2015年3月29日日曜日

【第427回】『他力』(五木寛之、講談社、2000年)

 神や仏の存在を信じる者も、信じない者も、目に見えない世界を認める者も、認めない者も、世界中の民族や国籍を超えて<非常時>に生きる私たちを、強く揺さぶるエネルギーがそこにはある。そして、この他力の世界こそ、いま私たちが無意識に求めている「何か」ではないか、と思うのです。(25頁)

 自力ではなく、他力という仏教の考え方が今の時代に求められる、と著者はしている。私たちが生きる世界は通常時ではなく非常時であり、非常時には自分自身ではなく他力に頼らざるを得ないからである。

 無風にめげず、じっと風を待ち、いつでも風に応ずる緊張感、その努力をヨットマンにあたえ、そして「いつか風は吹く」というくじけぬ信念を持続させるもの、それこそまさに<他力>の働きだと思うようになったのです。
 「やる気」をおこすこと、また、「人事をつくして天命を待つ」という気に、おのずとさせる不思議な力、それこそまさしく<他力>の働きの本質でしょう。(41頁)

 他力という考え方は、なにも受け身の姿勢ということではない。そうではなく、他の存在の力を感じながら、それらが自分にとっての力になるタイミングが訪れるまで緊張感を持ちながらじっと待つこと。そうした前向きな受け身性が、他力という考え方なのであろう。

 思った以上に物事がうまくいくことがある。人からもほめられ、自信もますますついてくる。そういうときは、むしろ立ちどまって、じっくり考えてみるべきでしょう。
 「わがはからいにあらず」
 そうつぶやいてみるのです。目に見えない大きな順風が吹いて、その<他力>が物事を自分の実力以上にうまく運んでくれたのだ、と。
 そういうときは、謙虚に<他力>に感謝すべきでしょう。決して得意になるべきではありません。とはいうものの、それができるかできないかも、やはり「わがはからいにあらず」となれば、<他力>の道もまた難きかな、ということです。(44頁)

 思いのほかうまくことが進み、他者から評価される状態が続くと、自分自身に実力がついたと私たちは思ってしまう。しかし、そうした他者からの評価や短期的な結果というものは、他力がもたらしたものであると考えた方がいい。そうすれば、夜郎自大に陥ることもなく、また身の回りの人々や環境に率直に感謝の気持ちを持つことができる。

 マイナスの勇気、失うことの勇気、あるいは捨てることの勇気。現実を直視した究極のマイナス思考から、本物のプラス思考が出てくるのです。(82頁)

 プラス思考が悪いものであると著者は述べてはいない。そうではなく、物事の事象を深く味わうことなく、何でもプラスに解釈しようとする風潮に警鐘を鳴らしているのである。どのような現実であれ、充分に向き合って直視し続けることで、新しい認識の有り様を私たちは身につけられるのではないか。

 諦める、というのは、物事を消極的に、後ろ向きに受けとめることではなく、言葉の本来の意味「明らかに究める」、勇気を持って現実を直視する、ということでしょう。
 見たくない現実を、認めたくない事実をリアルな目で直視する。これが諦めるということです。まずきちんと認める、確認するという、その作業から出発しなければならないということです。(90~91頁)

 現実を直視し続けるという姿勢は「諦める」という言葉の本義である「明らかに究める」という姿勢に結びつく。「諦めたらそこで試合終了」という考え方(『スラムダンク(全31巻)』(井上雄彦、集英社、1991年〜1996年))が必要な時もあろうが、「明らかに究める」という考え方もまた、私たちには大事である。

 古い仏教の言葉で<横超>という言葉があります。問題を解決しようとしてまっすぐ進んでいったときに、どうしても突破できない高くて厚い壁があったとする。そうした際に、いったん曲がって横に逸れてみる。壁の前で座り込んで挫折するのではなく、一度大きく遠回りしたり、壁の下を掘り進んでみるという考え方です。
 深刻な悩みを抱えて、もう死にたいと思い詰めている人たちは、この<横超>という考え方を是非思い起こしてほしいのです。(108頁)

 私には「明らかに究める」と「横超」とはセットで捉えると良いように思える。つまり、現実を直視し続けながら、自分なりに努力を試みてみて、それでもなお存在する目の前の大きな壁を認識する。その際に、そこで挫折するのではなく、視野を広く捉えてみて、他の脇道を探し、迂遠な道を歩こうとすること。こうした考え方が、現代を生きる私たちには重要なのではないだろうか。

 組織論と結びついてきますが、人材を集めて精鋭部隊をつくり、物事を進めていくときに、変な奴とかやる気のない奴とか、そうした連中が仲間に加わっているほうが人間的な組織になるのです。そういう人間的な状況の中で、やる気のない奴が偶然に仕事の手を抜いたため、思わぬミスが起きたが、それが結果的にすごくよいものに変化したり、思いもかけない成功につながることだってあるのです。(147~148頁)

 効率性を重んじようとすると、ベストな人材だけを選ぼうとして組織を構築しようとする。しかし、いろいろな人材が玉石混淆のように存在するからこそ組織は強くしなやかなものになる、という著者の考え方はよくわかる。俗に人事の世界では「四分六」という言葉がある。つまり、どのような人員構成であっても、組織というものは、2割の上位の人材、6割の中位の人材、2割の下位の人材、とに次第に別れていくという考え方である。もしそうだとしたら、むしろ最初から様々な人材がいることを前提にして、人間的な組織を構築・運営しようとする方が良いのではないか、と思えてくる。

 対治は否定から出発しています。悪を否定する、病気を否定する。不自由を悪と考え、それを叩きつぶし、切除することで善を回復しようとする。そういう対立と攻撃の思想がヨーロッパ近代文明の一面です。しかし、老いを否定できるでしょうか。死を否定できるでしょうか。それはできません。とことん打ちひしがれた人々を救うのは肯定の思想、同治の思想なのではないか。
 いま大切なのは<励まし>ではなく<慰め>であり<悲>なのだと強く感じるのです。(272~273頁)

 何事もポジティヴに解釈し、問題を効率的に解決しようとする。むろん、そうしたアプローチが機能することもあるだろうし、一部のスーパー・スターのような人々はその進め方で生きていけるのであろう。しかし、強者の論理だけでは、<普通>の人々としての私たちは生きていくことはできない。そうした時に私たちにとって大事になるのが、弱さやショックと寄り添いながら向き合うという<慰め>や<悲>という考え方なのである。


2015年3月28日土曜日

【第426回】『<民主>と<愛国>』(小熊英二、新曜社、2002年)

 「注」および「あとがき」に至る前まで829頁を要する大部である。学生時代に読んだ時は、あまりに長くて途中で嫌になりながら苦労して読み切ったものだが、今回、読み直してみると、すんなりと読めたのだから不思議なものである。著者の歴史社会学の講義を学部時代に学んでいたことも奏功しているのであろうが、書かれていることはクリアであり、よく理解できる。

 本書の主題は、「戦後」におけるナショナリズムや「公」にかんする言説を検証し、その変遷過程を明らかにすることである。(11頁)

 まず、本書の目的が冒頭で簡潔に述べられている。この部分を足がかりに読み進めていくこととしよう。

 われわれが使用している言語は、歴史的な経緯のなかで生みだされ、変遷してきたものである。そのなかには、「市民」「民族」「国家」「近代」といった、ナショナリズムや「公」を語る基本的な言葉が含まれている。そして本書における「戦後」の再検討は、こうした言葉の使用法が、いかなる変遷を経てきたかの再検討でもある。それは同時に、現代に生きるわれわれが、われわれを拘束している言語体系をみつめなおし、ものごとを論ずる回路を開くための基礎作業にほかならない。(17頁)

