2015年2月28日土曜日

【第417回】『察知力』(中村俊輔、幻冬舎、2008年)

 一流のプロフェッショナルの言葉から学ぶことは多い。とりわけ、アスリートの場合には、そのプレイの様子をイメージとして想像することができるため、学び取れるものがよりゆたかであるように思える。本書を読んで印象的であったのは、著者の「考える」という姿勢が、中田英寿さん(『In His Times 中田英寿という時代』(増島みどり、光文社、2007年))といみじくも同じものであるという点である。では、サッカーにおいて「考える」とは何を意味するのか。著者の言葉を紐解きながら、考えてみたい。

 体験しただけじゃ引き出しは増えない。その体験を未来にどう活かすか、足りないことを補い、できたことをもっと磨く。そういう意識がなければ引き出しは生まれない。体験は引き出しを増やすきっかけでしかない。(62頁)

 何であっても体験することが大事であると言われる。また、頭で考えるよりも体験することの重要性が指摘されることも多い。これらはどれも間違ったことではないのであろうが、著者が指摘するように、そこから何を見出すかという視点がなければ、引き出しを増やすことにはならないことに留意したいものだ。

 仲間とともに積み重ねる時間が、いろんな問題を解決してくれることもあるだろうけれど、自分から望む方向へ状況を仕向けることも重要だ。しかも良好な関係を維持しながら、と考えれば、相手を知り、理解したうえで、自分自身が工夫しなければいけない。(116頁)

 次に、対人関係を視野に入れて著者は鋭い指摘を行なっている。つまり、他者を理解しようとすることと、それに伴って他者との比較によって自分自身を理解すること。こうした他者理解と自己理解によって、自分自身がどのように行動するかを考え抜くこと。こうすることが、自分のためにもなるし、他者のためにもなるのであろう。それはすなわち、スポーツで考えればチームが強くなることであり、ビジネスで考えれば企業組織が強くなることに繋がるのではないか。


2015年2月22日日曜日

【第416回】『チーム・ブライアン』(ブライアン・オーサー、樋口豊監修、野口美恵構成・翻訳、講談社、2014年)

 コーチとコーチングを受ける相手との関係性。著者と羽生選手との関係性は、以下の二人の対話の中に凝縮されているように思える。

オーサー 私が嬉しかったから、それが嬉しかったのかい?
羽生 そうです。僕自身はまだ全然嬉しくなっていなかったから、ブライアンが喜んでくれてるのを見て、「あ、勝ったんだ」って実感を持つことができました。(36頁)

 ソチ五輪のフリープログラムで満足のいく出来ではなかった羽生選手。彼は、優勝した後でも、自分自身のフリーの演技に納得がいかなかったために嬉しくなかったという。その彼が、コーチが喜んでいる姿を見ることで、自分自身も嬉しくなった。この関係性は、師弟のほほえましく美しい関係性を端的に表していると私には思える。

 バンクーバー五輪のキムヨナ選手に続き、ソチで羽生選手を五輪王者に導いた著者のコーチングの特徴は何か。以下では、印象的であった三点を取りあげる。

 精神的にいつもと違うときは、いつもと違う行動をしているものです。そのために、いつもと違うコンディションになりミスを犯すのです。(165頁)

 したがって、著者は、いつもと同じルーティンを大きな大会でも行なうようにコーチングを行なっているそうだ。マインドを直接的にどうこうするのではなく、同じ行動を繰り返すことで、精神状態を通常のものへとコントロールするということであろう。それと共に、自分自身がいつもと違うことをしていることに自覚的になることで、過剰に自分を追い込んでしまいミスを招く事態を避けられる。

 パッケージングというのは「正しいスケート」を教え、導くことです。すぐれた音楽と振付によるプログラム、スケートとして正統派の構成、美しい衣装などあらゆることを盛り込み、洗練していくこと、それがパッケージングです。もちろん技術的な指導も欠かせません。いい加減な技がひとつでもあると、このパッケージングは崩れてしまいます。ジャンプもスピンもステップも質を高め、つなぎの演技や滑りも美しくします。完璧主義になる必要はなく、全体的に一体感があることが大切なのです。(212~213頁)

 著者は、コーチングの三カ条と称してパッケージング、マネージング、モチベーティングを挙げている。そのうち、最初のパッケージングが興味深い。全体としての「正しいスケート」を意識させ、その上で完璧にするのではなく全体的な一体感を重視させるのである。これは、スケートのみならず、仕事でもすぐに応用可能な興味深い示唆であろう。

