2012年5月26日土曜日

【第85回】ラウール・ゴンザレス「無敵艦隊の悲運を背負った男」(小宮良之、文藝春秋社、2012年)


 最新号のNumber PLUSの吊り革広告の中で「ラウール・ゴンザレス「無敵艦隊の悲運を背負った男」」という文言を見たとき、タイトルの持つ力を改めて見せつけられた。それは、サッカーのスペイン代表に2000年頃から心を惹かれてきた人間にとって、胸に悲しく響くタイトルであり、読まずにはおけないものであった。

 2012年の現在、スペイン代表はその名の通り「無敵艦隊」と形容されても名前負けしない状態である。2008年にEUROを制し、また2010年にはW杯優勝を成し遂げたため、フットボールファン以外でもスペイン代表の強さは認識されているのではないだろうか。バルサのスタイルを踏襲した圧倒的なボール支配率を誇るポゼッション・サッカーは見た目にも美しく、その魅力的なボール回しもファンを増加させているのだろう。よろこばしいかぎりである。

 しかし2008年に至るまで、「無敵艦隊」はどの大会でも優勝候補と言われながら、自国開催以外では主要な国際大会で優勝していなかった。たとえばEURO2004。ややワーカホリックに働いていた新卒二年目の私の平均睡眠時間は4時間強であったが、それを削ってまでスペイン戦を観戦していた。ラウール、モリエンテスの2トップ、トップ下にバレロン、両サイドにビセンテとホアキン、守備陣にはエルゲラとプジョル、守護神にはカシージャス。このメンバーを擁して優勝候補と言われることは身贔屓の分を割り引いても当然であると思っていたところ、あろうことかグループリーグで敗退。

 W杯も同様だ。2002年には不可解な判定もあって韓国に足を掬われ、2006年もベスト16止まり。タレントは揃っていても勝てないと言われ続け、懸命に反論しようにも結果としてその通りであるため何も言えない忸怩たる想いを持ち続けてきた。一ファンとしてこうした雌伏の期間が長かったが故に、今のフル代表の栄華をより誇らしく思えるのであろう。これは、1985年以降「ダメ虎」と言われ続け、2003年に溜飲を下げた、前職の同期で阪神ファンのK君と相通ずる部分があるようだ。

 では、スペイン代表における2008年以前と以後とでの違いとはなにか。

 客観的に見られる事象としては、残念ながらラウール・ゴンザレスの有無であると言わざるを得ない。2006年までは、不動のストライカーとしてキャプテンを任され、「スペインの至宝」と言われたラウールがチームの中心。彼が代表を外れた2006年より以降が現在のチームである。前後の結果面でのコントラストがあまりに鮮明であるからこそ、2000年頃から2008年以前までのスペイン代表の悲運をラウールが背負っていたという表現は、胸にずしりと響くのである。

 ラウールが中心に居た時代に代表チームの中で何が起きていたのか。

 25歳にしてスペイン代表の歴代最多得点記録を更新し、代表戦102試合に出場して44得点という記録から分かるように、ラウールの個人としてのパフォーマンスに問題はない。さらに、国民的な人気やパフォーマンスに奢ることなく「ケガを押してもピッチに立ち、全力で敵に立ち向かう」という著者の記述にあるように、そのスポーツマンとしてのマインドも文句の付けようがないだろう。しかし、こうしたパフォーマンスとマインドにより、チームの中でもラウールの神格化が生じ、周囲が容易に近づけなくなったというから皮肉なものだ。その結果が、チームとしてのパフォーマンスの低下を招いた一因と考えることは致し方がないのかもしれない。

 しかし、ラウールの勝つことに対する不屈のメンタリティーが現在の代表に引き継がれている、という見方もできるだろう。圧倒的な中心選手がいなくなった後に、国際大会や外国のチームで経験を積んだ若い世代の複数の選手が統合され、フル代表にかけたラウールの「意志」を継承した結果が今の代表の成功に繋がっている、と考えることが贔屓目に過ぎるとは思えない。

 シャルケでの活躍によって現在でもラウールの代表復帰を望む声は大きいようだ。特に、ラウールの歴代最多得点記録を抜き、EURO・W杯の得点王であるダビド・ビジャが怪我のために代表選出がなくなったという数日前の報道の後にはさらに加熱している。そうした周囲の喧噪に対して、ラウールは冷静に自身の代表復帰について否定的に捉えていると言う。ラウールらしい対応で、個人的には好感が持てる。しかし、ビジャを欠き、トーレスはクラブで出番がなく調子が今ひとつ、ジョレンテとマタは代表の経験不足であり、さらには守備面や精神面での支柱であるプジョルも欠場。こうした状況を考えれば、王者としてのスペイン代表の中でもう一度ラウールを見たい気持ちを捨て去れない。