 言語体系が私たちの思考を規定するという側面がここで指摘されている。つまり、私たちは、過去を否定しようとしても、その際には過去の言葉を使わざるを得ない。これを思考のパラダイムと呼んでも良いだろうし、ラングがパロールを規定すると言っても良いだろう。何れにしろ、こうした私たちを取り巻く言語体系に対して自覚的になること。そうすることは迂遠な道のりのように思えても、その作業を繰り返すことが私たちには求められる。本書は、こうした地道な作業を丹念に行なった著者の足跡が記された作品とも言えるだろう。

 丸山の「超国家主義」分析は、彼の戦中の思想の延長であった。すなわち日本社会では、「自由なる主体的意識」を持った個人が確立されておらず、そのため内発的な責任意識がない。そこでは権力者さえもが、責任意識を欠いた「陛下の下僕」あるいは「下僚のロボット」でしかないという、「無責任の体系」が支配する。それと同時に、上位者から加えられた抑圧を下位者にむかって発散するという「抑圧委譲」が各所で発生する。そしてそれが国際関係に投影されたのが、欧米帝国主義からの圧迫を、アジアへの侵略で晴らすという行為だったというのである。
 さらにこうした日本社会では、近代的な「私」が確立されていないため、「公」と「私」の明確な境界もない。そこで発生するのは、「公」の名による私生活への介入であり、「公」に名を借りた私的利害の追求である。また近代的な政教分離もなされておらず、最高権力者である天皇が同時に倫理の頂点となり、「天皇からの距離」が、政治的地位であると同時に倫理の評価基準にされたという。(85~86頁)

 前段はアーレントによるナチスに関する考察を読むかのようだ。それに加えて、あの戦争では抑圧委譲という上下の関係性も起因してアジアへの侵略までなされたと分析している。ここで近代的な「私」という近代的な考え方が触れられているが、著者はさらに考察を加えて、当時の丸山が近代という言葉に含意した内容について踏み込んでいる。

 丸山や大塚が「近代」という言葉で述べていたものは、西洋の近代そのものではなかった。それは、悲惨な戦争体験の反動として夢見られた理想の人間像を、西洋思想の言葉を借りて表現する試みであった。「個」の確立と社会的連帯を兼ねそなえ、権威にたいして自己の信念を守りぬく精神を、彼らは「主体性」と名づけた。そうした「主体性」を備えた人間像を、丸山は「近代的国民」とよび、大塚は「近代的人間類型」とよんだのである。(100頁)

 ここでは「無責任の体系」に取り込まれない強い「個」の確立を前提にした社会的連携が「主体性」として重視されている。こうした「主体性」を生み出す源泉としての理想として、「近代」という言葉が丸山らによって使われたことに私たちは留意する必要があるだろう。

 敗戦直後における天皇の戦争責任追及は、日本のナショナリズムを否定するものではなく、天皇を中心とした戦前のナショナリズムに代わる、新たなナショナリズムの模索であった。そしてそこでは、「日本」にたいする「忠誠」が、天皇にたいする「反逆」になるという交錯が、示されることになるのである。(104頁)

 敗戦直後の時期における言論環境においては、先述した「主体性」の確立とともに「天皇制」の打破が唱えられたことがその特徴であった。

 戦後半世紀以上を経たこんにちでは、官僚の権威的姿勢を「天皇制」と表現することはほとんどなくなった。しかし当時は、「天皇制」という言葉は、戦中に人びとが隷従を強いられた権威主義の象徴としても、使われていたのである。(128頁)

 日本国憲法における象徴天皇という考え方が浸透している現代においては、天皇という存在や天皇制というシステムに政治的な面影を見出すことは難しい。しかし、あの戦争直後における時期においては、天皇制とはすなわち権威主義の象徴として認識されていた。そのため、打破する対象として天皇制が掲げられていたのである。では、天皇制を打破しようとするエネルギーは、主体性の確立へと向けてどのような方向性に向かったのか。

 敗戦後における「主体性」とは、マルクス主義をはじめとした、体系的な理論に回収されることが困難な心情を表現した言葉であった。人びとは、戦争と敗戦という巨大な社会変動に翻弄されるなかで、自分自身を納得させる説明をもとめて、「世界史の哲学」やマルクス主義の説く「歴史の必然性」を信じようとした。しかしそうした理論的な説明に納得しきれない「自己」の残余の部分が、別種の言葉をもとめる原動力となったとき、それが「主体性」という言葉で表現されたのである。(231~232頁)

 当時の人々が、帝国主義や膨張主義と呼ばれる天皇制を基にしたシステムに対するグランド・セオリーとしてのマルクス主義へとまず向かおうとする心情は共感できるものがある。強いセオリーには、強いアンチとしてのセオリーを必要とするものだ。しかし、著者によれば、マルクス主義の主張する歴史の必然性から零れ落ちる心情的な部分が回収困難であったために、「主体性」確立の運動はマルクス主義には収斂しなかった。

 一九五〇年代前半では、「単一民族」は既成事実ではなく、めざすべき目標であり、人びとの参加によって「創造」されるべきものだった。そしてこの時期においては、<みんなが一つになる>という言葉も、「連帯」の意味で使用されていた。しかし高度成長を経て、「単一文化」が既成事実となったあとには、それらは均質化と抑圧を意味する言葉に変わっていったのである。(303頁)

 現代では想像しづらいが、「主体性」確立の動きの一つとして、「単一民族」が目指すべき目標として左右の陣営を問わず主張された。その一方で、高度成長を経ることで日本全国における想像上の「単一文化」が創造されることによって、「単一民族」という言葉が均質化と抑圧を含意する概念へと変容した。それ以降における言説構造に私たちは慣れているため、「単一民族」という概念と特定の政治思考とを結びつけて考えてしまうのであろう。

 敗戦後の教育論を拘束していたのは、戦争によって刻印された行動様式であった。「皇道日本」から「主権在民の国」に言葉が変わっても、共通語を普及し、教師の指導性をうたい、反米を唱え、「民族」や「伝統」を賞讃し、「国家目標」を求めるという行動様式は、じつは容易に変化していなかった。思想的な対立とは裏腹に、保守派と相通ずる部分が生じたのも、そのためであった。敗戦後の教育学者や教師たちは、おそらくは自分でも意識していないうちに、刻印された行動様式に拘束されたまま、失われた「国家目標」の代用品を探すという状態を、敗戦後も一〇年以上にわたって継続していたのである。(393頁)

 教育界における混乱も同様であった。現代から考えれば、戦前と戦後とでは真逆の主義・主張を教学校において教師は教育しているにも関わらず、そこで使われる言葉は、戦前を引き継いだものでしかなかった。こうした教育界における混乱、言論界における苦闘の結果として、目指すべき目標として行き着いたものの一つが日本国憲法である。

 憲法擁護の「国民連合」が結成されはしたものの、憲法を心から支持している政党は存在しなかったといってよい。それにもかかわらず、憲法擁護がこの時期に浮上したのは、それが「平和」や「民主主義」とならんで、保守政党に対抗する諸勢力の最大公約数的なスローガンだったからである。(492頁)

 制定当初は保守政党が支持し、共産党が反対に回った日本国憲法。それがいわゆる五十五年体制以降は、野党が共通して提示するスローガンとして定着したという。これは、教育界における護憲運動とも通ずるものであろう。

 全共闘運動は、旧来型の大学および知識人のありようと、大衆化してゆく社会のあいだのギャップ、すなわち「エリート的意識と存在の決定的欠落」という問題が、いわば一回限りの爆発をおこしたものだった。そしてこの運動は、皮肉にも彼らが志向したのとは異なる方向で、そのギャップを解消する効果をもたらしたといえる。(586頁)

