2014年1月26日日曜日

【第245回】『三四郎』(夏目漱石、青空文庫、1908年)

 姜尚中さんの『悩む力』(『悩む力』(姜尚中、集英社、2008年))を読んでから、同書で盛んに取り上げられていた漱石を無性に読みたかった。本書は以前にも読んだことがあるが記憶がうろ覚えであるし、これから意識して前期三部作を続けて読もうと思っている。

 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」(Kindle No.255)

 自分自身の中にある広い意識世界のほんの一部の断片から、日本という国家への意識、その中心に位置する東京という都市に畏怖を覚える必要はない。近代国民国家としての日本が誕生してからあまり年月が経たない時期において、このように俯瞰的に透徹した指摘ができる漱石は、やはり文豪と呼ばれるべき存在だ。

 あぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。ーー批評家である。ーー三四郎は妙な意味に批評家という字を使ってみた。使ってみて自分でうまいと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しようかとまで考えだした。(Kindle No.795)

 一見すると批評家という存在を否定しているようで、その鷹揚な生き様を肯定しているようにも読めるから面白い。親からの仕送りで東京での大学生活を送れる三四郎が、野心や野望を持たずに、批評家として生きてみようと考えている退廃性は果たしてどこから来ているのであろうか。

 その晩取って返して、図書館でロマンチック・アイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。三四郎はようやく安心して、下宿へ帰って、すぐ寝た。(Kindle No.1224)

 三四郎の退廃的な態度を表現するために、こうした言葉を漱石は用いているのであろう。近代化に成功し、日清・日露と国を賭けた戦争に勝ち、右肩上がりの日本という国で懸命に勤勉に励むという態度へのアンチテーゼとして三四郎を描きたいのであろうか。ロマンチック・アイロニーの意味を理解した三四郎が、何も疑問を抱かず、その考え方を受け容れ、 安心してすぐに眠りに落ちているところが退廃性をさらに補強しているようにも読み取れる。

 近ごろの青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。我々の書生をしていることには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本意であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。(Kindle No.2347)

 ここで漱石は、明治初期の学生の意識と、1900年代の学生の意識との違いを対比的に示している。前者は、天皇や国家や親といった公に対する意識が強く、そのために他律的に行動をとり、それがともすると偽善的な行動として周囲に映る。それに対して後者は、私としての自己に主眼を置いて自分の意志を上位に配置するために、自己本位的な行動として映るのである。

 三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美穪子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美穪子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美穪子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。(Kindle No.3264)

 生と死、主観と客観。それぞれにおいて美を感じることができる一方で、それぞれにおける美の意味合いは大きく異なる。三四郎の美穪子に対する意識、それを通じた自意識について、主観的に生をどのように感じ得るかについて、漱石は淡々と述べている。この部分に、軽々には名状しがたい趣き深さがあるように私には思える。


2014年1月25日土曜日

【第244回】『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一ら、ダイヤモンド社、1984年)

 日本軍の失敗を組織論的に研究すること。本書はその点に焦点を当てて書かれた優れた組織論の書物である。

 本来的に、第一線からの積み重ねの反復を通じて個々の戦闘の経験が戦略・戦術の策定に帰納的に反映されるシステムが生まれていれば、環境変化への果敢な対応策が遂行されるはずであった。しかしながら、第一線からの作戦変更はほとんど拒否されたし、したがって第一線からのフィードバックは存在しなかった。(Kindle No. 1457)

 三つめのケースであるガダルカナル作戦を執筆した経営学の大家・野中郁次郎は、現場からの情報の吸い上げが起きなかったことが問題であったとしている。刻々と現場の状況に合わせて現場のミドルが柔軟に対応し、そこで得られた現場における暗黙知を横や上へとミドルが形式知として展開する。そこにおけるミドルマネジャーの像は、野中が後年に著す『知識創造企業』を彷彿とさせる。残念ながら、当時の日本軍においては現場対応の卓越性がある一方で、野中の言葉を借りればミドル・アップダウンというようなダイナミックな情報の共有がなされなかった。ために、それが「失敗の本質」となった。ここで野中が指摘している点をさらに抽象化すれば以下のようになる。

 日本軍は、初めにグランド・デザインや原理があったというよりは、現実から出発し状況ごとにときには場当り的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法が得意であった。このような思考方法は、客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行なわれるかぎりにおいて、とりわけ不確実な状況下において、きわめて有効なはずであった。しかしながら、すでに指摘したような参謀本部作戦部における情報軽視や兵站軽視の傾向を見るにつけても、日本軍の平均的スタッフは科学的方法とは無縁の、独特の主観的なインクリメンタリズム(積み上げ方式)に基づく戦略策定をやってきたといわざるをえない。(Kindle No. 2971)

 環境変化の激しい状況において、現場主義は一つの解答となり得る。しかし、現場で得られた情報が他部門や経営へと吸い上げられるシステムがあるかぎりにおいては、という留保が重要であろう。そうしたシステムが欠落していれば、太平洋戦争時においては暗号をはじめとした情報処理や兵站の軽視につながった。これは、現代における企業に置き替えればリソースの軽視と言えるだろう。つまり、現場の柔軟な動きを是とするためには、情報リソースや人的リソースといった活用の冗長性とともに緻密性を担保することが求められると言えるのではないだろうか。このように考えれば、ミドル・マネジャーが連結ピンとして、情報というよりも知識を縦横無尽に共有するようにすることが重要であるとする現代のマネジメント論と通ずる。

 本来、戦術の失敗は戦闘で補うことはできず、戦略の失敗は戦術で補うことはできない。とすれば、状況に合致した最適の戦略を戦略オプションのなかから選択することが最も重要な課題になるはずである。ところが、陸軍に比べて柔軟だといわれた海軍の戦略発想も意外に固定的なものであった。その原点の一つは日露戦争における日本海海戦にまでさかのぼる。この海戦で日本海軍が大勝したために、大艦巨砲、艦隊決戦主義が唯一至上の戦略オプションになった。この思想は東郷平八郎連合艦隊司令長官のもとで参謀を勤めた秋山真之少佐が起草した「海戦に関わる綱領」をもとにして、明治三四年に制定された「海軍要務令」以来の日本海軍の伝統になった。(Kindle No. 3059)

 現場の柔軟な対応が機能するには、先述した下からの情報共有のしくみとともに、戦略や目的といった上段の情報が共有されるしくみがあることが前提となる。さらには、そうした戦略が状況に対応するように柔軟なものとなっていることも必要だ。しかし、そうした柔軟性があると言われていた当時の海軍であっても、日本海海戦という当時から数えても四十年ほど昔であり、かつ戦争のパラダイムが変わった第一次大戦前の原則に基づいていたという。こうした硬直したシステムに基づいた戦略であれば、現場の柔軟な対応は機能でき得ない。

 日本軍の作戦行動上の統合は、結局、一定の組織構造やシステムによって達成されるよりも、個人によって実現されることが多かった。日本軍の作戦目的があいまいであったり、戦略策定が帰納的なインクリメンタリズムに基づいていたことはすでに指摘したが、これらが現場での微調整をたえず要求し、判断のあいまいさを克服する方法として個人による統合の必要性を生みだした。また、人的ネットワークの形成とそれを基盤とした集団主義的な組織構造の存在は、個人による統合を可能にする条件を提供した。(中略) このように、個人による統合は、一面、融通無碍な行動を許容するが、他面、原理・原則を欠いた組織運営を助長し、計画的、体系的な統合を不可能にしてしまう結果に陥りやすい。(Kindle No. 3454)

 アメリカ軍の意思決定の共有がシステマティックであったのに対して、日本軍は特定の個人への属性が強かったとされる。人的属性が強いことだけが問題というわけではないだろう。先述したような情報共有のしくみや、そうして共有された情報をもとに意思決定を情に棹さすことなく論理で行なうことができなかったことが問題だったのであろう。その結果、戦略、原理原則、しくみといった組織において必要不可欠な要素がこぞって欠落する事態を招いたのである。では、なぜ情報を共有することがなされなかったのか。

 学習理論の観点から見れば、日本軍の組織学習は、目標と問題構造を所与ないし一定としたうえで、最適解を選び出すという学習プロセス、つまり「シングル・ループ学習(single loop learning)」であった。しかし、本来学習とはその段階にとどまるものではない。必要に応じて、目標や問題の基本構造そのものをも再定義し変革するという、よりダイナミックなプロセスが存在する。組織が長期的に環境に適応していくためには、自己の行動をたえず変化する現実に照らして修正し、さらに進んで、学習する主体としての自己主体をつくり変えていくという自己革新的ないし自己超越的な行動を含んだ「ダブル・ループ学習(double loop learning)」が不可欠である。日本軍は、この点で決定的な欠陥を持っていたといえる。(Kindle No. 3552)

