ノモンハン事件はなぜ起きたのか。なぜあれほどの損害を招いたのか。あの失敗を陸軍はどのように活かしたのか。本書はこうした問いに対して、絶望的な回答を納得的に与えてくれる。しかし、後世を生きる私たちにとっては学びとなる内容であり、繰り返してはならない教訓である。
こうして外側のものを、純粋性をみだすからと徹底して排除した。外からの情報、問題提起、アイデアが作戦課にじかにつながることはまずなかった。つまり、組織はつねに進化しそのために学ばねばならない、という近代主義とは無縁のところなのである。作戦課はつねにわが決定を唯一の正道としてわが道を邁進した。(15頁)
陸軍のエリート集団である中央の作戦課の描写である。現場を見ず、思考によって得られる抽象化された概念だけで主張を紡ぎ出す。抽象化されたものをそのまま具体案に落とすため、自分たちにとって都合の良い独りよがりなアイディアとなり、それは往々にして現実と乖離する。
会議では「過激な」「いさぎよい」主張が大勢を占め、「臆病」とか「卑怯」というレッテルを貼られることをもっとも恐れる。(175頁)
具体ではなく抽象を好むコミュニケーションにおいては、現実にどう適応するかではなく、その場での雰囲気や勢いのみが求められるのであろう。その結果、内輪でのコミュニケーションにおいては、同質性の中での程度を競うくだらない不毛な議論となる。では、こうした「エリート」がどのように育ったのか。
「畢竟、陸軍の教育があまりに主観的にして、客観的に物を観んとせず、元来幼年学校の教育がすこぶる偏しある結果にして、これドイツ流の教育の結果にして、手段をえらばず独断専行をはき違えたる教育の結果にほかならず、……」
天皇の、正しくかつ厳しい陸軍批判である。陸軍大将である畑がはたしてどんな想いで聞いたことであろうか。(250頁)
昭和天皇による痛烈な批判がどこか心地よくすらある。
対して、ノモンハンで対峙した相手国であるソ連の首脳のノモンハンに対する捉え方は現実的であり、大局を捉えたものである。
どう変化するかわからないヨーロッパ情勢を目の前にして、ソ連の運命のかけられているような不気味な瞬間はいぜんとしてつづいている。そのようなときに、アジアで全面戦争が起るようなことがあれば……国際問題における政治技術というものは、敵の数を減らすことであり、昨日の敵をよき隣人に変えることである、とスターリンはそんなことを考え、苦虫を噛みつぶしたような表情のまま、廊下の往復をつづけていた。(419頁)
変化を所与のものとし、各ステイクホルダーの立場に立って考えを客観的に整理し、自身の打ち手を考える。自身の現在の考えに固執せず、意見を変えることにも躊躇せず、決定したら速やかに行動に移す。彼我の戦力差もあるが、戦略に対する捉え方の差もあまりに大きく、当時の日本陸軍がソ連に負けたのは必然なのであろう。
【第46回】『昭和史1926−1945』(半藤一利、平凡社、2009年)
【第611回】『昭和陸軍全史1 満州事変』(川田稔、講談社、2014年)
【第244回】『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一ら、ダイヤモンド社、1984年)
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