2014年11月17日月曜日

【第376回】『日本人のためのイスラム原論』(小室直樹、集英社、2002年)

 9.11の直後に書かれた本書。あのテロリズムの意味合いやインパクトを理解するために、本書を読まなかったことが悔やまれてならない。イスラムについて、さらには宗教について、私たちが理解する上で非常に適したテクストである。むろん、あの惨事から十年以上が過ぎた現在においても、読み応えがあることには変わりがなく、一読を勧めたい一冊である。

 この地球上に宗教はさまざまあれど、イスラム教ほど日本人にとってありがたい宗教はない。
 何となれば、イスラム教が分かれば宗教が分かるからである。(22

 無宗教者が多いと言われる日本人。宗教を持たない私たちの多くにとって、イスラム教は宗教という存在を理解するのに適したものであると著者はしている。

 なぜ、世界宗教たるイスラム教が日本に定着しなかったのか。これはまさしく驚き以外の何物でもない。この不思議を探求せずして、何の学者ぞ、何の学問ぞ。こう言ってもけっして大げさではあるまい。(28頁)

 誕生してからの歴史が長く、また世界中で信者が多くて現代でもその数が増え続けているイスラム教。儒教、仏教、キリスト教といった外来の宗教を受け入れて来た日本において、なぜイスラム教は定着していないのか。書かれてみると自明のように思える問いであっても、なかなか思いつけるものではない。

 イスラムではアッラーを心の内側で信じているだけでは駄目で、同時にその信仰を外面的行動に表わさなければならない。しかも、その外面的行動はコーランをはじめとするさまざまなイスラム法によって明快に規定されている。イスラムでは宗教の法がそのまま社会の法なのである。(56頁)

 イスラム圏においては、法律と社会体制と文化とがイスラム教によって統合されている。イスラムの教えに基づいて、社会が形成され、個人の考え方や行動も規定されている。しかし、こうした外的規範に合わせて行動するということが日本という風土においては受け容れる土壌がない。だからこそイスラム教が日本において定着していないというのが著者の主張である。では、日本に定着した他の諸宗教と、イスラム教との違いは何なのであろうか。

 キリスト教も仏教も、ともに自力救済の可能性を否定している。外面的行動によっては、救われない。救済はともに“与えられるもの”なのである。
 日本の仏教はまず円戒によって、戒律を廃止した。その後、親鸞、日蓮が現われるに至って、ついに自力救済の可能性までが否定されるに至った。
 ここにおいて日本の仏教は、本来の仏教と完全に訣別し、あたかもキリスト教にそっくりの宗教になったというわけである。(103~104頁)

 集団救済の宗教たる儒教が日本に上陸したら、どうなったか。
 その根幹になっている「礼」はたちまちに形骸化してしまった。戒律が消えた仏教と同じ運命をたどったのである。(110頁)

 キリスト教は内面的規範によって律する宗教であり、仏教や儒教は日本に導入された時点で外面的規範が削ぎ落された。違う側面から見れば、外面的規範が存在しない、もしくは取り除かれても機能する宗教であったからこそ、日本人に受け容れられたということである。つまり、外面的規範が厳格でなく、内面的規範によって成り立つ宗教であれば、日本という風土に定着することが可能な条件を満たしていると考えられよう。こうした側面について、著者は、山本七平氏が提唱した「日本教」をもとに以下のように論じている。

 日本人にとって、外面的行動を縛る規範は、言ってみればパンの耳のようなもので、堅いばかりでおいしくない。そんなやっかいな部分はポイと捨て去って、おいしくて柔らかい白い部分だけをつまみ食いするのが、日本人の基本メンタリティなのである。
 こうした日本人の宗教感覚のことを「日本教」という言葉で表わしたのが、故・山本七平氏であった。まさに卓見と言うべきであろう。
 日本固有の神道をベースにして、仏教や儒教の教えなどがミックスされて作られたのが、日本教である。(114~115頁)

 規範に合わせて人間の行動が変わるのではなく、人間に合わせて規範が変わる。これぞ、「日本教のエトス」なり。これが日本人なのである。
 だからこそ、仏教の戒律も廃止されなければならなかったし、また、儒教の規範も受け容れることができなかったというわけである。(124頁)

 外面的規範によって行動を統制するのではなく、自分たちが抱いている内面的規範によって、状況に合わせて柔軟に行動を統御しようとする。これが、神道・仏教・儒教等を受け容れて創り上げた日本教に基づいた行動様式であり、日本教の土壌に合わない宗教は、定着しづらい風土になっているのである。