 情報を共有するためには、個々人が情報を共有する知的インフラを有していることが前提となる。情報共有のためのハードウェアも重要であるが、それと同等かそれ以上にソフトウェアが重要だ。企画部門や戦場での将校を排出する学校組織において、静的な環境を前提にした最適解を選ぶシングル・ループ学習ばかりで、ダブル・ループ学習が組み込まれていなかった、という指摘は象徴的であろう。過去の日本軍の成功事例ばかりをそのまま暗記するだけでは、現場対応や現場での対応を抽象化する能力は育まれないのは自明である。

 帝国陸海軍は戦略、資源、組織特性、成果の一貫性を通じて、それぞれの戦略原型を強化したという点では、徹底した組織学習を行なったといえるだろう。しかしながら、組織学習には、組織の行為と成果との間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはならない。その場合の基本は、組織として既存の知識を捨てる学習棄却(unlearning)、つまり自己否定的学習ができるかどうかということなのである。 そういう点では、帝国陸海軍は既存の知識を強化しすぎて、学習棄却に失敗したといえるだろう。(Kindle No. 3945)

 ダブル・ループ学習を個人で行なえる環境を用意しながら、さらには組織として学習棄却をいかに促すか、が重要だ。過去の自分たちの栄光、成功体験を意識的に一度捨て去ること。成功の復讐と呼ばれる現象を防ぐためには、自分たちの手で過去の成功体験を抽象化した上で、それにそぐわない現実の場合にはそうした体験を適用させてないことである。


2014年1月19日日曜日

【第243回】『シリコンバレーから将棋を観る 羽生善治と現代』(梅田望夫、中央公論新社、2009年)

 将棋を指すではなく、将棋を観る。しかも、シリコンバレーから。本書は、ネットで将棋を観賞することについて述べられたものである。

 テロが起きても、戦争が始まっても、世界経済が音を立てて崩れようとも、私たちは、毎日の生活の潤いや楽しみを求めて、音楽を聴いたり、小説を読んだり、野球を観たりしながら、精神のバランスをとって、したたかに生きていかなければならないのだ。文化は、その時代が厳しくなればなるほど、人々の日常に潤いをもたらす貴重な役割を果たすものなのである。(144頁)

 文化とは、生活をゆたかにするものであり、日常をしたかかに生きるためのものである。そして、将棋とは、日本の文化である。指せなければ将棋をたのしむことはできないと思われがちであるが、将棋を観賞することの意義を著者は述べる。日本の文化たる将棋界を推進する一人が羽生善治さんであることに異論はないだろう。羽生さんの将棋に対する考え方は、文化の推進者たるにふさわしい。

 「すべての戦型を網羅して全十巻」というところにオールラウンドプレイヤー指向の羽生の真骨頂がすでに出ていたわけだが、より本質的なのは、羽生の「その段階で持っている知識はすべてオープンにする」という過激な思想であった。(40頁)

 ここで著者が引用しているのは、羽生さんが将棋のメジャータイトルを独占して世間の話題となるより数年前の、若手の第一人者として活躍し始めた時代の著書からである。将棋のプロの世界は、他のプロとの真剣勝負の連続である。ゼロサムゲームであるために、将棋においても自分自身の手の内をさらけ出すことは得にはならない。しかし、羽生さんは自分自身が理解し得ている知識を進んでアウトプットしたのである。アウトプットした数年後に、七つのタイトルすべてを取得したのであるから、知識を共有し将棋の持つ可能性を高めることと、自身が勝負に勝つことを両立させたのである。勝負を不利にするリスクを冒してまでなぜ、彼は将棋界を前に進めるようとしたのか。

 厳しいながら、権利のない世界のほうが進歩が加速する。だから、進歩を最優先事項とするなら、情報の共有は避けられない。そういう新しい世界では、「効率だけで考えたら、創造なんてやってられない」から、一見モノマネをして安直に生きるほうが正しいかのようにも見える。「状況への対応力」で生き抜くのが理にかなっているようにも見える。しかし、無駄なようでも創造性を生もうとする営みを続ける以外、長期的には生き残るすべはない。突き詰めていけば「最後は創造力の勝負になる」のだと、羽生は考えるのである。(46頁)

 知識をシェアして世界を進歩させることで、効率的な改善から、創造的なイノベーションへとパラダイムを変える。羽生善治という人物が行なったことは、GoogleやAppleが行なったことと軌を一にして、同じようなインパクトのものを行なったと言っても過言ではないだろう。では、彼にとって創造性の萌芽とはなんだろうか。特筆すべき点が二つ挙げられる。

 結局、手番を指したら、自分の手は消えてしまうので、そこはもう相手に委ねるしかないところですから。悩んでも、どういう手が返ってきても、それを受け入れるしかないということですよね。そういう曖昧さとか、いい加減さとか、あるいは心配みたいなものを、どういうふうに克服していくか。そういうことに繋がる気がしますね。(252頁)

 第一は、曖昧性あるいは他力という考え方である。すべての問題を因数分解し、独力で合理的に解決することはもはやできない。たしかに、予見性が高く、単純な構造の世界であれば、こうした合理的な手法に基づく問題解決ということもできるだろう。そうした文脈において、合理的な問題抽出および問題解決の有効性を否定するつもりは毛頭ない。しかし、現代における諸問題の複雑性やその問題自体が静的ではなく動的である点に鑑みて、新しいアプローチが求められていることももまた事実であろう。そうした際には、ある部分において他者に委ね、曖昧な現実に対して柔軟に対応するということが、問題への創造的なアプローチになり得るのではないだろうか。

 「超一流」=「才能」×「対象への深い愛情ゆえの没頭」×「際立った個性」(中略) 「知の高速道路」が敷設され、癖のない均質な強さは、昔に比べて身につけやすくなった。しかし、「高速道路を走り切ったあとの大渋滞」を抜けるには、加えてこれらの三要素が不可欠なのだ。特に「際立った個性」の強さが、最後の最後の紙一重の差を作り出す源となるのである。そしてそれは、どんな分野にもあてはまる普遍性を有する。(289~290頁)

 創造性に結びつく第二の点は、「超一流」の条件の一つである「際立った個性」と言えるのではないだろうか。個性であるということはすなわち、成功している他者のアプローチをリバースエンジニアリングを掛ければ創造的になれるわけではないということである。リバースエンジニアリングが有効なのは「高速道路」を走る際のアプローチであって、「高速道路」後の「大渋滞」を抜ける際には決して有効ではない。自分自身の内側にあるキャラクターと統合された個性こそが、プロフェッショナルとして活躍するために求められるのである。

2014年1月18日土曜日

【第242回】『若者と労働』(濱口桂一郎、中央公論新社、2013年)

 著者の書籍は好んで何冊か読んでいるが、どれも日本における労働環境を法的観点から分かり易く書かれている。行政府出身の方らしい観点で、日本企業における労働問題をマクロで捉え、他国との比較に基づきながらの考察は論理的かつ緻密であり簡潔にして読み応えがある。

 日本では、会社というのは「社員」という「人」の集まりだが、その「社員」というのは英語でいうエンプロイーのことを指す、と。つまり、初めに「人」ありき、というときのその「人」は、会社のメンバーである「人」という意味なのですね。初めに「メンバー」としての「人」ありき、という意味で、これを私は「メンバーシップ型」と呼ぶことにしました。欧米においては会社のメンバーなどではあり得ないエンプロイーが日本では会社のメンバーになっているということ、そしてそのメンバーに仕事を当てはめるというのが日本の仕組みであるということを一言で表現する言葉として、なかなかよくできているのではないかと思っています。(37頁)

 欧米の企業では、ジョブに求められる職務要件を明らかにし、その職務要件を満たす人材を市場から調達するというジョブ型の人事が行われる。それに対して、日本ではジョブではなく人ありきでのメンバーシップ型が取られていると著者はしている。すなわち、ジョブ型では人材は入れ替え可能であり、その所属する場所は会社というよりも市場という印象が強いのに対して、メンバーシップ型では人材は会社に属し、会社の一員という意味合いでの「メンバー」なのである。人事管理論でいうところの、職務型の欧米企業に対する、職能型の日本企業という対比構造として捉えれば分かり易いだろう。ここで著者が射程に置いているのは日本で事業を行う内資系企業に限定され、日本で事業を行う外資系企業はここでいうところの「日本企業」ではないという点は自明であろう。以下では、著者が述べる日本企業とは前者を指すものとご認識いただきたい。

 重要なのはどの契約類型であっても、一方が労務を供給し、他方がそれに対する報酬を支払うという点で、何の変わりもありません。(中略)雇用契約は法律上においてはメンバーシップ契約ではないのです。 日本の現実はメンバーシップ型で動いているけれども、日本の法律は欧米と同様のジョブ型社会を前提に作られている。(50~51頁)

 企業実務と法政策におけるズレが端的に述べられている。労働法とは本来、その上位法である民法が想定する欧米的な契約社会と日本社会とのズレを踏まえた上で、社会的な要請に応じて現実に適用させる下位法であるはずだ。しかし、法の根幹を為す思想の部分から本質的なズレがあるという指摘は興味深い。では、どのようにそのズレは修正されているのであろうか。

