2014年11月30日日曜日

【第382回】『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹、哲学書房、2002年

 下手の横好きで、哲学書を読むことがよくある。むろん、途中で力尽きて理解することを断念するものもある。そうしたもののうちの一冊が『論理哲学論考』(以下『論考』)だ。本書は、『論考』の流れに沿って著者が解説を試みる入門書である。ために、私のような「挫折組」にとっても適したガイドブックである。

 優れたガイドブックであるとはいえ、正直に白状すれば、読み終えた今の段階において詳らかにウィトゲンシュタインを理解したとは言える状況ではない。私が把捉した範囲において、ポイントを振り返りながら以下から見ていきたい。

 いま確認されたことは次の二点である。(1)思考可能性の限界を思考によって画定することはできない。他方、(2)言語の有意味性の限界ならば画定可能である。(21

 思考できる領域と思考できない領域との境界を、思考によって画定することはできない。抽象化すれば、Aの範囲と非Aの範囲をAによって画定することはできない、ということである。やや飛躍するが、日本の領土と日本でない領土とを、日本が(単独で)画定することができない、と考えれば、何となく理解できるだろう。その上でウィトゲンシュタインは、言語の有意味性の限界については画定可能であるとしていることに私たちは注目するべきであろう。これがあの有名な「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」へと通じるのである。では言語によって私たちは何を理解することができるのであろうか。

 われわれは、現実性から可能性への道筋を、すなわち、成立していることの総体であるこの世界から出発し、成立しうることの総体である論理空間へと至る道筋を、おおまかにではあるが辿った。もっとも重要な点は、そこに現実の像たる言語が介在するということである。言語がなければ、われわれは現実性から可能性へとジャンプすることはできない。(43頁)

 著者によれば、言語によって現実空間から論理空間を見出すことができるようになるという。ここで思い起こされることは、抽象化もしくは理論化といった研究的態度である。たとえば、ビジネスにおける研究的態度を考えてみたい。現実に存在する企業の中で働く私たちにとって、現実を抽象化するためには、慎ましやかな態度で行なうことが必要だろう。さらに言えば、抽象化された事象を具象化する際にも、理論の背景にある研究の射程範囲を捉まえた上で限定的に行なうことが求められる。このように考えた上で、私たちは言語を、その限界を踏まえていかに活用できるのだろうか。

 ある名の論理形式はその名だけ単独で与えられるものではなく、他の名とともに、言語全体の網の目として張られるしかない。かくして、対象に到達するにも、言語の全体が要求されるのである。(65頁)

 言語を活用するには、言語全体の構造を理解している必要がある。つまり、ある言語を理解するためには、その言語をアプリオリに知悉していなければ、その含意する内容を想起することはできない。そうであるからこそ、いわゆる「引き出し」をいかに持っているかが、私たちにとって重要なのであろう。「引き出し」がなければ、言語を通じて構成される論理空間をセンスし、それを自分自身に惹き付けて応用的に具象化することはできないからである。

 『論考』はこうした世界解釈を扱うものである。しかし、その射程範囲は、上述したような無機質的なものだけではなく、私たちの主観にも影響を与える。興味深いのは、幸福という極めて主観的なものを扱っている箇所だ。

 幸福になるために、私はさらに一歩を踏み出さねばならない。それは、私の「意志」である。ここにおいてはじめて、そしてただここにおいてのみ、『論考』の提示する全構図の中に「意志」が所を得る。(264頁)
 世界の事実を事実ありのままに受けとる純粋に観想的な主体には幸福も不幸もない。幸福や不幸を生み出すのは、生きる意志である。生きる意志に満たされた世界、それが善き生であり、幸福な世界である。生きる意志を奪い取る世界、それが悪しき生であり、不幸な世界である。あるいは、ここで美との通底点を見出すならば、美とは私に生きる意志を呼び覚ます力のことであるだろう。(265頁)
 ここで私は、『論考』における「世界」概念が三段階の変容を受けていることを指摘したい。最初それは「事実の総体」であった。それはただ現実の事実の総体であり、そこにとどまるならば移ろいゆくものでしかない。次にそれは分析を経て、不変の実体の総体として捉えられる。すなわち、「永遠の相のもとでの世界」である。そして最後、第三の段階として、「意志に彩られた世界」が現れる。それはもちろん、事実の総体でもあり、実体により構成されるものでもある。それゆえこれら三つの規定は相反するものではない。『論考』は議論の進展に伴って「世界」概念をより豊かなものにしていっているのである。それゆえ、最後に現れた「意志に彩られた世界」こそ、『論考』の「世界」概念の到達点であったと言うべきだろう。(266頁)

 まず押さえておきたいのは、ある事実が本来的に善であったり悪であったりするのではない、という点であろう。つまり、事実を言語によって論理化しても、その事実が論理的に善なり悪なりに導かれるものではないということである。結局、私たちが直面する事実については、その事実をありのままに受け取るしかないのである。その上で、生きる意志をもってその事実を解釈しようとすることである。ここで留意したいのは、ある事実が起きた後に意志を持つのでは遅いということではないか。先述したように、私たちの現実解釈は私たちが持っている言語世界によって規定される。したがって、肯定的な世界解釈をでき得る言語の「引き出し」を予め持っていなければ、価値中立的な事実をありのままに見ることができず、肯定的な意味合いを見出せないかもしれない。そうであるからこそ、言葉というものが大事であり、私たちの祖先は言霊という言葉を創り出したのではないだろうか。

 最後に、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」というあまりに有名な言明に対する著者の意志を引用して、本論考を終えたい。

 『論考』は語りの時間制を確信犯的に無視しようとしていた。しかし、語るとは時間的な営みなのである。論理空間の変化はただ時の流れの中においてのみ、示される。それゆえ私はこう言おう。
 語りきれぬものは、語り続けねばならない。(281頁)


2014年11月29日土曜日

【第381回】『知ろうとすること。』(早野龍五・糸井重里、新潮社、2014年)

 3・11の時に私は初めてTwitterの影響力を感じた。情報はまさに玉石混淆であったが、多面的に物事を捉えられるという意味では、Twitterは最適なメディアであったと今でも思う。情報の意味内容はもとより、それを発信する主体についても、いろいろと考えさせられる出来事であった。不安を徒に煽ろうとする人もいれば、不安など何もないと強弁して自分自身の不安に不自然に向き合おうとしない人もいた。混乱した状況の中では、率直にかつ淡々と情報に基づいた考察を述べる早野さんのような方や、そうした発信者の存在を広めようとする糸井さんのような存在がいかに貴重であったか。彼らの対談を読んでいると、不安な中でおぼえた安心感を思い出すような気持ちがする。

糸井 「わからないから怖い」って不安に思っている人ほど、新しい情報に対してオープンじゃなかったりしますよね。(16

 節を曲げないと言うと聞こえはいいが、それはすなわち、現状にオープンにならず、頑に可能性に目を向けないことに繋がりかねない。子供は、怖い状態に堪えられずに、目を覆って現実を見ないようにすることで、心に平安を求めようとすることがある。しかし、そうすることで、本来は事態を好転させることができたかもしれない機会を減衰させていることには、気づかないものだ。大人であっても、同じことだろう。

早野 専門は違っても、科学に対する基本的な態度というのは共通して持っているべきだと思います。プロの科学者として発言をするときや、あるいは科学者として人を敬ったりするとき、自分が乗っている基盤には、分野が違っていても最低限わかり合える、基本的な科学の作法や態度、そういったものがあるんだと思います。(150頁)

 自然科学、社会科学、人文科学。科学という言葉の前に何が付こうと、基本的には同じ態度を持って学問に臨むことが求められるのではないか。というよりも、同じ態度と素養を持っていれば、異なる分野におけるプロフェッショナルとの対話ができる可能性が高まる。それは、自分にとってメリットがあるというよりも、人生を豊かにする経験へと誘われることになるのではないだろうか。

早野 科学的なリテラシーというのは、教わって得られるものじゃなくて、自分で鍛えて身につけていくものだと思ってます。今の福島には、科学的なデータや事象など、たくさんの教材があります。さらに高校生たちは、それらを自分のこと、あるいは自分の家族のこととして、真剣に考えることができる環境にあります。その環境を十分に活かして考える力を発揮してもらえるといいな、ということを思っています。(168頁)

 では、科学におけるリテラシーとは何か。早野氏によれば、それはマニュアルのように十把一絡げにしてインプットできるものではなく、自分自身で意識的に涵養していくものであるとしている。良い研究テーマがなければ研究できないという態度ではなく、日常において身の周りにある事象に興味を持って着目し続けること。そうする態度が、科学的なリテラシーを身につけることに繋がるのであろう。