 ここまでが、なぜ日本においてイスラム教が定着しないのか、という著者の問題意識に対する回答であったと言えよう。次に、著者は、キリスト教文化圏における資本主義の精神が、なぜイスラム諸国では定着しないのか、という点に問題関心は移っていく。まず、キリスト教圏における資本主義の誕生について以下から見ていこう。

 カルヴァンたちがやったのは、中世のキリスト教から呪術的要素を徹底的に追放することにあった。つまり、彼らはキリスト教に合理性を取り戻したのである。
 そして、この合理性の追求がそのまま資本主義の精神へとつながっていく。
 なぜなら、近代資本主義は合理的経営なくしては成り立たない。そして、その合理精神の源泉となったのは他ならぬ聖書であったというわけなのだ。(242頁)

 ここで著者が述べる呪術的要素とは、「神をして人間に従わせる」(212頁)ことにある。どのような言い様であれども、「神の名前を呼ぶ」(212頁)ことによって、神に何らかの依頼をして祈祷することは、人間が神を利用して何かを成し遂げようとすることである。すなわち、神の意志など存在せず、人間の意志を神によって完遂させようとすることは、神の上位に人間を位置づける作用に他ならない。では、神の意志を絶対的なものと徹底した宗教改革後のキリスト教における予定説の考え方に対して、イスラム教はどのような考え方をとるのか。著者は、「宿命論的な予定説」というウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるイスラム教について論じた言葉を用いて説明を試みている。

 宿命論的な予定説とは何ぞや。
 つまり、この世の運命、すなわち人間の宿命(天命)に関しては、すべて神が決定なさる。
 だが、来世の運命に関しては因果律が成り立つ。つまり、この世でイスラムの規範を守り、善行を行なっていけば、救済される。逆に、不信心で罪深い人生を送っていたら、救済されることはない。
 つまり、この世と来世に予定説と因果律を振り分けるというのが、イスラム教の出した結論であったというわけだ。(251~252頁)

 現世において予定説をとりながらも、来世における因果律をとったことが、予定説を徹底しきれず、イスラム教から呪術的要素を取り除けなかったことに繋がった。そのために、資本主義に求められる合理的精神の徹底に至らないため、資本主義が定着できない、と著者はしているのである。

 以上が、資本主義に求められる合理性という概念に基づいたキリスト教とイスラム教の相違点であった。さらに著者は、契約という概念が、両者によって異なっていることを指摘する。契約概念の相違が、イスラム教圏において資本主義が定着できない大きなもう一つの理由になっているとしているのである。

 隣人愛という根本教義によってタテの愛(神と人間のあいだの愛)が、ヨコの愛(人間同士の愛)に転換されたというわけである。
 キリスト教社会において「契約の絶対」が生まれた背景には、この隣人愛の教えを忘れるわけにはいかない。(416頁)

 アッラーはつねにムスリムとともにあって、彼の行動をすべて監視しているというわけだ。
 このような信仰においては、タテの契約がヨコの契約になるという余地はない。
 というのは、そもそも俗界の契約もとどのつまり、すべてタテの契約であって、人間同士の約束なんて成立しようもないからである。(417頁)

 隣人愛によるヨコの契約関係が人間同士の関係性を創り出す契機になっているのに対して、アッラーとのタテの契約関係しか存在しないイスラム教においては、ヨコの関係を創り出す基盤が存在しない。そうであるからこそ、人間同士の契約関係を成立させ得ないイスラム教圏においては、資本主義が成立できないのである。

 このように論じると、イスラム教が劣っているという風に思えるかもしれないが、そうしたことを主張したいのではない。そうではなく、日本という風土にイスラム教が受容さられない理由と、資本主義に適応しづらい理由とを論じてきただけであり、そこに優劣は存在しない。しかし他方で、特にキリスト教との対比を考えると、冒頭で述べた9.11が生じた理由と、その後の緊張関係について考えさせられるところは多い。印象的な部分を以下に引用して本論考を終えたい。

 イスラム教の場合、イスラム法によって社会規範が定められているわけだから、異民族支配を受けたとしても、その生活や風習に制限を受けるわけではない。もちろん、法体系が変わるわけでもない。
 したがって、モンゴル人に支配されることになっても、彼らの心理にはさほど大きなダメージが加わるわけではない。
 ところが、キリスト教徒ときたら……。
 彼らはさんざんイスラムの世話になっているというのに、イスラム教に強化されなかった。
 また、十字軍の戦いで敗れても、その信仰を捨てようとしなかった。
 何という救われない連中であろうかーー。
 これがイスラム教徒の偽らざる感想ではなかったか。
 後年生まれる十字軍コンプレックスの根底には、こうした事実が潜んでいるわけである。(368頁)

0 件のコメント:

コメントを投稿