ラベル スポーツ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル スポーツ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年10月26日土曜日

【第998回】『リーダーシップからフォロワーシップへ』(中竹竜二、阪急コミュニケーションズ、2009年)


 早稲田ラグビーを復権させた清宮克幸氏を引き継いで監督となった著者。前任者の華やかな有言実行とは異なるスタイルは、一見して意外であったが前任者に劣らない卓越した成果を継続して出し続けた。その秘訣を明らかにした本書のエッセンスは、このタイトルに端的に現れている。

 全員がリーダーと同じ気持ちでいること。与えられたり指示されたりするのを待つのではない。最終的に決断を下すのはリーダーだけれど、常にフォロワーもリーダーと同じように主体性を持って考える。これは私の理想とする組織でもある。(106頁)

 役割としてリーダーとフォロワーは相対的なものとして一つの組織の中に現れる。もちろん、ある人物が固定的にリーダーであり、フォロワーであるということはない。相対的な役割によって、ある場面ではリーダーシップを発揮する人物が、違う場面ではフォロワーシップを担うのである。だからこそ、ある特定の状況において、リーダーとフォロワーとは意識を共有し両者ともに主体性を持って考えて行動することが求められるのである。

 主体性を持ってどのように行動するのか。行動する際の拠り所として、強みを中心にして自身のスタイルを構築し続けることを著者は主張する。さらには、リーダーとしての自分自身がスタイルを創るだけではなく、リーダーとしてフォロワーのスタイルを構築するために全力を注ぐことを提案する。

 このように相対的にリーダーシップとフォロワーシップが生じるのであるから、組織にはリーダーが複数いても良いことになる。

 組織の区切り方によってリーダーというものは変わっていく。(中略)
 その原理を積極的に応用したのがマルチリーダー制である。常に複数のリーダーを置くことで、誰がリーダーになってもフォロワーはそれに順応できる組織風土を作るための体制である。(177頁)

 リーダーが組織に複数いても良い、というよりも複数いることによるメリットがここでは提示されており、納得的だ。本年のラグビーW杯の日本代表でも複数リーダー制を用いていたという。だからこそ、リーチ・マイケルだけに頼らず、彼が試合に出ていない場面でもチームとしての力を発揮できたのであろう。

【第570回】『オシムの言葉』(木村元彦、集英社、2005年)

2019年9月29日日曜日

【第991回】『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧幻の三連覇』(中村計、集英社、2016年)


 2005年に東北以北の学校による初優勝を果たし、2006年には二年生エース田中将大の活躍で二連覇。そして2007年には早実との決勝再試合での死闘。ベンチから戦況を眺める香田監督の姿は印象深かった。

 「2.9連覇」とも言われる偉業を成し遂げた駒大苫小牧高校は、香田監督が辞めてから甲子園で上位に進出することはなくなり、また香田監督がその後どのようなキャリアを選択したのかも知らなかった。本書は、あの2.9連覇からほぼ十年が経った後に、著者が香田監督への丹念な取材によって描き出したドキュメンタリーである。

 傑出した実績を出したカリスマ的な有名監督を描く作品では、全ての打ち手がハマったかのような描かれ方をされることも多い。しかし、本書では、香田監督の悩みや葛藤もつまびらかにされ、出る杭が打たれる日本の社会や組織にありがちな現象も描かれるためにリアリティがある。時間が経ったからこそ描きだすことができた素晴らしいノンフィクション作品と言える。

 2007年の、あの田中将大が主将を務めた世代とのぶつかり合いと、卒業に至るまで緊張した関係が崩れなかったという事実には驚かされる。また、卒業しても関係が改善しなかったという場面ではハラハラとさせられた。卒業から約一年後に大団円を迎える場面では感動すら覚えた。

 カリスマといえども人間にすぎない。だからこそ、ドラマが生まれるのかもしれない。


2019年7月21日日曜日

【第970回】『ランニングする前に読む本』(田中宏暁、講談社、2017年)


 一年前の私、つまりフルマラソンに向けて準備を進めハーフマラソンを目指していた頃の自分に読ませたかった本である。マラソン初心者にとって、具体的な方法や留意点が述べられており、頭で理解した上で走りたいランナーにとって適した書籍である。

 いま読んでも唸らさせられる箇所が多い。自分にとっての気づき・学びとなったところを中心に、将来の自分への備忘録として述べていく。

 まず驚いたのが、マラソンのレース中に水を飲みすぎることで引き起こされる低ナトリウム血症である。具体的には「体重がスタート前よりも重くなればなるほど発症率が高くなる」(190頁)と指摘している。ではどのようにすれば適切な水分摂取量を測ることができるのか。

 レース1週間前に10~15kmほどの距離を水分摂取せずに走って、その前後で体重がどれだけ減少するか測定してみてください。その体重減は、ほぼ水分の喪失によるものですので、走るときの水分摂取量は、レースの距離に換算したその喪失量未満に抑えるようにします。それがレース中に必要な水分摂取量ですから、事前に確認しておきましょう。(192頁)

 次にグリコーゲンローディング(カーボローディング)について。炭水化物をレース前に食べ続けるだけではない。

 レース3日前に長い距離(20~30km)を走り込むことをおすすめします。いったん、筋肉中のグリコーゲンを枯渇させることが目的です。
 そのために、走る30分ぐらい前に糖分を摂取します。そうするとインスリンが分泌されて、運動中の脂肪のエネルギー供給が阻害されますから、より多く筋肉中のグリコーゲンが使われます。長い距離を走り込むといっても、20~30kmを継続して走り続ける必要はなく、細切れ運動で構いません。(196頁)

 しかし「前日に走ることでプラスになることはまずあり得ません」(198頁)としている点には注意したい。前日は休むに限るのである。

 グリコーゲンローディングの食事におけるポイントも見ておく。

 炭水化物食を3日間摂取すると、2日目までは筋肉のグリコーゲン量は急増しますが、3日目にはほとんど増えません。すなわちレース当日は、筋肉のグリコーゲンは満タンでそれ以上増やせない状態です。(201頁)

 つまりレース三日前からは炭水化物食にすることが勧められている。具体的には日本食で行うことが有効であるとして、お餅、ご飯、うどん、蕎麦、和菓子を推奨し、著者は食後に好んで大福を食べるとしている。

 レース当日の朝は、炭水化物をとっても増やせないので炭水化物は最低限、たとえばご飯一膳程度で良いようで、著者は、ハンバーガーとポテトといった塩分を取るようにしているらしい。その上でレース直前にはゼリー状のエネルギー補給用飲料を飲んでいる。

