2018年11月25日日曜日

【第907回】『武田信玄 林の巻』(新田次郎、文藝春秋、2005年)


 軍師・山本勘助と信玄との会話は、斬り合いのようなスリルとともに、認め合う人間同士のあたたかな交歓のようでもあり、興味深い。勘助は諸国の偵察をする役割であり、かつ元々は今川義元の間者でもあったために駿河との行き来もあるため、甲斐で信玄と会う機会は少ない。その少ない機会の中でのやり取りは、切迫する背景とも相まって印象深いものがある。

「そうです。負けます。だからなるべくなら戦わない方がよいと思います。しかし、いよいよとなったらやはり戦わねばなりません。負け戦を覚悟して、負けた場合のことを充分念頭に入れて戦うならば、負けたことが結局勝ったことになるかもしれません。そこが天才と秀才の差でございます」(25頁)

 越後の偵察のために上杉謙信に行商として近づいていた勘助が、謙信と信玄とを比較し、前者を天才、後者を秀才と見立てたシーンである。華麗な戦いで若くして天才的に勝利を収める謙信に対して、信玄は慎重に戦闘を行い、実利を確実に得るようにする。その両者の戦いが、数次の戦いを経て、四回目の川中島の会戦で結果に現れる。

 川中島に現れる霧の現象を利用しようと、両雄は、間者に入念な偵察を行わせる。貴重な予報を行える人物を先に見つけながら、その人物を軍に引き込めず、反対に越後に取られてしまった勘助は、自身を攻め、決死の思いで戦いに臨む。

(おれの心の中にも信繁と同じような、安全作戦を求める心があるのだ。安全作戦こそ、信玄の軍法だった。勝てる戦でないとやらないのが武田の軍法であった。だが、戦はそれだけであってはならない。天下を望む者は、時には冒険を敢てしなければならぬ。天機を掴むべきとき掴まねば、躍進はないのだ。いまこそその天機なのだ。勝負を賭けなければ、越軍撃滅は達成できないのだ。越軍を信濃から追い出さないかぎり、甲軍が、東海道に出て、京都に向うことは絶対に不可能である)(385頁)

 リスクを冒してでも機を逃さず勝負に出た信玄。それに対して勘助は、霧がいつ晴れ、越後軍が動き出すかを自力で探ろうとしてその機を見つけた直後、勘助自身が上杉の部隊に見つかり、命を落としてしまう。

 勘助にとって非情な結末でありながら、その偵察行為によって博打的な勝負に勝ったのは信玄であり、勘助にとって必ずしも不幸せな結末ではなかったかのもしれない。勘助と信玄とのやりとりでここまで進んできた物語が、半ばにして勘助を失い、どのようにこの後進むのだろうか。

【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)
【第814回】『孤高の人(上)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第816回】『孤高の人(下)』(新田次郎、新潮社、1973年)

2018年11月24日土曜日

【第906回】『武田信玄 風の巻』(新田次郎、文藝春秋、2005年)


 織田信長や徳川家康を扱う歴史物を読むと、ほぼ必ず登場するのが武田信玄である。恥ずかしながら、信玄を主人公として扱う作品は、小学生時代に漫画でしか読んだことがなく、私の中ではバイプレイヤー的な存在となってしまっていた。

 信玄といえば騎馬隊をはじめとした勇猛果敢な戦闘集団を率いた戦国大名というイメージが先行する。しかし、甲州法度を制定して政治を整備しようとしたり、信玄堤に代表される環境対策や黒川金山開発といった経済政策など国家経営という観点でも興味深い。そこで信玄その人および彼の行動を理解しようと、本シリーズを読むことにした。

 家康や信長を苦しめた天才というイメージがあったが、読み進めていくと、若くして才能に溢れた存在でありながら失敗も多くしていることがわかる。一人の人間としての成長物語としても読めそうだ。