 日本の裁判所は、さまざまな事件に対する判決を積み上げる中で、解雇権濫用法理や広範な人事権法理など、判例法理といわれるルールを確立してきました。それは、ジョブ型雇用契約の原則に基づく法体系の中で、現実社会を支配しているメンバーシップ型雇用契約の原則を生かすために、信義則や権利濫用法理といった法の一般原則を駆使することによって作られてきた「司法による事実上の立法」であったといえます。(69頁)

 立法の不作為を司法が修正するための判例法理の蓄積による是正。良くも悪くも、日本社会における典型的なパターンの一つであろう。労働環境における判例主義の功罪については以前のエントリーを参照いただきたい(『人事と法の対話』(守島基博・大内伸哉、有斐閣、2013年))。著者が挙げている、ジョブ型の法制度をメンバーシップ型の運用へと是正しようとしている典型的な判例を二つほど以下に挙げてみよう。

 特定のジョブにかかる労務提供と報酬支払の債権契約ではあり得ないような、メンバーシップ型労働社会における「採用」の位置づけです。それは、新規採用から定年退職までの数十年間同じ会社のメンバーとして過ごす「仲間」を選抜することであり、その観点から労働者の職業能力とは直接関係のない属性によって差別することは当然視されるわけです。(73頁)

 まずは、採用の判例としても極めて有名な一九七三年の三菱樹脂事件の最高裁判決の意義を簡潔に著者が述べたものである。要するに、解雇や退職といった出口の厳格な制限を促すメンバーシップ型の運用においては、その代償として採用という入口における企業への制限を緩くしようということである。出口の厳しさと入口の緩さというバランスは、メンバーシップ型の趣旨から鑑みると合理的な運用であると言えるのではないだろうか。

 整理解雇四要件の一つとされる解雇回避努力義務の中には、時間外・休日労働の削減というのが含まれています。ということは、いざというときに残業を減らして対応できるように、平常状態ではいつでも残業をやっているようにしておいた方がいいということです。もし、労働基準法の原則どおりにいつもは残業ゼロで回していたりしたら、いざというときに対応のしようがありません。(92頁)

 第二は、残業の運用である。人事の実務家であれば決して口に出せないことをずばりと著者が指摘している部分である。メンバーの雇用を優先して守るために整理解雇を行うことも制限するというメンバーシップ型の大命題を守るためには残業時間を調整要件にすることを判例では謳われているのである。従業員の心身面の健康という点では問題もあろうが、こうした柔軟な運用が現場の人的リソースの柔軟性を支えている。

 労働社会全体としては日本型雇用システムが変容していき、「社員」の範囲が縮小するようになっていって初めて、それまで「入口」段階ではそれほど決定的な重要性を持たなかった「人間力」が、それによって「社員」の世界に入れるか否かが決定されてしまう大きな存在として浮かび上がってきた、というのが九〇年代以降の実相なのではないかと思われます。(131~132頁)

 戦後において大企業を中心に形づくられてきたメンバーシップ型の人事のしくみは、経営が厳しくなるとメンバーになる要件を厳しくせざるを得なくなってきている。その結果が、雇用のミスマッチとも言われる新卒入社者へ求める要求水準の高まりである。欧米型のようなジョブ型ではなく、メンバーシップ型において要求水準が高まるということは、言葉にしづらい人間力という包括的な概念とならざるを得ない。そうした概念をもとに採用を選別されるとなると、表面的なコミュニケーション能力を判断材料にせざるを得なくなっているというのが現在の実情ではなかろうか。人間力をコミュニケーションで測るために、ある企業の選考に落ちることが自分の「人間力」の否定、すなわち人間性の否定と結びつけて誤解されてしまうのである。

 こうしたメンバーシップ型の人事制度の限界に行き着く中で、著者はジョブ型正社員という概念を持ち出す。端的に言えば、労働条件の柔軟性を担保した正社員でありながら中長期的にジョブにマッチさせるというジョブ型を統合させるものであると言えるだろう。こうしたジョブ型正社員を生み出すしくみとして、ドイツで行われているデュアル・システムが参考になるとしている。

 今後社会の中にジョブ型正社員が次第に増えて行き、教育と職業の関係をより密接なものにしていこうとするならば、その将来像の一つとしてドイツ型に近い真の日本版デュアル・システムを構想していくことが求められるように思います。 ドイツのデュアル・システム(中略)は(中略)、高校や大学の教育と企業現場の実習を半端でなく、同じくらいの分量で組み合わせるものです。高校の三年間、毎週の週日のうち三日間は学校に通って基礎科目や職業科目について勉強をし、残りの二日間は企業現場に通ってそこの管理者や先輩労働者に教わりながら実際に作業をやって、職業技能を身につけていくというパートタイム型もあれば、数か月間は学校に通って勉強をし、次の数か月間はずっと企業現場で作業をするというブロック型のやり方もありますが、いずれにしても、座学と学習の両方ともずっしりと思い大変本格的な「組み合わせ方」なのです。 今までの日本ではスキルのない若者を「人間力」で採用して、企業現場のOJTで鍛え上げていくというやり方をするところを、いわば学校教育段階に大幅に前倒しして、パートタイムの生徒や学生であると同時に企業のパートタイム労働者でもあるという形で職業教育訓練を遂行する仕組みと考えれば、本質的に共通する部分もあることがわかります。(269~270頁)

 職業教育を担う主体は、学校と企業の双方にあると述べられている。入社段階で求められる人材スペックが上がるのであれば、入社前に職業観を涵養しておくことは必要であるし、そのために職業経験を持つことは必要であろう。ここで課題となるのは、入社前における職業経験を、自身の職業観へと抽象化することを、現在の企業や学校では担えないということである。企業のラインではそこまでのリソースを提供することはできないであろうし、学校の先生のほとんどは企業での勤務経験がないはずだ。たとえば、企業のHRにおける教育部門や、HRのコンサルタントがこうした橋渡しをできるように雇用契約等のインフラを整備することも考えるべきかもしれない。


2014年1月13日月曜日

【第241回】『いかにして問題をとくか』(G・ポリア、柿内賢信訳、丸善出版、1954年)

 高校までに学ぶ教科のうちで最もつぶしが利くものは数学ではなかったか。少なくとも私にはそう思えるし、数学が好きであったからこそ、他の科目への応用ができたことに感謝をしている。本書では、数学者である著者が、数学を学ぶこと、数学で問題を解くこと、数学を教えること、といった点を述べている。

 教師の最大の義務は、学生に数学の問題がお互に何等の関係がないものであるように思わせたり、又それが他の事柄と無関係であるなどと考えさせないようにすることである。解答を振り返ってみることは問題の間の関連を調べるのに絶好の機会である。学生が解答をふり返ってみて真面目に努力した揚句、成功したと思えばそれに興味を感ずるようになるであろう。そうして何か他のことが同じような努力でできないか、又いつか別の時にうまく成功しないだろうかを熱心に追求するようになるだろう。教師は同じ手続や結果を再び利用することができるように学生を力づけることが必要である。その結果や方法を何か他の問題に利用する事ができるか。(19~20頁)

 点と点が繋がるのは面白い。こうした関連性をいかに学生に感じさせ、数学への興味をいかに感じさせるか。教える立場にある身にとって的を射たアドバイスであり、またそうであるが故に耳が痛いものでもある。さらに著者は、正解に辿りついた後に、その過程を振り返らせることの意義を述べている。ともすると学生は、うまくいくかいかないかという結果にばかり目がいってしまう。そうした結果志向をいかに過程志向に視点の転換を促すかが、教える側に求められるのである。

 分解と結合とは大切な心の働きである。人間はその興味をそそり好奇心をそそるような事物を調べようとする。(中略)はじめその事物の全体的な印象がえられたとしても、その印象はおそらく充分なものではないであろう。やがて細部に気がついてそれに注意を集注し、やがて又他の細部へ移って行く。それらの細部の間にはいろいろの組合せが行われ、もう一度事物を全体として見直した時には、前とは違った見方をするようになるであろう。すなわち始めは全体を部分に分解し、それから前とは多少ちがった全体に結合するのである。もしも最初からあまり細部に気をとられすぎると目標を失ってしまうことになろう。あまり多くのことがらや細部のことがらは心の重荷である。それは重点を見失わせる原因になる。目前の木のために森を見ることができない人を想像するとよい。(44頁)

 全体を眺めることと、細部に集中すること。問題を解く際には、どうしてもその作成者が用意した範囲の中、すなわち細部に意識を集中しがちである。そのような際に、問題だけに意識を向けるのではなく、その背景や隣接する地域に目を向けることが大事なのである。背景や隣接領域に意識を向けることが、視野を広げることにつながり、また物事を抽象化して適用範囲を広げることになる。