 以下の箇所は、黒部名水マラソンの時の自分に言い聞かせたい。

 ペースをうまく守ってはしれたとしても30km過ぎてからつらくなる場合は、脳の疲労が主な原因と考えられます。それは低血糖から起こるものですから、乗り越えるためには、糖分の補給をするとよいでしょう。積極的に糖分を補給して血糖値を維持することが、脳疲労を起こさない予防手段につながるからです。
 そうした理由からも、レース中の捕食は、血糖値を維持するために有効です。
 レース直前に糖分を摂取することをおすすめしましたが、それによって走り出して10kmほど血糖レベルを高く保つことができます。レース中の捕食はそれ以後に、1時間毎に消化吸収の速い捕食ゼリータイプのもの(糖40~50g)を摂取するとよいでしょう。(205~206頁)

 最後にレース後の休息期間について。

 休息も大事なトレーニングです。次の練習再開は少なくとも1週間休んで、走りたいとの気持ちが高まるまで待ちましょう。(210頁)

【第868回】『マラソンの強化書』(小出義雄、KADOKAWA、2015年)
【第165回】『走ることについて語るときに僕の語ること』 (村上春樹、文藝春秋社、2007年)

2019年5月12日日曜日

【第955回】『松坂世代』(矢崎良一、河出書房新社、2006年)


 高校時代に野球部に所属していたわけではない。しかし、松坂大輔と同じ学年である私も松坂世代の一人だと自負している。それほど、松坂大輔という平成の怪物の存在は大きく、その影響範囲は野球界にとどまらないようだ。

 松坂にしてみれば、とくに自分を追い込んでいるわけでも、人に隠れて努力をしているわけでもない。自分の体の状態をしっかりわかっていて、明日の試合で良いパフォーマンスをするためにはここでちょっと走っておいたほうがいいと思った。そう思ったら、みんなが楽しく遊んでいようと、お構いなしに走りに行く。松坂は高校生の段階で、すでにプロとしての行き方を実践していた。(278頁)

 常日頃は周りと合わせて協調的に振る舞うが、自分が信じた軸に抵触する場合は自分自身のやり方を貫く。これは当たり前といえば当たり前だが、高校生の頃からできるかと言われると難しい。そこまで早い段階で己を確立することが難解だからであろう。当たり前のように高校生の段階でそれができることが松坂大輔という人物の凄みなのだろう。

 松坂とは、直接触れ合った者を狂わせ、触れ合うことが出来なかった者にエネルギーを与えるという不思議な存在だった。(423頁)

 人は圧倒的な才能に魅せられるものだと思う。遠くにいればそこからポジティヴな影響を受ける一方、近すぎると天才と比較して自分自身の至らなさを痛感し、どこか諦観してしまう、ということなのかもしれない。

【第449回】『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太、文藝春秋、2010年)
【第411回】『屈辱と歓喜と真実と』(石田雄太、ぴあ、2007年)

2018年9月2日日曜日

【第874回】『マラソンは毎日走っても完走できない』(小出義雄、KADOKAWA、2009年)


 先日のブログで取り上げた通り、基本的には『マラソンの強化書』に本書のエッセンスは記されている。同書では細かく触れられていない、個別具体的な内容で個人的に参考になった内容をメモとして以下に書き残しておきたい。

 まずは、負荷をかけるトレーニングの基本的な組み方について。

 ・1週間に少なくても1~2回は、負荷をかけた練習日を入れる。
 ・土曜日にそうした練習を入れたら、日曜日にはゆっくりでいいから少し長い距離を走る。
 ・そして、平日は月曜日にも走れるとなおいい。
 ・あとは、水曜日や木曜日にも少し走っておきたいーー。(70頁)

 上記が基本でありながら、レースに向けた練習スケジュールをガイドラインとして説明してくれているのもありがたい。たとえば、ハーフマラソン出場に向けての3ヶ月間の練習メニューは、週3日練習する場合は以下の通りである。

土曜:休み
日曜:90~120分。15~25km(徐々に距離を伸ばす。後半7~10kmはビルドアップ走)。
月曜:休み(もしくはジョギング)
火曜:60~70分。ビルドアップ走で10km。
水曜:休み
木曜:80~90分。15km(後半7kmはビルドアップ走)。
   35~40分。ジョギング10分+全力20分+ジョギング5~10分。
金曜:休み(117頁)

【第165回】『走ることについて語るときに僕の語ること』 (村上春樹、文藝春秋社、2007年)
【第782回】『職業としての小説家』(村上春樹、スイッチ・パブリッシング、2015年)

2018年8月17日金曜日

【第868回】『マラソンの強化書』(小出義雄、KADOKAWA、2015年)


 高橋尚子や有森裕子を指導し、オリンピックで三大会にわたってメダル獲得を支援したコーチとして有名な著者。その著者が、私たち一般の人々に向けてマラソンに臨む準備や日頃の練習について平易に解説してくれている。

 優しさに溢れたような、著者の人柄のあたたかさが滲み出る文体が、マラソン初心者を動機づけてくれる一冊だ。既刊の『マラソンは毎日走っても完走できない』『30キロ過ぎで一番速く走るマラソン』の要点を絞って編集してくれているのも、ありがたい。

 図や絵を用いながら噛み砕いて説明がなされ、また実際のレースの何週間前にどのような練習をすれば良いかについて事例を交えながら解説してくれている。こうした具体的かつ実践的な内容は明快である。

 こうした実践的なアドバイスの背景にある考え方が以下に端的に要約されている。

 では、具体的に「体」のどこに負荷をかければいいのでしょう? マラソンの練習で負荷をかける場所は2カ所です。ひとつは、脚ーー42・195キロを(めざしたタイムで)走りきれるように負荷をかける。もうひとつは心肺ーー速いスピードで走っても耐えられるように負荷をかけます。(3~4頁)

 ジョギングが日常的でマラソンにも複数回出ているベテランの方には当たり前のことなのかもしれないが、初心者にとってはポイントが明確になりわかりやすい。具体的なアドバイスや事例を考える際にも、このポイントを意識して、自身の練習に取り入れたいと思った。

【第165回】『走ることについて語るときに僕の語ること』 (村上春樹、文藝春秋社、2007年)
【第782回】『職業としての小説家』(村上春樹、スイッチ・パブリッシング、2015年)

2018年8月16日木曜日

【第867回】『決めて断つ』(黒田博樹、K Kベストセラーズ、2015年)