 憲法擁護の動きが旧来型の知識人や政治家によって形成されたのに対して、その数年後に起きた全共闘運動では、戦争を経験していない世代によって為されたものである。いわゆる団塊の世代を中心としたこの運動では、旧来型エリートと自分たちとの間における、意識のギャップや社会における存在におけるギャップが起爆剤となった。そうした意味では、社会の変容への対処としての爆発的な運動であり、何らかの思想や主義・主張を生み出す運動にならなかったことは自明なのかもしれない。その結果として、大衆化が進行したことは、皮肉な帰結とも言えるだろう。

 吉本にとってみれば、私生活への没入を批判する丸山の思想は、「ああ、吉本か。お前は自分の好きな道をゆくんだな」という戦死者の言葉を想起させるものであったろう。(中略)
 これは、まさに「私」による「公」の解体であった。こうした「私」志向は、敗戦直後から社会現象としては存在したが、多くの戦後知識人はそれを批判する立場をとっていた。「私」による「公」の解体という思想は、高度経済成長の入口にあたるこの時期に、「戦後民主主義」を批判する側から現れたものだったのである。(644頁)

 公と連帯を説いた丸山眞男に対して、安保闘争以降に私による公の解体を主張した吉本隆明。全共闘世代に思想的なバックボーンを与えたのが、前者でなく後者であることは分かりやすいだろう。丸山が積極的に方向性を導き出そうとしたのに対して、吉本は既存のものを解体することに注力した。ポストモダンが西欧で流行した時期であったことも、吉本が受け入れられやすい下地となっていた、と考えられるのかもしれない。

 鶴見にとっての戦死者たちは、国家による分断を拒み、「日本の死者」「アジアの死者」という分断を拒み、「ナショナリズム」と「インターナショナリズム」の二項対立を拒む存在であった。鶴見が批判した国家とは、こうした国境をこえた死者たちに、分断をもちこむ存在だったのである。(752頁)
 小田が従来から抱えてきた「護られるべき祖国とは何か」という問いに、一つの回答が与えられた。「祖国」とは自分が信ずる原理であり、地縁や血縁と一致する必要はない。ましてや、政府の命令と一致する必要もない。時には政府の命令に反逆し、その政府の管轄する土地から亡命することが、自分が信じる「祖国」への「愛国」となる。それは、「ナショナル」でも「インターナショナル」でもない「人間」の原理だというのである。(784頁)

 ベ平連を主導した両者の国家観もまた、興味深い。ネーション・ステートとしての国家には拠らず、死者や人間への愛をもとにして意味付けを行なう。そうした考え方と一致するかたちで、当初のベ平連の活動やベトナム戦争からの脱走兵の救助活動といった行動が為されたのである。

 戦争体験は国民共通の経験という印象を創りだしてはいたものの、実際には世代だけでなく出身階層や居住地域、さらには戦闘や空襲の経験の有無といった偶然によって異なっていた。戦争は、国民全体を巻きこみはしたものの、均質な現象ではなかったのである。(808頁)

 結論として著者が述べているのは、言われてみれば当り前のことであるにもかかわらず、戦争を知らない世代からするとハッとさせられる事柄である。つまり、「戦争を体験した世代」と一括りにしても、その際の社会的地位、年齢、居住地域によってその体験のしかたは千差万別である、ということである。したがって、戦争を経験した上で述べる主張というものも、それぞれに事実ではあろうが、それぞれにその色合いは大きく異なることになる。

 新しい時代にむけた言葉を生みだすことは、戦後思想が「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しようと試みてきた「名前のないもの」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受けとめ、それに現代にふさわしいかたちを与える読みかえを行なってゆくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗りこえることが可能になる。(829頁)

 それぞれに戦争への受容が異なる人々が、苦闘しながら「名前のないもの」に名前を当て嵌めてきた戦後における思潮。私たちはそれらを引き受けながら、私たち自身も、苦闘しながら意味付けを行ない続けることが求められているのであろう。


2015年3月22日日曜日

【第425回】『人事評価の「曖昧」と「納得」』(江夏幾多郎、NHK出版、2014年)

 優れた研究者の方々は、なぜ企業での実務経験がなくとも実務家のかゆい所に手が届くような研究ができるのであろうか。私の学術上の師に当たる先生や、東大の中原先生の書籍を読むたびにそうした想いを持つものだが、本書もまた、そうした想いにさせられる力作だ。人事担当者として、折に触れて読み直したい一冊である。

 なぜ、私たちは「人事」を気にしてしまうのでしょうか。結論から言えば、人事によって今までと異なる秩序が生まれることに、期待と不安の両方を抱くからでしょう。人事評価とは、「リシャッフル(組織改革)」の根底にあるものです。(kindle ver. No. 81)

 人事評価の本質はリシャッフルにあると著者は端的に述べる。評価が下されれば、組織における人員の間において新しい秩序が形成される。実体が評価に反映されるという側面は自明であろうが、それとともに、評価が実体に影響を与えるという側面もある。これは、某アイドルグループの「総選挙」への関心の高さと、「総選挙」後の秩序変更を見れば分かり易いだろう。こうした人事評価が与える組織内の人々への影響を私たちは感知しているからこそ、私たちは人事評価を気にするのであろう。

 こうした人事評価に関わる1990年代後半から現代における日本企業での傾向は成果主義人事への移行である。その特徴は、アメリカ型の成果主義人事への追随に始まり、日本企業にマッチしたかたちへの変容・同化が進んでいる。

 多くの企業では、業績の概念を拡張して定義する動きが出てきました。すなわち、年度内で挙げられた(1)単純出来高、(2)最終結果、に加え、(3)結果を出すために実際にとった行動、が業績の範疇に加えられたのです。(2)最終結果、の定義に(4)数年がかりで追求する目標の達成につながる当期中の結果、を含める場合もあります。
 実際の工夫や行動になってくると、もはや「顕在化された能力」と言っても差し支えないのかもしれません。つまり、多くの日本企業における成果主義的改革は、従来よりもバラエティー豊かに従業員の職務遂行能力を捉えようとする試みでもあり、能力主義にとってかわるものではなかった可能性があります(中村、二〇〇六)。(kindle ver. No. 544)

 日本企業では、元々、職務をもとにした評価制度、つまり職務等級制度が馴染まず、人をもとにした評価制度が主流であった。人を中心にした評価制度の典型が、職務遂行能力を評価の基準の中心に据えた職能資格制度である。 日本企業は、アメリカ型の成果主義を受容する過程で、職能資格制度をもとにして成果主義における評価内容や評価プロセスを組み替えつつあるのである。

 目標管理を行う際には、目標設定時に従業員本人の主体性を尊重することが重要とされます。評価される内容について、評価される本人が策定に関わることで、本人にとっての目標の妥当性が高まり、達成への意欲が高まることが期待されるというわけです。(kindle ver. No. 560)

 こうした成果主義人事を構成する一つの制度として目標管理制度が挙げられている。個人の目標は、組織の目標から落とし込まれるものであると同時に、個人側の主体的な想いも反映されるものである。したがって、目標を設定する際に、働く個人の関与が伴えば、目標へのコミットメントは高まる。

 「納得」という言葉を定義するのは、意外と難しいのですが、本書ではさしあたり、「今後の仕事に対する前向きな気持ちの減退をともなわない、評価や処遇への従業員の反応」としておきましょう。(kindle ver. No. 578)

 こうした目標へのコミットメントについては、本書のタイトルにもなっている「納得」というレベルに留めることが合理的であろう。積極的に目標に対して取り組めるようにというよりも、目標に対してネガティヴな反応を減らすことが、人事の実務においては求められる。

