2017年9月30日土曜日

【第760回】『ローマ人の物語7 勝者の混迷(下)』(塩野七生、新潮社、2002年)

 多くの国家が、他国への影響を強めようとする。その手段として、領土を拡大しようというインセンティヴが極大化したことによる帰結が先の大戦であろう。二十世紀に至るまでも覇権国家は領土拡大を志向した。ローマもまた、然りである。

 強国とは、やっかいな立場でもある。ローマの覇権下にない独立国同士なのだから、勝手にやってくれと言って放置することは許されない。(12頁)

 現代のアメリカを想起しても明らかなように、覇権国家は近隣諸国の「警察」のような役割を担わざるをえなくなるようだ。多大なコストが伴う覇権国家にどのような旨味があるのか。よくわからなくなる。

 システムのもつプラス面は、誰が実施者になってもほどほどの成果が保証されるところにある。反対にマイナス面は、ほどほどの成果しかあげないようでは敗北につながってしまうような場合、共同体が蒙らざるをえない実害が大きすぎる点にある。(120頁)

 システム化、マニュアル化、標準化、しくみ化といったものは、企業におけるマネジメントという観点では好ましいものと捉えられることが多いだろう。実際、ある程度そうしたものは求められることは否めないだろう。


 しかし、システムのもつプラスとマイナスの両側面に目を向ける必要があることもその通りであろう。つまりは、状況に応じて、システムがプラスに作用することと、マイナスに作用することとを見極める必要がある。


2017年9月28日木曜日

【第759回】『ローマ人の物語6 勝者の混迷(上)』(塩野七生、新潮社、2002年)

 大きな勝利の後には、挫折や敗北が待ち受けることは、人や組織という単位だけではなく、国家にとっても当てはまるのであろう。人や組織の集合体が国家なのであるから、自明といえば自明である。そうであるからこそ、国家における混迷とその乗り越えの経験は、組織や人といったミクロな存在にとっても有益な事例となるのではないか。

 本作と次の巻ではローマという国家の苦境が描かれることになるようだ。他山の石として他人事のように捉えるのではなく、自分たちにとっての糧として最良の学びの素材としたいものである。

 まったく、「混迷」とは、敵は外にはなく、自らの内にあることなのであった。(113頁)

 混迷という言葉の持つ意味合いは、外的環境にあるのではなく内部環境に問題があることを示すという指摘にハッとさせられる。私たちは、敵という存在を外に求めたがる。それが正しいことも多いのだろう。しかし、問題の所在が自分の内側にある時、私たちは幻としての敵を外に見出そうと躍起になり、問題が見つからずに苦しむ。そうした状況が混迷であり、自分の内側を眺めることの重要性が指摘されている。

 すべての物事は、プラスとマイナスの両面をもつ。プラス面しかもたないシステムなど、神の技であっても存在しない。ゆえに改革とは、もともとマイナスであったから改革するのではなく、当初はプラスであっても時が経つにつれてマイナス面が目立ってきたことを改める行為なのだ。(155頁)


 組織改革、意識改革、制度改革、最近では働き方改革という言葉もある。以前あったものを壊すことに痛快な印象を持つことは、小泉改革で熱狂した私たちにとって決して古い記憶ではないだろう。しかし、改革によって改められる存在は、それが生じたときからマイナスだったものではなく、プラスの意図を持ったものである。そのことを忘れて改革に酔っていると、改革ばかりを志向して高揚感に酔うだけの状態になってしまう。聴き心地にいい言葉には気をつけたいものである。


2017年9月27日水曜日

【第758回】『ローマ人の物語5 ハンニバル戦記(下)』(塩野七生、新潮社、2002年)

 カルタゴのハンニバルの戦略・戦術の継承者が、対立国であるローマのスピキオであったという指摘は面白い。トヨタのカンバン方式を忠実に理論化して継承しようとしたのがアメリカの企業群であったというようなものであろうか。自分に近しい存在や地理的に近い存在は当たり前のように思ってしまい、その凄さの本質が見えにくくなる。対立する組織は、自組織が競争に勝つために必死に相手の良さを観察しようとするものなのだろう。