 野茂英雄、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大、大谷翔平といった歴代の日本人メジャーリーガーのような派手さはない。しかし、シーズンを通じてローテーションを守って二桁勝利を毎年のように積み上げていた著者には、不思議な魅力を感じていた。一人のプロフェッショナルとしてだけではなく、「漢気」と形容される彼の人としての素晴らしさが、本書には随所に溢れている。

 僕は中学生以来、野球を楽しいと思ったことは本当に一度もないし、特にメジャーに来てからはシーズン終盤になると性も根も尽き果て、体力的にも、精神的にも余力が残っておらず、「もう、こんなしんどいことはしたくない。引退しよう」と真面目に考えるようになっていた。(9~10頁)

 著者の野球に対するひたむきな態度は、真摯な想いに裏打ちされたものだったのであろう。たのしむとかポジティヴといった姿勢が好ましく言われる昨今の状況の中で、ともすると不器用とも取られるような考え方は新鮮である。

 さらにいえば、高校時代にエースになれずに甲子園の土も踏めず、大学野球でも知る人ぞ知るレベルの存在であった著者の現実感覚が現れているようだ。圧倒的多数の「普通の人」にとって、勇気付けられるマインドセットである。

 振り返ってみると、自分はいろいろなことに気づくのが遅い。それでも結局は、一歩、一歩進んでいき、そこで気づくしかない。(59頁)

 日米通算で200勝を達成した名投手が、「気づくのが遅い」と書かれると恐れ入るばかりである。ここでの気づきとは何か。おそらく、違和感に気づいたり、目指す姿と現状とのギャップに気づくだけではなく、その気づきに基づいて試行錯誤を繰り返して改善行動へと繋げて結果を導くことまでを含むのではないか。ここまで考えた理由として、以下の箇所が挙げられる。

 野球に即して言えば、エースと呼ばれるためには段階を踏む必要がある。
 たとえばルーキーの投手が15勝したとしても、その投手が2年目にエースと呼ばれることはない。「エース」と呼ばれるためには、1年だけの実績ではダメで、2年目のジンクスを跳ね返し、3年、4年と安定的に勝ち星を積み重ね、重要な試合でエースと呼ばれるにふさわしい投球をしてこそ、周りが「エース」として認めることになる。
 僕は、その間の段階こそが重要で、段階ごとに目標を立て、邁進することに注力している。それが「目の前の目標にこだわる」という意味だ。(70頁)

 気づき、試行錯誤を繰り返し、結果を長期間に渡って出し続ける。これを愚直かつ真摯に行うために、気づきが遅いと捉え、悲壮な覚悟でマウンドに向かう、ということになるのであろう。こうまでして練習に向かうモティベーションは何だったのか。

 結局、自分を練習に駆り立てるモチベーションとは、「怖いから」ということに集約されている。
 打たれることに対する恐怖心。
 自分がダメだったときの恐怖心。
 すべては恐怖心から逃れるために練習を積み重ねていく。(190頁)

 ここまで徹底されているからこそ、プロフェッショナルなのだろう。プロフェッショナルとは、一様なものではなく、多様なあり方があることに、改めて気づかされる良書であった。

【第449回】『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太、文藝春秋、2010年)
【第499回】『不動心』(松井秀喜、新潮社、2007年)
【第428回】『自己再生』(斎藤隆、ぴあ、2007年)
【第45回】『心を整える。』(長谷部誠、幻冬社、2011年)

2018年7月21日土曜日

【第856回】『采配』(落合博満、ダイヤモンド社、2011年)


 監督在任期間の八年間ですべてAクラス入りし、そのうち四回もの優勝を飾った実績は、申し分がない。決して戦力が図抜けていたようには思えず、実際に、攻撃面に関するデータはむしろリーグの中でも相対的に低かったと言える。三冠王を三度も取った天才的な打者であった著者がいかにして守り勝つ名将になったのか。

 監督を退任した後に著したものだからか、著者は率直に語っているようだ。考えながら言葉を紡いでいるようで、どれほど真剣に考え、選手やコーチに接してきたかが垣間見える。組織におけるマネジメントという観点では、野球とは関係のない組織においても学べることに富んでいる。

 内心でいら立つくらい飲み込みの悪い選手ほど、一度身につけた技術を安定して発揮し続ける傾向が強い。彼らの取り組みを見ていると、自分でつかみかけたり、アドバイスされた技術を忘れてはいけないと、何度も何度も反復練習している。自分は不器用だと自覚している人ほど、しっかりと復習するものなのかもしれない。技術事に関しては、飲み込みの早さが必ずしも高い修得率にはつながらない。だからこそ、じっくりと復習することが大切というのが私の持論だ。(40~41頁)

 予習より復習こそが大事であるという著者の考えに基づいて、もっと踏み込んで述べている箇所である。身に付くのが遅く、本当に修得できるのか不安に思っても、ひたすら復習を丹念に繰り返すこと。そして、選手がそうした姿勢で取り組むことを、監督やコーチは辛抱強く見守り、時にフィードバックをすることが、求められるだろう。

 変わるべき部分と変わってはいけない部分を見極めるためには、毎日よりも、何日かおきに見たほうがいい。(177頁)

 この部分は、マネジャーにとって目から鱗の至言と言えるのではないだろうか。ともすると私たちは、部下の言動を具に観察し、観察したものに基づいてフィードバックをせよ、と言われる。決して間違っていないとは思うが、観察過多になると、相手の成長の状況をしっかりと把握できないリスクがある。このように考えると、客観的に相手の言動を見極めるためにも、ある程度時間をあけて観察すること有効なのかもしれない。

 自分がいいと思うものを模倣し、反復練習で自分の形にしていくのが技術というものではないか。ピアニストや画家と同じ。私の記憶を辿っても、プロ入り後にチームメイトや対戦相手の選手を手本にしたのは一度や二度ではない。模倣とはまさに、一流選手になるための第一歩なのだ。(232頁)

 「オレ流」とメディアで形容された自身の監督像を明確に否定し、模倣によって身につけてきたと著者は言う。但し、ただ他者を模倣して同じことができるように目指すのではなく、自分の形にすることがさらりと述べられていることに留意が必要であろう。

【第570回】『オシムの言葉』(木村元彦、集英社、2005年)
【第705回】『イチロー・インタヴューズ(2回目)』(石田雄太、文藝春秋、2010年)

2018年5月13日日曜日

【第836回】Number951「ICHIRO BACK TO MARINERS 2018」(文藝春秋、2018年)