 こうした中では、職場のマジョリティの不満感を解消し、評価の高低にかかわらず全員を「不満とは言えない」という水準以上までもっていく、というのが現実的な目標となります。(kindle ver. No. 587)

 さらに言えば、現実的な人事制度の運用目標としては、不満ではないというレベルまでで良いと著者が述べている点に人事担当者は留意するべきであろう。人事評価制度というものは、全ての人にとってベストのものにすることはほぼ不可能である。したがって、満足を高めるというよりも、不満足要因をいかに取り除くか、という点が重要なのである。

 では人事担当者として、どのように対応することが望まれるのか。

 企業から与えられる「過程の公正」に頼らず、従業員自身の「ものの見方」の変化により、結果として現れた評価や処遇に納得するーー「公正である」と推測する、あるいは、「公正かどうか」という問いへの回答を留保するーーことは可能です。これまで挙げてきたこうした従業員の知覚には、評価や処遇に対する理想論的な色彩があまり見られません。そのためそれらを、「現実主義的な評価観」と呼ぶことにしましょう。(kindle ver. No. 1174)

 まず、制度そのものというよりも、社員側の「ものの見方」に対してアプローチを取ることが重要である。では、「ものの見方」に影響を与えるためには何が重要となるのであろうか。

 とくに、従業員本人とその上司である管理者との関係が決定的に重要になります。なぜならばこの関係は、人事評価の現場において、被評価者と評価者の関係に転じるものであり、日常的な関係が従業員=被評価者にとって魅力的であるか否かにより、人事評価における曖昧さの捉え方、それに対する不満、疑念、不安の強さが大きく異なってくるからです。(kindle ver. No. 1198)

 結論はシンプルである。制度の運用者としての評価者と被評価者との関係性が重要となる。残念ながら、人事制度の曖昧性を直接的に人事がケアすることはできない。したがって、評価者が曖昧性をケアできるように、人事がいかにサポートできるかが肝となるだろう。では何を人事はサポートできるのか。

 こうした感覚を従業員にもたせることができている上司は、部下に対する関心をもち、情報収集やフィードバックという形で、その関心を具体的な行動に移すようです。(kindle ver. No. 1230)

 日常において、多忙な評価者が、被評価者の評価に関する情報をいかに収集するかをサポートするべきであろう。次に課題となるのは、プレイング・マネジャーが多くなっている昨今の日本企業において、いかに評価者の評価に関する負担感を少なくできるのか、という点である。

 企業内のさまざまな取り組みの中で、「パフォーマンス・マネジメント」のツールに最も近い位置にあるのが、評価制度だと言えます。(kindle ver. No. 1596)

 ここでは評価制度を評価のためのものとして捉えるのではなく、組織としての役割を全うするためにパフォーマンス・マネジメントのツールとして捉えることが指摘されている。評価をパフォーマンス・マネジメントの一環として捉えることが、組織としての目標達成とともに、個人の成長目標の達成へと統合する現実的なソリューションとなるだろう。このように考えれば、人事に求められる役割というものも明確になるだろう。著者の以下の言を人事担当者は心して留意しなければならない。

 ウルリッチなども口を酸っぱくして主張していますが、「戦略パートナー」であるためには、何より「職場の守護者」であることが求められます。具体的には、現場の事情やニーズに基づいて経営戦略をより洗練させる、人事管理を媒介とした現場の人々とのコミュニケーションを通じて経営戦略を腹に落とさせる、といったことです。これらができない限り、経営戦略の創造や実現に対して独自な貢献ができるプレイヤーとして、経営層や他のスタッフ部門から尊重されることはないでしょう。現場から相手にされないのも当然です。求められるのは、「職場の守護神」から「戦略パートナー」への「拡張」だったのです。(kindle ver. No. 1467)

 戦略人事という役割が人事担当者に求められて久しい。ウルリッチの四象限に基づけば戦略パートナーという概念になるが、そのためには、著者が指摘するように職場の守護者であることが同時に求められるのである。ビジネス環境が変わることでライン部門に求められる人材要件の変化には目を見張るものがある。しかし、それと同時に、スタッフ部門である人事担当者も、そうした変化に対応して自らの役割を拡張していくことが求められていることに留意したい。

2015年3月21日土曜日

【第424回】『「いき」の構造』(九鬼周造、青空文庫、1930年)

 意味および言語と民族の意識的存在との関係は、前者が集合して後者を形成するのではなくて、民族の生きた存在が意味および言語を創造するのである。両者の関係は、部分が全体に先立つ機械的構成関係ではなくて、全体が部分を規定する有機的構成関係を示している。それ故に、一民族の有する或る具体的意味または言語は、その民族の存在の表明として、民族の体験の特殊な色合を帯びていないはずはない。(kindle ver. No. 30)

 意味および言語と民族との関係性について、著者は後者が前者を規定するものであるとする。正直に記せば、私は、この両者は「相互依存関係」にあると逃げた表現でしか言えないものであるから、著者にここまで断言されると清々しささえおぼえる。他方で、その言明に全面的に賛意を示してよいものか分かりかねるものである。とはいえ、以下では、この著者の主張に基づいてすすめていく。

 「いき」の構造は「媚態」と「意気地」と「諦め」との三契機を示している。そうして、第一の「媚態」はその基調を構成し、第二の「意気地」と第三の「諦め」の二つはその民族的、歴史的色彩を規定している。(kindle ver. No. 219)

 「いき」という概念が日本という風土および日本民族において固有のものであると仮定した上で、著者はその構成要素を三つ挙げている。たしかに、こうした定義であるとするならば、beautifulでもなく、coolでもなく、少なくとも英語では形容できないものであることは納得的である。

 「いき」とは、わが国の文化を特色附けている道徳的理想主義と宗教的非現実性との形相因によって、質料因たる媚態が自己の存在実現を完成したものであるということができる。(中略)我々は最後に、この豊かな特彩をもつ意識現象としての「いき」、理想性と非現実性とによって自己の存在を実現する媚態としての「いき」を定義して「垢抜けして(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)」ということができないだろうか。(kindle ver. No. 254)

 道徳的理想主義と宗教的非現実性という二つの概念によって位置付けられている点が重たい。本書が書かれたのは1930年、つまり満州事変が起こる一年前である。著者は、日本人の保有する文化には、道徳的理想主義と宗教的非現実性とがある、とあの15年にわたる戦争が始まる一年前に既に提起していたのである。そうした文化にはポジティヴな側面もあることには理解しつつも、ネガティヴに作用するとあのような戦争を肯定する思想的バックボーンになりかねない。こうした捉え方であれば、私たちはいま一度、日本文化論を頭と心で意識することが必要なのではないだろうか。


2015年3月15日日曜日

【第423回】『一瞬の風になれ 第三部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)

 高校二年の秋から高校三年の関東大会までを描いた最終巻。読み終えるのがもったいないと思える作品である。

 人生は、世界は、リレーそのものだな。バトンを渡して、人とつながっていける。一人だけではできない。だけど、自分が走るその時は、まったく一人きりだ。誰も助けてくれない。助けられない。誰も替わってくれない。替われない。この孤独を俺はもっと見つめないといけない。俺は、俺をもっと見つめないといけない。そこは、言葉のない世界なんだーーたぶん。(246頁)

 私自身は、チームスポーツを一所懸命に行なった経験が、残念ながら、ない。しかし、ここで著者が敢えて述べているように、人生や世界といった、時間軸や空間軸を広く捉えて考えてみることが有効なのだろう。つまり、どのようなチームという単位であっても、個人と組織という二つを同時に考えることが大事なのではないだろうか。さらに進めて考えれば、個人と組織という二者択一の考え方を弁証法的に発展的解消することで、私たちは異なる考え方に至れるのではないだろうか。

