2013年2月16日土曜日

【第138回】『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)【2回目】


 論語は繰り返して読みたい書物である。前回読んでから約半年が経ったので、読み直してみた。再読する際にはいつもそうであるが、改めて気づかされることがある。とりわけ、今回は自身の現在の職務に惹き付けての気づきが多かった。そこで、三点に絞って、引用しながら所感を記していきたい。

 第一に、対象に応じた教育のあり方について。

「中人以上には、以て上を語ぐべきなり。中人以下には、以て上を語ぐべからずなり。」(雍也第六・二一)

 相手の能力に応じて、なにを教えるかを変えるべきである、ということである。一見して自明のことのように思えるが、背景も含めて考えると極めて重たい言葉である。なぜなら、相手に応じて教えることを変えるためには、相手の能力について事前に観察して認識しておかなければならない。能力じたいを認識できるようにするためには、その職務においてにおいて求められるあるべき能力を持っていなければならない。

 そしてなにより、人間の能力を静的に捉えて決めつけるのではなく、発展可能性を踏まえた上でストレッチさせるしかけを設けることが大事である。ピグマリオン効果を俟つまでもなく、教育する主体が客体の可能性を信じる有り様が、教育効果に影響を与えるのである。こうした前提を含意した上で、いかにして相手に応じて教育のあり方やコンテンツを変えるかと考えることは、考え過ぎることがないほど重要な点であると言えるだろう。

 第二に、自戒を込めて自分自身に言い聞かせたいことである。

「速かならんと欲すること毋かれ。小利を見ること毋かれ。速かならんと欲すれば則ち達せず。小利を見れば則ち大事成らず。」(子路第十三・一七)

 外聞に捉われることの危険性を示唆しているように思える。客観的に把握でき、進展が見え易いものほど、他者が真似をし易いものであり、長期的な競争優位性を持ち得づらいものである。学歴、資格、語学といったものはその典型であろう。こうしたものが大事であることに間違いはないだろうが、それを活かしてどのように職務や生活に結びつけて、特定の具体的な他者への付加価値へと繋げられるか。そうしたことを地道に意識し続け、工夫をし続けることが、キャリアをすすめるということなのではないだろうか。

 さらに、そうした長い道のりの中では、自身の目標どおりにことが進むということは希有であろう。むしろ、ベストを尽くしていく中での失敗や想定外の事態に対して、それをしっかりと受け止めていかに糧にするか。そうした変化への準備や意味付けといったことが現代の私たちには求められているように思える。

 第三に、新入社員フォローアップ研修や新人研修を企画している今の時期ならではのメッセージとして。

「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。」(衛霊公第一五・三〇)

 失敗することが過ちなのではない。失敗してそれを改めないことが過ちなのである。失敗を通じて学ぶと一口に言うが、こうしたことをメッセージとして言う上で、孔子のこの言葉は極めて重たい。なにより、新入社員に対して発するメッセージであるとともに、翻ってブーメランのように自分自身に帰ってくる、噛み締めるべき言葉である。

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