 ラウールのサプライズ招集の有無に関わらず、本大会の開幕は迫っている。本誌の別の記事中でカペッロが「絶対的な主役を演じる」「圧倒的なまでの優位を予想する」とまで称揚するスペインの初陣は6月10日。そのピッチに、ビジャに譲った背番号7を再び巻いたラウールの勇姿を見ることはあるのだろうか。

2012年5月20日日曜日

【第84回】『報道の脳死』(烏賀陽弘道、新潮社、2012年)


 新聞の質の低下が叫ばれるようになったのはいつのことだろうか。その理由はどこにあるのか。本書は、朝日新聞の元記者であった著者が、そこで経験したことや現在の記者との交流によって得られた知見をもとにその答えの仮説を述べているものである。

 まず新聞社を取り巻く環境について著者は述べている。私たち読者からするとにわかに想像し難いことではあるが、新聞各社は他紙やテレビ局の記事や番組はいっさい見ていないという前提で記事を書いている。その結果として、他のメディアで既に報道されたものであっても、自社がそれまで取り扱っていないものは後からでも報道する。こうして一社ごとに閉じた世界が形成されている。

 さらに、企業がSNSをはじめとしたインターネットにおける広告宣伝費を増大させたことで相対的に既存メディアに対する広告宣伝費が減少している。その結果、コスト削減圧力が新聞社に掛かり、カレンダー記事と呼ばれる「あれから○年」という安易な記事がはびこることとなる。カレンダー記事であれば事前に記事の執筆ができるため、効率的に安価で記事を作成できるのである。

 次に、組織内部の問題もあり、著者は3.11の一連の報道をもとに考察している。第一に、取材対象を分けていることが問題の一つである。新聞社では、首相官邸の記者会見を担当する記者、南相馬で記事を探す記者、福島県庁に貼り付いている記者、といった具合に分担を行っているという。その結果、ある事象についてそれが各所でどのような関係性を持っており、なにが真実であるのか、というストーリーが欠落してしまう。そのため、各所での記者会見での質問は各所において見えるレベルでののもとなり、全体のストーリーに基づいた鋭い質問は出づらい構造にあんっていたという著者の指摘は納得的である。

 第二にセクショナリズムもまた問題であると指摘されている。内勤デスクは現場に出せない、大阪本社に所属している貴社を東京の管轄内に派遣できない、といった事象が生じていたと言う。にわかに信じ難いことではらうが、3.11のような未曾有の事態においてもこうした組織内部の問題が生じたことが事実であったたとしたら残念でならない。

 では記者とはどうあるべきなのか。

 著者は二つのことを述べている。第一に、記者とは私たち国民や市民が持つ知る権利の代理人、すなわちエージェントであると著者は指摘している。その通りであろう。エージェントとしての気概を持つことで、何を報道するべきであり、どのような手段で伝達すべきであるか、という変化を導くことができるだろう。

 第二に、新しいメディアとの関係性についてである。既存メディアと新しいメディアとを対比的に論じる論調に著者は与しない。どちらが正しいかという論点の設定ではなく、ジャーナリズムを誰が実践すべきか、という論点をもとにして、既存が新規かという場所の話はその手段に過ぎないのである。

2012年5月13日日曜日

【第83回】【番外編】転機に響いた7冊


昨年、「2006年のベスト10冊」を何人かの方にお送りしたところ、ある方から、決しててらうことのない表現で「自分は200冊以上の本を読んだ」とのご返信をいただきました。私が2006年に読破した数は100冊強です。このような単純な比較をし終えると、私も200をターゲットにせねば、という思いに強くとらわれました。私よりも優秀で尊敬してやまない方にこれ以上離されないためにはせめて同じくらいの数は読まなければ、と。

結果、2007年には205冊を読み終え、無事に目標を達成できました。どんなささやかなことであれ、自分で目標を設定して自分の力で達成することは清々しいものです。

さて、2007年も年末を迎える頃、今年もベスト10冊を選ぼう、と思い立ちました。当初は、2006年の倍近い本の中からたった十冊を選び出すのは難儀になるのではと感じていました。実際、感銘を受ける本をたくさん読みましたし。しかし、懸念は杞憂に終わりました。むしろ数が増したことで、突き抜けて素晴らしく大事な方々に推奨したい本が出てきました。これまで導入してきた「ベスト10」というような客観的な基準を設定して選び出すというよりは、主観が反応して自ずと出てくるというイメージでしょうか。

そこで今年は7冊の本を皆さまにご紹介いたします。それぞれに素晴らしいため、優劣や好悪の順番は付けられませんでした(※Ⅱの丸内の数字は主観的な順番を表すものではなく、読んだ時期が早いものからという客観的な順番を振っています)。

①『自分の小さな「箱」から脱出する方法』
(アービンジャー・インスティチュート著/金森重樹監修/富永星訳、大和書房、2006年)
【コメント】
・ジャンルとしては対人コミュニケーション。
・相手が悪いと考えず、また自分が悪いとも考えない、という甘え対ストイックというありがちな二分法を脱却した枠組みを提唱している点がすごい。




