2018年7月29日日曜日

【第859回】『ブラックスワンの経営学』(井上龍彦、日経BP社、2014年)


 最近は、ビジネス書でも、単にハウツーを教えるのではなく、方法論の背景や当てはめに関する方法論について触れる書籍が増えてきているように思う。本書も、そうした書籍の一冊であり、ビジネスにおける考え方を養うことに踏み込んだビジネス書と言えそうだ。

 文字情報に概念を割り当てる作業のことをコード化といいます。ブルーマンたちの研究チームでは、2人1組で1つのインタビューについて責任をもち、それぞれの発言に概念を割り当てることにしました。この方法は、「デュアルコーディング」と呼ばれ、最初にコード化する者と次にコード化する者をあらかじめ定めて作業を行うのです。(81~82頁)

 修士論文を執筆する際の研究活動において、インタビュー内容をコーディングすることで概念化した身で申し上げるのはやや恥ずかしいが、デュアルコーディングという方法論を初めて知った。一人でコーディングする際には、M-GTAを用いて研究上の正当性はあったと思うが、どこかに恣意的な思いが介在しているようで不安な心持ちがあったものである。

 わざわざ複数の調査者によってコード化するのには理由があります。誰が概念を割り当てても安定的に同じ結果が導かれるべきなのですが、1人でコード化するとどうしても不安定になります。この研究では、この問題を回避するために2人でコード化するという方法がとられました。(82頁)

 デュアルコーディングの素晴らしさは、こうした恣意性が入る要素を極小化することができることであろう。二人でコーディングを行うことによって、客観性を担保できる度合いが格段に上がる。もちろん、工数という煩わしさはあるが、興味深い研究の方法論であると思う。

【第244回】『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一ら、ダイヤモンド社、1984年)

2018年7月28日土曜日

【第858回】『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(山田ズーニー、PHP研究所、2001年)


 新卒で入社した会社では、著者のブログや書籍が流行っていて、入社当時はバイブルのように読んだものである。対象の違いはあれども、教育を志すという共通の想いと、若手のビジネスパーソンとして大小の壁にぶつかる私たち読者が共感できる内容だったからであろう。

 年齢を重ねるにつれて、いつしか著者の文章から離れていたが、しばらくぶりに読んで心地よい感じがした。以前読んだときに印象的だったために線を引いている箇所とは違うところに感銘を受けることが多かった。この気づきもまた、興味深い。

 著者は、自分で考えて、自分で書くことを一貫して主張する。別に考えなくてもいいし、書かなくてもいいとも思えるのだが、その主張の背景には以下のような想いがある。

 それでも思考を前にすすめたとき、見えてくるのは、他のだれでもない「自分の意志」だ。
 さらに、自分の意志を書き表すことによって、人の心を動かし、望む状況を切り開いていけるとしたら、こんなに自由なことはない。(24頁)
 自分自身に納得し、その結果として他者に何かが伝わることを目的として、私たちは考え、書くことが求められる。考え、書くことを通じて、自由を手にすることができる、という箇所には、著者の想念のようなものを感じる。

 エゴから発した表現が人の心を動かすことはない。そういう気持ちにとらわれた時は、書くのをやめ、少し、根本思想が変わるのを待つ。根本に人や、社会に対して、温かい、ポジティブなものがわいたら、また書きはじめる。(105頁)

 考えて書いた結果として、書き手の根本思想が伝わる。それは良くも悪くもということなのであろう。邪な想いで真剣に書かれたものからは、曰く得体の知れない怨念のような気持ちの悪さが読者には伝わってくる。現実的な私たちの方針として、ポジティヴな明るい想いが出てくるまではアウトプットを控えるという指摘はありがたい。

 自分の想いを語れば、孤立する。自分の考えで行動すれば、打たれる。そのどこが自由なのか、と言う人がいるかもしれない。でもそれは、他ならぬ自分の内面を偽りなく表し、自分として人に関わっていけるということは、極めて自由なことだと私は思う。(中略)
 だからこそ、早いうちから、自分の意志を表現して打たれ、失敗を体の感覚にやきつけていかなくてはならない。表現力を磨き、成功体験を重ね、熟練して、自分の意志で人と関わっていけるようにしていくのだ。そういう自由を私は欲しい。そのための思考力・表現力の鍛錬なのだ。(219~220頁)