 よく思うのです。事実はひとつしかありません。事実はひとつしかないけれど、その事実をどう見るのか、どう読むのかについては幾通りもの視点があります。
 その視点は、それぞれに大事にされるべきだと思います。のちに正しかったとか、まちがっていたとか明らかになるにしても、「その見方があった」というのは、これまた事実であるからです。善意とか悪意とか、誠実であったか上段として語られていたかについても、問われる必要はありません。とにかく、その視点があったということは消せない事実であります。(174頁)

 科学的なリテラシーを以て世の中に関与することは、物事の多様性を追求し、その豊潤な関係性を受容することなのではないか。ここで引用した糸井氏の「あとがき」を読んでいると、そのようなことまで考えてみたくなる。


2014年11月25日火曜日

【第380回】『荘子 第四冊』(金谷治訳注、岩波書店、1983年)

 真実の道を体得した古人は、逆境におちこんだ場合も楽しんでおり、順調に成功した場合も楽しんでいた。楽しみとするところは、逆境とか順調とかいう世俗の関心をこえていたのである。真実の道が体得できたなら、逆境か順調かということは、寒暑風雨が移り変わるていどのことになってしまうのだ。(譲王篇 第二十八・十二

 真実の道というと難しく思われるが、つまりは、一喜一憂せずに、心を落ちつかせることであろう。心を落ちつかせ、自ずから然りの心境に至ることができれば、周囲の状況によって惑わされることがなく、何事も楽しむことができるようになるのであろう。

 現象をささえる根本こそが精妙だと考えて、現象世界の存在を粗雑だとみなし、物はいくら積みあげても満足できないとして[それを追求することはやめ]、安らかに落ちついて、ひとりあの霊妙にして聡明な真理のはたらきに身をよせてゆく。昔の道術のなかには、そうした立場のものがあった。(天下篇 第三十三・五)

 意味内容はよくわからない。しかし、なぜか、心に響くものがある箇所である。


2014年11月24日月曜日

【第379回】『荘子 第三冊』(金谷治訳注、岩波書店、1982年)

 なにも知らないで無意識、なにも気にかけないでのびのび、おぼろげなとらえどころのないありさまで、去っていくものを送り、やって来るものを迎え、来るものは拒まず、去るものはひきとめず、強いものは強いままにまかせ、弱いものは弱いままにまかせ、あいて方から[租税を]出しつくしてくるのを待つのです。そこで朝な夕なに租税をとりたてても、少しもあいてを害することがありません。[わたしの場合でさえこうですから、]ましてやすぐれた真実の道を体得した人なら、なおさらすばらしい成果をあげることでしょう。(山木篇 第二十・三

 この部分を読み、「来る者は拒まず、去る者は追わず」と私の師匠がよく言っていたのを思い出した。自分から何らかの作為を持って相手に対応しようとすると、無駄な力が入ってしまう。そうではなく、自然なままで、むしろ自然な関係性をたのしむという態度が重要なのだろう。

 生は死の伴侶であり、死は生のはじまりである。[生と死と]どちらがはじめであるか、だれにもわかりはしない。人が生きているのは気が集まっているからで、気が集合すると生となり、分散すると死となるのだ。もし死と生とが[こうした同じ気の集散で、]伴侶の関係だとわかれば、もはや生死についてくよくよすることは何もなかろう。だから万物も[同じ一つの気の変化であって、もともと]一つなのだ。そこで自分の善いと思うものはめったにない貴重なものだと考え、自分の悪いと思うものは腐った汚物だと考える[のが人情だ]が、腐った汚物はまた変化してめったにない貴重なものになり、めったにない貴重なものもまた変化して腐った汚物となるものだ。だから『世界じゅうのものはすべてただの一気だ。』といわれる。聖人はそこで[こうした根源的な]一の立場を貴ぶのだ。」(知北遊篇 第二十二・一)

 根源的ななにかが、状況に応じて価値判断を伴われるものへと変化する。ある概念や対象物は、一定したものとして、善なるものや悪なるものといった価値が固定したものではない。全ては変化するものであり、私たち自身もまた、変化するものである。そうであるからこそ、何かに執着するのではなく、変化をたのしむという余裕を持ちたいものだ。

 足切りの刑にあった不具者が世間のきまりを守ろうとしないのは、もう人の非難や誉めことばなどに気をとられないからである。徒刑の囚人が高い所で作業をしても恐れないのは、もう自分の生き死にをあきらめて心にかけないからである。そもそも自分で反復内省して恥じるところがなければ、人の世のことも忘れられる。人の世のことが忘れられたなら、そこからやがて天人ーー自然のままの人ーーになれるだろう。そこで、人から尊敬されても別に喜ばず、軽蔑されても別に怒らないというのは、ただ自然の調和と一致したものだけがそうできるのだ。(庚桑楚篇 第二十三・十二)

 どうすれば安定した気持ちを保てるのか。囚人の喩えが、非常に興味深い。私たちは通常、あきらめるという言葉を悪い意味として考える。しかし、現実の世界に執着をしないという観点では、あきらめるという気持ちは悪いものではないのではないか。

 万物はそれぞれに違ったありかたをしているが、道はそのどれかに特になれ親しんだりはしない。だからこれといって名づけようがなく、名づけようがないからこれといった作為もなく、作為がないからあらゆることがなしとげられるのである。時間には始めと終りがあり、世間には変化がある。(則陽篇 第二十五・九)

 万物は変化するものであり、一定したものにはならない。静態的なものにアジャストするのではなく、動態的なものにアジャストし続けること。名づけることは、一時点における対象物を同定するものにすぎず、留まっていれば、その価値は減衰していくものなのだろう。


2014年11月23日日曜日

【第378回】『荘子 第二冊』(金谷治訳注、岩波書店、1971年)

 荘子自身が書いたと言われる第一冊に対して、第二冊にある「外篇」は、荘子の思想を引き継ぐ複数人が記したものであると言われる。テーストはやや異なることになるが、荘子を引き継ぐ考え方に、感銘を受ける部分は多い。

 世界の人々はみな、自分の知らないことを[外に向かって]追求することはわきまえているが、すでに知っていることをさらに追求しようとするものはいない。みな、自分の善くないと思うことを非難することはわきまえているが、自分が一度善いと思ったことを[さらに反省して]非難しようとするものはいない。こうして、世界は大いに乱れることになる。(胠篋篇 第十・一)

 自分が知らないものを学ぶというのは心地が良いものだ。なにより、それまで知らなかったものを新たに知ることによって、知識欲求が満たされる。もちろん、新しい知識を得ることも大事ではあるが、それと同時に、自分が既に知っていることをより深めることも大事なのではないか。

 そもそも無心の静けさで落ちついた安らかさをたもち、ひっそりした深みにいて作為がないということこそ、天地自然の平安なありかたであり、真実の道とその徳との実質的な内容となるものである。(天道篇 第十三・二)

 無心であること、心を落ち着けること。

 私心をなくしようとするのは、つまりは私心だよ。(天道篇 第十三・七)

 先に引用した箇所にもあるように、作為があると心は平安な状態から離れてしまう。したがって、私心がない自然な状態を実現するには、作為があってはならない。考え方としては分かるが、その内実を体得していくためには、しっかりと噛み締めたいことである。

 受けとる主体が心の内にできていなければ道は[素通りするだけで]そこにとどまらないし、ぴったりした条件が外にできていなければ道はあらわれないからのことである。(天道篇 第十四・五)

 内におけるレディネスと、外におけるレディネス。前者だけでは結果は出ないし、後者だけでは得られた結果の価値を見出すことができない。両者が揃うことで、私たちは、道という概念を感得することができるのであろう。


2014年11月22日土曜日

【第377回】『荘子 第一冊』(金谷治訳注、岩波書店、1971年)

 孔孟思想に対する老荘思想。ということは、老子を下敷きにした考え方が展開されている書物であろうというレベルが読む前の荘子に対する知識であった。こうした初学者にとってありがたいことに、冒頭で訳者が解説を試みてくれている。

 荘子の人生哲学は因循主義で一貫している。そして、それを基礎づけるものが万物斉同の哲学であった。(7頁)
 万物はそれぞれあるがままにあり、そこにおのずからなる宇宙の秩序が構成されているが、それは何者かがそうあらしめているのではなくて、まさに文字どおり「自ら然る」ことによって、人間にとってどうしようもない必然的なものとなっているのである。(8頁)

 荘子の考え方の根幹は因循主義であり、因循主義の一つの基礎概念が万物斉同だと言う。万物斉同とは、何かを作為的にあらしめるのではなく、自ずから然りという自然的な存在である。

 この因循主義をささえるものとして、万物斉同の哲学がある。それは、主として斉物論篇にみえるもので、この現実世界の対立差別のすがたをすべて虚妄としてしりぞける立場であった。(9頁)

 さらに、万物斉同とは、対立をなくし、他との差異によってなにかを描き出すものではないとしている。
 以下からは、印象的に思えた箇所を抜き書きしながら、その所感を記していく。