 個人と組織ということを同時に考えること。これは、ビジネスでもそうであるし、スポーツにおいても重要なことなのだろう。イチロー選手は、第一回WBCで優勝した後に王監督(当時)と食事をしていた際に、組織と個人のどちらが大事かと尋ねたそうだ。それに対して王監督は即座に個人であると回答し、同じ考え方であったイチロー選手は深く納得したというエピソードがある(『屈辱と歓喜と真実と』(石田雄太、ぴあ、2007年))。ここでの両者は、個人の方が大事であると言っているが、私にはどうも、両方が大事であるがその起点として個人がある、というように解釈できるのであるが、いかがだろうか。

2015年3月14日土曜日

【第422回】『一瞬の風になれ 第二部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)

 高校一年の秋までを収めた第一部から高校二年の秋までを描いた第二部。主人公の成長物語としても読めるし、チームというものについて考えさせられるテクストとしても読める。

「結局、自分のできることをせいいっぱいやるしかないって当り前の結論に落ちついたよ。一日、二日じゃない、毎日、毎日、三百六十五日だ。どんな日のどんな練習もおざなりにしない。どんな試合でもきちんと走る。毎日、ベスト更新だ。練習も試合も。気持ちだけはな。そうすれば、俺も選手として伸びるし、皆もついてきてくれるだろう。気まぐれな天才、一ノ瀬連でもだ」(119頁)

 代替わりに伴い、陸上部の部長を打診される主人公。自分と同等もしくはそれ以上に優秀で一癖も二癖もある他の部員たちをどのように束ねていくのかという不安に対して、先輩が語りかける言葉である。他者のことを心配したり、どのようにケアするかという他者視線も大事であろうが、このように自分自身がベストを尽くすというシンプルな主張に、私は深く納得する。自分が大事ということでもなく、他者が大事ということでもない。そした二者択一ではなく、自分を通じて他者を大事にするという両方を包含する考え方というものがあってもいいのではないだろうかと考えさせられる美しい文章である。

 部を少し離れてみて、わかった。俺にとって、走ることがどれほど大きなものになっているのか。走らない一日、一日が、どれほど無意味でくだらないものか。それなのに、いや、それだからこそ、今、俺は走れないでいる。たぶん、今、俺は自分をダメにしてしまいたがっている。それがどんなに無意味でも、どんなに馬鹿なことでも。(253~254頁)

 アスリートとして尊敬する兄の大怪我と、それに伴う兄弟間の関係性の亀裂によって思い煩い、部長であるにも関わらず部活に出られない主人公。ここまでの物語が順風満帆な成長軌道を描く展開であったのに対して、一転して暗い内面が描写されるシーンである。苦しい中で、しかも自分自身が起したものではない環境変化に対して、どのように感じ、そこでどのように日常を取り戻すか。苦しい中でこそ、自分自身を拓き、次の可能性を見出す姿勢というものは、個人にとっても、組織にとっても大事なことなのであろう。


2015年3月9日月曜日

【第421回】Newton2015年4月号「スマホ大解剖!」(ニュートンプレス、2015年)

 前職で人事部門にいた際に、内定時代からの教育を担当させていただいていた新卒の某君がFacebookで挙げていた本誌。Newtonという雑誌は、特集のテーマ設定がうまいと思う。その分かりやすさと相俟って、ついつい買ってしまう。

 スマホに関する技術的な内容理解をおさらいするために、通話とバッテリーの二つについて見ていく。

 まずは、FaceTimeやSkypeといったアプリを使った音声通話と、通常の携帯電話での通話との技術上の違いについて。

 LINEなどのアプリが行う音声通話は、メールの送受信やウェブサイトの閲覧と同じく、データ通信(パケット通信)のしくみを使って行われている。(52頁)

 アプリでの音声通話は、パケット通信を用いて行われている。したがって、ネットワーク上の通信環境が悪化すると、音声は途切れがちになったり、接続できなくなってしまうという現象が起きる。

 通常の携帯電話の通話は、一定の通話品質を保つため、通話専用の方式で通信を行っている。具体的には、音声通話を行う間、一部の周波数の範囲をつねに使用するように割り当てている。(52頁)

 一方、通常の携帯電話の通話は、インターネットに接続せず、通話専用の回線を用いているため、通話が途切れるリスクが軽減されている。数年前までは、通信キャリア同士が通話の繋がりやすさを競っていたが、あれは基地局の数とカバー率が不十分であったために起きた現象である。したがって、基地局が必要にして十分な状況であれば、アプリを用いた音声通話と比較して、携帯電話における通話では支障が起きづらい。

 次に、スマホのバッテリー消費について。

 一般的な使い方の場合、バッテリー消費の内訳はおおよそ、画面の表示に2割、利用者が行う通話やインターネットなどの通信に2割、アプリの動作などの電子部品の処理(演算)に4割、そしてスマートフォンが自動で基地局と行う通信に2割といった比率だという(NTTドコモ調べ)。(53頁)

 これは私たちの実感と近いものではないだろうか。たとえば、ある場所への道のりを調べる際にバッテリーの消費の速度が上がることは自明と言えるだろう。また、ダウンロードした音楽を再生する場合に、バッテリーがそれほど減らないことも、このデータに現れていると言えよう。

2015年3月8日日曜日

【第420回】『一瞬の風になれ 第一部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)

 小説というものは、ある面においては、読むシチュエーションによって示唆を受けるポイントが異なるものだろう。他方においては、いつ、どのような状況で読んでも深く感じ入るポイントというものもある。前者は、読み手やその周囲の変化によって変わる部分であり、後者は、読み手が長い間培っている価値観に触れている部分なのかもしれない。

 本書を読むのは三度目である。以前、自分が線を引いている箇所に唸る部分もあれば、そうでないところで味読できる部分もあり、これが本との交わりというものなのではないだろうか。

「新二も走る?」
 連は俺に尋ねた。
 あまりに何気なく聞かれて、一瞬意味がわからなかった。次の瞬間、何か強烈な熱い風を胸に吹き込まれた気がした。
「おう」
 運命のようなものを感じたにしては間の抜けた返事になった。(36頁)

 長年続けてきたサッカーを辞めて、宙ぶらりんな時期を過ごしていた主人公・新二。その親友である連と、体育の授業で50mを一緒に走り、その感覚に心地よさを感じる。その直後に、連から陸上部に一緒に入る提案を受けたシーンである。ここで私が示唆を受けるのは、キャリアにおける意思決定である。キャリア上の意思決定とは、頭で長い間考え続けて論理的に決めるというよりも、それまで漠然と思い、考えてきたことが、ある瞬間に結びつけられて決まるものであろう。それは、後から振り返ると重たい決断であったとしても、そこに至るひらめきのようなものは、あっさりしたものであり、そうしたシンプルな意思決定こそ重要なものなのではないか。

 たとえ、自分のほうがタイムがよくても、チームというのはそんな簡単なものだとは思っていない。でも、遠慮はしない。与えられたチャンスはつかむ。それも、また、チームってもんだから。(69頁)

 チームプレイというものは、スポーツであれ企業であれ、どのような組織でも求められるものである。チームのために尽くすというと聞こえはいいが、チームと妥協する、他者と優しく接する、ということだけで充分ではない。むしろ、チームにとって効果を出せることであれば、遠慮をせずに、自分自身のベストを尽くすこと。多少の軋轢は起きたとしても、長い視野で、チームのことを考えるのであれば、そうした個人という要素もまた、非常に大きなものなのだろう。

2015年3月7日土曜日

【第419回】『今こそアーレントを読み直す』(仲正昌樹、講談社、2009年)

 これほど多くのポストイットを貼った本は久しぶりである。最近では図書館の本を読むことが多く、読書録を書くために、客観的に重要であると思われる点や主観的に引用したい点にポストイットを貼るようにしている。したがって、結果的に付箋を貼る箇所が多い本とは、私にとって面白くかつ興味深い本であるということになる。他方で、ポイントが多いと読書録をまとめるのが難しくなるため、本書の場合、うれしい悲鳴をあげながら書き連ねていくこととなる。無理に全体を要約するのは勿体ないので、章ごとに以下に記していくこととする。

【序章】「アーレント」とはどういう人か?