 表現することには多大な影響力があり、それは、ポジティヴにもネガティヴにも大きな作用をもたらす。だからこそ、努力して、アジャストできるように、表現力を練磨していくことが私たちには求められる。著者にとっては、そうした人たちをサポートすることが、表現力を鍛える根本思想なのではないだろうか。

【第10回】『「働きたくない」というあなたへ』(山田ズーニー、河出書房新社、2010年)

2018年7月22日日曜日

【第857回】『対話のレッスン』(平田オリザ、講談社、2015年)


 対話という概念がよく使われるようになったのは二十年くらい前からであろうか。なぜ対話が現代において求められるのか。著者は会話と対話との定義の違いを端的に述べ、その必要性を展開している。

 「対話」(Dialogue)とは、他人と交わす新たな情報交換や交流のことである。「会話」(Conversation)とは、すでに知り合った者同士の楽しいお喋りのことである。では何故、演劇には、対話が重要な要素となるのだろうか。
 日常会話のお喋りには、他者にとって有益な情報はほとんど含まれていない。演劇においては、他者=観客に、物語の進行をスムーズに伝えるためには、観客に近い存在である外部の人間を登場させ、そこに「対話」を出現させなくてはならない。(16~17頁)

 他者に対して開かれたコミュニケーションが対話であり、知り合い同士の閉じたコミュニケーションが会話だと著者は定義する。他者性が多様化する現代において、対話が求められることは自明であろう。

 私たちが創り出さなければならない二一世紀の対話のかたちは、曖昧で繊細なコミュニケーションを、省略したり記号化したり、あるいは機能的にするのではなく、そのままの豊かさをかねそなえながら、しかも他者(たとえば外国人)にも判りやすく示す者でなくてはならない。(59~60頁)

 対話の重要性が述べられる際に、日本人が得意としないローコンテクストでのコミュニケーションの重要性が指摘されることが多い。実際に、私たちはローコンテクスト文化に基づいたコミュニケーションを学ぶ必要性はあるだろう。しかし、それとともに情況に応じてハイコンテクストなコミュニケーションの良さを対話に活かすという著者の指摘は面白い。

 コミュニケーションの曖昧さや繊細さを残すということは、多様な他者が織りなすコンテクストを理解し、コミュニケーションを調整するということではなかろうか。その際に、何を発話するか、どのように聴くか、だけではなく、問いかけに対するセンスも求められる。

 人間には問いかけてはならない問いというものがあるのだと私は思う。(196頁)

 質問することは他者への関心を示すものであり、他者の気づきを促すというポジティヴな作用がある。しかし、「問いかけてはならない問い」という著者の指摘にハッとさせられた方もいるのではないだろうか。少なくとも私はそうであった。

【第443回】『ダイアローグ』(デヴィッド・ボーム、金井真弓訳、英治出版、2007年)
【第291回】『探究Ⅰ』(柄谷行人、講談社、1992年)
【第10回】『「働きたくない」というあなたへ』(山田ズーニー、河出書房新社、2010年)

2018年7月21日土曜日

【第856回】『采配』(落合博満、ダイヤモンド社、2011年)


 監督在任期間の八年間ですべてAクラス入りし、そのうち四回もの優勝を飾った実績は、申し分がない。決して戦力が図抜けていたようには思えず、実際に、攻撃面に関するデータはむしろリーグの中でも相対的に低かったと言える。三冠王を三度も取った天才的な打者であった著者がいかにして守り勝つ名将になったのか。

 監督を退任した後に著したものだからか、著者は率直に語っているようだ。考えながら言葉を紡いでいるようで、どれほど真剣に考え、選手やコーチに接してきたかが垣間見える。組織におけるマネジメントという観点では、野球とは関係のない組織においても学べることに富んでいる。

 内心でいら立つくらい飲み込みの悪い選手ほど、一度身につけた技術を安定して発揮し続ける傾向が強い。彼らの取り組みを見ていると、自分でつかみかけたり、アドバイスされた技術を忘れてはいけないと、何度も何度も反復練習している。自分は不器用だと自覚している人ほど、しっかりと復習するものなのかもしれない。技術事に関しては、飲み込みの早さが必ずしも高い修得率にはつながらない。だからこそ、じっくりと復習することが大切というのが私の持論だ。(40~41頁)

