2018年7月22日日曜日

【第857回】『対話のレッスン』(平田オリザ、講談社、2015年)


 対話という概念がよく使われるようになったのは二十年くらい前からであろうか。なぜ対話が現代において求められるのか。著者は会話と対話との定義の違いを端的に述べ、その必要性を展開している。

 「対話」(Dialogue)とは、他人と交わす新たな情報交換や交流のことである。「会話」(Conversation)とは、すでに知り合った者同士の楽しいお喋りのことである。では何故、演劇には、対話が重要な要素となるのだろうか。
 日常会話のお喋りには、他者にとって有益な情報はほとんど含まれていない。演劇においては、他者=観客に、物語の進行をスムーズに伝えるためには、観客に近い存在である外部の人間を登場させ、そこに「対話」を出現させなくてはならない。(16~17頁)

 他者に対して開かれたコミュニケーションが対話であり、知り合い同士の閉じたコミュニケーションが会話だと著者は定義する。他者性が多様化する現代において、対話が求められることは自明であろう。

 私たちが創り出さなければならない二一世紀の対話のかたちは、曖昧で繊細なコミュニケーションを、省略したり記号化したり、あるいは機能的にするのではなく、そのままの豊かさをかねそなえながら、しかも他者(たとえば外国人)にも判りやすく示す者でなくてはならない。(59~60頁)

 対話の重要性が述べられる際に、日本人が得意としないローコンテクストでのコミュニケーションの重要性が指摘されることが多い。実際に、私たちはローコンテクスト文化に基づいたコミュニケーションを学ぶ必要性はあるだろう。しかし、それとともに情況に応じてハイコンテクストなコミュニケーションの良さを対話に活かすという著者の指摘は面白い。

 コミュニケーションの曖昧さや繊細さを残すということは、多様な他者が織りなすコンテクストを理解し、コミュニケーションを調整するということではなかろうか。その際に、何を発話するか、どのように聴くか、だけではなく、問いかけに対するセンスも求められる。

 人間には問いかけてはならない問いというものがあるのだと私は思う。(196頁)

 質問することは他者への関心を示すものであり、他者の気づきを促すというポジティヴな作用がある。しかし、「問いかけてはならない問い」という著者の指摘にハッとさせられた方もいるのではないだろうか。少なくとも私はそうであった。

【第443回】『ダイアローグ』(デヴィッド・ボーム、金井真弓訳、英治出版、2007年)
【第291回】『探究Ⅰ』(柄谷行人、講談社、1992年)
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