 [いったい]相手がなければ自分というものもなく、自分がなければさまざまな心も現れようがない。これこそが真実に近いのだ。それでいて、何がそのようなさまざまな状態を起こさせるのかは分からない。真宰ー真の主宰者ーがいるようでもあるが、その形跡は得られない。作用の結果は確かであるが、そうさせてものの形は見えない。実質はあるが姿形はないのである。(斉物論篇 第二・二)

 相手がいるからこそ、自分がいる。自分がいるからこそ、相手がいる。存在とは、こうした相互作用の為せるわざなのであろう。

 そもそも分類するということは分類しないものを残すことであり、区別するということは区別しないものを残すことである。それはどういうことか。聖人は道をそのままわが胸に収めるのであるが、一般の人々は道に区別を立ててそれを他人に示すのである。そこで、区別するということは[道について]見ないところを残している、というのである。(斉物論篇 第二・七)

 分けるということは、分けられないことを残すことにならざるを得ない。孔子も述べる「道」に至るということは、それを理解しようとするのではなく、そのままを受け留めることが重要なのであろう。

 知識については分からないところでそのまま止まっているのが、最高の知識である。[分からないところを強いて分かろうとし、また分かったとするのは、真の知識ではない。](斉物論篇 第二・七)

 知識についても同様である。分からないものを、あたかも分かろうとする行為は、知識を求める行為ではない。ウィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」を彷彿とさせる。

 それでは、真人というのはどういうものか。むかしの真人は逆境のときでもむりに逆らわず、栄達のときでもかくべつ勇みたたず、万事[をあるがままにまかせて]思慮をめぐらすことがなかった。こうした境地の人は、たとえ過失があってもくよくよと後悔せず、うまくいっても自分でうぬぼれることがない。(大宗師篇 第六・一)

 心を惑わさないこと。逆境でも順境でも、自分の心を一定に保つこと。心に留めておきたい格言である。

2014年11月17日月曜日

【第376回】『日本人のためのイスラム原論』(小室直樹、集英社、2002年)

 9.11の直後に書かれた本書。あのテロリズムの意味合いやインパクトを理解するために、本書を読まなかったことが悔やまれてならない。イスラムについて、さらには宗教について、私たちが理解する上で非常に適したテクストである。むろん、あの惨事から十年以上が過ぎた現在においても、読み応えがあることには変わりがなく、一読を勧めたい一冊である。

 この地球上に宗教はさまざまあれど、イスラム教ほど日本人にとってありがたい宗教はない。
 何となれば、イスラム教が分かれば宗教が分かるからである。(22

 無宗教者が多いと言われる日本人。宗教を持たない私たちの多くにとって、イスラム教は宗教という存在を理解するのに適したものであると著者はしている。

 なぜ、世界宗教たるイスラム教が日本に定着しなかったのか。これはまさしく驚き以外の何物でもない。この不思議を探求せずして、何の学者ぞ、何の学問ぞ。こう言ってもけっして大げさではあるまい。(28頁)

 誕生してからの歴史が長く、また世界中で信者が多くて現代でもその数が増え続けているイスラム教。儒教、仏教、キリスト教といった外来の宗教を受け入れて来た日本において、なぜイスラム教は定着していないのか。書かれてみると自明のように思える問いであっても、なかなか思いつけるものではない。

 イスラムではアッラーを心の内側で信じているだけでは駄目で、同時にその信仰を外面的行動に表わさなければならない。しかも、その外面的行動はコーランをはじめとするさまざまなイスラム法によって明快に規定されている。イスラムでは宗教の法がそのまま社会の法なのである。(56頁)

 イスラム圏においては、法律と社会体制と文化とがイスラム教によって統合されている。イスラムの教えに基づいて、社会が形成され、個人の考え方や行動も規定されている。しかし、こうした外的規範に合わせて行動するということが日本という風土においては受け容れる土壌がない。だからこそイスラム教が日本において定着していないというのが著者の主張である。では、日本に定着した他の諸宗教と、イスラム教との違いは何なのであろうか。

 キリスト教も仏教も、ともに自力救済の可能性を否定している。外面的行動によっては、救われない。救済はともに“与えられるもの”なのである。
 日本の仏教はまず円戒によって、戒律を廃止した。その後、親鸞、日蓮が現われるに至って、ついに自力救済の可能性までが否定されるに至った。
 ここにおいて日本の仏教は、本来の仏教と完全に訣別し、あたかもキリスト教にそっくりの宗教になったというわけである。(103~104頁)

 集団救済の宗教たる儒教が日本に上陸したら、どうなったか。
 その根幹になっている「礼」はたちまちに形骸化してしまった。戒律が消えた仏教と同じ運命をたどったのである。(110頁)

 キリスト教は内面的規範によって律する宗教であり、仏教や儒教は日本に導入された時点で外面的規範が削ぎ落された。違う側面から見れば、外面的規範が存在しない、もしくは取り除かれても機能する宗教であったからこそ、日本人に受け容れられたということである。つまり、外面的規範が厳格でなく、内面的規範によって成り立つ宗教であれば、日本という風土に定着することが可能な条件を満たしていると考えられよう。こうした側面について、著者は、山本七平氏が提唱した「日本教」をもとに以下のように論じている。

 日本人にとって、外面的行動を縛る規範は、言ってみればパンの耳のようなもので、堅いばかりでおいしくない。そんなやっかいな部分はポイと捨て去って、おいしくて柔らかい白い部分だけをつまみ食いするのが、日本人の基本メンタリティなのである。
 こうした日本人の宗教感覚のことを「日本教」という言葉で表わしたのが、故・山本七平氏であった。まさに卓見と言うべきであろう。
 日本固有の神道をベースにして、仏教や儒教の教えなどがミックスされて作られたのが、日本教である。(114~115頁)

 規範に合わせて人間の行動が変わるのではなく、人間に合わせて規範が変わる。これぞ、「日本教のエトス」なり。これが日本人なのである。
 だからこそ、仏教の戒律も廃止されなければならなかったし、また、儒教の規範も受け容れることができなかったというわけである。(124頁)

 外面的規範によって行動を統制するのではなく、自分たちが抱いている内面的規範によって、状況に合わせて柔軟に行動を統御しようとする。これが、神道・仏教・儒教等を受け容れて創り上げた日本教に基づいた行動様式であり、日本教の土壌に合わない宗教は、定着しづらい風土になっているのである。

 ここまでが、なぜ日本においてイスラム教が定着しないのか、という著者の問題意識に対する回答であったと言えよう。次に、著者は、キリスト教文化圏における資本主義の精神が、なぜイスラム諸国では定着しないのか、という点に問題関心は移っていく。まず、キリスト教圏における資本主義の誕生について以下から見ていこう。

 カルヴァンたちがやったのは、中世のキリスト教から呪術的要素を徹底的に追放することにあった。つまり、彼らはキリスト教に合理性を取り戻したのである。
 そして、この合理性の追求がそのまま資本主義の精神へとつながっていく。
 なぜなら、近代資本主義は合理的経営なくしては成り立たない。そして、その合理精神の源泉となったのは他ならぬ聖書であったというわけなのだ。(242頁)

 ここで著者が述べる呪術的要素とは、「神をして人間に従わせる」(212頁)ことにある。どのような言い様であれども、「神の名前を呼ぶ」(212頁)ことによって、神に何らかの依頼をして祈祷することは、人間が神を利用して何かを成し遂げようとすることである。すなわち、神の意志など存在せず、人間の意志を神によって完遂させようとすることは、神の上位に人間を位置づける作用に他ならない。では、神の意志を絶対的なものと徹底した宗教改革後のキリスト教における予定説の考え方に対して、イスラム教はどのような考え方をとるのか。著者は、「宿命論的な予定説」というウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるイスラム教について論じた言葉を用いて説明を試みている。

 宿命論的な予定説とは何ぞや。
 つまり、この世の運命、すなわち人間の宿命(天命)に関しては、すべて神が決定なさる。
 だが、来世の運命に関しては因果律が成り立つ。つまり、この世でイスラムの規範を守り、善行を行なっていけば、救済される。逆に、不信心で罪深い人生を送っていたら、救済されることはない。
 つまり、この世と来世に予定説と因果律を振り分けるというのが、イスラム教の出した結論であったというわけだ。(251~252頁)

 現世において予定説をとりながらも、来世における因果律をとったことが、予定説を徹底しきれず、イスラム教から呪術的要素を取り除けなかったことに繋がった。そのために、資本主義に求められる合理的精神の徹底に至らないため、資本主義が定着できない、と著者はしているのである。

 以上が、資本主義に求められる合理性という概念に基づいたキリスト教とイスラム教の相違点であった。さらに著者は、契約という概念が、両者によって異なっていることを指摘する。契約概念の相違が、イスラム教圏において資本主義が定着できない大きなもう一つの理由になっているとしているのである。