 たとえば、有名な父・信虎を実質的に国外追放した後の描写はこのような感じである。

 晴信は父信虎の姿が見えなくなるまで、高地に立って見送っていた。戦国に生れた者の悲哀がしみじみと身にしみた。父を追わねば、自分が殺されるから、そうするしかなかったのだ。だからといって実父を追放したという罪の意識は容易に消えるものではなかった。(100~101頁)

 四書五経を書見するシーンが描かれることから、親を敬うという孔子の思想を重視していたことが想起される。父に嫌われ、父の悪政を正すための追放とはいえ、悩み、苦しみながら決断する若きリーダーの人間性が現れている。

 晴信はやがて北信で対決しなければならない仮想敵、長尾景虎との一戦を頭に描いていた。たとえば、合戦の場を、犀川と千曲川の合流点の川中島あたりとするならば、古府中川中島の距離は、長尾景虎のいる越後春日山城と川中島間の距離の二倍に当っている。その距離の差を短縮するには軍の移動速度を速くするしか勝つ道はなかったのである。(536頁)

 武田信玄が旗印に掲げていたと言われる風・林・火・山から成る四部作の第一巻は、長尾景虎の登場をもって終わる。この後の巻で展開されるであろう川中島の戦いへの期待を持たせる演出と言えそうだ。

【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)
【第814回】『孤高の人(上)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第816回】『孤高の人(下)』(新田次郎、新潮社、1973年)

2018年11月23日金曜日

【第905回】『空飛ぶタイヤ』(池井戸潤、講談社、2009年)


 本作がノンフィクションでないことを頭では理解している。しかし、どうしても2000年代前半に起きた三菱自動車・三菱ふそうのリコール隠しおよび事故を想起してしまう。(三菱関連のみなさま、ごめんなさい)

 硬直化した組織(組織は本来的にいくらか硬直したものである)で生きる人々にとって、時に反発をおぼえながらも概ね共感しながら読み進めてしまう。その度合いが激しい企業組織において、救いがなく腐敗するマリオネットのような人々を描く著者の筆致の巧みさにはいつもながら感心する。

 たとえば、主人公である運送会社社長が自動車メーカーに事故原因再調査を試みたシーンの描写がその典型例であろう。

「財閥ってのは、不思議な響きだよな。なんだかそれだけで偉いような気がしちまう。貴族っぽく聞こえるわけだ。それに引き替え、こっちは町人だ。町人が貴族に意見するというのも何だが、そういうイメージにとらわれて、相手の実態がどうかなんてことはお留守になってた気がする」(上・86~87頁)

 反対に、そうした組織の中で意志を持って抵抗しようとする人々も描かれるのが著者の作品の救いのある特徴と言えよう。出る杭が打たれる組織の中で、彼(女)らが意志を貫くかどうか、周囲からのプレッシャーや甘言に揺らぎながら、人生をすすめていく様の描写にはリアリティを感じる。

 意志ある人々が不遇を囲い、苦しい展開が続くのは池井戸作品のお家芸だと認識している。最後に「倍返し」があることを予測しながらも、読んでいて苦しくなってくる。だからこそ「倍返し」以降の爽快感は増すのであろう

 なだらかな海面がぐんとせり上がってくる、そんな感情の高ぶりが赤松を包み込んだ。その波は現実世界から精神的な高みにまで盛り上がってなだれ落ち、赤松を歓喜の底へと沈める。(下・370頁)

 大団円へと向かう怒涛のような最後の展開に、きれいな直喩の存在することで文章が立体的になっている。こうしたスパイスを味わえるのが、小説を読むことの効用の一つなのかもしれない。

【第651回】『下町ロケット』(池井戸潤、小学館、2013年)
【第504回】『オレたちバブル入行組』(池井戸潤、文藝春秋、2004年)
【第505回】『オレたち花のバブル組』(池井戸潤、文藝春秋、2008年)