②『不動心』(松井秀喜、新潮社、2007年)
【コメント】
・飄々とした松井の言動の背景にある、深いものの見方が惜しみなく表れていて感銘を受ける。
・イチローの思考・行動・意識と対比しながら読むと大変面白い(イチローに対するある種の“ファッショ”を相対化できる)。




③『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』
(エドワード・L・デシ+リチャード・フラスト/桜井茂男訳、新曜社、1999年)
【コメント】
・動機付け/モティベーションに興味がある人には特にお勧めである。
・(給与・出世といった外的キャリアに興味がない私をしても)ふとしたときに外発的動機付けに強く意識が向かっていることが分かり、自分を動機付けることについて深く考えさせられた。




④『フロー体験 喜びの現象学』
(M.チクセントミハイ著/今村浩明訳、世界思想社、1996年)
【コメント】
・ジャンルは心理学。
・「フロー=何かに没頭すること」という単純な理解で済ませていたことがいかにもったいない理解だったかが分かり、大きな気づきを得た。




⑤『企業内人材育成入門』(中原淳編著、ダイヤモンド社、2006年)
【コメント】
・特に企業で研修/人材開発・人事に携わる人にお勧めである。
・研修準備や論文執筆に使えるので、手元に置いて辞書のように使用している。




⑥『リーダーシップの旅 見えないものを見る』(野田智義・金井壽宏、光文社、2007年)
【コメント】
・リーダーシップ論の本である。
・これまで読んだ全てのリーダーシップの本の中で最もインパクトがあり、特に「リーダーになりたいからなるのではなく、やるべきことがあるからリーダーになる」という部分が目から鱗であった。




⑦『MAJOR』(満田拓也、小学館、1994年~)
【コメント】
・野球漫画だが、野球を知らない人でも容易に読める。
・ストイックに自分で頑張るだけではなく、仲間と一緒に頑張ることの素晴らしさを改めて感じた。
・特に気に入っているのは、「自分には才能がないから」という理由で野球部を辞めようとする同級生に対して発する主人公の以下の台詞。「本当に才能がないと言い切れるだけの努力はしたのか?他人にやらされてた練習を努力とは言わねえだろ。好きな野球して将来飯食おうなんて図々しい特権、与えられた宿題こなした程度で手に入るわけねえじゃん」

2012年5月6日日曜日

【第82回】『スラムダンク(全31巻)』(井上雄彦、集英社、1991年〜1996年)


 現職の某同期からお借りしてGW中に読んだ。私が中高の時分に流行したコミックであるために断片的には読んだことがあったし、陵南との練習試合から山王戦に至るまで全ての試合の結果を読む前から知っていた。

 しかし、結果を知っていることと、過程を読んだ上で結果を理解することとは全く異なるものであった。

 名作のラストは必ずしも素晴らしいとはかぎらない。クライマックスに至までに期待値が上がりすぎてしまい、ラストが期待外れに終わってしまうという事態はある程度いたしかたないだろう。しかし、本作を読む途中で感じたこうした不安は杞憂に終わり、全ての要素が山王戦の決着に向けて集約させられているようで最後まで惹き付けられた。

 最終巻に至っては、余計な言葉は無用とばかりに濃密にして雄弁な画ばかりでそのほとんどが構成されている。これは湘北メンバーの個性が確立しており、それが一つのチームに集約しており、読者に十分に伝わっているからこそできるものであろう。それは、それぞれが抱える過去と、本編を通じて展開される熱戦とが統合されていくものであり、山王戦後の流川と桜木とのハイタッチのシーンは圧巻だ。

 それと同時に、本作で印象的だったのは、対戦相手、すなわちその多くの場合は敗者である存在の描き方である。特に、湘北戦に負けた直後の山王の堂本監督の次の言葉にしびれた。

「はいあがろう
 「負けたことがある」というのがいつか
 大きな財産になる」

 上述した通り、台詞を極端に絞り込んだ最終巻にあって、敗戦後に山王の選手や監督が発した台詞はこれだけである。選手はなにも言葉を発さないばかりか、湘北側との接触も一切ない。この台詞にかけた作者の想いが伝わってくるようだ。

 早大ラグビー部監督やサントリーの監督を歴任した清宮氏はかつて、敗戦後に「Necessary Loss」という言葉をミーティングで用いたという。「チャンピオンになるために必要な敗戦」という意味合いだ。絶対王者である山王の強さは、真摯に敗北を受容するこうした態度にあるのだろう。そして湘北もまた、陵南との練習試合や海南を相手にした敗北を噛み締めた結果として山王戦の勝利を導き、敗戦を「大きな財産」としたのではないだろうか。

 これは、スポーツの世界だけに当てはまる話ではない。人生全般において大事にしたい含蓄の言葉である。