姜尚中さんの『悩む力』(『悩む力』(姜尚中、集英社、2008年))を読んでから、同書で盛んに取り上げられていた漱石を無性に読みたかった。本書は以前にも読んだことがあるが記憶がうろ覚えであるし、これから意識して前期三部作を続けて読もうと思っている。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」(Kindle No.255)
自分自身の中にある広い意識世界のほんの一部の断片から、日本という国家への意識、その中心に位置する東京という都市に畏怖を覚える必要はない。近代国民国家としての日本が誕生してからあまり年月が経たない時期において、このように俯瞰的に透徹した指摘ができる漱石は、やはり文豪と呼ばれるべき存在だ。
あぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。ーー批評家である。ーー三四郎は妙な意味に批評家という字を使ってみた。使ってみて自分でうまいと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しようかとまで考えだした。(Kindle No.795)
一見すると批評家という存在を否定しているようで、その鷹揚な生き様を肯定しているようにも読めるから面白い。親からの仕送りで東京での大学生活を送れる三四郎が、野心や野望を持たずに、批評家として生きてみようと考えている退廃性は果たしてどこから来ているのであろうか。
その晩取って返して、図書館でロマンチック・アイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。三四郎はようやく安心して、下宿へ帰って、すぐ寝た。(Kindle No.1224)
三四郎の退廃的な態度を表現するために、こうした言葉を漱石は用いているのであろう。近代化に成功し、日清・日露と国を賭けた戦争に勝ち、右肩上がりの日本という国で懸命に勤勉に励むという態度へのアンチテーゼとして三四郎を描きたいのであろうか。ロマンチック・アイロニーの意味を理解した三四郎が、何も疑問を抱かず、その考え方を受け容れ、 安心してすぐに眠りに落ちているところが退廃性をさらに補強しているようにも読み取れる。
近ごろの青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。我々の書生をしていることには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本意であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。(Kindle No.2347)
ここで漱石は、明治初期の学生の意識と、1900年代の学生の意識との違いを対比的に示している。前者は、天皇や国家や親といった公に対する意識が強く、そのために他律的に行動をとり、それがともすると偽善的な行動として周囲に映る。それに対して後者は、私としての自己に主眼を置いて自分の意志を上位に配置するために、自己本位的な行動として映るのである。
三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美穪子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美穪子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美穪子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。(Kindle No.3264)
生と死、主観と客観。それぞれにおいて美を感じることができる一方で、それぞれにおける美の意味合いは大きく異なる。三四郎の美穪子に対する意識、それを通じた自意識について、主観的に生をどのように感じ得るかについて、漱石は淡々と述べている。この部分に、軽々には名状しがたい趣き深さがあるように私には思える。
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