 もしも目的が定まればそれにしがみつくことは必要であるが、しかしそれが不当にむずかしいものであってはならない。わずかの成功でもあれば満足すべきであって、与えられた問題がとけなかったならば、何かそれに似た問題をとこうとつとめるべきである。(107頁)

 問題が解けないとき、つまり困難にぶつかったときの心構えとして含蓄のある言葉である。解けないものを解けないものとしてあきらめるのではない。しかし、正面から挑んだあとには、それを側面から眺めたり、上から眺めてみる。そうすることで問題の輪郭をおぼろげながら理解し、それに類似する問題に取り組んだ過去の経験を省みることができる。その結果として他の引き出しを見つけられるのであろう。

 いま解かなければならない問題をすでに一度といたことか、聞いたことがある場合がある。あるいは非常によく似た問題をしっていることがある。これを見逃すべきではない。それをよく思い出さなければなんらない。前にそれをみたことはないか。ちょっとちがった形で同じ問題にであったことはないか。たとえそういう経験がなくても、そういう問いはもっている知識を動員させる役に立つであろう。(138~139頁)

 困難な問題に直面した際には類似した問題を思い返すことが第一である。それに加えて、たとえ類似した問題を思い返すことができなかったとしても、過去を振り返る事自体が、自分自身の知識を動員し、再整理すること。そうしたプロセスを経ることに意義があるとしている点に留意するべきであろう。

 よい摸倣の手本を見出すべきである。よい先生を学ぶべきであり、有能な友人と競争すべきである。何よりも大事なことは普通の教科書をよむばかりでなく、自分が本当に摸倣しようと思う著者をさがすためによい本をよむことである。彼は単純で、示唆にとみ、美しいと思われることを求めてそれを楽しむべきであり、問題をとき、自分のゆき方にかなった問題をえらび、その解答につき思いめぐらし、新しい問題をつくらなければならない。このようにして彼の最初の発見をするように心掛け、自分の好み、自分の行き方を見出すべきである。(140頁)

 良き師、良き友人、良き書と付き合うこと。いま直面している問題への取り組みだけではなく、自分の価値観や方向性を見出すことに繋がる。

2014年1月12日日曜日

【第240回】『ジンメル・つながりの哲学』(菅野仁、日本放送出版協会、2003年)

 私が本書に出会ったのは2005年頃であった。社会学というものに興味を持って好んで読んでいたが、「社会学」とはどのような学問なのか、という本質について考えることがなく全く分かっていなかったように思う。社会学の実質的な創始者の一人と言われるジンメルを扱った本書を読み、私たちが「社会」を眺める上での視野の拡がりを社会学という学問を与えてくれることを感じた。企業組織で働く個人について研究しようとして修士に入る上での研究計画書を書いた時には、社会学的なアプローチを試みようとして本書を参考にした。試行錯誤の結果、最終的には心理学的なアプローチで論文を書き上げることになったが、社会学的な視座は頭の中では持っていたつもりである。

 昨年末、苦楽を含めて刺激的だった修士課程を過ごした母校を訪れた際に、恩師の一人が本書をデスクに置いていたのを見つけて会話をした。これが今回改めて本書を読もうと思った直接的なきっかけである。学生にとってジンメルの書籍を最初から読むのは難解であるため、この本が適したテクストであるとのことだ。私自身、ジンメルを読もうとして挫折した経験があるので、本書をもう一度読んでみたのである。

 本書は、ジンメルの社会学の要諦を解説する前半部分と、彼の視座を持った上で現代社会の具体的なテーマを扱う後半部分とから構成される。まずは前半部分、すなわちジンメルの社会学について見ていこう。

 ジンメルの<相互作用論的社会観>の特徴とは、社会を<すでにそうであるもの>という既成的・実体的なものとしてとらえるのではなく、<いま・ここでそうなっていること>という出来事のプロセスにおいてとらえるということにあるといえる。(36頁)

 身分が固定的で、情報共有の範囲が限定的で、技術変化が緩やかな近代社会以前の状態は、それ以降の時代と比べて静的な社会であった。そうした社会においては、社会をア・プリオリな所与の要件としていかに生きるかということが人々にとってのテーマであっただろう。それに対して、ジンメルが近代社会を眺める際に、多様な関係性の中で社会が再構成され続けるという動的なイメージを取り上げた。そうした近代以降の社会観においては、社会とは動的なプロセスとしての現象となる。

 ジンメルは、近代を構成する前提条件を指摘した上で、その臨界点をも併せて指摘している。まずは前者について触れてみよう。

 たしかに人間は有史以来、「社会」を為して生きてきた。しかし名もなきふつうの人々ーーつまり大衆ーーがはじめて、自分たちの生活のスタイルや慣習やモラルを「社会的なもの」として意識し、自分の固有の「生」に対する条件として社会を理解しようとしたこと、これが社会学の成立を支えている。これは第一に「身分」による違いを認めず「平等」の観念が根づいてきたこと、そしてその結果、「自由」という価値観が大衆のなかに浸透していくことを背景にしている。(54~55頁)

 大雑把にまとめてしまえば、近代を構成するものは、身分制の解体に伴う平等という概念と、社会への関与の度合いの向上に伴う自由という概念との二つであると言える。この二つの概念が成立することで、静的な社会から動的な社会へ、すなわち前近代的状況から近代へと移行する。これはなにも「進歩」ではなく、時代の移行であり、したがって限界もまた見定める必要がある。

 客観的・絶対的真理そのものの追求をどんなにめざしても、人間の知とは人間の意欲と感情によって定められた価値関心によって限界づけられる。したがって観点や方法の制限を受けない知的営為というものは存在しない。科学によって客観そのもの真理そのものに到達することをめざすことは不可能だということになる。 しかし、こうした考え方は客観という概念あるいは真理という概念を放棄すべきだということを意味しない。そうではなく、客観の絶対性や絶対的真理に到達できるという認識態度をジンメルは批判するのである。(52頁)

 ここで述べられているのは、近代社会における本質的に自由で平等な人々を束ねる基準となるべき客観性・絶対性の限界である。むろん、著者が指摘しているように、そうした概念が近代社会において害悪だということではない。しかし、客観性や絶対性を志向しようとしても、そこには個人の主観性や多様性が介在されることを無視してはいけない、ということである。こうした主観性や多様性が客観性や絶対性と綯い交ぜになり、動的に社会を捉えることがジンメルのもたらした新しい視座と言える。

 ジンメルの<相互作用論的社会観>は、人間と社会を全く対立した非親和的なものとしてとらえるのではなく、人々の日々の関係の営みが社会を作りあげ、そしてそうした社会の全体的性格から人々が影響を受けながら行為を繰り広げる姿を浮き彫りにしようとする社会観なのである。(61頁)

 したがって、社会と個人とは相互依存関係にあることになる。個人と個人との相互作用が社会を構成し、その絶え間ざるダイナミックなプロセスの結果として形成される社会もまた、翻って個人へと影響を与えるのである。したがって、そうした社会においては、個人もまた絶え間ざる変化のプロセスを受容する必要がある。

 社会が全体的制度として個人の「生」に物象的な客観物として外側に対立しているという事態だけを指すのではない。実は社会と個人の対立は「個人そのものの内部」で起こっていることが問題なのだ。(中略) 人間はさまざまな複数の社会的役割を担って生きる存在である。(中略)問題はそうした役割の一つひとつは、人間の能力や意欲を丸ごと要求したり実現したりするものではなく、そうした諸力のごく一部を要求するものが多い。しかも身に帯びる役割が相互に矛盾し、異なる性格の要求が一個人に複数つきつけられることも多い。(75頁)

 ここで著者は、個人という内側とその外側にある社会という対立概念を覆す。すなわち、個人の内部において、個人と社会との相互作用が起こっていることが時に問題を生んでいると指摘しているのである。家庭における私、職場における私、旧友との間にいる時に私、共通の趣味を通じたネットワークにおける私。それぞれにおいて求められる役割は異なり、「私」を一つのものに限定することはできない。

 全体としての社会はあくまでその部分的手足としての役割を個人に期待する。しかし、個人もまたそれ自身で自分の多様な諸能力を活かそうとする<全体的存在>であるとする。「全体性」「統一性」に対する個人の欲求が社会との葛藤を生み出す。(77頁)

 したがって、私の内側において、複数の社会が求める複数の「私」が相克し、内的同一性を持てないことに苦労することが多いのが近代以降の社会に生きる個人である。このように書かれると多様な内的個人ということについてネガティヴな印象を持たれる方も多いだろう。しかし、複数の社会的役割を内的に持つこと、そうした内部に多様な役割意識を持つ個人が複数集まることによる動的作用、その結果として社会と個人とが相互作用を与え合う関係性、をたのしめるという効用もあるのではないだろうか。

 以下の後半部分では、ジンメルの相互作用論的社会観から鑑みて、現代における個別のテーマをどのように見通すことができるかについて扱っていく。四点ほど具体的なテーマを扱った後に、著者が述べるジンメルをもとに現代社会へどう捉えるかという展望を最後に取り上げたい。