 年齢が、頑固にするのではない。成功が、頑固にする。そして、成功者であるがゆえの頑固者は、状況が変革を必要とするようになっても、成功によって得た自信が、別の道を選ばせることを邪魔するのである。ゆえに抜本的な改革は、優れた才能はもちながらも、過去の成功には加担しなかった者によってしか成されない。しばしばそれが若い世代によって成しとげられるのは、若いがゆえに、過去の成功に加担していなかったからである。(22頁)

 改革を担う存在はなぜ若年の者が多いのか。それは過去の成功に関与していた度合いが薄いからである。関与していればいるほど、自身の過去の成功を否定してかかることは難しくなる。人間の心理とは、それほど複雑なものではないのであろう。

 介入とは、それが政治的であれ経済的であれ、また軍事的であろうと何であれ、相手とかかわりをもったということである。そして、かかわりとは、継続を不可避にするという、性質をもつものでもあった。(111頁)


 大義名分を掲げようと、それが報復的な意味合いを持つものであれども、対象に対していったん介入すると、自身の都合だけでそこから撤退することはできなくなる。介入する上では、それが中長期的に介入し続けることになることを覚悟するべきであろう。日中戦争、ベトナム戦争、9・11後のイラク戦争など、想起することが容易な例が多いことが、このことの証左であろう。


2017年9月26日火曜日

【第757回】『ローマ人の物語4 ハンニバル戦記(中)』(塩野七生、新潮社、2002年)

 ここまでのシリーズでローマ人の寛容さに感銘を受けてきた。なぜ、寛容さを重視してきたのか。その理由は、単に倫理的なものではなく、自国に内包する階級同士の不満や違和感を軽減するためのものでもあったようだ。

 敗戦の責任者であったとして罰したりすれば、災いの源になりかねないのである。罰された者が貴族ならば、貴族階級の不満を呼ばずには置かず、反対に平民であっても、罰されたのは平民出身であったからだと、平民全体が思いこむのは眼に見えている。責任の追及とは、客観的で誰をも納得させうる基準を、なかなかもてないものだからだ。それでローマ人は、敗北の責任は誰に対しても問わない、と決めたのであった。(73頁)

 私たちが抱くアイデンティティからすると、自分と近いと思われる人に対して共感を抱くことは致し方ないことなのであろう。となると、自身と同じ階級出身者に親しみを感じることは否定しがたいものがあるのではないか。

 私たちの本性に近い感覚がもたらすものが階級間の対立である。これを、敗北の責任を問わないという政治ポリシーに活かしていたのだから、ローマという国家の偉大さがよくわかる。「格差」という言葉が流行して定着し、多様性が重視される現代社会において、ローマの寛容という叡智を活かすべき点があるのではないか。

 国の危機には多くの国で国論が分裂するが、ローマではそれは起らなかった。これが、ハンニバルに対して徹底して敗北した後でも残った、ローマの真の強さである。(151~153頁)


 寛容がもたらす国家の強さが、大きな国家的な挫折の後に現れてくる。失敗や挫折を経験しない組織はないだろう。しかし、そこで踏ん張り、復活できるかどうかが、組織の力なのではないか。


2017年9月25日月曜日

【第756回】『ローマ人の物語3 ハンニバル戦記(上)』(塩野七生、新潮社、2002年)

 他の国家ではなく、なぜローマが覇権国家となり得たのかという問いが、著者が本シリーズを著す主要な動機であったそうだ。シリーズを通して、著者はその答えを紐解いているのであろうが、本作にそのヒントがいくつも提示されていたように思える。キーワードは寛容ということではないだろうか。

 敵方の捕虜になった者や事故の責任者に再び指揮をゆだねるのは、名誉挽回の機会を与えてやろうという温情ではない、失策を犯したのだから、学んだにもちがいない、というのであったから面白い。(63頁)