 本号は、イチローが今期のメジャー出場がなくなるというニュースが出る前のイチローへの取材記事が掲載されている。今となっては、その後の心境や新しい契約への想いについて触れたいという気持ちもあるが、イチローのプロフェッショナルとしての考え方や行動について考えさせられる。彼のインタビュー記事は、毎回、異なる学びがあるから興味深いし、考えて行動し続けてきた足跡が彼の言葉となって現れているのであろう。

ーーでも、泰然という状態は「プレイヤーとしても人間としても常にそうでありたいという、目指すべき状態」だと仰っていましたよね。
「そこは矛盾してるんですけど、焦ることができる自分も時には必要だったりするんです。マリナーズと契約した直後の会見で『オフの間、心が折れることはなかったか』と訊かれたとき、『そういうことがあったら泰然とは言えない』と答えたんですけど、でも神戸で寒い中、一人で打っていたら、そりゃ、心、折れますよ(笑)。(中略)でも、やればよくなるという結果が見えているから、続けられるんです」(20頁)

 泰然という精神状態は、イチローのみならず私たちにとっても理想的と思われる状態と言えるのではないか。イチローはそれを理想としながら、焦ることがなかった自分自身に対して違和感をおぼえてもいたという。

 それでも、自分自身がより良くなれるという積み重ねられた自信を基に、努力を黙々と続けて、マリナーズ復帰というチャンスを得た。もちろん、努力を重ねても外部環境が整わなければ実らないことは多々あるだろうが、努力によって準備が整っていなければチャンスを結実させることはできない。言い古されたことではあるが、イチローの言葉を読んでいくと感じ入ることがある。

ーーそれだけ心が折れる出来事が重なりながら、結局はそれを乗り越えていく……。
「よく、人より頑張ったからとか、何倍も練習してきたからこういう結果が出るんだって言われますけど、そうじゃない。人の何倍もの努力なんて、できっこないんです。ただ、自分の限界を少しだけ超えることを重ねてきたんです。自分なりの歩みを進めていくということを、ただただ重ねてきた。そうやって歳を積み重ねてきただけの自信があったから、心が折れようとも泰然としていられた、ということなのかもしれません」(20頁)

 イチローの小学生の頃の作文はあまりにも有名であり、彼の努力量に対して疑う人は誰もいない。その彼自身が、努力の量ではなく、「限界を少しだけ超える」という努力の質について示唆していることに刮目すべきだろう。

 管理職トレーニング等で、ストレッチ・アサインメントという概念がよく言われる。これは、上司による部下へのアサインメントの際に、少しチャレンジングな内容を含ませることで部下の成長を促すというものである。しかし、イチローの言葉を借りれば、自分自身で少しチャレンジを心がけ、それを続けることこそが、努力するということの意味なのかもしれない。

【第828回】Number950「大谷翔平 夢の始まり。」(文藝春秋、2018年)
【第449回】『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太、文藝春秋、2010年)
【第411回】『屈辱と歓喜と真実と』(石田雄太、ぴあ、2007年)
【第197回】Number836「イチロー 不滅の4000本。」(文藝春秋、2013年)

2018年4月15日日曜日

【第828回】Number950「大谷翔平 夢の始まり。」(文藝春秋、2018年)


 競技のルールを知らなくても、その競技を見たくなる存在が、スポーツの世界には時に現れる。メジャーに渡った選手の中では、野茂英雄やイチローがそうであったように、大谷翔平選手もまた、既にそうした人物の一人になったのではないだろうか。それほどまでに、二刀流という稀有な特徴を持った大谷選手の投打にわたる活躍は、鮮烈な印象を放っている。

 メジャーでも注目されているとはいえ、日本における報道とアメリカにおける報道の有り様は違うだろう。しかし、彼我の差を勘案したとしても、アメリカでの注目もまた大きいに違いない。そうであるのに、初先発初勝利を飾り、打者としては三戦連続での本塁打を放った大活躍の直後のインタビューで、以下のように落ち着いた言葉を彼は紡いだという。

 まだ数試合しか出ていないし、まだ2チームとしかやっていない。他にどういう人(選手)がいるのかもわからないし、どういう環境があるのかもわかりませんから、そこに惑わされず、しっかり自分の中で整理して、冷静に見ていきたいなと思っています(14頁)

 これが二十三歳の若者の言葉なのだから驚いてしまう。私たちは大谷翔平という選手を、投打の二刀流で活躍できるパフォーマンスとそれを支える身体面に着目しがちだ。しかし、自身を客観視できるメタ認知能力が卓越して高いことこそが、環境変化に対応し、周囲の喧騒に左右されず、一つずつアジャストするできる理由なのかもしれない。

 自身の投球に関しては「まだ何も変えていない」(15頁)と述べる一方で、バッティングについては、オープン戦の最終盤からステップを大きく変えたことは有名だ。そのポイントに関する自身の解説にもまた唸らさせられる。

 バットの位置に関しても、速い球、動く球を捉えるためにはある程度、固定しないといけないなというのを感じて日本からやってきてたんですけど、そうやってちょっとずつやってきたことが引き出しとなって、今回、ハマったんだと思います。急激に変えよう、今までやってきたことを捨てて新しいことをやろうとしたわけじゃなくて、僕の中ではアプローチも形もほぼ変わってないんです。(19頁)

 いやはや、イチローの言葉なのではと誤解してしまうくらい、深みのある言葉である。まず、結果が出ないからフォームを変えたということではなく、これまでアジャストしようと絶え間ざるチャレンジを続けた延長にあるという点に驚かされた。メジャーに行き、注目されながらも結果を出せないから過去の方法を変えようとしたのだと、勝手に解釈してしまっていた自身の不明を恥じた次第である。

 さらには、少しずつの試みを自覚的に行ってきたからこそ、それが「引き出し」として自身の中に言語化された状態で蓄積されていたということも大きいのではないか。目先の行動を変えることはそれほど難しいことではないが、それを自覚して自身の中にストックすることは容易なことではない。これからどれほど私たちに素晴らしい活躍を見せてくれるのか、彼のパフォーマンスとともに、卓越したプロフェッショナルの発する言葉にも目が離せない。

【第826回】Number949「ベイスターズが愛されるワケ。」(文藝春秋、2018年)
【第824回】『アオアシ』【第1巻〜第12巻】(小林有吾、小学館、2015年〜)
【第449回】『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太、文藝春秋、2010年)

2018年4月8日日曜日

【第826回】Number949「ベイスターズが愛されるワケ。」(文藝春秋、2018年)


 ベイスターズが優勝してから二十年が経った。優勝する少し前からの高揚感の高まりは優勝とともに去り、その後の停滞は長く、暗いものだった。横浜出身者であっても「ベイスターズを応援している」とは言いづらい、悲しい時代が続いた。