 チーム・ブライアンのヘッドコーチとして私が成し遂げたと感じることが、ひとつあります。それは、私たちのリンクの上にコミュニティを作ることでした。私が信頼する人々、学ぶ人々、共に働く人々と、ひとつの運命共同体になるのです。それこそ私がつかんだ成功の秘密だと思います。(231頁)

 多数の技術の要素から成り立つフィギュアスケートという競技であるから多様なコーチがチームとしてコーチングを行なう、というわけでもなかろう。企業においても、多様なステイクホルダーがチームとしてコーチングを行なうことが有効であることは、人材育成の分野においても提唱されている(『駆け出しマネジャーの成長論』(中原淳、中央公論新社、2014年))。ダイバーシティが当たり前になりつつ現代においては、このようなチームコーチングが、今後は主流になるべきではないだろうか。

『心を整える。』(長谷部誠、幻冬社、2011年)

2015年2月21日土曜日

【第415回】『人材の複雑方程式』(守島基博、日本経済新聞出版社、2010年)

 久々に読み返すと、今の自分にフィットしていてとても勉強になる書籍というものが時にある。本書はまさにそうした一冊であった。一度読んでいる筈なのに、初読のような新鮮さがあり、線を引いていない箇所に唸ることが何度もあった。こうした再発見は、読書の醍醐味の一つであろう。ここでは、とりわけ参考になった四点を取りあげたい。

 第一に、制度設計の要諦について。

 企業が従業員を”経済学的”に扱う場合、従業員はたとえ、もともとそういう志向をもっていなくても、利己的に行動するようになり、逆に企業が、従業員を信頼して、彼らの善意を信じる仕組みをつくると、こうした利己的な行動の発生が抑制されるという結果が示されている。(42~43頁)

 ”経済学的”に扱うということは、端的に言えば、性悪説に基づいた人事制度の体系を構築するということである。たとえば、コンプライアンスのしくみなどがその典型的な一例であろう。社員が不祥事を起こすという前提に基づいたコンプライアンスの取り組みを企業が行なえば、社員は実際に個人の利害に基づいた行動を取ることを促進してしまう。この研究の知見が示唆する点は重たい。

 第二に、人事制度の一貫性について。

 従業員としては平等原則にせよ、衡平原則にせよ、一貫性のある人事施策を望んでいることなのだろうか。(107頁)

 労働政策研究・研修機構が2005年に行なった調査をもとに、著者は、評価・処遇の分配施策と、育成機会の分配施策とのマッチングが、従業員の納得感にどのように影響するかを検討する。その結果、納得感が高かった「全体を対象とした育成重視&成果に応じた格差重視せず」と「一部を選抜した育成重視&成果に応じた格差重視」を踏まえ、上に引用したように結論づけている。社員が求めているのは一貫性のある人事施策である、という点を、私たち人事は重く受け止めるべきであろう。ベンチマークと称して流行の施策をパッチワークするのでは、現場の社員の納得感を引き下げてしまうのである。

 第三に、ワークライフバランスについて。

 重要なのは、ワークライフバランスとは結果であって、原因ではないことだ。つまり、働く人が個人の私生活を重視し、ワークライフバランスを求めるようになると、働き方が効率化するのではなく、働き方が効率化され、長時間働かなくてもよくなることで、結果としてワークライフバランスにつながるのである。(138頁)

 本書は2010年に上梓されているが、著者の警句に反して、ワークライフバランスを目的視した施策は、増え続けているようだ。著者が指摘するように、ワークライフバランスは結果変数であるべきであり、働き方の変容や業務効率化が説明変数であるべきであろう。働き方を個々の制約社員や非制約社員の状況に合わせて変えられるインフラを設け、個々人の働き方が変わり、組織としての業務効率化を進める。そうした先にワークライフバランスが実現できる。このように仕事の変容や個々人のキャリア開発を視野に入れる場合、ワークライフ「バランス」ではなく、ワークライフ「インテグレーション」という言葉遣いの方が適切かもしれない。