 隣人愛という根本教義によってタテの愛(神と人間のあいだの愛)が、ヨコの愛(人間同士の愛)に転換されたというわけである。
 キリスト教社会において「契約の絶対」が生まれた背景には、この隣人愛の教えを忘れるわけにはいかない。(416頁)

 アッラーはつねにムスリムとともにあって、彼の行動をすべて監視しているというわけだ。
 このような信仰においては、タテの契約がヨコの契約になるという余地はない。
 というのは、そもそも俗界の契約もとどのつまり、すべてタテの契約であって、人間同士の約束なんて成立しようもないからである。(417頁)

 隣人愛によるヨコの契約関係が人間同士の関係性を創り出す契機になっているのに対して、アッラーとのタテの契約関係しか存在しないイスラム教においては、ヨコの関係を創り出す基盤が存在しない。そうであるからこそ、人間同士の契約関係を成立させ得ないイスラム教圏においては、資本主義が成立できないのである。

 このように論じると、イスラム教が劣っているという風に思えるかもしれないが、そうしたことを主張したいのではない。そうではなく、日本という風土にイスラム教が受容さられない理由と、資本主義に適応しづらい理由とを論じてきただけであり、そこに優劣は存在しない。しかし他方で、特にキリスト教との対比を考えると、冒頭で述べた9.11が生じた理由と、その後の緊張関係について考えさせられるところは多い。印象的な部分を以下に引用して本論考を終えたい。

 イスラム教の場合、イスラム法によって社会規範が定められているわけだから、異民族支配を受けたとしても、その生活や風習に制限を受けるわけではない。もちろん、法体系が変わるわけでもない。
 したがって、モンゴル人に支配されることになっても、彼らの心理にはさほど大きなダメージが加わるわけではない。
 ところが、キリスト教徒ときたら……。
 彼らはさんざんイスラムの世話になっているというのに、イスラム教に強化されなかった。
 また、十字軍の戦いで敗れても、その信仰を捨てようとしなかった。
 何という救われない連中であろうかーー。
 これがイスラム教徒の偽らざる感想ではなかったか。
 後年生まれる十字軍コンプレックスの根底には、こうした事実が潜んでいるわけである。(368頁)

2014年11月16日日曜日

【第375回】『新史 太閤記(下)』(司馬遼太郎、新潮社、1973年)

 (人間一生のうち、飛躍を遂げようとおもえば生涯に一度だけ、渾身の智恵をしぼって悪事をせねばならぬ)
 秀吉はそうおもった。ここで秀吉にとってかんじんなことは、悪事を思いきって陽気にやらねばならぬことであった。もし陰気にやればたれの感覚にもそれが悪事として匂い立つが、しかし夏祭りのような陽気さでやればみな気づかず、手拍子をとって囃してくれる。(198頁)

 信長が討たれた後の中国大返しは、信長から受けた恩を返すための聖なる戦闘という意味合いが強かったと言えよう。しかし、光秀を討って信長に報いた後に秀吉は、天下という野望を意識しはじめた自分に気づく。そうした時に、信長の遺子を大義名分にしながら、いかに天下を自分の手に掴むかという「悪事」に思い至る。このように考えれば、ここでの「悪事」というのは、道徳的に問題があるというものではないことに留意が必要であろう。塩野七生さんは『ローマ人の物語』の中で、リーダーが持つ虚栄心と野心という二つのことを対比しながら述べている。虚栄心は必ずしも悪いものではなく、物事を推進していく上でエネルギーを発揮するものである。ただし、野心よりも虚栄心が大きくなると誤りを起こしてしまうと注意を述べている。秀吉の「悪事」は、たしかに秀吉の虚栄心も反映していようが、それ以上に天下太平な世の中を実現するという野心も反映している。だからこそ、陽気に振る舞うことができ、天下統一というエネルギーに変えられたのではないだろうか。

 諸将はすべてが信長の家来であったためにこの三法師の閲兵に感動し、その正義の感情を満足させた。そのくせかれら六万の将士はゆくゆく天下を取るのは三法師ではなく秀吉であろうということを十分に予知していたし、その予知あったがためにこのようによろこんで秀吉の指揮下に入ってはたらいている。かれらの正義と実利が、きわどいところで融合していた。(303~304頁)

 野心と虚栄心とが綯い交ぜになった秀吉の陽気なエネルギーは、その対象である将兵たちに影響を与える。秀吉が信長の遺子を立てようとすることの、虚と実とは、他の人々にも分っている。しかし、分ってはいても、その大義名分に理と情とが含まれていれば、それは認められるのである。秀吉の天下統一という一大事業を為そうとするためには、際どいバランスを意識することが重要なのであろう。

 信長のように敵をいちいちすりつぶしつつ進めてゆくやりかたでは六十余州の征服は何十年もの歳月を必要としてしまうであろう。秀吉はとにもかくにもこの天下をあらごなしに地ならしし、粗壁ながらも見せかけの普請をし、政権を確立させてからあらためて整えようとしていた。事はいそがねばならず、いそぐためにはそれぞれの地に割拠する者は割拠のままその本領を安堵する方針をとらねばならず、そのためには秀吉の心根が人離れのしたほどに寛容であることを天下にむかって知らしめねばならなかった。(390頁)

 さらに、天下統一に向けた方法論に関する、信長と秀吉との違いが興味深い。信長のように敵を殺していく方法では、全ての敵と戦闘して勝つ必要がある。降参したら殺されるのであるから、いたずらに殺されるのを待つのではなく、乾坤一擲の戦いを武将は起こしかねない。それに対して、秀吉は寛容な政策を取った。つまり、戦いで負けた相手も許すし、戦わずに降参した相手も許す。こうした寛容な態度が浸透すればするほど、勢力で劣る相手は、自分自身の領土を守るために戦わずして降参することが合理的な選択肢となる。戦わずに勢力が増えて行くのだから、天下を統一するスピードも上がる。実力と打算とに裏打ちされた秀吉の生き様は、リーダーシップの一つの型と言えるのではないだろうか。

2014年11月15日土曜日

【第374回】『新史 太閤記(上)』(司馬遼太郎、新潮社、1973年)

 最近は戦国時代の小説に手が伸びることが多い。特に、秀吉に関する歴史小説に興味がある。 

 小僧は、落胆した。が、絶望はしない。絶望するには小僧はあまりにも企画力に富みすぎていた。あっというまに次善の策を考えつく能力があって、ついに生涯、失望の暗さを感じたことがない。(31頁)

 秀吉の性格の特徴の一つとして著者は、楽観性を取りあげている。しかし、何事もポジティヴに捉えるということではなく、失望した事実を客観的に把握した上で、次に必要なことを実現させる企画力と修正力とがそこには含意されている。

 猿の異常な努力は、調略や諜報収集をしつつも、その種の暗さやぶきみさを、すこしでも信長や朋輩に勘づかさせぬところにあった。そのため、猿は、呑気で多少とんまな、別な印象を信長にあたえようとしていた。(285頁)

 調略や諜報収集は、戦において有効な活動の一つであろう。しかし、あの時代において、表立って評価されるのは戦闘場面における武功である。したがって、調略や諜報収集の玄人ぶりをあまり目立たせないという如才のなさを秀吉は持っているのだ。

 「知恵とは、勇気があってはじめてひかれるものだ。おれはつねにそうだ」
 が、胸中のこまごまとしたことは、依然いわない。言えないのであろう。目の前に生死の運命が屹立している。それを前になにをいったところで、言葉がむなしく虚空に散り消えるだけのことだということも、この剛胆な小男は知っているのであろう。半兵衛重治はこのときはじめて藤吉郎秀吉という男が、この地上で類のない男であることを骨の髄までしみとおるほどの感動をもっておもった。(450頁)

 知恵だけがあっても人生は開けない。また、勇気だけでは蛮勇になってしまう。勇気と知恵とを同時に発揮すること。これが秀吉をして、信長に評価され、やがては天下人となる上での重要な資質だったのであろう。


【第373回】Number865「BASEBALL FINAL 2014」(文藝春秋、2014年)

 毎年、日本シリーズ後のNumberを買っている。クライマックスシリーズと日本シリーズを数年前から見始め、自然とその特集に興味を抱いて購読するようになった。クライマックスシリーズの是非についてここで述べるつもりはない。しかし、私にとって、クライマックスシリーズという存在は、野球に興味を持たせる手段となっていることは間違いない。

 今号においては、ソフトバンクと阪神の双方の視点から、第1戦から第5戦に至るまでの解説は秀逸である。興味関心がある方はぜひ、本誌を手にとってお読みいただきたい。

 日本シリーズ以外の特集では、大谷投手と藤浪投手という同世代の二人を相手にした石田雄太氏のインタビュー記事が読み応えがあった。変化に対する二人の覚悟について、引用してみたい。