 まず第一に、「自分探し」という現象について。

 「自分探し」には多くの場合は、「ほんとうの私」をほんとうにわかってくれる他者を求めることが同時に生じることが多い(中略)。したがって「ほんとうの自分」探しと「ほんとうの自分」をわかってくれる他者探しとは表裏一体なのである。(90頁)

 近代以前においては自分自身のアイデンティティーは所与のものであって、自分自身とはなにか、ということを考えさせられる機会は少なかった。しかし、近代になると、自分自身がなにものなのかという認識は常に変化をし、自分自身の中にも多様な「私」が存在し、それらもまた変化を遂げる。したがって、多様な自己、変化する自己を受容できない場合にはストレスを感じ、多様な「私」という前提を否定して、浅薄な「自分探し」へと至ってしまう。こうした狭義の「自分探し」では、「ほんとうの私」というイデアのようなものを想定し、それを他者が認めてくれることを欲する。したがって、「自分探し」とは「ほんとうの自分」を理解してくれる他者探しであり、つまりは他律的なアイデンティフィケーションとなることに注意が必要だろう。

 「私をほんとうに理解してくれる他者」ということで、人はややもすると、他者性を全くもたない存在を求めてしまいがちだ。しかしそうなると、人は社会関係をうまく営めなくなる危険に陥りがちだ。なぜなら人間は関係の原理としてそうした他者性を排除して、他者との関係を作ることはできないからである。(94頁)

 「自分探し」が「他者探し」に堕すると、自分自身を完全に分かってくれて一心同体になってくれる存在を求めてしまう。しかし、たとえ親子の間ですら、すべての人格や特質を認め合うことができないのに、他者性を全く排除した関係は不可能であろう。したがって、「他者探し」の果てに、自己肯定感を得ることができなくなり、他者への過度な依存や、他者への依存が得られない場合には他者との関係断絶を選択することになる。

 社会をその<多元性><複数性>において理解すること。私たちの「生」が体験するのはさまざまな諸社会であり、決して単一の実体としての社会ではない。(中略) 社会にとって個人は常に期待される行為の担い手としては社会の要素でありながら常にそれ以上の可能性(あるいは過剰性といった方がいいかもしれない)を身に帯びている。個人からすればどんな社会(的相互作用)も常に一定の規範性を帯びた役割の遂行を期待しており、その意味でその人そのもの(の個性的人格)を丸ごと認めてくれるような社会は存在しないということだ。(119~120頁)

 したがって「他者探し」に安易に走るのではなく、社会の複雑性と個人の多様性について私たちは理解することが先決だ。すべてを理解し合うことは不可能であるが、すべてに対して相容れないという事態もまた、存在しないのではないだろうか。個人の多様な社会的役割や価値観の一部について認め合い、関係性を変化させるという、「明らかに極める」という仏教における意味での健全な「あきらめ」の態度が私たちに求められている。

 「ほんとうの私」に少しでもたどりつくためにも、<私>はどのようなかたちで他者や社会とつながりたいと考えている人間なのか?どのようなかたちでつながること(あるいは距離をとること)を心地よいと考える人間なのか?ということをよく吟味することが大切になると私は思うのだ。(123頁)

 多様な価値観を内包する主体どうしがつながるのであるから、個人と個人の関係性における適切な距離や関係構築の方法がある。こうした距離や方法についても、異なる個人間の関係性であるから、自分自身のその場にあった流動的な最適解が存在することにある。即興で柔軟な対応が求められるという意味では、求められるコミュニケーションのレベルが上がっていると言えるだろう。

 では、いかに適切な距離を設けるか。著者が第二の個別テーマとして設ける秘密にそのヒントがあるようだ。

 距離がゼロという「融解集団」的な人間関係は、たとえ親密な関係においても理想状態として想定することはできない。というよりも理想状態として想定すること自体が大きな危険をはらんでいる。たとえば私を理解してくれる人はだれもいないといった絶望は、<私のすべてを受け入れ、すべてを理解してくれる>他者を求める過剰な期待による場合が多い。むしろ、<私のすべてを受け入れ、すべてを理解してくれる他者>なんてどこにもいないことをしっかり自覚して、適度な距離があり、お互いの「秘密」を前提とした人間関係においてこそ互いを慮ったり、想像力を働かせることで<相互の関係を深く味わう>ような親密な社会関係の形成が可能になるといった発想の転換が必要だ。(153~154頁)

 すべてを理解し合っている状態というのは存在し得ないものであるし、かつ存在したとしても発展可能性のない関係性である。未来永劫お互いを理解し合うためには、静的な個人、静的な関係性、が条件となるからである。そうではなく、ある程度の距離を保ち、他者には知らない部分があり変わり得る部分がある、と思うことが、他者への配慮の気持ちであったり、可能性への期待という関係性をより良くできるのではないか。そうした状況を「深く味わう」という著者の言葉が言い得て妙だ。

 第三に、競争について。

 競争や闘争そのものを否定するのではなく、どのような種類の競争や闘争を私たちは批判し、なくしていかなければならないか?というかたちで現実の問題は考え直されなければならない。そしてそのことが<私>の立場から社会の問題につなげて考えていく道筋を失わない社会認識の深まりを可能にするーーそのようなある種の<リアリズム>の立場に立った競争や闘争への理解・分析がこれからますます必要になることは明らかだろう。(187頁)

 自由で平等な個人を前提にすると自由主義経済という考え方が主流になる。それに伴うメガコンペティションやグローバライゼーションは時に否定的な文脈で捉えられ、その指摘が正しいことも多い。しかし著者によれば、ジンメルは必ずしも闘争や競争を否定していない。どのような競争や闘争を是とするかは、これまで見てきた多様な社会・多様な個人という前提で考えれば、状況や個人にとって異なる。何かを押し付けるというような絶対的な態度ではなく、柔軟に競争や闘争を一つのツールとして用いられるようなしなやかな態度が私たちや社会を健全にしていく。

 第一・第二の点で述べた距離感覚と、第三の競争とを組み合わせ、第四のテーマとしてあげられているのが貨幣である。

 貨幣的関係に広まることによって、内面的なもの、プライベートな感覚の確保が可能になったと、ジンメルは考えている。近代以降、貨幣的関係を経験したことにより、人間はほかの人との間の距離の感覚をもてるようになった。(中略)だが同時に、貨幣が帯びる圧倒的な力は、人びとが貨幣に対してきちんと冷静な距離をとることを非常に困難にするという危険がある(=「貨幣物神」化という危険)(211~213頁)

 他者との適切な距離感をおぼえるための一つのツールとしての貨幣の可能性について言及される一方で、その危険性もまた指摘されている。世界をまたぐ経済活動の基底としてゆたかな生活を送る可能性を有する貨幣とともに、貨幣物神化とも言える一部の金融工学の悪用の手段ともなり得る貨幣。「人間は貨幣に対してだけは貨幣的態度(=対象を客観化し距離化する態度)をとることが困難である」(213頁)というジンメルの警句を私たちは充分に噛み締めるべきであろう。

 では最後に、ジンメルの社会学を現代の社会を生きる私たちはどのように活かせば良いのであろうか。

 モダンが進行し、私たちの社会は、「高度情報化社会」、「消費化社会」として習熟すればするほど、そうした他者への配慮の感覚はますます高度に要求される。なぜなら、ハイ・モダニティとしての現代社会においては、「身分」や「共同体的規範」といった<行為のマニュアル>を準備してくれる社会的属性はほとんど無効化しており、人びとは自分たちのコミュニケーション能力を頼りに身近な人びととの親密な関係の形成とその場における他者からの承認を得る必要があるのだ。(226頁)

 まず著者は、現代を近代の延長として捉え、近代の後に現代(ポスト・モダン)があるという境界を前提としていないことに注意するべきである。社会が固定的に個人のアイデンティティーを規定せず、情報化や消費化によって変化の速度と幅が拡がっているために、自分の力でアイデンティフィケーションし、関係性を常に耕すことが求められる。したがって、多様な他者を前提にして配慮の感覚を磨くことが肝になるのである。

 ジンメルの相互作用論とモダン文化論を基点とすることで、私たちは、<弱い現代的主体>である自分たちのもろさを否定するのではなく、そこからお互いの<つながり>を考えていくことができるのである。(233頁)

 社会からの要求水準が高まっているのだから、自分自身がそこに対応できないことはいわば当たり前だ。要求水準の高まりに対して自覚していないと、徒にもろい自分に傷つき、傷つく事を恐れて他者との関係性を築く努力を恐れてしまう。弱い存在である自分に気づき、認めること。これが、ジンメルが現代に生きる私たちに与えてくれたアドバイスである。


2014年1月11日土曜日

【第239回】『集合知とは何か』(西垣通、中央公論新社、2013年)