 第四に、目標管理について。

 私は職務という概念がないところに目標管理を導入したことが、現場管理職の負担を過度に高めていると考えている。なぜならば、職務の背後には、当然職務ごとの「期待される成果」があり、目標設定においては、これがベンチマークとして使われるので、比喩的にいえば、まったく真空から目標を設定する必要はないのである。職務が明確なら、ある程度の基準を巡って目標を設定することができるのである。また、評価にあたっても、当然職務ごとの期待値が一定の基準となる。(153頁)

 目標管理制度じたいは1990年代後半の時点と比較すると、導入が進んできた制度であると言えるだろう。しかし、その定着は現場ではなかなか為されていない。その一つの原因として、職務という概念に対して日本人の多くが本質的に理解できていない、という指摘はその通りであろう。まず、職務分掌を現場の社員が理解できるレベルで明確にすること、それに基づいて管理職が部下とコミュニケーションをできるようにすること。この二点が肝要であろう。


2015年2月15日日曜日

【第414回】『正社員消滅時代の人事改革』(今野浩一郎、日本経済新聞出版社、2012年)

 著者はまず、組織の変容とそれに伴う働き方の変容をもとに、人事を取り巻く環境変化を以下のように描き出す。

 組織の面では期待役割が「任せるから」の方向で、業績管理の面では期待成果が「プロセスより結果を重視する」の方向で変化していくことになると、社員は「任せるから責任をとりなさい」という働き方を求められるようになる。この働き方は「顧客から仕事を受注し、自らの責任で生産し、その結果については自ら責任をとる」という自営業主に似た形態であるので、そこで求められる社員の働き方を組織内自営業主型の働き方と呼ぶことにする。(45~46頁)

 社内であれ社外であれ、顧客という存在を意識して、顧客から受注した仕事を遂行し、顧客価値の向上に貢献する。こうした働き方を著者は「組織内自営業主型」と呼んでいる。事業会社のHR部門に勤める身としても、これは現在の日本企業における働き方を端的に表したものであると納得できる。では、組織における「自営業主」としてどのような人材が求められるのであろうか。

 市場環境が良好で安定的な成長が見込まれるときには、同じ目標に向かって社員を機動的に動員することが重要になるので、最適点は「単一化」の方向に移動するだろう。しかし、競争が激化し市場の不確実性が高まると、企業は増大する経営リスクに対応するために、つまり、雇用と労働コストの柔軟性を高めるためにコア社員とそれ以外の社員を明確に分ける等の施策が必要になるので、最適点は「多元化」の方向に移動するだろう。(88頁)

 日本の高度経済成長期のような安定的成長フェーズにある企業においては、単一化された人材が求められた。それに対して、現状のような変化に富み不確実性の高い市況においては、多様な価値観や強みを持ち多様な働き方をする自営業主の集合体が最適解になる。

 制約には画一的な制約はなく、制約を考慮するということは「多様な制約」を考慮することにつながる。つまり、一定の型をもった制約社員は存在せず、制約社員は「多様な制約社員」にならざるをえないのである。これが制約社員の最も重要な特性であり、「新しい時代」の人事管理はこの多様性に適応できなければならない。(124頁)

 多様な働き方を支援するということは、働く上での制約を持っている社員を考慮することに繋がる。さらに、制約そのものが多様であるのだから、多様な制約を考慮した上でそれぞれに対応することが企業に求められている。では、多様な働き方をする自営業主に対して、企業はどのような人事管理を行なうことが求められているのであろうか。著者は二つのポイントを指摘している。

 第一には、会社(職場では上司)は社員(部下)に何の仕事を配分し、何の成果を出してほしいのかを、部下は上司から何の仕事を受け、何の成果を出すのかを明確にする必要がある。(中略)「どのような仕事を担当するのか」が期待役割、「仕事を通してどのような成果をあげることが期待されているのか」が期待成果にあたり、両者を合わせて「業務」と呼ぶと、成果主義化に伴い「業務の明確化」が必要になる。(193頁)

 第二には、仕事配分と人材配置の決定が交渉化の傾向を強めることである。その背景には二つのことがある。伝統型人事管理のもとでは、報酬が能力等の属人的要素で決定されていたため、社員は「何の仕事を受けるのか」「何の成果をあげるのか」という業務内容(つまり仕事配分)、配置される職場(人材配置)にそれほど敏感になる必要がなかったし、会社は仕事配分と人材配置を決定する強力な人事権をもっていた。
 しかし、前述のように成果主義化が進むと、業務内容と配置される職場によって報酬とキャリアが左右されることになる。社員にとって業務と職場の決定にあたって自分の意志を反映させる機会をもつことが、具体的には上司あるいは会社と話し合い、納得したうえで決定を受け入れるというプロセスを踏むことが大切になる。働き方の組織内自営業主化が進めば、社員が顧客(つまり上司・会社)から仕事を受注する(仕事を受ける)にあたって当然必要になることなのである。ここでは、これを仕事配分と人材配置の交渉化と呼んでいる。(194頁)