 他国への寛容については、ここまでの二冊に描かれていた通りであるが、ここでは自国のトップへの寛容さが指摘されている。もちろん、言動に問題がある場合には厳格に対応されるようだが、結果としての失敗については寛容に接している。戦争に敗れるというのは大きな失敗であることは間違いない。しかし、敗戦の責を受ける責任者に対して、失敗から学んだであろうからという理由で罰しないばかりか、改めてトップに再任させるのであるから徹底している。

 これは、マキアヴェッリが賞賛を惜しまなかった点だが、共和政ローマでは、軍の総司令官でもある執政官に対し、いったん任務を与えて送り出した後は、元老院でさえも何一つ指令を与えないし、作戦上の口出しもしないのが決まりだった。任地での戦略も作戦の立案も、完全に執政官に一任されていた。敗北の責任を問わないのも、心おきなく任務に専念してもらうためでもある。また、講和を申し出るのも受けるのも、講和の条件を提示することからその交渉まで、執政官に一任されていたのである。(85頁)

 民主的に選ばれた指揮官に対して、市民も、議会も、全権を委ねるという点も徹底している。現地に優秀な人材を派遣しても、意思決定は遠く離れて中央で行ったり、中央からの横槍で自由かつ柔軟な対応ができなかったのは太平洋戦争時の日本軍である。『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』を彷彿とさせられる箇所である。

 ローマ人の面白いところは、なんでも自分たちでやろうとしなかったところであり、どの分野でも自分たちがナンバー・ワンでなければならないとは考えないところであった。(104頁)

 ここに至ると寛容というか鷹揚とした印象である。ビジネスモデルの根幹となる部分について自社にコンピテンスを集約し、それ以外の取り換え可能な部分についてはアウトソースをする。現代の企業に求められるマインドセットをローマという国家は有していたのではないだろうか。

 ローマ人には、マニュアル化する理由があったのだ。指揮官から兵から、毎年変るのである。誰がやっても同じ結果を生むためには、細部まで細かく決めておく必要があった。(142頁)


 寛容を重んじるということは、規律がないということではない。むしろ反対である。規律を設け、マニュアル化を重視することで、自分に対しても他者に対しても寛容かつ柔軟に対応することができるのである。マニュアル化による人材のローテーションやそれに伴う育成の利点は、『関わりあう職場のマネジメント』を読んでいただくと、企業での応用について示唆を得られるかもしれない。


2017年9月24日日曜日

【第755回】『ローマ人の物語2 ローマは一日にして成らず(下)』(塩野七生、新潮社、2002年)

 ローマ建国から約五百年間を経て、イタリア半島の統一がひとまずは為されたとされている。その間を著述したハードカバー第一巻の後編が本作である。

 私見であるが、説明が難しい部分もあるし、世界史の教科書のようなやや退屈な箇所もある。しかし、立ち止まることなくテンポよく読み進めることができる構成であり、また受験勉強ではないのでそうした読み方が許されるのが、大人の読書のありがたさであろう。

 時代を超えて、偉大な人物は偉大であることによって、自身では思いもよらない毒を周囲にまき散らしてしまう存在であるのか。(71頁)

 ソクラテスを描写した箇所である。偉大といわれる現代の企業のトップを何人か思い浮かべてしまった。彼(女)らは、自身のミッションを信じているために、それを実現するためには他者に与える影響というものは考えないのであろう。だからこそ、非常に優秀であるトップは、時として周囲の存在に対して極めて厳しい側面を持ってしまうのではないか。

 ローマ人は、保守的であったというのが定説になっている。だが、真の保守とは、改める必要のあることは改めるが、改める必要のないことは改めない、という生き方ではないだろうか。(121頁)


 ネオコンサバティヴを信奉する方々に読んでいただきたい至言である。保守主義とは異なる考え方を持った身として、偏った思想として保守主義を否定するのではなく、保守主義の持つ可能性についてじっくりと考えてみたいと思った。


2017年9月23日土曜日

【第754回】『ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず(上)』(塩野七生、新潮社、2002年)

 以前、世界史と呼ばれる領域には興味を持てなかったのであるが、学部生の頃に本書に出会って意識が変わったことを覚えている。どのようなきっかけで読んだのかは失念したが、本シリーズのハードカバーを読み漁った。人物描写が巧みで、登場人物を思い描きながら読み進めた。

