野茂英雄、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大、大谷翔平といった歴代の日本人メジャーリーガーのような派手さはない。しかし、シーズンを通じてローテーションを守って二桁勝利を毎年のように積み上げていた著者には、不思議な魅力を感じていた。一人のプロフェッショナルとしてだけではなく、「漢気」と形容される彼の人としての素晴らしさが、本書には随所に溢れている。
僕は中学生以来、野球を楽しいと思ったことは本当に一度もないし、特にメジャーに来てからはシーズン終盤になると性も根も尽き果て、体力的にも、精神的にも余力が残っておらず、「もう、こんなしんどいことはしたくない。引退しよう」と真面目に考えるようになっていた。(9~10頁)
著者の野球に対するひたむきな態度は、真摯な想いに裏打ちされたものだったのであろう。たのしむとかポジティヴといった姿勢が好ましく言われる昨今の状況の中で、ともすると不器用とも取られるような考え方は新鮮である。
さらにいえば、高校時代にエースになれずに甲子園の土も踏めず、大学野球でも知る人ぞ知るレベルの存在であった著者の現実感覚が現れているようだ。圧倒的多数の「普通の人」にとって、勇気付けられるマインドセットである。
振り返ってみると、自分はいろいろなことに気づくのが遅い。それでも結局は、一歩、一歩進んでいき、そこで気づくしかない。(59頁)
日米通算で200勝を達成した名投手が、「気づくのが遅い」と書かれると恐れ入るばかりである。ここでの気づきとは何か。おそらく、違和感に気づいたり、目指す姿と現状とのギャップに気づくだけではなく、その気づきに基づいて試行錯誤を繰り返して改善行動へと繋げて結果を導くことまでを含むのではないか。ここまで考えた理由として、以下の箇所が挙げられる。
野球に即して言えば、エースと呼ばれるためには段階を踏む必要がある。
たとえばルーキーの投手が15勝したとしても、その投手が2年目にエースと呼ばれることはない。「エース」と呼ばれるためには、1年だけの実績ではダメで、2年目のジンクスを跳ね返し、3年、4年と安定的に勝ち星を積み重ね、重要な試合でエースと呼ばれるにふさわしい投球をしてこそ、周りが「エース」として認めることになる。
僕は、その間の段階こそが重要で、段階ごとに目標を立て、邁進することに注力している。それが「目の前の目標にこだわる」という意味だ。(70頁)
気づき、試行錯誤を繰り返し、結果を長期間に渡って出し続ける。これを愚直かつ真摯に行うために、気づきが遅いと捉え、悲壮な覚悟でマウンドに向かう、ということになるのであろう。こうまでして練習に向かうモティベーションは何だったのか。
結局、自分を練習に駆り立てるモチベーションとは、「怖いから」ということに集約されている。
打たれることに対する恐怖心。
自分がダメだったときの恐怖心。
すべては恐怖心から逃れるために練習を積み重ねていく。(190頁)
ここまで徹底されているからこそ、プロフェッショナルなのだろう。プロフェッショナルとは、一様なものではなく、多様なあり方があることに、改めて気づかされる良書であった。
【第449回】『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太、文藝春秋、2010年)
【第499回】『不動心』(松井秀喜、新潮社、2007年)
【第428回】『自己再生』(斎藤隆、ぴあ、2007年)
【第45回】『心を整える。』(長谷部誠、幻冬社、2011年)
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