 業務を明確化すること、その上でどのような業務を担当するかを組織と社員とが交渉すること。このように書かれると、これまでの日本の企業では当たり前のことを行なわずともビジネスが進められたという驚くべき状況であったことが逆説的に分かる。つまり、安定的な成長フェーズにある状況では、求められる人材像は画一的なものであり、それを担う人材は非制約社員がマジョリティであったのである。こうした状況ではなくなった現代においては、アングロサクソン系の企業が以前から当然のように行なってきた当たり前のことを、当たり前に行なえることが求められる。


2015年2月14日土曜日

【第413回】『In His Times 中田英寿という時代』(増島みどり、光文社、2007年)

 人によって好き嫌いが分かれる存在に、どうも私は惹かれる傾向がある。中田英寿さんに興味を抱くのもその一つの顕著な例であろう。本書は、彼がベルマーレ平塚時代から取材してきた著者が、中田氏の成長と共にインタビューを積み重ねていく力作である。プロフェッショナルなサッカープレイヤーとしてキャリアをすすめていくに連れて、彼の発言内容が研ぎすまされていくようだ。

 まずは、ペルージャ時代の彼の発言を見てみよう。

 じゃあ、取り柄が何にもないじゃないか、でもそこから始まるんですよ、オレのサッカーって。そこで唯一戦えるものって何なのかとね。そこから組み立てていく。考えること、それしかない。身体能力なんてこれはもう一生かかってもどうにもならないだろうし、技術は習得に時間がかかるからそんな簡単に追いつくものではない。でも、考える力、それだけは今すぐに、それがJリーグだろうが、セリエAだろうがどこだろうが、すぐに実践できるはずです。誰かに頼る必要もない。だからここに来て、まずは考える、これを土台にしていくことを最初に心がけました(79頁)

 傍からは才能に満ち溢れたアスリートに見えても、本人の自己評価は全く異なる。ここで注目したいのは、そうした状況を全くもって悲観的に捉えていないという点であろう。淡々と、国内外の他の一流サッカー選手と比較して、自分自身を冷静に捉えている。劣っているから自分自身はダメであるという評価は下さず、その事実を把握しようと努めている。こうした冷徹な目を自分に向けているがために、至らない自分自身を理解しながら、考えることが自分の強みであるという点を見出せているのであろう。

 次にペルージャからローマへ、ローマからパルマへと移った時期の発言を取りあげる。

 要するに、上を目指していこうと決めたんだったら、立場は自分で変えないといけないし、自分で責任も引き受けることはしていかなくてはならない。いつも同じ状態ではなくて、新しいものを負わないと新しい結果も出ない。(150頁)

 環境を変えるとは言わず、立場を変えると言っている点に着目するべきであろう。単純に、自分を取り巻く環境を変えるということだけでは、環境を変えても同じことを続けてしまうことになりかねない。そうではなく、環境を変えて、そこの環境における自分自身の立場を意識的に変えること。そうすることで、新しい自分の可能性を見出すことができるのではないか。

 ボルトンへと移り、三回目のW杯を翌年に控えた時期。前年には長期にわたる故障で戦列から離れざるを得ない経験を経てのインタビューもまた、興味深い。

 あがくことが悪いわけじゃないけれど、時には起きたことを受け入れて、そこからどう次につなげるかは自分との戦いになる。卑屈になったり、諦めたりせず、自分の力だけではどうしようもないものを、いかにプラスに転じていけるかが大事なんだろうね、それを学ぶことができたと思う。(251頁)

 まず、事実を事実としてそのまま受け入れることが重要である。次に、受け入れた現在の状況を、いかに将来に繋げるかは、自分との戦いであるとしている。戦いとまで表現される背景には、こうした受け入れには、過去の自分を変容させるチャレンジが含まれているからではないだろうか。