 著者の独特な文体に改めて触れたくて、新規開拓ではなく本シリーズを読み直そうと思った。文庫版はテンポよくサクサクと読めて、形式が変わるだけで読み心地も変わるものである。

「敗者でさえも自分たちに同化させるこのやり方くらい、ローマの強大化に寄与したことはない」(58頁)

 ブルタルコス『列伝』を引用している箇所であり、この考え方は本シリーズで何度か出てきたように記憶している。異文化や異民族への寛容な有り様が、ローマをして強大国に為さしめたというのは、ダイバーシティの重要性を改めて感じさせられる。

 阿呆呼ばわりされても王の甥ならば、権力の近くにあって、すべてを冷静に観察する機会には恵まれていたにちがいない。情報も豊富であったろう。その彼だからこそ、もはやローマは、効率的ではあっても王になる個人の意向に左右されないではすまない制度は、捨ててもよいまでに成長したと判断できたのではないか。改革の主導者とはしばしば、新興の勢力よりも旧勢力の中から生れるものである。(113頁)


 本作のハードカバーが書かれたのは1992年。その約十年後の小泉改革を予期していたかのような示唆に驚かされる。さらには、旧勢力がなぜ改革を起こすことができるのかという分析も鋭い。情報やそれをもたらず人脈が豊富であるからこそ、権力主体に近い存在から改革は起こる。不満分子である純然たる外野からの改革が起こらない、もしくはあまり成功しない理由がここにあるのだろう。


2017年9月18日月曜日

【第753回】『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』(三島由紀夫、新潮社、1969年)

 どちらのタイトルからも三島の挑戦的なニュアンスが伝わってくるだろう。正直、読もうかどうか躊躇したし、官能小説や全体主義礼賛の意味合いが少しでも匂ったら、最後まで読み切る自信はなかった。しかし、そうした心配は杞憂であり、どちらも文学作品であり、プロットには共感できないが、情景がきれいに浮かぶ感覚は心地よかった。戯曲とはこういうものかと納得させられた。

 アルフォンスは私だったのです。(65頁)

 アルフォンスとは、サド侯爵の呼び名であり、劇中の登場人物はサド侯爵がいない中で彼のことを話し続ける。幕が上がって時代を経ても同様である。空白というものが、その存在をくっきりと浮かび上がらせ、その存在を大きくしているようだ。

 だからこそ、最後の最後にサド侯爵が登場するシーンが印象的である。年齢だけを重ねた醜い老人の姿を端的に示し、侯爵夫人はその姿を見ることを避けるように、あれほど愛していた相手との別離を急に選ぶのである。


 そこに存在しない相手だからこそ、その外見や内面の美しさに焦点を当てることができるが、そこに存在してしまうとそうでない部分にどうしても意識が向かう。いないことにより存在し得る美、もしくはそうした虚構としての美に、私たちは酩酊してしまうのではないか。


2017年9月17日日曜日

【第752回】『応仁の乱』(呉座勇一、中央公論新社、2016年)

 少し前に放映されたあるテレビ番組で、応仁の乱には英雄がいない、だから私たちの多くにとって興味がそそられない、と言われていた。本書を読んで、その背景がよくわかった。公的な目的、大きな意志、胸が躍るような企て、といったものは全く見当たらない。

 だからといって、応仁の乱は私利私欲のために行われたつまらない戦というだけには留まらない意味があったと著者は述べる。よく言われるように、戦国時代の幕開けとなる出来事であり、それはすなわち社会とそれを構成する権力主体の大きな変化を促した一大イベントだったのである。

 将軍権力の復活を目指す義政は大守護の勢力削減に努めた。畠山氏に対しては家督争いを煽るという手を用い、山名氏に対しては宿敵の赤松氏を復活させるという策を採ったが、斯波氏に対しては甲斐氏を支援する作戦で臨んだのである。(67頁)