 アーレントがその著作を通して繰り返し問題にしているのは、まさにそうした意味での「政治思想」のステレオタイプ化、平板化である(と私は主張する)。近代的な「市民社会」に生きている(つもりの)“我々”は何となく、「『我々』は前近代社会の人たちよりも、政治的意識が高く、複眼的な思考ができるはずだ」と思っている。しかし、市民権を有する国民全てが参加する現代の「政治」においては、人々の利害,関心、意見を集約するために、各種のメディアを使って情報の操作・加工が行われている。「分かりやすく」するわけである。というより、情報の操作・加工によってみんなの考えを「分かりやすい」形にまとめておかないと、物事を決定しようがない。“我々”の多くは、「政治なのでそれは仕方ないことだ」と思っている。しかし、そうした“政治”のための「分かりやすさ」に慣れすぎると、“我々”一人一人の思考が次第に単純化していき、複雑な事態を複雑なままに捉えることができなくなる。(12~13頁)

 本書は、アーレントを解釈しながら、アーレントであったならば主張しそうなことを著者が代弁するという形式で書かれている。上記の部分では、私たちが現実を「分かりやすい」ものにしすぎる傾向を持つことと、その危険性について警鐘が鳴らされている。では、半永久的に続く思考に疲れ、思考停止し、「分かりやすい」ものへと安易に逃れないようにするために、私たちはどのような態度を取ることが求められるのか。

 アーレントに言わせれば、利害のために「善」の探求を放棄してもダメだし、特定の「善」の観念に囚われすぎてもダメなのである。両極のいずれかに偏ってしまうことなく、「善とは何か?」についてオープンに討議し続けることが重要だ。政治的共同体の「善」について様々な「意見」を持っている人たちがーー物質的な利害から解き放たれてーー公共の場でお互いに言語による説得を試み合うことが、アーレントの考える本来の「政治」である。そうした意味での「政治」を通して、暴力とか感情によって相手を支配しようとするのではない、「人間」らしい関係性が培われるというのが、アーレントの独特の「人間」観である。まとめて言うと、物質的利害を超えた「政治」的な討議を通して、我々は「人・間」になるのである。(17頁)

 あるイシューに対して強く賛意を示したり、また強く反対を示す。そうした両極端な態度というものは、傍から見て「分かりやすい」ために、一見すると好ましいものとして捉えられやすい。しかし、過剰に現実を削ぎ落すということは、論点を捨象することを意味する。アーレントは、こうした「分かりやすさ」を求めるのではなく、自分自身を他者に対して常にオープンな状態にして、多様な観点に基づいた対話を行なうことを重視する。そうすることが人間の本質的な関係性のあるべき姿であるとしているのである。

【第一章】「悪」はどんな顔をしているか?

 この章では、『全体主義の起源』を紐解きながら解説が試みられている。ユダヤ人として、ナチスドイツの影響を受ける地域で生活し、収容所に連行される直前のタイミングで亡命を果したアーレントの論稿である。

 「全体主義」が、西欧近代が不可避的に抱えている矛盾を凝縮した現象だとすれば、それを克服できるオルターナティヴを一理論家が呈示するというのは、ある意味、極めて僭越な振る舞いである。それを承知しているからこそ、アーレントは敢えて処方箋らしきものを示そうとしなかったのだ、と私には思われる(35頁)

 まずアーレントは、全体主義という現象を西欧近代が内包している矛盾を凝縮した現象であると喝破する。その上で、西欧近代というグランド・セオリーの内側から、その内包する問題を根本的に解決する代替案を提示するということの困難さを認めている。だからといって、全体主義への批判を行わないわけではない。そうではなく、西欧近代が不可避的に生み出した全体主義の困難性を受け容れた上で、その現象が生じる背景を明らかにしようとしたのである。

 彼女はそこに、「同一性」を求める国民という集団が、自分たちの身近に「異質なる者」を見出し、「仲間」から排除することによって、求心力を高めていこうとする「自/他」の弁証法のメカニズムを見る。本当のところは誰を標的にしてもよかったのであるが、歴史的にヨーロッパ諸邦における迫害の対象であり続け、しかも市民社会の発展と共に、各「国民」の内部に入り込んで見えにくくなっている「ユダヤ人」は、仲間を内部から浸食する「敵」としてイメージしやすかった。(43頁)

 ナチスドイツにとって、ユダヤ人は決して多くなく、ユダヤ人がドイツ経済を逼迫しているということではなかった。むしろ、マイノリティとして社会に溶け込んでいる存在であったからこそ、ナチスドイツが純粋なナショナリズムを体現するために、マイノリティを排除しようとしたのである。異質なマイノリティを排除することにより、「我々」意識に基づくナショナリズムを高揚させようとしたのである。

 全体主義は、現実の世界の不安や緊張感に耐えられなくなった大衆が、逃げ込むことのできる、文字通り「トータル(全体的)」な空想世界を構築する。そのトータルな空想的世界の中でこそ、大衆はアットホームに感じることができるのである。ただし、この空想的世界は全面的に現実世界から切り離されているわけではなく、現実をかなり歪曲した形で加工したものが、全体主義的な空想の基盤になる。(52~53頁)

 マイノリティを排除する論理の背景として、全体主義は、現実に不満や不安を抱く大衆がコミットできる物語を提供する。そうした物語は、単なる虚構ではなく、大衆を説得できるように、事実に基づいたものとなっている。虚構に基づいた物語では、大衆に対してアピールできない。しかし、そうした事実は、作為的に現実のある部分のみを描き出し、かつ歪曲して加工したものであることに留意が必要である。

 アーレントは、屍体製造工場のような収容所を、組織的に秩序立てて運用することが可能であったのは、人間を「人格」を持った存在としてではなく、製造工程に載せられている単なる物として扱い、その物が最終的にどうなろうと良心の呵責など覚えることのないメンタリティが、全体主義支配を通して形成されていたからだと示唆する。生身の人間を、工場のベルトコンベヤーに載せられている商品のように、淡々と流れ作業的に扱うことができるということは、扱う側自身も、機械の部品のようになってしまい、自らの頭で考え、判断しなくなっていることを含意している。その意味で、収容所は、人々の「人格」の個別性を破壊・抹消し、首尾一貫した世界観によって支えられるシステムの一部にしてしまう全体主義の特徴を凝縮している、と言える。(61頁)

 全体主義のおぞましい特徴の一つとして、物語の中に含まれた人々が人格を喪うことが挙げられる。当時の収容所において、ユダヤ人を抹殺したナチス政権下の人々は、ユダヤ人を人間として認識せず、機械的に作業をこなしている状態であった。抹殺を行う主体も、抹殺される客体も、人間としての人格を喪失した状況。これが全体主義の持つ一つの悲劇的な帰結である。では、どうすれば全体主義の世界観に飲まれずにいられるのか。アーレントは一つのヒントを示唆する。

 肝心なのは、各人が自分なりの世界観を持ってしまうのは不可避であることを自覚したうえで、それが「現実」に対する唯一の説明ではないことを認めることである。他の物語も成立し得ることを最低限認めていれば、アーレントの描き出す「全体主義化」の図式に完全に取り込まれることはないだろう。他の物語の可能性を完全に拒絶すると、思考停止になり、同じタイプの物語にだけ耳を傾け、同じパターンの反応を繰り返す動物的な存在になっていく。(57~58頁)

 両極端な態度に惹かれる傾向、その極地として全体主義が持つ物語に惹き付けられて思考停止を心地よく思いたくなる心性を持つこと。これらを自覚した上で、他の物語の可能性を、私たちは常に意識することが必要なのである。思考をオープンにし、多様なフィードバックを重視する姿勢は、「論語」のあり方と近いものではないか(『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年))、と私は邪推してしまうのであるが、いかがだろうか。

【第二章】「人間本性」は、本当にすばらしいのか?

