火山島で生き延びた長平によるリーダーシップ発揮の物語と読むことは容易だ。しかし、それだけに集約されない、もしくは集約してはいけない何かがある。遠い過去の無人島における苦難の様を、読者に思い描かせる著者の筆致の凄みによって、安易なレッテル貼りをさせない余韻が残っている。
その日は、美しい夕焼だった。空も海も、鮮やかな茜色に染まった。(172頁)
洞穴の外には、夕照があふれていた。(195頁)
仲間の死の描写の後には、夕焼けの美しさが簡潔に述べられる。無人島に置いていかれる精神的な辛さの描写の後に、シンプルな美を感じさせられる表現があることで、諦観を試みようとする長平の気持ちに寄り添うことができるのかもしれない。
生きてみるか……と、或る日、美しい夕日の沈むのを眼にしながら、かれはつぶやいてみた。自分だけが生き残ったのも、神仏の御心によるものかもしれぬ、と思った。(198頁)
同郷の船乗り全員に死に別れ、一人で島で生き延びようと決意するシーンである。死を美しいとは全く思わない。しかし、近しい存在の死を葛藤しながらも受け容れ、今から後の生にコミットする長平の意志は、美しいと感じた。
「さとりとは……、口に出すこともおそろしいことだが、この島で一生を暮らそうと思うことです。しかし、私には、まだそのようなさとりの境地に達することはできません。どうしても故郷へ帰りたいと強く願っています。そこで、せめて帰郷は神仏の意におまかせしよう、それまではあせることも泣くこともやめて達者に暮らそうと思うようになりました。このように考えてから、気持がひどく楽になりました」(235頁)
島に流れ着いた他藩の漂流者たちに語りかけるシーンである。遠くの理想を思い描きながらも、近くの現実的な目標にコミットし、日々を淡々と生きる。『夜と霧』を想起させるような長平の独白に思える。
「一度は死んだおれたちだ。自分が亡者だと思えば、欲も消える。ここは海の墓場で、おれたちは亡者だ。亡者が力を合わせて、人間の生きている場所にもどれば、それでよいではないか」
長平の言葉に、栄右衛門が深い息をつくと、
「亡者が、船を造って帰ろうというわけだ」
と言った。
「そうだ。亡者が亡者の造った船で人間の生きている場所にもどってゆく……」(435頁)
リーダーシップは個人の内側から始まる。自分自身が自分自身をリードすることが、他者を巻き込む原動力となる。一人の他者に伝わり伝播していくなかで、チームへの影響が生じ始める。さらには、多様な一人ひとりの相互影響がもたらされ、チームとしての共通目標の分有とコミットの深化が進む。
リーダーシップ論として無理にまとめる意図はないが、現時点での私の所感を表現するとこのようになった。
【第105回】『リーダーシップ入門』(金井壽宏、日本経済新聞出版社、2005年)
0 件のコメント:
コメントを投稿