大谷 僕も変化は大事かなと思います。変わることによって後退する怖さもありますけど、それでも前へ進んでいかなきゃいけないので、怖がってる場合じゃないですし……(中略)
藤浪 結局、こっちが勇気を持って変わることが、プロとして何年もコンスタントに結果を残していく難しさなのかもね。(32頁)

 二十歳の若者の発言であることを忘れそうな、含蓄に富んだ言葉ではなかろうか。ビジネスシーンでも活きる考え方を、大学二年生に相当する二人が当たり前のように述べている。二人のように、メディアが注目する活躍をすれば嫌が応にも他者からもてはやされる世界である。そうした環境に適応するために、人付き合いの機会が増えて、自分自身の鍛錬に目が向かなくなることもあるだろう。しかし、自分に向き合い、変化を自ら創り出そうとしている。二人の今後に、ますます興味がわく。


2014年11月10日月曜日

【第372回】『働く幸せ』(大山泰弘、WAVE出版、2009年)

 障碍者雇用やダストレスチョークで有名な日本理化学工業。日本企業で進展しない障害者雇用を半世紀以上も前から行なってきた同社の取り組みについて、同社の会長である著者が述べる言葉は重たく、含蓄に富んでいる。

 「これからは逆境を甘んじて受け入れ、その境遇を最大限に活かす人生でいこう」(41頁)

 著者が大事にしている考え方である。東大を目指して諦めざるを得なかったとき、という多くの人にありがちなレベルの挫折経験とも言えよう。しかし、そうした経験において人生における深い気づきに至れる著者の本気というものを感じさせる。

 「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは、次の4つです。その1つは、人に愛されること。2つは、人にほめられること。3つは、人の役に立つこと。そして最後に、人から必要とされること。障害者の方たちが、施設で保護されるより、企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて、本当の幸せを求める人間の証しなのです」(56頁)

 障碍者雇用をはじめたすぐ後に、知人の葬儀で偶然会った住職から言われたこの言葉が、著者にはずっと記憶に残っていると言う。至極当たり前であるからこそ日常的には意識しづらいが、人の役に立ち、人から必要とされる、ということは働くことを通じて得られるものだ。

 「働」という文字は、「人」と「動」が組み合わさってできています。私はこれを、「人のために動く」から「働」になったのだと解釈しています。(59頁)

 障碍者の方々が、同僚のために純粋な気持ちで働こうとする様を見て、こうした考えに至ったと言う。働くという行為は、ともすると市場価値やビジネスインパクトといった定量化できる卑近なものに捉えられがちだが、本来はもっと純粋なものなのかもしれない。

 「福祉」の世界で、ここまで必死に考えることができるでしょうか?私には難しいように思えます。知恵を絞らなければ、組織が潰れるという危機感は企業ほどにはないはずだからです。利益を出すことが絶対条件である企業だからこそ、知的障害者も働くことができるように工夫することができるのです。(94~96頁)

 著者はなにも福祉の世界において障碍者の方々が働くことを否定しているわけではない。そうではなく、企業という現場において、障碍者の方々に働いてもらうことの意義をここで述べたいのであろう。それはなにも、障碍者の方々にとってメリットがあるわけではなく、健常者の人々にもメリットがあるとして、以下のように述べる。

 健常者は、知的障害者と向き合いながら仕事を続けることで、だんだんとこうしたことを体得していきます。仕事がうまくいかないときや、障害者が言うことを聞いてくれないときには、自分の態度や指示の仕方を見直すようになります。そして、相手の立場にたって、相手に伝わるようなコミュニケーションをする力をつけていきます。「人のせいにできない」からこそ、自分を磨くようになるのです。(147頁)

 知的障碍者の同僚と働くためには、自分自身の発信能力が問われることとなる。そのため、知的障碍者の方々が努力して理解しようとするのと同時に、健常者の人々もまた理解してもらえるように努力するのである。いわば健全に相手を思いやり合う必要性が生じるしくみを、障碍者雇用によって成り立たせているのである。

 働くという行為は、本来、尊いものなのではないか。


2014年11月9日日曜日

【第371回】『組織力ー宿す、紡ぐ、磨く、繋ぐ』(高橋伸夫、筑摩書房、2010年)

 組織における力とは何か。組織という形式じたいに力が宿るのではなく、組織に存在する人々の力が組織の力を紡ぎ出すのである。

 重要なことは、人々は最初、手段について収斂するのであって、最初から目的について収斂しているのではないということである。まず、共通手段について収斂して「相互連結行動」を繰り返すようになり、その結果として、安定した相互連結行動サイクルが多数形成され、かつ多様な目的をもった者が、それらを使うようになることで、共通の目的へとシフトしていく。(92~93頁)

 組織人の力が結集されるためには、なんらかの相互作用が求められる。ここで著者が述べるのは、目的によって結集されるのではなく、最初は手段によって力が収斂されていくということである。

 「組織の合理性」とは、自分たちの行動を説明するのにもっともらしい歴史を事後的に作っては変える回顧的なものなのである。(64頁)

 だからこそ、組織における合理性とは、将来における目的や目標から演繹的に導き出されるのではない。そうではなく、過去の行動をもとにして現時点において回顧的に創り出すものなのである。

 ある程度の歴史をもった(つまり、生き延びてきた)日本企業のシステムの本質は、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムであった。仕事の内容がそのまま動機づけにつながって機能してきたのであり、それは内発的動機づけの理論からすると最も自然なモデルでもあった。他方、日本企業の賃金制度は、動機づけのためというよりは、生活費を保障する観点から平均賃金カーブが設計されてきた。この両輪が日本企業の成長を支えてきたのである。それは年功序列ではなく、年功ベースで差のつくシステムだった。(143~144頁)

 『虚妄の成果主義』のメインメッセージを著者自身で要約した箇所である。過去のパフォーマンスが将来における仕事によって報いられる日本企業の旧来的なしくみがその強みであったという。仕事の連鎖によって結果的に差がつく年功ベースの人事システムという表現が、日本の人事システムであったと著者は断言する。

 こうした組織の中における仕事を巡るダイナミズムは、カール=ワイクが大いに参考になるとして、『組織化の社会心理学』の論旨を付章で取り上げている。これが非常に参考になる。著者による要約を見てみよう。

 組織を静態として捉えるのではなく、組織化のプロセスこそを研究することの意義が存在する。組織を静態的に記述しても、組織を理解できないのである。(181頁)

 組織を研究するということは、そのダイナミズムに焦点を当てることである。静的に組織を描写したとしても、それでは組織を理解することができない。

 本来、人間の活動は多義的であり、いろいろな意味に解釈可能なものである。それが組織化のプロセスのなかで、互いの行動を意味あるものに組み立て、互いの行動の意味を確定させることができるような合意した文法を共有するようになる。(182頁)

 組織内におけるダイナミズムとはすなわち、組織における人々の交換関係に基づくプロセスである。一人ひとりが多様な存在であるため、その交換関係は多義的に解釈可能なものである。そうした多義的なものから意味を収斂して行くことが、組織においては求められるのであり、これが組織化のプロセスである。組織化は以下の三つの過程から成り立つ(187頁)。

(a)イナクトメント(enactment):経験の流れのある部分を将来の注意のために分節すること
(b)淘汰(selection):その分節された部分にある限定された解釈をあてがうこと
(c)保持(retention):解釈された断片を将来適用するために蓄えること

 こうした組織化のプロセスは、組織の中において多様な人々の間でどのように為されるのか。ワイクは以下の二つの相互連結行動を通じて説明する(192頁)。

(a)ある人の行動は、外の人の行動に依存して決まる(contingent on)のだが、この依存性(contingencies)のことを「相互作用」(interacts)と呼ぶ。ここで、相互作用が双方向ではなく一方向の概念になっていることには注意が要る。
(b)行為者Aによる行為が行為者Bの特定の反応を喚起し(ここまでは相互作用)、さらにそれに行為者Aが反応するとき、この完結した連鎖のことを「二重相互作用」(double interacts)を呼ぶ。


2014年11月8日土曜日

【第370回】Dave Ulritch et al., “HR from the outside in”

The authors suggested a several HR competency models based on their surveys to HR professionals in many countries. The original version was made at 1987, and then the model has changed several times. It is very important for us to think about the differences of each versions. 

Then, let’s see 1987’s version as below.


Next is 1992’s one. Compared to the previous version, ‘Personal Credibility’ has been newly positioned at the center of three competencies.


Let’s move on to 1997’s one as below. Before 1997 HR only cared for human issues. On the contrary, in 1997, HR has been started to regard as a player who cares for organizational culture.


What is the difference between 1997’s version and 2002’s one? At first, there is ‘Strategic Contribution’ at the center of competency model. Secondary, ‘Culture’ and ‘Change’ are integrated into ‘HR Technology’. It seems to me that this change was based on new technology especially revolutionary proceeded information technology around 2000. Innovative information technology made HR professional use new ‘HR technology’.