 暗愚で恬淡としたイメージが持たれている足利義政の応仁の乱の直前の戦略を描写した場面である。為政者として、それなりに大局的に捉えられているように私には思え、義政という人物の意外な一面を見るようであった。但し、反対に言えば、こうした権謀術数に過ぎた策略をコントロールしきれなくなったところに、応仁の乱の沈静化までに時間が掛かった原因の一つなのではないだろうか。つまり、天下国家の話ではなく、各守護大名の内部における私闘が同時発生的に起きたために、全ての火種が消えないと銭塘行為を止める積極的な機運につながらなかったのであろう。

 この足利義政の後任をどう捉えるか、つまり後継者に肩入れすることで自身の権力を高めるということが乱の発端となった。著者が72~74頁でまとめている三類型は以下の通りである。

(1)義政の子・義尚が成長した後に将軍交代。中心人物:伊勢貞親。
(2)義政の弟・義視へのすみやかな将軍交代。中心人物:山名宗全。
(3)義政⇒義視⇒義尚という穏健的な将軍交代。中心人物:細川勝元。

 応仁の乱に関する歴史の教科書での説明では、西軍の大将格・山名宗全と東軍の細川勝元が出てくるだろう。しかし、三つの派閥が最初の対立点であったと著者はしている。(2)と(3)が後任を義視にすることで協力することで(1)を追い出すことに成功し、しかしそれは同時に共通の敵を失ったことで(2)と(3)の対立が先鋭化することをも招いた。

 ではなぜ西軍と東軍との戦闘状態は長期化したのか。先述した各守護大名内の対立が大きな理由ではあるが、それを可能とした手段の変容も挙げられている。

 応仁の乱では、両軍が陣を堀や井楼で防御したため、京都での市街戦は実質的に“攻城戦”になった。敵陣=敵城を急襲して一挙に攻略することは断念せざるを得ない。陣地の城塞化が進めば進むほど、互いに弓矢や投石機を使った遠距離戦を志向するようになった。
 第一次世界大戦において、両陣営の首脳部・国民が戦争の早期終結を信じていたにもかかわらず、塹壕戦によって戦争が長期化したことはよく知られている。応仁の乱においても、防御側優位の状況が生じた結果、戦線が膠着したのである。(109頁)

 防御重視の戦略を取ることが多かったために、戦いが長期化したというのが戦術面での一つの要因であったようだ。こうした状況でゲリラ戦が有効となったために誕生したのが足軽である。兵力・兵糧の俸給を阻害するための大事な手段として、素早く動ける足軽という存在が生まれたという指摘は興味深い。



2017年9月16日土曜日

【第751回】『官僚たちの夏』(城山三郎、新潮社、1980年)

 人事ってすごいなぁと改めて他人事のように思った。私企業における人事と、国家一種のキャリア官僚にとっての人事とはたしかに違うだろう。企業では、あまりに意に沿わない人事であれば、社員側としては転職してしまえば良い。そのために必要な経験を自身でデザインし、キャリアを構築していけば良いのであって、最終的にキャリアの主体は自分自身に帰結することがわかりやすい。

 他方、国家公務員であればそれが通用しない部分が多い。公務員にとっての同じ職種は、基本的には世の中には存在せず、せいぜい他の国に移れば同じような組織があろうが、公務員を他国で担うということは現実的ではないだろう。したがって、組織側が行う人事に従うか、自分自身のキャリアを大幅に振る必要が出てくるのであり、人事施策の重みが異なると考えられる。

 風越は、何でも口に出してしまう。秘密主義のベールをかぶりやすい人事についても同様で、思っていることを、すべてさらけ出す。進んで、まわりの反応や意見を待つという行き方で会った。それによって、新しい評価は情報が得られれば、それは、より公平な人事に役立つばかりでなく、人事通としての風越の情報蓄積量をふやすことになる。(14頁)

 人事屋としては、人事情報について「思っていることを、すべてさらけ出す」という部分にはギョッとしてしまう。但し、ある程度を共有して良い相手を選べば、後段にあるように必要なフィードバックを得られる貴重な機会にもできるのではないか。人事部門はスタッフ部門に過ぎず、現業部門での評価を鵜呑みにするか人事評価のみである人物のパフォーマンスを評価してしまう。しかしそれはある側面にすぎない可能性があり、それを基にして上長や二次評価者にぶつけてみる、というのは現実的かつ有効な手段に思える。