 最後に、引退を表明した後のインタビューから。彼に対して否定的な見解を示す方がいることは分かるが、これほど純粋で真摯な発言は、本当に心地よい。

 サッカーで学んで、サッカーに教えられたことばかりでした。これを次につなげて、妥協をせず、何をするにも学ぶという姿勢を持ってこれからもやっていきたい。(381頁)

2015年2月8日日曜日

【第412回】『ホワイト企業』(高橋俊介、PHP研究所、2013年)

 人事・人材育成のコンサルタントである著者の近著。最近の日本企業における人事・人材育成の課題のトレンドを、大括りに把捉する上で適したテクストの一冊であろう。

 とくにキャリア初期の二十代においては、働きやすさ以上に働きがいが重要なのです。働きやすさは、企業の人事制度や離職率など客観的情報で測りやすいため、世の中にはこちらに偏ったランキングが出やすいのですが、ほんとうの意味での働きがいはそういう外形的基準では測れません。
 真のホワイト企業とは、若者を成長させ、変化の激しい時代において雇用の質を向上させる企業であり、そのような企業が、組織としてどんなことに取り組んでいるのか、それを重視しなければ浮かび上がってはこないのです。(21頁)

 働きやすさよりも働きがいを重視する、という著者の主張に同意する。粗い言い方になるが、ハーズバーグの二要因理論を用いれば、働きやすさは衛生要因に対応し、働きがいは動機付け要因に対応する。したがって、働きやすさをケアしている企業であっても、働く社員の不満足要因は解消できても、満足要因に寄与することはできない。換言すれば、企業における社員の成長や幸福に貢献するためには、人事として、働きがいに焦点を当てる必要がある。とりわけ、若手社員が育つことが難しいと言われる近時における職場環境においては、働きがいを重視した施策の重要性が増していると言えるだろう。ではどのようにすれば、若手社員の働きがいをケアし、人が育つ企業になることができるのか。

 もちろん、成果主義のやり方にもよりますが、成果主義が人材育成力を低下させた、だから能力評価に戻すべきだという簡単な問題ではありません。とくに日本での能力評価には注意が必要。能力主義と称して評価を客観化しようとして、表面的スキルに偏ることが、現代の功利性が高い若者の、いわゆる丸暗記正解主義的な思考を強化してしまう危険性があります。(48~49頁)

 ここでは、一つの側面として人事制度を取りあげている。著者によれば、2000年代前半の業績主義的な運用を行なった「成果主義」の失敗が、企業の人材育成にネガティヴな影響を与えたわけではないという。むしろ、そうした反動から、成果ではなく能力を評価しようとして能力を客観化するために、資格やスキルを評価する傾向に警鐘を鳴らす。資格やスキルといった表面的な能力を企業が評価すると、功利主義的な傾向の強い学生の「丸暗記正解主義的な思考」ばかりを強化してしまう。その結果、変化の激しい状況下で多様なステイクホルダーをダイナミックに巻き込みながらビジネスを進めるという、現代のビジネスに必要な能力を身につけられない社員が増えてしまう。これは、企業にとっても、若手社員にとっても、不幸な帰結であろう。

 私は以前から主張していますが、ピラミッド組織の反対概念は、フラット組織ではなく、自律組織です。フラット組織について議論する人たちは、組織階層の数や意思決定のスピードに注目しがちですが、一番大事なことはそこではありません。
 「個別性」が高い「顧客接点サービス業務」から「高付加価値業務」まですべてにおいて、意思決定の中心は顧客接点でなければなりません。(中略)
 つまり、「個別性」への対応が第一線の人材育成の大きなテーマなのです。仕事のサイクルの”What-How-Do-Check”を、大きな組織の階層で分業するのではなく、第一線で自律的にまわる自律組織こそが求められています。(95~96頁)

 人が育つ企業とは自律組織である、と著者はここで鮮明に宣言している。著者は、ビジネス構造の変化というトレンドをもとにして、サービス業を念頭に述べているが、顧客接点を重視するという意味ではメーカーでも同様であろう。では、自律組織において、一人ひとりの社員はどのように成長していくことが求められるのであろうか。

