2017年9月27日水曜日

【第758回】『ローマ人の物語5 ハンニバル戦記(下)』(塩野七生、新潮社、2002年)

 カルタゴのハンニバルの戦略・戦術の継承者が、対立国であるローマのスピキオであったという指摘は面白い。トヨタのカンバン方式を忠実に理論化して継承しようとしたのがアメリカの企業群であったというようなものであろうか。自分に近しい存在や地理的に近い存在は当たり前のように思ってしまい、その凄さの本質が見えにくくなる。対立する組織は、自組織が競争に勝つために必死に相手の良さを観察しようとするものなのだろう。

 年齢が、頑固にするのではない。成功が、頑固にする。そして、成功者であるがゆえの頑固者は、状況が変革を必要とするようになっても、成功によって得た自信が、別の道を選ばせることを邪魔するのである。ゆえに抜本的な改革は、優れた才能はもちながらも、過去の成功には加担しなかった者によってしか成されない。しばしばそれが若い世代によって成しとげられるのは、若いがゆえに、過去の成功に加担していなかったからである。(22頁)

 改革を担う存在はなぜ若年の者が多いのか。それは過去の成功に関与していた度合いが薄いからである。関与していればいるほど、自身の過去の成功を否定してかかることは難しくなる。人間の心理とは、それほど複雑なものではないのであろう。

 介入とは、それが政治的であれ経済的であれ、また軍事的であろうと何であれ、相手とかかわりをもったということである。そして、かかわりとは、継続を不可避にするという、性質をもつものでもあった。(111頁)


 大義名分を掲げようと、それが報復的な意味合いを持つものであれども、対象に対していったん介入すると、自身の都合だけでそこから撤退することはできなくなる。介入する上では、それが中長期的に介入し続けることになることを覚悟するべきであろう。日中戦争、ベトナム戦争、9・11後のイラク戦争など、想起することが容易な例が多いことが、このことの証左であろう。


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