<他人の人事には、人一倍、興味を持つ。だが、それだけに、自分の人事については、一切、工作しないことーー>
 自分のことについては、えいッとばかり、投げ出してしまう。天命を待つというより、ひとつの素材として、人事の嵐へ投げこむ。<おれのような雑な男が、ありのままの生地で、どこまで行けるのか>他人事のように眺めてみたい気がする。(22頁)

 面白いほどに共感できる箇所であり、自分の心情を言い当てられたような気がして怖いくらいである。人や組織に対する興味関心を持ちながら、自分自身の人事にはこだわりがない。私の場合には、一企業の中というよりも他の企業や同一職種の中で市場からどう評価されるのか、というところに興味がある。さらに言えば、高く評価されるかどうかというよりも、自分自身をひとつの被験者としてどのように扱われるのかに興味がある。だから、人物としておよそ似ても似つかない風越の有り様に共感を持てる。

「まあ待て。どうしてくされ縁ができるかといえば、人間がくさり出すからだ。じゃ、なぜ、人間がくさり出すのか。そのいちばん大きな原因は、人事だ。人事がうまく行かんと、確実に人間がくさる」(39頁)


 風越が人事にかける想いを吐露している箇所であり溜飲が下がる想いもするが、同時に耳が痛い箇所でもある。但し、彼が手塩をかけてチャレンジをさせたサクセッサーたちが健康を害してしまった最後の部分が、私たちに重く問いかけるものがある。


2017年9月10日日曜日

【第750回】『落日燃ゆ』(城山三郎、新潮社、1986年)

 半藤一利さんの『昭和史1926−1945』を久々に読み直した。改めて清新な気づきを得ながら、当時首相や外相を務めた広田弘毅について辛辣に評価していた箇所が印象に残った。さらに言えば、広田を評価した本書にも決して良い文脈ではないながらも言及していたことから、読もうと思い至った。

 半藤さんの著作は好きであるが、本書における広田弘毅に対する評価にも読ませる箇所があったように思う。何が正しく何が間違っているというように論評するのではなく、広田の生き様から何かを学ぶという態度で読むことで得られるものがあるのではないか。個人的には論語を文字通り座右の書として毎晩読んでいたというエピソードに魅了された。

 広田の特長のひとつは、早くから、先輩や仲間との交わりを深め、互いに啓発し、知恵や情報を吸収し合って生きて行こうと努めたことである。人と人との生身のふれ合いや耳学問を大切にし、ただの読書家に終らなかった。(17頁)

 他者との交流を大事にして多様で開かれた学びを重視する広田の姿は、論語の「学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆うし。」(為政第二・一五)を彷彿とさせる。論語読みの論語知らずではない、身体に落とし込まれた論語が、広田の行動の拠り所となっていたのであろう。

 万歳万歳を叫び、日の丸の旗を押し立てて行った果てに、何があったのか、思い切ったはずなのに、ここに至っても、なお万歳を叫ぶのは、漫才なのではないのか。
 万歳! 万歳! の声。それは、背広の男広田の協和外交を次々と突きくずしてやまなかった悪夢の声でもある。広田には、寒気を感じさせる声である。生涯自分を苦しめてきた軍部そのものである人たちと、心ならずもいっしょに殺されて行く。このこともまた、悲しい漫才でしかないーー。(377頁)


 極刑へと向かう最期のシーンに、潔さと虚しさとがないまぜになり、人間の生き様が凝縮されているように思える。


2017年9月9日土曜日

【第749回】『老子』(4回目)(金谷治、講談社、1997年)

 老子を読むのはどういうタイミングがいいのだろうか。忙しい日々を送りながら、せめて限られた時間だけでもリラックスしようと読むのもいいだろう。他方、ゆとりがある時に時間を気にせずに読むのもまた趣深い。今回は、後者に該当するタイミングでの読み直しであり、贅沢な時間を堪能した。