2018年11月18日日曜日

【第904回】『ティール組織』(フレデリック・ラルー、鈴木立哉訳、英治出版、2018年)


 学部で人事・組織・キャリアといった領域を学び始めた頃、組織論においてはフラット型組織が流行していた。コンサルティングファームにおけるアップ・オア・アウトの昇進構造と少ないレイヤーによるポスト管理は理解しやすく、合理的な組織論だと感じていた。余談になるが、当時は、日韓W杯で日本代表がフラット・スリーという形式でディフェンスのライン管理を行っており、「フラット」という言葉が流行っていた時代のようだ。

 フラット型組織がいかに有効な組織形態であったとしても、すべての業界やビジネス状態で適用可能なものではない。それにも関わらず、フラット型組織を理想的な組織構造として捉え、階層を減らす、ポストを少なくする、といったことに汲々としていた企業も少なくなかったように思う。

 いまだに輸入学問を無批判に是として活用したい欲求が強い日本においては、普遍的に理想的な組織構造を標榜する傾向があるのではないか。「ティール組織」と銘打った本書がビジネス書としてはベストセラーになっている動きにも同じような危険性を感じる。

 誤解がないように書くと、本書で提唱されている考え方は興味深く、示唆的な内容であると言える。人間の認識形態のパラダイムに対応して、衝動型、順応型、達成型、多元型を経て進化型(ティール)といった組織形態の発達を論じている点は理解できる。

 また、組織の様々な発達段階に優劣があるわけではないという抑制の利いた筆致も快い。「どのパラダイムも前のパラダイムを内包し、それを超えている。」(66頁)という表現は、ティールが現代および今後のパラダイムに適合的であることを示しながらも従来のパラダイムを否定するわけではない。

 私が気持ち悪く思うのは、日本語版の題名を「ティール組織」とした出版に携わったステイクホルダーの意図である。

 原題は「Reinventing Organization」であり、サブタイトルは「A Guide to Creating Organizations Inspired by the Next Stage of Human Consciousness」だ。理想的な組織論を提示するのではなく、組織を動態的で有機的なものとみなし、人間の認識段階に応じていかに組織を再創造するか、という意味合いと理解できる。つまり、人間が主語であり、組織は従属的なものに過ぎない。

 翻って、これを「ティール組織」と銘打つと印象は全く逆になる。あるべきスタティックな組織が存在し、人間は取り替え可能な機械のようにも捉えられる。組織論を前面に押し出した背景には、本書をもとにコンサルをしたい商業主義というステイクホルダーの裏の意図すら感じる。原著者の人間観や組織観と矛盾していると捉えるのは言い過ぎであろうか。

【第851回】『人事管理ー人と企業、ともに活きるために』(平野光俊・江夏幾多郎、有斐閣、2018年)
【第229回】『日本型人事管理』(平野光俊、中央経済社、2006年)

2018年11月17日土曜日

【第903回】『バリアバリュー』(垣内俊哉、新潮社、2016年)


 著者は、平成生まれの、先天的な障がいを持つ、創業社長である。事実を淡々と記すだけでこれほど目立つ形容になるということは、著者本人が好むと好まざると、周囲の注目を常に受けて生きていることは、想像に難くない。

 それを好機と捉えればもちろん良いのであろうが、それほど人間というものはよくできたものではないものであろう。注目されるということは、言われのないバッシングを受けることと表裏一体である。

 こうした環境にも関わらず、三十路にも至らない著者の、いい意味で老成した生き様が本書では描かれている。理念を狂信的に唱えるのでもなく、先天的な障がいを持つ運命を呪うでもなく、飾らない自然体のあり方が随所に現れている。

 たとえば、自分自身の障がいを形容した冒頭の文章を読んでほしい。

 私は、骨が弱くて折れやすいという魔法にかけられて生きてきました。(2頁)

