なぜフェルメールの作品は「静けさ」を描けているのか。この問いに基づいて、著者の仮説を提示しているのが本作である。主に四つの点を指摘している。
伝統的経験的な認識と科学的な検証が矛盾なく青という色の性質を明かしていることになり、私たちが青という色に静けさや超越性を感じるのは、ただ単に個人的あるいは主観的な印象ではなく、普遍的な青の性質ということができそうなのである。すなわち、青は科学的客観的にも静謐の色なのだ。(31頁)
第一は青という色である。フェルメール・ブルーという言葉があるように、フェルメールと言えば青が特徴的である。この青という色自体が、印象面だけではなく、色彩心理学などを例示しながら科学的にも静謐さを示す色であると著者は主張する。
フェルメールの絵が他とは異なる「静謐」を湛えるのは、現実をひたすら尊重する伝統的な描き方に留まらず、現実を超えた独自の「絵画世界」への探求があればこそ、といういい方ができるだろう。(87頁)
第二の点は、現実をそのまま写実するという当時の描き方ではなく、自分自身の解釈に基づいて現実とは異なる独自の世界観を絵の中に表現しているという点である。フェルメール自身の内側にある、イデアとしての静けさを作品の中に表現することによって、現実よりも静謐な世界を現出させているのである。
フェルメールの静けさとは、成熟した大人の静けさである。無言のうちに人間味を感じさせ、賢く、謙虚なニュアンスを含んだ、奥行きのある静けさ。無機質で冷ややかな静けさではなく、人にやさしい静けさである。そんな質のある静けさがフェルメールの「静謐」なのだと思う。(112頁)
第三の特徴として、冷たさといった無機質なものではなく、静謐というどこか人間の温かみや穏やかさがフェルメールの作品に存在する点が指摘されている。派手やかさではなく、謙虚で慎ましやかな人物描写や光の描写が、フェルメールの静謐さを生み出しているようだ。
モチーフの削除は絵の物語性を希薄化させ、絵を「読む」手がかりを少なくしてる。その結果、フェルメール作品では絵の意味するところを探る以前に、そもそも絵が何かを物語っているのかどうかさえ判然としなくなり、いくつかの絵ではそれが寓意画なのかそうでないのか、専門家のあいだでも意見が分かれるといったことになってしまっている。(122頁)
最後の第四の点は、物語性の希薄化である。物語としての意味合いを持った絵画では、鑑賞者が物語の文脈に影響を受け、不必要な色合いが加味されてしまう。反対に、そうした物語性を削ぎ落すことで、作品自体の静けさが際立つことになったのではないか、と著者はしているのである。当時の主流は宗教画であったことに着目すれば、フェルメールの作品の新規性を理解することができるのではないだろうか。
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