 機械が扱う知と人間が扱う知には違いがある。機械が知を生み出すのではなく、機械というツールを用いて人間が知を創り出す。したがって、人と人との集まりを機械によっていかに支援し、社会的・集合的な知を涵養することが重要である。これが本書における著者のメッセージの要約であろう。要約することによって捨象されたもののうち、とりわけ含蓄に富んだ部分について以下から述べていく。

 まず、集合知を創り出す環境において求められる一人ひとりの学びについて。

 彼らにとって授業とは、既存の権威ある知識体系を単にわかりやすく伝授してくれるものなのだろう。彼らはそういう教育ばかりうけてきたのである。ほんとうの学問とは、既存の知識体系を丸呑みにすることではなく、批判的に解釈することから始まるのだが、そういう作業は非効率な時間つぶしのように思っているのではないか。 受験勉強の弊害だといえばそれまでである。だがそれだけではない。知識社会というお題目のもとに、所与の知識命題の効率のよい処理だけが知的活動であるという幻想を植えつけた大人たちにも責任はあるのだ。(50頁)

 受験においては、公正性と効率性が過分に求められる。受験後に客観的に採点できるようにして受験者からの不平不満を未然に防ぐためにテストは公正なものとなり、ために解答が一つに絞られるものとなる。そうした逆算で正解が求められるテストに合格するために、問題と解答とが静的な関係であるために、結果から逆算して勉強を組み立てる方法を受験生に確立させる。さらには、そうした逆算すらを予備校や塾といった外部機関にアウトソースして、受験生はひたすら与えられた課題をこなすだけになる。こうして培われた学習観では、学びにたのしさを見出すことは難しいだろうし、そうした人材は知識社会での主体として貢献はできない。とりわけ受験の「勝者」と呼ばれる方々の方が難しいのかもしれないが、旧来の受験勉強における学習観を忘却学習するという、いわば学習のメタ・アンラーニングが必要だ。

 観察というと、遠くから対象をじっと眺めているような気がするかもしれない。だが、生き物の認知観察行為の原型は、むしろ自分が動きまわって対象と主体的にかかわることになる。(中略) 世間の常識では、知識とは、天下りに与えられ、勉強して丸暗記すべき所与の客観的存在とみなされている。だが、知識の出発点とは、本来、主観的な世界イメージの部分的な様相の表現だったはずである。(90頁)

 旧来の学習観が客観的に存在する正解を丸暗記するという受身的なものであったのに対して、現代の知識社会において求められる学習観とは主体的なものだという。「主体的な観察」という言葉遣いの中から、観察対象は自身で決めること、観察のしかたも自身で試行錯誤すること、観察結果の関係性を自身で結びつけること、ということが読み取れる。

 細胞は、外部から与えられる設計図なしに、自分と似た細胞を次々につくりだす。(中略)個々の細胞だけではない。脳神経系も免疫系も、自分で自分をつくりだすのである。(中略)自分で自分を創りだすとは、作動の仕方も自分で決めるということだ。だから生命体は「自律的(autonomous)」なシステムでもある。 これに対して、機械は他の存在(人間)によって制作され、また他の存在(いわゆる出力)をつくりだすので、「アロポイエティック・システム」である。(中略)また、設計されたとおりに作動するから「他律的(heteronomous)」なシステムでもある。(100~101頁)

 機械との対比を行いながら、人間にとっての知の創出プロセスについて、細胞レベルで論じられている。ここでの鍵概念は自律的という概念だ。与えられたものを粛々とこなすということではなく、自分自身で試行錯誤しながらWHATとHOWの双方を見つけ、状況に合わせて更新し続ける主体的なプロセスである。

 ここまでは、知識社会において求められる個人の主体的な知識創出プロセスについて見てきた。次に、そうした主体を前提とした上で、社会として集合知をいかに紡ぎ出していくのかについて見ていきたい。

 興味深いのは、こういった社会的組織においては、コミュニケーションがコミュニケーションをつくりだすという自己循環的な作動がおこなわれていることだ。社会的組織には特有の言語概念をもつ伝統や文化があって、一種の知識として記憶されている。その記憶をもとにコミュニケーションが発生し、またそのコミュニケーションの痕跡が組織の記憶となって蓄積されていく。社会的組織のこういうダイナミックスは、再帰的に思考をうみだす心のダイナミックスと基本的に変わらない。(105頁)

 一対一のコミュニケーションが、他者を巻き込んだ広いコミュニケーションを生み出すという自律的な循環プロセスを著者はここで述べている。ダイナミックスというとポジティヴなイメージがあるが、循環ということは負の連鎖もまた組織においては容易に連鎖し得るということに留意するべきだろう。私たちは、コンプライアンス違反をした企業が、社会の論理よりも会社の論理を重視してきた事実を他山の石として肝に銘じるべきである。

 コミュニケーションとは瞬間的に成立するミクロな出来事である。知識形成というプロセスにおいては、コミュニケーションに加えて、いっそう長大な時空間でおこなわれる「意味伝播」というマクロな出来事が不可欠である。これは「プロパゲーション」とよばれる。 プロパゲーションとは、端的には、HACSの記憶(意味構造)の長期的な変化である。AとBが対話をつづけコミュニケーションが継続発生していくと、時間とともにやがて、AとBの各自の記憶に変化が生じてくるはずだ。(中略)AとBそれぞれのHACSにおける記憶(意味構造)の漸次的な変化が、プロパゲーションなのである。 いっそう大切なのは、Cによる記述自体の変化発展である。Cのブログは、(Cの心というHACSの意味構造ではなく)AとBの上位にある社会的HACSの意味構造そのものなのだが、これも時間とともに深められ拡大されていく。(中略) コミュニケーションとプロパゲーションをつうじて、クオリアのような主観的な一人称の世界認識から、(疑似)客観的な三人称の知識が創出されていく。形づくられるのは、一種の社会的な「知識」であり、「意味」である。(109~110頁)

 集合知は自律的なプロセスの循環として生み出される。ために、知識は静的なものとして存在するのではなく、動的なものとして絶えず変化を繰り返す。Aが発話した際に込められた意味合いは、Bに少し異なって受け取られ、AとBとの対話を記録するCにはさらに異なった観点から記述されるだろう。こうした自律的な社会的な知識創出プロセスに対しては、自分の発話の意図に徒に固執するのではなく、他者の異なる観点を受容し、柔軟な態度でたのしむというメンタリティーが求められるのではないか。

 第二の点として、集合知を生み出すプロセスについて眺めてきた。最後に、このような集合知が生まれる場およびツールについて見ていこう。

 フラットで透明な社会、つまり、情報が迅速に伝わりすぎる社会で、質疑応答による議論をしていると、かえって社会は安定しなくなり、適切な秩序ができにくくなる。過度に均質化され中央集権化されてしまうか、逆にアナーキーな無秩序状態になりやすいのだ。 人間集団のなかに、ある種の不透明性や閉鎖性があるからこそ、われわれは生きていけるのである。情報の意味内容がそっくり他者に伝わらないというのは、本質的なことなのだ。(207~208頁)

 コミュニケーションは、迅速で躊躇なくできるものが良いとされがちだ。たしかにそういった側面があることに異論はないが、あまりにスムーズに流れすぎるコミュニケーションにもネガティヴな側面があることに留意するべきだろう。だからこそ、うまくいかないコミュニケーションや、理不尽な場面に対してもおおらかに対応することが、私たちには重要なのだろう。

 ネット集合知にしても、その第一の使命は、ローカルな社会集団のなかで問題解決能力を高めることにある。とすれば、性急な多数決などではなく、多様な価値観を組み合わせ、必要におうじて妥協をもとめつつ合意点を見出すような方向が望ましいのではないか。(210頁)

 民主的=多数決と捉えられるのは、学校教育の為す害悪の一つであろうか。むろん、国政選挙といった特殊な状況において多数決による議員の選出プロセスが行われることに異論はないが、普遍的な原理として多数決を採択するのは誤りだ。多様な価値観の表出を許容し、そうした価値観の異なりを特定のイシューにおいていかに統合するか、というプロセスに私たちは重きを置くべきだろう。そうした一つひとつのプロセスが、一人ひとりでは生み出し得ないゆたかな集合知を生み創り出すことに貢献するのだから。


2014年1月5日日曜日

【第238回】『宗教とは何か』(T・イーグルトン、大橋洋一+小林久美子訳、青土社、2010年)

 論争は、知的であるかぎりにおいて、すなわち、論理的であり含蓄のあるものであれば、興味深く学びの多いものになる。ドーキンスとイーグルトンによる宗教あるいは無神論に関わる論争は読んでいて心地が良いものであった。