 この文を最初に読み、安心感をおぼえた。肩に力が入るのではなく、スポ根のような根性物語でもなく、自然体としてのリーダーである。その行動原理として、いかに障がいと向き合い、活用するかについて、著者の葛藤を消化した考え方が端的に述べられている。

 障害を無理に克服しようと思うだけではなく、そこに「価値」や「強み」が隠れていると信じて、向き合ってみてはいかがでしょうか。(4頁)

 五木寛之さんの『他力』にもあるように、仏教では、「諦める」の元々の意味を「明らかに究める」として肯定的に捉える。この著者の言葉にも、仏教の「諦める」のような人生に新たな価値を見出そうとするような強い意志を感じる。実際、諦めるという言葉を積極的に見出そうとする文章が後で現れる。

 長年の夢を諦めるというのに、さほど挫折感はありませんでした。自分でも不思議でしたが、リハビリを最後の最後までやり切ったという想いがあったからではないかと思います。(54頁)

 海老原嗣生さんがクランボルツのキャリア論を解説する『クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方』で提唱する「夢の代謝」を彷彿とさせる。海老原さんの言葉を借りれば、好奇心→冒険→楽観→持続→柔軟のステップのうち、特に納得するまで持続し続けて、結果を踏まえて柔軟に対応するということが著者の明らかな究めなのではないか。

【第605回】『人生の折り返し地点で、僕は少しだけ世界を変えたいと思った。』(水野達男、英治出版、2016年)
【第19回】『ザッポス伝説』(トニー・シェイ著、ダイヤモンド社、2010年)

2018年11月11日日曜日

【第902回】『コンテンツの秘密』(川上量生、NHK出版、2015年)


 ドワンゴを設立し、当初は着メロでビジネスを進展させ、2000年代半ばにはニコニコ動画の運営にまで携わった著者。現在は、同社の会長を務めながら、スタジオジブリのプロデューサー「見習い」というユニークなキャリアを持つ方である。

 媒体ビジネスを経て、コンテンツビジネスに携わる著者だからこそ、コンテンツについて語る言葉にハッとさせられる。

 まずコンテンツにおける情報量という概念を、主観的情報量と客観的情報量とに分けて考えることの重要性を指摘する。主観的情報量とは「人間の脳が認識している情報の量」(50頁)であり、客観的情報量とは「客観的基準で測れる情報の量」(50頁)としている。

 私たちの多くは、情報という言葉に対して客観的なイメージを持つ。あえて主観的情報量という言い方をしているところからもわかるように、著者は、主観的情報量の使い方が重要であるとしている。

 むしろ人間が現実を学ぶ教材として、現実の代替を務めるのがコンテンツであると考えるなら、少ない客観的情報で多くの主観的情報を提供するのがコンテンツであるということになるのではないでしょうか。(69頁)

 「情報が多すぎてごちゃごちゃしている」と否定的に捉えられるコンテンツは、客観的情報が多すぎるのであろう。他方で、情報が複層的で立体的に形成されていると言われる場合には、多様な主観的情報を統合的に形成できているのであろう。

 著者は、映画をはじめとした視覚的なコンテンツを対象にして述べているが、おそらくは活字のコンテンツ、つまりは小説やノンフィクションについても同様なのではないか。登場人物が多すぎてメッセージが伝わりづらい作品がある一方で、人物は少ないが関係性が複雑で様々な登場人物に感情移入できる作品もある。

 どのようなジャンルであれ、表現する以上は、主観的情報に注意したいものだ。

【第234回】『モバイルミュージアム 行動する博物館』(西野嘉章、平凡社、2012年)
【第161回】『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』(長谷川祐子、集英社、2013年)

2018年11月10日土曜日

【第901回】『組織開発の探究』(中原淳・中村和彦、ダイヤモンド社、2018年)


 本書を読む前、組織開発という概念には食傷気味だった。数年前に広義の組織開発の手法に依る活動を集中的に行っていた。よかったのだとは思う、特定の個人にとっては。しかし、組織にとって、会社にとって、効果があったのかと問われれば、残念ながら肯定する気にはなれず、企画・運営側の自己満足ではないかという感があった。

