小学生の頃に百人一首を覚えさせられた方も多いはず。私も生来の負けず嫌いのせいで、全く内容もわからない中でひたすら丸暗記し、かるた取りに勤しんでいた口である。
意味や背景がわからない中で記憶するというインプット型の「お勉強」は本来的に嫌いである。しかし、歌というものは面白いもので、口に出して読んで語感が心地よいものであり、さすがは藤原定家が選んだ名歌というところであろう。意味はわからずとも、なんとなく接していて心地が良い。
特に改めて接してみて面白いと思ったのは「これやこの」で始まる蝉丸の歌である。小学生の頃にも感じたが、繰り返しとリズム感を三十一文字で表現するというのはすごいと感じた。
他方で、リズムの楽しさにしか目が向かなかったが、著者は、無常観をこの句に見出している。
この歌は句の繰り返しが多く、リズミカルで、楽しげである。でも、なぜか一首全体に無常観が漂っている。喩えていえば、渋谷駅の交差点の雑踏を高いビルの上から見下ろしているような、そんな感じだ。多くの人が行き交う交差点は、混雑し、喧騒を極めている。でも、上から見下ろしてみると、人生の縮図のように見えてくる。しかも、次第に不思議な静寂感さえ覚えてくるから、不思議。(34~35頁)
正直、解説を読むまで全くわからなかったが、読めばなんとなくそのようにも思えてくる。個人的には、渋谷のスクランブル交差点を例示として出している著者の着想に唸らされた。
最後に、個人的な学びのために、掛詞に関する著者の解説をメモとして残しておく。
掛詞は、基本的には「自然」と「人間」が絡み合う二重の文脈から発生する。序詞は自然と人間の心をタテに並べるが、掛詞はそれを横に並べる。しかし、基本的には同じ理念から発生している。この歌でいえば、長雨が降ることと、ぼんやりと嘆いて時間を過ごしてしまうこととは、直接的な関係はないが、雨が涙を連想することや、長雨の閉塞感などが、嘆きの人生と甚だしくかけ離れているかといえば、そんなことはない。掛詞は、同音を通じて、目に見えるものと目に見えないものの二つが交錯するレトリックなのである。(28~29頁)
【第529回】『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 詩経・楚辞』(牧角悦子、角川書店、2012年)
【第666回】『ビギナーズ・クラシックス 方丈記(全)』(武田友宏編、角川学芸出版、2007年)
【第667回】『ビギナーズ・クラシックス 古事記』(角川書店編、角川学芸出版、2002年)
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