 予習より復習こそが大事であるという著者の考えに基づいて、もっと踏み込んで述べている箇所である。身に付くのが遅く、本当に修得できるのか不安に思っても、ひたすら復習を丹念に繰り返すこと。そして、選手がそうした姿勢で取り組むことを、監督やコーチは辛抱強く見守り、時にフィードバックをすることが、求められるだろう。

 変わるべき部分と変わってはいけない部分を見極めるためには、毎日よりも、何日かおきに見たほうがいい。(177頁)

 この部分は、マネジャーにとって目から鱗の至言と言えるのではないだろうか。ともすると私たちは、部下の言動を具に観察し、観察したものに基づいてフィードバックをせよ、と言われる。決して間違っていないとは思うが、観察過多になると、相手の成長の状況をしっかりと把握できないリスクがある。このように考えると、客観的に相手の言動を見極めるためにも、ある程度時間をあけて観察すること有効なのかもしれない。

 自分がいいと思うものを模倣し、反復練習で自分の形にしていくのが技術というものではないか。ピアニストや画家と同じ。私の記憶を辿っても、プロ入り後にチームメイトや対戦相手の選手を手本にしたのは一度や二度ではない。模倣とはまさに、一流選手になるための第一歩なのだ。(232頁)

 「オレ流」とメディアで形容された自身の監督像を明確に否定し、模倣によって身につけてきたと著者は言う。但し、ただ他者を模倣して同じことができるように目指すのではなく、自分の形にすることがさらりと述べられていることに留意が必要であろう。

【第570回】『オシムの言葉』(木村元彦、集英社、2005年)
【第705回】『イチロー・インタヴューズ(2回目)』(石田雄太、文藝春秋、2010年)

2018年7月16日月曜日

【第855回】『論語物語』(下村湖人、青龍社、1998年)


 論語を大胆に解釈し、物語として語られた作品。青龍社のものを今回は読んだのであるが、戦前に書かれたものを「名著発掘シリーズ」と銘打ってリバイバルした出版社の意欲にも敬意を表したい。

 全編を通じて感じるのは、教師としての孔子のあり方である。多様な弟子とのやり取りでは、ハッとさせられる学びの中に人間味も感じさせられる。

「子貢、何よりも自分を忘れる工夫をすることじゃ。自分のことばかりにこだわっていては君子にはなれない。君子は徳を以ってすべての人の才能を生かしていくが、それは自分を忘れることができるからじゃ。才人は自分の才能を誇る。そしてその才能だけで生きようとする。むろんそれでひとかど世のなかのお役にはたつ。しかし自分を役だてるだけで人を役だてることができないから、それはあたかも器のようなものじゃ」(30頁)

 孔門十哲の中で、実務家の匂いがする子貢にはどこか共感を覚える。その子貢に気づきを促そうとする孔子の言葉は厳しいものだが、同時に愛情にも溢れているように思える。自身がどのような人物であると師に評価されているかにばかり気を取られている子貢に対して、孔子は、自分自身へのこだわりを捨てよと述べる。

 社会に対して貢献できているか、他者の役に立っているかという意識を持つことは自然なものであろう。そしてその前提として、自分自身がそれにふさわしい言動を取れているかにも意識は向かうものだ。そうした自然な意識の発露を代表しているかのような子貢に対して警句を述べることで、私たち読者が学べるものは大きくなる。

「お前は、自分で自分の欠点を並べたてて、自分の気休めにするつもりなのか。そんなことをする隙があったら、なぜもっと苦しんでみないのじゃ。お前は、本来自分にその力がないということを、弁解がましくいっているが、ほんとうに力があるかないかは、努力してみた上でなければわかるものではない。力のない者は中途で斃れる。斃れてはじめて力の足りなかったことが証明されるのじゃ。斃れもしないうちから、自分の力の足りないことを予定するのは、天に対する冒瀆じゃ。何が悪だといっても、まだためしてもみない自分の力を否定するほどの悪はない。それは生命そのものの否定を意味するからじゃ。」(62頁)

 子貢と同じく孔門十哲に数えられる冉求への厳しい言葉である。私たちは自分を守るために、失敗する前に予防線を張りたがるものだ。そうして努力したのにうまくいかなかったという避けたい状況を防ぎ、かつ自身の現状をわかっているというメタ認知を誇ろうとすらしてしまう。