 本章では『人間の条件』が解説されている。

 アーレントにとって、ナチスやスターリニズムに端的に見られる「陳腐なる悪」の本質は、多くの人を殺したことそれ自体よりも、自分たちと考え方が違う異なったものを抹殺することによって、「活動」の余地をなくし、「複数性」を消滅させようとしたことにある。「複数性」を喪失した“人間”は、他者との間で本当の意味での対話をすることができなくなるのである。(80~81頁)

 全体主義は、本来的に多様な考え方や有り様が存在するものを、一つの物語によってそこに同化させることにその特徴がある。したがって、対話という他者どうしのオープンな相互作用(『探究Ⅰ』(柄谷行人、講談社、1992年))が抹殺されることにその危機の本質がある。では、そうした作用に対抗するために、人間性をどのように涵養することがあり得るのか。

 「政治」に取り組むことを通して「市民」たちは、他の市民を説得するコミュニケーションのための各種の技法・知識を身に付ける。それが「人間らしさ」なのである。古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、「人間は政治的動物である」と述べたことが知られているが、その場合の「政治」には、「活動」を通して、各人が各種のコミュニケーションの技法、教養を磨き、「複数性」を生み出すということが含意されている。突き詰めて言えば、ポリスの「公的領域」で、「人間性=人間らしさ=フマニタス」が形成されたのである。(92頁)

 人間性とは、多様な考えの人々からなるアリーナのような領域において、オープンな対話によって身に付けられる。むろん、対話そのものだけではなく、対話をするために知識や教養から成る複数性を見出そうとすることによっても身に付けられるのである。

 アーレントがモデルにする古代のポリス的な世界では、「政治=共和制」の舞台の「表/裏」という意味合いで「公/私」の区分が為されており、各市民は「公」での「公衆」向けの振る舞い方と、「私=家」での振る舞い方を使い分けながら、「人間らしさ=フマニタス」を身に付けていたのである。(101頁)

 人間性を涵養するモデルとしてアーレントが挙げるギリシアのポリスでは、公と私の区分が為されている。公的な領域において人間性を身に付ける裏側には、私的な領域が存在していたのである。

 「社会的領域」において疎外が進行し、人間らしさが失われていくにつれ、人々は「親密圏」の中に、“人間”らしい魂の繋がりのようなものを求める傾向を強めていく、とアーレントは指摘する。「親密圏」というのは、古代的な意味での「私的領域」から「経済」的な生産機能が取り除かれて、親子や夫婦などのごく身近で、親密な人たちから成る関係性へと変貌したものである。狭義の家族だけではなく、恋人、友人などの心を許せる相手もそこに含まれる。基本的に経済的な利害関係とは独立に成立する人間関係なので、“純粋に人間的な繋がり”であるかのように思われるわけであるーー無論、家族の間には経済に起因する力関係があり、恋人や友人との関係もそうしたものから独立とは言えないが、ここで問題なのはそうした現実ではなく、共同幻想的なイメージである。(109頁)

 ポリスにおいては社会的領域で人間性が涵養されていたが、時代を経るに連れて、人間疎外が起きることで社会的領域で人間性が身に付きづらくなっているという。その結果、現代社会においては、人間らしい人付き合いが為される空間が公的領域から私的領域へと変容している。

 「プライバシー」を本質とする「親密圏」に人々が“人間”的な憩いを求める傾向をアーレントは全面的に否定的に評価しているわけではないが、そこにのめり込んでしまって、公的領域における「活動」に対する意欲を失ってしまう危険性を指摘している。(110頁)

 疎外された公的領域の代わりに、私的領域において親密性を得ようとする私たち。そのこと自体をアーレントは否定するわけではないが、公的領域において人間性を涵養しようとする努力を続けることもまた、私たちには必要なのである。繰り返すが、そうした公的領域におけるオープンな対話から身につけられる人間性が、全体主義に対抗する私たち一人ひとりの有効な態度だからである。

【第三章】人間はいかにして「自由」になるか?

 この章では『革命について』を紐解きながら、著者が解説を加えている。

 古代のポリスの特殊な環境と結び付けて「人間性」という理念の形成を論じていることから分かるように、アーレントは、ヒトは生まれながらにして素晴らしい“人間性”を有しているとも、ヒトが育ってくる過程で自然に“人間性”を身に付けるとも考えていない。「公/私」が厳格に分離している環境の下での「活動」を続けなければ、「人間」らしく振舞えるようにはなれない。ヒトとして生まれたというだけでは、「人間」の特徴である複眼的な思考をすることができるようにはならないのである。(118頁)

 まず、再確認として、ヒトは生まれながらにして美しい人間性を持っているわけではなく、公的領域におけるオープンな対話を通じて人間性を身に付けることが述べられている。こうした人間性の特徴として、単一の物語に基づく思考ではなく、複眼的な思考が挙げられていることに今一度留意したい。

 物質的な欠乏状態あるいは、暴力による抑圧状態から「解放」されたヒトが、そのことに満足してしまい、自らの属する政治的共同体にとっての「共通善」を探究することを止めてしまったら、そのヒトは「自由」だとは言えない。「共通善」をめぐる果てしなき討論の中で、「人間」としての「自由」が現れてくるのである。(125頁)

 複眼的な思考をアップデートしていくためには、何か一つのものを共通善として同定してしまいたい私たちの欲求を制御する必要がある。つまり、共通善を探究するべく、多様な他者と絶え間ない対話を続けていくことが求められる。さらに、そうしたプロセスを経て得られた共通善は束の間のものにすぎず、変化するものであることを意識し、対話を継続することが必要である。

 アーレントは、法廷においてヒトが「法」によって役割を与えられた「人格」として振る舞うことと、公的領域において各市民=活動主体(actor)が、他の市民にアピールするために、良き市民としての「仮面」を被って「活動=演技act」することは、根底において繋がっていると考える。「人格」は、ヒトが成長する過程で“自然”と備わってくるものではなく、「公衆」の目を意識した「演技=活動」において演ずべき「役割」なのである。従って、それは、公衆のまなざしに晒されることのない「私的領域」で見せる“素顔”とは、自ずから異なったものである。(140頁)

 絶え間ない対話を続けるための一つの方法として、多様な人格を演技によって示すことをアーレントは指摘する。ここで大事なことは、公的領域において示す演技としての人格を、一人の人間自身が多様に保有しているということであろう。多様な内的可能性としての人格を演じ合うのである。

 近代の哲学者が、「人間」存在の根底にある最も本質的なものを追求してきたのに対し、アーレントは「見せかけ=現れ」を重視する。「政治」の本来の場である「公的領域」は「現れの世界」である。「現れ=見せかけ=仮象」などを意味する英語の<appearance>に対応するドイツ語<Schein>には、「輝き」という意味もある。各人が、生のままのヒトとして振る舞う私的領域ではなく、「人格」という「仮面」を被って自らの「役割」を演じる「公的領域=現れの世界」においてこそ、「人間性」が「輝く」のである。(142頁)

 近代的な人間観が、人間性は本質的に内部に備わっていると考えるのに対して、アーレントは演技によって人間性が身につけられる、としている。そして、演技によって人間性を身につけていく過程は、その人間を輝かせるものであるとまで述べていることは着目するべきであろう。

 「公共性」は、発言する主体たちが、自らの正体(アイデンティティ)を「公衆」の面前に晒したうえで、自らの意見は単なるその場限りの感情によるものではなく、論理的根拠と一貫性があり、「公共善」に資するものであることを主張し、他者を説得しようとすることを通して生じてくる。(147頁)

 公的領域において演技をし合うことによって人間性を身につけていくというと、本音を隠して建前を話すと誤解を招きがちだが、そうではないと著者はする。つまり、発言者は自分自身を晒した上で演技をすることが求められるのである。さらに、そこで演技をして主張する内容は、論理的一貫性に基づいて説得しようとする態度が必要なのである。

【第四章】「傍観者」ではダメなのか?