 プロフェッショナル型の場合は、「専門性」を基礎と理論からしっかり学ぶことも重要。OJTによって先輩・上司の背中を見て学ぶだけでは、プロフェッショナルとしては不十分なのです。プロは徒弟制度で育つと思われるかもしれませんが、基礎と理論、歴史的背景などからしっかり学んでいかないと、応用力のあるプロにはなれません。
 基本としては、みずから学びつづけ、変化する環境に対応していく。内省に基づくキャリアを切り拓く。そういった習慣を身につけるべきです。(127頁)

 ここで重要なのは、業務での経験を内省的に振り返るだけではなく、基礎や理論といった業務外の知識を随時アップデートしながら学び続けるという点であろう。経験から学ぶとともに、理論や知識を学ぶこと。多様な学びの経験を習慣化することが、変化の激しいビジネス環境の中で、自身にとっての顧客への貢献を成し遂げられる道なのではないだろうか。


2015年2月7日土曜日

【第411回】『屈辱と歓喜と真実と』(石田雄太、ぴあ、2007年)

 2000年代の中盤、Numberをはじめとしたスポーツ・ノンフィクションにはまっていた私にとって、2006年のWBCは印象深いものであった。大会の後に出版された複数の雑誌の特集号や書籍を読んでいる中で、最も興味深く読んだのが本書である。出版直後に読み、第二回のWBCが開催される直前に再読し、今回が三回目である。闘いの過程で垣間見せる、一流のプロフェッショナルたちの珠玉の言葉を二つだけ紹介していきたい。

「そんなん、僕だけじゃないでしょ。一二球団から選ばれてきた日本代表の選手というのは、みんな上のレベルを目指しているわけですからね。そういう選手たちと一緒にいられる時に、黙っているようでは上に行けないと僕は思うんです。だから、みんなに質問したり、されたり、そういう雰囲気が楽しいし、誰かのいいところを盗めるチャンスでもありますから、より高いレベルでプレーできるということはすごいことだと思いますよね」(126~127頁)。

 上原浩治選手(当時:巨人)の言葉である。第一に考えさせられたのは、プロフェッショナルこそ、他者に質問をするのだろうということである。質問をするためには、他者の何が優れているかを理解し、的確に尋ねることが求められる。ポイントやコツを押さえていないと、分かり易い言葉で表現できず、他者から得られる情報は限られてしまう。第二に、質問をされるということを彼が挙げている点も興味深い。質問をされて、考えてみて、言葉にして、他者に伝える。そうした内省とアウトプットの作業を楽しいと言えるからこそ、プロフェッショナルとして成長し続けられるのではないだろうか。

「やるべきこともわかってない人についていきたいなんて絶対に思わないし、それができなかったらチームを引っ張るなんて無理ですから。ただ難しいのは、やるべきことをやっていたとしても、それを周りが理解しているかどうかというのがまた別の問題だということです。僕も周りに示すためにプレーしてるわけじゃないし、みんながどう感じてくれているかなんてわかりませんし……もちろん、そうでありたいとは思っていますよ。WBCで、僕は今まで自分の中にはなかった新しい自分を感じました。それが消えることはありません。だって、それは僕の幅ですから。すぐに役に立つ、役に立たないというものではないんです。何に反映されるかはわからない。でも、確実に今までと違う何かを得たんですから」(345頁)

 次に取り挙げたのはイチロー選手(当時:マリナーズ)の言葉である。この大会での言動は、彼のそれまでの振る舞いから大きく変わったとメディアで評された。彼自身も、そうした言動や態度を以て「新しい自分」と表現している。そうした「新しい自分」を自身という人間にとっての「幅」と表現しているのが興味深い。自分という人間像が、他者との関係性や状況によって複数存在し、そうした存在を統合する、社会学では言われる(『ジンメル・つながりの哲学』(菅野仁、日本放送出版協会、2003年))。「幅」が増えることによって、人間としての度量は広く深くなるものなのであろう。だからこそ、彼が語るように「すぐに役に立つ、役に立たないというものではないんです。何に反映されるかはわからない。」という点をよく噛み締めたい。


2015年2月1日日曜日

【第410回】『京都花街の経営学』(西尾久美子、東洋経済新報社、2007年)

 著者の博士課程論文をベースに置きながら、一般向けに平易に書き直したビジネス書である。京都花街でのフィールドワークを通じて、人事・人材育成・キャリアを論じた書籍である。伝統的な産業における知見が、企業における人事システムにも示唆を与えるという興味深い一冊である。

