2013年2月24日日曜日

【第140回】『状況に埋め込まれた学習』(J・レイヴ+E・ウェンガー、産業図書、1993年)


 中原先生の編著による『企業内人材育成入門』が2006年の出版であることを考えると、正統的周辺参加という考え方に興味を抱いてからしばらく過ぎたことになる。レイヴとウェンガーの考え方に強く惹かれながらも、修士時代にざっくりと目を通したことを除けば、じっくりと読むのは今回が初めてとなった。

 教育とはなにか、学習とはなにか。こうした根源的な問いに対して、現代でも支配的な近代的アプローチに対するアンチテーゼをここまで見事に展開している書物というのはなかなかないのではないだろうか。こどもの教育・学習といった領域はスコープ外であるという前提を著者たちは強調しているが、少なくともおとなの教育・学習を検討する上で示唆に富んだ良書である。

 そもそも著者たちが主張する正統的周辺参加なる概念はなにを含意しているのか。字義通り解釈するためには正当性と周辺性という二つに分けて考える必要があるだろう。

 まず正統性について。ここでの正統性とはある組織やコミュニティへの参加の正統性を指す。ある組織に所属するということは、その組織に求められるコンテンツやコンテクストを学習することを伴う。したがって、参加の正統性のあり方が学習のあり方を規定することは理解し易いだろう。

 次に、周辺性についてであるが、これは中心性と対を為す概念である。したがって、組織に参加する場面においては、唯一のものではなく、複数の多様な関わり合いが存在することを示唆している。したがって、正統的周辺参加とは、静態的ではなく動態的に組織に参加することを意味する。それに伴って、参加者が永続的な学習を行い、その結果としてアイデンティティ変容が折りに触れて行われる学習観であると言えるだろう。

 このような学習観から考えれば、全員が同じアプローチで学ぶという従来の学習スタイルではなく、一人ひとりが異なるアプローチで学ぶという学習スタイルが求められる。むろん、全員が同じアプローチで学ぶという従来の学習スタイルが望ましくないということを著者たちが提示していると解釈するのは誤読であろう。組織として守るべきルールや、社会的道義上守るべき最低限の基準といったものは、各成員が墨守することが求められるため、従来の学習スタイルで学ぶことの効率性や効果は高い。

 しかし、組織内外の環境変化が激しく、仕事のありようの変化が激しい環境においては、正統的周辺参加による学習の効果が高い。そうした場合においては、従来の学習スタイルではなく、一人ひとりに応じたいわばオーダーメイド型の学習スタイルが求められる。環境も自分自身も変化し得るわけであるから、その最適解は変化し続けることになる。すなわち、変化に対応し続ける限り、学習の主体は自分自身になる。その結果、一人ひとりが自分独自の学習カリキュラムを編成し、周囲からの学習支援を自ら引き出していくことが必要になるだろう。さらに、ある時点での最適解が永続するわけではないために、カリキュラムは随時更新することになるだろう。

 常に学習しなければならない、常に学習カリキュラムをチェックして自分で創らなければならない、と悲観的に考える必要はない。悲観的に捉えてしまうのは、学習とは他者が与えるものであり、唯一の正解に向けて努力する必要がある、という従来の学習スタイルのパラダイムが為す考え方にすぎない。学習とは社会的実践の文脈に根ざした作用であり、「今からは学習の時間」といったように社会的作用から外れた文脈で捉えるべきではない。むしろ、何かをする時には学習が必然的に伴う、というのが正統的周辺参加の学習観に近いと言えるだろう。したがって、実践と学習とを渾然一体として捉え、実践によって学習を引き出しながら、学習によって実践への応用を利かせようとする、という柔軟な態度が重要であろう。なにより、このように学習を考えることは、私たちの思考や行動を外界に対してオープンにし、清々しい気持ちになるように思える。

2013年2月23日土曜日

【第139回】“How will you measure your life?”, Clayton M. Christensen


He says that he doesn’t have an answer to the students and clients who questioned to him. He only answers right theories which may match the questions, because the theories are helpful for them to think deeply and contemplate.

In my opinion, this is the best attitude of teachers and consultants to do with the problems by students and clients. It is better for them to face problems by themselves not by teachers and consultants.

In this book, he is adapting many theories into real business and life.