 また、「組織開発を志す人々が党派に分かれ、対話を失わせている実態こそが、組織開発の健全な発展を妨げて行くものだ」(63頁)と指摘されている状況にもうんざりしていた。「○○が正しく、□□は誤っている。」とか「〇〇を信じない人間は信じない。」といった言説構造は、端から見ていれば内ゲバ争いに他ならない。そのため、組織開発に対してどこか冷めた目で眺めるようになってきていた。

 しかし、組織開発の歴史的経緯と今後の可能性に対して真摯に向き合おうとする本書を読み、組織開発に改めて取り組み直したいと心の底から思えた。とりわけ「人材開発、リーダーシップ開発……そして組織開発は、理論的には同じルーツを持っている」(6頁)という箇所から、組織開発を毛嫌いする無意味さを理解し、反省させられた。

 学びの多い本書をまとめるのは難しい。ここでは、特に興味深いと感じた、組織開発の理論的な背景と、それを踏まえた実践的な簡潔かつ明瞭なステップについて焦点を当てたい。

 まず、理論的な背景についてであるが、組織開発の3層モデルを見ていただきたい。


 実務家としては、組織開発の手法にどうしても目が向いてしまうが、重要なのは、そうした手法がどのような背景を持っているかである。なぜなら、手法の底流に流れるものが、手法に影響を与えるからである。実施者がその背景に自覚的であろうと無自覚であろうとも、関係はないだろう。

 手法の直接的な背景として、集団精神療法の方法論があり、その考え方の基盤には哲学がある。ここでは、図中の第1層を成す哲学的基盤に焦点を当てる。


 下手の横好きで哲学を好む身としては、組織開発の基盤として、フッサール、デューイ、フロイトが出てくるのは堪らない。デューイは経験からの学習という点、フッサールは経験の意識化という点、そしてフロイトは無意識の意識化という点で、組織開発の基盤となる考え方に影響を与えたという。

 デューイとフロイトについては、個人的には想像が付きやすいが、その両者を繋ぐ存在として現象学で有名なフッサールが描かれているのが興味深い。現象学という、決して理解したとは言えない難解な思想に対して、エポケーをはじめとした概念装置に魅了された身としては、組織開発の基底を成す考え方の一つとして取り上げられると嬉しいものである。

 次に、実践的な組織開発の3ステップについて。41頁の図表4にある端的かつ簡潔に描かれたモデル図を見ていただきたい。


 見える化のステップで重要なことは、潜在的な問題を顕在化させることが見える化であり、誰もが認識している問題を図やチャートにすることではない。きれいな図やモデルにすることを見える化と捉えがちだが、現場に存在する有象無象な潜在的問題を可視化することが求められるのである。

 ガチ対話のステップでは、何かを決めたり判断するのではなく、お互いの意見や考えの相違を明らかにする。そのためには、腹を括ってお互いが真剣に対話することが求められる。

 ガチ対話を経て発散的にアイディアが出て、お互いの意見の背景となる考えを理解しあった後で収束する。これが未来づくりである。組織としてまとめるために未来におけるビジョンを共同して創り分有するということであろう。

 実務においては、組織開発の3層モデルでその基底に流れる背景(Why)を念頭に置きながら、組織開発の3ステップを基にワークショップを設計(What)したいものである。

【第559回】『入門 組織開発』(中村和彦、光文社、2015年)
【第209回】労働政策研究・研修機構「特集 人材育成とキャリア開発」『日本労働研究雑誌』Oct. 2013 No. 639
【第862回】『研修開発入門「研修転移」の理論と実践』(中原淳・島村公俊・鈴木英智佳・関根雅泰、ダイヤモンド社、2018年)
【第113回】『経営学習論』(中原淳、東京大学出版会、2012年)
【第641回】『職場学習論』(中原淳、東京大学出版会、2010年)
【第292回】『探究Ⅱ』(柄谷行人、講談社、1989年)

