監督在任期間の八年間ですべてAクラス入りし、そのうち四回もの優勝を飾った実績は、申し分がない。決して戦力が図抜けていたようには思えず、実際に、攻撃面に関するデータはむしろリーグの中でも相対的に低かったと言える。三冠王を三度も取った天才的な打者であった著者がいかにして守り勝つ名将になったのか。
監督を退任した後に著したものだからか、著者は率直に語っているようだ。考えながら言葉を紡いでいるようで、どれほど真剣に考え、選手やコーチに接してきたかが垣間見える。組織におけるマネジメントという観点では、野球とは関係のない組織においても学べることに富んでいる。
内心でいら立つくらい飲み込みの悪い選手ほど、一度身につけた技術を安定して発揮し続ける傾向が強い。彼らの取り組みを見ていると、自分でつかみかけたり、アドバイスされた技術を忘れてはいけないと、何度も何度も反復練習している。自分は不器用だと自覚している人ほど、しっかりと復習するものなのかもしれない。技術事に関しては、飲み込みの早さが必ずしも高い修得率にはつながらない。だからこそ、じっくりと復習することが大切というのが私の持論だ。(40~41頁)
予習より復習こそが大事であるという著者の考えに基づいて、もっと踏み込んで述べている箇所である。身に付くのが遅く、本当に修得できるのか不安に思っても、ひたすら復習を丹念に繰り返すこと。そして、選手がそうした姿勢で取り組むことを、監督やコーチは辛抱強く見守り、時にフィードバックをすることが、求められるだろう。
変わるべき部分と変わってはいけない部分を見極めるためには、毎日よりも、何日かおきに見たほうがいい。(177頁)
この部分は、マネジャーにとって目から鱗の至言と言えるのではないだろうか。ともすると私たちは、部下の言動を具に観察し、観察したものに基づいてフィードバックをせよ、と言われる。決して間違っていないとは思うが、観察過多になると、相手の成長の状況をしっかりと把握できないリスクがある。このように考えると、客観的に相手の言動を見極めるためにも、ある程度時間をあけて観察すること有効なのかもしれない。
自分がいいと思うものを模倣し、反復練習で自分の形にしていくのが技術というものではないか。ピアニストや画家と同じ。私の記憶を辿っても、プロ入り後にチームメイトや対戦相手の選手を手本にしたのは一度や二度ではない。模倣とはまさに、一流選手になるための第一歩なのだ。(232頁)
「オレ流」とメディアで形容された自身の監督像を明確に否定し、模倣によって身につけてきたと著者は言う。但し、ただ他者を模倣して同じことができるように目指すのではなく、自分の形にすることがさらりと述べられていることに留意が必要であろう。
【第570回】『オシムの言葉』(木村元彦、集英社、2005年)
【第705回】『イチロー・インタヴューズ(2回目)』(石田雄太、文藝春秋、2010年)
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