At first, let’s begin with about motivation.

Citing Herzberg’s theory about work motivation, he suggests that we should keep on looking for opportunities which we believe are meaningful in order to find happiness. In order for us to find good opportunities, we have to learn new things constantly. Doing so makes our motivation higher and higher.

Second is about strategy.

As Mintzberg says, there are two types of building strategy. The first source of option is anticipated opportunities, which we can see and choose to pursue. The second source of option is unanticipated opportunities, which emerges while we are trying to implement the deliberate plan or strategy that we have decided upon. Considering today’s changing environment, what’s more important is to get out of peaceful and static place and try stuff until we find out our hidden talents, interests, and priorities.

Third is about high-achieving.

Of course, being high performance in our business is admirable thing. But we have to care about the risk of this. The danger for high-achieving people is that they’ll unconsciously allocate their resources to activities that yield the most immediate, tangible accomplishments. So, we have to care about too focusing on outer motivation.

Fourth is about outsourcing.

He suggests that we shouldn’t outsource our capabilities and job opportunities. In order for us not do so, not only we should take a dynamic view of our suppliers’ capabilities, but also we should figure out what capabilities we will need to succeed in the future. One of the points is dynamic view, because we tend to have static view about capabilities of our own and others. And the other point is future capabilities, because we sometimes see only current market condition.

2013年2月16日土曜日

【第138回】『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)【2回目】


 論語は繰り返して読みたい書物である。前回読んでから約半年が経ったので、読み直してみた。再読する際にはいつもそうであるが、改めて気づかされることがある。とりわけ、今回は自身の現在の職務に惹き付けての気づきが多かった。そこで、三点に絞って、引用しながら所感を記していきたい。

 第一に、対象に応じた教育のあり方について。

「中人以上には、以て上を語ぐべきなり。中人以下には、以て上を語ぐべからずなり。」(雍也第六・二一)

 相手の能力に応じて、なにを教えるかを変えるべきである、ということである。一見して自明のことのように思えるが、背景も含めて考えると極めて重たい言葉である。なぜなら、相手に応じて教えることを変えるためには、相手の能力について事前に観察して認識しておかなければならない。能力じたいを認識できるようにするためには、その職務においてにおいて求められるあるべき能力を持っていなければならない。

 そしてなにより、人間の能力を静的に捉えて決めつけるのではなく、発展可能性を踏まえた上でストレッチさせるしかけを設けることが大事である。ピグマリオン効果を俟つまでもなく、教育する主体が客体の可能性を信じる有り様が、教育効果に影響を与えるのである。こうした前提を含意した上で、いかにして相手に応じて教育のあり方やコンテンツを変えるかと考えることは、考え過ぎることがないほど重要な点であると言えるだろう。

 第二に、自戒を込めて自分自身に言い聞かせたいことである。

「速かならんと欲すること毋かれ。小利を見ること毋かれ。速かならんと欲すれば則ち達せず。小利を見れば則ち大事成らず。」(子路第十三・一七)

 外聞に捉われることの危険性を示唆しているように思える。客観的に把握でき、進展が見え易いものほど、他者が真似をし易いものであり、長期的な競争優位性を持ち得づらいものである。学歴、資格、語学といったものはその典型であろう。こうしたものが大事であることに間違いはないだろうが、それを活かしてどのように職務や生活に結びつけて、特定の具体的な他者への付加価値へと繋げられるか。そうしたことを地道に意識し続け、工夫をし続けることが、キャリアをすすめるということなのではないだろうか。

 さらに、そうした長い道のりの中では、自身の目標どおりにことが進むということは希有であろう。むしろ、ベストを尽くしていく中での失敗や想定外の事態に対して、それをしっかりと受け止めていかに糧にするか。そうした変化への準備や意味付けといったことが現代の私たちには求められているように思える。

 第三に、新入社員フォローアップ研修や新人研修を企画している今の時期ならではのメッセージとして。

「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。」(衛霊公第一五・三〇)

 失敗することが過ちなのではない。失敗してそれを改めないことが過ちなのである。失敗を通じて学ぶと一口に言うが、こうしたことをメッセージとして言う上で、孔子のこの言葉は極めて重たい。なにより、新入社員に対して発するメッセージであるとともに、翻ってブーメランのように自分自身に帰ってくる、噛み締めるべき言葉である。