 そうではなくて、孔子は、斃れてみろ、と冉求を諭す。斃れてみて初めて、自分自身の現状を知り、将来に向けた自身の内にある多様な可能性に気づけるのかもしれない。

【第693回】『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)【4回目】
【第340回】『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年)
【第642回】『すらすら読める論語【2回目】』(加地伸行、講談社、2011年)
【第207回】『孔子』(井上靖、新潮社、1995年)

2018年7月15日日曜日

【第854回】『関ヶ原(下)』(司馬遼太郎、新潮社、1974年)


 源平の合戦、南北朝の争乱、戊辰戦争。天下を二分した争いは長きに渡ることが普通であり、半日で終わった関ヶ原の戦いは特異な戦闘行動だったのであろう。上巻・中巻を読んでいると、必勝の短期決戦に持ち込んだ家康の戦略眼の素晴らしさが目立っていたが、最終巻では三成による乾坤一擲の勢いにも惹きつけられた。

 それでも最後は、歴史の教科書で太字で書かれるように、徳川家康率いる東軍が勝利を収める。

 緒を締め、忍び緒をむすび、やがて結びおわって、
 ーー勝って兜の緒を締めよ、というのはこのことだ。
 と、上機嫌で警句を吐いた。(438頁)

 北条氏綱が述べたと言われるあまりに有名な警句を大勝利の後に家康は口にしたと著者は述べる。隙を見せず、着実に天下取りを遂行した家康にも似合う台詞である。

 一方、三成が準備の段階で誤りを犯す様は、『失敗の本質』で描かれた日本軍の誤りを見るようだ。

「心配は要らぬ」
 というのが、相変らずの三成の観測であった。観測というより信念であろう。信念というよりも自己の智恵に対する揺ぎなさが、三成の性格であったろう。三成が敬慕する秀吉や信長の場合、すべての情勢と条件を柔軟に計算しつくしたあげく、最後の結論にむかって信念的な行動にうつるのがやりくちであったが、三成の場合は最初に固定観念がある。その観念に、諸情勢・諸条件をあてはめてゆき、戦略をたてる。(166頁)

 観念先行、観念に基づいて都合のよい戦略を立て、精神論で遂行する。私たちは、歴史から学び、日本人の持つカルチャーに留意するべきなのかもしれない。

【第852回】『関ヶ原(上)』(司馬遼太郎、新潮社、1974年)
【第853回】『関ヶ原(中)』(司馬遼太郎、新潮社、1974年)
【第482回】『真田太平記(七)関ヶ原』(池波正太郎、新潮社、1987年)

2018年7月14日土曜日

【第853回】『関ヶ原(中)』(司馬遼太郎、新潮社、1974年)


 家康と三成について記し、またその周囲の人物とのエピソードを挟みながら、関ヶ原へといかに至るかを描き出している。戦闘は一日に満たないものであったのだから、その戦いを描こうとしたら、そこまでのプロセスに焦点が当てられるのは必定であろう。結果へと向かうプロセスの中に、結果の解答の多くは含まれているのである。

 両大将を著者は均等に書いているのかもしれないが、私には家康に関する記述ばかりが印象的であった。戦乱の少ない長きに渡る平和な時代を、戦乱によってもたらした、徳川家康という人物はどのような人間だったのか。

 家康は、元来、自分の疲労に対して用心ぶかい男だ。疲れれば物の考え方が消極的になり知恵もにぶる、ということをよく知っている。(169頁)

 秀吉と比較して、家康の最も大きな利点は、健康な状態で長く生き、後継者を育てたということであろう。自分一代で終わるのではなく、永続する政権を作り上げるためには、後継者育成は必要不可欠であり、当時の状況を考えれば子孫へのバトンタッチの体制を作ることが肝となる。そのためには健康が第一であり、家康は、天下を取るということまでは思っていなかったのかもしれないが、少なくとも徳川家を永続させるために健康に留意をしていたのであろう。

 家康は考えている。この器量人は、信長や秀吉のような電発的に才気がはたらくたちではなく、わかりきった問題でも熟慮をかさねてゆく。(123頁)

 さらには、忍従の精神で取り組むべき問題に熟慮を重ねるという行動指針があったようだ。他の天下人と自身との差異を理解していたのか、元来の特性なのか。いずれにしろ、スピードが重視される戦乱の時代において、結果を導く速度を担保しながらプロセスにおいて熟慮を重ねたことが彼の特徴なのであろう。

