2015年3月14日土曜日

【第422回】『一瞬の風になれ 第二部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)

 高校一年の秋までを収めた第一部から高校二年の秋までを描いた第二部。主人公の成長物語としても読めるし、チームというものについて考えさせられるテクストとしても読める。

「結局、自分のできることをせいいっぱいやるしかないって当り前の結論に落ちついたよ。一日、二日じゃない、毎日、毎日、三百六十五日だ。どんな日のどんな練習もおざなりにしない。どんな試合でもきちんと走る。毎日、ベスト更新だ。練習も試合も。気持ちだけはな。そうすれば、俺も選手として伸びるし、皆もついてきてくれるだろう。気まぐれな天才、一ノ瀬連でもだ」(119頁)

 代替わりに伴い、陸上部の部長を打診される主人公。自分と同等もしくはそれ以上に優秀で一癖も二癖もある他の部員たちをどのように束ねていくのかという不安に対して、先輩が語りかける言葉である。他者のことを心配したり、どのようにケアするかという他者視線も大事であろうが、このように自分自身がベストを尽くすというシンプルな主張に、私は深く納得する。自分が大事ということでもなく、他者が大事ということでもない。そした二者択一ではなく、自分を通じて他者を大事にするという両方を包含する考え方というものがあってもいいのではないだろうかと考えさせられる美しい文章である。

 部を少し離れてみて、わかった。俺にとって、走ることがどれほど大きなものになっているのか。走らない一日、一日が、どれほど無意味でくだらないものか。それなのに、いや、それだからこそ、今、俺は走れないでいる。たぶん、今、俺は自分をダメにしてしまいたがっている。それがどんなに無意味でも、どんなに馬鹿なことでも。(253~254頁)

 アスリートとして尊敬する兄の大怪我と、それに伴う兄弟間の関係性の亀裂によって思い煩い、部長であるにも関わらず部活に出られない主人公。ここまでの物語が順風満帆な成長軌道を描く展開であったのに対して、一転して暗い内面が描写されるシーンである。苦しい中で、しかも自分自身が起したものではない環境変化に対して、どのように感じ、そこでどのように日常を取り戻すか。苦しい中でこそ、自分自身を拓き、次の可能性を見出す姿勢というものは、個人にとっても、組織にとっても大事なことなのであろう。


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