2014年11月16日日曜日

【第375回】『新史 太閤記(下)』(司馬遼太郎、新潮社、1973年)

 (人間一生のうち、飛躍を遂げようとおもえば生涯に一度だけ、渾身の智恵をしぼって悪事をせねばならぬ)
 秀吉はそうおもった。ここで秀吉にとってかんじんなことは、悪事を思いきって陽気にやらねばならぬことであった。もし陰気にやればたれの感覚にもそれが悪事として匂い立つが、しかし夏祭りのような陽気さでやればみな気づかず、手拍子をとって囃してくれる。(198頁)

 信長が討たれた後の中国大返しは、信長から受けた恩を返すための聖なる戦闘という意味合いが強かったと言えよう。しかし、光秀を討って信長に報いた後に秀吉は、天下という野望を意識しはじめた自分に気づく。そうした時に、信長の遺子を大義名分にしながら、いかに天下を自分の手に掴むかという「悪事」に思い至る。このように考えれば、ここでの「悪事」というのは、道徳的に問題があるというものではないことに留意が必要であろう。塩野七生さんは『ローマ人の物語』の中で、リーダーが持つ虚栄心と野心という二つのことを対比しながら述べている。虚栄心は必ずしも悪いものではなく、物事を推進していく上でエネルギーを発揮するものである。ただし、野心よりも虚栄心が大きくなると誤りを起こしてしまうと注意を述べている。秀吉の「悪事」は、たしかに秀吉の虚栄心も反映していようが、それ以上に天下太平な世の中を実現するという野心も反映している。だからこそ、陽気に振る舞うことができ、天下統一というエネルギーに変えられたのではないだろうか。

 諸将はすべてが信長の家来であったためにこの三法師の閲兵に感動し、その正義の感情を満足させた。そのくせかれら六万の将士はゆくゆく天下を取るのは三法師ではなく秀吉であろうということを十分に予知していたし、その予知あったがためにこのようによろこんで秀吉の指揮下に入ってはたらいている。かれらの正義と実利が、きわどいところで融合していた。(303~304頁)

 野心と虚栄心とが綯い交ぜになった秀吉の陽気なエネルギーは、その対象である将兵たちに影響を与える。秀吉が信長の遺子を立てようとすることの、虚と実とは、他の人々にも分っている。しかし、分ってはいても、その大義名分に理と情とが含まれていれば、それは認められるのである。秀吉の天下統一という一大事業を為そうとするためには、際どいバランスを意識することが重要なのであろう。

 信長のように敵をいちいちすりつぶしつつ進めてゆくやりかたでは六十余州の征服は何十年もの歳月を必要としてしまうであろう。秀吉はとにもかくにもこの天下をあらごなしに地ならしし、粗壁ながらも見せかけの普請をし、政権を確立させてからあらためて整えようとしていた。事はいそがねばならず、いそぐためにはそれぞれの地に割拠する者は割拠のままその本領を安堵する方針をとらねばならず、そのためには秀吉の心根が人離れのしたほどに寛容であることを天下にむかって知らしめねばならなかった。(390頁)

 さらに、天下統一に向けた方法論に関する、信長と秀吉との違いが興味深い。信長のように敵を殺していく方法では、全ての敵と戦闘して勝つ必要がある。降参したら殺されるのであるから、いたずらに殺されるのを待つのではなく、乾坤一擲の戦いを武将は起こしかねない。それに対して、秀吉は寛容な政策を取った。つまり、戦いで負けた相手も許すし、戦わずに降参した相手も許す。こうした寛容な態度が浸透すればするほど、勢力で劣る相手は、自分自身の領土を守るために戦わずして降参することが合理的な選択肢となる。戦わずに勢力が増えて行くのだから、天下を統一するスピードも上がる。実力と打算とに裏打ちされた秀吉の生き様は、リーダーシップの一つの型と言えるのではないだろうか。

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