 「道」はからっぽで何の役にもたたないようであるが、そのはたらきは無尽であって、そのからっぽが何かで満たされたりすることは決してない。満たされていると、それを使い果たせば終わりであって有限だが、からっぽであるからこそ、無限のはたらきが出てくるのだ。(4 道は沖しきも(「道」のはたらき(1))

 「道」とは何かを語る書が論語であるとしたら、「道」の周囲を語ることでそのはたらきを読み手に考えさせようとする書が老子ではないだろうか。通常、論語と老子とは相対立する存在であると考えられており、実際にそうなのだろうとは思う。

 しかし、後世に生きる第三者としての私たちは、両者をそれぞれ味わえる僥倖を楽しめば良い。相対立するものとは相補関係にあるものでもあり、私にとっては、両者の主張は真反対にあるとは思えないのであるが、いかがであろうか。

 ほんとうに完全なものは欠けたところがあるかのようであって、そのはたらきはいつまでも衰えることがない。ほんとうに充満したものはからっぽであるかのようであって、そのはたらきはいつまでも尽きることがない。
 ほんとうに真っ直ぐなものはまるで曲がっているかのようである。ほんとうに巧妙なものはまるでへたくそであるかのようである。ほんとうに雄弁なものはまるで口べたであるかのようである。(45 大成は欠くるが若く(中空の妙))


 空だからこそ可能性が溢れている。可能性があるからこそ、持っていないことを肯定することができる。欠損した感覚を持つことで、そのギャップを埋めるための努力を継続することができるのは、何かを持たないことを肯定的に捉えているからなのであろうか。


2017年9月3日日曜日

【第748回】『マネジャーの実像』(3回目)(H・ミンツバーグ、日経BP社、2011年)

 著者は、マネジメントを大胆にも三つの次元、すなわち情報・人間・行動に分けて説明を試みている。定性的研究の模範のように、29名ものマネジャーへのインタビューに基づき、彼(女)らの発言に耳を傾けながら、具体的事実の重みを尊重しながら理論化を試みている。

 マネジャーがリーダーシップを過剰に発揮すると、マネジメントの中身が空疎になり、目的や枠組み、行動が乏しくなるおそれがある。マネジャーが外部との関わりを重んじすぎると、マネジメントが組織内の土台と切り離されて、実際に人と関わることより、上っ面のPR戦術が偏重されるおそれがある。コミュニケーションを取ることしかしないマネジャーは、なにごとも成し遂げられない。行動することしかしないマネジャーは、すべてを一人でおこなう羽目になる。ひたすらコントロールばかりしているマネジャーは、イエスマンとイエスウーマンだけの空っぽな集団をコントロールする結果になる。人間志向のマネジャーも、情報志向のマネジャーも、行動志向のマネジャーもいらない。必要なのは、この三つの次元すべてで活動できるマネジャーだ。三つの次元の役割をすべて果たしてはじめて、マネジャーはマネジメントに不可欠なバランスを保てる。(136~137頁)

 マネジメントにはバランスが求められる。情報、人間、行動の三つのマネジメントそれぞれをマネジャーはバランス良く使う必要があると著者は指摘している。それとともに、半ば矛盾することをこの直後に述べているところが、著者の面白さである。

 マネジメントにはバランスが必要だと指摘した。しかし、マネジャーは誰しも特定の役割に大きな比重をおくという指摘もした。矛盾に聞こえるかもしれないが、そんなことはない。バランスの取れたマネジメントは、そのときどきに直面する課題に合わせて、さまざまな役割の比重をたえず変化させることによって実現する。(146頁)

 もちろん、著者も丁寧に述べている通り、先述した箇所と矛盾しているわけではない。むしろ、マネジャーには三つの次元を高く持っている必要があり、それを状況に合わせて比重を変えて発揮せよ、と著者は述べているのである。いやはや、ここまで要求水準が高いと、マネジャーにとっては耳が痛いだろうが、実際のマネジャーへの聞き取り調査から導き出されているのだから傾聴すべきであろう。