 家康は、目をつぶった。家康はもともと天才的な冴えをもった男ではない。自分の独断を信ずるより、一同の賢愚さまざまの意見をききながら自分の意見をまとめてゆくという思考法をとってきた男だ。幕僚たちは家康のそういう思考法を知りぬいているから、互いに大いに論じはじめた。(151頁)

 家康は、熟慮を重ねる際に、他者に対してオープンに接し、広く多様な意見を聴いたという。家臣たちが「大いに論じはじめた」と書かれているのだから、形だけ他者の意見を聞いて自身に忖度した意見が出ることを求めるのではなく、率直に真摯に聴いたのであろう。最終的に意思決定を下すのは自身であり、決断した後は揺らいではならない。意思決定とその後の遂行に自身があるからこそ、他者の意見に対して開いた態度を取れるのかもしれない。

【第482回】『真田太平記(七)関ヶ原』(池波正太郎、新潮社、1987年)

2018年7月8日日曜日

【第852回】『関ヶ原(上)』(司馬遼太郎、新潮社、1974年)


 関ヶ原の戦いといえば、徳川家康と石田三成である。家康の忍従に基づく行動原理は、『覇王の家』で著者が描き出した様そのままであり、その総決算としての天下取りに向けた行動は爽快である。他方の三成については、頭脳明晰で人当たりが悪いというそのままのイメージであり、堺屋太一さんの『巨いなる企て』あたりを思い浮かべながら、どう決戦へと構想していったのかに着目しながら読み進めたいものである。

 この両者がピックアップされるが、大きな伏線となるのは、秀吉の恩顧を受けて見出された家臣たちが、三成派と反三成派とに別れた経緯である。

 三成らが淀殿に昵懇してそこにいわばサロンをつくり、尾張派の北政所閥に対抗したのも自然の勢いであろう。(47頁)
 関ヶ原という史上空前の大事件は、事のおこりを割ってみれば、ふたりの女性のもとで自然と出来た閨閥のあらそいであったといえる。(49頁)

 著者は、両者が別れてグループ形成される際に、秀吉の正妻と側室が絡んでいると言う。北政所側が尾張出身の野戦型のメンバーで形作られたのに対し、淀殿側は近江をはじめとした文政型のメンバーで構成された。秀吉亡き後でいかに秀頼を盛り立てるか、という行動原理の差が両者を分かち、前者を家康が利用して取り込む形で、次第に三成と家康が前面に押し出された。

「そのようにうまくゆくものでございましょうか。」
「ゆくように積みかさねてゆく。ばくちは勝つためにうつ。勝つためには、智恵のかぎりをつくしていかさまを考えることだ。あらゆる細工をほどこし、最後に賽をなげるときにはわが思う目がかならず出る、というところまで行ってから、はじめてなげる。それが、わしのばくちだ」(430頁)

 謀臣である本多正信に対する家康の回答に、彼の勝負勘が端的に表れている。ここまでくると、いやらしさではなく凄みしか感じられない。


【第482回】『真田太平記(七)関ヶ原』(池波正太郎、新潮社、1987年)


2018年7月7日土曜日

【第851回】『人事管理ー人と企業、ともに活きるために』(平野光俊・江夏幾多郎、有斐閣、2018年)


 人事パーソンが、現代の企業における人事の課題とその対応に関する考え方を、網羅的かつ入門的に把握するのに適した一冊である。入門的にと書いたが、随所に深掘りさせる意欲的な箇所があり、読ませる部分も随所にある。

 たとえば、評価と報酬の関係性をモデルで示している以下の図(128頁)だ。


 この図は、描かれてみると当たり前にも思えるのであるが、ここまでシンプルで納得的に表された概念図は、浅学ながら見たことがなかった。評価要素と給与の関係性の図はよく目にするものであろう。しかし、評価要素と地位との関係性を端的に示し、かつそれを評価要素と給与の関係性と重ねている点が興味深い。

 さらには、年齢給という日本企業において特殊な存在を、他の要素と関係していないことを敢えて図示しているのもアイロニーが利いている。関係ないものを省くのではなく、関係していないということを可視化することは、モデル化する上で時に重要なスパイスとなる。