2007 HR competency model has changed dramatically. It is very interesting for me that credibility has been back to the center of the model. Regarding that ‘Activist’ is connected to ‘Credible’, the authors emphasize actions.


At the latest HR competency model, the authors divided competencies into three levels. 



2014年11月4日火曜日

【第369回】『氷川清話』(勝海舟、江藤淳・松浦玲編、講談社、2000年)

 およそ人間が何事にか激した時には、死ぬるのはわけもない事だらう。しかしよくよく事局の前後を達観して、十分に前後の策を立て、しかる後、従容として死に就くのは、決して容易の事ではあるまい。(141頁)

 日清戦争後の戦後処理を行った後に自殺した丁汝昌について著者が語った部分である。日本においては、徒に自死を美化する傾向が強かったし、それは今でも多分に残っているように思える。しかし著者は、それを断じて否定することに刮目するべきであろう。放言とも取れるような歯切れの良い著者の言葉を見て行こう。

 時勢は、人を造るものだ。今日いろいろの学問や、知恵のある人だちが、これから種々の困難に出会つて、実際にその学問を試したり、その心胆を練つたりなどすると、将来に起るべき、東洋の大禍乱をも、切り開くだけの人物になれるだらうヨ。(163頁)

 人物を生み出すのは時代である。変化が激しければ激しいほど、そうした時代を切り拓く傑物は生まれるのであろうし、それは一部の偉人だけではない。市井を生きる普通の人物もまた、そうした時代においては人間性を磨くチャンスがあるのではないか。

 西郷に及ぶことの出来ないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たつた一人で、江戸城に乗込む。おれだつて事に処して、多少の権謀を用ゐないこともないが、ただこの西郷の至誠は、おれをして相欺くに忍びざらしめた。(70頁)

 時代を切り拓く大人物の一人が西郷隆盛であることに異論はないだろう。著者は、幕末における人物の中でも、西郷をその第一の人物であると賛辞を送っている。その人物の大きさの一端を、大胆識と大誠意という言葉で表している。

 速ならんと欲せば大事成らず、切々事に迫るは処世の大禁物だ。虚心坦懐、徐ろに人事を尽して天命を俟つのみ。(296~297頁)

 このように一般化したものだけを引用すると迫力に欠けてしまうかもしれない。しかし、この言葉を述べた文脈は、江戸城開場の日に、そのプロセスを官軍と幕府軍の代表とで行っている時に、西郷が居眠りをしていたシーンである。大事を為した後の粛々としたプロセスは、果報は寝て待ての精神で焦らずに行う。たしかに、西郷の人物の大きさが伝わってくる箇所である。生死を賭けた場面であり、時代の帰趨を左右する場面において、うたた寝をできるのであるから、日常の厳しい場面においてゆとりを持って事に当たることくらい容易なはずだ。

 心は明鏡止水のごとし、といふ事は、若い時に習つた剣術の極意だが、外交にもこの極意を応用して、少しも誤らなかつた。かういふ風に応接して、かういふ風に切り抜けうなど、あらかじめ見込を立てておくのが、世間の風だけれども、これが一番わるいヨ。おれなどは、何にも考へたり目論見たりすることはせぬ。ただただいつさいの思慮を捨ててしまつて、妄想や雑念が、霊智を曇らすことのないやうにしておくばかりだ。すなはちいはゆる明鏡止水のやうに、心を磨ぎ澄ましておくばかりだ。かうしておくと、機に臨み、変に応じて事に処する方策の浮び出ること、あたかも影の形に従ひ、響の声に応ずるがごとくなるものだ。(197頁)

 外交の秘訣と題して著者が述べている箇所である。先述した西郷の居眠りにも通じるものがあるように私には感じられる。つまり、心を徒に動かさないということである。心を動かしてしまうからこそ、機を見極めることが難しくなったり、焦って機を掴み取ることができなくなってしまうのではないか。

 世間では、よく人材養成などといつて居るが、神武天皇以来、果して誰が英雄を拵へ上げたか。誰が豪傑を作り出したか。人材といふものが、さう勝手に製造せられるものなら造作はないが、世の中の事は、さうはいかない。人物になると、ならないのとは、畢竟自己の修養いかんにあるのだ。(331頁)

 職業柄、人材の育成についての言葉というものがどうしても気になる。著者によれば、他人によって育成されるのではなく、自分で自分を育成するということであり、その通りであろう。自分を動機づけられるのは、結局のところ自分なのだ。


2014年11月3日月曜日

【第368回】『ゾウの時間 ネズミの時間』(本川達雄、中央公論社、1992年)

 生物学の書籍を読むと、組織論や文化論といった社会科学に読み替えて類推を働かせてしまう。飛躍もあるのかもしれないが、自分にとって身になる読書であれば、それは良いものだろうと割り切って考えている。

 本書の場合も同様だ。まず冒頭で著者は、「哺乳類で体重と時間とを測って」みたところ、「時間は体重の1/4乗に比例する」(4頁)としている。体重が重くなればなるほど、その動物が感じる時間は長くなるということである。これは企業も同じなのではないか、とここで邪推が働く。つまり、ベンチャーのように小回りの利く企業体であれば時間の感覚が短く、ヒト・モノ・カネ・情報の動きは速くなる。他方で、大企業になればなるほど、もう少しゆとりをもったリソースの活用ができるようになる。それぞれに特徴があるのであるから、それぞれに適したリソース活用があるのだろう。したがって、ベンチマークをする際には差異を意識する必要がある。

 島に隔離されると、サイズの大きい動物は小さくなり、サイズの小さい動物は大きくなる。これが古生物学で「島の規則」と呼ばれているものだ。(17~18頁)

 「島の規則」とは非常にアナロジーが利きやすい概念である。興味深く読んでいると、著者自身もこれを日本という社会に置き換えて以下のように記している。

 島国という環境では、エリートのサイズは小さくなり、ずばぬけた巨人と呼び得る人物は出てきにくい。逆に小さい方、つまり庶民のスケースは大きくなり、知的レベルはきわめて高い。「島の規則」は人間にもあてはまりそうだ。(22頁)

 まさに日本という国の特質を表しているようだ。ガラパゴス化と呼ばれる理由には、生物学的な見地からの示唆もあるのだろう。

 時間が違うということは、世界観がまったく異なるということである。「相手の世界観をまったく理解せずに動物と接してきた。こんな態度でやった今までのぼくの研究はどんな意味があったのか?」と呆然とした。(220頁)

 身体のサイズによって感じる時間の早さが異なるという冒頭の気づきがあった時に著者が感じた感想である。これもまた、組織の大きさという観点で考えると面白い。つまり、日本人が感じる歴史に対する感覚と、中国人の抱く歴史に対する感覚は異なることは当たり前だ。より小さい国家である日本は、より近い過去にしか興味関心を抱かず、より大きい国家である中国は、より遠い過去まで興味関心を抱く。したがって、あの戦争における感覚の残量が、中国人よりも日本人は少ないのだろう。端的に言えば、日本人は「遠い過去の戦争の話をいつまでも言われても」と思うのに対して、中国人は「ほんの少し前の戦争のことをなかったかのようにすることを許せない」と思うのかもしれない。ここに、彼我における意識の差異の源泉の一つがあり、その結果として歴史認識による問題が起こるのではないだろうか。



2014年11月2日日曜日

【第367回】『超訳 ニーチェの言葉』(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ、白取春彦訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010年)

 ニーチェは『ツァラトゥストラはこう言った』(『ツァラトゥストラはこう言った(上)』(ニーチェ、氷上英廣訳、岩波書店、1967年))しか読んだことがない。考えさせられる部分も多いとともに、やや取っ付きにくい印象もあった。ために、彼の他の著作になかなか手を伸ばせなかった時に、数年前に流行した本書を思い出した。様々な書籍の中から、訳者が言葉を選んで編集した本書は、入門書として最適である。

 まずは『力への意志』から。

【001】初めの一歩は自分への尊敬から
 自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。
 そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。まだ何もしていない自分を、まだ実績のない自分を、人間として尊敬するんだ。
 自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。
 そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。
 それは自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。

 他者を尊重するためにも、社会に対して貢献するためにも、まずは自分自身を尊敬することが大事だとニーチェは言う。反対に、自分自身を尊敬できない存在こそが悪人である。だからこそ、悪人がいかに自己を愛することができるかを周囲が支援することが重要であることを「【099】悪人には自己愛が足りない」でニーチェが述べていることに着目すべきだ。

 次に『さまざまな意見と箴言』から次の言葉を見てみよう。

【012】自分を遠くから見てみる
 おおかたの人間は、自分に甘く、他人に厳しい。
 どうしてそうなるかというと、自分を見るときにはあまりに近くの距離から自分を見ているからだ。そして、他人を見るときは、あまりにも遠くの距離から輪郭をぼんやりと見ているからなのだ。
 この距離の取り方を反対にしてじっくりと観察するようにすれば、他人はそれほど非難すべき存在ではないし、自分はそれほど甘く許容すべき存在ではないということがわかってくるはずだ。

