1945年8月14日から15日にかけての、終戦をめぐる日本の権力中枢機構における意思決定過程に焦点を当てたノンフィクション。著者が丹念に調べた事実を基にして、迫真のドラマが紙上に展開される。とりわけ、陸軍の近衛師団の一部によるクーデター未遂の場面は、息が詰まるような思いで、読んでいるこちらにも緊張感が伝わるようだ。
重大問題には閣僚に飽きるほど機会をあたえ思いのこりのないまでに発言させ、自分は意見をいわず聞えるのか聞えないのか耳を傾けている。そうやって最後のときと感じられるまでじっと堪えている。疾風怒濤の分秒にあって、春風駘蕩の、別の眼でみれば一本土性骨のとおった首相のあり方こそ、よく大任をはたすに最適であったのです。(136~137頁)
本書を通じて、鈴木貫太郎の春風駘蕩型のリーダーシップとでも言えそうな首相のありようには感服させられる。あの戦争を終えるという意思決定には、生命のリスクがあり、実際に鈴木の暗殺を画策するテロ未遂の様子も描かれている。
自らイニシアティヴをとって大きな決断をするためには独断専行型のリーダーシップが想起されやすい。政治の世界で言えば、田中角栄や小泉純一郎のようなリーダーが典型的な例であろう。しかし、本書で描かれる鈴木のリーダーシップから私たちが学ばぶものは多いのではないだろうか。
日本中に待つだけの時間がおとずれた。児玉、厚木の両基地でも、搭乗員、整備員らがすべて集められ、正午の放送を待っていた。滑走路のコンクリートが照りつける陽光を反射して、むれかえるようである。児玉基地の野中少将は熊谷市が劫火につつまれるのを眼のあたりにして、自分たちの努力のなお足らざるに歯ぎしりし、それゆえに、今日の放送はいっそうの奮励努力を天皇がいわれるのであろうと考えていた。(332頁)
玉音放送直前の静謐な様子が端的に表されている。読んでいるこちらも襟を正し、固唾を吞むような気持ちになってくる。
このような瞬間が、今後、私たちの身の回りに起こらないように、努力し続ける必要があるだろう。それこそが、歴史を学ぶ意義の大きな一つではないだろうか。
【第866回】『ノモンハンの夏』(半藤一利、文藝春秋社、2001年)
【第46回】『昭和史1926−1945』(半藤一利、平凡社、2009年)
【第47回】『昭和史1945−1989』(半藤一利、平凡社、2009年)
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