2018年11月4日日曜日

【第900回】『同日同刻』(山田風太郎、筑摩書房、2006年)


 歴史小説や歴史を扱ったノンフィクションでは、多くの場合は、一つの観点や一人の視点で描かれる。ために、登場する人物たちがどのように関わり合ったのかが主観的になってしまったり、よく描かれなかったりしてしまう。

 本書では、あの戦争の開戦当日と、終戦直前の数日間に焦点を当て、日米を中心に関係者が同じタイミングで何をどのように行なったのかが並行して記述されている。複眼的かつ立体的に、なぜあの戦争が起こり、どのように集結に至ったのかを理解することができるだろう。

 こうした描き方を著者はどのような理由で採用したのか。「まえがき」で端的に以下のように記している。

 同日、できれば同刻の出来事を対照することによって、戦争の悲劇、運命の怖ろしさ、人間の愚かしさはいっそう明らかに浮かびあがるのではなかろうか、と考えた。(3頁)

 著者の想いに溢れた筆致によって、戦争の負の側面が、切実に描かれている。とりわけ、「運命の恐ろしさ」が現れていたのは、ドイツとソ連との闘いと、真珠湾攻撃のタイミングの奇妙なる符号である。

 日本の八日午前五時は、モスクワでは七日午後十一時である。すなわちモスクワ前面の戦線では十二月七日最後の一時間に入ろうとしていた。そしてその日こそ、ソ連軍の猛反撃と零下三十度を超える極寒に耐えかねて、ドイツ軍がついにモスクワ戦線から吹雪の中で総退却を開始した運命の日なのであった。(47頁)

 日本軍によるパールハーバーの奇襲が成功した直後のタイミングで、ドイツ軍がソ連からの退却を開始する。運命の皮肉と見るか、日本の当時の首脳陣による大局観の欠乏と見るか。歴史の恐ろしさが凝縮された箇所である。

【第888回】『日本のいちばん長い日 決定版』(半藤一利、文藝春秋社、2006年)
【第46回】『昭和史1926−1945』(半藤一利、平凡社、2009年)

2018年11月3日土曜日

【第899回】『伴走者』(浅生鴨、講談社、2018年)


 伴走者とは「伴に走る者」である。パラスポーツに焦点を当てた本作は、全盲の方が競技を行うマラソンとスキーの二編から成る。

 「伴走者」が行うことは、パラアスリートの目の替わりをすることであり、それ以上でも以下でもない。伴に走り、伴に共通の目的に向かう、パートナーなのである。良かれと思った行動であっても、そこから逸脱したものは「ありがた迷惑」であり、相手を尊重しない行動と受け取られる。

 伴走者。それは誰かを助けるのではなく、その誰かと共にあろうとする者、互いを信じ、世界を共にしようと願う者だ。(246頁)

 相手が何ができて、何ができないのかを理解しようとし、できることを伸ばすことを支援し、できないことを補おうと支援すること。そうした意識と行為をお互いに依存し合いながらすることが信頼関係と呼ぶものなのではないか。

 では、「ありがた迷惑」にならないように支援するためにはどうすればいいのか。

 心理学者の大家であるエドガー・シャインは『人を助けるとはどういうことか』で、支援関係の原則の一つ目として「与える側も受け入れる側も用意ができているとき、効果的な支援が生じる。」(235頁)と述べている。相互にそうした支援を行い合えることが、伴走者のみならず、あらゆる人間関係にとって効果的な支援となるのであろう。

 支援や信頼について考えさせられる一冊である。

【第782回】『職業としての小説家』(村上春樹、スイッチ・パブリッシング、2015年)
【第165回】『走ることについて語るときに僕の語ること』 (村上春樹、文藝春秋社、2007年)