 他人については、遠くから見るために悪いところを印象的に把握し、自分自身は近くから見るために甘く捉えてしまう。この傾向を踏まえれば、自分を遠くから客観的に離れて把握するようにすることが有効であることが分かるだろう。そうすれば、自分自身を厳しく眺めることができ、そうすることによって翻って、他者の良い点にも目が向くようになるのであろう。

 第三に『曙光』の言葉を取りあげたい。

【090】責める人はみずからをあらわにする
 誰かを責め立てる者、この人が悪いのだと強く言い張る者。その人はしかし、告発することで自分の性格を思わずあらわにすることが多い。
 第三者から見ると、汚く責め立てる者のほうこそ悪いのではないかと思えるくらいに低劣な性格をあらわにしてしまう。そのため、あまりにも激しく責める者こそ、周囲の人々から嫌われてしまうものだ。

 声を荒立てて他者を非難する人は、程度の差はあれども、身の周りにもいるだろう。彼らは、そうした行為によって自分自身の正義を正当化しようとしているのであろうが、周囲は必ずしもそのように取らない。どんなに正当に責め立てていると本人が思っていようと、周囲は責め立てている人に非があるのではないかと考えるものである。自戒を込めて、意識したい点である。

【212】現実と本質の両方を見る
 目の前の現実ばかりを見て、そのつどの現実に適した対応をしている人は確かに実際家であり、頼もしくさえ見えるかもしれない。
 もちろん、現実の中に生き、現実に対応することはたいせつだ。現実は蔑視すべきものではないし、現実はやはり現実なのだから。
 しかし、物事の本質を見ようとする場合は、現実のみを見ていてはならない。現実の向こう側にある普遍的なもの、抽象的なものが何であるのか、つかまえることのできる視線を持たなければならないのだ。あの古代の哲学者プラトンのように。

 現実と本質。どちらかを大事にするということではなく、どちらとも大事にし、両者を重んじて行動することが私たちには求められているのであろう。

 最後に、『人間的な、あまりに人間的な』から引用していく。どうやら私は、この書籍が好きなようで、七つもの言葉にマークを付けていた。

【027】朝起きたら考えること
 一日をよいスタートで始めたいと思うなら、目覚めたときに、この一日のあいだに少なくとも一人の人に、少なくとも一つの喜びを与えてあげられないだろうかと思案することだ。
 その喜びは、ささやかなものでもかまわない。そうして、なんとかこの考えが実現するように努めて一日を送ることだ。
 この習慣を多くの人が身につければ、自分だけが得をしたいという祈りよりも、ずっと早く世の中を変えていくことだろう。

 私の学術上の恩師も、朝目覚める時と夜寝る時に、感謝していることを考えると言っていた。一日の始まりの時に、他者に与えられる喜びについて考えることを、私も心がけ、習慣にしたい。

【044】職業がくれる一つの恵み
 自分の職業に専念することは、よけいな事柄を考えないようにさせてくれるものだ。その意味で、職業を持っていることは、一つの大きな恵みとなる。
 人生や生活上の憂いに襲われたとき、慣れた職業に没頭することによって、現実問題がもたらす圧迫や心配事からそっぽを向いて引きこもることができる。
 苦しいなら、逃げてもかまわないのだ。戦い続けて苦しんだからといって、それに見合うように事情が好転するとは限らない。自分の心をいじめすぎてはいけない。自分に与えられた職業に没頭することで心配事から逃げているうちに、きっと何かが変わってくる。

 偉大な哲学者や社会学者が職業についてなにを語るか、に私は興味を持っている。ニーチェは、職業を持つことが恵みであるとする。没頭して職業に臨むことが、心を集中させ、僥倖をもたらすという考え方は、面白い。

【067】虚栄心の狡猾さ
 人間が持っている見栄、すなわち虚栄心は複雑なものだ。
 たとえば、自分の良からぬ性質や癖、悪い行動を素直に打ち明けたように見える場合でさえ、そのことによってもっと悪い部分を隠してしまおうという虚栄心が働いていることがままあるからだ。
 また、相手によって、何をさらけだしたり何を隠すのかが変るのがふつうだ。
 そういう眼で他人や自分をよく観察すれば、その人が今、何を恥じ何を隠し、何を見せたがっているのか明瞭にわかってくる。

 悪い点を隠そうという人間の本質を見極めた上で、そうした行為を取ろうとする他者の心理状況を把握する。他者を理解し、他者に快く動いてもらうという観点では、マネジメント行動にとっても有効な考え方ではないだろうか。

【135】持論に固執するほど反対される
 持論というものを強く主張すればするほど、より多く人から反対されることになる。
 だいたいにして、自分の意見に固執している人というのは、裏側にいくつかの理由を隠し持っていたりする。たとえば、自分一人のみがこの見解を思いついたとうぬぼれている。あるいは、これほど素晴らしい見解にまでたどりついた苦労を報いてもらいたいという気持ちがある。あるいは、このレベルの見解を深く理解している自分を誇りにしている、というふうな理由だ。
 多くの人は、持論を押す人に対して、以上のようなことを直観的に感じて、そのいやらしさに生理的に反対しているのだ。

 自分自身の持論を声高に述べる人がある。そうした人々は、心の底から自分が信じている主張を素晴らしいものだと思っているようだ。そこには純粋な気持ちがあると同時に、どこかで、そうした世界観を認めない他者を否定し、自分自身を肯定しようという思いがあるように見受けられる。そうした気持ちが、他者に伝わるために、他者から認められないのではないか。

【140】怠惰から生まれる信念
 積極的な情熱が意見を形づくり、ついには主義主張というものを生む。たいせつなのは、そのあとだ。
 自分の意見や主張を全面的に認めてもらいたいがために、いつまでもこだわっていると、意見や主義主張はこちかたまり、信念というものに変化してしまう。
 信念がある人というのはなんとなく偉いように思われているが、その人は、自分のかつての意見をずっと持っているだけであり、その時点から精神が止まってしまっている人なのだ。つまり、精神の怠惰が信念をつくっているというわけだ。
 どんなに正しそうに見える意見も主張も、絶えず新陳代謝をくり返し、時代の変化の中で考え直され、つくり直されていかなければいけない。

 信念を持っている人は好もしく見えるものだ。たしかに、信念は、絶え間ざる努力の結果として得られる主張であり、それ自体は素晴らしいものだと思う。しかし、そればかりに固執してしまうと、そこから人は抜け出られなくなる。ここでの論点は、固執することによって先述した「【135】持論に固執するほど反対される」のような悪い影響を及ぼすこともあるのかもしれない。

【157】新しく何か始めるコツ
 たとえば勉強でも交際でも仕事でも趣味でも読書でも、何か新しく事柄にたずさわる場合のコツは、最も広い愛を持って向き合うことだ。
 つまり、いやな面、気にくわない点、誤り、つまらない部分が目に入ったとしても、すぐに忘れてしまうように心がけ、とにかく全面的に受け入れ、全体の最後まで達するのをじっと見守るということだ。
 そうすることで、ようやく何がそこにあるのか、何がその事柄の心臓になっているのかがはっきりと見えてくるだろう。
 好き嫌いなどの感情や気分によって途中で決して投げ出さない。最後まで広い愛を持つ。これが、物事を本当に知ろうとするときのコツだ。

 とかく何かをやり始めるとできない自分に嫌気がさして辞めてしまうものだ。年を取れば取るほど、そうした傾向は一般的にあるのではないか。そうしたときに、広い心を持って臨むこと。深みのある考え方ではないだろうか。

【185】古典を読む利益
 おおむね読書はたくさんの益をもたらしてくれる。古典は特に滋養に富んでいる。
 古い本を読むことで、わたしたちは今の時代から大きく遠ざかる。まったく見知らぬ外国の世界に行くこともできる。
 そうして現実に戻ったとき、何が起こるか。現代の全体の姿が今までよりも鮮明に見えてくるのだ。こうしてわたしたちは、新しい視点を持ち、新しい仕方で現代にアプローチできるようになる。行き詰まったときの古典は、知性への特効薬だ。

 まさに、温故知新である。洋の東西を問わず、重要な考え方であることの一つの証左であろう。

2014年11月1日土曜日

【第366回】『超訳論語』(安冨歩、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2013年)

 『ドラッカーと論語』(『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年))を読んで以来、『論語』を再読し、ドラッカーの『Management』を読み始めた。著者の書籍にも興味を持ったため、いくつか読もうと思い立ち、この本がその最初の一冊である。

 『論語』の原文をもとにしながらも、著者が意訳をおそれずに解釈したのが本書である。冒頭の部分では、『ドラッカーと論語』を読んでいれば、その復習に最適なまとめがなされていることに気づくだろう。