 「無からの」創造とは、もっとも基本的な物質にすら頼ることなく創造できた神がいかに悪魔的に狡猾かの証左ではなく、世界が、世界に先行する過程の不可避の頂点ではなく、いわんや、なんらかの因果関係連鎖の帰結でもないことの証左なのである。宇宙には必然性がないがゆえに、わたしたちは、宇宙をア・プリオリに統括する法則を演繹できず、そのかわりに宇宙のじっさいのはたらきを観察することを余儀なくされる。この観察は科学の務めである。したがって無からの創造の教理とリチャード・ドーキンスの専門職生活とは奇妙なつながりがある。神なくしてドーキンスは職を失うだろう。彼の雇用者の存在を疑問に付すところが、彼特有のおこがましさなのである。(22~23頁)

 最後の一文は、講演時のリップサービスといったやや嫌みな意味合いのものではあるが、科学と神学との関係性とを巧みに抉り出した箇所と言えるだろう。ドーキンスが因果の帰結として絶対的な創造主としての神の存在を批判したのに対して、そうした無からの創造を絶対的な創造として理解することは誤読であると反論する。神を「干渉主義的支配者」(23頁)と捉えるのではなく、人々の自由を保障するという文脈での創造主という位置づけを行っているのである。

 現在までのところ、資本主義はその宗教的・形而上的上部構造を、たとえ将来捨てることを余儀なくされるとしても、いまはまだ捨てていない。とりわけテロリズムの世界にあって、社会的に機能不全をおこした原理主義と宗教的信仰がますます同一化するようになれば、宗教が消えてなくなる可能性は否めないだろう。(65~66頁)

 マルクス主義的な言葉遣いに郷愁をおぼえて大事な点を読み飛ばしてはいけない。ここでは、ドーキンスをはじめとした無神論者が批判する根本である原理主義と呼ばれる現象への批判に共感を示しているのである。しかし、その一方で、宗教的信仰と原理主義とを巧みに分類することで、原理主義批判を認めながら、それを宗教的信仰への批判に結びつけないという論法を用いているのである。

 みずからの敵を精神異常者であると決めつけることの裏面にあるのは、みずからを免罪する姿勢である。わたしたちが信仰を、理性の対極にあるものとしてみているかぎり、こうしたあやまちをおかしつづけるだろう。(140頁)

 原理主義批判への理解を示しながら、自分と異なる主義・信条を持つ存在を否定することへの批判を端的に示している。他者を一方的に決めつけて攻撃することは、自分自身を省みず、自身の罪の意識を滅することになる。どのような立場に立とうとも、著者のこの指摘についてはしっかりと受け止める必要があるだろう。

 原理主義と宗教的信仰との違いを明確にした上で、著者は、宗教的信仰をどのように積極的に位置づけるのだろうか。

 宗教的信仰はそもそも<至高の神>が存在するという命題に賛成するかどうかといった次元の話ではない。この点で、無神論と不可知論の大半がつまずいてしまう。神は実体としてこの世に「存在する」わけではない。すくなくともこの点においては、無神論者と信仰者は意見の一致をみるだろう。さらに多くの場合、信仰は命題的というよりむしろ行為遂行的なものである。(144頁)

 神の実体的な存在を否定する無神論者や不可知論者の意見を大胆にも受け容れている。その上で、神の存在性に信仰の中心を置くのではなく、神を信じて行動するという行為に信仰の中心を置いているのである。では、信仰的な行動とは何を意味するのだろうか。

 知は積極的な関与を通じてすこしずつ蓄積されるもので、積極的関与自体が信仰を内包している。信念が行動を動機づけるのはたしかなのだ。と同時に行動によって自分の信念が定まっていくという側面もある。さらにわたしたちは、知を、もっぱら人間よりも事物を知ることをモデルにしてみてきたので、信仰と知がからまりあう別の側面をも見逃してしまっている。特定の人物を信頼(=信仰)してはじめて、その人物に自分のことをあらいざらいさらけ出すという危険をおかすことができるのであり、結果として、自分自身についての真の知が可能になるのだ。この点で、理解可能性は、信頼性と密接にかかわってくるし、これは道徳的概念でもある。(156頁)

 信仰的な行動の一つとして、積極的に知に関与することを著者は取り上げている。他者への信頼であっても、宗教への信仰であっても、他者や他の存在への信頼性があることによってはじめて私たちは積極的に知を習得することができる。<信>があることで積極的関与に基づく行動ができる、という点は充分に首肯できる。
 
 ハイデガーとウィトゲンシュタインにとっての知とは、この世界にわたしたちを慣習的に縛りつけるもののなかに埋め込まれている諸前提の範囲内で作用するもので、けっして正確に形式化されたり主題化できるものではないのだ。(中略)知ることのノウハウが、知に先行する。わたしたちのあらゆる理論化は、たとえどんなにかけはなれたもののようにみえても、わたしたちの慣習実践的生活様式に基盤を置いている。(167~168頁)

 知る内容をいかに得るかという「知ることのノウハウ」は、自覚的であろうと無自覚であろうと「慣習実践的生活様式」を基にしている。そうであればこそ、人が何を知ることができるかは、生活様式、言い換えれば自身が拠って立つパラダイムに規定されざるを得ない。こうしたパラダイムを構成する主要な一つの要素が信仰であり信頼なのであろう。

 多元的な時代には、確信と寛容は相容れないものと考えられている。だが、ほんとうのところ、確信なるものは、人が寛容にあつかうべきものとされているものの一部にもなっており、そのためいっぽうを排除すれば、もういっぽうも排除することになってしまうのだ。(174頁)

 多様性および多元性が重視される現代社会に対する警鐘であり示唆的なメッセージとなっている。ある特定の信仰への確信は、それ以外の信仰への寛容と両立するし、逆に、確信がなければ寛容性がなくなるとまで著者は述べているのである。卑近な例ではあるが、ある神学の教授の講義を受けたことがあるが、キリスト教への確信的な態度を持ちながら、他宗教への寛容の精神に満ちた言動に驚きをおぼえたものだ。積極的に自己肯定できる人こそが、他者への理解や受容を自然と行えるのであろう。

2014年1月4日土曜日

【第237回】『神は妄想である 宗教との決別』(R・ドーキンス、垂水雄二訳、早川書房、2007年)

 著者が一貫して無宗教を是認するのは、宗教が時に害悪を為すという考え方によるものである。つまり、特定の宗教を信じる者と信じない者との間に生じる緊張関係であり、対立である。

 ジョン・レノンとともに、宗教のない世界を想像してほしい。自爆テロリスト、九・一一[世界貿易センタービルがイスラム教徒の飛行機テロで崩壊した日]、七・七[ロンドンで同時多発テロが起きた日]、十字軍、魔女狩り、火薬陰謀事件[一六〇五年に英国でカトリック教徒が起こした政府転覆未遂事件]、インド分割[イスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立に起因する]、イスラエル/パレスチナ戦争、セルビア人/クロアチア人/イスラム教徒の大虐殺[旧ユーゴスラヴィアにおける]、キリスト殺しのユダヤ人迫害、北アイルランド紛争、「名誉殺人」[一族の名誉を汚した人間を殺すというイスラム教圏の風習]、ふっくらさせた髪型でキンキラの服を着て、騙されやすい人々から金を巻き上げるテレビ伝道師(「神はあなたがひたすら捧げることを望んでおられます」)、それらすべてが存在しない世界を想像してみてほしい。太古の仏像を爆破するタリバンのいない、冒涜者を公開斬首することのない、女性が肌をほんのわずか見せたという罪で鞭打たれることのない世界を想像してみてほしい。(10頁)

 著者は具体的な事例を畳み掛けるように示すことで、宗教の非寛容性を主張する。とりわけ、信じる対象が異なる者どうしが対立するのは、構造上いたしかたがないようにも思える。W杯やチャンピオンズリーグにおける国と国との対戦やチームどうしの対戦は必然的に人々を熱狂させるものであり、虎党とG党とが対立するのは宿命なのだろう。宗教をこうした装置として捉えた場合、「ではなぜ宗教は必要なのか」という著者が投げかける疑問には理解可能な部分があるようだ。

 著者は主に以下の三点から、宗教の意義を否定する。第一に、神の非・存在である。

 全知と全能が相互に両立しえないことは、論理学者たちに気づかれずにすみはしなかった。もし神が全知であれば、その全能を用いて歴史の進路を変えるためにどのように干渉すればいいかをすでに知っているはずである。しかし、そのことは、神がその干渉の仕方を自分で変えられないことを意味し、そうであれば全能ではないことになる。(118頁)

 よく「全知全能の神」という表現がなされる。この概念の論理矛盾に著者は噛み付いているのである。現在および将来の事象について神が何もかも知っている(全知)のであれば、何らかのアクションを取ればいいのにそれを取らないということは、全能ではないということである。他方、思ったことは何でもできる(全能)のであるとしたら、適切なアクションを取れていないのは何をするべきかについて無知であるからということになる。つまり、完璧でない社会や世界という現状からリバース・エンジニアリングすれば、論理学的には、WHAT構築(全知)の完璧性とHOW遂行(全能)の完璧性との両立はあり得ないのである。

