なる人物のストーリーが一つに集約する展開ではなく、同じ情景の連続の中で主語が変わるのである。それは、漱石の『明暗』を彷彿とさせる。

 『明暗』では、一人称での語りは主人公の夫妻のみであったが、「バッテリー」ではそれ以上の人数である。彼らが一人称で語って違和感がないのは、キャラ設定の凄みであろう。

 それぞれに考え、悩み、葛藤を抱える姿が美しい。以下では、永倉豪に焦点を当ててみたい。

 自分に向き合うことが一番、しんどい。向かい合わなくてすむのなら、自分の限界や弱さから、目を背けることができるのなら、幸せだと思う。(187頁)

 横手との対戦で自分自身の限界に直面し、狼狽して試合を壊しかけてしまったことから、立ち直れない。悩み、苦しんできたからこそ、こうした感情が出てくるのであろう。

 なんの前触れもなく、胸が騒いだ。自分の限界を見てみたい。ここまでだと自分の力を見切った、その先に行って見たい。超えてみたい。諦めて、誰かが敷いてくれた安全な道を行くのではなく、誰も知らない、教えてくれることのできない未来に自分を導いてみたい。未踏の地へと……。(201頁)

 苦悩からここまで至るにはどれほどの葛藤があったのだろうかと想像してしまう。

【第420回】『一瞬の風になれ 第一部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第422回】『一瞬の風になれ 第二部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第423回】『一瞬の風になれ 第三部』(佐藤多佳子、講談社、2006年

2018年9月5日水曜日

【第877回】『バッテリーⅢ』(あさのあつこ、角川書店、2004年)


 以前は主人公・巧を中心に読んでしまったが、読み直してみると、各登場人物のキャラが立っていることに気づかされた。様々な人物に寄り添いながら物語を読み進められるという点も、本シリーズの魅力の一つなのであろう。

 たとえば、先輩部員による後輩部員へのイジメに近いシーンがある。以前読んだ際には、その先輩部員に対して気持ち悪さしか感じなかった。しかし、理解しようと思えば理解できる部分もあり、それを足がかりにするとその人物の苦しさや葛藤を切実なものとして感じられる。

 とはいえ、やはり物語の中心にいるのは巧である。

 自分の中にあった様々なものが、潮が引くように消えていく。焦りも苛立ちも不安も嫌悪も、希望や野球への渇望さえも、するすると消えていく。(42頁)

 ボールを本気で投げることだけに集中できるというのはどのような気持ちなのだろうか。自分だったら、もっと他の要素にも意識がいってしまう。チームメイトや対戦相手、また試合展開や結果も重要な要素であり、引用箇所にあるように野球への気持ちまでもが消えてただボールに意識がいくというのは考えられない。反対に言えば、巧の特異な才能や性格は、こうした箇所できれいに表現されている。

 豪を信じていないわけじゃない。自分にとって、キャッチャーは豪ひとりだけだ。ただ、あのとき、豪の指先が震えていたのだ。ボールを落とすほどに震えていた。捕れないんじゃないか。ちらっと思った。確かに思った。そして、豪に自分の球を受け損ねてほしくなかった。豪のミットにボールが収まる。小気味よい音がする。豪が満足気に笑う。あの呼吸を乱したくなかった。不安げな豪の顔を見たくなかったのだ。(218頁)

 巧は、自身の投球に全ての重点を置いているようで、必ずしもそうではない。自身の感覚では投球だけに集中しているようでいて、現実的には捕手である豪への意識もあるからこそ、自身にブレが生じる。そのブレの正体を自覚できていないために、投球に影響が出る。中学一年生としての巧が、人間として成長する様を読むのも心地よい。

【第420回】『一瞬の風になれ 第一部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第422回】『一瞬の風になれ 第二部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第423回】『一瞬の風になれ 第三部』(佐藤多佳子、講談社、2006年

2018年9月4日火曜日

【第876回】『バッテリーⅡ』(あさのあつこ、角川書店、2004年)


 圧倒的な才能を持った投手と、それを受け容れる捕手がいる。それでも一筋縄でいかないところが「バッテリー」の素晴らしさなのであろう。

 学校、教師、親、先輩などといった面倒な存在に嫌気がしながらも、それでも自分自身を信じて、不器用ではありながらも前に進む主人公。自分を貫く一方で、大事な仲間との反発や感情的な対立を葛藤しながら乗り越えていく内面描写がすごい。

 自分でもよくわからなかった。けれど、昨夜、確信したのだ。昨夜、豪は巧を信じると言ったのだ。とことん自分を信じてくれる人間がいるのなら、なんでもできるじゃないか。心底、思った。それを豪に伝えたい。けれど、どう言えばいいのか巧にはわからなかった。(257頁)

 まっすぐな人ほど、自分自身の気持ちをそのまま表す言葉を紡ぎ出すことが難しいのであろう。イチローは、言葉にこだわるために、インタビュアーに求めるレベルが非常に高いという。

 想いの強さを言葉に変換することは難しい。そして、それが理解されないと苛立つし悲しいし、うまく言語化できない自身に腹が立つ。

 たくさんの現実と折り合いながら、夢が叶うならそれでいいじゃないか。(200頁)

 豪のモノローグ。中学一年生でこの達観ぶりに驚くが、捕手というポジションは、試合展開を長いスパンで捉え、配球にストーリーを創り上げるため、自分をも客観視することができるのかもしれない。

【第420回】『一瞬の風になれ 第一部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第422回】『一瞬の風になれ 第二部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第423回】『一瞬の風になれ 第三部』(佐藤多佳子、講談社、2006年

2018年9月3日月曜日

【第875回】『バッテリー』(あさのあつこ、角川書店、2003年)