2013年2月9日土曜日

【第137回】『学問のすすめ』(福澤諭吉)


 克己苦学した者ゆえであろうか、福澤は学ばない者に対して厳しい言葉を随所で投げ掛けている。賢人と愚人との差はうまれつきではない。学ぶと学ばないことによってそうした差は生まれる、というのである。

 むろん、今日の社会学、教育学、心理学等の知見からすれば、生まれた際の所与の環境が人に与える学習に対する影響は大きいと言わざるを得ないだろう。しかし、良質な学習コンテンツが用意され、学び始めるタイミングの多様性もある現代において、福澤の言葉は今一度大事にしたい考え方であると受け止めたい。学ぼうと思えば学べる機会の多い現在の日本において、学ばない理由が自分自身にある比率は、当時と比べて明らかに大きいのであるから。

 では、どのように学ぶか。

 文字を読めることは必要条件であるが、本を読むことだけでは学問と呼べないという。むろん、書物を通じて新しい知見を得たり、自身の経験を言語化することは重要であろう。しかし、知識見聞を開くためには、書物を読みながら、他者のアドバイスを受け容れ、自ら工夫を施すことを常に心がけることである、としている。

 したがって、彼は教育の場を設ける際に実学を重んじるのである。なにも実践的な知識を学ぶというコンテンツに対する示唆ではないだろう。知識をもとに、他者と対話を行い、生活や職業の中で実践できるようにする。すなわち、学習と実践という相互交渉が生じるような環境を実学として重視しているのだと考えられる。

 では、なぜ学ぶのか。

 最初に記した通り、個々人にとってのメリットがあるということはあるだろう。しかしそれは同時に、国民一人ひとりが才徳を高くすることで、政府の暴走をコントロールすることができる、という意図が福澤にはあるようだ。さらには、そうした政府をコントロールする気概があればこそ、他国から独立できるという気概へとつながるとする。日本が独立国として必ずしも当たり前に存在できる状況でなかった当時の情勢を考えれば、福澤の切迫感が伝わってくるような筆致である。そして、こうした福澤の気概は、国家を超えた経済の相互依存性が高まっている現代においても、通底する考え方であると言えるのではないだろうか。

2013年2月2日土曜日

【第136回】“Structured On-The-Job Training”, Ronald L Jacobs


On-The-Job Training is very famous here in Japanese companies as OJT. Most of Japanese traditional makers put emphasis on OJT at especially their factories. But OJT was sometimes used as an excuse when senior colleagues didn’t have enough time to train younger staffs. They tend to say that “Look! Do it by yourself, as I do.” Considering about this trend, some professionals have regarded OJT as a bad habitat in company.

This author has a different attitude to this trend. He distinguishes Do-It-Yourself OJT (old type OJT) from new one. He called the latter one Structured OJT. Why he put emphasis on OJT was based on the implications by Carnevale and Gainer. They suggested that 80 to 90 percent of an employee’s job and knowledge would probably be learned through. OJT is still important for many employees, as we like it or not.

When we introduce Structured OJT into our business, the author suggests that there are five factors for us to considere, the nature of the work, the resources available, constraints in the work setting, financial considerations, and individual differences. Key points of these factors are as below;

  1. the nature of the work ; immediacy, frequency, difficulty, consequences of error
  2. the resources available ; people, time for training, equipment, tools, data
  3. constraints in the work setting ; training location, work distractions
  4. financial considerations ; number of trainees, predicted financial benefits
  5. individual differences ; trainee prerequisites, trainee preferences, cultural differences

Considering about latest studies in area of Organizational Behaviors, there have been a new key word Work Place Learning (WPL). Though the target of the word is similar to one of Structured OJT, there is a big difference, training and learning. According to many scholars, training is the external information that is presented to individuals for them to respond to. On the other hand, learning is the internal process by which the individuals change as a result of the information they take in.

In my opinion, there will be more possibility to use learning in current business scene. Because of rapid changing business conditions, there will be less rigid knowledge and information which employees should get, but more flexible attitude to continue to study for a long time by themselves. Though I don’t know which is better to use OJT or WPL, but it is important for us to have a viewpoint of changing ourselves in and out of our companies.