 人間にはなにかを学びたい、という好奇心がある。その好奇心によって外部から知識を取り入れても、その段階では自分自身のものになっておらず、そればかりか、取り入れたものに自分自身を譲り渡す格好になっており、「振り回され」ている。
 それが修練を重ねていると、あるときふと、しっかりと自分のものになる瞬間が訪れる。このとき、学ぶ者は学んだことに振り回されるのをやめて、主体性を回復する。これを「習う」という。
 そうなったとき、人は、大きな喜びを感じる。人間は、そういう生き物である。この「学習」のよろこびに孔子は、人間の尊厳と人間社会の秩序との根源を見た、と私は考えている。(kindle ver. No. 59)

 知識を収集し、プレゼンテーションと称してそれを披瀝する。時にそれがカッコイイものとして賞讃を得られたとしても、聴衆のどれほどがその意味内容を理解し、自身の有り様の変容に向けて咀嚼し、工夫を凝らすだろうか。また、プレゼンター自身にとっても、プレゼンテーションのためのプレゼンテーションとなり、耳障りの良い言葉を使っているだけになっていないだろうか。こうした「振り回され」た受動的な学びに陥らず、主体的な学びこそが、私たちに求められる学びであると著者はしている。さらに、そうした学びの中にこそ喜びが生まれ、喜びの連鎖が人間社会の秩序形成に資するのである。

 このような「学習」の作動している状態が「仁」であり、それができる人を「君子」と呼ぶ。君子は、自分の直面する困難を学ぶ機会と受けとめて挑戦し、何か過ちを犯せば、すぐに反省して改める。このような学習を通じて変化し、成長するのが、君子のあり方である。(kindle ver. No. 66)

 こうした主体的な学びのモードに入っている状態が仁であり、その主体者が君子である、と端的に著者は要約する。

 対話者の双方が学習回路を開いていると、双方は共に学び合いながら成長していく。このようにして達成される調和を「和」という。「和」であることによってはじめて、本当の意味でのコミュニケーションは成立する。そのとき、両者のやりとりのありさまを、「礼」にかなっている、と言う。(kindle ver. No. 85)

 双方が仁の状態を維持し続ける君子である場合、主体的な学びは個に閉ざされず、対話によってオープンな知の生成プロセスが発生する。こうした学習回路が開いた状態によて、人々の間に生じるものが「和」であり、「和」の状態におけるやりとりが「礼」にかなった状態である。

 ここまでの基礎的な論語の前提理解を踏まえた上で、著者は個別的な解釈を試みる。以下からは、私にとって印象的であった部分を引用しながら、所感を述べていくこととしたい。本書を読む直前に金谷治さん訳注の『論語』を再読したのだが、『論語』では見落としていた部分に強い印象を抱いた箇所がいくつかあった。原典を踏まえた上で解説本を読むというのは、意外な発見や気づきがあり、趣き深いものだ。

 〇〇一 学ぶことは危険な行為だ
 何かを学ぶことは、危険な行為だ。
 なぜならそれは、自分の感覚を売り渡すことになるから。
 しかし、学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
 学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。
 それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。
 (学而第一1-1)(kindle ver. No. 300)

 学びとは、「自分の感覚を売り渡すこと」であり、それが故に「危険な行為」である。ここで私たちは、自分にとって有益な知識をつまみ食いしたり、与えられた作業命題に一対一対応するマニュアルを覚え込むことが学びではないことに思い至る。なぜなら、そうした行為は、安全地帯に自分を置き、過去の自分自身からの変容を促すものではないからである。学ぶということは、自分の感覚を投げ出した知識の前に自分自身を曝け出し、そこで得られたものを自身で工夫しながら体験して得られるものである。したがって、何か新しい知識を得ること(learning)は、必然的に既存の知識や自身のマインドセットを一旦捨て去ること(un-learning)を伴うと言えるだろう。

 〇四一 礼を学ぶことこそが礼
 「礼とは何かを探究することが、礼なのだが」
 (八佾第三15)(kindle ver. No. 455)

 ある滞在地で、出会う人々に対して礼について問い続ける孔子の様を見て、「孔子は礼を知らない」と陰口を言われたことを踏まえて漏らした孔子の一言である。先述した通り、オープンな状態での他者間のやり取りが礼であり、そうであるならば、その有り様は多様であり、一様な解答というものは存在しない。そうであるからこそ、礼とは常に探究するものであり、その一つひとつの答えの中に多様な可能性を有している存在なのである。「論語読みの論語知らず」という言葉があるが、自戒を込めて、礼に関する孔子の言葉を常に意識したいものだ。

 〇五七 君子は傍観者ではない
 君子が天下のことに対するにはどうするか。「これはいい」とか「あれはダメだ」とか、傍観者になってコメントするのではなく、意義のあることをやろうとする人々と共に進む。
 (里仁第四10)(kindle ver. No. 519)

 何かを問われた時に、瞬時にその是非を答え、理由をいくつか述べることがビジネスでは時に評価される。しかし、そうした態度は、回答者自身をその問題から離れた遠いところに配置しているからこそできることなのかもしれない。問われた問題に対して共に解決していこうとする態度であれば、是非をたやすく答えられないものだろう。

 〇六二 軽々しく言葉にするな
 古の人は思ったことを軽々しく言葉にしなかった。我が身のありさまがそれに追いつかないことを恥じたからだ。
 (里仁第四22)(kindle ver. No. 535)

 時に高い志を述べて自分を鼓舞するということもいいだろう。しかし、言葉の持つ意義や重要性を鑑みて、自分が発する言葉には留意したいものだ。軽々と言葉を扱っていると、他者からも軽々しく扱われることになりかねない。

 〇七〇 語りえないものについては語らない
 先生のお話は、誰でも聞くことができる。しかし先生は、天の道理や人間の本性といった「語りえぬ」ものについてお話なさることはなく、そんな話は、誰も聞くことができない。
 (公治長第五13)(kindle ver. No. 562)

 ウィトゲンシュタインを彷彿とさせる至言。

 〇八三 身体感覚と知性
 身体感覚が知性を圧倒していると、野人となる。
 知性が身体感覚を圧倒していると、官僚的になる。
 身体感覚と知性とが、ともに生き生きしていてこそ、はじめて君子といえるのだ。
 (雍也第六18)(kindle ver. No. 618) 

 学習回路を開いた状態を保つためには、身体感覚と知性とその双方を涵養することが重要なのだろう。したがって、何かを修得しようという近未来のことに目を向けるだけではなく、現時点における自分自身の多様な有り様についてセンスすることもまた、必要なのではないか。

 〇九四 富や地位を得ることのはかなさ
 簡素な食事をとって水を飲み、肘を枕に眠る。
 楽しみはそのなかにある。
 自分が為すべきだと思わないことをやって富や地位を得ることは、私には浮雲のようにはかないことに思える。
 (述而第七15)(kindle ver. No. 659)

 恥ずかしながら、私の印象としては『老子』ではないかと見誤るような箇所であった。『老子』に対して抱くイメージと『論語』に対して抱くイメージとは全く異なるものであるが、前提知識や固定観念で書にあたってはいけない。自戒の意味で。

 一一八 手放すべき四つのこと
 孔子は、意・必・固・我という四つのことを拒絶していた。
 意とは、事前にどうこうしてやろうという意図。
 必とは、必ずこうしたいというこだわり。
 固とは、思い込んでしまったことを変えられない頑固さ。
 我とは、「私が私が」という自己中心主義。
 (子罕第九4)(kindle ver. No. 760)

 どれも時に持ってしまうものであるが、私はとりわけ「意」と「必」とを持ちがちだ。全くなくすというのは難しいのかもしれないが、持ちすぎているときには自分自身で気づけるようにしたいものだ。

 一七五 君子と小人の方向の違い
 君子は、自分の考えを上に到達させる。
 小人は、自分の考えを下に押し付ける。
 (憲問第十四24)(kindle ver. No. 1014)

 組織で働いていれば、両者ともによく目にするものだろう。ここで気をつけたいのは、「周囲に小人が多い」という発言をする時には、自分自身も小人になっている可能性が高いということである。たとえば、マネジメントに携わるということに構えすぎると、意図せずして小人と堕してしまうのではないか。留意したいものである。

 一八七 一つのことで貫く
 孔子が言った。
 「子貢よ。お前はもしかしたら、私が多くのことを学んで、それを覚えている者だと思ってはいないか?」
 「そうです。違いますか?」
 「違う。私は一つのことで貫いて、そこから各々の状況に応じて語っているのだ」
 (衛霊公第十五3)(kindle ver. No. 1062)

 偉人と呼ばれる人ほど、シンプルな原則を中心にして生きているのだろう。では孔子が言う「一つのこと」とはいったい何か。これを探究することは面白いだろう。私の仮説は、「学習回路が開いた状態である仁たる存在としての君子」であるが、いかがだろうか。今後も折に触れて自分自身に問いたいテーマである。