 DeNAが資本参加を表明した際には正直ほとんど期待していなかったが、結果からすると、その頃からチームの雰囲気はポジティヴに変化してきたように思う。私自身が関東を離れてからのことなのでハマスタを久しく訪れていないが、ファンを重視した球団の施策によって注目度が増したとよく報道されている。

 但し、野球場に人が訪れるのは、球団の努力とともにそこで展開される野球自体が楽しいことが前提であろう。端的に言えば、いかにエキサイティングなプレイが展開される場面を提供できるか、である。そのように考えれば、打者で言えば日本代表の四番でもある筒香嘉智選手と、投手では新人の頃からクローザーを任される山﨑康晃選手の活躍が大きな要因となっているだろう。

 まずは筒香選手の以下の言葉に注目してみた。

 急に『できた』と思えるような技術は、それは自分のものにはなっていなくて、本当に手にするまでには時間がかかるものです。だから、継続してやっていくことが大事です。でも、逆に言えば、その中でつかんだものは深く、離れないものであると思っています。(25頁)

 彼からは求道者のような雰囲気が醸し出されている。活躍しても浮かれることはなく、自身が思い描く理想像に向けて、自身を奮い立たせて一歩ずつ前に行く姿は、さすがは日本野球界の主砲である。

 一喜一憂しない理由は、上述した言葉の中に表れているのであろう。現在の結果は過去からの蓄積に因るものであり、将来を創り出すものは現在の自身の鍛錬に因るものであるという確固とした信念は揺るがないようだ。だからこそ、目の前の結果よりも継続して努力をし続けることで本質を掴むことを目指しているのではないだろうか。

 他方で、守護神を務める山﨑選手の以下の意識には、筒香選手の言葉とは違った意味で驚かされた。

 「もちろん、結果が出ていない時は悩ましい部分もあります。やっぱり人間なんで、手や足が重たくなることもある。だけど、結果にはスランプがあってもファンサービスにスランプはないと思う。(サインを求められ)『すみません、忙しいんで』と断るのは簡単ですよ。でもそれをやってしまったら、がんばってチケットを取ってくれた人たちに対して、プロとしてどうなのかなって。そんな選手になりたくないなっていう思いがぼくにはありますね」(32頁)

 よく打者については、バッティングにはスランプがあっても走塁にはスランプがない、という言い方がされる。しかし、山﨑選手のファンサービスにスランプがないというプレフェッショナルとしての意識の高さには恐れ入る。

 彼は守護神を三年間担ってきたが、昨年の4月には不調からストッパーを外れた時期があった。そうした不調の時期には、一部のファンから心ない罵声を飛ばされることも容易に想像がつく。それでも、ファンを大事にし、自身のパフォーマンスに自分自身が納得できない時期でもファンサービスを尽くす。これは、頭では理解していても、なかなかできることではないだろう。自身を律し、感情を管理する術を鍛えているからこそ、新人から守護神というプレッシャーのかかる役割を担っている原動力となっているとも考えられるのではないだろうか。

 スタートダッシュがあまりうまくいっていない今期ではあるが、主砲と守護神の活躍で、ベイスターズが本来の力を発揮する姿を早く見たいものである。

【第822回】Number948「僕らは本田圭佑を待っている。」(文藝春秋、2018年)
【第815回】Number947「平昌五輪 17日間の神話。」(文藝春秋、2018年)
【第824回】『アオアシ』【第1巻〜第12巻】(小林有吾、小学館、2015年〜)
【第449回】『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太、文藝春秋、2010年)

2018年4月1日日曜日

【第824回】『アオアシ』【第1巻〜第12巻】(小林有吾、小学館、2015年〜)


 JFA(日本サッカー協会)が興味深い取り組みをしていることを、目にしたり耳にすることが最近多い。直近ではJリーグチェアマンの村井満さんによる講演会の記事(https://coach.co.jp/lecture/20180201.html)が挙げられる。JFAは、「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する。」という理念を謳い、ユースから一貫した人財育成を行っていることは有名だろう。

 本作品は、そのJユースに焦点が当てられたサッカー漫画である。スピード感があって物語が面白いのに加え、読みながら考えさせられる作品だ。

 何よりも言語化という言葉が至るところで表れることが特徴的だろう。経験を言語化することで主人公は成長し、言語によって意思を多様なチームメイトと共有することでチームが成熟していく。チームで言語を共有するためには、他者の意見を傾聴し、明確な指示出しを行い、時に厳しい意見のぶつけ合うことが求められる。

昇格生と同じ量の練習やってたんじゃ…何も考えないでサッカーやってた俺とあいつらの時間の差を、埋められねぇんだ。(37話)

 言語化するためには考えることが求められる。考え続けられるのは、その対象や過程が好きだからではないだろうか。好きだからこそ、そこで得られた言語を様々な文脈に活かそうと考える。好きこそ物の上手なれ、とはよく言ったものだと思う。多様な文脈や状況で応用することで抽象度は上がり、自分にとってしっくりとした表現になる。 

自分でつかんだ答えなら、一生忘れない。(38話)

 言語化をする主体は自分自身である。しかし、考え続けた結果として得られるものは、すべてを自身で行う必要はない。そこで求められるのがコーチングであろう。考えずに他者や書籍から得られた「答え」では意味がない。自分で考えて納得感のある言葉を紡ぎ出すことができれば、その思考や経験の過程における文脈が活きてくる。

 したがって、相手の意欲や能力によって関与の仕方は異なる。いわゆるティーチングが問題なのではなくて、他者の情況を捉えずに一つの育成方法に固執することが問題なのである。このように考えれば、コーチングという言葉をもっと柔軟に捉えるべきであろう。大事なことは、相手を観察してその情況を把握し、複数の選択肢の中から最適と思われる仮説を選び出し、間違っていたらすぐに修正することではないだろうか。

【第82回】『スラムダンク(全31巻)』(井上雄彦、集英社、1991年〜1996年)

2018年3月26日月曜日

【第822回】Number948「僕らは本田圭佑を待っている。」(文藝春秋、2018年)


 直近の日本代表に久しぶりに呼ばれて再び注目を浴びているサッカー日本代表の本田圭佑選手を特集した本号。日本代表に初めて呼ばれた頃から、歯に衣着せぬ言動で良くも悪くも注目されてきた存在であり、今年の6月にロシアに行けるのかどうかは非常に興味深い。

 個人的には、有言実行のタイプには魅力を感じ、彼の進路に対する意思決定や大きな試合後の言動には注目してきた。そうした私のような方にとっては、「さすがはnumberだ」と納得する、一読に値する特集であろう。