 まず、芸舞妓のキャリア全体を俯瞰してみよう。本書の93~97頁の記載をもとに七つのステップとして以下のようにまとめられる。

(一)仕込みさん
舞妓さんとしてデビューするまでの約一年間の修業期間。
(二)見習いさん
舞妓さんとしてのデビュー(見世出し)に至るまでに必要な実地研修の約一ヶ月の期間。
(三)見世出しから一年間
「新人」の舞妓さんとしての装いで過ごす期間。
(四)舞妓さんになって約一年後
「新人」としての装いから通常の舞妓さんと同じ装いができるようになり、舞妓さんとしての対応が求められる期間。
(五)舞妓さんになって二~三年後
中堅から古参としての存在となり、後輩指導など自分のこと以外への目配りが求められる期間。
(六)「衿替え」して、芸妓さんになる
お座敷で責任を持って場を組み立てて段取りを行なうことが求められる期間。
(七)自前さん芸妓さん
年季期間(通算約五~六年)が明けると「自前さん」となり、それまでの置屋での住み込み生活から一人暮らしに代わり、自分自身で生計を立てるようになる期間。これ以降は、自分の意思で芸妓さんを廃業が可能にもなり、自分自身でキャリアパスを創り込むことが求められるようになる。

 自前さん芸妓さんになることが一人前になると見做せば、ポイントは二つであろう。一つめは、一人前になるまでのステップが確立されている点である。企業においては、求められるJob Descriptionが存在したり、コンピテンシー・モデルがこのキャリアパスに該当するだろう。しかし、ここまで精緻に確立したものはなかなかないのが実情であろうから、花街におけるキャリアパスの創り込みから学ぶ点は多いように思える。二つめは、一人前になるための期間が、Dreyfus(1983)が熟達研究の知見から導き出した十年間という期間よりも短い点である。長い年月にわたって反映するビジネスモデルの中において、一人前になるまでの期間が短いということは、効果的な人材育成が為されていると捉えることも可能ではないだろうか。

 こうした効果的な人材育成の概念を、著者は、芸舞妓の「学びのサイクル」(188頁)というモデルとして提示している。詳細は同書の当該頁を参照いただきたいが、ポイントは、能力形成のサイクルがステップになっている点と、それぞれのステップにおいて多様なステイクホルダーが学びに関与している点であろう。

 まず、学びのステップは、以下の五段階である。

(ステップ1)基本的技能と規範の学習
(ステップ2)実践のための練習(即興性)
(ステップ3)お座敷での実践
(ステップ4)基本的技能と即興性と規範の評価やチェックを受け、置屋へ持ち帰る
(ステップ5)持ち帰った評価やチェックをもとにお姉さんに訊き、ステップ1へ戻る

 次にそれぞれのステップにおいて関与するステイクホルダーを見ていく。

 ステップ1では、芸舞妓さんが通う学校で基礎的な内容を学習し、それをもとに置屋で復習をするという流れである。ここで学んだ内容を実践に移すための練習を、ステップ2において置屋で行ないフィードバックを受ける。お茶屋でのお座敷に出られるようになった後には、ステップ3における実践を行ない、そこでお茶屋だけではなく顧客からもフィードバックをステップ4で受けている点が興味深い。とりわけ馴染み客からのフィードバックは、芸舞妓さんにとって、定点観測的に自分自身の技能や規範をチェックすることができるものであり、貴重なものであろう。お茶屋という舞台、およびそこでの外部の顧客からのフィードバックを置屋に持ち帰り、身内からのフィードバックをステップ5で受け、再びステップ1における基礎学習へと繋げる。こうした一連のループによって学びが形成される。


 ここで企業においても示唆深い点は、フィードバックがループしている点と、その内容が多様性に富んでいる点である。現在の日本企業では若手が育たないという声が多く言われるようであるが、果して周囲の人間がどれだけ若手にフィードバックを与えているだろうか。フィードバックを与える主体が上司だけに限定され、かつ上司はプレイング・マネジャーで忙しくフィードバックを充分に行なえない状況も多いだろう。数十年前のように、上司のみではなく先輩社員が現場での教育担当となっていた時代と、現代における差異は、こうしたフィードバックの多様性と量の違いなのではないか。そうであれば、企業の人事が行なうべきことのヒントとして、フィードバックの主体者をいかに確保し、そうした主体者がフィードバックできるようにいかに促すか。これが私たちに求められているのではないだろうか。