 次に、人財育成に関する指摘を見てみたい。

 今日では、従業員に求められる行動やそのために必要な能力の基準を、企業が社会全体の動向を見据えて可視化することが、有能な人々を集め、チームとしてまとめるために必要である。(中略)
 こうした現状から、エンプロイアビリティに立脚した雇用関係の必然性が浮上する。エンプロイアビリティ獲得のためには、プロフェッショナルとしての能力の習得機会を従業員が主導的に見つけ出して利用すること、そうした機会の発見・利用を企業が支援することが求められる。(中略)
 従業員が「社内プロ」化することに対して積極的に投資を行う企業の姿勢は、労働市場における校庭的な評判と、従業員による「自分はそうした企業の一員なのだ」という意識、および「この企業にとどまってさらに成長したい」という意欲を引き出しうる。(158~159頁)

 エンプロイアビリティが働く個人の視点で重視され始めたのは、日本では2000年頃からである。それに合わせて、企業が社員のエンプロイアビリティを高めることも必要であると言われるようになった。しかし、社員のエンプロイアビリティを高めることは、結果としてマーケットバリューを上げることに繋がり、退出リスクを高めることになりかねないために企業は二の足を踏むことも多い。

 著者たちが上記の引用箇所で述べているのは、それでも企業が社員のエンプロイアビリティを高める支援をすることの必要性である。個人にとっても、企業にとってもメリットがあるという指摘は、本書の副題である「人と企業、ともに活きるために」が単なる綺麗事ではなく標榜すべきテーマであることをよく表しているのではないだろうか。

【第229回】『日本型人事管理』(平野光俊、中央経済社、2006年)
【第1回】キャリア・ドメイン(平野光俊著、千倉書房、1999年)
【第425回】『人事評価の「曖昧」と「納得」』(江夏幾多郎、NHK出版、2014年)

2018年7月1日日曜日

【第850回】『ビギナーズ・クラシックス 百人一首(全)』(谷知子編、角川書店、2010年)


 小学生の頃に百人一首を覚えさせられた方も多いはず。私も生来の負けず嫌いのせいで、全く内容もわからない中でひたすら丸暗記し、かるた取りに勤しんでいた口である。

 意味や背景がわからない中で記憶するというインプット型の「お勉強」は本来的に嫌いである。しかし、歌というものは面白いもので、口に出して読んで語感が心地よいものであり、さすがは藤原定家が選んだ名歌というところであろう。意味はわからずとも、なんとなく接していて心地が良い。

 特に改めて接してみて面白いと思ったのは「これやこの」で始まる蝉丸の歌である。小学生の頃にも感じたが、繰り返しとリズム感を三十一文字で表現するというのはすごいと感じた。

 他方で、リズムの楽しさにしか目が向かなかったが、著者は、無常観をこの句に見出している。

 この歌は句の繰り返しが多く、リズミカルで、楽しげである。でも、なぜか一首全体に無常観が漂っている。喩えていえば、渋谷駅の交差点の雑踏を高いビルの上から見下ろしているような、そんな感じだ。多くの人が行き交う交差点は、混雑し、喧騒を極めている。でも、上から見下ろしてみると、人生の縮図のように見えてくる。しかも、次第に不思議な静寂感さえ覚えてくるから、不思議。(34~35頁)

 正直、解説を読むまで全くわからなかったが、読めばなんとなくそのようにも思えてくる。個人的には、渋谷のスクランブル交差点を例示として出している著者の着想に唸らされた。

 最後に、個人的な学びのために、掛詞に関する著者の解説をメモとして残しておく。

 掛詞は、基本的には「自然」と「人間」が絡み合う二重の文脈から発生する。序詞は自然と人間の心をタテに並べるが、掛詞はそれを横に並べる。しかし、基本的には同じ理念から発生している。この歌でいえば、長雨が降ることと、ぼんやりと嘆いて時間を過ごしてしまうこととは、直接的な関係はないが、雨が涙を連想することや、長雨の閉塞感などが、嘆きの人生と甚だしくかけ離れているかといえば、そんなことはない。掛詞は、同音を通じて、目に見えるものと目に見えないものの二つが交錯するレトリックなのである。(28~29頁)

【第529回】『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 詩経・楚辞』(牧角悦子、角川書店、2012年)
【第666回】『ビギナーズ・クラシックス 方丈記(全)』(武田友宏編、角川学芸出版、2007年)
【第667回】『ビギナーズ・クラシックス 古事記』(角川書店編、角川学芸出版、2002年)