 最初に彼が物議を醸したのは2009年9月のオランダ戦で、絶対的なフリーキックのキッカーであった中村俊輔選手に対して自分が蹴ると直訴したケースであろう。その試合の一週間後に、受けたインタビューで彼は謙虚という言葉に対する考え方を以下のように語っている。

 僕の中での謙虚とは、強い志を持って、高い目標に対して真剣に、客観的に自分を観察しながら取り組んでいくことだと思っています。誰かに褒められたときに『そんなことないですよ』と言うのが、謙虚だとは思わない。それはただ、自分を制限しているだけだというか、逃げ道をつくっているだけだと思うんです。そうじゃなくて、単純に目標を公言して、それに対して本気でどう取り組んでいくか。現実はそんなに甘くない。でも、その目標に対して自分自身をしっかり見つめながら成長しようとするのが、謙虚な姿勢なんだと思います(25頁)

 日本人の多くは、絶対的なFKのキッカーで年長者の存在に対してフリーキックを譲って事を荒立てないことを「謙虚」と捉えてしまう。しかし、本田選手の捉え方は全く異なるし、単に「謙虚」という言葉を否定的に捉えているのではなく、自身に対して厳しく律する考えに基づいていることに注目したい。

 次に、兄によって語られた記事もまた必読である。実の兄が語る人物像は、全てを読んでいただきたい内容であるが、肉親の語る温かくかつ熱い人柄が表れる以下の箇所が特に気になった。

 圭佑は今、負けても泣かないですよね。子供の頃は泣くことでしか悔しさを発散できなかったけど、今は泣く代わりに、胸の中でもっと強くなるために次どうしたろう、と考えているんやと思います(57頁)

【第815回】Number947「平昌五輪 17日間の神話。」(文藝春秋、2018年)
【第91回】Number807「EURO2012 FINAL」
【第417回】『察知力』(中村俊輔、幻冬舎、2008年)
【第413回】『In His Times 中田英寿という時代』(増島みどり、光文社、2007年)
【第45回】『心を整える。』(長谷部誠、幻冬社、2011年)

2018年3月10日土曜日

【第815回】Number947「平昌五輪 17日間の神話。」(文藝春秋、2018年)


 今回のオリンピックは、見ていて清々しい想いがするシーンが多かったように思える。

 羽生結弦さんの怪我を押しての連覇は見事としか言いようがないし、素人にもその演技の美しさを感じさせる滑りは芸術的であった。女子団体パシュートの文字通り一糸乱れぬスケーティングは、同走している三人だけではなくリザーブを含めた四人の見事な連携を想起させ唸らさせられた。

 そのパシュートの団体メンバーの一人である高木菜那さんのマススタートでのラスト一周での駆け引きには驚くとともに感動的であた。また、金メダル最有力という呼び声による重圧の中で、女子500メートルで五輪レコードを出して優勝してみせた小平奈緒さんの圧巻の滑りには舌を巻いた。

 かつて「日本人はメダル○○○○」と公共の電波で放送禁止用語を用いて警句を述べたアスリートがいたことを記憶している方も多いだろう。五輪に出場するアスリートの方々が周囲の期待から受ける重圧は、一般人である私たちの感覚には遠く及ばないものがある。

 彼女の発言から20年以上が経った今、ネットでの拡散やSNSでの炎上も考えれば、メダル候補のアスリートが受ける重圧はより大きくなっているのかもしれない。だからこそ、そうした中で誠実に自身と向き合うアスリートの姿に、私たちは胸を打たれるのではないだろうか。

 冒頭では金メダルを獲得されたアスリートの方々について触れたが、本誌を読んで印象深かったのは宇野昌磨さんと藤澤五月さんの言葉であった。

 五輪が始まる直前に、宇野昌磨さんが出演している番組を見て、すっかりファンになった。なんというか、独特のキャラクターが面白く、また競技への取り組みに惹きつけられるのである。戦う相手は自分自身であると言い切る彼は、他者との勝負をどのように捉えているのか。その答えが以下の引用箇所に表れているのではないか。

「試合の時に他の選手を見るのが好き。自分も頑張ろうと思えるから。良かった演技の人の表情を見ると、ワクワクが出てくる」(34頁)

 まず、自分に集中したいであろう競技の直前に、他者の滑りを見ていることに驚く。「他者が気になるから自分に集中するために他者を見ない」のではなく、「自分との勝負だから他者の演技を見ながら自分自身の滑りに良いイメージを持たせる糧にする」という論理であろうか。メンタルトレーニングの一つとしても有効に思えるし、何よりも、フィギュアスケートという競技を愛し、そこで自分自身を高めようとする気概のようなものを感じさせられる。

 次に取り上げるのは、女子カーリングのスキップである藤澤五月さんが2015年に中部電力からLS北見へ移った際の以下の言葉である。

「自分たちでメニューを考え、練習していました。私に足りなかったのは、自ら取り組む姿勢だったと気づきました」(61頁)
「ここまで話しあってるんだ、みんないっぱい意見を言いあうんだなと思いました」(同上)

 LS北見のチームは、和気藹々とした姿があまりに有名である。しかし、あのような強い信頼関係を築く上で、練習や試合における喧々諤々の議論によって成り立っているのである。

 ともすると、チームメート同士で仲良くすることが大事である、というようにLS北見のみなさんを見て私たちは安易に思ってしまいがちではないか。モノカルチャーで育った人間には、異論を言ったり、意見を戦わせるのではなく、阿吽の呼吸で穏やかにやり取りすることが心地よいものであり、自分自身も残念ながらそうである。

 しかし、本当に信頼し合い、チームとして一つの目的に向けて取り組む上では、意見を言い合い、自分たちで主体的に仮説検証を繰り返すことが大事なのではないか。とりわけ多様な人々が複雑な環境で変化に富んだチームを形成する現代の組織においてはなおさらである。

【第416回】『チーム・ブライアン』(ブライアン・オーサー、樋口豊監修、野口美恵構成・翻訳、講談社、2014年)
【第449回】『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太、文藝春秋、2010年)
【第499回】『不動心』(松井秀喜、新潮社、2007年)
【第45回】『心を整える。』(長谷部誠、幻冬社、2011年)

2017年6月24日土曜日

【第720回】Number929「桜の挑戦。」(文藝春秋、2017年)

 前回のワールドカップでセンセーショナルな活躍を見せたラグビー日本代表。その記憶がまだ新しいために、2019年に日本で開かれる次回大会は遠い未来に開かれるものであるかのように錯覚してしまっていた。あと二年という期間は、長いようでいて、短いのかもしれない。