 はじめて夢中になって読んだ小説を十年以上ぶりに紐解いた。児童書とか青春小説といったような安易なジャンルづけを拒むような迫力。

 内面を他人に見せようとしない主人公の内面の描写。まっすぐな感情表現が清々しい。他方、他者との葛藤や葛藤を通じて気づきを得ていく主人公の様は読み応えがある。

 指示のままに全力をこめたボールを投げる。ほんとうに全力だった。自分の球を見せつけようとも、豪をたかがいなかのキャッチャーだとも思わなかった。自分の中にある力ぜんぶで、ボールを投げられる。そのことが嬉しかった。心の芯が熱を持ってリズムを打つ。そんな感情だった。(85頁)

 一つのものに集中する。それを自然に行える。才能とはこういったものなのだろう。

「おばさん、野球って、させてもらうもんじゃなくて、するもんですよ」(163頁)

 主人公の持つ類まれな才能は、私はどの分野でも有していない。しかし、この感覚はとてもよくわかる。

 おそらく、私たちは幼少時代から他者評価を気にしすぎるし、他者評価を前提としたシステムのなかに生きすぎている。私自身、中学生までは、学校の成績というものを気にして、テストの際に「勉強」をしていた。

 しかし、自分で学ぶことにコミットしてからはそうした感情はなくなった。他の方から時に「何のためにそんなに本を読むのか」とか「勉強し続けられてすごい」などと言われる。個人としては、読みたいから本を好きなだけ読むだけであり、学びたいことがあるからそれを深めたい感情にすぎない。

 主人公の野球に対する思いと、他者からの煩わしい発言に対する苛立ちが、少しわかるような気がする。

【第420回】『一瞬の風になれ 第一部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第422回】『一瞬の風になれ 第二部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第423回】『一瞬の風になれ 第三部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)

2018年9月2日日曜日

【第874回】『マラソンは毎日走っても完走できない』(小出義雄、KADOKAWA、2009年)


 先日のブログで取り上げた通り、基本的には『マラソンの強化書』に本書のエッセンスは記されている。同書では細かく触れられていない、個別具体的な内容で個人的に参考になった内容をメモとして以下に書き残しておきたい。

 まずは、負荷をかけるトレーニングの基本的な組み方について。

 ・1週間に少なくても1~2回は、負荷をかけた練習日を入れる。
 ・土曜日にそうした練習を入れたら、日曜日にはゆっくりでいいから少し長い距離を走る。
 ・そして、平日は月曜日にも走れるとなおいい。
 ・あとは、水曜日や木曜日にも少し走っておきたいーー。(70頁)

 上記が基本でありながら、レースに向けた練習スケジュールをガイドラインとして説明してくれているのもありがたい。たとえば、ハーフマラソン出場に向けての3ヶ月間の練習メニューは、週3日練習する場合は以下の通りである。

土曜:休み
日曜:90~120分。15~25km(徐々に距離を伸ばす。後半7~10kmはビルドアップ走)。
月曜:休み(もしくはジョギング)
火曜:60~70分。ビルドアップ走で10km。
水曜:休み
木曜:80~90分。15km(後半7kmはビルドアップ走)。
   35~40分。ジョギング10分+全力20分+ジョギング5~10分。
金曜:休み(117頁)

【第165回】『走ることについて語るときに僕の語ること』 (村上春樹、文藝春秋社、2007年)
【第782回】『職業としての小説家』(村上春樹、スイッチ・パブリッシング、2015年)

2018年9月1日土曜日

【第873回】『凍』(沢木耕太郎、新潮社、2008年)


 緊張感あふれる展開で一気呵成に読み進めた。結論の要点を予め知って読み始めていながらも、特に中盤から後半にかけては先が気になってしかたがなかった。ハイキングは好きだが、氷壁を登るような本格的なクライミングは怖くて挑戦したことがなく、よくわからない。したがって物語の中には私には分からない専門用語や情景が多く描かれるのだが、それが気にならないほど一気に読ませるのは著者の流石の力量である。

 なぜ雪山のような厳しい登山を目指す人がいるのか。「そこに山があるから」という名言も有名であるが、本書で扱われている山野井泰史は以下のような考えを持っていたと語られている。

 わからなさは、危険と隣り合わせだということでもある。しかし、同時に、自分の未知の力を引き出してくれる可能性もあるのだ。(21頁)

 未知にはリスクがあるが可能性もある。生命のリスクを賭して何かに打ち込むというのは私には考えづらいが、生命でなくともリスクを取ることを私たちは避けがちだ。しかし、リスクを恐れると自身の未知の多様な可能性を開発する機会を得られるチャレンジを喪失する可能性がある。それは短期的にはリスク回避行動であっても、中長期的にはリスクを負っているものである。

 このように考えれば、リスクが未知の力を引き出すという言葉にも納得できる部分があるのではないだろうか。何にリスクを賭けるかの対象選定が大事であり、そこにその人の価値観は現れるのであろう。

 この絶望的な状況の中でも、二人は神仏に助けを求めることはしなかった。ただひとつ、山野井は心の中で、この圧倒的な自然というものに対して呼びかけていたことがある。どうか小さな自分たちをここから叩き落とさないでほしい、と。(220頁)

 この部分には感銘を受けた。弱い人間であれば、困難に遭遇した時、かつその困難が外的な環境に因るものであれば、日頃は宗教を持たなくとも神仏にすがりたくなってしまうものではないか。少なくとも私はそうである。

 神仏にすがるのではなく、自然に対して呼びかけること。この表現はすごいと思う。

【第814回】『孤高の人(上)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第816回】『孤高の人(下)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)