 この章は、急逝により未完の三部作となってしまった『精神の生活』について述べられている。

 第一部「思考」は、彼女の師であるハイデガーの時間論と、小説家カフカ(一八八三―一九二四)の寓意的アフォリズム集『彼』を参照しながら、「思考」が「現在」と結び付いていることを示唆して終わっている。「思考」が「現在」と結び付いているのは何故か、というのは本当のところ簡単には説明しにくいが、敢えて一つの文で要約すると、「私が思考しており、かつ存在している」と確実に言えるのは、「私が現に思考しているこの瞬間」だけだからである。(176頁)

 思考している自分というものを考えた時に、将来における存在性と、過去における存在性とはふたしかであり、現在と思考とが結びつく、とアーレントは考えた。さらに彼女は、第二部の「意志」において以下のように論を進める。

 「自由意志」が実在しないと考える場合でも、実在すると考える場合でも、“意志の主体”としての「私」はそもそも何なのか、「私」は何によって“私の意志”を定めているのか、よくわからなくなってくる。それが「自由という深淵」である。(184頁)

 現在において考える私の意志とは何か。そこにアーレントは「自由の深淵」を見出している。この後の第三部を執筆している途中で彼女は急逝してしまうのであるが、著者は第三部を、彼女が生前に行なった「カント政治哲学講義」が該当するとして論を進めている。

 我々は事の善/悪という、一見すると極めて主観的な価値についての「判断」を行うに際して、自分と同じ共同体を構成する他者たちの視点を取り込んでいる、ということが言えそうだ。善/悪の判定の根底に、他者たちの過去の考え方や価値判断が潜んでいるというのは、ある意味、至極当然の見方だろう。そうした「過去」を背景にした「判断」が、私がこれから行動を起こそうとするにあたり、自分の取るべき立場についていろいろと「思考」し、最終的に自らの「意志」を形成するに際しての基準になる。そういう形で、「思考」や「意志」は、「判断」と繋がっているのである。「判断力」は、「過去」と「現在」と「未来」を、そして個人の「精神の生活≒観想的生活」と「活動的生活」を結ぶ、極めて重要な能力として位置付けることができる。(189頁)

 自由の深淵の背景には、他者の視点が取り込まれているという指摘は重たい。自由とは、自分の視点で好き勝手に考えられるということではなく、他者を意識し、他者の視点を取り込んでいる状態を指すのである。ここまでの議論をまとめて、アーレントとカントによる政治哲学のテーゼを以下のように要約している。

 「共通感覚」と、それに根ざした「判断力」を全面的に開花させるには、各人がいかなる物理的制約も受けることなく、自由にコミュニケーションすることができる「公的空間」、更には「公的空間」を舞台裏から支える「私的領域」をも備えた「政治的共同体」が必要なのである。それが、(仲正流に再構成した)カント=アーレントの政治哲学の中心テーゼである。[判断力→共通感覚→拡大された思考様式→活動→公共性]というラインで、カントの三批判とアーレントの政治哲学、観想的生活(精神の生活)と活動的生活(政治的生活)とが繋がっているのである。(203頁)

 直接的には表舞台に加わらない、「観客」が存在し、様々な視点から問題を注視していることによって、「政治」に「複数性」がもたらされるのである。私個人にとっての必然性もないのに、特定の立場にコミットして、無理に積極的なアクターになろうとする必要はないし、アクターになろうとしない人を、安易に卑怯者呼ばわりすべきでもない。(211頁)

 著者は最後にこのように述べ、表舞台に出てこようとしない観客という立ち位置を肯定的に捉える。主体者ではない観客という存在によって、公的領域における複数性が担保されるからである。対案を示さなければ批判をしてはいけないと強弁する人物の言い分も分かるが、批判精神を持った観客という存在は、私たちの社会にとって必要な存在なのではないだろうか。


2015年3月1日日曜日

【第418回】『フェルメール 静けさの謎を解く【2回目】』(藤田令伊、集英社、2011年)

 なぜフェルメールの作品は「静けさ」を描けているのか。この問いに基づいて、著者の仮説を提示しているのが本作である。主に四つの点を指摘している。

 伝統的経験的な認識と科学的な検証が矛盾なく青という色の性質を明かしていることになり、私たちが青という色に静けさや超越性を感じるのは、ただ単に個人的あるいは主観的な印象ではなく、普遍的な青の性質ということができそうなのである。すなわち、青は科学的客観的にも静謐の色なのだ。(31頁)

 第一は青という色である。フェルメール・ブルーという言葉があるように、フェルメールと言えば青が特徴的である。この青という色自体が、印象面だけではなく、色彩心理学などを例示しながら科学的にも静謐さを示す色であると著者は主張する。

 フェルメールの絵が他とは異なる「静謐」を湛えるのは、現実をひたすら尊重する伝統的な描き方に留まらず、現実を超えた独自の「絵画世界」への探求があればこそ、といういい方ができるだろう。(87頁)

 第二の点は、現実をそのまま写実するという当時の描き方ではなく、自分自身の解釈に基づいて現実とは異なる独自の世界観を絵の中に表現しているという点である。フェルメール自身の内側にある、イデアとしての静けさを作品の中に表現することによって、現実よりも静謐な世界を現出させているのである。

 フェルメールの静けさとは、成熟した大人の静けさである。無言のうちに人間味を感じさせ、賢く、謙虚なニュアンスを含んだ、奥行きのある静けさ。無機質で冷ややかな静けさではなく、人にやさしい静けさである。そんな質のある静けさがフェルメールの「静謐」なのだと思う。(112頁)

 第三の特徴として、冷たさといった無機質なものではなく、静謐というどこか人間の温かみや穏やかさがフェルメールの作品に存在する点が指摘されている。派手やかさではなく、謙虚で慎ましやかな人物描写や光の描写が、フェルメールの静謐さを生み出しているようだ。

 モチーフの削除は絵の物語性を希薄化させ、絵を「読む」手がかりを少なくしてる。その結果、フェルメール作品では絵の意味するところを探る以前に、そもそも絵が何かを物語っているのかどうかさえ判然としなくなり、いくつかの絵ではそれが寓意画なのかそうでないのか、専門家のあいだでも意見が分かれるといったことになってしまっている。(122頁)

 最後の第四の点は、物語性の希薄化である。物語としての意味合いを持った絵画では、鑑賞者が物語の文脈に影響を受け、不必要な色合いが加味されてしまう。反対に、そうした物語性を削ぎ落すことで、作品自体の静けさが際立つことになったのではないか、と著者はしているのである。当時の主流は宗教画であったことに着目すれば、フェルメールの作品の新規性を理解することができるのではないだろうか。