 ワールドカップ後に、日本代表ヘッドコーチがエディー・ジョーンズからジェイミー・ジョセフへと交替したことは記憶していた。しかし、現ヘッドコーチがどのようなタイプのコーチであり、その結果として日本代表チームがどのような状況なのかは、よくわかっていなかった。前回のワールドカップでの躍進で、日本ラグビーへの国内での注目はたしかに上がったが、サッカーや野球の日本代表と比較するとまだ報道は少ないのであろう。

 今回の特集号において、主要な代表選手に関する記事を読むことで初めて理解することが多いとともに、やはりヘッドコーチの言葉が興味深かった。

 素早さ、スキルフルであること。全般には、NZで用いる言葉なら、コーチャブルであるところ。コーチをしやすいのです。協力的で忍耐強い。これはラグビーに限らず、広く日本の文化なのだと思います。コーチの立場としては、そこに加えて、もっと選手の側から率先して動き考えることを求めたい。みずからをプロデュース、みずからをオーガナイズできれば、さらにチームは強くなります。(22頁)

 上に引用したジェイミー・ジョセフの日本代表チームに対する所感は、日本の組織全般に通用する指摘であるように思えてしまう。良い点として挙げられている「コーチャブル」という言葉に特に面白味を感じた。協力的であったり忍耐的というのはよく言われることであるが、教えられるマインドセットが教えを引き出す言動をとることができるというのである。人材育成が行われやすいマインドセットを持っていることが、日本人の優れた特徴の一つなのではないだろうか。


 反対に、ラグビーの日本代表であるプロフェッショナルを見ている彼からしても、「もっと選手の側から率先して動き考えることを求めたい」という言葉が投げかけられている点に留意したい。速い判断、自分で考えて素早く行動することに長けている人物でもそうした特徴を持っているのであれば、普通の<日本人>も同じような特徴をよりネガティヴなレベルで持っていると考えて、マネジメントに活かすべきではないだろうか。


2017年5月5日金曜日

【第705回】『イチロー・インタヴューズ(2回目)』(石田雄太、文藝春秋、2010年)

 やはりイチローはすごいなぁと思わさせられる一冊。メジャーに行ってからの彼の言動が経年でわかるというのが良い。言葉の一つひとつに唸りながら、心地よく読めるインタヴュー録である。

 かつて、自分に与えられた最大の才能は何だと思うか、とイチローに聞いたことがある。彼は「たとえ4打席ノーヒットでも、5打席目が回ってきて欲しいと思える気持ちかな」と言った。(43~44頁)

 結果が出ない時、私たちは保守的になりがちであり、少し休みたいと思うものだ。幼少期の野球でさえも、チャンスで打席が来ないで欲しかったし、できれば打席に立ちたくないと思ったことを記憶している。失敗が目に見えているように思えて、守りに入りたくなる気持ち。こうしたマインドセットと真逆であることがイチロー自身が語る最大の強みであるというこの箇所には脱帽した。打席に立たなければヒットを打つチャンスはないし、行動することでしか修正はできない、ということではないだろうか。

「(階段なんて)上がってきてないですよ。今の僕には弱さしかありません。とくに苦しいときは、それを強く感じました。プレッシャーに打ち勝てない。負けている。もちろん、(いつか打ち勝てることを)期待はしてますけど、少なくともこの6年間はまったく克服できていない。どんどん苦しくなりますからね」(253頁)

 メジャーでの六年目のシーズンを終えた直後、すなわち春先にはWBCの初代王者に輝き、200本安打を六年続けて達成した直後の言葉であるから驚きだ。常人がたどり着けない結果を出し続けるプロフェッショナルは、プレッシャーに打ち勝つ術を持っているものだと思いがちだが、そうではないとイチローは述べている。プレッシャーは存在するものであり、存在する中で結果をいかに出すか。考えさせられるテーマである。

 この目にイチローのプレーや日常の何気ない仕草を焼きつけ、彼の試合後のコメントや普段の言葉を心に刻みつけようとしてきたのは、いったいなぜだったのか。それは、すべてがイチローにインタヴューをするために欠かせない、準備になるからだった。(7頁)


 イチローがプロフェッショナルであるならば、その言葉を紡ぎ出す産婆のような役割であるインタビュアーである著者もプロフェッショナルだと納得した一節である。インタヴューにはそこに至る準備が必要なのだ。身につまされる想いがする箇所である。


2017年4月30日日曜日

【第702回】Number926「2017年の松坂世代。」(文藝春秋、2017年)

 なんらかのデモグラフィックなデータに基づいて一括りにされるのは好きではない。平均化された人物像が、自分という人間を形容できるとは思えないし、環境に恵まれエリート街道を進んできた人間とまで一緒にされて堪るかというルサンチマンのような反発も覚えてしまう。

 しかし、松坂世代という括りだけは別格な肯定的な響きがある。人並みに野球少年であった私にとって、「松坂大輔」という巨大なアイコンには今でも魅了されるし、彼の一挙手一投足は気になる。このタイミングでなぜこの特集なのかはわからないが、目を通さずにはいられなかった。

 自分で思いついた課題をクリアすることのほうが、バッターを抑えることよりも難しいと思って、ずっとやってきました。満足したら先はないし、その場その場で満足しないというのは、自分への戒めでもあります。自分にはまだまだ成長できる伸びしろがあると思いたいし、今でもうまくなりたいと思って練習してますからね(18~20頁)


 高校、プロ野球、メジャーリーグを通じて既に一時代を築き、度重なる故障で満足に投げられなくなったここ数年。この状況で、まだ現役にこだわるのはなぜなのかと思っていた。彼は、他者との比較や、他者からの評価ではなく、自分自身で目標や課題を課し、それを達成することに喜びを感じてきたのである。だからこそ、そこに課題がある限り、苦しみかつ楽しみながら野球に真摯に取り組むのであろう。こうした姿勢が垣間見えるからこそ、今でも私たちファンを引きつける魅力があるのではないだろうか。


2017年4月9日日曜日

【第696回】Number924「WBC2017」(文藝春秋、2017年)

 日本代表という言葉が興味を唆るのか。それとも、甲子園のようなトーナメント方式が興奮を喚起するのか。いずれにしても、今年のWBCが始まるのを心待ちにし、息詰まりながらも魅了されて見ていた。残念ながら敗退した準決勝は時間の関係で観戦できなかったが、それでも不思議とそれまでのグループリーグの闘いで野球の醍醐味を堪能した。