 第二に、道徳に関わる実験に対する、信仰を持つ方と持たない方との対応をもとにした考察を取り上げたい。

 ハウザーは、信仰心の篤い人々と無神論者とでは道徳的直観がちがうのかどうかという疑問も発している。確かに、もし私たちが道徳性を宗教から得ているのであれば、ちがっていなければならない。しかし、どうもそうではないように思われる。ハウザーは倫理学者のピーター・シンガーと共同で、三つの仮想的なジレンマに焦点を絞り、無神論者の判断と信仰心の篤い人間の判断を比較した。(中略) ハウザーとシンガーの研究から得られた主要な結論は、こうした判断において、無神論者と宗教を信じている人々のあいだで統計的に有意な差は存在しないというものであった。(329~330頁)

 道徳的にジレンマを覚える思考実験とは、サンデルの白熱教室でも取り上げられた、自分の判断で誰かを助ける代わりに他の誰かが死ぬという究極の意思決定が求められる場面を仮想的に用いた実験である。著者の仮説はこうだ。宗教がそれを信じる人々に対して道徳的な価値観を付与するという影響を持つのであれば、上記の思考実験の結果において宗教を信じる人々と無神論者との間で有意な差があるはずだ、というのである。しかし、そこに統計的に有意な差異が存在しなかったという実験結果から、信仰は価値観を付与しない、と結論づけているのである。

 第三は、やや趣味が悪いとも言われそうな実験だ。

 一六八人の別のイスラエルの子供の集団に「ヨシュア記」からとった同じテキストが与えられたが、ヨシュアという名前が「リン将軍」に、「イスラエル」が「三〇〇〇年前の中国の王国」に置きかえられていたのだ。すると、結果は正反対になった。つまり、わずか七%だけがリン将軍の振る舞いを是認し、七五%が不同意だった。言い換えれば、ここで得られた数字からユダヤ教への彼らの忠誠心を取り除けば、このイスラエルの子供たちが示した道徳上の判断は、大部分の現代人が共有する道徳上の判断と一致するのである。ヨシュアがしたことは、野蛮な大量虐殺という所業である。しかし、宗教的な視点からはまったくちがったものに見える。そして、この区別は人生の早い時期に植えつけられる。大量虐殺を非難する子供と容認する子供のあいだのちがいをつくるのは、宗教だったのだ。(375~376頁)

 ある行為が自身の信じる宗教や所属する社会における文脈では認められるのに対して、全く同じ行為が異なる文脈では許しがたい行為として認識される。そうした認識の装置は、判断能力が低い幼い頃に植えつけられるとして著者は警鐘を鳴らしている。あまり趣味が良いとは思えないが、ここでの実験結果が示唆する点にまで目を瞑ることは適切ではないだろう。

 宗教という文化や文明との固着性の高い社会的・自然的な装置に対して、結論を急ぐ必要はない。まずは次回、ドーキンスの本書への反論を述べたと言われるイーグルトンの『宗教とは何か』を扱うこととする。


2014年1月3日金曜日

【第236回】『花鳥風月の科学』(松岡正剛、中央公論新社、2004年)

 日本文化について、テーマと時代とを縦横無尽に行き来しながら読み解くという、碩学の著者ならではの書籍である。それぞれに読ませる部分が多い章立ての中で、「時」に関する著述に焦点を当てて以下にまとめてみたい。

 日本人がもつ時間意識をうまく説明することはなかなか難しいことです。なぜなら日本の時間はヨーロッパともちがい、またインドともちがい、その根底には「ウツロヒ」という観念を置いているからです。 ウツロヒは移行のことです。春夏秋冬の季節の移行であり、光から闇へ、闇から光への移行であり、また一日のウツロヒであって、人生のウツロヒです。(317~318頁)

 ヨーロッパでは、時間を一本の矢印のベクトルのようにイメージし、成長に向けた動的なエネルギーのようなものと捉える。一方で、インドにおいては、時間とは静的で外的なものであり、人はその中で淡々と役割を演じるものと捉えられている。それらに対して、日本人にとっての時間とは移行するものである、と著者は述べる。では、ウツロヒもしくは移行とはどのようなことを意味するのであろうか。

 「移る」「写る」「映る」が同じ言葉であるということは、何かが移っていくと、そこに心に写されるものがあり、また、その心に写ったものが心の外の何かに映し出されているのだということです。これらがひとつながりに連動する。ここに、本書の主題である花鳥風月の心が、実は連続的に映し写されていくイメージの切れ目のない移行性だったのだということがあかされるのです。 では、このような移行の連動性が、なぜにウツという空虚やからっぽのイメージをあらわす言葉(語根)から派生してきたかということですが、そのことを理解するには、まず「ウツなるもの」というものが、古代中世の日本にとって大きな意味をもっていたことを知る必要があります。(318~319頁)

 ここで著者は、ウツロヒとは連続的な移行性と端的に捉えている。移行する主体とは、外的存在であり、私たち自身にある内的存在であり、外と内との関係性でもある、という複数が射程に入っていることに着目するべきであろう。では、ウツロヒの中にある「ウツ」という空なる存在の意味は何か。

 ウツという空虚はイメージを生成する原基だということなのです。そして、ここにウツなるものが実は「時間を生む容器」でもあったということが卒然として判明してきます。ウツロヒとは、もともと「ウツなるところ」から生まれてきた「ウツなるもの」が移動していくことだったのです。(320頁)

 自明なことであるが、容器の「器」を訓読みすれば「うつわ」となる。連続的に移行するものは空の器であると著者は説明を加えている。こうした器の中に時間が入っているというように捉える思考様式を持つことは、私たちの独特な時間への感覚をもたらすことになる。

 私は、どうも日本の時間は「持ち運びできるような感覚」のなかにあったのではないかとおもいます。そして、その持ち運びできるような時間は、時間そのものとして実在していたのではなく、何か別のものの付随性として生々流転をしているように見えるのです。 そのことを暗示するのは日本における「器」の力です。(中略) ホカイというものがあります。 おおむねは「外居」とか「行器」と綴ります。(中略) ホカイは何かを容れるための容器ではなく、何かが入ってくるための容器なのです。何が入ってくるかというと、告げられるべきものや心を向けるべきものが入ってくる。すなわち、何か威力のある情報が入ってくるものなのです。(322~323頁)

 普通のお皿や食器とは異なる特別な器の中に入るものは時間である。したがって、「持ち運びできるような感覚」を時間というものに対して見出していると著者はしている。さらに、ホカイの「ホカ」の部分に焦点を当てて、著者は思考を深める。

 ホカイやホカヒは、実は「ほかう」(祝う)という行為が容器化したり儀礼化したりしていたのであって、それは、もともとは「ほか」を意識する為の行為を原型としていたのだということに気がつかされるのです。 いったい「ほか」とは何でしょうか。「ほか」とはよそであり、別のところ、ちがう場所ということです。(324~325頁)

 祝うという行為は、キリスト教の考え方を援用すれば何かを聖別するということであり、他と自を区別するということである。したがって、器は私たちの外にあるものであるために、器の中にある時間というものも私たちの外にある存在として捉えられることになる。

 われわれは、「外部」としかいいようのないどこかに何かのディレクション(方向)を感じています。その「外部」は自分のいる場所以外であり、家の外であり、川のむこうであり、風のやってくる山のかなたであり、鳥が去っていく空のはてです。また、今日の感覚でいえば、その「外部」は宇宙であるかもしれません。いずれにしても、その「外部」はわれわれの知らないところです。 その知らないところが「ほか」というものです。われわれはこの「ほか」をもつことによって、何かホッとする。なぜホッとするかというと、そこはわれわれの日々の責任が届かない非実在の空間であり、別の時間が流れていると想像できるところであるからです。(327頁)

 時間とは持ち運びできるものであり、その持ち運びできるものは自分たちが創り出したり、欲しい時に得られるものではないという感覚を持っている。他の存在に時間を委ねるということであろうし、さらにそうした手放す感覚を心地よいと感じる傾向があるとまで著者はしている。

 私は、日本の時間の源流が「ほか」に属していたのではないかと見ているのです。「時」は最初から「ここ」のある時点にあったのではないことを知らされるのです。それは「むこう」(ほか)から流れ来たって、また「むこう」(ほか)へ流れ出していく。それはおうおうにして四季のウツロヒと重なっていく。それが日本の時間です。 けれども、何も用意しなければ時間はただ過ぎ去っていくばかり、そこで、その「ここ」と「むこう」(ほか)のあいだに、ウツなるものでできた何かの容器を、時間の獲得のためのインターフェースとして、また情報の獲得のインターフェースとして、さまざまに用意したのです。(329頁)

 時間というものをアンコントローラブルなものとして捉える一方で、訪れる「時間」をしっかりと受け止められるようにインターフェイスを用意する。外的な存在への受容とともに、その中でチャンスを受け止めようとするしたたかで柔軟な感性を私たち日本人は歴史的に持ってきたのかもしれない。