 バランスが取れていて、それを状況に応じて使い分けられるマネジャー。そのようなパーフェクトな存在はなかなかいないだろう。こうした現実を踏まえた上で、著者は、マネジャーを選抜する際のポイントを述べている。

 欠点が一つもないマネジャーなど、いままで一人もいたためしがない。誰をマネジャーの職にすえても欠点が早晩明らかになるのであれば、早い段階で欠点に気づくほうがいい。マネジャーの選考は、資質を基準におこなうのではなく、欠点を基準におこなうべきだ。(341頁)
 マネジャーの欠点が後になって致命的な欠陥だと判明して、あたふたする羽目にならないために、仕事の内容と組織の環境に照らして、一人ひとりのマネジャー候補者の欠点を慎重に検討したほうがいい。(342頁)

 強みに焦点を当てて人材を開発するという発想はおそらく正しいのであろう。しかし、その延長線上で、一つの優れた資質を理由に、非管理職層の抜擢をすることを著者は諌めている。これは最初に引用した三つのバランスが大事であるということと符合する指摘であるだろう。



2017年9月2日土曜日

【第747回】『フロー体験 喜びの現象学』(M.チクセントミハイ、今村浩明訳、世界思想社、1996年)

 フローという現象は、ビジネスの領域で使われることもあるが、一般的にはスポーツの領域で目にすることが多いのではないだろうか。ゾーンに入るという言葉もあるが、乱暴に言えば、そうしたものも含めて、本書で扱われるフローに該当するように思える。

 フローとは何か。簡単に定義ができないと著者は予め断った上で、八つの構成要素を上げている。

 第一に、通常その経験は、達成できる見通しのある課題と取り組んでいる時に生じる。第二に、自分のしていることに集中できていなければならない。第三、および第四として、その集中ができるのは一般に、行われている作業に明瞭な目標があり、直接的なフィードバックがあるからである。第五に、意識から日々の生活の気苦労や欲求不満を取り除く、深いけれども無理のない没入状態で行為している。第六に、楽しい経験は自分の行為を統制しているという感覚をともなう。第七に、自己についての意識は消失するが、これに反してフロー体験の後では自己感覚はより強く現れる。最後に、時間の経過の感覚が変わる。(62頁)

 こうした要素を考えれば、スポーツや趣味の領域においてフローを体験することを想起しやすいだろう。何かに集中し、他の雑音が全く聞こえてこず、結果が即座にフィードバックされること。フローは大げさなものということではなく、私たちの日常においても為されることである。

 スポーツやビジネスといった世界においてフローは肯定的に捉えられることがほとんどである。フローの状態は、私たちにとって望ましい結果をもたらすことが多いからである。

 しかし、フローそれ自体は必ずしもポジティヴな意味を持つものとは限らないと著者は言う。本書で示されているケースは、日本における暴走族の事例である。彼(女)らは、走りに集中し仲間との一体感を得ているが、近隣住民や他の車にとって少なくとも望ましい存在ではなく。また、多くの賭博行為もフローを伴いやすく、だからこそフローが及ぼす常習性に著者は指摘しているのであろう。

 留意すべき事項はありながら、私たちの生活の中でいかにフロー体験が生じることを促していけるのか。特に思考におけるフローという観点から、著者は以下のような示唆を提供している。

 過去を記録することは、生活の質を高めるのに大きく貢献できる。それは我々を現在の抑圧から解放し、昔を意識にのぼらせることができる。それはとくに喜ばしく意味のあるできごとを選んで記憶に残すことを可能にし、そのことによって未来に対処するのに役立つ過去を「創造」する。(166頁)

 著者が指摘しているのは、過去を記録することである。書くことによって、その対象となる過去の一時点に私たちの意識はフォーカスすることができる。そうして過去の一時点に意識を傾けて思考に没頭することが、過去を将来に役立たせる一つの準備となるのである。


 このように考えると、フローという経験がキャリアという現象と近いもののように感じられた。キャリアのワークショップでも、ほぼ必ず過去の振り返りから行うことが多い。過去に一回焦点を当てることによって、現在から将来の時点において何を大事にし、どのような行動に重きを置くかが見えてくるのである。