 大会が始まってからの船出は、素人目にはスムーズだったように思えなかった。好調な打線とは反対に、浮き沈みの激しい投手陣に不安を覚えた人は私だけではないだろう。その中で、初登板から活躍し、最終的に日本で唯一のベストナインに選ばれたのが千賀選手である。彼が出ると、安心して観戦することができた。村田バッテリーコーチによるエピソードが面白い。

 「千賀に『次、行けよ』って言うと、決まって『いえ、僕はいいです』って言うんです(笑)。もちろん、いざとなったらエンジンがかかるのも早かったですけどね」
 おそらくは、芽生え始めた自信と未知の領域への不安を心の中で戦わせているのだろう。準決勝を終えた千賀はこう言った。
「自分はこんなに集中できるんだ、これが集中力なのかと思いました。そこに自信を持てば、もっと成長できると思います」
 武器はお化けフォークだけではない。上を見る力もまた、千賀を高みに押し上げたもう一つの強みだったのである。(26頁)

 あれだけ自信を持ってマウンドで打者に挑んでいたように見えた千賀選手の発言とは一見思えない。しかし、決まった以上は切り替えてブルペンで準備をしてマウンドに向かっていたのであろう。フォークという決め球に私たちの関心は向かっていたが、育成選手から這い上がり、自分自身を高みに向かって進めていく目的意識が彼の強みなのであろう。

 感覚に頼った、百戦錬磨の権藤コーチ。
 その起用法に大人の対応をした投手陣。
 陰で両者の橋渡しに努めた村田コーチ。(34頁)

 代表チームの選手起用は難しい。特に繊細な感覚と、プライドを兼ね備えた投手の起用方法やより難しかっただろう。そうした状態において、ブルペンをどう切り盛りするかが肝要となる。特に、感性タイプで重鎮でもある権藤コーチに対して、ブルペンの投手側の意見や感情を踏まえながらも、抑制の効いた意見を具申することができたのが、投手陣をまとめ上げて成果をあげる結果につながったのであろう。

「周りでごちゃごちゃいう人はいる。でも監督は選手のことを考えてやってくれる方で、その中で責任感も強い方だと思うし、俺は凄い人だと思っている。小久保さんだからやろうと思ったし、他にもそう感じている選手は絶対にいると思う。もし監督があの人でなかったら、ひょっとしたら俺は、出場を辞退していたかもしれない」(35頁)

 今度は打撃陣について。上記は中田翔の言葉だそうだ。満身創痍で腰痛のためにホテルで寝返りを打つのも苦労していた状態の彼に、こうした言葉を吐かせる小久保監督のリーダーシップは素晴らしい。



2016年5月1日日曜日

【第570回】『オシムの言葉』(木村元彦、集英社、2005年)

 数年ぶりに紐解き、オシムの言葉に触れてみる。すると、その奥深い言葉が、改めて輝いて見える。

「システムは関係ない。そもそもシステムというのは弱いチームが強いチームに勝つために作られる。引いてガチガチに守って、ほとんどハーフウェイラインを超えない。で、たまに偶然1点入って勝ったら、これは素晴らしいシステムだと。そんなサッカーは面白くない。
 例えば国家のシステム、ルール、制度にしても同じだ。これしちゃダメだ。あれしちゃダメだと人をがんじがらめに縛るだけだろう。システムはもっとできる選手から自由を奪う。システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべきだと考えている。チームでこのシステムをしたいと考えて当てはめる。でもできる選手がいない。じゃあ、外から買ってくるというのは本末転倒だ。チームが一番効率よく力が発揮出来るシステムを選手が探していくべきだ」(121頁)
 企業組織におけるシステムを考えて、思わずハッとさせられる言葉である。何かを変えるために、もっと言えば、何かを変えようとしていることをわかりやすく伝えるために、企業ではシステムつまり組織を変えようという誘因が働きやすい。しかし、システムを変えることは、企業の戦略とのアラインメントを取るためであり、そうであればこそ、戦略実現の前提となる人に合わせたものが求められるのではないか。

 ただ、それより重要なのは、ミスを叱っても使い続けるということだ。選手というのは試合に出続けていかないと成長しない。どんなに悪いプレーをした時でも、叱った上でそれでも使う。ミスをした選手を、それだけで使わなくなったら、どうなる?その選手はもうミスを恐れてリスクを冒さなくなってしまうだろう。いつまでも殻を破ることができない(126頁)

 怒ると叱るの違いを管理職研修ではよく扱う。しかし、叱るには、相手を信頼し、辛抱強く待ち続けることが前提条件として求められる。信頼し続けているからこそ、叱った後に同じ人材を使い続ける。叱ることによって、相手が今後望ましい方向に変わることを信じているのである。叱るのにはエネルギーがかかるものであり、相手を信頼していたり、相手に対する敬愛の情がなければ、叱るということはなかなかできるものではない。


2015年10月11日日曜日

【第499回】『不動心』(松井秀喜、新潮社、2007年)

 僕は、生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だと考えます。(8頁)

 順境の中でパフォーマンスを発揮することに比べて、逆境の中でいかに結果を出すことの方が難しい。しかし、私たちの日常においては、順境とともに逆境もまた訪れるものである。これは誰にも訪れるものであるのだから、生きていく上でも、またプロフェッショナルとして他者に貢献するためにも、逆境をいかに生きるかが大事なのである。

<日本海のような広く深い心と
 白山のような強く動じない心
 僕の原点はここにあります>(10頁)

 松井秀喜ベースボールミュージアムに寄せた著者の言葉だそうだ。「広く深い心」と「強く動じない心」とから「不動心」が構成されると著者はする。ここに、著者の考え方が凝縮されているようだ。

 これまで星稜高校、巨人、そしてヤンキースでプレーしてきましたが、たとえ自分が活躍して試合に勝ったときも、自分の力で勝った、と思ったことはありません。本当に、そんなふうには考えないのです。ですから、この記者がいうように、自分の力でチームを強くしたい、などとは思いません。
 チームの勝利のために自分がすべきことを考えて打席に入ることが、結果として、自分の成績にもプラスに作用している。これがすべてです。(152頁)

 「強いチームばかりでプレイしてきたが、弱いチームでプレイしてチームを強くしてみたいか」という記者に対する上記の回答が秀逸だ。チームプレイに徹することで、自分のパフォーマンスの向上にも繋げる。チームの結果にもコミットして、自分の結果にもコミットする、ということには、当事者としての強い覚悟が伴う。企業で働くプロフェッショナルにも考えさせられる至言である。